徒然読書日記201602
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2016/2/17
「増補版ドキュメント死刑囚」 篠田博之 ちくま文庫
おはこんにちばんは〜!!
今、頭の中には死刑の二文字以外ありまペン。判決が近づいた今、死刑になろうとなるまいと、死ぬまで殺し続けようと、新たなる決意を堅めた トコです。うん!一秒後にオレを殺さんなら、二秒後にオマエを殺すゾ。善や悪は関係ありません。有罪、無罪も関係ナシ。死刑・無期も同じ。 俺が死なないなら、かわりに貴様が死ぬ。ただそれだけ、すごく単純。(中略)
人間が裁くことが出来る相手は、同じ概念、常識、価値観を共有している人間だけです。事件の完全解明は無理です。結局のところ、アンタらって 何がしたいのかしら?ただの事後処理しかできてない気が・・・。
2008年3月、JR荒川沖駅構内で通りすがりの人たちに次々と襲いかかり、8人を死傷させた「土浦無差別殺傷事件」の金川真大(当時26歳) は、「自殺することができないので、人を殺して死刑になろうと思った」と供述し、死刑判決を受けたのだが、死刑確定後6ヶ月以内に執行とする 刑事訴訟法の条文を楯に、法務大臣に早期の執行をせまるハガキを何度も送っていたという。
2013年2月、死刑執行。
奇しくも、同じ日に処刑されることになった「奈良女児殺害事件」の小林薫は、死刑判決に際しガッツポーズを決め、事実関係の争いをあえて 避けたというし、同様に早期の死刑執行を望んで、自ら控訴を取り下げた「附属池田小事件」の宅間守は、ずるずると執行を引き延ばされることを、 自分に対する「イヤガラセ」と見做していたらしい。
<死刑を極刑とする今の裁判のシステムは、本当に現代の社会を震撼させるような凶悪犯罪に対応できているのだろうか?>
2008年に上梓され話題となった、前著
『ドキュメント死刑囚』
において取り上げた、
「幼女連続殺害事件」宮崎勤(08年死刑執行)
「奈良女児殺害事件」小林薫(13年死刑執行)
「附属池田小事件」宅間守(04年死刑執行)
それざれの事件の、その後の動きや死刑執行後に判明した事実などを加筆すると同時に、
「土浦無差別殺傷事件」金川真大(13年死刑執行)
「和歌山カレー事件」林真須美(再審請求中)
という二つの事件を新たに取り上げることで、死刑確定者がどういう状況に置かれ、何を考えているのかという、世間ではよく知られていない彼ら の素顔に、さらに奥深く踏み込もうとした、これは迫真のルポルタージュの増補版なのである。
(余談ではあるが、以前読んだことがある本の増補版だということに、読み終わるまで気が付かなかったのが、すこし哀しい。)
犯罪を犯した人が「罪を償う」とはどういうことなのか。彼らをどう処遇することが本当の問題解決につながるのか。死刑囚と接しながら、 絶えず私はそういう問いに直面せざるをえなかった。死刑こそが有効で重い処罰なのだという思い込みで現実に対処するのは、ほとんど思考停止 というべきではないのか。私はそんな思いさえ感じるのである。
2016/2/16
「やせれば美人」 高橋秀実 PHP研究所
かつて彼女は当時のアイドル歌手、小泉今日子に似ていた。怒っても笑っても、その表情が顔からこぼれるキュートな顔立ちだった のだが、今はまわりに余白が増えたせいで、表情が小さい。かつての顔が今の顔の真ん中あたりに埋もれており、遠くから見ると、怒っているのか 笑っているのか、わからないほどである。
<なぜ、こんなになるまで?>
もちろん「放っておいた」わけではない。毎日のように「ダイエットしなきゃ」と焦り、本屋でダイエット本を読み漁りながら、結果として、この 10年で30キロも増量したのだった。食べすぎ、運動不足、不規則な生活、ストレス、ホルモンのアンバランス、遺伝・・・その原因を自ら探求 しながら、妻はデブになったのである。
と初っ端から、<身に覚えのある人>にとっては<過激な毒>を吐きかけられるような思いがするに違いないこの本は、突然呼吸困難に陥り、 救急車で搬送された病院で、単なる「太りすぎ」が原因との烙印を押され、ついに本気でダイエットすることを決意した妻と、それに付き添うこと になった夫との「血と汗と涙の栄光の記録」になるはずだった、のだろうけれど・・・
「私は努力しないで、やせたいのよ」
努力して何かを得ても、努力したのだからそれは当たり前で、努力には“美”がないのだから、努力せずに得てこそ幸せなのだと、 「朝、目が覚めたらやせてた、っていうやつ」をやってみたいと断言する妻にとって、それがいささか<無謀な道程>となるであろうことは、 本人も薄々気付いていたのかもしれない。
<やせれば美人>とは、太っていることでカモフラージュされているが、実は美人ということ、だそうなのである。(妻がそう言うのだ。) 本当の美人は現状維持に努力しなければならないが、これならば、むしろ太っていないと維持できないという意味で、怖いものなしということに なる。
「妻がデブだと安心でしょ」
やせてきれいな私と一緒にいると、自分が見劣りする感じがするだろうし、私だって“こんな男でよかったのか?”と思うようになるはずだから、 「最初から、あなたはダイエットさせまいとしているでしょ。ずっと妨害してるもんね」
――えーっ!悪いのはオレかーい!
と今思い知らされた、全国津々浦々の<隠れ愛妻家>のお父さんたちに贈る、これはぼのぼのと心に染みる<表彰状>のような本なのかもしれない。
本書執筆から10年経ち、今も妻はデブである。
あらためて読み返してみると、10年前は「結婚前はデブでなかったが、結婚してからデブになった」などとその変貌ぶりに驚いていたようだが、 結婚して25年も経過するとデブの期間のほうが長くなり、昔も今も変わらないという印象になってくる。変わらずデブ、変わらず「やせれば美人」 ということになるのだが、アンチエイジングの観点からすると、50歳を過ぎて「変わらない」のは一種の奇跡である。
そう、「やせれば美人」は老けない。
2016/2/14
「私たちは今でも進化しているのか?」 Mズック 文藝春秋
現代の人間は何かが間違っているという感覚の出所となっているのは、現代人も遺伝学的に見れば、古代ローマ人や17世紀の ヨーロッパ人どころか、ネアンデルタール人や、類人猿の祖先、何十万年も前にアフリカに小さな集団で暮らしていた初期のヒト科動物と 変わらないという認識だ。
<パレオファンタジー>(石器時代への幻想)
私たちは更新世(200万年前から紀元前1万年前くらいまで、旧石器時代の終わり)に生きていた人々がしていたことはうまくやれるが、 その当時に必要でなかったことは、苦手であるに違いない。つまり、私たちはある特定の状況で進化はしたのだが、その状況が変わるスピードが 速すぎたため、体はそれに合わせた進化ができなかった。それが、現代の私たちの生活の混乱した状態につながったのだという考え方である。
「理論としては、一万年前に生きていた祖先と同じものだけを食べるんです。つまり森の中で、棒一本を使って手に入れられるものですね」
だから、農耕という新しい習慣によってつくられた穀物や乳製品は避け、狩猟と採集によって得られた食物だけ、主に肉(調理するかについては 意見が分かれる)を食べて生活する。運動は獲物を追うときの疾走を模した状態(できれば裸足)で活動する。
<パレオ式>と呼ばれるこの方法が、原始人のライフスタイルをまねる健康法として、アメリカでは注目を集めているのだと聞けば、にわかには 信じがたいが、これが、日本でもブームの<糖質制限ダイエット>の源流なのだと知れば、確かに<ライザップ>なんかよりはよほど知的?な やり方であるようにも感じてしまう。
しかし、<それは現実離れした幻想である。>
私たちの祖先である原人が、どこかの時点で完璧に環境に適応していた、ということは決してないし、どんな優れたシステムでも、対立するニーズ の存在により交換条件(トレードオフ)が生じるのであれば、個々の性質が十分に機能していたとしても、それが完璧であることはめったにない のだから、それはいつだって、<まあまあの結果>と言わざるを得ないものにすぎないということになる。
というわけで、この本の本当の題名は、
PALEOFANTASY―What Evolution Really Tells Us about Sex, Diet, and How We Live
(セックスとダイエット、そして本当はどのように生きているかについて進化が教えてくれること)
つまり、「パレオ式ダイエット」なんて間違っているんだよということを、進化生物学の観点から、事の本質に踏み込んで明かしてみせたもの のである。
進化が継続的なものであると考えれば、調和していた時代を特定することに意味はない。なぜ私たちは、昔の人々に比べて時代に合っていない と感じるのだろうか。人間は本当に何十万年も変わらず、完全に環境に適応した状態で過ごしていたのだろうか。そのように適応した状態に達した のはいつだったのだろう。そして進化を止めるべきときが、どうしてわかったのだろうか。
2016/2/10
「水中考古学」―クレオパトラ宮殿から元寇船、タイタニックまで― 井上たかひこ 中公文庫
海に沈んだ古代文明、謎のアトランティスやムー大陸の伝説は、私たちのロマンや冒険心をかき立てる。世界の海底には、今なお謎に 包まれた数多くの文明や、人類のいとなみを示す物的証拠がたくさん埋没している。
今から3400年前の後期青銅器時代の難破船には、金銀宝石類など時価数十億円相当の高価な品々が積まれていた。トルコ沖のウル・ブルンで 発見されたその船は、当時の古代エジプト王朝の若き王、ツタンカーメンのところへ向かっていた世界最古の交易船だった。
水深50メートル、急勾配となっている海底には大きな貯蔵用の壺がいくつも横になっており、この刺激的な発見にはもちろん神経の高ぶりを 覚えたのだが、許された潜水時間はわずか20分、あっという間に過ぎ去ったこの至福の現場から、立ち去らねばならないことをとても口惜しくも 感じることになったのだった。
<水中の遺跡を研究調査するのが、水中考古学だ。>
九州北西部の伊万里湾に浮かぶ鷹島の沖合い150メートル、水深20〜25メートルに横たわる元寇船の発掘作業。絵巻物として残されている だけで、どんな形だったのか不明な点が多い、元寇の船が構造を残して見つかったのはこれが初めての快挙だった。鷹島(長崎県松浦市)は、 元寇(1274、81年)時の激戦の地であり、元寇船が終焉を迎えた舞台でもあったのである。
「北の海(北海道江差町)に沈む江戸幕府の戦艦・開陽丸」
(明治元年、新政府軍に抵抗した旧幕臣・榎本武揚に率いられ、新天地の蝦夷に向かい、座礁沈没した。)
「アレクサンドリア港内で見つかったエジプト女王の海中宮殿」
(首都の所在地さえ謎だった、クレオパトラの遺跡の発見は、トロイの遺跡に匹敵する世紀の大事件だった。)
「世界一有名な沈没船となった悲劇の豪華客船タイタニック号」
(正確な沈没地点がはっきりせず難航した探査の末、ようやく70年後に発見されたのは、水深3800メートルの海底の墓場だった。)
などなど、この本は日本ではいまだなじみの薄いといわざるを得ない「水中考古学」の世界にご招待いたしましょうとばかりに、日本における 先駆者ともいうべき著者が、これまでの自らの体験を踏まえながら、水中考古学史形成の歴史や、日本の現状と課題までを、熱く語ってくれた ものなのである。
え?沈没船の引き揚げって、金銀財宝がざっくざくの、一攫千金の夢に溢れた、博打のような稼業なんだろうって?
とんでもない!
長い歳月、水中にあった遺物はきわめて脆弱で、適切な保存処理もせず、空気中に引き揚げたまま放置すると腐食が進み、ガラクタ同然の価値の ないものになってしまう。
遺跡発見のドラマに比べると、保存処理は一見地味なものに見えるかもしれない。しかし、遺物は、十分な科学的保存処理を施すことで、 その後の調査・研究・展示に供することができるのである。まさに、引き揚げてからが考古学なのだ。
2016/2/3
「性のタブーのない日本」 橋本治 集英社新書
明治時代になって、行政府が「風紀」というものを問題にして、性表現に規制をかけた。「猥褻」という概念を導入して取り締まったから、 我々は「性的なもの≒猥褻」というような考え方を刷り込まれてしまった。だから、「明治以前の日本に性表現のタブーはなかった」と言われると、 思う人は「え!?」と思ってしまう。
<日本人には性的なタブーがなくて、その代わりにモラルがあった。>
というのが、『古事記』『源氏物語』『枕草子』『平家物語』などといった古典文学の現代語訳ばかりでなく、『ひらがな日本美術史』という 画期的な試みにおいても、近代以前の「性」にまつわる日本文化のあり方に、尋常ならざる造詣の深さを発揮して見せたこの著者の、まことに 大胆な見立てだった。
イザナミの<成り成りて成り合わざる処>を、イザナギの<成り成りて成り余れる処>で、<刺し塞ぎて>生まれた『古事記』の日本ではあるが、 この行為が排除されてしまえば、「その後の日本人に関するすべて」は存在しなくなってしまうのだから、その行為そのものの描写は「猥褻」 でもなんでもなく、ただ「そういうもの」だというのである。
日本語に「FUCK」に対応する、性交自体を表す動詞がないのは、日本には「その行為」だけを特別にピックアップする習慣がなかったからだ。 「まぐわう」とは本来「目交う」で、視線が合うことなのであり、他人である男女が顔を合わせることはない時代には、逢ったらもう 「やっちゃって」いることになる。
<逢ひ見ての後の心に比ぶれば 昔は物を思はざりけり>
なんて『百人一首』の時代になっても、そんな状況はまったく変わっていないのであれば、「逢ひ見て」はもちろん、女のいる簾の中に男が入って 「逢って、見て」をするということなのだから、これは、平安王朝の貴族のロマンチックで優雅な恋物語、なんかでは決してなく、「やる前は なんにも分かってなかったな」と、「やった後」に湧き上がってくる様々な思いという、リアルな男としての「肉体の重さ」を詠んだ歌ということ なのである。
院政の時代が男色の時代になったのは、摂関家を頂点とする政治秩序が崩れ、人の上に立つ権力者達と「自力で人脈を作る」ためには、 「人間関係=肉体関係」というあり方を、比較的容易に確立する必要が生じたからではばいか。
「遊女」というものを、そもそも「売春を業とする女」と考えるのは誤解であり、「遊」は「エンターテインメント」の「遊」である。 「遊女」というものを存在させていた時代は、彼女達が客に対して性行為を提供していたかどうかを、あまり問題にせず、性行為は特別扱いされる ようなものではなかった。
などなど、西洋的なタブーとは異なる、自然発生的な「モラル」の存在という観点から、世界に類を見ない、性をめぐる日本の文化を紐解き、 <「タブーはないがモラルがある」という文化の高度性はすごいものです。>と喝破してくれてはいるのだが、「だから何だ?」と言われても 困るというのが本音のようなのではある。
こういう本を書いて来て――というか、正確には「書かされて」ですが、最後に「あとがき」めいたことが一言あってもいいような気がしますが、 私の言いたいことはただ一言――「そういう日本だったんだからしょうがないじゃないか」です。
「そういうものはそういうもの」でしかありません。
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