徒然読書日記201603
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2016/3/29
「地名の楽しみ」 今尾恵介 ちくまプリマー新書
ある英国の地名学者が地名のことを「過去への道標(Signposts to the Past)」と表現した。道標になり得ない地名も、もちろん今の 日本では溢れかえっているけれど、地名を実際に復活させるかどうかは別として、埋もれてしまった道標を地道に掘り起こし、過去と現在を結び つける作業は必要だ。
東村山市、東大阪市、東久留米市は、いずれも頭に「東」のつく市なのだが、その意味合いは少しずつ異なっているのだという。「東村山市」は、 中世の武士団・村山党の本拠地である村山地方の<東部>にあたるということで、明治22年の町村制施行に際して命名されたものである。 「東大阪市」は、昭和42年に枚岡市、布施市、河内市の3市が合併して誕生したのだが、こちらは巨大都市・大阪の<東隣>に位する、という ことを意識している。
さて「東久留米市」はといえば、こちらは東京都北多摩郡にあった久留米村が、戦後になって人口が急増したため、昭和45年の市制施行に至った のだが、「市名は同名を避けるべし」という、当時の自治省の行政指導を受けて、名乗らされることになったものなのだ。つまり、明治22年に 市制施行した大先輩である、福岡県の久留米市に敬意を表するかのように、それよりはるかに<東方>に位置することを表現したのである。
「花小金井」駅が、東京都小金井市の隣の小平市にありながら、小金井と名付けられたのはなぜか。
(花見の名所「小金井の桜」の最寄り駅であることをアピールした、西武鉄道の経営戦略だった。)
「湯布院」町にある由布院温泉に、温泉であるにもかかわらず「湯」がないのはなぜか。
(「湯布院」町は、昭和30年に由布院町と湯平村が合併して成立した合成地名なのである。)
「上越妙高」駅へ行くのに、上越新幹線に乗ってはいけないのはなぜか。
(上越新幹線は上州・群馬県と越後・新潟県を結んでいるから「上越」なのだが、高田市と直江津市が合併してできた上越市へ行くのは北陸新幹線 である。)
え?だからどうしたって?そんなこと知ってたって、なんの役にも立ちゃしないって?
最近、半世紀近く前に消えた城下町などの、地名を復活させる事例が目立つようになってきた。(我がふるさと、金沢市は特に熱心のようである。) 地名を復活させたところでなんの得にもならず、様々なものの表示を書き換えるのに、面倒なことばかりであるにもかかわらず、地名を復活させた 地区の住民の表情は、まるで「ご先祖さんを取り戻した」かのように、どこか誇らしげだ。
<たかだか100年前の東京を舞台にした夏目漱石や永井荷風の作品を読んでも、その場所をたどることができないなんて・・・>
これは、「わかりやすい地名」を目指そうとするあまり、連綿と積み重ねてきたはずの歴史を失い、全国一律の「のっぺらぼうな」風景になって いく、そんな世間の風潮を心から憂う、地形図に親しみ、時刻表を愛する著者からの、ささやかな贈り物のような本なのである。
思えば人間は生来的に「過去を記録する動物」である。さまざまなアーカイブ(文書)を調べるにしても、まずはその見出しラベルとしての 地名さえしっかりしていれば、それらの文書は生き生きと輝いてくるに違いない。
2016/3/25
「ミドルセックス」 Jユージェニデス 早川書房
わたしは二度生まれた。最初は、1960年1月、デトロイトでは稀なスモッグの晴れた日に、ゼロ歳の女児として。そして、次は、 1974年8月に、ミシガン州ペトスキー近くの救急処置室で、十代の少年として。
1922年、トルコの山中の小集落に暮らしていたギリシャ人、デズデモーナとレフティーは、トルコとギリシャの戦争で壊滅状態となった村を 棄て、先に渡米していた従姉妹のスーメリナを頼って、デトロイトへと向かった貨物船の上で、長い間心に秘めてきたお互いへの思いを果たす。 純然たる姉弟だった二人は、夫婦として新しい世界に飛び込んで行ったのだった。
レフティーが開業した食堂を受け継ぎ、ハンバーガー・チェーンに育て上げた息子のミルトンは、スーメリナの娘テッシーと結婚し、長男の チャプターイレヴンに続いて生まれた女の子が「わたし」、カリオペ・ステファニデスなのだ。
<5―α―還元酵素欠乏症>
巨大な女性器のようにしか見えない男性器を天から授けられることになった<偽半陰陽>の典型的症例ゆえに、同級生には、いつまでも<女>に ならないと嘲笑され、医者や専門家には、モルモット扱いでいじくりまわされ、正体を知らない赤毛の女の子とその兄がわたしに恋した。男である という烙印を押されてからも、自分の女の部分をそのままにして、覗き窓付きのプールに入って下半身を晒し、神話の存在に成り上がりもした。 成人してからは、カル・ステファニデスという米国国務省の職員となって、今は41歳の大人の男性として、<両性具有者>として送ることを 余儀なくされた、数奇なる半生を独り語りした物語である・・・
だけならば、確かにそれでも十分面白かったには違いないが、この作品が「ピュリッツアー賞」を受賞するほどの評価を受けることはなかったに 違いない。
わたし(カリオペ)の語りは、自らが誕生する瞬間どころか、実は祖父母であるデズデモーナとレフティー姉弟のトルコ時代の青春譜にまで さかのぼり、まるで自分の目と耳で見聞きしたことでもあるかのように、鮮やかに描かれている。
そう、これはステファニデスというギリシャ系一族が、先祖伝来の正業である養蚕のように紡ぎだして見せた、「遺伝子」のオデッセイとでも いうべきものだったのだ。
「あんた、今は男の子なんだね、カリオペ?」「まあね」
祖母はそれを受けいれた。「わたしの母さんがね、よくおかしなことをいってたよ」祖母はいった。
「村では、昔、ときどきあったっていうんだよ。女の子みたいに見えてた赤ん坊がね、それがそのあと――15、6になると――男の子みたいに なるんだと!母さんからそんな話を聞かされたけど、わたしはまるで信じなかったよ」
2016/3/18
「スクールセクハラ」―なぜ教師のわいせつ犯罪は繰り返されるのか― 池谷孝司 幻冬舎
もともと学校現場で教師が教え子にセクハラやわいせつ行為をすることなど、教育行政の中ではあまり想定されていなかった。少なく とも表向きは。なぜなら、「あってはならないこと」だからだ。あってはならないことは「ないこと」にしておいた方が都合がいい。わいせつ教師 の処分者数の公表が、以前は『教育委員会月報』という関係者向けの冊子にこっそり載せるだけで済まされていたことでも、それは分かる。
わいせつ行為で懲戒免職になった公立小中高校の教師(文部科学省の調べ)は、1990年度にはわずか3人だった。それが、過去最悪となった 2012年度には、なんと40倍の119人に達しており、その被害者の半数は教え子が占めているという。急に教師の質が落ちたわけではない。 これまで見過ごされてきたのが、世間の批判を浴びるようになり、厳しく処分されるようになっただけなのだ。
「学校でそんなことが許されていいはずがない」
この本は、そんな強烈な怒りに突き動かされて、ようやく勇気を振り絞って声を上げ始めた生徒たちだけでなく、わいせつ行為に及んだ当の<問 教師>にまで取材に及んだことで、まさに被害者・加害者双方の立場から、「スクールセクハラ」の実態に迫ってみせた、衝撃のルポルタージュ なのである。たとえば・・・
「先生を信用してすべてを任せてないから、できないんや」「信用してます。すべてを任せてます」
「じゃ、服脱げるか」「・・・脱げます」
「分かった。もうええ。その気持ちですべてを任せて、先生についてこい」
中学の剣道部を全国大会常連に押し上げる名物顧問・原口は、目を付けた女子部員を個室に呼びつけ、鍵を掛けた上で「儀式」と呼ばれた奇妙な 問答を繰り返した。始めはセーラー服の胸元のホックをはずした時点で伸びてきた手も、止めるタイミングがどんどん遅くなり、ついには下着姿 になった。「気持ちはよく分かった。死ぬ気で頑張ろう。」と下着姿の生徒を抱きしめ、涙を流す原口に、生徒も感動して一緒に泣いた。
「自分を被害者だと認めたくないからか、『先生は心を裸にさせるために脱がせたいだけだ。わいせつなことは何もない』と正当化する考えに 変わりました」と当時の心理を裁判で証言した生徒に対し、
「俺を陥れようとしているやつがいる」と、ほかの部員たちに口止め工作までしていた原口は、「生徒が『原口の取り合い』のような状態になった。 自分をアピールし、『死ねます』『服でも脱げます』とエスカレートする生徒まで出た」と主張した。
<子どもたちを育てようと教師になったはずの人たちが、なぜ子どもをつぶすようなことをするのか。>
<学校はどうして隠蔽に走ってしまうのか。>
「スクールセクハラ」という密室は、私たちが創造している以上に深い闇に包まれているようなのである。
私には、事件が個人的資質だけで起きているのでなく、学校教育の体質にその原因があるように思えてならない。問題の根っこにあるのは、 自分は高みにいて子どもを引き上げるのが役目、という伝統的な教師像ではないか。もっと言えば、子どもの個性を伸ばすことや、学ぶ権利を 第一に考えるのでなく、教師が描く理想の型にはめようとする構図に問題があるのではないだろうか。
2016/3/17
「一般意志2.0」―ルソー、フロイト、グーグル― 東浩紀 講談社文庫
本書はいわゆる社会思想の本である。また情報社会の本でもある。しかし、一般に「思想」や「情報」という言葉が冠せられる多くの 書物と異なり、本書の主張はきわめて単純だ。
<民主主義の理念は、情報社会の現実のうえで新しいものへとアップデートできるし、またそうするべきだ。>
いまから二世紀半前に記されたジャン=ジャック・ルソーの『社会契約論』が提出した「一般意志」の理念は、人民主権の理念を説いたものとして、 フランス革命に決定的な影響を与えたのだが、人民の総意を意味する造語とされた、この「一般意志」にルソーがイメージしていたものは、いま、 あなたが漠然と頭に思い描いたような、「民意」や「世論」なるものとは、実は大きく異なるものだった。
「一般意志」とは、「個人一人ひとりの意志」(特殊意志)の集合ではあるが、それは私的な意志の利害の総和でしかない「みんなの意志」(全体 意志)などではなく、そこから相殺しあうプラスとマイナスを取り除いた「差異の和」として残るものだというのである。つまりそれは、ルソーの 時代にはまだなかった、現在の数学的概念を導入すれば、スカラーの和ではなくベクトルの和として、方向性を持ったものとして捉え直す事が できるということなのだ。
このようにして、その解釈をめぐっては誤解されることも多かったルソーの「一般意志」の概念を、極めて明晰な議論の下に再検討してみせた著者 は、21世紀のいま、コンピュータとネットワークに覆われた情報社会の視点で、つまり著者お得意の、グーグルやツイッターからルソーを読み 替えれば、驚くほどすっきりと、シンプルかつクリアに理解できることに気付き、「一般意志」の新しい定義を提示してみせる。
近代民主主義の基礎である「一般意志」は、つまるところ集合的な無意識(@フロイト)を意味する概念だった。しかるに、情報技術は集合的な 無意識を可視化する技術であり、だとすれば、これからの統治は、選挙を行い、議員を選出し、時間をかけて政策審議を繰り返すなどという厄介な 手続きを打ち棄てて、市民の行動の履歴を徹底的に集め、その分析結果に従って行なえばよいということにはならないか。
視聴者の反応がたえずコメントモニタとして可視化され、密室で行なわれる議論にフィードバックされる、「ニコニコ生放送」の討論番組 のように・・・というのが、極めて斬新であるだけに、また極めて誤解を受けやすいに違いない、この著者が思い描いた未来社会の「夢」の ようなのである。
民主主義は熟議を前提とする。しかし日本人は熟議が下手だと言われる。・・・けれども、かわりに日本人は「空気を読む」ことに長けている。 そして情報技術の扱いにも長けている。それならば、わたしたちはもはや、自分たちに向かない熟議の理想を追い求めるのをやめて、むしろ「空気」 を技術的に可視化し、合意形成の基礎に据えるような新しい民主主義を構想したほうがいいのではないか。・・・そのとき日本は、民主主義が定着 しない未熟な国どころか、逆に、民主主義の理念の起源に戻り、あらためてその新しい実装を開発した先駆的な国家として世界から尊敬され注目 されることになるのではないか。
2016/3/12
「ブロンド美女の作り方」―空想を実現する最先端テクノロジー― Sネルソン Rホリンガム バジリコ
あなたは理想の恋人を探している。条件ははっきりしているのに、どうやって探せばいいかわからない。でも、だいじょうぶ。そんなとき こそ科学の出番だ。完璧なブロンド美女を、自分の手で作ってしまえばいい。ブロンドが好みでなければ、黒髪でも赤毛でもお好きなのを。 21世紀の最新テクノロジーを自由に使うことができるなら、クローン技術があなたに幸福をもたらしてくれるかもしれない。もっともその前に、 ちょっとした注意書きを読む必要があるが。
<必要な材料と道具は次のとおり>
・ヒトの「卵細胞」1個。
・理想の相手の「細胞」1個。
・クローン胚の代理母になってくれる女性
・各種サイズの試験管、高性能顕微鏡、ピペット
・電気刺激装置、マイクロマニピュレーター、実験室
受け皿役の「卵細胞」は、出所がはっきりしていて、品質保持期限を過ぎていないものである必要があるが、提供する女性の身体に大きなストレス をかけるため、ボランティアにお願いするしかない。大切な遺伝情報が入っている「細胞」は、DNAが完全に揃っていることが必須条件で、 できれば理想の相手に直接お願いして本人の許可をもらい、綿棒で口内をこすって採取すればよい。
と、いたって本気の真剣モードではあるのだが、セクシー女優のパメラ・アンダーソンといった有名人の場合、サインの求めには応じても、口の中 を綿棒でぬぐわせてはくれないだろうし、その前に彼女がほんとうにブロンドかどうかを確認しておかねばならない。と、どこまでが冗談か わからないような、軽妙洒脱な語り口も満載なのである。
というわけでこの本は、実生活でもパートナーという2人のサイエンス・ライターが、「こんなことがあるといいな」という8つの願望、
ブロンド美女の作り方
家政婦ロボットの作り方
「転送装置」の作り方
お腹の脂肪を落とす方法
タイムマシンの作り方
サイボーグに変身する方法
ブラックホールの作り方
永遠に生きる方法
を題材にして、科学の最先端をわかりやすく、読みやすく解説した、著者いわく「ベストセラーならい」の本だったはずなのだが、ついに、人工 知能AIが当面不可能と言われていた、囲碁の世界チャンピオンを打ち負かしてしまったように、技術の進歩は予想をはるかに凌駕して、 私たちは願望実現後の「注意事項」のほうを心配せねばならない時代に突入してしまったようなのである。
これであなたは、完璧なブロンド美女のクローンを手に入れることができる。ブロンドでなくても、黒髪でも、赤毛でもお好きなように。 ただしそのクローン美女は、オリジナルとは気質も性格も異なる。そもそもあなたに好意を持つかどうかもわからない。あともうひとつ、覚悟して おくことがある。クローンがおとなに成長するには20年前後かかるから、そのときあなたとの年齢差が相当開いているはずだ。・・・それでも ヒトクローンを作りたいだろうか?それはあなたしだいだ。
2016/3/9
「自分では気づかない、ココロの盲点 完全版」―本当の自分を知る練習問題80― 池谷裕二 講談社ブルーバックス
目の前に異性の写真が2枚あります。「どちらが好みのタイプですか。好きなほうの写真をさしあげますよ」。あなたは、好みのほうを 指しました。
実は相手は手品師で、こっそりと、あなたが選んだほうとは逆の、つまり好みでないほうの写真を手渡します。
さて、あなたは手元にきた写真を眺めて、「好みでなかった異性の写真が手渡された」ことに気づくでしょうか。
なんと8割以上の人が写真の入れ替わりに気づかないのだが、「選択盲(Choice Blindness)」と呼ばれるこの実験の奥深さは、実はこの先にある。 「なぜその人がタイプなのか?」と訊ねられると、「丸顔で優しそうだから」などと、そこに写った人の特徴を挙げて「好きな理由」まで答えて しまう。つまり、脳は理由をでっちあげてしまったのだが、本人はそれを心底から「本当の理由」であると勘違いしているのである。
<認知バイアス>
とは、思考や判断のクセのことであり、長年の経験を通じて「そう解釈しても現実的にほぼ不都合がない」ことを学習してきた脳が、日常的に 頻繁に出くわすシーンに際して、素早く不要な選択肢を排除して、効率よく作動しようと最適化を進めた結果、副次的に生まれたバグのような ものなのだという。
ほとんどの場面で、私たちの「勘」は有益で、反射的に浮んだ「直感」を信じても、まず問題はないのだが、たまたま、想定外の条件が揃うと、 私たちの「直感」は珍妙な解答を導くこともある、ということのようなのである。
大切な試合の直前に足を痛めてしまったスポーツ選手が、「怪我をしたことを隠して試合に臨む」ほうが多いのは、言い逃れの自己演出である。
「セルフ・ハンディキャッピング(Self-handicapping)」
車の運転手の69%が自分を「平均より運転がうまい」と評価している、というのは「平均値」の定義にそぐわないのだが・・・
「平均以上効果(Better-Than-Average Effect)」
などなど、というわけでこの本は、今や売れっ子の気鋭の脳研究者が、どんな人にも必ずある「脳のクセ」を、80項目に渡ってドリル風に解説して くれた、究極の「余計なお世話」のような代物なのだ。(世の中には、知らないほうが幸せだったということが、ないわけでもないのである。)
脳を知れば知るほど、自分に対しても他人に対しても優しくなります。そして、人間って案外とかわいいなと思えてくるはずです。
人間が好きになる脳の取扱い説明書。そんなふうに本書を役立ててもらえれば著者望外の喜びです。
2016/3/8
「百人一首の謎を解く」 草野隆 新潮新書
学校で確かこんな風に教わった、という人は多いだろう。
「『百人一首』は、藤原定家が、嵯峨の小倉山山荘という風雅な庵で、古今の名歌を百首、撰び抜いたものである」
しかし、本書では右のわずか二行の中に、すでに四ヶ所の問題点があると考えている。
1.定家が作ったのではない。
2.小倉山山荘という山荘は存在しない。
3.撰ばれたのは古今の名歌ではない。
4.定家が風雅な「庵」に住んでいたことはない。
そもそも『百人一首』については、いつ、誰が、何のために作ったのか、という作品としての基本的な事項でさえ、いまだに確定していない、 というのである。
国文学者である著者は、様々な通説の検証から、『百人一首』の前身は、浄土宗の高僧・蓮生(定家の息子の義父)の広壮なる別荘を飾る襖絵の ために、定家が撰歌したものであり、その障子色紙自体は散逸し、多くは朽ち果てたとしても、自らの歌も加えて全百一首あったその草稿が、 冷泉家などの秘庫に収められて表舞台に出ることもなく、昭和になってようやく発見され『百人秀歌』と呼ばれるようになったものだと想定する のだが、であるとするならば、
僧からの依頼で撰歌したにもかかわらず、徳の高い僧の歌や、仏法を歌う釈教の歌がないのはなぜか。
建物の装飾という目的にもかかわらず、持ち主の幸福や長寿を祈る賀歌がないのはなぜか。
という<自分ツッコミ>から始まって、
・不幸な歌人の歌が多いのはなぜか
・「よみ人しらず」の歌がないのはなぜか
・その歌人の代表作が撰ばれていないのはなぜか
などなど、長年解かれぬままに放置されてきた様々な謎に取り組みながら、定家が企んだ密かな「シカケ」が鮮やかに解き明かされていくことに なる。蓮生が定家に依頼して実現しようとした嵯峨中院山荘の母屋の障子和歌は、古今の歌人たちの苦界に沈む姿を鎮魂し、顕彰しようというもの だったのだ。
ところで、肝心の百人一首のほうはどうなったのか?
気になる方は、ぜひともご自分で本書に当たっていただきたい。(別に気にならない人は、もちろん読まなくったっていいからね。)
日本文学の世界は奥深く、たとえば『万葉集』でも、『源氏物語』でも、いまだに新解釈による注釈や現代語訳が提示され続けている。『百人 一首』も、これだけ多数の注釈があっても、多くの謎が残っているのである。まだその背後には、深い世界が秘められていると知るべきだろう。
2016/3/3
「シャーロック・ホームズの思考術」 Mコニコヴァ ハヤカワ文庫
ベイカー街221Bへの階段。あれは何段あるか?それが『ボヘミア国王の醜聞』でホームズがワトスンにもち出した質問であり、以後 一度たりとも私の頭から離れない質問なのである。ホームズとワトスンがそろいの肘掛け椅子におさまり、探偵が医師に、見ることと観察すること の違いを教える。ワトスンは困惑する。そのあと、いきなり何もかもがきわめて明瞭になるのだ。
「きみの場合は、見るだけで、観察しないんだ。見るのと観察するのとでは、まるっきりちがう。たとえば、きみは、玄関からこの部屋へあがる 階段は何度も見ているだろう?」
<マインドフルネス>=逸れてさまよう<注意力>を何度も繰り返し自発的に連れ戻すという、判断力、性格、意志のまさに根源となる能力。
私たちの脳は二つのシステムをベースにして動いているのだという。反応が速く、直感的で、反射的であるため、意識的な思考や努力はそれほど 必要としない、オートパイロットのような役目を果たす、<ワトスン・システム>と、反応が緩く、より慎重で、より徹底して、論理にかなった 動きをするが、できるかぎり最後まで加わらず、不可欠と思わないかぎり介入しようとしない、<ホームズ・システム>と。
私たちが、明らかにどうでもいいようなことをするとき、悪いのはオートパイロットのように、<マインドレス>に行動してしまうからだ。 <ワトスン・システム>は、たいていの場合習慣的なものであり、その力に気付いてしまうとかえってコントロールできなくなってしまうのだ。 日々どんなときにでも、<ホームズ・システム>を作動させるように心がけ、自分の中にあって、短絡的判断をする<ワトスン・システム>を 徐々に訓練すること。習慣と意志の力により、自身の判断がもっと思索的なアプローチによる一連の思考に従うように飼い慣らしていくことが 必要なのである。
というわけで、この本はホームズの物語の数々に範を取り、そこで展開されることになったホームズの思考法を、心理学的に分析することで、自分 自身や自分の世界と、いつも<マインドフル>に関わることができるような思考習慣を確立するために、必要なステップを探って解説している。
<あなたも、階段の段数をさらりと口にして、疎い相手を感心させられますように>という、まことに野心的な試みなのだから、ホームズの推理法 を論理学的に分析したり、人間の心の謎を探求することが楽しいと思っているような、生粋のシャーロッキアンにとっては、いささか食い足りない かもしれないが、
みずからの思考能力を向上させたいと思っているが、研究書のようなものではなく、もっと読みやすいものがあればと切望していたような人に とっては、まさに喝采ものの逸品であると言っていいだろう。
忘れてはならないのは、ホームズとてみずからを鍛練しなくてはならなかったこと、そして、彼とて生まれつきシャーロック・ホームズとして 思考していたわけではないことである。ただ何かがだしぬけに起こることなどありはしない。私たちは何かを目指して努めなくてはならない。 だが、正しく<注意力>を傾注すれば、目指すことが起こる。驚異的なものなのだ、人間の脳というのは。
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