徒然読書日記201503
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2015/3/27
「老人喰い」―高齢者を狙う詐欺の正体― 鈴木大介 ちくま新書
「日本の老人は、世界中でも最も金持ちで、最もケチな人種だ。若い人間が食えなくてヒイヒイ言ってる中で、金もってふんぞり返って るこいつらから、たった200万程度を奪うことに、俺は一切の罪悪感を感じない。むしろ俺はこの仕事を誇りに思っているよ」
1週間10万円、1か月30万円の報酬に惹き付けられて、理由も告げられぬまま「地獄の研修」に集まった20人以上の若者たちのうち、 このブラックな研修の屈辱を耐え抜いて残ったわずか6人の候補者を前にして、店長の毒川はホワイトボードに大きな文字で<老人は日本の ガンだ>と書きなぐった。
@貯蓄ゼロの人間を騙して無価値なものを200万円全額ローンで売る。
A貯金2000万円の人間を騙して200万円を奪う。
一体、どちらが犯罪行為であるのかと問う。これは、ようやく「すべて振り込め詐欺の現場要員になるための選抜試験」であったことを 明かした後の、最終関門だったのである。
平成25年版警察白書によると、振り込め詐欺などの特殊詐欺犯の被害者の約8割が、60歳以上の高齢者で、その総被害額は毎年ワースト 記録を更新し続け、ついに500億円の大台に達しようとしているらしい。
しかし、高齢者を狙う犯罪は、高齢者が弱者だから、そこにつけ込もうとしているのだろうと思ったら、それは大きな誤解である。これはむしろ、 圧倒的経済弱者である若者たちが、圧倒的経済強者である高齢者に突き付けた、<反逆の刃>なのではないか、というのが、『最貧困女子』など 裏社会に生きる少年少女らの現場に取材する活動を続けている、この気鋭のルポライターの見立てなのである。
たとえば、いまや詐欺の現場では「伝統芸能」と揶揄されることすらあるらしい、「オレオレ詐欺」の三役系シナリオにおいても、「相手が半分 詐欺だと気づいていても、詐欺だと確信していても、金は取れるようになった」と現場プレイヤーが証言するように、相手が自分の自宅住所 どころか、息子の自宅住所も会社も所属部署も、はては孫の名前や通っている学校まで知っていることを匂わせてくれば、詐欺であろうが なかろうが、どちらにしても「息子の社会生命が絶たれる」のではないかと恐れ、200万ぐらいなら払ってしまう。
そう考えるようなターゲットを、下見屋で擦った(情報強化した)名簿を使用することで選び出し、的を絞って電話をかけてくるのである。 そこに用意される落としの手口のシナリオづくりや、それに基づいて実践されている徹底的な研修など、掛けられている資金と手間は、 我々の想像を超えて決して半端なものではない。
「なんという人材と才能の消耗・浪費なのだろうか」
それが、この驚異のルポを敢行した著者の偽らざる感想だったのである。
少なくとも、詐欺の現場プレイヤーとして登用される若者たちは、彼らが活躍しやすい環境を与え、彼らにフィットする鍛錬を与えれば、 様々な業種で成績を残せる人材。だが、詐欺の店舗は彼らを効率よく成長させるが、一方でとてつもない勢いで消耗させる。
2015/3/24
「フランス人は10着しか服を持たない」―パリで学んだ“暮らしの質”を高める秘訣― JLスコット 大和書房
アメリカ人の著者ジェニファー・L・スコットが、南カリフォルニア大学在学中にフランスへ留学し、パリの暮らしで学んだ価値観を 一言で表す言葉が「シック」だ。マダム・シックをはじめ、パリのシックな女性たちは自分をよく知っていて、装いにも食事にもインテリアにも こだわりを持っている。大事なことにはお金をかけるが、ムダを嫌い、見栄を張らない。本当に気に入ったものだけを長く使う、シンプルな 暮らし。それは次々と新しい物を求めて大量に消費する、アメリカのライフスタイルとは正反対だった。ジェニファーはみずみずしい感性と 優れた知性で新しい価値観を吸収し、殻を破って、女性として花開いていく。
と「訳者あとがき」にもある通り、この本のもともとの原題は、
“Lessons from Madame Chic.”(シック夫人から学んだこと)
というもので、いまや家庭を持ち、二人の娘の母となりながら、ライターとして活躍するようになった著者が、「間食はシックじゃない」だとか、 「ノーメイクみたいにメイクする」だとか、「いちばん良い持ち物を普段使いにする」なんて、留学時代のパリで学んだ「素敵な暮らし」の アイデアを、自らのブログ「暮らしの達人」に書いてみたら、とても反響が良かったからと、本にまとめたものなのだから、
この本では決して、「フランス人は10着しか服を持たない」ことについての文化人類学的な分析が展開されているわけではないし、ましてや、 そうした暮らし方を育むことになったフランスの歴史的風土への考察を期待することなど、始めから無駄というものではあったのだ。
では、なぜこのような<しょうもない>、暇人が興味を抱く分野の極北に位置するような本を読むことになったのかと聞かれれば、それは 主体的に関わっている「読書会」のテーマ本に選ばれてしまったからとしか、答えようがないのである。
肝心の「10着のワードローブで身軽になる」という整理のためのノウハウにしたところで、このところ流行りの「断捨離」や「片付けの魔法」 ほどの潔さはないし、「食べる喜びを我慢しない」というロハスな生き方の実践も、たとえば「かもめ食堂」などと比べてみても随分と底が 浅いような感じがする。
まあ、とはいうものの、あの『枕草子』にしたところで、古文で書いてあるから何となく高尚に感じるだけで、これを現代文(橋本治の桃尻語訳 とか)にしてみれば、宮中という「異文化」に闖入してしまった小娘が、日々の発見に感動したことを周りのみんなにツイートしてみました、 というものであるわけなのだろうから、
もしそれに比べて、この本の<中身>がどうしようもなく薄っぺらいと感じてしまうのならば、それはむしろ、受け手の側(もちろん暇人も 含めて)の文化程度や、基本的な素養の低さに起因していると考えた方がよいのだろう。
それがこの本が、(文化のない国アメリカはともかく)現代の日本においても、50万部突破のベストセラーになってしまった、哀しい理由 なのではあるまいか?
2015/3/20
「哲学の使い方」 鷲田清一 岩波新書
「哲学とはおのれ自身の端緒がたえず更新されてゆく経験である」――人生の《初期設定》、あるいは社会生活の《フォーマット》を あらためて問いなおすことを、モーリス・メルロ=ポンティはそのように表現した。
つまり、問うなかで問いが解消するどころか、逆に増殖してゆくことに、哲学の本義があるというのであれば、哲学はとりあえずの解答を得る ためのマニュアルではありえないことになる。だから、《哲学のアンチ・マニュアル》となるところから、この「哲学をどのように使うか」を 考える作業にとりかかることにした、というのである。たとえば・・・
今の自分の道具立てでは自分が今直面している問題がうまく解けないとき、何かこれまでとは違う問い方をしなければ、もっと包括的な問いの なかに座を移さないと、らちが明かないと感じるとき、<ひとは哲学に焦がれる>ことになるのだが、
そんな時に大切なことは、わからないけれどこれは大事ということを掴むこと、そのわからないものにわからないままに正確に対処できる ということ、言い換えるならば、性急に答えを出そうとするのではなくて、答えがまだ出ていないという<無呼吸>の状態にできるだけ長く 持ち堪えられるような<知的耐性>を身につけることなのだという。
う〜む、なるほど。
この本は、息苦しさを覚えるほどに逼塞した現代の日本の日常を、どうにか泳ぎきっていくための<レッスン帳>なのである。
じぶんにとってあたりまえのことに疑いを向け、他者の意見によってみずからのそれを揉みながら、ああでもない、こうでもないと、あくまで 論理的に問いを問いつづけるそのプロセスを歩み抜くには、ちょうど無呼吸のまま潜水をしつづけるときのような肺活量が要るのである。
2015/3/16
「マインド・クエスト」―意識のミステリー― Dロイド 講談社
意識をもった心というのは、数千年来、哲学と科学を悩ませてきた最大の「得体の知れないもの」のひとつである。・・・一方に、 運動する物質の自然的世界があり、その世界は詰まるところ物理学的法則によって記述される。他方に、心がある。それは意識をもった存在者 であり、物理的世界を見つめるのだが、容易ににその一部になることはできない。つまり、意識は自然の外側にあるように見えるのだ。・・・ (心と物質は根本的に異なった実体であるとする)二元論は心と物質の問題を解決する代わりに、それを別の問題に置き換えてしまう。
<それではこの二つの違うものがいったいどうして相互に関わることができるのか?>
「意識」の問題を研究領域に選んでしまったため、「論文で何を書いたらいいのか?」という悩みを抱えていた、哲学科の大学院生ミランダ・ シャープは、ある早朝、彼女が発見した指導教官マックスウェル・グルーの死体(?)が失踪するという謎の事件に巻き込まれてしまう。
グルーの失踪は、どうやら別のグループも必死で追いかけているらしい、彼が発見した<心の性質>の秘密の解明と何らかの関わりがあるのか? 行方不明のグル―を探しながら、同時に、彼が何を考えていたかを探りだそうとする、二重の謎を追い求めるミランダの知的な冒険が始まった。
という、第一部『現象学のスリル』は、軽快な仕立てのミステリー<小説>(novel)になっている。
闇夜に遠くから一匹の蛍を見ると、森のなかで数学的な点を見ているような気分になる。・・・見ているうちに、もしかしたら、私が鑑賞 しているその蛍に対応するような具合に、私の脳のなかにその模倣物があるのではないか、と思えてくる。・・・要するに、蛍は二匹いるのだ。 外にいる蛍と、私の目の裏のあたりから後頭部へとつづく脳の平面をちかちかと飛ぶ蛍がいるのだ。
主観的なものと客観的なものとを対置して、「主観的な事実」などは存在しないという結論へと導いてしまう、主観性そのものについての <古い>考え方を修正し、最大に厳密な科学的世界観においても、「ある視点から見た事実」という、立派に通用する「主観的事実」というもの があるということを、認知科学や脳科学やコンピューター科学、そして「心」や「意識」の問題に真剣に取り組むようになってきた「哲学」の、 最新の知見に基づいて示唆してみせる。
第二部『本物の蛍』では、脳と意識についての<新しい>(novel)理論が、重厚に展開される。
というわけで、この本は、認知神経科学を専門とするトリニティ大学(米国コネチカット州)の哲学教授が書いた、
"A Novel Theory of Consciousness"
「意識についての<新しい>理論=<小説>」なのだった。
神経現象学は、意識をもつ人間をめぐって芽生えつつあるわれわれの見方を表現するための斬新な=小説的な(novel)方法を誘いだす可能性 ももっている。脳と物質はどうやら強い隠喩の糸でつながっているようだ。どちらも世界を開くのである。本書が、生についての物語と、 その物語が記録される物質とのあいだの抽象的空間に浮かぶもろもろの世界を覗き見ることを可能にした、と期待したい。
2015/3/9
「ルポ中年童貞」 中村淳彦 幻冬舎新書
国立社会保障人口問題研究所「第14回出生動向基本調査」(2010年)によると、20〜24歳の未婚男性で性交経験がない人は、 40.5%と前回(2005年)に比べ6.9ポイント上昇。さらには、30〜34歳の未婚男性のうち、性交経験がない人の割合は26.1% となっている。おおよそ、4人に1人以上が童貞という計算だ。
<これほど大量の中年童貞は、100%近い人が結婚していた時代には現れえなかった人々だ。・・・彼らは、なぜ日本社会に生まれたのか。>
これは、
『日本の風俗嬢』
など日本人の<性>に まつわる現場に取材し続けてきたノンフィクションライターが抉り出して見せた、行き着くところまで行ってしまった、日本の<性の自由化> に足元をすくわれた男たちをめぐる、衝撃のルポルタージュなのである。
「非処女は誰かのお下がりなので嫌です。もし人生でエッチをするようなことがあるならば、誰かの処女をもらいたい。その人を自分だけのもの にしたいって独占欲が強いです。・・・もし自分がエッチの経験をしちゃったら処女の綺麗な女の子に相手にされなくなるだろうし、現実になる 想像はつかないけど、理想の女の子に出会うまで待ち続けます」
オタクばかりが集う秋葉原のシェアハウス(個室は1.5畳)に居住している32歳のその男は、女性と付き合ったこともなく、風俗に行った こともなく、中学1年生で不登校になってから、「二次元」にハマって理想の女の子を想像しながら、オタ系の「萌え絵」を描き続ける生活を 送っていた。
「アイドルとファンって関係は裏切られることがないし、信じられるし、心から応援できる。童貞とか気にしてないし、このままでいいって思う。 風俗にも行く気はないかな。美桜とかHKTの女の子たちが頑張っているのに、申し訳なくてそんなことできないよね」
基本的生活費以外の残りすべてをAKB、HKT関連で消費している(月16万円)という33歳の学校法人事務員は、処女である(はずの) 美桜を好きでいるためには、自分も貞潔でなければイケナイと思っているようなのだった。
「本当は女性に好かれたくてモテたくて仕方がないのに、絶対にそれは叶わない。だから徹底的に逃げているのです。それが不可能になるように、 自分の男性性を徹底的に壊して破壊して、潰して。本当は女性に受け入れて欲しいのに、逃げるように男性同性愛者のフリをしている。既成事実 を作るために男性とセックスしたり、ネットでゲイ動画ホモ映像を観たり検索したり、男性を相手に性的興奮できるようになった」
女性は何かと値踏みするから嫌いだと一刀両断してしまった36歳のシステムエンジニアは、ごく普通であるにもかかわらず、自己の外見に 対して徹底的に低い評価を下し、女性にモテないことから同性愛を選択してしまった、後天性の性同一性障害者であることを自認していた。
<市場の評価とは無縁の過剰なプライドの高さ>
<稚拙なまでのコミュニケーション不全>
<完璧を追い求める潔癖すぎる女性観>
「社会を母親の羊水」と勘違いしてでもいるかのような無自覚な脱落組の人たちと、人並みであることから逸脱していることに悩みすぎて、 深刻な状態に陥ってしまった高学歴の人たちと、大きく分けて二種類いると思われる「中年童貞」たちなのではあるが、彼らはいずれも それぞれに必死で生きてきた結果として、今の現在が在るようなのである。
性交体験の有無や頻度、回数は、極めてパーソナルな問題であり、個人の自由だ。秘めたる性交経験が社会に影響を及ぼすわけがない じゃないか、と思われがちだが、性交未経験の男性は婚姻率の低下や少子化はもちろん、アイドルやアニメなどの娯楽産業、アダルトビデオや 性風俗などの性産業の動向と密接に関わるだけでなく、職場においてはパワハラやセクハラなどの人間関係、労働の長時間化、離職率など、 社会の根幹に関わるネガティブな問題に繋がっている、というのが私の仮説だ。
2015/3/6
「医学探偵の歴史事件簿」 小長谷正明 岩波新書
運命の1963年11月22日、テキサス州ダラスの道路を、大統領夫妻はコナリー州知事夫妻と同乗し、オープンカーでパレード していた。銃声がおこり、ケネディの肩から首に当たり、次いでコナリー知事に当たった。第二弾が命中し、ケネディの後頭部が赤く破裂した。 たすきがけで巻いた、幅広のエラスティック・ラップとコルセットのために姿勢が崩れず、第二弾の命中を容易にしたという説もある。
弱冠43歳という史上最年少で第35代アメリカ大統領に就任したケネディは、その爽やかな風貌で世界のニューリーダーに躍り出てきたのだが、 実際には第5腰椎の下の椎間板が完全につぶれていて不安定なため、重度の腰痛持ちとして、日常的な立居振舞いにも支障をきたすような状態で あったらしい。
「後頭部から入った弾丸は前頭部は破壊せず、剖検台の彼の顔は沿道の市民にいまだに愛想を振る舞っているかのように、にこやかで端正なまま だった。」
というわけでこの本は、国立鈴鹿病院の院長(神経内科専門医)である著者が、書物を渉猟したり街並みを徘徊したりの途上で,ふと心に 留まった歴史上のエピソードを、<医学の目>を通して解読して見せた26篇の事件簿なのである。たとえば・・・
1942年ごろから、手足が震えて動作が鈍くなるなどの運動障害に悩まされていたヒトラーは、ナチス政権打倒を目指す国防軍将校団が企てた 暗殺計画(ワルキューレ作戦)を辛くも切り抜けた後、自らの神経症状がほとんど消えてしまうという天啓が起こったことを知り、ますます 非理性的な暴君としての性格を強めていくことになる。
至近で起こった爆発の影響で症状が緩和されるという「逆説的無動症」、パーキンソン病の患者にはよく現れる現象なのだという。
三島由紀夫の筋肉、
ヴィクトリア女王の無痛分娩、
ツタンカーメンの杖、
源頼朝の落馬、
ジャンヌ・ダルクの神の声・・・などなど、
歴史上の人物の行動には、意外な病気が深く関わっていることを知るだけでも面白いのではあるが、なんといっても圧巻なのは、この著者の地元 「鈴鹿に逝きし人」――倭建命(やまとたけるのみこと)の最期についての推理である。
美夜受比売との月の障りの性行為や、山の神の祟りが凶事をもたらしたと考えられてきた旧来の説に対し、古事記の記述から病状進行の時間的 プロセスを読み取った、この名医の診察結果は、
自分の末梢神経を「異物」として免疫系が攻撃する自己免疫疾患、「ギラン・バレ症候群」だろうというものだった。
倭建命の実在性についてはさておいて、神経内科医の目には、古事記は亜急性であった神経症状の経過をなぞるように記載していて一貫性が ある。当芸野や尾津、三重村、熊煩野など、おそらく当時でもマイナーであった地名にリアリティを感じる。もちろん、古代の文献だけで病気を 特定できないが、わが病院の前で逝った人物は存在したと思われる。
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