徒然読書日記201611
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2016/11/30
「神社の解剖図鑑」―日本各地の神様とご利益がマルわかり― 米澤貴紀 エクスナレッジ
神社といってもその姿はさまざまで、同じ祭神を祀る神社でも性質や信仰の形態が異なるところは少なくない。また、この「多様さ」 こそが神社を考える上で重要であり、魅力の源泉ともなっている、
穀物や食物の神への崇敬から生まれ、やがて産業振興・商売繁盛などの幅広い霊験も信仰されるようになった、狐を神使とする「お稲荷さん」 (伏見稲荷大社・大阪)
神功皇后が新羅遠征の際に託宣した住吉三神を祭神とし、大阪から瀬戸内、山口、福岡、壱岐、対馬という三韓征伐のルートに位置する、 航海の守り神「住吉さん」(住吉大社・大阪)
インドの僧院・祇園精舎の守護神が中国で陰陽道の影響を受け変化した、牛頭天王を祭神とする、疫病除けの「祇園さん」(八坂神社・京都)
修験道との関わりから、御師や先達と呼ばれる宗教者が、参詣のご利益を説いて信者の集まりである講を先導した、富士山を拝む「浅間信仰」 (浅間大社・静岡)
雷に琴で対抗する「ことひき」を由来とし、歌舞伎や浄瑠璃でご利益が説かれたことから、参詣できない主人に代わって犬が参詣することも 流行った、庶民に大人気の「こんぴらさん」(金刀比羅宮・香川)
清涼殿の落雷事件が、左遷先の大宰府で不遇の死を遂げたことを怨む祟りであると恐れられた菅原道真が、学問・受験の神となった 「天神さん」(太宰府天満宮・福岡)
などなど、知っているようで知らない神様のグループ分け以外にも、神社で見られる鳥居や社殿などさまざまな建物の見分け方に加え、 歴史や神話、祭神とご利益、最後は正しい参拝のやり方まで、イラスト満載で、わかりやすく説き明かしてくれるこの本で、本当に 著者が言いたかったのは、流行りのパワースポットのご紹介なんていうことなんかではなくて、
<なぜそこに神社があるのか?>
という神社の奥深さについて、私たち日本人が今一度よく考えてみることが、神社の未来をつくっていくのだということのようなのである。
太古の人々は何を思いこの空間や建築を造ったのか。それぞれの時代に生きた人の、神社へのまなざしに思いを巡らせることで、古来 つむがれてきた時空の物語をも見つけることができるのではないだろうか。
2016/11/18
「神社と政治」 小林正弥 角川新書
2016年の初詣時に一部の神社で改憲のためのブースなどが出されて、その署名活動が行なわれた。初詣は多くの日本人にとって 慣習になっていて、世事は脇に置いてほろ酔い気分で出かけることが多い。政治は世事の最たるものの1つだから、驚き違和感を抱いた人も 少なくなかった。
神社界のこのような動きは、戦前の「国家神道」の復活を狙っているのではないかとも受け止められ、このような政治活動を神社が行なうこと は、「政教分離」に反しているのではないかという批判が、特に、改憲に消極的な人々の間から、巻き起こったようなのである。(恥ずかし ながら暇人は、もちろん初詣には出かけたが、そのような署名活動があったこと自体、全く気が付かなかった。)
<しかし、そもそも神道は宗教なのだろうか?>
通常の神社における神道には、キリストや釈迦のような明確な「開祖」は知られていないし、「教典」も存在しない、そういう意味では 「宗教」の典型的イメージを逸脱しており、たまに参拝するなど多少の関わりは持っている人でも、自分がその信者であるという自覚を持つ 人は少ないだろう。寺院における「僧侶」はもともとは出家したプロの修行者だが、神社における「神職」は神と人とを媒介する「中執り 持ち」であるにすぎず、専従者である必要さえないのだ。
とはいえ、記紀の時代よりも古くから、わざわざそこに行って「祈る」という、不可視の存在に対する「信仰」や「崇敬」に基づいて成立 してきたのだから、その起源から考えれば、やはり神道は「宗教」に他ならないと言わねばならず、つまり神道には、多くの日本人がなじんで いる、神道的習慣・習俗ともいうべき「習俗的神道」という表層と、氏子や崇敬者でさえそれを持っているとは限らない、神道的信仰に 基づいた「宗教的神道」という深層の、二層が存在しているということなのだ。
明治維新の「祭政一致」の布告により「国教」となることを目指した神道は、仏教など他宗教からの抵抗もあり、「国家神道」という、国家 の管理下であくまでも国家祭祀の機関として特別の地位を与えられる代償として、「宗教に非ず」とされ、「宗教」ではなくなった。敗戦 直後、忠君愛国を説く日本ファシズムの思想的支柱とされた「国家神道体制」は、GHQの「神道指令」により解体に追い込まれ、国家から 分離された多くの神社がその傘下に入った「神社本庁」には、他の宗教と同じように民間の一宗教法人となる他、道は残されていなかったのだ。
家族や地域という基本的な共同体の弱体化により「氏子」が減少し、いまや『神社消滅』の危機に瀕している神道ではあるが、宗教法人と なったことによって、今日では逆に自由に(参拝する外国人にでさえ)宗教的な教えを解くことができるのであれば、これからの神社神道が 目指すべきは、その広い習俗性と深い宗教性とを統合して、
<「公共宗教」として発展する道だろう。>
というのが、日本を代表する神道研究者5名との「特別対談」の結果も踏まえながら、長い論考の果てに辿りつた、この気鋭の公共哲学者の 結論のようなのである。
「狭く深い共同的宗教性」に支えられることによって、「広く浅い公共的習俗」も「広く浅い公共的精神性」へと変容することができる。 この狭広深浅双方の宗教性ないし精神性が有機的に連関することによって、「広さ」と「深さ」をともに実現し、神社神道としての個性を 生かしながらその宗教性を展開していくことができるのかもしれない。
2016/11/17
「煙が目にしみる」―火葬場が教えてくれたこと― Cドーティ 国書刊行会
青白い蛍光灯の下で身動きひとつせずに横たわる気の毒なバイロンを、私は10分近くぼんやり見下ろしていた。そう、バイロンと いうのがその男性の名前だった。少なくとも、足の指からぶら下がっているネームタグにはそう書いてあった。・・・ひげ剃りというきわめて 親密な行為を共有する前に、せめて名前ぐらいは知っておくのが礼儀だろうという気がした。
<初めてひげ剃りをした死体のことを、女は死ぬまで忘れない。>
家族経営のウェストウィンド葬儀社の火葬技師見習いとして、いくら自ら希望してやって来たとはいえ、職場についた初日に、まさか遺体の ひげ剃りをやらされることになろうとは、その朝、目覚めたときには、夢想だにしていなかった。
「やはりあの、シェービングクリームか何か使ったほうが・・・?」
これは、8歳のときに同年代の子供の転落死を目撃して以来、<死>という得体の知れない存在に怯え続けてきた自分を見つめ直し、そんな 恐怖を克服するためには、“敵”の正体を見定めるのが一番と、大学卒業と同時に葬儀社の現場に飛び込んだ、うら若きハワイアン・ガール の、<優しくて、慈愛に満ちた、死者たち>との格闘の日々を描いた、6年間の記録なのである。
「遺体はふつう、足の側から先に炉に入れる。」
(もっとも火力の強い部分の真下に一番厚みのある胸部が来るようにし、まずじっくり焼いたあと遺体をずらして、今度は下半身を炎に さらす。)
「“赤”が肝心、黒は“生焼け”を意味する。」
(赤くくすぶる熾のようになったところでバーナーを止め、温度が300度を切るのを待ってから、炉内の残骸を掃き出す。)
「火葬の最終プロセスで粉骨機にかける。」
(故人の体に埋め込まれていた金属は選り分け、残った遺骨をパウダー状にしてポリ袋に移し、茶色いプラスチックの骨壺の納める。)
遺伝性疾患で何ヶ月も保管され、顔に白カビの蜘蛛の巣が張っていたパドマ。
飛び込み自殺で電車に轢かれながら左の眼球を失っただけだった22歳のジェイコブ。
茶色いホルムアルデヒド溶液が入ったプラスチック容器の中でゆらゆらしている死産児。
頭だけ、片脚だけと、細切れのパーツになって送られてくる、献体後の遺体。
「人生は、それが終わることにこそ意味がある」(Fカフカ)
それぞれの人生のそれぞれの物語を、まったく同じ手順で丁寧に締め括って行く作業を通して、彼女が手に入れた人生哲学は、<死を否定する 社会は、そこで暮らす人がよき死を迎える邪魔をする。>のだから、そろそろ死と真正面から対峙する番だ、というものだった。
死体は保冷庫のステンレス扉の奥に、病人や末期の患者は病室のドアの向こうに押しこめてしまえば、自分は無関係だというふりができる。 死を隠すことにすこぶる長けた私たちは、自分たちこそ永遠の命を与えられた最初の世代の一員であると信じてしまいそうにもなるだろう。 けれど、人は不死身ではない。この世の全員がいつかかならず死ぬ。この世の全員がその事実に気づいている。
2016/11/1
「東大のディープな世界史」 祝田秀全 中経出版
19世紀中ごろから20世紀50年代までの「パクス=ブリタニカ」の展開と衰退の歴史について、下に示した語句を一度は用いて、 450字以内で述べよ。
自由貿易 南京条約
アラービー=パシャ 3C政策
マハトマ=ガンディー 宥和政策
マーシャル=プラン スエズ運河国有化
(1996年度東大入試問題「世界史」・第1問)
「歴史は暗記もの」と思い込まされきた大部分の人にはショックだったかもしれないが、これが東大世界史の看板とも言われる、噂の 「第1問」なのである。
これはもはや、人物や地名を答えればそれで済むという、私大入試にありがちなレベルの代物ではない。「地球上のあちこちで起こっている、 一見別々のことに見える事件や人物が、特定の動きに吸い寄せられていくとき、一つの形が出来上がる」。知識など解答への出発点にすぎない と主張する、東大世界史は時空を超えた「地球丸ごとの世界史」を語れと受験生に迫ってくるのだ。
<こんなに面白い世界史はない>
というこの本は、まあ、つまるところは、以前にこの欄でもご紹介した、
『東大のディープな日本史』
の「二番煎じ」ということになるわけだが、
代々木ゼミナールの世界史講師が、東大の入試問題を俎上に乗せて、その解き方を教えてくれる・・・のではなく、地球規模で展開される 歴史ドラマのダイナミズムと奥深さを、読み解くことの楽しさを教えてあげようというものなのだから、
政治を、宗教や道徳から切りはなして現実主義的に考察したフィレンツェの失意の政治家は、『ローマ史論』とともに、近代政治学の 先駆となる作品も書いている。この人物の名と作品の名を記しなさい。
(2010年度・第3問)
という問いに、「
マキァヴェリ『君主論』
」と答えるだけで、得意になっているのではあまりにももったいなく はないか?わざわざ教科書には載っていない『ローマ史論』をもってきて解答をもとめてきた出題者に敬意を表し、ここは問題文に込められた その意図をじっくりと味わうところなのだ。
え?それで得点が上がるわけじゃあないし、そんなことしてたら時間が足りなくなってしまうだろって?
いやいや、そんな心配をしなければならないような方は、初めっから東大なんて受験しない方がいいんではないでしょうか。
「文明を生み出したエジプトが、なぜ発展途上国になったんですか?」。中学生のとき、社会科の授業でこんな質問をしたことがあります。 「素朴な疑問」でした。
思えば、中学・高校のときにふと思った素朴な疑問が、東大世界史には次々と出てきます。ローマ教皇と皇帝、天皇と征夷大将軍、カリフと スルタンの関係もそうです。権力と権威の提携という政治力学の絶妙なバランスを設問に仕掛けてくるのです。
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