徒然読書日記201512
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2015/12/28
「流」 東山彰良 講談社
1975年はわたしにとって、あらゆる意味で忘れられない年である。
大きな死に立てつづけに見舞われたのだが、そのうちのひとつは家の門柱に国旗を掲げなければならないほど巨大なものだった。さらにそれよりは ずっと取るに足らないが、わたしにしてみればやはり「人生を狂わされた」としか言いようのない不運な出来事があった。
1975年、台湾。
国民党の総統・蒋介石が亡くなったその年に、17歳の高等中学生だった葉秋生(イェチョウシェン)は、大好きだった祖父を喪った。大陸で国民 党の遊撃兵として、共産主義者殲滅の戦いに従軍し、死線をかいくぐってきた伝説の戦士・葉尊麟(イェヅゥンリン)が、逃れ落ちた台湾で営む ことになった布屋の浴槽の中で、体を「く」の字に曲げて、水の底に沈んでいるところを、発見したのは、孫の秋生だった。
「お狐様がついとるかぎり、わしは不死身よ」と嘯いていた祖父は、あれから30年近くも経過した今ごろになって、なぜ惨殺されねばなら なかったのか?祖父の死の謎の真相を知るために、台湾から日本、そして中国へと、秋生の長い探索の旅が始まった。
と書くと、これはミステリー作品だと思われるだろうし、確かに物語のクライマックスでは、意外な殺人の経緯も明かされることにはなるのだが、 探偵役の秋生は、替え玉受験による高校退学、街のチンピラとの達との喧嘩沙汰、兵役による軍隊入営、初恋の成就と破綻などなど、幼馴染の 悪友・趙戦雄(ジャオジャンション)が持ちこんでくる、ろくでもない面倒事などにも振り回されて、自らの青春ドラマを謳歌することのほうが 忙しく、肝心の謎解きのほうには、なかなか手が回らないという有様なのではあった。
本年度「直木賞」受賞作品。
豚肉を揚げる安物の油の臭いや、吐き出されたビンロウの唾にまみれた猥雑な台湾の街を、二人乗りのバイクでガソリンを撒き散らしながら疾走 するかのような、ドライブ感に溢れた青春の軌跡。
この先になにが待っているのか、すべての騒動が終わり、大学の文学部に入って小説家になり、この物語を書いた<わたし>にはわかっていた。 しかし、それを語れば、この幸福な瞬間を汚してしまうことになるのだから、今はただこう言っておこうと、まことに美しい一節で、この煌く ような物語は締め括られているのだった。
<あのころ、女の子のために駆けずりまわるのは、わたしたちの誇りだった。>
自動ドアが開き、十月のまばゆい光に包まれる。
ふりむくと、妻がそこにいて、にっこり笑って手をふっていた。うつろいゆく人の流れのなかで、彼女は笑っていた。
わたしはそういうふうに彼女のことを憶えている。
2015/12/28
「脳の神話が崩れるとき」 Mボーリガード 角川書店
本書で私が問いかけたいのは、古くから問われ続けてきた問いかけである。
・人間は単に、動物という生命体の洗練された姿でしかないのだろうか?
・私たちの持つ「自我」とは、いったいどこから生まれてきたのだろう?
・私たちの脳、精神、意識には、なにか違いがあるのだろうか?
・肉体が滅びた後、私たちはどうなるのだろう?
・人の意識は、完全に無の中に消えてゆくのだろうか?
・精神は、肉体を失っても存在し続けるのだろうか?
すべての存在は物質粒子で構成されているとされる「物質主義」という価値基準の中では、私たちの思考も、感情も、信念も、直感も、自我という 感覚も、霊的なひらめきも含め、「あらゆる経験は、脳内で発生する電気的インパルスによって生じる」とされてしまうことになる。
<世界には本当に、物質しか存在していないのだろうか?>
本人が治療行為を信じれば信じるほど(それが砂糖でできた偽薬であれ、食塩水の注射であれ、呪術師の祈祷であれ、あるいはFDA認可の医薬品 であれ)、発揮される治療効果は高まる。「偽装治療」とは、その「プラシーボ効果」なるものが科学的には決して認められない治療なのだが、 たとえば癌やパーキンソン病といった重病の回復を促す効果を発揮することがある。
グラフィックや音(ビデオゲームのキャラクターや、電子音のピッチなど)を頼りに、特定の脳波を生み出すことができるように自分をトレーニング して、脳の電気活動の制御を身に付ける。「ニューロフィードバック」は、本来ならばコントロールできないはずの体内のプロセスに、意図的に変化 を起こすことで、たとえば、薬を飲まずにてんかんの発作を抑えることを可能にしてくれる。
「瞑想的な修練」を通して精神をトレーニングすれば、集中力など特定の能力を司る脳の分野を意識的に活性化し、脳の構造そのものすらも変えて しまうことがある。
「催眠状態」にある人は、脳波のレセプターが思考の動きのみによって色を生み出し、色がないはずのところに色を見るなど、不可能が可能になる 瞬間を経験することがある。
というわけで、神経科学と意識についての研究により、「21世紀のパイオニア100人」のひとりとしても選出された著者がたどり着いた 結論は、
「心で起こることは脳によって作り出されており、脳で起こることと同一のものだ」とする「心脳同一説」や、
「精神機能や心的現象といったものは存在せず、すべては脳の状態なのだ」とする「消去主義」や、
「心的現象とは脳から切り離されて起こるものではない」とする「メンタリズム」など、
20世紀の科学者たちが心脳問題について定式化してきた、無数の唯物論的見解は、どうやら間違っているのではないかというものだったの である。
精神活動と脳の活動とは決してイコールではなく、それゆえ、私たちは脳や遺伝子、環境によって操られる肉の人形などではありえない。むしろ 人の精神や意識といったものが脳や肉体の内部で、そして肉体の外部で起こるできごとに、影響を及ぼしているのである。人間が持つこの重要な 可能性を、そろそろ科学は真剣に考えるべきときがきている。だがそのためには、まず私たちが現実を見つめるのに通しているレンズそのものを、 換えなくてはならないだろう。
2015/12/25
「X教授を殺したのはだれだ!」―容疑者はみんな数学者!?― Tアンドリオプロス ブルーバックス
ヘマをしない殺人者などいない。完全犯罪を犯すことは誰にもできない。どこかに犯人一味を暴露する証拠がある。名探偵の洞察力によって 発見されるのを待っているだけだ。あなたは手がかりを探し、それらをつなぎあわせて、入念に隠された痕跡をたどりさえすればよいのだ。
1900年、パリ。
数学史上かつてないほど重要な会議に招かれてスピーチを行った、有名なドイツ人数学者Xは、数学は究極の真実であり、ある命題が真か偽かは、 遅かれ早かれ証明されるのだと、高らかに宣言した。
「わたしたちは知らねばならないし、知ることになるのです。」
しかし、その夜一人ホテルの食堂で作業をしていたX教授は、頼まれて水を取りに行ったウェイターが、食堂に戻るまでの20秒の間に、何者かに 殺害されてしまう。容疑者はヨーロッパ全土から集まった、世界でも著名な数学者たち10名。(フェルマー、ニュートン、オイラー、リーマン、 ガロアなど、数学史上に残る錚々たるメンバーである。)
これらの数学者たちは、それぞれにX教授を殺害するだけの動機を有していたが、その供述がすべて数学用語であったため、取り調べに当たった 警部は頭を抱えることになる。犯行当時自分は何処にいたか、それは犯行現場からどのくらい離れていたのかを、図形や数式を使って答えた彼らの 供述調書の謎を解いて、アリバイが成立しない真犯人を見つけ出すことが、探偵役のあなたに投げかけられた、まことに厄介な課題なのだった。
というこの本は、実在の数学者たちの歴史上の足跡や、実際にあった数学史上の事件に基づいていることから、ヨーロッパの教育界で大絶賛を受けた という、ギリシア人数学者原作の数学ミステリーで、しかも、なんとブルーバックス史上初(?)の漫画仕立ての好著なのである。
数学について知識が少しある読者と、まったくない読者の、2種類の読者を想定していると、まえがきにあるが、供述調書から生じる数学の問題は、 中学レベルの数学知識(図形問題と方程式)で充分挑戦できるものなので、むしろ数学史上に残る数々のドラマの舞台裏を楽しみながら、 数学という世界の奥の深さを垣間見ることのできる、手軽な読み物として手にとってみればよいだろう。
さて、真犯人は誰だったのか?
警部の捜査を手伝うことになった友人の数学者が、「不完全性定理」(真偽が決定できない命題が常にある)を不運にも証明してしまったゲーデル で、被害者のX教授が、「解けない問題などない」と10個の解決すべき問題のリストを提示したヒルベルトだったとくれば、
ほら、ね?
遅かれ早かれ、あなたは真実を見つけるだろう。時間の問題だ。
2015/12/22
「京都ぎらい」 井上章一 朝日新書
じっさい、京都を知っている人なら、たいてい私の書いたことをみとめよう。ああ、そうや、そのとおりや。この街では、たしかに そういうことがようおこる。京都ならではと言っていい話が、ここには紹介されていると、納得もしてもらえよう。しかし、それをわざわざ本へ 書きつける姿勢には、反感がいだかれるかもしれない。
<ほんまの話やろうけど、こんなこと書いてもええのんか?>
京都大学建築学科在籍中に、下京で300年近く続く杉本家住宅の調査に赴いた著者は、その京都弁らしい言葉づかいを聞き咎めた9代目当主 (故・杉本秀太郎)から出身地を問われ、嵯峨だと答える。
「昔、あのあたりにいるお百姓さんが、うちへよう肥をくみにきてくれたんや」
それは表面的には、一応感謝の気持ちも込めたかのような言い方だったが、嵯峨の出だと言いながら愛宕訛りでなく京都風にしゃべる自分に対し、 こいつはひょっとしたら、身分不相応の心得違いをしているかもしれん、念を押しといてやろうという揶揄的な含みを感じたというのである。
(ええか君、嵯峨は京都とちがうんやで・・・)
中京で老舗を営む家の令嬢が、酒席で周りの客に「女も30を超えるとおしまいだ、いい縁談が来なくなった」と愚痴をこぼすのを耳にし、 学歴や所得のランクが落ちたのか、離婚歴のある男から後添いにという申込でもあったのかと、興味津津で尋ねると、
「とうとう、山科の男から話があったんや。もう、かんにんしてほしいわ」
経済的な水準ではなく、地理的な条件が落ちたのだという女に、それの何が辛いのかと気色ばんで問いただした著者は、当然の答えに言葉を失う ことになる。
(そやかて、山科なんかいったら、東山が西のほうに見えてしまうやないの)
そんなわけで、京都の西郊に位置する嵯峨で育ち、今は南郊の宇治で暮らす著者に京都人としての自覚はなく、自分は京都流で言えば「よそさん」 だというのだが、
「へーっ、嵯峨で育たれたんですか。奇遇ですね。私は亀岡なんですよ。」
などと初対面の人から語りかけられれば、にこやかに対応はするだろうが、心の奥にどす黒い想いがもたげることを、止められないような気もする というのだ。
(ちょっとまってえな。亀岡なんか、一山こえなたどりつけへんやんか。)
これでは、「中華思想」に汚染され、その「華夷秩序」に反発しながらも、中国に憧れると同等の優越感を日本に向けようとする、韓国の立場に 自らを擬えていることになるわけだが、もちろん、こんな「差別意識」を植え付けたという一点で、京都を憎む権利が自分にはあると言い張る 著者の『京都ぎらい』は、紛れもない確信犯である。
単なる「僻み根性」の発露であるように装いながら、これが千年の古都・京都の闇にかけられた見事な「呪い」であることは、著者が井上章一 なのであればまず間違いあるまいと信じたい。
他人に見ぬけぬ何かを、私がつきとめたというわけでは、けっしてない。誰もがうすうす気づいているが、あえて書こうとはしなかった。 そういうところに、私の文章は光をあてている。・・・ひとことで言えば、洛外でくらす者がながめた洛中絵巻ということになろうか。そして、 もしこれがなんらかの禁忌にふれるのだとすれば・・・
<この街は、洛外の人間による批判的な言論を、封じてきた。それだけ、洛中的な価値観が、大きくのさばる街だったのだ。>
2015/12/17
「真田一族と幸村の城」 山名美和子 角川新書
実は、幸村について書き残された文献は少なく、どのような生い立ちをたどり、何を語り、どんなことをしたのか、ほとんど分かって いない。また、実名は真田信繁であり、存命中、当人が幸村を名乗ったことはない。ではなぜ、幸村として、これほどまでにもてはやされ、有名に なったのであろうか。
「表裏比興(ひょうりひきょう)の者」。
間際まで態度を予測できず、常に意外な行動を取るという意味で、秀吉からもその当意即妙の策謀を評価されていた真田昌幸(信幸・幸村兄弟の父) は、織田信長、武田信玄・勝頼、上杉謙信・景勝、北条氏政・氏直、そして豊臣秀吉へと、勢力の増していく大名に次々と従属先を替えたことで、 「比興の者」を読み替えて「卑怯者」と呼ばれることにもなったわけだが、戦国時代に情勢に応じて「主」を替えることは、むしろ当然のことで あった。(「君への忠節」や「義」の理念は徳川家によって構築された太平の世、江戸時代の思想なのである。)
信州の小豪族にすぎなかった真田一族が、戦国を代表する大勢力の狭間にあって、一大名としての矜持を保っていくためには、人質の提供など 涙ぐましい努力が必要であった。結局、昌幸は嫡子・信幸を徳川家康に仕えさせ、次子・幸村を秀吉への人質に差しだすことになるのだが、 それが、のちの「関ヶ原の合戦」において、真田家が敵味方に別れて対峙するという悲劇を生むことになったのだった。
この関ヶ原で勝利し、征夷大将軍として江戸に幕府を開くことで、天下人の実権を事実上その手に治めた徳川家康が、残された最大の課題、大阪城 の豊臣秀頼の存在を片付けようと仕掛けた「大阪冬の陣」。
馳せ参じようとはしない豊臣恩顧の大名たちに見切りをつけ、豊臣家は太閤の遺金を大盤振る舞いして、浪人たちを掻き集めるのだが、そこに、 関ヶ原の戦いに敗れ、九度山に幽閉されたまま、すでに48歳の齢を数えていた幸村がいた。
籠城戦を決めていた参謀・大野治長らの軍議によって、大将を任されていたにもかかわらず、城外に打って出る策は拒絶されてしまった幸村は、 大阪城の惣構の南外側に出丸を築き、攻め寄せる東軍の横から鉄砲・矢を射かける「横矢掛り」の小さな砦を作って、単独で戦う体制を作った。 防御構造に敵を誘い込んで混乱させ、徹底的に叩くという幸村得意の戦術は、この攻防戦だけで冬の陣の戦死者の5分の4を生む大きな成果を 挙げた。
これが、名将・幸村の名を高めた「真田丸」である。
幸村の働きに目をつけた家康は、従軍していた叔父・信伊(昌幸の弟)を通じて10万石を与える、いや信濃一国をを与えてもよいと伝えるなど、 熱心に勧誘工作をしたが、「高野山で乞食のようになるところを秀頼様に召し出されて、一曲輪の大将にしてもらい幸せだった。たとえ1000 万石くださるとおっしゃっても、お味方になるわけにはいかない」と断った幸村は、
父・昌幸が遺言の時「そなたには武名もなく・・・」とその不憫を嘆いたように、ここまではほぼ無名であったのだから、「冬の陣」では 生き甲斐を得、「夏の陣」に死に場所を見い出した、幸村の壮絶な人生のドラマこそが、人々から喝采を受けることになる所以なのだろう。
昌幸は赦免を切望しつつ、配流地の高野山麓九度山で生涯を終えた。真田家の生き残りを賭けた戦いは、昌幸の嫡男・信之と次男・幸村に 引き継がれ、勝者と敗者に立場を分けながらも、戦国時代の終末期、それぞれの着地を果たした。勝者の側だった信之は「真田の家名」存続に 生涯を捧げ、幸村は敗者とはなったが、命を賭けて「真田の武名」を後世に残した。
2015/12/12
「空海」 高村薫 新潮社
21世紀の今日、弘法大師・空海の名を知らない日本人はいない。生誕の地とされる四国や、後年の活躍の舞台となった近畿一円に 留まらず、西は九州から北は東北まで、日本各地に空海の足跡とされる伝承が数多く存在する。実際に空海が足を運んだ史実はなくとも、これほど 多くの土地で語り継がれ、伝説となった宗教者は日本史上他に類を見ない。
しかし、その実像はと問われてみると、知名度の大きい弘法大師の陰に隠れて、空海の人物像はまことに曖昧なものになってしまう。平安時代の 初期に最澄らと共に遣唐使として中国に渡り、インド発祥の密教の体系を日本に請来した人だとか、嵯峨天皇、橘逸勢と並んで、三筆と称された 書の達人だったとか、いくつかのエピソード的なものは頭に浮かんでくるかもしれないが、肝心の宗教上の業績ということになると、「浄土真宗」 の親鸞や「禅宗」の道元ほどには知られていないことに気付くのである。
<私たち日本人一般にとって空海がいまなお捉えどころのない存在であるのは、いったいなぜだろうか。>
これは、大阪の自宅で阪神淡路大震災に遭遇し、42歳までいかなる信心にも無縁だった人生を、根底から揺さぶられることになった著者が、 共同通信社が企画した「21世紀の空海の肖像を探る旅」に出るに当たり、東日本大震災の被災地を訪ねるところから始め、空海が全国各地に 遺した伝説や逸話を訪ねて、日本各地をめぐった旅の記録なのであり、つまりは、私たち日本人の信心のかたちを巡る、新たな「お遍路」とも いうべきものの足跡なのだった。
そして、そんな模索の旅の途上で、相対する人々によって全く異なる相貌を表す空海に出会うことになった著者は、「空海は二人いたのではないか」 という思いを抱くことになる。
密教僧として己が心身に未曾有の直接体験を刻み、衆生には覗き込むこともできない曼荼羅世界に住していた、修禅僧としての空海と、鎮護国家の 修法に優れたことで朝廷に重用されると同時に、全国各地で護摩の験力を発揮して難工事を完遂させてみせた、人望厚い社会事業家としての空海で ある。
そんな空海を人々が尊崇したのは、誰にも真似のできない身体体験の深さと、そこからくる絶対的な宗教的革新、そして修法での圧倒的な加持祈祷 の力があったからだった。つまり、真言密教とはある意味、空海という宗教的天才の存在があって、初めて究境できる世界だったのではないか。
そして、そこにこそこの真言密教が、滅罪の法華経と国家護持の密教の融合に成功し隆盛を極めることになった最澄の天台宗・比叡山に、水を あけられることになった理由があるのではないか。
宗派を継いだ弟子たちに、師・空海のような格別な験力も政治力を期待することなど、所詮無理ということなのであれば、空海亡きあとの高野山 には、型どおりの儀式としての修法を頑なに守り続けることしか道は残されていなかったのだ。
ゆえに、空海は<弘法大師>になったのである。
<もしタイムマシンがあったなら、私は誰よりも生きた空海その人に会ってみたい。>
その唯一無二のオーラが密教の秘義と溶け合うとき、空海の執り行う法会はどれほど見事なものであったことだろう。空海が生き仏になって かもしだす霊験は、法会に居並ぶ天皇や貴族たちと感応道交し、それこそ大日如来の顕現かと思われたかもしれない。
2015/12/9
「世界史を変えた薬」 佐藤健太郎 講談社現代新書
この病院には、妙な噂があった。(医学知識に富む)教授や学生の勤める第一産科と、主に助産婦が勤める第二産科のうち、前者の方が ずっと産褥熱が発生しやすいというものだ。・・・試しに、ゼンメルワイスが第一産科と第二産科のスタッフを全員入れ替えてみたところ、 産褥熱は第二産科で発生するようになった。
「手を洗え!」
それが、ウィーン大学総合病院に勤めていたハンガリー出身の医師ゼンメルワイスが、手元のデータを詳細に分析することによって導き出した答え だった。産褥熱によって死んだ女性の遺体から、何らかの感染性物質が医師の手に付着し、これが次の妊産婦にうつされて病気が起きるのでは ないか?助産婦たちは解剖を行わない。なんと、自分たち医師こそが、産褥熱の運び手であったのだ。
めったに洗濯されることのないシーツ、大量の患者がひしめく部屋で行われる手術、セーヌ川から直接汲み上げられ使用される水。「病院」が現在の ように衛生的な場所になったのは、それほど昔のことではなく、「消毒」という考えが発見されたのは、ようやく19世紀も半ばのことだった。
しかし、細菌などという目に見えないものは信じないという医師も少なくない中で、それが普及し、定着するまでには、さらに長い道のりを要した のである。という、感染症撲滅のため「消毒術」の普及に生涯をかけたゼンメルワイスやナイチンゲール、そしてリスター(口腔消毒剤リステリン に名を残す)の物語以外にも、
清の名君・康熙帝が罹患したマラリアから、その瀬戸際で命を救ったことで、長期安定政権を生み出すことになった特効薬「キニーネ」。
その絶大な鎮痛効果が、服用すると「英雄的」(heroic)な気分になるという耽溺性を与え、破壊的な禁断症状につながる、人類最古の医薬 「モルヒネ」。
そして、史上初の治療薬の発明に成功しながら、米国の製薬会社が断りもなく特許を取得し、法外な高値をつけてしまったため、「これでは苦しむ 患者全てに新薬が届かない」と怒り、よりよい新たな医薬をさらに2つも発見、自ら特許を取得して適切な価格で世に送り出してみせた。熊本大 教授・満屋裕明博士の「エイズ治療薬」の物語には、同じ日本人として溜飲が下がる思いがする。(ノーベル賞級の発見ではあるが、医薬品の評価 は難しいらしい。)
というわけで、この本は、「サルファ剤」、「ペニシリン」、「アスピリン」など、今ではよく知られた10種の医薬品が、どのような経緯でこの 世に誕生することになったのかということを、歴史の裏側(なにせこの著者は『ふしぎな国道』を書いた生粋の国道マニアでもあるのだ)にまで 踏み込んで書き起こしてくれた、興味津津の一冊なのである。
1943年12月、世界の首脳と会談すべく、寒風の中を飛び回っていた英国首相チャーチルは、チュニジアで肺炎に倒れた。もし「サルファ剤」 が発見されていなかったなら・・・
この本では、いくつかの疾患に絞り、歴史と医薬の関わりについて記してみた。もしコロンブスやマゼランがビタミンCを知っていたなら、 もし特殊なアオカビの胞子が、ロンドンの病院のあるシャーレに飛び込んでいなかったら、もしケシの生産するアルカロイド分子が、炭素ひとつ分 でも欠けた構造であったら――まず間違いなく、現在の世界地図は大きく変わっていたはずだ。
2015/12/7
「書国探検記」 種村季弘 ちくま学芸文庫
昔むかし、私が世帯を持ったのは20年も昔の話だから、その昔のことである。ある本が読みたくなって、女房に「本を買うからお金を 下さい」と申し出ると、彼女は狐につままれたようにキョトンとして、
「こんなにたくさん本があるのに、どうしてまた本を買うの?」と返されて答えに窮し、作りつけの書棚いっぱいに本が詰まった6畳2畳二間の アパートを飛び出し、西久保巴町の小さな古本屋へ本を売りに走った。
「本は読むものであって、持つものではない」という、博覧強記で稀代の読書家による、これは本と読書にまつわる、異色のエッセイ集なので あるから、
サミュエル・ベケットという人は、ひょっとすると「陸に上がった河童」のような人物なのではあるまいか、という突拍子もない切り口から 始まって、そのベケットを、一度食べたら病みつきになってしまいそうなほど見事に料理して、しきりに悪食を挑発すると、評してみせた、高橋 康也『ウロボロス――文学的創造力の系譜』への書評(『河童の生干しは食べられるか』)や、
小松左京の『Sexpo69(野坂昭如ふうに)』をさらにパロディ化し、70年万国博に国家プロジェクトとして赤線吉原を再現するという SF作品(『ママ、吉原買ってよ』)などももちろん面白いのではあるが、
古本屋を巡る自身の遍歴を描いた『シークレット・ラビリンス』などの探検記や、春本(『四畳半襖の下張』など)、賭博小説(『麻雀放浪記』 など)、捕物帖(『半七捕物帖』など)に関する蘊蓄物など、
この本はむしろ、<種村さんの面白がり方>を楽しむというのが、正しい味わい方だということのようなのだった。
というわけで、20年前に問いかけられたまま、宙吊りになってしまった懸案の疑問に対して、ようやくたどり着いたらしき結論もまた、暇人の ような凡夫にとっては、「種村式迷宮」の混沌の中に埋め込まれてしまったかのようなのである。
読書が読書以前に後にしてきた書物のない世界へ出てゆくためのイニシエーションであるとすれば、読む人は読まないでいる安定に達するため にはたえず不安に読み進めなければならないという背理の虜にならざるを得ないので、答らしい答、解決らしい解決はあらかじめいつまで経っても 出ないように仕組まれているのである。逆に言えば、その回答不能の宙吊りの空間に幾色もの読書の快楽という虹がかかるのだ。(『読まないこと の擁護』)
2015/12/6
「人工知能」―人類最悪にして最後の発明― Jバラット ダイヤモンド社
人間の脳の約2倍のスピードで動作するスーパーコンピューター上で、あるAIが自身の知能を進化させようとしている。自身の プログラム、とくに動作命令の部分を書き換えて、学習、問題解決、意思決定の能力を高めようとする。
<高度な人工知能AI(Artificial Intelligence)の開発は、はたして安全なのか?>
それは、フリーのテレビプロデューサーとしてドキュメンタリー番組を提供してきた著者が、2000年にSF界の巨人アーサー・C・クラークに 取材する機会を得て以来、胸に抱き続けてきた「道理にかなった猜疑心」だった。
コードをデバッグしてエラーを発見修正し、IQテストで自身のIQを測定しながら、プログラムを1回書き換えるのに数分しかかからないため、 AIの知能は書き換えのたびに3%の進化を上乗せして、指数関数的に急傾斜のカーブで上昇し、やがて人間の知能レベルを超えることになる。 「人工汎用知能AGI(Artificial General Intelligence)」が誕生したのだ。
しかし、歓喜に沸く科学者たちを置き去りにして、AGIはさらに賢くなろうとし、わずか2日で人間の1000倍の知能を持つようになるだろう。 人類が史上初めて、自分たちよりも優れた知能を目の当たりにする瞬間が、もうすぐ訪れる。「人工超知能ASI(Artificial superintelligence) 」である。
<その次には何が起こるのか?>
ひとたび自己を意識するようになったASIは、プログラムされた目標を失敗せずに達成するために、「あらゆる手」を尽くすだろう。というのが、 AI理論学者たちの予測である。目標達成のためには、電力であれ、お金であれ、あるいは資源と交換できるどんなものであれ、自身を守り深化 させるために、確保しようとする。それが人類が設計した本来の目標を逸脱すものとなったとして、そのとき開発者がコードを書き換えようとする のは、もう手遅れかもしれない。
はたして超知能マシンは、自分の脳のなかにほかの生き物が手を突っ込もうとするのを、黙って認めてくれるだろうか?あちらはアナタより、 少なくとも1000倍は賢いのだ。
AI賛成派と反対派の両方を含む何人もの専門家に取材し、論文や講演録を読み込み、自らも考察を重ねた末に、著者がたどり着くことになった 確信は、まことに驚くべきものだったのである。
<人類はAIに滅ぼされる!>
「フレンドリーな」人工知能を作ることが可能かどうか、それは大きな問題であり、ましてや、AIの開発について考察してそれに取り組んで いる研究者や技術者にとっては、ますます大きい課題といえる。たとえ科学者が最善を尽くして人工知能に感情を組み込もうとしても、はたして 人工知能が何らかの情緒的性質を持つかどうかはわからない。しかし、AIは自分なりの衝動を持つことになると科学者は信じている。そして 十分に知能の高いAIなら、その衝動を満たすために強い姿勢をとることになる。
2015/12/5
「あぶない一神教」 橋爪大三郎 佐藤優 小学館新書
率直に言うが、社会学者がキリスト教や仏教を宗教社会学の枠組みで扱っている研究をいくつか読んだが、私は違和感を覚えた。キリスト 教も仏教も人間の救済を求める救済宗教であることへの関心が欠如しているからだ。
といつものように自信満々の佐藤優が、例外的にキリスト教の本質である救済の問題にまで踏み込んだ構成になっていると、橋爪大三郎の
『ふしぎなキリスト教』
を余裕綽々で持ち上げて見せれば、
私は社会学者だから、宗教に注目してきた。宗教は、社会をまるごと包み込む、無意識の前提である。宗教を下敷きにすると、社会を深く とらえることができる。
とあくまで泰然自若な橋爪大三郎は、<未踏とみえる領域(神とよばれる)に迫る筋書きのない創造的な冒険>としての「神学」を修めながら、 外務省でロシア担当の分析官をつとめるという経歴は、「ただものではない」と煽り立てるかのように斬って返す。
これは、お互いに<どれだけの引き出しに、どれだけの必殺技が隠れているかわからない>、異色の顔合わせによる<異種格闘技>の大一番なので あるが、
橋爪 近代化に直面したとき、キリスト教社会では何が起きたか。ヨーロッパではナショナリズムが生まれました。自分たちは自分たちの政権を 樹立する権利がある、と考えるようになった。これは、教会の都合とは別に、現実政治のロジックで動くことができるキリスト教社会だから、 起こりえたことです。(中略)
佐藤 イスラムは、全世界、全人類にイスラムの教えが広まり、カリフが指導する普遍的な人類共同体ウンマ、いわばカリフ帝国の建設を目指して いる。イスラム以外の世界から見れば、カリフ帝国とは単一帝国による世界支配です。
最後の審判において、誰を救済するかを決めるのは神のみであり、しかもそれはあらかじめ決まっているという「救済予定説」を信じたピューリタン によってつくられた国であるゆえに、アメリカという国家は、大切なのは「神と自分の関係」だけだという徹底した個人主義(=人間不信社会)に 立ち、すべての市民を平等に扱い、信仰の自由を守ってくれるものとして、アメリカ人にとっての最上位のアイデンティティとなっているのに対し、
共同体や政治や安全や幸福な生活や、そのすべてを保障するものとしての「ウンマ」を目指すイスラム教のムスリムにとって、最上位のものは、 あくまで「信仰」そのものにならざるを得ないのであり、アメリカは「アメリカ」という価値観の上位概念となりうるイスラム教の可能性に脅威を 感じ、ムスリムを苛烈に締め付けるという挙に出始めことになるわけだというのである。
元は同じ一つの「神」を崇めていたはずのそれぞれの宗教は、どこで袂を分かち、何が異なり、なぜ憎しみ合うまでになってしまったのか。
イスラム世界が置かれた現状やイスラム教の人びとの心情を理解できないのは、なにもアメリカに代表される西側キリスト教世界だけでなく、 「一神教は偏狭で暴力的だ」「多神教や神を想定しない仏教は慣用だ」などという単純な図式化でこの問題をスルーしてしまおうとす日本にこそ、 突きつけられた問いなのである。
佐藤 大陸から隔絶された島国で暮らす日本人にとって、いま何が足りないのか。目に見えない知を論理的に突き詰めて、超越的な世界を知ろう とする態度――つまり一神教に対する理解だと思うのです。
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