徒然読書日記201506
サーチ:
すべての商品
和書
洋書
エレクトロニクス
ホーム&キッチン
音楽
DVD
ビデオ
ソフトウェア
TVゲーム
キーワード:
ご紹介した本の詳細を知りたい方は
題名をコピー、ペーストして
を押してください。
2015/6/26
「多数決を疑う」―社会的選択理論とは何か― 坂井豊貴 岩波新書
「多数決」という言葉の字面を眺めると、いかにも多数派の意見を尊重しそうである。だからこそ少数意見の尊重も大切と言われるわけ だ。だがそもそも多数決で、多数派の意見は常に尊重されるのだろうか。
2000年のアメリカ大統領選挙戦。
父親も大統領を務めた共和党のジョージ・W・ブッシュに対し、環境保護を前面に押し立てた民主党のアル・ゴアが当初の世論調査では優位に 立っていた。しかし、社会活動家のラルフ・ネーダーが途中で「第3の候補」として立候補して、支持層が重なるゴアの票を喰い、ブッシュが 漁夫の利を得て当選するという結果となった。ネーダーだって、ブッシュとゴアの二者択一ならゴアを選んだに違いない。つまり、多数決は 「票の割れ」にひどく弱いということなのである。
では、ネーダーは安易に立候補すべきではなかったのだろうか。二大政党制のもとで閉塞感を抱える有権者に、新たな選択肢を与えることの何が 悪いのか。むしろ、悪いのはネーダーではなく、多数決のほうではないのか。それは人々の意思を集約する仕組みとして深刻な欠陥を抱えている ということではないのだろうか。
<いったい私たちは多数決の何を知っているというのだろうか。>
・それはいつ、何を対象として、何のために使われるべきものなのか。
・利用上の注意点は何か。
・どんなときに他の手法に取って代わられるべきなのか。
・重要な物事を決めるときには、何%の賛成が必要とされるべきなのか。
・家電製品のように説明書きがいるのではなかろうか。
たとえば・・・
1位に3点、2位に2点、3位に1点というように、順位に等差のポイントを付け加点していく<ボルダルール>は、票の割れ問題にとても強く、 「どの候補者を一番に支持するか」しか表明できない多数決の欠点をカバーして、二番や三番への意思表明を救い上げることができる、とか、
半数にも満たない有権者が、衆参両院に3分の2以上の議員を送り込むことさえできる小選挙区制のもとでは、国民投票における改憲可決ライン は、現行の過半数ではなく、64%程度まで高める必要がある、などなど、
(64%多数決ルールの詳しい説明と、その数学的根拠について興味がある方は、是非ご自分でお読みください。)
投票をめぐる議論をテーマとして、<多数決>が抱える様々な難点に関する精査と、その代替案を探索しようとした、これは<社会的選択理論> の最新の成果に基づく、まことに切れ味鋭い模擬試験の模範解答集なのである。
伝統や宗教による支配――それはときに伝統や宗教の名のもとに人が人を服従させることだ――を避けたいならば、自分たちのことを 自分たちで決めたいならば、自分たちでそれが可能となる社会制度を作り上げねばならない。これは単なる論理的必然であり、民主政も共産政も へったくれもない。
2015/6/25
「日本語の科学が世界を変える」 松尾義之 筑摩選書
なぜ日本人は英語で科学をしないのだろうか。フィリピンやインドネシアなど東南アジアの国では、最初から英語で科学教育を進めて いるところが多い。なぜ日本(と中国)だけが違うのか。
その理由は、日本語の中に、科学を自由自在に理解し創造するための用語・概念・知識・思考法までもが十二分に用意されているからである。
<日本人は日本語で科学をする>
この、日本では第一線級の科学者ですらが、当たり前ではないかと思ってしまっている現実が、実際には世界では極めてまれなケースなのだ ということ、そして、たとえばノーベル賞を受賞して話題になった益川博士のように、英語をほとんど話せない科学者が人類最高の仕事をして しまうことが、驚きを持って受け止められているということを、日経サイエンス誌の編集など、科学において<翻訳>という作業が関与する場面 で、長年に渡り何度も何度も体感してきたという科学ジャーナリストが、断言して見せたのは、
むしろここにこそ、21世紀に入ってほぼ毎年1人のノーベル賞受賞者を輩出する科学文化を創り上げると共に、従来存在しなかった画期的な 新技術・新製品の大半を生み出すなど、独自の科学的思考により常に世界をリードして、卓抜した成果を上げ続けてきた、日本の科学・技術の 質の高さの秘密が隠されているのではないかということだった。
とくに江戸末期、集中的に必死になって西欧文明を取り入れた時には、概念そのものがそれまでの日本文化に存在しないものも多かった。 しかし、私たち日本人は、それを英語のまま呑み込んでしまうことをせず、日本語の知識体系として咀嚼せんがため、まずは新たに言葉を作る ところから始めようとした。そのように、「日本語主導で独自の科学をやってきたからこそ、日本の科学や技術はここまで進んだのではないか」 というのである。
<きちんと日本語で文章表現できない人が、英語できちんと科学を表現できるはずがない。>
<日本語で論理的に考えられない人は、英語でも論理的に考えられない>
という当たり前の事実に気付けば、母国語が日本語である人が、これからは世界を相手にするのだから、英語力をこそ磨かねばならない、などと いった、現在の日本の教育界を取り巻く風潮が、愚の骨頂であることは改めて言うまでもないが、ことはそれだけにとどまらない。
もしもこの著者が声高に主張するように、<日本語による素晴らしい発想や考え方や表現は、英語が持ちえない新しい世界観を開いていく可能性 が高い>のであるとすれば、
「科学者は1割でも2割でもいいから、英語によるつまらない論文書きを減らしなさい」
ドングリの背比べのような英語論文の生産数は減らして、次世代の若者の心を掻き立てるような日本語による教科書や科学啓蒙書を書くべきだ。 これが、日本語の科学をより豊かにし、さらなる発展の道へと至るための処方箋だというのだった。
日本語で科学ができるという当たり前でない現実に深く感謝すること、この歴史的事実に正面から向き合ってきちんと評価し大切に伝統を 保持していくこと、それが日本語で科学することの意義であり責務である。それは日本の科学や技術を発展させる原動力となり、世界中の人々が 望んでいることにつながっていくはずだ。
2015/6/20
「日の名残り」 カズオ・イシグロ ハヤカワepi文庫
品格の有無を決定するものは、みずからの職業的あり方を貫き、それに堪える能力だと言えるのではありますまいか。並の執事は、 ほんの少し挑発されただけで職業的あり方を投げ捨て、個人的なあり方に逃げ込みます。・・・偉大な執事が偉大であるゆえんは、みずからの 職業的あり方に常住し、最後の最後までそこに踏みとどまれることでしょう。・・・まさに「品格」の問題なのです。
イギリスの名門「ダーリントン・ホール」の有能な執事であるスティーブンは、新しく仕えることになったアメリカ人の富豪ファラディー氏の 勧めに従い、短い休暇をとって国内ドライブ旅行に出た。長年仕えてきたダーリントン卿は、ナチス政権に対する宥和政策を進めたことにより 戦後失脚し、失意のうちに廃人同然となったため、残されたホールを(執事ごと)ファラディー氏が買い取ったのだ。
生まれて初めての旅に出たスティーブンは、これまで本でしか知らなかった、イギリスの美しい田園風景を堪能しながらも、ふと気づけば いつの間にか心に思い浮かべているのは、敬慕するダーリントン卿の華やかな暮らしを懸命に支え、品格ある執事たらんと務め続けた、 あの輝かしい日々の思い出ばかりなのだった。というわけで、
長編
『わたしを離さないで』
短編
『夜想曲集』
のいずれもが暇人を見事に打ちのめしてくれた、あのカズオ・イシグロの、これはかなり初期のころにブッカー賞を受賞した正真正銘の逸品 なのである。
あのアーチの下に立ち、その日の出来事を――すでに起こったこと、そしていま起こりつつあることを――さまざまに考えておりましたとき、 私にはそのすべてが、これまでの執事人生で成し遂げたことの集大成のように感じられたに違いありません。あの夜の勝利感と高揚については、 ほかにふさわしい説明はないように思われます。
わずか6日間の小さな旅の、これは4日目の午後の思い出語りの抜粋なのであるが、そのすぐ後には、かつてダーリントン・ホールで女中頭を 務めていたミス・ケントンとの十数年ぶりの再会があった。最盛時17人もの雇人を遣い回していたダーリントン・ホールを、客室の何部屋かは 塞いだとはいえ、わずか4人で切り盛りせねばならず、昔なら考えられないようなミスを連発するようになってしまった。もしもその気がある のなら、ミス・ケントンに復帰してもらえまいかと話を持ち出すのが、今回のこの小旅行のもう一つの目的でもあったのだ。
にもかかわらず、ミス・ケントンとの再会の顛末は、空白の5日目を間に挟んで、丸2日も後になった6日目の夕刻に、海に落ちる夕日を眺め ながら、桟橋で出会った見知らぬ男との会話と共に明かされることになる。
執事人生の集大成を迎えたと勝利感に浸っていたあの日の夜、ダーリントン・ホールはイギリス首相・外相とドイツ大使の密会という歴史的な 舞台となっていた。あの瞬間、確かにそれは世界という「車輪」の中心に立ち会うという、執事冥利に尽きる至福の時であったには違いない。 しかし、その夜はまた、知合いとの食事に出かけていたミス・ケントンが、かねてからの結婚の申込みを受け入れたのだと告げた、同じ夜でも あった。
「ミス・ケントン。あなたには衷心よりおめでとうを申し上げます。しかし、繰り返しますが、いま、この瞬間、世界的な重要事が二階で 繰り広げられつつあるのです。私は急いで持ち場に帰らねばなりません」
あの時、ミス・ケントンの部屋のあかりが漏れるドアの前の廊下に佇んで、私からほんの数ヤードのところで、彼女は泣いているのだと、 確信していながら、自分は「地位にふさわしい品格」を保ちつづけたと、おそらく父(伝説の執事なのだ)も誇りに思ってくれただろうと、 その光景を心の隅に追いやってしまったスティーブンにとって、
十数年後に知らされることになったその<涙>の意味を、薄々気づいていたとはいえ本当に呑み込んでしまうためには、少なくとも2日の時間が 必要だったということなのだろう。
まことに<夕日>は目に染みるのである。
卿は勇気のある方でした。人生で一つの道を選ばれました。それは過てる道でございましたが、少なくとも選ぶことをなさいました。しかし、 私は・・・私はそれだけのこともしておりません。私は選ばずに、信じたのです。卿にお仕えした何十年という間、私は自分が価値あることを していると信じていただけなのです。自分の意思で過ちをおかしたとさえ言えません。そんな私のどこに品格などがございましょうか?
2015/6/18
「どんな数にも物語がある」―驚きと発見の数学― Aベロス SBクリエイティブ
最高のジョークと同じように、優れた定理も予想外のことを教えてくれる。新しい考え方、新しい視点を示してくれるのだ。ジョークを 聞くと、声を出して笑う。数学を学ぶと、驚きで息を飲む。僕は子供の頃、まさにその驚きにやられて、数学に恋してしまった。これほど予想を 裏切りつづけてくれる学問はほかにないのだ。
「1から50までのあいだで、2桁の奇数を思い浮かべてください。ただし2つの数字が違うものでお願いします。15はいいですが、11は 駄目です。」
とマジシャンに言われたあなたは、きっと<
37
>を思い浮かべてしまったに違いない。(注:空欄をなぞると 答えが出ます。)50以下の2桁の奇数で、2つの数字が違うものは実は8つしかなく、そのうち15は例に出してあるから多分選ばれない、 など、この問いには種も仕掛けもあるのだが、基本的に、人は7で終わる数を選ぶ傾向がとても強いものなのである。
という、数そのものの性質にまつわる、興味津々の話題から始まって、
三角形と測量の話。
(角度を測れば距離がわかる)
放物線と円錐曲線の話。
(惑星の軌道が楕円であるという発見)
正弦曲線と回転の話。
(すべての周期波を数式化できるフーリエ級数)
指数関数的増加とeの話。
(カテナリー曲線とガウディの建築)
虚数iと複素平面の話。
(eのiπ乗に1を足すと0になるオイラーの公式)などなど、
小学校で習ったような算数の話に、「ふむふむ」と気楽に相槌を打っているうちに、気がつけばいつの間にやら、フラクタル、微積分、集合論、 セルオートマトン(この「ライフゲーム」の世界は圧巻である)など、世界最高峰の数学者たちの肩に乗って、これまで見たこともないような 景色を堪能している自分に気づくことになる。
数学の世界は、<はまる>ととても危険なのである。
この本のねらいは、あなたにも同じように驚いてもらうことだ。僕の好きな数学の概念を紹介して回って、僕たちの生活のなかにもそれが 息づいている様子を探っていく。論理的思考の美しさ、有用性、そして面白さを味わってほしい。
2015/6/16
「幸せな死のために一刻も早くあなたにお伝えしたいこと」
―若き外科医が見つめた「いのち」の現場三百六十五日― 中山祐次郎 幻冬舎新書
あなたは、何歳くらいで死にたいですか?そして、理由は何がいいですか?
せっかく考えていただいたのですが、残念ながら私に正解はわかりません。現代の医学では、たとえ遺伝子検査を行っても、答えはわかりません。
ですが、多くの人がどう答えるかはだいたい見当がつきます。
@ 平均寿命の80歳くらいに、痛くない病気か一瞬で死ぬ事故でぽっくり死にたい。
A 百歳頃、老衰で死にたい。
B わからない。
というのが、以前行ったアンケート上位3位の回答であり、そこには「どれも現実的ではない」という共通点があるというのである。
・再来年頃、夫婦でアフリカ旅行中に蚊にさされてマラリアに感染し死にたい。
・60歳頃、家の近所で犬の散歩中に、突然倒れてきた自動販売機の下敷きになって死にたい。
・40歳で課長になった頃に、家庭と仕事のプレッシャーでうつ病になり自殺したい。
・68歳で、胃がんと大腸がんを同時に発見され、大きい病院で手術を受けたがうまくいかず死にたい。
なんて、こんなに具体的に答える人はまずいないわけだが、実際にはこちらの方が「十分にありうる」事態なのである。
<あなたはきょう以降のいつか突然、余命を宣告される。>
これが、いのちの現場にいる医師なら誰でも知っている現実であり、余命を宣告されるのであれば、まだいい方だというのだった。
医者になって9年目、都内の病院で大腸がんの手術専門に非常勤として働いている、現役の外科医師が、臨床の現場で実際に体験した様々な ケースについて、そのなかで感じたたくさんの違和感や、「おかしいだろう」という思いを呟いた、これは、新世代トークアプリ「755」の 書籍化ということなのだが・・・
この著者の「一刻も早くお伝えしたいこと」とは、実は「幸せに生きる」ための、三つの処方箋だった。
@「幸せのハードルを、自分で動かす(下げる)」
(幸せはいつも自分の心が決める)
A「代わりがいるから、自由になれる」
(好きに生きていいというゆとりを持つ)
B「いつ死んでも後悔するように生きる」
(今目の前にあるミッションに夢中で取組む)
なぜなら、あなたは死んでしまってもういないのだから、あなたの「幸せな死」とは、あなたにとって大切な誰かの「幸せ」でなければならない はずなのである。
いったいどうやったら「幸せに死ぬ」ことができるのでしょうか?
私は、幸せに死ぬためには、幸せに生きることが必須だ、と考えています。
前にもお話ししたように、「人は生きてきたように死んでいく」からです。
2015/6/15
「暇と退屈の倫理学」 國分功一郎 太田出版
なぜ暇は搾取されるのだろうか?それは人が退屈することを嫌うからである。人は暇を得たが、暇を何に使えばよいのかわからない。 このままでは暇のなかで退屈してしまう。だから、与えられた楽しみ、準備・用意された快楽に身を委ね、安心を得る。では、どうすればよい のだろうか?なぜ人は暇のなかで退屈してしまうのだろうか?そもそも退屈とは何か?
<暇のなかでいかに生きるべきか、退屈とどう向き合うべきか?>
およそ1万年前に、<遊動生活>の伝統を放棄して、一所にとどまり続ける<定住生活>を選んだ「定住革命」以来、私たち人類が延々と 悩ませられることになった、この厄介な問題に答えを出さんがために、
ラッセル『幸福論』
パスカル『パンセ』
ヴェブレン『有閑階級の理論』
ボードリヤール『消費社会の神話と構造』
ユクスキュル『生物から見た世界』などなど、
過去多くの先人・哲学者たちが挑んできた「暇と退屈」に関する論考の全体像をほぼ視野に治めながら、自分なりに辿りなおしてきた道筋を、 論理明晰にして懇切丁寧に、つまりはとてもわかりやすく示してみせる。
たとえば、ハイデガーの『形而上学の根本諸概念』によれば、退屈には、
<何かによって退屈させられること。>(第一形式)
<何かに際して退屈すること。>(第二形式)
の2種類があり、第一形式が<待たされる>など<気晴らし>を必要とする<退屈>であるのに対し、第二形式は<パーティに出る>など、 いわばその<気晴らし>そのものが<退屈>ということになる。つまり、第一形式は「暇で退屈している」のに、第二形式では「暇ではないが 退屈している」と、そのレベルが1段階深くなっているのだ。そして、もはや気晴らしさえ不可能な、最高度に深い第三形式の退屈が語られる。
<なんとなく退屈だ。>
私たちは、この心の声を聞くことを恐れて、日常の仕事に逃れ、没頭し、奴隷となった結果、第一形式の退屈を感じるに至るというのである。
というわけで、この本は、いささか<いじくらしい>部分を我慢して付いていくことさえできるならば、
<なぜ人は退屈するのか?>
という究極の問いに、読者も道連れにしたまま迫ろうとしてみせてくれる、「暇つぶし」と「退屈しのぎ」には最強の一冊なのである。
2015/6/6
「天使と悪魔」(上・中・下) Dブラウン 角川文庫
一瞬、呼吸が止まった。トラックに激突されたかのようだ。わが目を信じられぬまま、ふたたび紙を回転させて文字を確認し、それから また逆さにした。
「イルミナティ」もう一度つぶやいた。
ラングドンは呆然と椅子に倒れこみ、衝撃のあまりしばらく動けずにいた。やがて、ファクシミリ受信機の明滅する赤ランプに目を引かれた。 何者であれ、この写真を送りつけた相手はまだ電話の向こうにいて、話をしようと待っている。ラングドンは明滅する光を見据えた。
そして、身震いしつつ、受話器をとった。
「興味を持っていただけましたね」
と突然名乗り出たのは、欧州原子核機構(セルン)所長のマクシミリアン・コーラーで、研究所の科学者でカトリックの司祭でもあるレオナルド・ ヴェトラが、胸に<イルミナティ>と読める焼印を押された奇怪な暗殺死体で発見されたのだと告げる。ハーヴァード大学で宗教象徴学を専門と するロバート・ラングトンに、この左右双方向から同じように読める<アンビグラム>という不思議な紋章の謎を解いてほしいという依頼だった。
<イルミナティ>
それは16世紀に、教会による“真理”の独占が世界全体の啓蒙を阻害すると反旗を翻したことで、教会から過酷な迫害を受けて地下に潜った、 世界で最も古い科学の秘密結社とも呼ぶべき集団の名だった。ヴェトラは最近極秘裏に、神の創造の謎にも迫る<反物質>の大量生成に成功して いたのだが、暗殺者はそれを秘かにヴァチカンへと持ち去っていた。これは、半世紀以上も前にその消息を絶ったはずのイルミナティによる、 ローマ教皇への怨念に充ちた復讐が始まることの宣言なのだろうか。
ヴェトラの娘で共同研究者でもあったヴィットリアと共に、ラングトンは世界崩壊にも結びつきかねない<反物質>の行方を追って、ヴァチカン へと飛ぶのだったが、折しも、前教皇死去による新ローマ教皇選挙会<コンクラーベ>当日のヴァチカンでは、次期教皇有力候補の4人が揃って 失踪するという事態に陥っていた。というわけで・・・
これは2003年に映画化されたことで大ベストセラーとなった、あの
『ダ・ヴィンチ・コード』
のシリーズ第1作だったため、2004年にあわてて翻訳されたものなのだが、そんなものを、なぜ今さら読んだのかといえば、 その後すぐに映画化されたものを先に見てしまったからなのだ。(本当に我ながら困った性格なのである。)
で、実はあの映画、見ている途中で寝てしまったという苦い経験があったため、本の方も随分昔に買っておきながらなかなか手が伸びなかった のだが、これが、読み出したら止まらない面白さで、今度は寝不足を心配せねばならない事態という始末。
考えてみれば、<宗教と科学>の対立の図式を本家本元を舞台に描くという筋立てが面白くないはずがないわけで、映画の方には、余計な配慮 (あるいはその筋の圧力?)が働いていたということなのだろう。
2015/6/5
「アホウドリを追った日本人」―一攫千金の夢と南洋進出― 平岡昭利 岩波新書
周囲を海に囲まれた日本。その周辺には多くの無人島が点在するが、鎖国から解放された明治以降、日本人は小さな船を繰り数々の 危険を冒し、これらの無人島へ、さらに大海原を越えて広く太平洋の島々へと進出した。たとえば、伊豆諸島最南端の断崖絶壁の鳥島、 岩だらけの尖閣諸島、日本最東端の低平な南鳥島などがそうである。
<なぜ日本人は何の目的をもって、命がけで絶海の孤島を目指したのであろうか。>
今から40年前、沖縄本島の東方360kmに位置し、20mを超える断崖絶壁に囲まれて、見るからに人を寄せ付けない雰囲気の島、南大東島 の地理学の調査を行っていた著者は、明治33年にこの島に上陸した後、ジャングルの木々を切り倒して開拓し、今日のようなサトウキビ農業の 島に変貌させたのが、実は、伊豆諸島の八丈島から2000kmを超える航海を経て、はるばるやってきた人々であった、という驚愕の事実を 知り、心の片隅に釈然としない思いを抱え続けることになった。
<どうして八丈島の人々は、わざわざ南大東島の断崖絶壁をよじ登る気になったのだろうか。>
それから十数年後、念願の八丈島へと向かった著者は、明治時代に伊豆諸島最南端の鳥島に進出した八丈島出身の大工、玉置半右衛門の存在を 知る。彼は何百万羽というアホウドリを捕獲して羽毛を採取、それを外国商人に売却して莫大な利益を得、一代にして巨万の富を築いた。
断崖絶壁や低平で人の居住に適さない無人島は、鳥類にとっては天国の地である。そのためか、人を恐れず容易に捕獲された「信天翁」は、 「アホウ」呼ばわりされることになったのだが、確かにいともあっけなく「撲殺」することができた。
それが、ヨーロッパ市場では驚くほどの高値で売買されるとなれば・・・、無人島発見時には数百万羽生息していたはずの「アホウドリ」が、 短期間のうちに人間の手によって絶滅の危機に追い込まれるのも、ものの道理というものだった。
<玉置の成功に刺激された日本人は、小船と棒、袋さえあれば、一攫千金が狙えるアホウドリを捕獲する行動に駆り立てられ、それが日本人の 海洋進出への引き金となったのでは?>
これは「バード・ラッシュ」という<一炊の夢>を追い掛けた男たちの足跡を辿るうちに次第に明らかになった、日本「帝国」近代史に 秘められた禁断の過去の記録なのである。
「アホウドリ」から得られる富に誘われて無人島に進出した人々は、乱獲によりそれが激減すると、グアノ(鳥糞)へ、次はリン鉱へとその行為 目的を変えて、利益を求め続けることになるが、そのためには資本力が求められたため、その行為主体は、商業資本から独占資本へ、そして最後 には国家による武力進出を誘因することになる。そして、資本力を持たないものは、次なる無人島を探し求めて広大なる太平洋へ、再び海へ海へ と競うように漕ぎ出していったのである。
外ならぬ「アホウドリ」の捕獲への日本人の欲求が、わが国の領土を拡大したということなのだった。
筆者の専攻する地理学は、マクロ的には地球を、ミクロ的には村落など、地域のさまざまな現象を俯瞰しながら、人間と地域に関わる疑問を 見いだす科学である。「どうして、こんな所に村があるのか」「この街の区画は、どうして正方形ブロックなのか」など、風景を眺めるだけでも、 さまざまな疑問が湧いてくる。その疑問を突き詰めると、思わぬ発見がある。
先頭へ
前ページに戻る