徒然読書日記201408
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2014/8/30
「捨ててこそ 空也」 梓澤要 新潮社
「苦が人のさだめなのだとしたら、それから逃れることが唯一の救い。仏の教えは本当にそれに導いてくれるものなのか。ずっと 疑っておりました」
「疑っていた?」
「はっきりそのこたえを示してくれぬかぎり、仏を信じることなどできぬ。出家する意味はない。そう思っていました。そのこたえを、ようやく 見つけました」
十二門論を繙くと、震える指でさし示した。冒頭、大乗仏教の要諦を説くくだりである。
「よく衆生の大苦を滅除し、大利益を与えるが故に、名づけて大(乗)とす。また、観世音、得大勢、文殊師利、弥勒菩薩等、是の諸大士の乗る 所の故に、名づけて大(乗)とす。また、この乗を以て、よく一切諸法の辺底を尽すが故に、名づけて大(乗)とす。深義はいわゆる空なり」
――人々のあらゆる苦しみを滅除し、大いなる利益を与える。
「これこそが、仏の教えの真の目的。雷に撃たれたような衝撃がありました。胸を絞り上げられる気がしました」
――大乗の深義は空なり。
その短い一文を大事そうに指先でなぞって宣言した。
「これをおのれの心に刻み込むために、けっして忘れぬように、空也をわが名にしたいと思います」
「すべては空」と悟ることでしか、苦しみから逃れるすべはない。そこからすべてが始まる。
「そうか、空也(くうなり)。空也(くうや)か」
醍醐天皇の第五皇子でありながら、怨霊・菅原道真の生まれ変わりと疎まれ、親王宣下すら受けることができなかった常葉丸は、まだ幼い頃、 生家の身分が低いため寵愛を失ったのだと激昂し、錯乱した母に、高殿の縁から放り投げられ、地べたに叩きつけられたため、その左肘は 折れ曲がったまま、物もうまく掴めなくなってしまっていた。
父母の愛を得られないことに絶望し、都を出奔した常葉は、やがて怪しげな布施行の集団に加わり行動を共にする中で、下層民の日々の営みと 生々しい生と死の姿をその目に焼き付けることになるが、やがて体を壊して京に舞い戻った常葉は、仏法をしっかり学んでみようと決意する。
「わたしは苦しんでいる人々を救いたいのだ。苦しみの原因はなんなのか。苦しみから逃れるすべはあるのか。苦しむ人を救えるものがある としたら、それはなんなのか。仏の教えにその答えはあるのか。知りたい。確かめたい。ようやっと決心がついた」
しかし、官僧という安定した地位を求めるための修行の場にその答えはなく、紀伊国の絶海の孤島に渡り、壮絶なる荒行の末、ついに十一面観音 の導きにより悟りを得た。曲がった左肘に金鼓を掛け、路上に立ってただひたすらに念仏を唱える、みすぼらしく痩せ細った乞食僧<空也>の 誕生である。というわけで、
もちろんこれは、開いた口元から6体の阿弥陀仏(南無阿弥陀仏6字の象徴)を吐き出す、六波羅蜜寺のあの彫像で有名な<空也>が歩んだ 数奇な人生の物語なのだが、
「道理、善悪、知識。それらはすべて我欲。往生を願う心も、悟りを求める心も、おのれを縛る執心。自我にとらわれておるのです。執心を 捨てねば、おのれを捨てることなどできませぬ。おのれを捨て切らねば、無にはなれませぬ。無にならねば、悟りは得られませぬ」
「いかにも・・・何であれ、何もかも、捨ててこそ」と、悟りを求める人にはそっけなく言い捨てることはできても、「なかなかそれが難しいの だ」ということは、加持祈祷で肘の曲がりをほぐしてもらうことになった空也にだって、もちろん身に染みて分かっていることなのではあった。
「う、うう・・・」
くぐもった呻き声を挙げた空也は、自分でも気づかぬうちに大粒の涙を流していた。
母が死んだとき泣かなかった。泣けなかった。その行き場を失っていた涙がいま、とめようもなくあふれ出た。
母上、どうか赦してください。わたしを赦して。
気づくと、肘は真っ直ぐ伸びていた。
「まだ痛みますか」
「いえ。いえ、そうではありませぬ」
空也は涙をぬぐおうともせず、かぶりを振った。
「いま気づいたのです。わたしの心の底に、五十余年もの長き間、自分ではそうと知らず、母に対する恨みつらみがわだかまっていた。 ねじくれて凝り固まっていたのは肘ではない。わが心だったようだ」
2014/8/28
「『知』の挑戦」―本と新聞の大学T、U― 一色清 姜尚中ほか 集英社新書
私は「知」というものを説明する際、しばしば「生もの」と「干もの」という二つのものを例に使います。生ものの知の代表は新聞を 中心とするメディアです。ジャーナリズムです。ジャーナリズムは社会の皮膚呼吸であり、社会で起きている日々の出来事を幅広く拾いあげます。 これに対して、干ものとは大学や本――主に古典ですが――によって担われるような知です。こちらはアカデミズムのなかにある縦割りの専門知 であり、そこに携わる研究者は、長い時間をかけて熟成されたものを、しっかりと咀嚼して吸収していきます。(政治学者・姜尚中・東大教授 『日本はどうなる?』)
種々雑多で、玉石混淆で、しかも有象無象の、膨大な情報の海のなかを泳がねばならない、今の日本を生きる私たちにとって、必要とされている ものは、昔ながらのベーシックな「知」をベースとした、正しい「座標軸」のようなものであるに違いない。
「生もの」と「干もの」、この二つをバランスよく取り入れて、双方をチューニングしつつ、ある種の「総合知」のようなものを身に付ければ、 それが「座標軸」となるのではないか。
現代を代表する第一線の学者やジャーナリスト、知識人などが縦横無尽にその個性を発揮し、階層も職業も年齢も人生経験も違う、様々な受講生 がこれに応じて自らの思いを吐露する。
これは、そんな熱き思いを胸に抱きながら、いまや「斜陽産業」となり果てた「本」と「新聞」とが、危機を逆手にとってコラボを組んだ、 まことにユニークなオープン・カレッジの企みなのである。
<いまは評論に力を入れる新聞が多いが、評論ではなく事実を掘って読者に呈示する、そういう組織を社会が必要とすればこそ、新聞はいま しばらく生き残ることができるのではないか>と、現場からの異議を申し立てるのは、朝日新聞論説委員の依光隆明。(『私的新聞論―― プロメテウスの罠』)
<日本の政治学が政治を動かしているとまでは言わないが、現実政治と遊離して何の影響力もないというのは浅い理解で、意外に人々の物の 考え方を規定している面がある>と、戦後政治学の歩みを総括しながら、ある種の敵を想定して議論するやり方はもう反省の時期に入っている とまとめてみせたのは、政治学者の杉田敦・法大教授。(『政治学の再構築に向けて』)
<創党100周年を迎える2021年までは政権を握るという、権力維持そのものが中国共産党の目的になっているのではないか>と予測する 元朝日新聞編集委員の加藤千洋・同志社大教授は、経済の安定成長を保ち、国際社会との協調性を持ちながら、民主的な政治体制に舵を切ること を、習近平率いる中国に注文している。(『2020年の中国――世界はどう評価するか』)
などなど、ご紹介し始めるときりがないことになってしまうのだが・・・続けよう。
「予知できない科学(発見の知)」と「妥協の上に成り立っている技術(創造の知)」に対する、このところの世間からの不信を真っ向から 受けて立った、宇宙物理学者の池内了・総合研究大学院教授。(『科学と人間の不協和音』)
既得権益が染み付いた日本のシステムを「グレートリセット」すべきだという主張が、これまでの「改革」で最も割を食ったはずの人々の 「ガラガラポン幻想」を掻き立てたのではないかということを、リスクの社会化と個人化という切り口で分析して見せた、政治・歴史学者の 中島岳志・北大教授。(『橋下徹はなぜ支持されるのか』)
母親を在宅介護で見送った自らの体験から話しを始め、その社会で主流となる文化の価値観からはずされた人たちの「声」に耳を傾けることで、 今自分たちが暮らすこの社会で年を重ねることの意味を問いかけた、作家の落合恵子。(『OTHER VOICES 介護の社会学』)
「どんなバカでも質問に答えることはできる。重要なことは質問を発することである」という米国の女性経済学者の言葉で受講生を挑発しながら、 会場からの質問を的確にさばき、ローカル・コミュニティに日本経済の今後の活路を求める自らの主張に繋げてみせた、エコノミストの浜矩子・ 同志社大教授。(『グローバル時代をどう読むか――地球経済の回り方』)
とご覧のとおり、全部違う分野の今が旬の専門家たちの魅力あふれる講義満載なのであるが、これを通しで読むことにもっと大きな意義がある ことに気付く。
専門的な各分野を横断し、理系と文系の垣根も乗り越えた時、そこに開けてくるあっと驚くような風景。もしそれが「総合知」と呼ばれるもの であるとするのなら、それはひょっとしたら、偉大なるアマチュアの世界なのかもしれない。
これまで、私たちは常に部分を切りとって、そこでのある種の最大効果を求めようとしてきたのですが、部分的な思考に陥ると全体を損ねて しまうというようなことは、生命をめぐる反応のなかにはたくさんあります。動的平衡にかなった生き方というのは、結局、その流れをとめない ということでしかないのです。その流れをせきとめて制御しようとする私たちの思惑を動的平衡は凌駕し、超えていくのです。無駄な抵抗をして いるのは人間だけで、地球上の資源をはじめ様々なものを占有しようとしているわけですが、他の生物はみな、こうしたものを共有し、共生 しようとしています。動的平衡はこうしたことについても、私たちに問いかけるものを持っているように思います。(生物学者・福岡伸一・ 青山学院大教授『科学と芸術の間』)
2014/8/20
「漢字は怖い」―白川静さんに学ぶ― 小山鉄郎 共同通信社
「方」は「横にわたした木につるした死者(架屍)」の字形です。
邪悪な霊を祓うため、共同体の境界のところに呪禁(邪霊を祓うまじない)として横にわたした木に死者をつるして置いたのです。
自然死の死者ではなく、人を殺して、その屍を木にかけて、呪禁することを示している文字が「方」なのです。
「放」=「方」と「攴」でできた字。
「攴」の「ト」の部分は木の枝(または鞭)で、「又」は手の形なので、つまり「放」とは、木にかけた屍を木の枝で殴つ行為を表す字形である。 つまり、屍の持つ呪禁の力をより一層高めるために、異族との境界に置いた死体を木の枝で殴って、邪霊を追放する儀式を示すのが「放」の意味 するところなのだ。
「防」=「B」と「方」でできた字。
「B」は神様が天と地を登り降りする階段(または梯子)のことで、その前に邪霊を祓う呪禁として、木につるした屍を置くことを「防」という。 つまり、本来は聖所を「まもる」意味であったが、のちに都城や国境など、重要な境界を守る、防衛、防御する意味となったのである。
というわけで、文字学の巨人・白川静がほぼ独自に築き上げた漢字の体系のエッセンスを、イラストを用いてわかりやすく解説し、話題となった
『漢字は楽しい』
。 そんな<白川静さんに学ぶ>シリーズの第二弾は、「漢字ってけっこう怖いんですね」という前作に対する反響にお応えして、
「実は、もっと怖いんですけれど・・・」というものだった。
「私の名の、この『白』は、それは髑髏(されこうべ)のことでございます」という話を白川静さんはよくなさいました。・・・
「白」の古代文字を見てください。これは白川静さんが話したように、風雨にさらされて白骨化した頭蓋骨、髑髏の形です。白骨化しているので 「しろい」という意味になりました。
「檄」=「木」と「白」と「放」
「架屍」を殴つことを示す「放」の上に「白」を足せば、その屍には白骨化した頭蓋骨が付いていることになる。これは木に架した屍の髑髏を 殴って、悪霊を追放する儀式なのだ。「木」偏は木札に文字を書き記した木簡のことで、その意を文章に託して「檄を飛ばす」のである。
この旁部分は呪霊を刺激して、他に呪詛を加える行為を示すものなので、「はげしくなる」という意味が含まれる。「木」を「シ」に変えれば、 水が激しく流れること。転じて、すべてのことに対して「はげしい」ことを表すようになった。
これが「激」である。
う〜む。漢字って本当に奥が深い。
これらは確かに「蛮風」です。そのように白川静さんも記していますが、しかし続けて、白川静さんは「われわれが蛮風とするところのもの も、かつてはそれなりの理由を存する厳粛な行事とされていることが多く、いまの文化民族の古代における習俗のうちにも、しばしば同様のこと が見出される」と『漢字の世界』の中で書いています。
2014/8/19
「微笑みのたくらみ」―笑顔の裏に隠された「信頼」「嘘」「政治」「ビジネス」「性」を読む― Mラフランス 化学同人
笑顔は、それを見る人たちに感情の流れを生み出す。これは、微笑んでいる人が、自分がしていることに気づいていてもいなくても、 また、笑顔を受け取った人が、自分の反応の理由を認識できていてもいなくても、生じることである。そうしたことにかかわらず、笑顔は結果を 伴う行為なのである。笑顔は、それを見た人にだけではなく、笑顔を表した人にとっても何らかの結果を伴う。最近の研究によると、全般的に 笑顔を見せる傾向のある人は長生きするようである。
なぜ、男性は女性の笑顔を見ると、気を引こうとしていると解釈し、一方、女性が男性の笑顔をそのように受け取ることはほとんどないのか?
失敗してしまったり、ルールを守れなかったりしたときに、微笑みはどのようにあなたを窮地から救うことができるか?
なぜ、力のない人たちや地位の低い人たちは、より多く微笑むのだろうか?
当惑していたり、不安であったりする人たちが、急に笑顔を見せるのはなぜなのか?
この本は、女性のジェンダーとセクシャリティの研究者であるイェール大学の心理学教授が、
「何が私たちを笑顔にさせるよう動機づけているのか」
「微笑むとどんなことが生じるのか」
という<笑顔の科学>について、心理学から医学、文化人類学、生物学、脳科学、コンピューター科学までの多岐にわたる分野を渉猟し、 その最新の研究成果を紹介するものである。たとえば、
赤ちゃんは、出産の一、二ヶ月前にすでに、お母さんの子宮の中で微笑む練習をしている、という驚くべき事実が、科学者により観察されている。 自力でできることが何もない赤ちゃんは、この世に生まれたらすぐに、誰か支えてくれる大人を見つけ、引きつけるために、筋肉が動くように しておかねばならないのだ。赤ちゃんは、最初は結果を伴うが意図は伴わない微笑みを浮かべるだけなのだが、やがてその効果を確信する につれて、意図的に笑顔を見せることを学習していくことになる。
などという話を聞けば、あなたはもう今までのように、あの純真無垢な天使のような笑顔を、そのまま素直に受け止めることなどできなくなって しまうかもしれない。
もちろん、大人の笑顔にまつわる手練手管の数々が、更に複雑なものであることは、改めて言うまでもないことなのである。
なぜそうなっているのかははっきりとわからないが、私たちは、顔に微笑みを浮かべるための二つの経路をもっている。科学者は、笑顔が、 私たちの祖先において最初、肯定的感情を表す真の表示として進化したと推測している。その後、第二のシステムが発達し、悲しみや激怒を 含むどんな感情の最中にでも、人は意図的に微笑むようになった。感情が他人に見えやすいというのは、いつでも望ましいわけではない。 感情がわかってしまうと、人の感情を利用したり操作したりしようとする者から被害を受けやすくなってしまうので、この第二のシステムが 進化した、という議論もある。
2014/8/18
「春の庭」 柴崎友香 文芸春秋
「この家が、あの家なんです」
大判の薄っぺらい本は、「春の庭」と題された写真集だった。開くと、アルバムのように一ページに四枚か六枚の写真が並んでいた。ほとんどが モノクロ写真だった。
「ほら、同じでしょう」
洋館ふうの建物で、横方向に張られた壁板は明るい水色に塗られている。赤茶色の瓦の屋根は平べったいピラミッドのような角錐型で、天辺には 槍の先形の飾りが付いていた。それは確かに、太郎が住んでいるアパートの斜め隣で、同じ区画にありながら、左官のこて跡が鱗模様を描く 白い塀にぐるりと囲まれているために、路地からは二階しか見えない、「水色の家」の写真だった。
「できたらこちらのベランダの柵に、上らせていただけないか」という面倒なお願いに押し切られてしまったお礼にと、晩ご飯をご馳走になった 居酒屋で、その写真集を取り出して見せた西と名乗る女は漫画家で、「水色の家」の黄緑色のタイルの風呂場に惹きつけられながら、一人暮らし には広すぎ、家賃も高かったので住人になることは断念し、その裏手にある、取り壊し予定で空き部屋があった、つまり太郎が今一階に住んで いる、築31年の「ビューパレスサエキV」の二階の部屋の住人となったというのである。
よく晴れた日曜の午後、太郎はベランダのサッシを開けた途端に、西の顔を見つけて驚いた。
水色の家の赤蜻蛉ステンドグラスが跳ね上げられて開いており、そこから西が頭を出していたのだ。
「ええっ」
西は狙い通り、偶然を装って幼い娘に近づき、新しい住人の森尾さんとお友達となって、念願の「水色の家」に出入りすることに成功していた。
「でもお風呂場にはなかなか入れないんですよねー。広い洗面室の奥にあるから、廊下から覗けないし。あとはあの風呂場の黄緑色のタイル だけ、心残りで。」
本年度「芥川賞」受賞作品。
柴崎さんは終始一貫して、街、町、道、路地、建物といったものになにかの生命のようなものを感受して、その正体を暴こうとしてきた。 その試みは対象物と自分の目線とをいつも同じ高さに保つことで繰り返し行なわれてきたのだ。(宮本輝氏の選評)
<しかし「春の庭」では、作者の目は俯瞰的である。>
太郎と西と、そして物語の最後のほうで唐突に登場してきて、語り手の位置を奪い取るかのような太郎の姉と、それぞれの視点から描かれる 「春の庭」の情景が、立体的に組み合わさって一次元上の俯瞰的景観を垣間見せることを可能にしてくれたとでも言うかのように、太郎は アパートの自分の部屋と、「春の庭」とを区画するブロック塀の上に立ち、ついに「水色の家」の側に降り立つことになるのだった。
2014/8/9
「HHhH」―プラハ、1942年― Lビネ 東京創元社
あなたは強い、権力がある、自分に満足している。すでに何人も殺しているし、これからもたくさん殺すし、まだまだ殺す。何もかも 思いどおり、邪魔立てするものは何もない。十年もしないうちに<第三帝国でもっとも危険な男>と言われるまでになった。あなたを侮る者は 誰もいない。もう誰も<山羊>とは呼ばない、<金髪の野獣>と呼ぶ。動物種の階梯のカテゴリーを、あなたは決定的に変えてしまった。今では 誰もがあなたを恐れている。眼鏡をかけたチビのハムスターみたいな、あなたの上司でさえ。彼だって、ずいぶん危険な人物なのに。
『HHhH』= Himmlers Hirn heisst Heydrich
(ヒムラーの頭脳はハイドリヒと呼ばれる)
第二次世界大戦中のチェコスロヴァキアでは、スロヴァキア人は対独協力に走ったが、チェコ人は抵抗する道を選んだ。その結果、スロヴァキア はナチスによって属国化されていたとはいえ、名目上は国家としての独立を保つことができたが、保護領としてナチスに併合され、ドイツ軍に よって占領されることとなったチェコに、総督代理として送り込まれてきたのは、ラインハルト・ハイドリヒ。
ナチス・ドイツの悪名高きゲシュタポ長官にして、「ユダヤ人問題」の「最終解決」策を発案し、責任者として着実に実行してみせた男だった。
ロンドンへの亡命を余儀なくされたチェコ政府が企んだハイドリヒ暗殺計画、名づけて<類人猿作戦>。
密命を受け本国チェコに降り立ったのは、二人のパラシュート部隊員、チェコ人のヤン・クピシュと、スロヴァキア人のヨゼフ・ガプチークで、 いざという時に拳銃から弾が出ない!など、手に汗握る紆余曲折の末、どうにか暗殺を決行してはみせたのだが・・・
街では、二か国語で書かれた赤いポスターがいたるところに貼り出されている。これは地元住民に伝えるべきことがあるたびに使われている 手段だが、今回のはおそらく、こうした一連のポスターの最高傑作として後世にまで残るだろう。それにはこう書かれている。
<1942年5月27日、プラハ市中で、保護領総督代理、親衛隊上級大将のハイドリヒに対する襲撃事件が起こった。
犯人逮捕に協力した者には、1千万コルナの報奨金を与える。犯人を匿ったり助けたりした者、あるいは犯人の居場所を知りながら通報の 義務を怠った者は、家族も含め全員銃殺に処される。>
「1万人のチェコ人を銃殺せよ」というヒトラーの怒声に追い立てられるかのようにして、たとえば、ほんの些細なことから犯人との関係を 疑われたリディツェ村では、男は全員銃殺、女子供は全員収容所送りとなり、建物はすべて焼き払われた。ナチス高官が暗殺されたことへの みせしめとして、一つの村がまるごと、この地上から姿を消してしまったのだ。
そしてついに、教会の地下納骨堂に潜伏しているところを発見された暗殺実行犯の若者たちは、決死の籠城作戦もむなしく、水責めによって 悲惨な最期を遂げることになる。
「ギリシア悲劇にも似たこの緊迫感溢れる小説を私は生涯忘れないだろう。・・・傑作小説というよりは、偉大な書物と呼びたい。」 (マリオ・バルガス・リョサ)
そうなのだ。この物語には実在の人物以外は登場しない、これはまぎれもない「史実」なのであれば、むしろ「史実」に基づいて小説を書く ということの意味を、物語の佳境にもかかわらず、興醒めであることも覚悟して、随所で立ち止まりながら、自らを倫理的に問い詰めていく かのような、革新的な作品なのであった。
ミラン・クンデラは『笑いと忘却の書』のなかで、登場人物に名前をつけなければならないことが少し恥ずかしいとほのめかしている。とは いえ、彼の小説作品にはトマーシュだとかタミナだとかテレーザだとか名づけられた登場人物があふれ、そんな恥の意識などほとんど感じさせな いし、そこにははっきりと自覚された直感がある、リアルな効果を狙う子供っぽい配慮から、もしくは最善の場合、ごく単純に便宜上であっても、 架空の人物に架空の名前をつけることほど俗っぽいことがあるだろうか?僕の考えでは、クンデラはもっと遠くまで行けたはずだ。そもそも、 架空の人物を登場させることほど俗っぽいことがあるだろうか?
2014/8/12
「日本史の謎は『地形』で解ける」―文明・文化篇― 竹村公太郎 PHP文庫
これほどまで徹底してショートカットしたのか。これほどまで北海道の技術者たちは蛇行部を嫌ったのか。
それまで全国各地の河川改修の図面を何百枚も見てきたが、これほど強い執着、いや執念を感じさせる図面に出会ったことはなかった。
石狩川河口にある「川の博物館」に、建設省河川局時代の先輩技師を訪ねた著者は、かつて蛇行していた石狩川と現在の直線化された石狩川の 図面を見つめながら、内心たじろいていたのだが・・・、
「なぜ、これほどショートカットしたと思う?」と聞いてきた先輩に、わかりきったことを今さらと思いながら、「洪水の流下能力をあげるため でしょ」とそっけなく応じた私に、「それだけじゃないんだよ」と優しく諭すように返ってきた答えは、全く思いもよらないものだったのである。
<「地形」を見直すと、まったく新しい日本史・日本文化が見えてくる!>
ベストセラーとなった<前作>に続く第二弾は、今度は歴史だけでなく、日本人の心情や勤勉性の謎にも迫ってしまおうという「文明・文化編」 の14題。たとえば・・・
<なぜ日本は欧米列国の植民地にならなかったか>
―日本には欧米人の欲望をかき立てるものは何もなく、逆に恐怖させる自然災害が嫌というほどあった。―
<日本人の平均寿命をV字回復させたのは誰か>
―ロシア革命で不要になった毒ガス用の液体塩素を水道水の殺菌に転用したのは東京市長の後藤新平だった。―
<日本の将棋はなぜ「持駒」を使えるようになったか>
―険しい地形と湿地帯のため「歩いて担ぐ」日本人は、持ち運ぶ将棋の駒を「立像」から「平型」に変え、それが敵味方の区別を色ではなく 向きで表すことを可能にした。―
というわけで、冒頭の先輩からの回答は、以下のようなものだった。
「ショートカットは石狩川の川底を下げるためだよ。川底を下げて石狩平野の地下水を下げたかったんだ」
つまり、石狩川の流速を速めて川底を洗掘させることで石狩平野の地下水を下げ、「泥炭層」の不毛の地を肥沃な稲作地帯に生まれ変わらせた ことになる。石狩平野に今も残された数多くの三日月湖は、北海道の未来がかかる石狩川の治水という困難な使命に、果敢に挑んだ土木技術者 たちの執念の証だったのである。
100年後の北海道は今の東北から関東の気温になり、北海道の全域で稲作はもちろん、ありとあらゆる農作物が収穫できる。
日本は北海道という穀倉地帯を手に入れることとなる。北海道は東北6県と北関東3県を合わせた広大な土地である。間違いなくこの地が日本の 未来の食糧を支えていく。
北海道は弥生時代を持たなかった。その北海道は新たな弥生時代に入ろうとしている。
大正、昭和の執念の石狩川ショートカット、そのショートカットが北海道の弥生を準備してくれた。
2014/8/2
「無罪請負人」―刑事弁護とは何か?― 弘中惇一カ 角川oneテーマ21
すべての事件で無罪を目標にできるわけではない。執行猶予をとることや、できるだけ量刑を軽くすることが目標の事件はたくさん ある。ケースによっては、結果よりも、被告人として主張したいことを十分主張させることがまず大事なこともある。何が何でも無罪獲得という ものではない。
また、もし依頼された事件について無罪を目標にすべきだと判断した場合でも、私にできることは、「なんとかして無罪を勝ち取るよう一緒に 頑張りましょう」と言って力を尽くすだけである。「私にまかせろ」と言って請け負えるものではない。
「なぜあなたは社会から敵視される悪人を好んで弁護するのか?」
というのが、マスコミから貼られた「無罪請負人」というレッテルに強い抵抗を感じてきた著者の、よく聞かれることになる質問なのだという。
<疑惑の総合商社>と呼ばれた鈴木宗男。
<疑惑の弾丸>で沸かせたロス事件の三浦和義。
<薬害エイズ事件>の元凶と名指された安部英。
これ以外にも、「陸山会事件」の小沢一郎、「武富士」の武井保雄、「ライブドア」の堀江貴文・・・などなど。いずれもが、マスコミによって 徹底的に叩かれ、一時的に「極悪人」であるかのように書き立てられた、錚々たる人物たちではあるのだが、その弁護を引き受けることになった 著者にとって、彼らはもちろん、決して「悪人」でも、「社会の敵」でもなかった。
むしろ、捜査当局や世間から不当に弾圧され、非難されて、様々な被害を受けているからこそ、弁護士である自分を頼ってくるのだから、 マスコミがどのように報じ、世間がどう噂しようとも、予断や偏見を持つことなく、「依頼人の話をよく聞く」のでなければ、弁護士としての 存在意義はなくなるというのが、この著者の取るスタンスなのだった。
というわけでこの本は、そんな著者がこれまでの弁護士活動の中で関わることになったいくつかの「刑事事件」を、これからの社会のありようを 考えるための格好の材料として提示しようとしたものである。
たとえば、村木厚子さんが冤罪に問われた<郵便不正事件>。
もともとは郵便割引制度を悪用した単なる罰金刑レベルの事件が、厚生労働省から虚偽の証明書が発行されたことが判明して、特捜検察の出番と なったのだが、大阪地検特捜部が東京地検特捜部へのライバル意識から、政府高官が絡む大事件にしようと、関係者の供述をでっち上げて、 立件しようとした事件だった。
事件の捜査は悪質にして杜撰、結果的には重要証拠とされたフロッピーディスクを検察官が改ざんしていたことが発覚して、現職検事3人が 逮捕される不祥事で幕引きとなったのだが・・・
「マラソンを走っていて、40キロ地点で突然腕をつかまれて、コースの外に引きずり出されたような気がしています」
と語った、村木さんに起こったことは、私たちの身にもいつでも起こりうる、決して無縁ではない事件であることを、思い知るだけでも一読の 値はあると思う。
日本の検察が誇る刑事裁判の有罪率は99.9%。これはつまり、罪を犯しておらず、本来であれば無罪となるべき事件が、かなりの数、 有罪になっているということなのだ。
裁判で無罪の判決を得るためには厚く高い壁が立ちはだかる。仕事や生活を犠牲にし、大変な肉体的、精神的、経済的、時間的な負担を 強いられる。さらには家族や同僚へのさまざまの影響も覚悟しなければならない。その上で裁判を闘っても、圧倒的に検察に有利な司法手続き の中で無罪を手にする確率はごくわずかであり・・・
つまり、よほどの幸運が重ならなければ、無罪確定にこぎつけることはできない、そうであれば、「身に覚えがなくても、さっさと罪を認めて 執行猶予付き有罪を狙ったほうがいい」という誘いに乗りたくなる。いわば泣き寝入りをさせられるということである。これが100%近い 有罪率の内実である。
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