徒然読書日記201608
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2016/8/31
「旧約聖書の謎」―隠されたメッセージ― 長谷川修一 中公新書
旧約聖書という書物は「神話」的物語だけで成り立っているわけではない。旧約聖書が描く事件の中には、これまで長い間史実と考えられ てきたもの(「出エジプト」など)もある。・・・しかし、これら史実と目されてきた事件の中にも、昨今疑惑の目が向けられているものがある。 その理由は、それらの事件の史実性を聖書以外の資料によって裏づけることが難しいためである。では、こうした事件を描く物語も単なる「神話」 に過ぎないのだろうか。
<それとも何らかの史実に基づくのだろうか。>
以前、この欄でもご紹介した
『聖書考古学』
の、姉妹編に当たるというこの本は、旧約聖書に描かれた七つの事件を、各章一つずつ取り上げ、聖書本文とその他の資料とを丹念に突き合わせ ながら、「それは本当に歴史的に起こった事件だったのか」を、聖書学・歴史学・考古学といった「学問のメス」を用いて、丸裸にしようとした 意欲的な企てなのである。
たとえば、「ノアの方舟と洪水伝説」は、
西アジアの人々が語り継いできた、予測できない自然災害という史実を、すべて神の思し召しと考えようとする<洪水伝承>の、敬虔な人間がただ 一人、ある神の好意を受け、その命令に従ったことで生き永らえ、社会を復興していく、という普遍的なテーマはそのままに、多神の登場する物語 を、自分たちの唯一神に背負わせることで、見事に変容させた<一神教バージョン>なのではあるまいか。
「出エジプト」は、
200年間の長いスパンの間で起こった出来事を、後に一つの伝承としてまとめたのではないか、と言われるほどに史実性を裏づける資料が少なく、 モーセが実在した人物であることさえ、それを示すいかなる証拠も見つかっていないが、イスラエルの住民の中には複数回の小規模な出エジプトを 伝える伝承が「遠い昔」にあり、自分たちが特異な民族であることを確信しなければならない苦境の時代に、強烈な奇跡のメッセージが必要と されたということなのではないだろうか。
「エリコの征服」
「ダビデとゴリアトの一騎打ち」
「シシャクの遠征」
「アフェクの戦い」
「ヨナ書と大魚」
考古学という学問や学際的な研究は、100年前には思いも寄らなかった仕方で、旧約聖書が描いている世界を直接的に理解することを可能にして くれた。当時生きていた人々が暮らしていた家や、使っていた道具を目にすれば、彼らの生活を視覚的に学ぶことはできるからだ。だから、考古学 がもたらしてくれた聖書の世界に関する情報は、聖書という書物を記述した「人間」という存在への洞察を深める材料にもなっている。
というのが、ひょっとしたらこの著者の、回りくどい「言い訳」のようなものなのかもしれない。
<それは史実か>なんて、結局わかりっこないのである。
本書では聖書を「神の言葉」としての視点から扱うのではなく、至高の存在としての神の存在を確信し、その前に謙虚になった人間が、自分たち の考えや信仰を記した書物として扱う。・・・逆に、そうするときに初めて見えてくる聖書の魅力もあろう。・・・聖書の記述と考古学の結果が 時として相容れなくても、・・・その違いの背後に潜んでいる人間の存在への洞察を深めることを目標にしたい。
2016/8/27
「ゴシップ的日本語論」 丸谷才一 文藝春秋
昭和20年8月15日の例の玉音放送ですね。あの声の出し方が変だったでせう。あれは昭和史の本には誰もが書いてゐていろんな形容が 使ってあります。・・・そして戦後すぐのころ日本中を巡幸なすった。そのときに、何を言はれても天皇は、「ア、ソウ」としか答へなかった。 なかでも有名なのは、九州にいらしたときに、「あれが阿蘇山でございます」と県知事が言ったとき、「ア、ソウ」と言ったといふ話がある(笑)。
<昭和天皇は、皇太子であったときに受けた教育に重大な欠陥があったため、言語能力の面で非常に問題のある方になった。>
大正天皇の教育に失敗したという反省から、皇太子を非常に大事に教育しようとした、悪く言えば事なかれ主義の宮内省(と明治政府首脳たち)は、 明治天皇型の威厳のある神々しい帝王像を空想的に思い描いて、臣下に向かって威圧的に語る、寡黙な君主に仕立て上げようと図ったのだが、 口下手で他人とは充分に話もできず、語句も乏しくて、単純な受け答えの言葉も知らなければ、人に対する呼びかけの言葉も持たない方が できあがってしまった。
<そういふ方が成人に達した。>
何を語っても言葉が足りず、使う用語は適切を欠き、語尾がはっきりしなくて、論旨の方向が不明なことを述べる方になったため、拝謁した首相や 参謀総長は、よいと言われたのか悪いと言われたのか、どういう思し召しだったのかを、揣摩憶測して<いい加減>な結論を出した・・・ に違いない。
伝統的な天皇の言語生活というものは、女房たちが書いたらしい<宣命>という和文体の勅語を口で言う以外は、本来、和歌を詠むことしかなか った。にもかかわらず、昭和天皇はあの家柄において、突如として政治向きのの言語生活を要求された、まことにかわいそうなお方であった。
<したがって、日本の敗因の重大な一つとして、昭和天皇の言語能力の低さがあげられる、といふことになるのです。>
というのは、丸谷さんにしたところで「どうして今まで気がつかなかったのだろう」と愕然としたらしい、『昭和二十年』(鳥居民 草思社)から の請売りなのであるが、
昭和史は、昭和天皇の言語能力といふところから攻めてゆけば、かなりよくわかってくる。そのことをどうしてしないのか。単に政治経済だけを 論じることが日本の国運を論じることだと思っている。それでは駄目なんですよ。そんな態度だから日本の政治はあれだけひどいことになったし、 経済はいまこんなにひどいことになってゐる。わたしは、さう思ふ。一国の基本のところにあるものは言語の問題なんです。
明治憲法の、統帥権と政務との関係を明文化しないような言語的な曖昧さが、天皇の親裁を必要とする事態を生じさせたのだから、天皇個人を 攻めることはできない。なんてところから、歯切れがよくて、「なんだか凄い!」けれども、何を言っているのかわからない、小林秀雄は明治憲法 なのだ、というところへ飛んだかと思えば、池澤夏樹が訳し直した日本国憲法(『憲法なんて知らないよ』集英社)を読むと、現行憲法は明治憲法 に比べて文体が悪いという改憲論のおかしさの指摘に移り、
機械類のマニュアルの意味不明さ、日本の政治家の表現力の乏しさ、新聞記者の国語能力の低さ、などを次々に指摘しながら、政治と経済を支える という意味で、日本の国運を左右し文明を左右する、言語教育の重大さを訴えかけてくる。
これは、丸谷さんが2003年にプレス・センターでおこなった、いつもながらに切れ味鋭い講演会の記録なのである。
(他にもご紹介したい講演、対談、座談会がてんこ盛りの、超お買い得の一冊です。古いけど・・・)
2016/8/24
「街場の現代思想」 内田樹 NTT出版
東大生の一方には、幼少時から豊かな文化資本(芸術作品についての鑑識眼が備わっているとか・・・)を潤沢に享受してきた学生がいる 一方に、ひたすら塾通いで受験勉強だけしてきて成績以外にはさしたる取り柄のない大多数の学生たちがいる。この二集団の間に歴然とした「文化 的な壁」が構築されつつあり、それが彼らの間のコミュニケーションを阻害しているように見える。
つまり、「文化資本」には、「家庭」において獲得された趣味や教養やマナーと、「学校」において学習して獲得された知識、技能、感性の二種類 があり、子どもの頃から浴びてきたため、「身体化された文化資本」になっているともいうべき「家庭」階層の差は、20歳過ぎてからは埋める ことが絶望的に困難な、高さも厚さも桁違いの大きな「壁」となっている、というのである。
なぜなら、学歴、資格、人脈、信用など、後天的な努力によって獲得される「制度化された文化資本」とは違って、それは「気がついたら、もう 身についていた」ものなのだから、「気がついたら、身についていなかった」人は、「そのようなものを身につけたい」という欲望を持つ時点で、 「すでに出遅れている」ことを痛感することになるからだ。ようするに、「文化資本を獲得するために努力する」という身振りそのものが、文化 資本の偏在によって階層化された社会では、「文化的貴族」へのドアを閉じてしまうのだ。
<「努力したら負け」というのが、このゲームのルールなんだから。>
でも、文化資本主義社会にもひとつだけ救いがある。
それは、この社会における「社会的弱者」は自分が「社会的弱者」であるのは主に「金がない」せいであって、「教養がない」せいでそうなって いるということには気がつかないでいられるからである(教養がないから)。
う〜む。身も蓋もない話ではないか!では、「教養がないことに気づいてしまった人」はどうすればよいのだろうか?
「潤沢に文化資本を享受している人」は「文化資本」というような概念を用いて自分のあり方を説明しようとはしない。(「金持ち」とは「金の ことを考えずに済む人」である。)「まったく文化資本を欠落させている人」にとっても、「文化資本」が主題化されることはない。(「何、 それ?食えるの?」てなもんである。)この社会になんとなく「私が入れてもらえない場所」がある、と感じている人のみが、「文化資本の欠如」 という自己認識に至ることができるのだ。「教養」とは、「自分が何を知らないかについて知っている」、すなわち「自分の無知についての知識」 のことなのである。
つまりこれは、内田先生による「一億総プチ文化資本家」構想という、いつもながらのまことに邪悪な戦略なのだった。
文化が「資本」になると聞くと、目端の利いたガキは「おっとこれからは教養で勝負だぜ」と算盤をはじく、・・・(が、)文化資本への アクセスは、「文化を資本として利用しようとする発想そのもの」を懐疑させる。
必ずそうなる。そうでなければ、それはそもそも「文化」と呼ぶに値しない代物である。
私が「日本は文化資本の偏在によって階層化されるであろう」というようなアナウンスをするのは、このアナウンスに驚いて人々が文化資本の獲得 にわれさきに雪崩打てば、(私の提唱する「一億総プチ文化資本家」構想とはそのようなものである)結果的に階層社会の出現を先送りできると 信じるからである。
ややこしい話で申し訳ない。
2016/8/21
「動きすぎてはいけない」―ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学― 千葉雅也 河出書房新社
いたるところで解れている世界を、学知と呼べるのか危ういまでに<危機的=批評的>(クリティカル)な文体によって描くその連中は、 後に、英語圏、主に北米では「ポスト構造主義」と括られることになる。
ものごとの構造それ自体に潜む、構造を不安定化させる部分――構造それ自体の無意識の綻び――に注目し、そこを動因とした構造の変化を考え ようとした人びと。
社会構造が一定のメジャーな価値観を維持するために、自らの綻びをマイナーな生の様態(狂気や倒錯、犯罪など)に仮託して排除する様を、 鋭利な筆致で描き出し、西洋近代に対する独自の「考古学」を行った、ミッシェル・フーコー。
主に哲学・思想のテクストを標的にし、その首尾一貫するかに見える構造において実は伏在している綻びの箇所をアイロニー(皮肉)たっぷりに 曝いてみせた。「脱構築」の論者として活躍した、ジャック・デリダ。
そんな、ポスト構造主義の思潮の中で、もっとも重心的な役割を担っていたのが、事物、私たちの心、脳、身体が、別の構造に「生成変化」して やまないことを、存在論のレベルで「肯定」していくことで、「差異」という概念を一大争点に競り上げてしまった、ジル・ドゥルーズだった。
<では、ドゥルーズ哲学における「差異」とは、いかなる機能を発揮する概念であったのか?>
非意味的切断の原理。これは、諸々の構造を分かち、あるいはひとつの構造を横断する、あまりに意味をもちすぎる切断に対抗するものだ。 リゾームは適当な一点で切れたり折れたりしてかまわない。リゾームはそれ自身のしかじかの線や別の線に沿ってまた育ってくるのである。 (『千のプラトー』)
絡まったものごとに有意味な切断(あるいは補助線を引くとか?)をして、ものごとを理解するための営みを「哲学」というのであれば、 「非意味的」切断も重要だというのは、「意味をもちすぎる切断」を回避することができるからだというのである。配慮しすぎもしないという 無配慮のいい加/減さで、ものごとを分けて=分かってしまう、という<別のしかた>での分かってしまうこと。
<ツリーからリゾームへ>(懐かしいフレーズだ!)
切断A――権力の強いるしがらみからあなたを切断すること。
接続――しがらみの側方に、勝手に接続されていく関係のリゾームを見いだす。
切断B――そのリゾームを様々に部分的な「無関心」の刃によってあちこちで切断すること。
逃走は、だから少なくとも二度、加速されなければならない。一度目は、しがらみを笑い飛ばすイロニー的な初速として。二度目は、そこから 伸びるリゾームを。この加/減でよしと、笑って済ませるユーモア的なトップ・ギアとして。
なるほど、「言っていること」はよ〜くわかった。でも悲しいことに、「何が言いたいのか?」がチンプンカンプンなのだ。ここまでで、ようやく 23ページ。ここからさらに難しい議論が、369ページまで続くのだ。(もちろん読み通しましたよ!)
え?「もう1回読んでみたら?」だって?
いやいや・・・「動きすぎてはいけない」
2016/8/20
「コンビニ人間」 村田沙耶香 文藝春秋
コンビニ店員として生まれる前のことは、どこかおぼろげで、鮮明には思いだせない。
郊外の住宅地で育った私は、普通の家に生まれ、普通に愛されて育った。
<けれど、私は少し奇妙がられる子供だった。>
幼稚園のころ、公園で死んでいた青い綺麗な小鳥を、泣いている他の子供たちを尻目に、焼き鳥好きの父のために、「焼いて食べよう」と母に せがんだ。小学校に入ったばかりの頃、「誰か止めて!」という女の子たちの悲鳴を受けて、取っ組み合いのけんかをしている男子の頭を、 スコップで殴った。
<どうすれば『治る』のかしらね>
という父母の言葉に、自分は何かを修正しなければならないのだと気付き、家の外では極力口を利かないことにした私は、皆の真似をするか、誰か の指示に従うか、どちらかにし、自ら動くのは一切やめて、早く「治らなくては」と思いながら、どんどん大人になっていった。そして、18歳の 時に出合った「コンビニ」で、初めて世界の部品になることができたと思った古倉恵子は、そのまま18年間、同じ店舗で、完璧にマニュアルを こなす「コンビニ店員」として生きてきたのだった。
本年度「芥川賞」受賞作品。
「白羽さん、婚姻だけが目的なら私と婚姻届を出すのはどうですか?」(中略)
「突然なにを言ってるんだ。ばかげてる。悪いですけど、僕は古倉さん相手に勃起しませんよ」
「勃起?あの、それが婚姻と何の関係が?婚姻は書類上のことで、勃起は生理現象ですが」
「何で結婚しないの?」「何でアルバイトなの?」と、皆が不思議がる部分を、自分の人生から消去していくことが「治る」ということなのかも しれない、と、今の膠着状態に変化を求めようとした私は、世間に呪詛の言葉を吐き続けるばかりで、アルバイトを即刻首になってしまったダメ 人間の白羽と、奇妙な同居生活を始めるのだが、勝手に話を作ってすごく喜んでくれる、家族や友人や職場の同僚の様子に戸惑うと同時に、皆が 納得してくれることの都合よさを実感もしていた。
<そうか、もうとっくにマニュアルはあったんだ。>
「普通の人間」というものの定型は、わざわざ書面化する必要がないと思われているだけで、皆の頭の中にこびりついていたのだ。
<18年間の勤務が幻だっかのように、あっけなく、私はコンビニ最後の日を迎えた。>
「でもまあ、おめでたい門出だから!」
「聞いたよー!よかったねー!」
そして・・・自分にはコンビニの「声」が聞こえる、と思い知らされることになったのは、勘違いした同僚が祝福までして送り出してくれたあの日 から、一ヶ月近く経ってのことだった。
「いえ、誰に許されなくても、私はコンビニ店員なんです。人間の私には、ひょっとしたら白羽さんがいたほうが都合がよくて、家族や友人も 安心して、納得するかもしれない。でもコンビニ店員という動物である私にとっては、あなたはまったく必要ないんです」
2016/8/18
「謎解き印象派」―見方の極意 光と色彩の秘密― 西岡文彦 河出文庫
「そうに違いないさ。・・・この絵の中には、さぞかし印象が入っていることだろう。なんたる自由奔放の筆づかい。描きかけの壁紙 (注:当時の職人は豪華な装飾を簡易化した「だまし絵」で壁紙を描いていた。)だって、この絵に較べれば出来上がり過ぎているぐらいだ・・・」
中央やや右上に赤い朝日と照り映える雲が、中景の港の風景を挟んで、手前の海面には波頭の輝きの中に浮かぶ二艘の小舟が、チューブから出した ままのように生乾きの絵の具を、キャンバスの上で塗り重ねるタッチをそのまま残して、描かれている。
「サロン」と呼ばれる国営の公募展以外に、美術界への登竜門が存在しなかった時代(1872)に、正当に評価されることもなく、落選し続けて いた新進気鋭の画家たちが集い、自主的に開催した美術史上最初のグループ展。今日、「印象派展」と呼ばれるようになったこの展覧会に出品され た、モネの『印象 日の出』という画期的な作品に対する、批評家ルイ・ルロワの評価はまことに辛辣なものになった。
筆の跡も見えないなめらかな仕上げの細部と、写実的なデッサンと、凝りに凝った構図こそが、当時のアカデミズムが認める「美」であったとすれ ば、「細部の無視、デッサンの欠如、構図の軽視」という「欠点」がすべて揃ったモネの画風は、とうてい理解することのできない代物だった。 その軽やかなタッチは、デッサンの下手な画家が好き勝手に絵の具を塗りたくった、未完成以前のものとしか見なされなかった。
<印象派は、悪口として生まれた呼び名なのである。>
日々の生活の愛おしさやリゾートの喜びを賛美するために、変幻自在の光の輝きや色彩の鮮やかさを表現しようとしたモネ。
帰り来ぬ青春の麗しさや恋の楽しさを賛美して、ファッションの華やぎや女性の美しさを表現してみせたルノワール。
しかし、モネが描いた歩いている人びとは“よだれの跡”、ルノワールの裸婦は“腐った肉”とまで酷評される。おそらく、彼らが非難されること になったのは、写真のようにリアルな再現能力が求められていた時代に、鮮やかさや楽しさを優先して、人生の幸福そのものをキャンバスに描き 留めようとしたからだった。その結果、彼らの絵は、確かに鮮やかで楽しげではあるものの、なにを描いているのかわからない作品だという、 不当な非難を浴びることになったのだろう。
というのが、この伝統版画技法の継承者にして多摩美術大学教授である著者の、名推理なのである。
本書は、そうした幸福の絵画の味わい方と読み方のガイドである。
画家達の個性あふれる作品をそのドラマティックな人生と共に眺め、鑑賞と理解を深めるためのポイントをわかりやすく紹介する試みでもある。 (中略)
印象派は、この新しい概念としての幸福(人それぞれが幸福を求める自由)に絵姿を与えた、新しい絵画であった。印象派絵画が、見る者を幸せな 気持ちにさせるのはそのためである。
2016/8/15
「ビューティーキャンプ」 林真理子 幻冬舎
「ユリ。どうだった?この五日間、あなたはどんな気分だった?こんな美しい女たちを見て、あなたはどんな気分になった?」
「それは・・・、生まれつきだから仕方ないと思いました」
「違うのよ。(中略)ユリ。よく聞きなさい。私はこういう仕事をしているから、あなたみたいな女が大嫌いなの。何の努力もしない。劣等感で こりかたまっているくせに、自分とは全く不似合いの世界に行きたがる。私はね、この五日間、見るたびに腹を立てたわ。こんな女、追い出して やろうと思ったの」
一次の書類選考、二次の水着審査、三次の面接を勝ち抜いた12人の美女たちが、2週間ホテルに缶詰となって、ミス・ユニバースへの挑戦権を 賭けて、日本代表となるためのトレーニングとレッスンにしのぎを削る。
『ビューティーキャンプ』
それが、ミス・ユニバース日本事務局のトップディレクターに就任してすぐに、フランス人のエルザが創り上げた仕掛けだった。
この物語は、そんな2週間の間に発生する様々な事件と、エルザの露骨な依怙贔屓の中で、目まぐるしく入れ替わることになる「本命争い」の すったもんだが、もちろん本筋となるわけなので、ノンフィクションだと思い込んで買ってしまった迂闊な暇人にとって、そんなお話はある意味 どうでもいいようなものだと反省しながら読み流していたのだが・・・
取材を許されたテレビ局のクルーで、アシスタントとしてこまごまと動き回っている若い女のユリは、太り気味というレベルではなく、腰まわりは まるで相撲取りのように堂々としており、こんな体型なのでおしゃれにはほど遠く、野暮ったい赤いカットソーに、霜降りの生地のタイトスカート を合わせていた。
「あのコ、ミス・ユニバースの取材の仕事してて、イヤにならないのかしら」
「テレビの仕事している人の中に、すんごいデブとかブスの女の子って必ずある割合でいるわね。もちろんテレビ局の社員じゃなくて、プロダク ションの下っ端のコ。コンプレックスや憧れから、あえて派手な場所に身を置きたいんじゃないかしら」
なんて、いかにもありそうな状況に遭遇した彼女たちの、臨場感あふれる会話を耳にすれば、「美女」に生まれてしまったことで、背負わされる ことになった、「そうではない」その他大勢の人たちには決して理解することのできない、彼女たちの鬱屈した思いの吐露まで含めて、これは、 実際にその場に居合わせた者にしか許されない、突撃ルポとでも言うべきような作品なのかもしれない、と気付かされることになるのである。
「可愛い目をしてるわ。」
突然エルザは言った。
「あと20キロ痩せたら・・・(中略)いい、ユリ。私の視界に入って、私のところへやってきたからには、今のままでは許さないわ。あなたも 私のところへやってきなさい。」
というわけで、『ビューティキャンプ』への参加を許されたユリは、隠れていた才能を磨かれたことにより、メキメキと頭角を現し、ついにミス・ ユニバース日本代表の座を射止めた・・・なんて夢のようなお話は、もちろんあろうはずもなく、
ユリのエピソードは、「美女」の世界におけるあくまで座興のようなものにすぎないことを、私たち「そうではない」世界に住む者は、深く心に 刻み込まねばならないのは、今さら言うまでもないのである。
2016/8/9
「それでも、日本人は『戦争』を選んだ」 加藤陽子 新潮文庫
つまるところ時々の戦争は、国際関係、地域秩序、当該国家や社会に対していかなる影響を及ぼしたのか、また時々の戦争の前と後で いかなる変化が起きたのか、本書のテーマはここにあります。
<戦争はきまじめともいうべき相貌をたたえて起こり続けました。>
というこの本(2010年度小林秀雄賞受賞)は、1930年代という暗い時代の日本の外交と軍事を専門とする東大教授が、神奈川の名門・栄光 学園の中高校生(歴史クラブのメンバーが中心)を相手に、5日間にわたって繰り広げられた集中講義の記録なのであり、
日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、満州事変、太平洋戦争と、明治以来立て続けに日本が戦ってきた戦争について、国の主導者や一般国民が、 それぞれに「戦争」を選んできた、その論理の道筋を、様々な「問い」を用意することで跡付けて行こうという、まことにユニークな試みなので ある。
「日清戦争で国家予算の三倍もの賠償金を得た後、日本国内の政治においてはなにが最も変わったか?」
三国干渉における弱腰外交への強い不満から、普通選挙運動が盛り上がり、初めての政党内閣が誕生した。
「巨額の戦費を負担しながら賠償金が得られなかった日露戦争後には、日本の国内ではなにが変化したか?」
時限立法だった増税が戦後も継続したことにより、選挙有権者が1.6倍に増え、政治家の質が地主階層から実業家へと変質した。
などなど、ちょっと意外な質疑回答が、わかりやすいイラストと、世界的に著名な歴史上の人物の証言などを交えながら、繰り広げられていくの だが、さすがに最終回ともなると、少数精鋭の優秀な生徒たちからの逆襲もなかなかのもので、
「日本とアメリカには圧倒的な戦力差があることはわかっていたのに、どうして日本は戦争に踏み切ったんですか。」
などという、時の昭和天皇ですら悩まれていたに違いない、事の本質に迫る質問も、飛び出してきたりして、なるほど、歴史を学ぶということは、 「問いの立て方」を学ぶことなのだと、確信することになるのである。
「日本軍は、戦争をどんなふうに終わらせようと考えていたんですか?日本軍の最終目的が知りたいです。」
ひょっとしたら、ノープランだったのではなんて、おじさんも思っていたんだけど・・・
地続きのヨーロッパとは違いますし、核兵器の戦争の時代とは違いますから、とにかく相手国の国民に戦争継続を嫌だと思わせる。このような 方法によって戦争終結に持ち込めると考えていた。冷静な判断というよりは希望的観測だったわけですが。
2016/8/5
「天国でまた会おう」 Pルメートル ハヤカワ・ミステリ文庫
だめだ。そして人さし指が車のワイパーみたいに、けれどももっとすばやく動いた。とてもきっぱりとして、有無を言わせない“ノン” だった。エドゥアールは目を閉じた。アルベールの答えは予想どおりだった。彼は怖がりの小心者だ。何の危険もない。ちょっとしたことを決める のだって、何日も悩んでいるんだから、
<ありもしない戦没者記念碑を売りつけ、金だけ持ってとんずらだなんて!>
1918年11月、休戦間近の第一次世界大戦の戦場で、功を焦った没落貴族で仏軍将校のプラデルは、斥候に送り出した味方兵士の背中を撃ち 抜き、独軍との無意味な最後の戦闘を巻き起こして、武勲をあげようと図る。突撃中にその陰謀の証拠を発見してしまった兵士アルベールは、それ に気付いたプラデルにより生き埋めにされてしまう。たまたまその場に遭遇し、窒息死寸前の状態から救いだしてくれた同僚兵士のエドゥアールは、 アルベールが意識を取り戻した瞬間、逆にスープ皿ほどもある分厚い砲弾の破片の直撃を浴び、顔の下半分を失ってしまうことになるのだった。
というわけで、超話題となったミステリー
『その女アレックス』
で、日本の読書界を席捲した人気作家の手による待望の最新作は、なんと、フランスで最も権威ある文学賞である ゴンクール賞を受賞してしまったという、著者初挑戦の文芸作品だった。
大富豪である父ぺリクールとの確執から実家に戻ろうともせず、戦死を装い、偽名を使って、仮面を被りながら、芸術的才能を垣間見せる エドゥアール。銀行員の職場に復帰することも許されず、惨めなアルバイト生活を強いられながら、麻薬なしには生きていけない恩人を支え続け ようとするアルベール。一方、二人をそんな極貧の境遇に追い込んだ張本人のプラデルの方はといえば、思惑通り国家の英雄の名を引っ提げて 凱旋し、その地位と人脈を巧みに利用して、戦没者追悼墓地の建設という旨みの多いビジネスに乗り出し、暴利を貪るようになっていく。
「やつは戦功もあげれば勲章も受けている。そうすりゃ、さぞかしいい結婚ができるだろうよ。いや、まったく、やつみたいな英雄はひっぱりだこ さ。ぼくたちがじわじわとくたばっていくとき、やつは事業にも乗りだしてる・・・きみはそんなの正しいと思うのか?」
ちゃっかりとエドゥアールの姉を射止め、ぺリクール財閥の婿の座に納まってしまったプラデルのことを知りながら、その事実をエドゥアールに 告げることも、エドゥアールが本当は生きているということを、今は雇い主となったぺリクール氏に伝えることもできないでいるアルベールは、 プラデルへの個人的復讐こそが、人として果たすべき責務であるという思いを抱えながら、窒息の恐怖から抜け出すこともできず、悶々とした日々 を送るのだが、
戦没者の記念碑を建てるという架空の事業に、全国各地の遺族から募金を募るという壮大な詐欺を企てようとするエドゥアールの狙いは、そんな ところにはなかった。
「それはすべて戦争のせいだ。戦争がなければ、プラデルのようなやつもいない」
そう、エドゥアールは違った。復讐では、彼の目ざす正義の理想は満たされない。ひとりの人間に責任を負わせるのでは、彼は満足でき なかった。国には平和が戻ったけれど。エドゥアールは戦争に対し宣戦布告をしていた。彼なりのやり方で、言いかえれば、彼なりのスタイルで。 倫理は彼の領分じゃない。
2016/8/1
「自分の顔が好きですか?」―「顔」の心理学― 山口真美 岩波ジュニア新書
人は結局、自分の顔を正しく見ることができないのです。写真に写った自分の顔を見て、違和感を持ったことはありませんか。よくよく 観察してみると実感できることですが、鏡に映る自分の顔と写真の顔は、違って見えます。
という事実については、すでにこのブログでも随分昔に取り上げたことはあったのだが、
(
「プリクラ」はなぜ可愛く写るのか?
)
顔を見るときによく働く脳の部位は右脳の側にあって、しかも、ややこしいいことに左右それぞれの脳には、目の前の視野の反対側の像が入って くるため、向かって左側にある顔が、顔を担当する脳に影響を与え、その人の印象を強く作り出している、などという実験結果まで示されてみれば、 私たちが見ている(鏡に映る)自分の顔は、単に左右を反転しただけのものであるにもかかわらず、他人様がいつも見ている「本当の自分の顔」と は、まったく別物であるということに気付かされることになるのである。
そんな「顔」は、実は自分と社会をつなぐ接点である。私たちが、顔で他人を認識し、顔で自分自身を表現しているのは、顔がつくりあげる表情で、 感情や気分を伝達しあっているからだ。
というわけでこの本は、赤ちゃんの顔認知など、実験心理学を専門とする著者が、「顔」にまつわる様々な不思議を解き明かしてくれる、お手軽な 入門書ではあるのだが、ジュニア新書だからといって、決してバカにしてはいけない。
どうやら私たちは、自分たちの知らないところで、「自分の顔」に左右されながら社会生活を送っている、ということのようなのだ。
<では、なにに注意すべきなのか?>
それにはまず、自分で見ることのできない自分の姿を、なるべく客観的に知ろうとする努力が必要でしょう。そのためには、社会の中にいること が大切です。・・・
自分の顔は、他人の目を通してしか見えないのですから、他人との関係が必須なのです。他者とのコミュニケーションを通じて自分の顔を知り、 心にあった顔になるためには、社会の中に生き、よりよい人間関係を築く努力をすることが必要なのです。
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