徒然読書日記201504
サーチ:
すべての商品
和書
洋書
エレクトロニクス
ホーム&キッチン
音楽
DVD
ビデオ
ソフトウェア
TVゲーム
キーワード:
ご紹介した本の詳細を知りたい方は
題名をコピー、ペーストして
を押してください。
2015/4/30
「目の見えない人は世界をどう見ているのか」 伊藤亜紗 光文社新書
私たちはついつい目でとらえた世界がすべてだと思い込んでしまいます。本当は、耳でとらえた世界や、手でとらえた世界もあっていい はずです。物理的には同じ物や空間でも、目でアプローチするのと、目以外の手段でアプローチするのでは、全く異なる相貌が表れてきます。 けれども私たちの多くは、目に頼るあまり、そうした「世界の別の顔」を見逃がしています。
そんな「世界の別の顔」を感知できるスペシャリストともいうべき視覚障害者やその関係者6名との、インタビューと称した何気ないおしゃべり の中から、晴眼者である著者がとらえた、これは「見えない人」の世界の見方に関する、興味津津のレポートなのである。たとえば・・・
<視覚を遮れば見えない人の体を体験できる、というのは大きな誤解である。>
見える人が目をつぶるのは、単なる視覚「情報」の遮断であって、引き算である。見えない人の耳の働かせ方、足腰の能力、言葉の定義など、 見える人とはちょっとずつ違う視覚抜きのバランスで世界を感じてみるということ。異なるバランスで感じると、世界は全く違って見えてくる。 つまり同じ世界でも見え方、すなわち「意味」が違ってくるのである。
<見えない人はある意味で脳の中に余裕がある。>
目がとらえる情報の多くは、本当は自分にはあまり関係のない=「意味」を持たない、純粋な「情報」であふれてしまっている。見えない人は こうした「情報」の洪水とは無縁であり、脳の中に余裕があるので、限られた情報を結びつけて「意味」を生み出しているのである。
<3次元を2次元化することは、視覚の大きな特徴のひとつである。>
「八の字の末広がり」という富士山の書割のように、視覚は「奥行きのあるもの」を「平面イメージ」に変換してしまう。しかし、見えない人は 「視点」というものを持たないので、空間を空間として3次元のままとらえている。つまり、見える人には必ず「死角」があることになる。 (視覚がないから死角がない?)
<見える人は「推理しながら見る」ことに慣れていない>
見えない人の美術鑑賞は、見える人の言葉を聞きながら、作品をイメージする、という手に入る限られた情報から事件の全貌を推理する探偵の ような仕事になる。見える人は視覚が全体像を与えてくれることに慣れてしまっているので、言葉の意味は分かっても、それをつなげることが できず、全体としてどんな印象になるのかを想像することができない。
などなど、まさに<見えない>ことは欠落ではなく、脳の内部に新しい扉が開かれること。(@福岡伸一)なのだった。
見えない体にフォーカスするからといって、必ずしもそこから得られるものが限定的だというわけではありません。障害者とは、健常者が 使っているものを使わず、健常者が使っていないものを使っている人です。障害者の体を知ることで、これまでの身体論よりもむしろ広い、体の 潜在的な可能性までとらえることができるのではないかと考えています。
2015/4/27
「サイエンス異人伝」―科学が残した「夢の痕跡」― 荒俣宏 講談社ブルーバックス
科学という作業は、たしかに厳密な証明や厳密な推論から成り立っているけれど、しかし科学それ自体は、ひとがおこなう行為の一つ といえる。ひとがすることであるから、もちろん、思い込みもあれば勘違いもあり、また欲望やら陰謀やらも織り込まれている。つまり、完全な ドラマといえるような歴史を積み上げてきた。
人間的なドラマの連続としての「科学の歴史」の、その人間部分に光をあて、社会と影響しあった科学の裏面にある「非合理的な人間ドラマ」を 紹介すること。
生物学、神秘学、伝奇から風水まで、多方面にわたり八面六臂の活躍を続ける希代の博物学者・荒俣宏が、今回は科学が残した「夢の痕跡」を 渉猟せんと、19世紀からヨーロッパの新しい科学立国を目指したドイツ(第1部)と、そのドイツに学んで科学をビッグビジネスに導いた20 世紀のチャンピオンたるアメリカ(第2部)の、これは、自らの興味赴くところとあれば、観客を置いてきぼりにしてしまうことなど厭わない、 危険な水先案内人と共に、二カ国の代表的な「科学博物館」を巡り歩くという探訪記なのである。
貧しく虚弱なレンズ磨きの少年が、望遠鏡をも“検眼”する技術によって天体を組成する物質の謎を解き明かすことになった。
――ヨーゼフ・フォン・フラウンホーファー
原版に線を彫りこむことなく画像をプリントできる技術、石版の発明によりシルエットの美学を確立し、写真術への道を開いた。
――アロイス・ゼネフェルダー
鳥と同じ<はばたき>と<滑空>いう方式にこだわり、鳥に憧れ、鳥になりたくて、人工の翼を発明し、自身が鳥となって、恍惚としながら 飛びまわった。
――リリエンタール兄弟
に対し、自転車屋だったため、自転車に乗るのと同じバランス・コントロール感覚を要する空中自転車を発明した。彼らにとって飛行機は神の鳥 ではなく、ただの操縦可能な機械にすぎなかった。
――ライト兄弟
<自動車> ダイムラー
<潜水艦> バウアー
<通信機> ジーメンス
<コンピューター> バベジ
<ロボット> ジャケ=ドローズ
<電話機> ベル
<ロケット> フォン・ブラウン
そして、<メンロパークの魔術師> エディソン
う〜む、なるほど。
<科学者ほど楽しく、しかも切なく、それでいて限りなくチャーミングだったひとたちなんて、そうはいない。>
かねてより20世紀という時代の痕跡を、科学と産業技術の面からあとづけたいと熱望していた私にとって、必要なのは、科学史そのもの ではなく、人間化されたドラマ仕立てになった科学の見世物面であった。楽天的でしかも驚異にみちた、科学の興行的な面が知りたかったので ある。なぜならば、私たちに何かを欲求させるきっかけになるのは、単純な感情の高揚だからだ。便利さも楽しさも豪華さもぜいたくさも、 何もかも手にいれてしまった21世紀の子らにとって、残る愉しみは、心が震えるような「驚異」しかないのだ。
2015/4/19
「捏造の科学者」―STAP細胞事件― 須田桃子 文藝春秋
「従来想定できなかったような新規の医療技術の開発に貢献できると思っています。例えば、これまでだと生体外で組織をつくり移植 するという方法が考えられておりますが、生体内での臓器再生能の獲得が将来的に可能になるかもしれないし、がんの抑制技術にも結びつくかも しれない。一度分化した細胞が赤ちゃん細胞のように若返ることを示しており、夢の若返りも目指していけるのではないかと考えております。」
2014年1月28日。神戸市ポートアイランドにあるCDB(理研発生・再生科学総合研究センター)に詰めかけた約50名の報道陣を前に して、誇らしげにフラッシュライトを浴びていたのは、
<付けまつげをしているらしき目はぱっちりとしていて、両肩に垂らしたやや茶色い髪は緩くカールされている。丸襟の白いブラウスに黒の カーディガンという姿は、個性的と言うよりも清楚な印象だ。>
まだ30歳前後のうら若き女性の身ながら、米ハーバード大学のバカンティ教授からは「ライジングスター」とのお墨付きをいただいたことで、 その外見とはまことに不釣り合いながらも、颯爽と理研の研究ユニットリーダーの地位を射とめていた、小保方晴子という無名の研究者だった。
マウスの細胞に、酸にさらすなどのストレスを与えるだけで、何も手を加えなくても細胞が受精卵に近い状態に初期化され、ES細胞やiPS細胞 のように、体のあらゆる細胞に分化する能力を持つ万能細胞に変化した、というのである。
これが、「STAP細胞」が私たちの目の前に<登場>した瞬間だったのだが、もちろんこの時点では、この発表からわずか2週間後には、ネット 上で論文に対する様々な疑義が突き付けられるようになり、やがてはCDBそのものの解体にまでつながりかねない、 「科学史に残るスキャンダル」になろうことなど、
割烹着姿の若き乙女が快挙を成し遂げたことを、ただ囃したてるばかりのジャーナリズムや、ノーベル賞を受賞したiPS細胞を超える発見に 酔いしれ、真偽を確かめることもなく全面的にサポートする体制で臨んだ理研の名だたる先輩科学者たちは、言うまでもなく、当の小保方さん だって、夢にも思っていなかったに違いないのである。(いや、そのはずだ。最初から騙すつもりでやってしまったのではないと信じたい。)
というわけで、この本は、<iPS細胞を使った世界初の心筋移植手術>を実施したと発表した森口尚史の欺瞞に気付き、その記事化を見送った ことなど、科学知識に対する造詣の深さで定評もある、毎日新聞東京本社科学環境部の須田桃子記者が、「STAP細胞事件」の顛末を、ことの 発端から一応の幕引き(笹井氏の自死とCDBの解体)に至るまで、様々な関係者に対するオフレコのインタビューやメールのやり取りを交えて、 まとめあげたものなのである。
「このままの幕引きは科学ジャーナリズムの敗北だ」と考える著者の関心は、あくまで「どうしてこのような捏造が行われることになったのか」 というところにあるわけで、「STAP細胞があるのか、ないのか」その再現実験により、黒白を付けることのみにこだわった理研の回答では、 問題意識の溝を埋めることはできなかった。ひょっとしたら「STAP細胞はある」のかもしれない(多分ないだろう)が、今回の捏造事件の 問題はそこにはなかったということのようなのである。
小保方氏は「私は学生の頃からいろんな研究室を渡り歩き、研究の仕方が自己流で走ってきてしまった。本当に不勉強で、未熟で、情けなく 思っている」と声を詰まらせた一方で、研究成果の真偽については、「STAP細胞はあります」と言い切り、「200回以上成功している」 「今回の論文は“現象論”を示したもので、(STAP細胞作製の)“最適条件”を示したものではない。さらにたくさんのコツやある種の レシピのようなものが存在しているが、新たな研究論文として発表できたらと考えている」などと述べた。
2015/4/16
「東大柳川ゼミで経済と人生を学ぶ」 柳川範之 日経ビジネス人文庫
「わざわざ時間を使って高いバス代をかけて、ここまでやってきたのよ。何も買わずに帰ったら、何のために高いお金を出してここまで 来たのかわからないわ」
そんな声を、アウトレットで耳にしたこともあります。たしかに!と思わせる言葉です。
でも、よく考えてみましょう。アウトレットで、高い洋服を買って帰ったからといって、バス代が返ってくるわけではありません。ましてや、 来るのにかかった時間が戻ってくるわけでもありません。
もう何をしても戻ってこない、いずれにしても掛かってしまうコストのことを、<サンクコスト>という。<何かを選んだり、決めたりするとき は、このサンクコストは無視して考えること>が大切なのである。という、「試験勉強と買い物の賢い選択術」から始まって、
「<なじみの店>をつくるのは、よい?悪い?」
(自分が何かを選ばなかったことで犠牲になったコスト――機会費用)
「恋愛、あるいは研究における一番大切な心得」
(選択肢や変更可能性があることによる価値――オプション価値)
「行列のできるラーメンは、なぜ貴重なのか」
(モノやサービスが十分には存在しないこと――希少性)
「幹事の優秀さは二次会で決まる」
(起こり得るそれぞれの状態に合わせてプランを描いておくこと――コンティンジェンシー・プラン)
「レストランと客の駆け引きから考える経済」
(相手と自分との間で持っている情報やないように差があること――情報の非対称性)
「未来に向けて植林をする老人の話」
(将来世代のことを考えて行動する人たちに関する経済学モデル――ダイナスティ・モデル)
「夢を描くとき、知っておくべき方法論」
(危険性を分散させるために複数の対象にどう投資するかを考える理論――ポートフォリオ理論)
と、日常のありふれたシーンから始まったとてもわかりやすい議論に乗せられているうちに、いつのまにか経済学の肝ともいうべき理論に、 暇人は導かれていったのだが、元々の題名が『元気と勇気が湧いてくる経済の考え方』であったことからもわかるように、どうやら、この著者の 狙いは、それとは逆のようなのではある。
スポーツがうまくなるにもコツがあるように、未来を考えていくときにも、考え方のコツがあります。そんなコツを「経済の考え方」を使って 整理してみたのがこの本です。コツをうまく掴んでちょっと見方を変えれば、きっと、世界はもっと違って見えてくるはずです。
2015/4/14
「日本史の森をゆく」―史料が語るとっておきの42話― 東京大学史料編纂所編 中公新書
セレクションを経た古文書は、その理由となった事柄については多くを伝えるが、それ以外を語ることは少ない。一方、選択を受けて いない廃棄書類は、有象無象の情報を抱え込んでいる。まとまると極めて雄弁である。・・・聞き方を工夫すれば、知られていない事柄をいくら も教えてくれる。現代でもお役所の生の書類はあぶない。
<当時の人々が何を着たか>
<何を食べたか>
<物価はどれほどか>
<どんな病気をしたか>
<月に何日くらい働いたか>
<どんな名前があったか> などなど、
正倉院文書は、東大寺の写経所で利用保存されてきた書類が、奈良時代の終わり頃にまとめて廃棄されたもので、何かの理由で選ばれた書類では ない。いわばゴミだからこそ、具体的な生活情報を次々に語ってくれる、「宝の山」なのだ。
というまことに興味深い論考「正倉院文書は宝の山」を手始めにして、史料に秘められた42編もの逸話を集めたこの本は、東京大学史料編纂所 に所属する「史料読みのプロ」たちが、それぞれに追及する多様なテーマにそって、万華鏡のように展開する、歴史秘話のアンソロジーである。
「手紙が返される話」
「オランダ人は名誉革命を幕府にどう伝えたか」
「中世一貴族の慨嘆」
「求む、お姫様」などなど、
「史料編纂」とは、様々な史料を集めてきて、それらを研究素材とし、翻刻し、再編成することなので、
・関係史料を集めること
・難解な文字を解読すること
・その史料の年代や歴史的文脈を考察し、位置づけること
がその研究の中味であり、その成果は「史料集」という形で公表されることになるのだから、論文であれば、直接テーマに関係しないからと省略 してよいような箇所も、可能な限り調査・収集し、手を抜くことなく正確に解読することが、必須なのだという。そのような、微に入り細を穿つ ような研究姿勢に支えられているからこそ、このように興味津津の名もなき歴史の物語が、まさに手に取るように目の前に展開されてくることに なるのだろう。
2015/4/6
「四次元時計は狂わない」―21世紀文明の逆説― 立花隆 文春新書
日本でいま世界最高の時計が作られつつある。それは、世界で最も精確な時計で、光格子時計と呼ばれる。なんと百億年に一秒しか 狂わないという。宇宙創生(ビッグバン)から動かしたとしても一秒しか狂わないのだ。
いま最も精確とされ、世界標準時刻に採用されているセシウム原子時計が数千万年に1秒狂うのに対し、一挙に千倍も精度がアップすることに なる。これくらい精度が上がると、我々の日常的な世界とは全く無縁と考えていた、アインシュタインの相対論的な「時空のちぢみ」まで測る ことができるようになるのだという。
たとえば、この時計を持ったまま歩く(実際には重くて無理だが)人がいたとすると、その歩行のスピードが時の刻みに変化を与えてしまうこと になる。つまり、どんな場所に置いても、いつでも同じように時間を刻むと考えられてきた時計が、時空がちょっとでもズレると、同じ時間を 刻まなくなってしまうのである。
で、そんな時計がいったい何の役に立つのかといえば、密度の違う物質の存在は微妙な重力の変化をもたらすため、あらゆる地下資源の探査に 使えるし、地殻変動によって起きる重力の変化も鋭敏に察知するので、プレートの移動が測れて、大地震の予知ができる。
クオーツ時計の発明により、個人が持ち運ぶ時計の精度の問題を解消してしまった、日本の時計づくりの技術は、いまや、精度の壁を超えた究極 のステージまで上り詰め、単なる時間の計測器ではない、全く異質の計測器を生み出そうとしているのだ。
という、「四次元時計」のお話を筆頭に、特に科学技術の分野で「日本はまだまだいける国だ」と思わせてくれるような注目すべきメッセージ 満載のこの本は、著者が「文藝春秋」に、2011年5月号から巻頭随筆として書き続けてきた、人気連載『日本再生』39編を新書にまとめた ものなのである。
「太陽の謎」(太陽観測衛星ひので)
「有人宇宙開発無用論」(無人探査機はやぶさ)
「有機合成新時代」(人工光合成)
「疑惑の細胞のこと」(STAP細胞)などなど、
74歳になっても、相も変らぬ旺盛な好奇心の赴くままに、様々な分野に目配りの利いた、小気味のいい切れ味の文明批評を楽しむことができる のは、第三の敗戦になることが明らかな<大震災>により、パニック状態に陥ったかのような日本の現況を見て、そこからの立ち直りをめざして 『日本再生』のタイトルを付けたという立花が、特に日本の科学技術の次世代について、いまだに自ら取材を欠かさない確かな裏付けに基づいて、 「日本はそれほどお先真っ暗ではない」という、明るい確信を抱いていることが、伝わってくるからなのだろう。
私は今年74歳を迎えたが、この年になって世の中が前より一層よく見えるようになった気がする。視覚能力が向上したわけではない。 雑多なもの、どうでもいいものは、最初から意識的に排除して、目の前にあっても見ないようにすることで世の中がよく見えるようになった ということだ。・・・一般に情報系は流れる情報のSN比(シグナル・ノイズ比)を高めれば高めるほど、シグナルの明晰性が高まるのだ。 そのためにはどうでもいい情報は捨てるにかぎるのだ。
2015/4/4
「異端の統計学 ベイズ」 SBマグレイン 草思社
ベイズの法則は、一見ごく単純な定理だ。曰く、「何かに関する最初の考えを、新たに得られた客観的情報に基づいて更新すると、 それまでとは異なった、より質の高い意見が得られる」この定理を支持する人からすれば、これは「経験から学ぶ」ということをエレガントに 表現したものにほかならない。・・・しかしこの定理を認めない人々にとって、ベイズの法則は主観性の暴走でしかなかった。
<ポーカーのプレイヤーの手札に三回続けて四枚のエースが来た場合、インチキが行われた可能性はどれくらいあるのだろう。>
不確実性を扱う数学である<確率論>というものが、まだ存在しないも同然だった1700年代初頭、<エースが四つとも手札に来る確率>と いった、ごく基本的な問題を扱うのが関の山だった状況のなかで、問題の出来事がこれまでに何度起きたか(あるいは、何度起きなかったか) といった過去の事実だけがわかっているときに、その出来事が今後起きる確率がどれくらいかを予想する、<逆確率>問題の本質を明確に把握 していたのが、イギリスの牧師トーマス・ベイズだった。
「当初の考え(事前確率)+ 最近得られた客観的なデータ(尤度)= より正確な新たな考え(事後確率)」
これは進化するシステムで、こうして得られた<事後確率>を次には<事前確率>として採用することで、新たな情報が加わるたびに<確信>へ と近づいていくことができる、というものだった。
つまりベイズは、今現在の状態に関する知識を使って、過去の出来事についての何がしかの評価と、さらにはその結論がどのくらい信頼できる のかを判断することまでを可能にしてみせたのである。しかも、出発点としてはとりあえず何らかの数値、「推測値」をでっち上げておいて、 情報が得られた時点でその数値を修正していけばよい、というまことに優れもののシステムだったのではあるが、
その「推測値」について、適切な判断を下せるだけの情報がない場合には、あらゆる可能性について等しい確率を割り当てておけばよい、という ベイズの安易な考えが、以後、200年もの長きに及んで、ベイズ理論が統計学の主流から見捨てられることになる、皮肉な結果を導くことに なった。これは、ベイズ統計学が歩むことになった数奇な遍歴の<きらびやかにして地道な奮闘の歴史>を、鮮やかに跡付けてみせた本なので ある。そして・・・
行方不明の靴下はないかと寝室を徹底的に探し、それでも見つからずにそそくさと浴室を探して、それでも見つからなければ、洗濯室にある 可能性が高くなる。<行方不明の靴下探し>と同じように、ふだん私たちが行なっている推論のやり方にナチュラルになじむ、この<ベイズ推定> という方法が、最良な推測全体と数学的に一致していることが証明され、ついに日の目を見ることになるためには、大量のデータ処理と複雑な 計算をこなす、コンピューターの進歩・普及を待たねばならなかったようなのである。
今ではベイジアン・スパム・フィルタが、ポルノ・メールや詐欺メールをさっさとコンピュータのゴミ箱に運ぶ。どこかで船が沈んだら、沿岸 警備隊はベイズ推定を使って、生存者が何週間も大海原を漂流しなくてすむようにその居場所を探り出す。・・・ベイズの手法は人間の脳が学習し たり機能したりする様子を示す比喩となり、著名なベイズ派の人々が、政府の各部署にエネルギーや教育や研究に関する助言を行なっている。
2015/4/3
「九年前の祈り」 小野正嗣 文藝春秋
船室に入らず甲板に出ていた人たちが希敏に向かって、バイバーイと手を振っていた。さなえは素早く希敏の背後に腰をかがめると 後ろから希敏の手首を握った。振らせようとしたけれど無理だった。小さな体の両側にぴたりと添えられた両腕は、かたくなにしまい込まれた 鳥の翼のようだった。鳥は自由に飛翔するのがいちばんなのだ。自由に飛んでいいのに、それを邪魔するものは何もないのに、そして翼を広げて 飛んでくれと懇願されてもいるのに、どうして翼を折りたたんだままでいられるのか。
<おまえが翼を折ったからだ>
今年35歳になるさなえは、東京での同棲生活に見切りをつけて、故郷・大分の海辺の小さな集落にある実家に戻ってきていた。もうすぐ4歳に なる息子・希敏(ケビン)は、長い睫毛のくりくりした目と整った鼻が、カナダ人(この土地の言葉でいえばガイコツ人)の父親にそっくりの、 天使のような容貌だったが、突然<引きちぎられたミミズ>のようになって、のたうちまわることでしか、自分を表現することのできない障害を 抱えていた。
そんなさなえが、<おまえが翼を折ったからだ>という非難を受けたような気がして、そうじゃないと否定する代わりに、息子の手首をさらに きつく握りしめたとき、突然九年前に役場の主催で町の陽気なおばちゃんたちと出かけたカナダ旅行の記憶が甦った。
<こんなふうに手首をつかまれたことがあった>
モントリオールの満員の地下鉄で、迷子にならぬように「人間の鎖じゃ」とお互いに手をつないだ、にもかかわらずはぐれてしまい、奇蹟的に 見つかった二人に仲間たちが投げかけた声。
「手を放したらいけんかったのに!」
<舞い戻ってきた鳥の群れが地面の虫をくちばしの先で奪い合うように笑う>九州の海辺の集落から来た女たちは、はぐれた仲間を見つけた安堵 から、怒りよりも喜びを、そして何よりも罪悪感を含めて、異国の地でも周囲の目をはばかることなく、故郷と同じ鳥の歌声を奏でていた。
本年度芥川賞受賞作品。
あの時、たまたま入った町の教会で、皆ではぐれた二人の無事を祈ってひざまずいた時、リーダー格のみっちゃん姉だけが随分長く、何を祈って いたのだったか?
「危ねえっ!」
背後から船長が叫ぶのが聞こえた。希敏が宙に一歩踏み出したちょうどその瞬間、さなえは希敏の左腕をつかんだ。
あっ!
その声は発せられるや、一羽の小鳥となって空高く舞い上がった。どこに消えたのか、もう見えなかった。希敏の声だったのだろうか。それとも さなえの声だったのだろうか。
母にぐいと引っぱられたはずみに、希敏は握っていたガラスの小瓶を放した。さなえは手を伸ばしたが遅かった。
「手をちゃんとつないでおかんから! 手を放したらいけんが!」
重い病で入院したみっちゃん姉の息子さんの健康回復を祈願するため貝殻を取りに行った船旅の途上、再びあの鳥の歌声を耳にしたさなえは、 うんざりするほどに心地よい、土地の力の温もりに包み込まれていることに気がつき始めていた。
さなえは後ろから腕に抱いた希敏の両手に自分の両手を重ねた。桟橋を向こうから近づいてくる父と母が、さなえと希敏を呼ぶ声が聞こえた。 ・・・
息子の手はひんやりと冷たかった。だからさなえは手に力を込めた。目を閉じて頭を垂れた。悲しみはさなえの耳元に口を寄せ、憑かれたように 何かをささやいていた。聞きたくなかった。聞いてはならない。顔をさらに息子の頭に、柔らかい髪に押しつけた。熱を感じた。かすかに潮の味 がした。息子のにおいが鼻いっぱいに広がった。
先頭へ
前ページに戻る