徒然読書日記201409
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2014/9/24
「波紋と螺旋とフィボナッチ」―数理の眼鏡でみえてくる生命の形の神秘― 近藤滋 秀潤社
生命現象の多くは、あまりにも多様で複雑なため、単純な法則で理解できるようなものではない、という印象をお持ちの方がほとんど でしょう。しかし、単純なルールを頭におくだけで、目の前の霧がパァーっと晴れるように、すべてを「わかった!」と感じることができる ような発見もあります。
たとえば・・・、
<カメの甲羅は、どうやって大きくなるのか?>
角や貝殻などは、その根元でしか成長できないので、螺旋構造を作りながら、付加成長していくしかない。ウシやヒツジと違って枝分かれがある シカの角は、螺旋構造ではないため連続成長できず、毎年新しく角を作り直さねばならない。カメの甲羅も一つ一つは六角錐の単位で構成されて おり、それぞれの底面で新しい螺旋が付加されると角錐の先端がポロポロはがれて、平面を保っていくのである。
<シマウマは、なぜシマシマ模様の毛皮を着ているのか?>
動物の体表の模様を作るのは2種類の色素細胞のせめぎ合いであり、抑制因子と活性化因子の相互作用という波紋パターンの解析により、それを 数理的に記述することができる。抑制因子が優勢だと斑点、活性化因子が優勢だと網目、ちょうどバランスが取れていると縞模様になることが わかっているが、これは中間色で均一な色合いを作るので、野生動物にとって生存に有利な戦略だったはずである。その仕組みにちょっと変異が 入って、目立つシマシマ模様になってしまったシマウマは、進化により縞を得たのではなく、均一な中間色を失ったのである。
<手相は、なぜ人によってこんなに違うのか?>
手相は手のひらにできるシワである。手には人ごとに違う指紋(掌紋)があり、それがシワのできる方向に影響を与えている。指紋には、弓状紋 (平行な波型)、渦状紋(きれいな渦巻型)、蹄状紋(ななめに崩れた渦巻型)という3つの代表的なパターンがある。指の周辺から中心に 向かって指紋の波が形成されていくと考えると、どの方向からも均一に波が来れば渦状紋、上下に比べ左右が遅ければ弓状紋、左右で速度が 違っていれば蹄状紋ができることになる。
というわけで、大阪大学生命研究科教授である著者の専門は、天才数学者チューリングが40年も前に提唱しながら、葬り去られようとしていた 「反応拡散原理」。Turing波が生命系に確かに実在することを証明し、それによって動物の形態形成の神秘を解き明かそうというのである。
手にする武器は「数理モデル」。自然現象の原理を数式で表す(これをコンピューターで計算したものがシミュレーション)ことで、現象の再現 (後付けの説明)ができるだけでなく、未知の現象を演繹的に予言(発見)することもできる。
それは生命科学における「宝の地図」であるという、まことに頼もしい宣言なのである。
貝の形や動物の模様、自然に発生する渦巻きや黄金角を含んだ形態、どれも、多彩さと美しさで、人の目を惹きつけて離しません。見ている だけでも十分楽しいのですが、一度、それらのパターンの背後に潜む「単純な法則」を理解すると、世界ががらりと変わって見えること、間違い ありません。個別的に思えた自然のパターンのほとんどが、単純で必然的で統一性のあるものに変化し、ちょっと大げさですが、この宇宙を 作っている原理の一端に触れたような気分になれるのです。
2014/9/22
「君拾帖」―東京大学の学術遺産― モリナガ・ヨウ メディアファクトリー新書
『君拾帖』(くんしゅうじょう:くんは手扁に君)と名づけられたこの膨大な冊子群は、江戸時代から明治・大正という時代の 激変期に、何十年間にもわたって個人がコツコツと貼り込んだものです。表紙に年号があるほかは、まったくといっていいほどなんの説明も ありませんでした。新書として出版するにあたり、現在の目から見た最小限の時代説明は試みましたが、本来は「どんなものでもフラットに 貼られているだけ」の無言の書物です。実際にめくるまで、次に何が貼られているのかわかりません。
赤い砂糖ラベルがびっしりのページをめくると、今度は青い砂糖ラベルがびっしり。しかしよく眺めてみると、ほとんど同じようでいて、すべて 違う商品やお店のラベルであることに気付く。同じようなものを飽きずに繰り返し貼りまくる(延々と何ページにもわたって)のが、この蒐集家 の仕事のスタイルなのである。
「花柚子」という会席用お茶菓子の、色合いも美しい引札(今でいうチラシ)のすぐ下には、墨痕毒々しい「腋臭(わきが)の薬」のラベル。 もちろん、そこに何の関連もあるはずはないが、すべての摺りものをフラットにとらえ、ページの空白を埋めつくさずにはおられない。 というのも、この蒐集家の仕事の特徴になっている。
通常は東京大学総合図書館地下にある耐火書庫に大切に保管されているという、この膨大な量のスクラップを蒐集した人物は、緒方洪庵に学び 薬草栽培に従事、明治新政府では物産局(万博などを担当)に抜擢され、日本に「博物学」をもたらした、知られざる偉人・田中芳男。
この100冊近い「紙(ゴミ?)の山」から、時間の流れに沿って130の見開きを選んでくれたのは、『空想科学読本』の表紙オブジェで 有名な、画文家(イラスト・ルポ)のモリナガ・ヨウ。
せっかくのカラー新書なので、「今日的に有名な出来事を史料で確認して回る」という、学術的な立場ではなく、基本「色がついているもの」 「見た目、おもしろいと思ったもの」を選んで、史料の生々しさを伝えたい。という、その「野次馬」的精神が見事に的中して、眺めている だけでも飽きない、知的好奇心をくすぐる快著となっている。
なんたって、田中というおっさんは、出張に出ることが多かったため、各地で食べまくったらしい駅弁の、弁当をくるんでいた紙は言うに及ばず、 ふたに貼られていた注意書き(今でいう製造者責任)や、使用後の箸袋まで、すべて持ち返ってスクラップしなければ気が済まないほど、 好奇心旺盛な巨人なのである。
チラシなどのメディアは本来、役割を終えたら消えていってしまう儚いものです。同時代に向けてのみ発信されているそれら印刷物は、その 瞬間しか見ていません。「のちの××であるから蒐集」などという未来の価値を担保されていない分、濃厚にその時々の気分や空気が固定されて います。・・・
それぞれは小さな断片にすぎませんが、スクラップ帳を開くと、遠く過ぎ去った時代のある瞬間が押し寄せてくる感じを味わえます。そんなこと ができる本が他にありましょうか。まさに秘宝です。
2014/9/18
「小さな異邦人」 連城三紀彦 文芸春秋
「もしもし」
あくびをしながら電話に出た母さんは、「何ですか、それ?」とか「意味がわからないわ、誰を誘拐したって言いたいんですか」とか、傍で 聞いている者にもさっぱり意味がわからない受け答えをしていたが、やがて、
「いやだ、切れてる、もう」
と受話器を耳からはずし、ちゃぶ台を囲んだ子供たちの顔をぐるりと見回して、
「今、誰か誘拐されてる子いる、ここの中に」と訊いた。
「いるわけないわよね、みんないるもの」・・・
連城三紀彦が、<誘拐物>を書かせたら右に出る者がいないほどの名手であることは、前にこの欄でもご紹介した長編物、
『造花の蜜』
を例に引くまでもなく、 定評のある事実なのではあるが、(本人も、あるインタビューで「誘拐物が好きだ」と答えているそうだし・・・)
幻影城新人賞を受賞したデビュー作『変調二人羽織』や、日本推理作家協会賞に輝いた『戻り川心中』を読んでしまった者にとっては、連城の 真骨頂はむしろ短編にこそある、ということもまた、否定しようのない事実なのである。たとえば・・・
ふと街ですれ違った別れた妻に似た女の後を付けていくと、横断歩道で突然指にはめた結婚指輪を投げ捨てた。彼女は元夫の追跡に気付いていた のだろうか・・・(『指飾り』)
新潟の場末の温泉町に流れ着いた女は、わざと目立とうとでもしているかのように、不可解な行動を繰り返す。どうやら、時効寸前の強盗殺人の 逃亡犯と温泉宿で待ち合わせしているらしいのだが・・・(『無人駅』)
次第にエスカレートする娘への学校でのいじめを心配しているうちに、女はなぜか自分の母の浮気を疑った父が無理心中を図った事件の、 秘められた過去に封印されていた真実を思い出す・・・(『白雨』)
不倫相手との汽車旅行を繰り返していた駅員は、同じ行き先の切符を買いに来て、料金を払おうとしない見知らぬ女の出現に悩まされることに なる。行先はどんどん遠くなり・・・(『さい涯てまで』)
などなど、男と女、それぞれの感情が濃密にもつれ合う愛憎物語の展開にどっぷりと浸っているうちに、想像もしていなかったどんでん返しの 罠に絡め取られること請け合いの、極上のミステリーが全8編。
子供8人の大家族に、「子供を誘拐した」と脅迫電話がかかってくるのだが、なぜか誰も誘拐されていない、というまことに奇天烈な事件を、 子供たちが探偵役となって推理する。表題作の『小さな異邦人』は、なかでも<誘拐物>の<短編>なのだから、
これはまさに、平成25年10月に亡くなった連城三紀彦が、私たち連城ファンのために書き遺してくれた、最後のプレゼントとでもいうべき 逸品なのである。
「やっぱりアンタだったの、誘拐犯は!」
ゲームをやっている時の無表情のまま首は横にふられた。
「じゃあ誘拐されてたの」
また首がふられ、「ユーカイされてたのはボクじゃない、別の子供」やっと声を出した。
「誰?別の子供って誰」
晴男は、私を見上げるのに疲れたのか、うなだれ、指だけを動かした。その人さし指が次の奇跡だ。指先は私の体を突き・・・私をさしていた。
「私?私が誘拐されてた?」
2014/9/18
「もっと面白い本」 成毛眞 岩波新書
日本では年間に8万点もの図書が出版されているという。国会図書館には図書だけで950万冊も所蔵されているのだ。その中から 1冊の愛読書を選び出すのは誰にとっても至難の業である。そもそも愛読書とは特に好んで読む本ということだろう。文学者や研究者でもない 普通のビジネスマンが、これほど大量の図書に囲まれながら、愛読書として1冊だけを繰り返し読むという、時間の無駄ができるわけがない はずだ。
マイクロソフト日本法人の社長をつとめていた関係で、ビジネス雑誌などからよく質問を受けたという著者が、そのたびに「愛読書などない」 と答えていた、これがその理由だというのである。
「本がどんどん増えて置き場所に困る」「給料がみるみる本代に消えていく」「息子がいきなり本を読み始めた」等々、 大勢の読者から 想定外の反響(苦情?)を招くことになった、前作、
『面白い本』
。
これは、そんな懲りない読者たちの「もっと面白い本が読みたい」という熱き要望にお応えした<第二弾>なのである。たとえば・・・
『鳥類学者無謀にも恐竜を語る』(川上和人 技術評論社)
という本はその名のとおり、鳥類学者が専門外の恐竜学の論文や化石を目の前にしながら、従来の本ではあまり語られることのなかった恐竜の 生態について語ろうというものだが、<恐竜のことはわからないことだらけなのだから、鳥から類推するしかない>、その思考実験ともいうべき <無謀さ>加減が、1ページに1回は爆笑すること請け合いの、電車の中で読んではならない「前代未聞の科学読み物」・・・なのだそうである。
『謎の独立国家ソマリランド』(高野秀行 本の雑誌社)
は、長年苛烈な内戦状態が続くソマリア共和国の一角で、十数年平和を維持している「ソマリランド」への潜入ルポである。戦争好きなソマリ ランドの平和は「ヘサーブ(=精算)」という伝統的な掟によって保たれていたが、南部ソマリアを統治したイタリアはその仕組みを壊して しまった。そんな「小説よりも奇なり」な謎の解明に辿り着いたのは、「誰も行かないところへ行き、誰も知らないものを探す」高野の手柄 である・・・らしい。
『読んでいない本について堂々と語る方法』(Pバイヤール 筑摩書房)
<ある書物について語ることは、それを読んでいるかどうかにはあまり関係がない。>本をたくさん買っていれば、自分の中に「知の座標軸」 のようなものが出来上がり、それさえ獲得できれば、個々の本の「知の座評点」は目次を見るだけでわかってしまう・・・のである。
う〜む、また<積ん読>本が増えてしまいそうで怖い。
本書で紹介した本は70点(151冊)。このうち、全集の『日本の歴史』『興亡の世界史』『日本美術全集』と品切れ本を除く64点 (80冊)を購入すると、18万6324円(本体価格)になる。・・・前作『面白い本』のときは、紹介した本を全部買った読者もいたと聞く。 今回はそういう無謀な人が出ないことを祈るばかりである。
2014/9/16
「『消費』をやめる」―銭湯経済のすすめ― 平川克美 ミシマ社
戦後の日本の歴史は「労働の時代」から「消費の時代」へと大きく転換する百年単位のプロセスだったといえるだろうと思います。 それはまた、人間が自分の身体を使ってモノをつくり出し、身体実感によって生活の思想を作り出していた「身体性の時代」から、おカネに よって何でも手に入れることができる「おカネ万能の時代」へのプロセスでもありました。
<日本が、生産中心の社会から消費中心の社会に変わる転換点はどこにあったか――。>
それは、吉本隆明もどこかで指摘していたように、80年代半ばに起きた「週休二日制」の導入が、その一番大きなものであるだろうという のである。それ以前も、土曜日は午後が休みだったのだから、休みが半日増えただけのことなのだが、このたった半日の増加が日本社会に 大きなインパクトを与え、日本人の考え方を大きくシフトさせていくことになる。
働くために休息していたかのような、まだ貧しかった戦後の日本人にとって、日曜日は休息を取って体調を整える、労働のための準備日で あった。そんな日本人が次第に豊かになりつつあった時に採用された週休二日制は、おカネを使う暇もなかった日本人に稼いだおカネを使う 時間を提供し、土日の時間をどう過ごすかを考え、そのためにおカネが必要だから働くというふうに、日本人の労働観を180度転換させる ことになったのである。
そして、それまでは悪徳と看做されていたおカネを使うことが、徐々に美徳へと変わっていき、そこから「消費化」の波が一気に押し寄せる ことになる・・・。
『反戦略的ビジネスのすすめ』
『株式会社という病』
『経済成長という病』
『移行期的混乱』
『小商いのすすめ』
常に右肩上がりを宿命づけられ、売上拡大という「株主の声」に追いまくられるばかりの、会社経営の日常に疑問を投げかけ、自分たちが本当に やりたいこと、生きることと同義であるような働き方を見つけ出せという「天の声」に従うことこそが、右肩上がりの時代が終焉しようとして いる、今のこの「移行期」にもっとも相応しい、新しくて古いライフスタイルなのではないか。
と、ぶれることなく一貫して警鐘を鳴らし続けてきた著者が、いまようやくたどり着いたのは、職住が隣接した懐かしい町並みの中で、働き、 暮らし、手拭いを肩にかけてひとっ風呂浴びに行くという「銭湯湯治ビジネススタイル」の実践だったのだが、
それはまた、空虚感を埋め合わせるためだけの消費欲に支配される中で、崩壊してしまった家族制度に代わりうる、何かを取り戻すための 処方箋でもあった。
喫茶店にも、銭湯にも何も生産的なことはありません。しかし、そこで毎日見知った顔に囲まれて、お互いのアイデアの糊代を出し合って いるうちに、ひとつの「場」が生まれてくるのが実感できます。ひょっとしたら、こういった形で、地域のなかに、近未来を暗示するような 愉快な共同体が生まれてくるのかもしれません。
2014/9/11
「医療につける薬」―内田樹・鷲田清一に聞く― 岩田健太郎 筑摩選書
鷲田 お医者さんがリーダーとしてずっと患者さんに対処していて、ある時、もう自分だけではどうにもならないと思ったら、後ろに いる看護師さんに相談する。「ちょっとこのパス受けて」という感じで。「こういう人に話を聞くのは、あなたのほうがうまいから」ってパスを する。・・・
岩田 後ろにパス!それは非常に面白い発想ですね。後ろにパスしながら前に進んで行くわけですね。
こうしてまるで<ラグビー>のように、医者がコ・メディカルの人たちにパスを回しながら、自分もまた後ろに回って少しずつ前に押し上げて いく。これからの医療は、お医者さんのみならず、看護師やソーシャルワーカー、病院の経営者、さらには患者さんとお坊さんも忘れずに プレイヤーとして取り込んだ、「ラグビー型チーム医療」を目指していく必要があるという、臨床哲学・倫理学者の鷲田清一。
内田 僕の描く名医の理想形って、コナン・ドイルがシャーロック・ホームズのモデルにしたジョセフ・ベル先生なんです。エディンバラ 大学の医学部の教授で・・・医学生たちを後ろに従えて患者を診ている時、その患者の出身地、職業、既往症から今患っている病気までぴたり ぴたりと言い当てたそうです。・・・だから、話は逆になりますけれど、シャーロック・ホームズこそ名医の理想だと思うんです。周りの人が 見落とすような、わずかな兆候から、そこで何が起きたのかを言い当てる。・・・
岩田 ゲシュタルト的に、パッと診た時にその人の病気がわかることがたまにあるんですよ。でも、なぜわかったのかということをパーツに 分けて説明することはできない。それは個々の要素がどうということではなくて、あくまでその人の全体が醸し出しているものだから。
患者が診察室に入ってきて座るまでの間に、歩き方や服装から、表情や体臭やしゃべり方まで、いつの間にか総合的にその状態を判断して しまっている。診ただけで「あ、ここが悪い」とわかるし、どうすれば治るかもわかってしまうのだが、どうして治療法までわかるのかは、 自分ではうまく説明できない。あまりに多くの入力を一瞬で演算処理してしまうため、自分が何を診たのかを網羅的には列挙できない、名医が 診断を下すとは「推理する」ことだという、武道論・教育論の内田樹。
倫理とは、他人に言われて、規則や手続きを踏襲すれば事足りるものではないと思います。むしろ、医療者一人一人が自らの魂から発露し、 だれからも強制されたり監視されたりされることなく、心の底から倫理的な精神を持って医療を行い、その振る舞いが十全に倫理的であること が大事なのだと思います。こう考えてみると、書式的な倫理指針を整備するということは、医療者の倫理的精神を堕落させ、「この指針を踏襲 してさえいればよいのだよね」と言わせてしまう意味で、逆説的に非倫理的な代物でさえあるのです。
脳死、臓器移植、尊厳死など、目覚しい医療技術の進歩に伴って、さまざまな倫理の問題に悩まされることになった医療現場の臨床医・岩田 健太郎が、この厄介な難題に立ち向かうためには、自分の考えや魂に揺さぶりをかけてくれる「他者との対話」が必要だと確信し、ならば 鷲田と内田の二人しかないとその相手に選んだのは、
医療従事者ではないからこそ、医療の根源的なところ、複雑で重厚なところが逆説的に俯瞰できる、彼らが駆使する「医者が使わないような 話法」こそが、今の医療に最も求められているという思いからだった。
そして案の定、岩田は「自分が使わないような、自分には思いつかないような言葉」を、二人の口から耳にすることで、大いに脳細胞を 引っかき回されることになったのである。
鷲田 医療サービスも消費だと言ってしまうと、市民のほうもサービス料をきちんと払っているんだから、自分には落ち度がないぞって 居直って、クレーマーになる。クレーマーというのは一種の幼児性の表れですからね。自分は決して責任を負わない。
岩田 病院の居直りもあるんですよね。「合意書には、手術を受けたらこういう合併症が何パーセントの確率で出ると書いてあるでしょ。 あなた、合意書にサインしたでしょう」と言って責任逃れしようとする。
内田 ギスギスしますな。どんなに小さな集団でも、その中には病んだ人、傷ついた人を癒す部門、幼い子どもたちに生きる術を教える部門、 集団の起源とその召命について物語る部門の三つの柱が絶対に必要なんです。そういうものがないと、集団は存続できない。医療、教育、宗教、 芸能というのが、これに相当すると僕は思っているんです。
2014/9/9
「忘却の声」(上・下) Aラプラント 東京創元社
なにかあったのだ。いつだってわかる。気がつくと目のまえに惨状がひろがっている。粉々になったランプ。かすかに見覚えのある顔 に浮かぶぎょっとした表情。ときには制服姿の人がいることもある。救急救命士。看護師。薬をのせた手が差しだされる。もしくは針を刺そうと かまえている手が。
優秀な外科医であったジェニファーは、ある日突然、警察の事情聴取を受ける。近所に住む親友のアマンダが、死後に右手の四本の指を切断 されるという、不審な死体となって発見されたのである。この異様な状況から強い疑いの目を向ける警察の取調べに対し、まったく身に覚えの ないジェニファーは戸惑うばかりだったのだが、彼女の自宅のキッチンの壁には、太くて黒いマーカーペンの震える文字で書かれた掲示が 貼ってあった。
<わたしの名前はドクター・ジェニファー・ホワイト。わたしは六十四歳。わたしは認知症。わたしの息子マークは二十九歳。わたしの娘 フィオナは二十四歳。介護人のマグダーレナがわたしといっしょに暮らしている。>
ところどころにぽっかりと穴が開いたかのような記憶の流れの中を、行きつ戻りつするかのように紡ぎ出される彼女の独り語りなのであれば、 それを聞かされるばかりの私たちの脳裡のスクリーンにも、なにやらうっすらと靄がかかったかのようなもどかしさを覚えることになるのだ が・・・
2009年1月20日、ジェニファーのメモ、と彼女は記入する。わたしにペンを渡していう。きょうあったことを書くんです。あなたの 子供時代のこととか、なんでもいいから覚えていることを。
認知症の自分自身の空白を埋めるためにと、時には顔も思い出せなくなる介護人のマグダレーナから勧められて、キッチンのテーブルの上に 置かれた、大きくて四角いノート。書いた覚えのない自らの文章と、介護人や娘たちが情報伝達のために書き残した伝言の断片を、必死に 寄せ集めていくうちに、ジェニファーを取り囲む微妙な家族の関係と、年上の友人アマンダとの不穏な確執が次第に鮮やかな像を結び始め、 やがて、この殺人事件の真相の全貌が明らかとなった時、私たちは気付くことになる。
「認知症」とは、忘れ去ってしまうことが悲劇なのではなく、何度も思い出してしまうことが悲劇なのではないかということを。
目のまえの人物がふたたび泣きはじめる。お母さん?なにがいいたいの?
それから彼女は考える。彼女はまだときどき考えることができる。彼女はこの人物を知っている。この人物になにができるのかを知っている。 いまはわかっている。では、こうやって終わるのだ。痛みのむこうへいくというのは、こういう感じのするものなのだ。あなたはそのむこう へいくことができる。
2014/9/8
「しんがり」―山一證券 最後の12人― 清武英利 講談社
日本の大企業の社長が泣きながら頭を下げる写真は全世界に配信された。米紙ワシントン・ポストはその写真を添えて、こんな社説を 掲げた。
<Goodbye,Japan Inc.>(さよなら、日本株式会社>
確かにそれは、日本の終身雇用と年功序列の時代が終わったことを告げる涙だった。
「社員は悪くありませんから! 悪いのはわれわれなんですから! お願いします。再就職できるようお願いします」
1997年11月、二千六百億円もの簿外債務を隠していたことが露見した証券業界の名門・山一證券は、大蔵省から自主廃業を求められる こととなり破綻した。この有名な「涙の記者会見」を潮時にして、<悪くない>社員は言うまでもなく、<悪い>はずの役員までもが再就職へ と走り出した。特に社内権力者の取り巻きや、債務隠しの実態を知りうる立場にいたはずのエリートと呼ばれた者たちの逃げ足は、驚くほど 速かった。
自分の「会社」が、みるみるうちに崩壊していこうとしている現状の中で、置き去りにされようとしていることが二つあった。社員たちが 集めてきた預かり資産二十四兆円を、顧客に確実に返していく、後ろ向きの「清算業務」と、山一を滅亡に追いやった二千六百億円もの簿外 債務が、いつ、どのように誰の決断で生まれ、どのような人間によって隠し続けられたのかという、「債務隠し」の真相究明である。
『後軍(しんがり)』
それは、味方が戦に敗れ退く時、最後尾にとどまって戦う兵士たちのことである。彼らが楯となって戦っている間に、多くの兵は逃れて再起を 期すことができるのだ。
「山一證券業務管理本部(通称ギョウカン)」
1991年、証券業界の相次ぐ不祥事に対応して、いわば渋々急造されたこの組織は、社内での違法行為を監視するための司法部門ではあったが、 稼げる社員に稼がせ、出世させる「花形」の営業部門にとってはお荷物の、社内では「場末」と看做され、嘲笑されるような組織でもあった。
そして、会社中枢から離れたところで仕事をしてきた、というその立場が、彼らに山一の『後軍』を務めさせる結果とはなったのだが、新任の 常務・業務管理部長として、『後軍』に残った山一證券最後の12人を「組長」として引っ張ることになった嘉本隆正(当時54歳)が、
「山一自身が事実を調査する必要などあるのか」
「公表して名誉棄損などで訴えられれたときの責任は誰がとるのか」
「マスコミの論調に流されるべきでない」
などと、公然と調査委員会を批判する旧経営陣や幹部たちに、自身には何の得もないにもかかわらず、敢然と立ち向かっていく姿を、ここまで 見事に描き切って見せたのは、
オーナーとの確執から巨人軍代表の座を追われた著者も、自らの境遇を省みて、感ずる部分があったからに違いないと思うのである。
たぶん、会社という組織には馬鹿な人間も必要なのだ。いまさら調査しても、会社は生き返るわけではない。訴えられそうなその時に、一文 の得にもならない事実解明と公表を土日返上、無制限残業で続けるなど、賢い人間から見れば、馬鹿の見本だろう。しかし、そうした馬鹿が いなければ、会社の最期は締まらないのだ。
2014/9/4
「ヒトラー演説」―熱狂の真実― 高田博行 中公新書
「不幸なことに、政権にある者たちはほとんどの場合に忘れ去ってしまっているのだが、最終的な強さというものはそもそも師団や 連隊、大砲や戦車の数にあるのではなく、政権にとっての最大の強さは国民自体のなかに、一致団結した国民、内面で連帯した国民、理念を 確信した国民のなかにある。この国民の力があってこそ、山のような障害も最後には取り除くことができるのである。」(1935年5月1日、 「国民労働の日」の演説)
右手人差し指を立て小刻みに宙に揺らしながら、徐々に聴衆を煽り立て、クライマックスでは突然握りこぶしを振り下ろして、大きな声を張り 上げる。
ドイツ労働者党結党以来わずか14年で、7人から1200万人へと党員を増員した「ナチス運動」を統率し、ついに首相の座に上り詰める ことになった。そんなヒトラーの権力掌握への道のりに、彼の演説が聴衆を熱狂させたことが大きな一因となっていたのだとするならば、その 秘密はいったいどのあたりにあったのか?
残された多くの映像から私たちの脳裏に焼き付けられたヒトラーのヒステリックな姿だけが、決して彼の演説のすべてであるはずはなかった。
ヒトラーの演説文を客観的に分析できるように、ヒトラーが四半世紀に行った演説のうち合計558回の演説文を機械可読化して、総語数 約150万語のデータを作成した。
この本は、ヒトラーの演説文を統計学的に分析するというアプローチから、どこにどのようなことばの仕掛けがあるかを探り、それをヒトラーは どのような音調で語り、どの箇所でどのようなジェスチャーを用いていたのかを時間軸に沿って跡付けることで、それが結果的に、どのような 政治的・歴史的状況のなかで聴衆の心を捉えるにいたったのかを、浮かび上がらせて見せようという、きわめて意欲的な試みなのである。
というわけで、ヒトラーの演説は、
1925年頃には、演説文の構成と表現法に関しては、すでに弁論術の理論にかなった完成の域に達していた。
1928年からのマイクとラウドスピーカーの導入が、特大ホールの最後列にいる聴衆までもを熱狂させ、ヒトラー演説の集票力を飛躍的に 高めることになった。
1933年に政権を掌握してからは、ラジオと映画という再生と複製が可能な装置を手中に収め、ヒトラーのカリスマ性は大都市のホールから、 小さな村々にまで一斉に伝播した。
ということになるわけなのだが・・・
「しかし、まさにここに、ヒトラー演説についてのイメージをおそらく最も大きく裏切る事実がある。」
なんて、ヒトラー自身も気づいていなかったに違いない、ヒトラー演説の機能の変容を指摘して見せたことが、この本の最大の手柄と言わねば ならない。「ヒトラー演説は、常にドイツ国民の士気を高揚させたわけではない。」ということなのである。
これらの新しいメディアを駆使したヒトラー演説は、政権獲得の一年半後にはすでに、国民に飽きられはじめていたのである。ヒトラー演説 は、ラジオと映画というメディアを獲得することによって、その威力は理論値としては最大になった。ところが、民衆における受容という いわば実測値においては、演説の威力は下降線を描いていったのである。・・・
ラジオ放送での聴取が義務づけられたヒトラー演説は、ヒトラーと国民との関係を語り手と聞き手としてではなく、管理する者と管理される者 という関係に変質させた。逆説的であるが、ヒトラー演説を熱心に聞いたのはドイツ国民ではなく、ナチスドイツの動向を窺おうとする 外国政府であった。
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