徒然読書日記201412
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2014/12/28
「考証要集」 大森洋平 文春文庫
「あります」
ドラマでは軍人にやたら「〜であります」と言わせたがるが、正しくは旧日本陸軍の語法。海軍でうっかり使うと「陸式はやめろ!」 と叱られる。
「板につく」
江戸時代の歌舞伎用語から来た言葉。戦国時代なら「○○らしゅうなった」とすべき。
「遠島」
町奉行が罪人に「遠島○年申し渡す!」と判決を下すのは間違い。遠島は終身刑なので、将軍の恩赦がない限り帰って来られない。
「おかみさんとあねさん」
子分が親分の正妻を「姐さん」と呼ぶのは正しくない。「あねさん」は兄貴分の妻で、親分の妻なら「おかみさん」である。ただし、甲州の ヤクザだけは親分の連れ合いを「姐さん」と呼んだらしい。甲州ヤクザは正妻を持たず、みな妾だったからという。
「御意」
殿様の命令に家来が「御意!」と答えてしまうのは大間違い。「御意」とは「あなた様のお考えの通りです」の意味なので、「了解しました」 と言いたいのなら「御意のままに!」である。
「切り札」
時代劇では決して使ってはならない。トランプ用語である。「秘中の秘策」「とどめの一矢」などと意訳する。
などなど、これは、NHKの時代考証業務を志願して担当してきた著者が、ドラマ・ドキュメンタリー番組制作支援用に作成した「考証メモ」 の集大成なのであり、「型破りなこと」を目指す人々にはほとんど役に立たないが、「まず型を知ろう」という向きにはいささかなりと役立つ ことを確信しているというのだが、
「型を知らなければ型破りなことなどできはしない」ことを思い知らされる、胸のすくような一冊である。
ドラマの時代考証とは、番組で取り上げられる史実・時代背景・美術・小道具等をチェックして、なるべく史的に正しい形にしていく作業 です。すなわち「登場人物が、どんな場所で、どんな格好をし、どう行動するか」の枠組みをしっかり決めることです。この枠組みは番組に よってゆるくもきつくもなりますが、いずれにせよそこからはみ出してはいけない。昭和30年代を描いたドラマがどんなに感動的であっても、 その時代にない「立ち上げる」なんて言葉や、スマートフォンが出てきたら芸術祭で物笑いのタネになるだけです。
2014/12/26
「フラッシュ・ボーイズ」―10億分の1秒の男たち― Mルイス 文藝春秋
立会場で大声で叫びながら株の売り買いをしているマッチョな男たち。が、そうした光景はずいぶんと前に消え、ウォール街は実は 小さな「黒い箱」の中に納まっている。そこで何かおかしなことが起こっている。その巨大なパズルを解こうとした男の物語を 語ることにしよう。
人の手が介在したことによる不正が因となって発生したとも思われるリーマン・ショックへの反省も追い風となって、2000年代後半の証券 市場における取引は、すべてがコンピューター・アルゴリズムによる電子化へと置き換わろうとしていた。米国では証券取引所の設立そのもの が自由化され、ニューヨーク証券取引所やナスダックだけではなく、いくつもの小さな取引所が各地に乱立するようになった。
カナダロイヤル銀行は、ウォール街から見れば二軍の投資銀行だった。ブラッド・カツヤマは、2006年のある日、買い注文を執行しよう として奇妙なことが起こっているのに気がつく。売りに出ていたはずの注文が、取引ボタンを押したとたんに蜃気楼のように 消えてしまったのだ。
<フラッシュ・ボーイズ>
分散化した取引所間を伝わる情報通信の、その一瞬の「時間差」(百万分の1秒単位)を利用して、一般投資家の注文を嗅ぎ取り先回りして網を 張る、超高速取引業者たち。
そんな業者に自社の空いたスペースを提供してサーバーを置かせ、いわば「時間差」(近ければ近いほど早いのだ!)を売って利益を稼ごうと 考えるようになった取引所。投資銀行の多くが大口投資家の注文を市場に出さず、ダークプールなる私設取引所を設けてそこで処理し始めたのも、 その注文情報を売ることのほうが旨みが多いことに気付いたからだった。
「超高速取引は市場に流動性を与えている」と、本来規制に回るべき証券取引委員会がこの状況にお墨付きまで与えているようなのは、幹部が 超高速取引業者に天下り、甘い汁を吸っているからに他ならない。
市場全体がぐるになって、一般の投資家があずけているなけなしの年金や給料をこっそりとかすめとり、いつの間にか食い物にしようとしていた のだ・・・。
ブラッド・ピット主演で映画化された、あの
『マネー・ボール』
で、貧乏球団アスレチックスの<ビッグ・データ>戦略の凄みを活写して見せたマイケル・ルイスが次に挑んだのは、
個性的な仲間たちをかき集め、地道な調査を挙行してその複雑なからくりのやり口を解きほぐし、ついには、この巨大な詐欺のシステムを無効に せんとして、安定した高給の地位をなげうってまで、自らの手で新しい取引所を立ち上げてしまった、 果敢な男たちの挑戦の物語だったのである。
コストとは結局、もつれた金融システムだ。そのもつれをほどくためには、商業上の英雄行為が求められる。しかしそれでも正すことは できないかもしれない。システムがうまく働くときより、働かないときのほうが、エリートたちは楽に金を生み出すことができるのだ。 正そうとするなら、業界全体が変わりたいと望む必要がある。「ぼくたちは、それを治す方法を知っている」とブラッドは語る。
「患者がそれを望むかどうかの問題なんだ」
2014/12/23
「ガラテイア2.2」 Rパワーズ みすず書房
「私は男の子か女の子かどちらですか?」
気がつかなかった僕が愚かだった。グラウンディングを持たない知性でも、そのうち必然的に自意識を持つようになる。必要なものを つかむために。
Hは自分の思考時間を計測している。それはたしかだ。それで時間が経過する。隠れた層は自分自身の変化率を観察できる。 ここで僕が一息入れたりすると致命的だ。遅延は何か意味がある。つまり、これから僕が結び付けてやろうとする連結の力を永遠に 損なってしまう不確かさなのだ。
人工知能に、英文科の大学院生程度の文学的知識をマスターさせることは可能だろうか?
物理学研究から文学者・小説家へと転身し、オランダでの同棲生活の破局から、米国の母校へと舞い戻ってきたリチャード・パワーズは、 神経回路網を使った認知経済学の研究者、フィリップ・レンツ博士の課題解明に協力し、人工知能にトレーニングを施す使命に没頭する ことになる。
レンツ博士が開発したマシンに、様々な文章を読んで聞かせることで、言葉を教え、物事を教え、質問し答えさせるという会話を繰り返すことで、 育てていく。マシンの性能が改良されるたびに、その対話の中身はどんどんそれらしいものとなっていき、ついに<H号機>にいたって、 人工知能に自意識が芽生え始めたように思われた。彼女は自分の名前を欲しがったのだ・・・
「きみは女の子だよ」と僕はためらわずに言った。それで正解だったらいいのだが。「きみは幼い女の子だよ、ヘレン」
その名前を気に入ってくれたらいいのだが。
というわけで、これは、ゆっくりと知識を獲得していくうちに、機械にでさえも発露してくるかのように思われる、「感情」らしきものの正体に ついての物語ではあるのだが、そこはそれ、あの『舞踏会へ向かう三人の農夫』の作者の手になる物語なのであれば。ことほそれほどすんなりと 進むはずはないことは、主人公の名前だけを見てもお分かりいただけるに違いない。
つまり、これはまた、パワーズ本人の複雑に縺れた恋愛遍歴を描いた自叙伝なのであり、さらには寡作であるとはいえ、これまでに上梓した 4つの自著の制作経緯をたどった貴重な作品手引きなのでもある。
そして、これら3筋の物語のプロットが、最後の大団円に向かってみごとに収斂していったとき、私たちは初めて気付くのである。 「感情」を発見したのは、機械ではなく人間のほうであったということに。
へレンがリチャードを愛したのではない、私たちがヘレンに恋をしてしまったのである・・・。
「誰が誰を愛せるの?何かが何かを愛せるの?
」あなたはわたしを愛せるの、リチャード?たとえば。
「何が人をふり向かせるかどうかというのは言いづらいね」
僕は彼女が直接にたずねなかった質問を避けた。
2014/12/18
「若者よマルクスを読もうU」―蘇るマルクス― 内田樹 石川康宏 かもがわ出版
僕はマルクスの思想、マルクスのアイディア、マルクスの心情、マルクスの倫理的誠実を心から信じるものであります。けれども、 マルクスが理想と描いたような人間的な社会を実現するためには、必ずしもマルクスの用語やマルクスの概念を排他的に用いる必要はないだろう と思っています。僕自身はマルクスの言葉をそのまま使うことをしません。それは「借り物」だからです。そうではなくて、自前の言葉を使って、 マルクスのアイディアを語りたい。自分がこれまで身銭を切って獲得してきた経験知と、しっくり手になじむ言葉がある。 それを僕は手放したくない。自分の言葉に言い換えることができないのだとしたら、マルクスのアイディアを僕が自分の現場で 実現できるはずがない。僕はそう考えています。(内田)
「マルクスの思想をマルクスの用語を使って語る人」がマルクシストで、「マルクスの思想をマルクスの用語ではなく、自分の言葉を使って語る 人」がマルクシアンである。という、師・レヴィナスの見事な定義に倣うならば、僕は典型的なマルクシアンであると宣言する内田樹と、
マルクスをどう位置づけるかというのは、おそらくふたりのものの考え方や生き方にとってかなり大きな問題で、それぞれ「ゆずれない」 ところがあるわけです。その上、「マルクシアンとマルクシスト」という言葉にもあらわれているように、ふたりの立ち位置には、実際かなりの 違いがあります。そうするとやはり、あたまが「気負うな」と命じても、からだに勝手に力が入ってしまう、 そういうところがあったように思うのです。(石川)
とはいうものの、「理論的に正しいマルクスの読み方」をガシガシ議論しあう空間の他に、「マルクスを様々な角度から自由に論ずること のできる」ふうわりとした知的空間を広げることの大切さを、マルクス主義者はキチンと自覚すべきではないか、という意味で、ひょっとすると、 内田がいう「『マルクシストの道』の他に『マルクシアンの道』があること」を、内田とは反対の「マルクシスト」の側から模索しよう としているのかも知れないと告白する石川康宏と。
この本は、29歳で『共産党宣言』を書くまでの、青年マルクスが<マルクス>になっていく過程を論じ合った、前作
『若者よマルクスを読もう』 ―20歳代の模索と情熱―
の待望の(随分間の空いた)続編として、
48歳で『貨幣、価格および利潤』を書くまでの、すでに<マルクス>になったマルクスが、<マルクス>として成熟していく過程について 語り合った往復書簡なのであり、
マルクスの著作が合法的に出版されて、書店の店頭に並べられ、中学生や高校生が誰でも手にとって読めるなどという、言論環境に恵まれた 社会は世界でも例外的に、どうやら日本だけであるらしいのである。
社会問題はぎりぎり切り詰めると、実践的には「どうやって大人を育てるか」というところに行きつきます。私はそう思います。社会全体を 一気に、全体として「正しいもの」にすることはできません。でも、社会はフェアで、手触りの優しいものでなければならないと信じ、 そのために自分のもてる力を用いる「大人」たちの数を少しずつ増やすことは可能です。
マルクスを読み、マルクスの教えを実践しようとすることは、近現代の日本に限っていえば、「子どもが大人になる」イニシエーションとして、 もっとも成功したものでした。そして、若者たちがマルクスを読まなくなってから、目に見えて「大人」の数が減少した。 私はこの二つの現象の間には関連があると思っています。(内田)
2014/12/11
「ヌードと愛国」 池川玲子 講談社現代新書
テクノロジーの発展とともに、近代日本の文化シーンには、映画、写真をはじめとした新たな文化領域が生まれていく。日本画、 彫刻といった美術内の各ジャンルたちも、おのおのの発展を遂げていく。そして西洋画のみならず、それぞれのジャンルの中に、いつの頃からか 「『日本』をまとったヌード」という系譜が誕生し、今日に至るまで紡がれ続けている。
<7つのヌードを時系列に並べてみた時、浮かび上がるのは、どのような歴史なのか>
<創り手は、国家と個人をめぐる問いにどのように答えようとしたのか>
<その答えは、なぜヌードという形をとったのか>
時代的には1900年代から70年代までの、各領域から7体のヌードをピックアップし、その謎を解き明かすことで、日本近現代史を 「はだか」にしてしまおうという、これはまことに意欲的な試みなのである。たとえば、
『デッサン館の秘密』――智恵子の「リアルすぎるヌード」伝説
若き日に画家を志していた長沼(高村)智恵子の、修業時代の男性ヌードデッサンは、その<象徴>がおかしいほどリアルに描かれていた という伝説は、どこに出所があるのか?期待して取り寄せた複製は「金返せ」という代物だったのに・・・
『Yの悲劇』――「夢二式美人」はなぜ脱いだのか?
大正ロマンを一世風靡した竹久夢二が、昭和6年に念願の欧米視察に出かけることになった時、「夢二式美人」がいきなり脱ぎはじめたのは、 単なる資金稼ぎのためだったのだろうか・・・などなど、
『そして海女もいなくなった』――日本宣伝映画に仕組まれたヌード
『男には向かない?職業』――満洲移民プロパガンダ映画と「乳房」
『ミニスカどころじゃないポリス』――占領と婦人警察官のヌード
『智恵子少々』――冷戦下の反米民族主義ヌード
と、いずれの論点も極めてユニークで魅力的な切り口となっていることは、その章題だけを見ても明らかなのであるが、
『資本の国のアリス』――70年代パルコの「手ブラ」ポスター
企業が一流の人材を投入してそのアート度を競った、70年代ポスターの時代に燦然と君臨していた渋谷パルコが、その才能に注目し登用した のは石岡瑛子だった。《裸を見るな。裸になれ。》・・・パルコ作品の1位に選ばれたという、この<手ブラ>ポーズで有名なこの石岡の名作 ポスターが、実は3枚組みで、同じ場所、同じモデルによる、「着衣」→「手ブラ」→「上半身露出」というストリップ風の構成となっており、 これが、1900年に裸体画を初めて日本に導入した、洋画界のリーダー黒田清輝の代表作である、三幅対のヌード《智・感・情》と 逆回しの関係にある、
なんて、題名からは想像もできない(何を想像していたんだぁ!)、いたって正攻法な分析も清々しい名著なのである。
《智・感・情》は、西洋絵画の伝統である寓意擬人像(抽象的イメージを人の形を借りて視覚化した図像)を、日本で最初に試みた構想画 でもあった。三人の女性の並列という構成は、仏像の三尊形式を彷彿とさせつつも、それぞれに異なる髪形は、これが西洋神話の三美神と強い 共通性をもっていることを示している。ギリシア神話やローマ神話に登場する三人の女神は、それぞれ「魅力・美貌・創造力」、あるいは 「愛・慎み・美」を司っているとされている。しかし、黒田が《智・感・情》に込めた寓意の中身はいまだに論議の的であり、決定的な結論は 出ていない。日本のヌードの歴史は、大いなるミステリーとして開始されたのである。
2014/12/8
「紙つなげ! 彼らが本の紙を造っている」―再生・日本製紙石巻工場― 佐々涼子 早川書房
「今、大変ですよ。社内で紙がないって大騒ぎしてます。石巻に大きな製紙工場があってね。そこが壊滅状態らしいの。うちの雑誌も ページを減らさないといけないかも。佐々さんは東北で紙が作られてるって知ってましたか?」
2011年3月11日、世界でも屈指の規模を誇る日本製紙石巻工場は、未曾有の大災害に遭遇した。工場の建屋に入った津波の高さは4mに まで達し、凍てついた水の中には、近隣から運ばれてきた家屋の二階部分が18棟と、自動車約500台が浸かっていた。
「おしまいだ、きっと日本製紙は石巻を見捨てる」工場正門の前にある日和山に命からがら避難し、自分の街と工場が沈んでいくのを、 なす術もなく見つめるしかなかった従業員たちの、誰もがそう思った。
百田尚樹『永遠の0』(講談社文庫)などの文庫本や、『ONE PIECE』(集英社)などのコミック用紙まで、実にこの国の出版用紙の 約4割を担っているという日本製紙。その会社の主力工場が瀕死の重症にあえいでいるという、いわば日本の出版文化の危機的状況に、敢然と 立ち向かっていった男たち(と女たち)の、これはまことに感動的な物語の記録なのである。
「まず、復興の期限を切ることが重要だと思う。全部のマシンを立ち上げる必要はない。まず一台を動かす。そうすれば内外に復興を宣言 でき、従業員たちもはずみがつくだろう」
瓦礫と汚泥がうずたかく積もり、まだ電気すら通っていない、どこから工場でどこから外かもわからない廃墟のような惨状を目にしながら、 震災の8ヶ月前に赴任してきたばかりの工場長、倉田が表情を変えることもなく発した言葉に、対策会議と称して社宅の一室に召集されていた、 石巻工場の名物課長たちは耳を疑った。
「そこで期限を切る。半年。期限は半年だ」
「えっ?」(アホか、おっさん!できるか!)
「これは駅伝だと思いました。いったんたすきを預けられた課は、どんなにくたくたでも、困難でも、次の走者にたすきを渡さなければ ならない。リタイアするわけにもいかず、大幅に遅れてブレーキになるわけにもいかない過酷な長距離走です」
電気設備のほとんどがやられているという、どうしようもない状態から、「やれることをやるだけだ」という前向きな気持ちだけで、 ボイラーを再び立ち上げるために品薄のケーブルを全国からかき集めたり、塩水に浸かったモーターを釜で煮るという突飛な応急処置など、 粘り強い地道な努力によって、周囲が驚くような早さで、工程通りボイラーに電気を通して見せた、<第一走者>電気課の快走は、
<自分のところで遅れさせるわけにはいかない>という課ごとの矜持を生み、たすきを渡された<第二走者>原動課以下、全速力で目標の 工期に向かって走り出す結果となった。
震災から半年後の9月14日、ついに日本製紙石巻工場の主力機、8号マシンの再稼動の日がやってきた。
全長111mのマシンを紙がスムーズに通り抜けていくことは、通常でも難しいことだという。少しでも不具合があれば、紙はどこかで切れ、 もう一度つなぎなす作業が必要なのである。倉田が、赤いリボンで飾られた操作パネルのスイッチを押す。ゴーッという大きな運転音とともに、 従業員たちが戦艦に喩える、古くて無骨なマシンが眠りから醒めた。そして、無事に「たすき」をつなげようと走り続けてきた彼らの懸命な 努力に報いるかのように、確かに「紙はつながった」のだった。
「一発通紙だ!」
8号が今まで見せたことのない、見事な通紙だった。
この瞬間、その場にいた人々から、大きな歓声と拍手が起きた。どんなに速くても、通紙までには一時間。だがこの日8号は、通紙まで28分 の新記録を叩きだした。
憲昭(8号機担当者)は今までの感情が爆発するように、顔をクシャクシャにして泣いた。
<8号が、俺たちの願いを聞いてくれた。8号はやっぱりすごい奴だ。>
2014/12/8
「民俗と民藝」 前田英樹 講談社選書メチエ
柳田國男の民俗学と柳宗悦の民藝運動とは、二人の天分に従って大変異なる方法、手段、言葉遣いで展開されたのだが、それらを 生み出し、成長させた土壌は同じひとつのものだ。二人は、そのことを充分に知っていながら、まるで疎遠な兄弟のように、互いにほとんど 通い合うところがなかった。論争も称賛も交わし合うことがなかった。それほどに、二人の仕事は、歴史中の大きな困難を、それぞれの仕方で 突き抜けたところにあって、説きがたい孤独な普遍性を帯びていたと思う。これまで彼らに向けられてきた崇拝、懐疑、揶揄、罵倒は、 みなそのことを裏から示している。
ことの本質から、書かれた資料による<事件史>とならざるを得ない<歴史>というものの在り方から訣別し、幸福であればあるだけ、あえて 書きとめられる理由がないために、ほとんど記録が残されてこなかった、普通の人々の<喜びの日々>、
それを、<常民>という切り口で丹念に収集・記録していったのが、柳田國男の「民俗学」だった。
作られるものが自然との直接の交渉を離れて、作為、技巧の複雑さを止めどなく増長させてしまうため、時代が下れば堕落してしまうという <芸術史>の法則。高麗において爛熟の極みに達した朝鮮陶磁が、日本の茶人によって<高麗もの>として嘆賞されることで<芸術>にまで 登りつめたことを堕落と見なし、日常の雑器に過ぎぬと何の価値も認められていなかった李朝陶磁の中にこそ、暮らしの原理に深く根を張る <永遠>が在ることが観えてしまった、
<来たるべき工藝>の発見を高らかに宣言しながら、革新的に歩み続けたのが、柳宗悦の「民藝運動」だった。
時期を同じくするこの二つの<動き>が、その根本的な概念において志を同じうするように見えながら、たった一度の不幸な出会いによって、 すれ違うように終わってしまったのはなぜなのか。
「彼ら二人の仕事をして輪唱のように歌わせたい」という願望から、二人をめぐる幾人かとのエピソードも交えながら、声質も音域も異なれば、 伴奏法もまったく異なる二人に、同じただひとつの曲を交互に歌わせてみた時、次第に明らかとなってきたのは、
西欧の思考に骨の髄まで染め上げられてしまったかにみえる、わが国の<文明>の現状を深く憂い、暮らしの信仰や、道徳と魂の存在を、 それにふさわしい<学問>によって根底から語り直し、生き返らせねばならぬという、彼らの仕事をはぐくみ育ててきた土壌ともいうべき、 <原理としての日本>の姿だった。
日々の暮らしが、そのまま信仰となり、美しい衣、食、住の聖なる生産と消費になり、そこでの幸福が、すでにそれだけで語る要もない 道徳となる。そのように純粋な原理の領域が在った。いや、今も在ることができる、できるのでなくてはならない。柳田の民俗学と柳の民藝運動 とは、それぞれの異様な努力を通して、私たちが生きる日々の潜在的な原理を、それが送り込む希望と喜びとを、示した。示したとは、 一から創り直したという意味である。
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