徒然読書日記201612
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2016/12/31
「最古の文字なのか?」―氷河期の洞窟に残された32の記号の謎を解く― GVペッツィンガー 文藝春秋
3時間近く泥を這い回って得た収穫が、たった二つの赤い点だけということに、グスタボは申し訳なそうだが、その甲斐はあった と私は請け合う。氷河期の遺跡にあるものを確認するためにこそ、ここにきたのだから。これでデータベースを更新できる。(中略)
私はいつも思うのだ。彼らはいったい何に駈り立てられて、たいまつや獣脂の明かりだけを頼りに、こうした危険でじめじめした地下を 進んで行ったのだろう、と。赤い点を二つしか描かなかったとくればなおさら・・・
<彼らはいったい何のためにこの洞窟を奥まで探検したのだろう?>
人類学専攻の4年生だった時、旧石器時代の芸術の講座で見せられたヨーロッパの洞窟壁画のスライド。ラスコーの壁画など、誰もがよく 見知っている、牛や馬などの動物画の後ろに、幾何学模様のようなパターンが写っていることが多いことに気付いた著者は、かつて誰も そこに注目しようとせず、この記号のようなものについて、いまだに体系的な研究も行われていないということを知り、俄然興味を募らせる ことになった。
<壁画に描かれた抽象的な記号は全部で何種類あるのか?>
<同じ記号がヨーロッパ全体の多くの遺跡で見られるのかどうか?>
<抽象記号は約4万年前から1万年前までの後期旧石器時代を通して見られるのだろうか?>
というわけでこの本は、150を超えるフランスの岩絵遺跡で過去に収集されたデータを分析することから始めて、ついには、ヨーロッパ 全体368箇所の洞窟に残された記号を、時には実地踏査までして、世界で初めてのデータベース化に挑んだという記録なのである。
その結果は?彼女がにらんだ通り、この時代に存在した抽象模様は、三角形、円、線、長方形、点などの限られた32種類にとどまっており、 同じシンボルが時空を超えて(たとえば2400kmも離れたシチリアとスペイン)、繰り返し描かれていることが確認された。
<それは文字なのか?>
岩壁画や小像、首飾り、複雑な埋葬、楽器など、人類史の太古の一幕を彩る芸術的慣習のすべてが、10万年以上前にすでに「話し言葉」は 完成していたという通説を裏づけるものとなっているのだが、当時どんな言語が話されていたかを知り得ない私たちにとって、「書き言葉」 がいつごろ、どのような形で発生してきたかを証明することはできない。
しかし、身元や所有権に関するメッセージを送ったり、さらに複雑な概念を伝えようと試みた痕跡が、こうしたシンボルを使う象徴的な行為 に潜んでいるのではあるまいか?
というのが、カナダ・ビクトリア大学の博士課程に籍を置く、この気鋭の人類学者の推察するところなのである。
幾何学記号は、抽象化と象徴的思考というすばらしい能力が備わった知性の産物だと、私は確信している。もしも祖先たちが図形による コミュニケーションの世界におずおずと足を踏み入れなかったなら、その子孫である私たちが今日あたりまえのように使っている文字体系を 生み出す上で必要だった認知能力は存在しなかっただろう。
2016/12/26
「罪と罰」 Fドストエフスキー 新潮文庫
老婆はいつものように素頭だった。白髪まじりのまばらな薄色の髪は、例の癖で油をこてこてにつけて、鼠の尻尾みたいに編み、 角櫛のかけらで止めてあるのが、後ろ頭に突っ立っていた。斧はちょうど脳天に当った。それは彼女が小背だからであった。彼女はきゃっと 叫んだが、・・・
「たしか主人公がラスコーなんとかで、おばあさんを殺しちゃうんじゃないですか?」
というくらいに<有名な>この世界の名著を、恥ずかしながら今ごろになって読まされるという<罰>を受ける羽目になってしまったのは、 先にこの欄でご紹介した、
『「罪と罰」を 読まない』
を無防備にも読んでしまったことに、その<罪>の大半があるのだが、
貧困の淵に沈む学生のラスコーリニコフが、金品強奪の目的で金貸しの老婆を殺害し、嫌疑をかけられながらも、度重なる偶然のいたずら から逮捕を免れた、にもかかわらず、<罪>の意識に堪えきれずに、ついには自首することになり、シベリヤ送りの<罰>を受けることに なる。
などという、読む前にそれとなく予想していた単純な物語ではあろうはずもなかったことに、深い感動を覚えることになった。
<『非凡人』は、ある種の障害を踏み越えることを自己の良心に許す権利を持っている――全人類のために救世的意義を有する思想の実行が、 それを要求する場合にのみ限り――>
という思想を信奉するラスコーリニコフにとって、極悪非道の高利貸しの老婆を殺害することに、まったく<罪>の意識はなかったのだから、 法の裁きを受けて、第二級徒刑囚として8年間の牢獄生活を強いられることになろうとも、それを<罰>と感じることもなかったに違いない のである。
では、何が<罪>で、何が<罰>だというのか?
最近の文庫本に比べて、体感で2倍近い活字の密度。本名、俗名、愛称などが錯綜し、時に発言者不明となる会話。捕物帖の岡っ引きかと 突っ込みたくなるような口調の取り調べ。などなど、噂にたがわぬ読みにくさではあるが、昭和26年初版なのであれば、これは訳が悪い というよりも、この時代の日本語のスタイルという部分も大きく、
(ちなみに、なぜ新訳を読まなかったのかと言えば、以前に改修工事を請負ったお宅の本棚にあった、未読のドストエフスキー全部を頂戴 したからだ。)
なにより、書かれてある中味については、なんら古びることのない、現代でも十分に通用する人間ドラマが、軽快なテンポで展開されていく のである。
う〜む。ドストエフスキー、さすがに本物である。(なんて、今さら暇人が言うまでもないことだが・・・)
『一体どういうわけでおれの思想は、開闢以来この世にうようよして、互いに打っ突かり合っているほかの思想や理論に比べて、より愚劣 だったというのだ?』
『権力を継承したのではなくて、自らそれを掌握した多くの人類の恩恵者は、各々その第一歩からして、罰せられなければならなかった はずだ。しかし、それらの人々は自己の歩みを持ちこたえたが故に、従って彼らは正しいのだ。ところが、おれは持ちこたえられなかった。 従って、おれはこの第一歩を己れに許す権利がなかったのだ。』
つまりこの一点だけに、彼は自分の犯罪を認めた。持ちこたえられないで自首したという、ただその点だけなのである。
2016/12/24
「とりつくしま」 東直子 ちくま文庫
「じゃまっけなんだよ、これ」
「じゃまっけ」だって!?お父さんがこれを買ってきたとき、おまえ、お父さん、うれしい!とか言ってすぐに使ってたじゃないか。気持ち いいって、叫んでたじゃないか。(中略)
「なに言ってるの、二人とも。お父さんの最後の大きな買い物だったのよ。使ってあげなさい」
<使ってあげなさいって、そんな、頼まれてまで使ってもらわなくて、結構だ。>
と、家族からのひどい言われように、おれが少しだけ傷ついてしまったのは、我が家のリビングにひときわ存在感を放つ、このマッサージ器 にとりついて、家族をマッサージしてあげれば、みんな気持ちよくなってよろこぶだろうし、きっとおれもうれしいだろうと思っていた からだった。
「そう、なんでもいいんですよ。思いついたモノを言ってごらんなさい。モノになって、もう一度、この世を体験することができるのです。 ただし、生きているモノはダメですよ。」
と、この世に未練を残して亡くなった人の元に突然現れ、その思いをかなえてくれるという<とりつくしま>係の力を借りて・・・
中学校最後の軟式野球の公式戦を見届けられるくらいの、ほんの少しだけ一緒にいられれば、その方がよいのだと、息子のロージンバッグの 白い粉になった母。
<あ、と思った瞬間、陽一の襟足が見え、ユニフォームの赤いベルトが目に入り、まぶしい太陽の光に刺され、なにも見えなくなった。>
文通がきっかけで結ばれた妻の、毎日のたわいもない出来事の報告と、出会った頃の思い出ばかりが綴られる日記になった夫。
<だから、と希美子が書いたところで、万年筆が止まった。そして、「だから」の文字が二重線で消された。>
まだ14歳で、恋を成就したことがない「心残り」がいちばん切ないという少女は、憧れの先輩の彼女のリップクリームになった。
<ほんの、数秒のことだったと思う。とても軽いキス、なんだと思う。でも、あたしには、くらくらする、永遠の時間だった。>
孫に会いたい一心で、せがまれて入学祝に贈ったカメラのレンズになった祖母は、売っぱらわれた中古屋で見ず知らずのじいさんに買われて しまった。
<乾いた、細い指がアタシを包んで、シャッターのボタンを押した。アタシはこれから、こんなふうに、同じ景色を見るんだね。この人が きれいだと思う景色を、一緒に。>
死んでしまってはどうしようもないけれど、それでも、死んでみなくては気付くことのない真実というものもある。その切なさと優しさが、 心に染み亘ってくるような、これは一服の清涼剤のような掌編なのである。
「ねえ、お父さん、気持ちいい?」
え?気持ちいいもなにも、おれが自分で動かしてるんだが。
美穂の顔をじっと見てみた。美穂は、おれをぼんやりと見ている。いや、正確には、おれが座っているであろうあたりを、見ているようだ。 そうか、おれがマッサージされているのを想像しているんだ。
大丈夫だ、美穂。お父さん、気持ち、いいぞ。こうしているだけで、十分、気持ちいいぞ。
2016/12/13
「サイコパス」 中野信子 文春新書
1位 企業の最高経営責任者
2位 弁護士
3位 マスコミ、報道関係(テレビ/ラジオ)
4位 セールス
5位 外科医
というのは、「学生がなりたい職業ランキング」なんかではなくて、実は「サイコパスが多い職業」の順位だという。「サイコパス」と 言ったって、必ずしもとんでもない犯罪を遂行する、冷酷で残虐な殺人犯ばかりではなく、冷静で大胆な決断を下さなければならない職種に 就いているような人も多い、ということがわかってきているというのである。
つまり「サイコパス」には、ためらいなく犯罪を犯してしまうため、悪事も発覚しやすい「捕まりやすいサイコパス」(負け組)と、 他人をうまく利用して生き延び、容易にはその本性を見せない「捕まりにくいサイコパス」(勝ち組)の2種類があるのだ。
そして、そんな彼らの特徴と言えば、
・外見や語りが過剰に魅力的で、ナルシスティックである
・恐怖や不安、緊張を感じにくく、大舞台でも堂々としている
・倫理的理由で人がやらないようなことも平然と行うため、挑戦的で勇気があるように見える
などなど、好意的な反応を受ける場合が多く、容易に私たちの隣に紛れこむことを可能にしている。
それは、かなり<厄介なこと>ではあるだろう。しかし、100人に約1人の割合で存在していると言われる「サイコパス」が、人類進化の 過程で淘汰されることなく生き残ったのは、普通の人からすればとんでもないものに見える彼らの生き方が、生存戦略としては意外に有効 だったことを意味している。
つまり、サイコパスが一定割合で存在することは、ある意味で人類の種の保存にとってプラスに働いた可能性もあるのではないか。 と主張する、この気鋭の脳科学者が、「実は私もサイコパスなのだ」といつカミングアウトするか、凄く期待しながら読んだのだが、 その期待は裏切られることになった。
まあ、よく考えてみれば、「勝ち組サイコパス」が自らがサイコパスであることを、あっさりと認めるはずはないのである。
「反省できない人もいる」「罰をおそれない人もいる」という事実を、人はなかなか認めることができません。しかし、これは事実です。 そして、罰をおそれない人間からすれば、反社会的行為を抑制するために作られた社会制度やルールは、ほとんど無意味です。(中略)
好むと好まざるとにかかわらず、サイコパスとは共存してゆく道を模索するのが人類にとって最善の選択であると、私は考えます。
2016/12/8
「偽善系」―正義の味方に御用心!― 日垣隆 文春文庫
○○市内を大急ぎで駆け回ると、競技施設はほとんど何も存在していなかった。「どれだけの施設があるかをIOC東京総会で他の 候補都市は競ったが、我が○○は、どんな施設をつくるかをCG画像で誇らしげにPRした」と地元紙には書かれていた。
<要するに、これからゼネコン・バブルを起こす力のある都市が、今は勝ちうるのだ。>
と言ったって、これはもちろん、会場施設候補地の二転三転(「大山鳴動鼠一匹」だったっけ?)に揺れる東京都の話・・・ではない。
近代オリンピック開催百周年(1996)の記念大会であったにもかかわらず、大本命のアテネを打ち負かした「○○=アトランタ」の戦略 を踏襲し、「オリンピック招致でもしない限り、国と県の多額の補助金は期待できず、高速道路もフル規格の新幹線ももってこれない」 という「夢」に向かって突っ走ってしまった長野県の、その実権を永年にわたって握り続けてきた吉村知事(と池田副知事)の五輪招致に まつわる県政の実態を暴き出そうとしたものなのだ。
長野ではこれが、長野五輪後の「田中知事」誕生につながるスクープへと発展していくことになったわけだが、「小池知事」にとって、五輪 前に就任してしまったことは、旗を振らせてもらった栄誉と引き換えというには、あまりにも重い負担となるに違いない。政治家も、役人も、 ゼネコンも、あの頃とな〜んにも変わってないもんなぁ。
というわけで、この本は、「少年にも死刑を」、「心神喪失を廃止せよ」といういつもながらの主張から、素人目にもおかしな判決を連発 する「裁判がヘンだ!」と怒ってみたかと思えば、「取材力ゼロ」で「破綻するコメント」を繰り返してばかりだと、人気絶頂の評論家で ある左高信を「ヤリテ婆ァのイヤらしさ」と罵倒してみたり、「どこからでもかかって来なさい!」とばかりに、売られてもいない「喧嘩」 を買ってしまう、辛口の論客の、主に2000年ごろに雑誌に掲載されたコラムをもとに、大幅に加筆されたものなのである。
で、そんな本をなぜ今ごろになって、かと言えば、暇人はこの著者の本が好きで、名前を見掛けたら買ってしまうのだが、さりとて毎日読む 本の列には加わらず、月1回通院している病院の待ち時間と、年4回ほど飲み会に出かけるときのバスの中でしか読まない(トイレで読む本 は別にあるのだ)ため、読み終えるのに何年もかかってしまって、
たまたま五輪招致のタイミングにヒットするという幸運を得た次第なのである。
私の場合、私憤から公憤へ、ではなく、その反対に、もともと公憤として体得されてしまったマグマが、体内で長いことエネルギーを 溜めたすえ折々の場面で噴出してしまう、らしいのです。もしかすると、傍で見ていたら、ただの短気や頑固や「時々壊れる」という現象と 区別がつかないかもしれません。
2016/12/5
「伊勢と出雲」―韓神と鉄― 岡谷公二 平凡社新書
古代伊勢というと、伊勢神宮が正面一杯に立ちあらわれて、余のすべてはことごとく脇役となるか、片隅に押しやられるか、場合に よっては、その痕跡さえ消し去られてしまう。伊勢神宮にそぐわないものは一切、この土地では存続が許されないかのようだ。
「韓神社」
内宮と外宮のほぼ中間、五十鈴川沿いにある「韓神(からかみ)山」の鬱蒼とした深い森の中にある、それは「粗末な鳥居がいくつか並んで いる」だけの小さな神社だった。かつてここは、内宮の禰宜荒木田一門が伊勢神宮の祭祀とはまったく別の、山宮祭を行ってきた場所なのだ が、荒木田氏の祖霊が祀られた墓地であったことなど、地元の人々にさえほとんど知られていなかった。
「朽羅(くちら)神社」
そんな荒木田氏の本貫の地、伊勢市の西に位置する度会郡(現・玉城町)田辺にある、この内宮の摂社は小さいながらみごとな社叢である。 祭神は「大歳神児、千依比古命、千依比売命」とされるが、大歳神といえば素戔鳴尊の子なのであり、つまりこの神社は出雲の神を祀って いることになる。
<なぜ内宮の摂社に出雲の神々が祀られているのか?>
「韓竈(からかま)神社」
出雲の日御碕の近く、産銅遺跡のまっただ中にある式内社で、竈は溶鉱炉であると考えられている。神社の所在地である唐川は「加羅・伽耶」 の国名を音訳したものであり、約60戸のほとんどが荒木姓だという。「アラキ」とは、釜山の西にあった伽耶系の小国・安羅から渡来した 人々、という意味なのだ。
というわけでこの本は、神道には無関係で、古代史の研究家でもないにもかかわらず、前著『神社の起源と古代朝鮮』(平凡社新書)に おいて、<神社がどのようにして生まれたのか>という問いには、渡来人が大きな役割を果たしていることを解き明かしてみせた著者が、 伊勢神宮と出雲大社という現在の姿の裏に隠された、それ以前の、或いはそれら以外の伊勢・出雲に潜む「韓神の残影」を探り、 出雲から伊勢へと至る渡来人の足跡を辿り直すことで、見事に浮かび上がらせてみせた、「鉄の道」巡行の記録なのである。
なお、こうした切り口については、以前ご紹介した
『出雲と大和』
(村井康彦 岩波新書) を併せ読むことをお勧めしておきたい。
それにしても、文献に記述があれば、どんな人里離れた山奥の地でも、実際にこの目で見なければ気が済まない、このご仁。 なんと、昭和4年の生まれなのである。
私は、山の裾でタクシーを下り、参道の山道を登って行った。やがて行く手の森の中に百段近くはあろうかと思う長い石段が現われた。 (中略)私は新羅の幻影を求めてあたりをさまよい、社殿の奥まで入りこんでみたが空しかった。私は、萌しはじめた夕暮れの中、この村が 経てきた、すべてを消し去る茫々たる歳月のことを思わずにはいられなかった。
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