徒然読書日記201405
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2014/5/18
「回転ドアは、順番に」 穂村弘 東直子 ちくま文庫
◇日常は小さな郵便局のよう誰か私を呼んでいるよな
◆見詰め合うふたりの影の真ん中にちろちろちろちろちろ水の影
運命的な<出会い>は、郵便局のドアの前だった。今日発売の「ブラック・ジャックとピノコ」切手を買いにきて、ドアの前でタイミングを 図っていた、回転ドアが苦手な男(◆)と、回転ドアに入れないかわいそうな人がいると,横目で眺めながらしゅるんと出てきた、 みずいろのサングラスの女(◇)。
あ、って思ったのであ、って言ったら、むこうの人もあ、って思ったのか、あ、って言って、いささか不器用な<恋>が始まった。
◇目の奥に夜をおさめてやさしかった真昼のことを胸にとかした
◆天沼のひかりでこれを書いている きっとあなたはめをとじている
眠れぬままにしたためた、完璧な短い<手紙>(スイート・ラブレター)。
◇雲を見て飲むあついお茶 わたしたちなんにも持たずにここに来ちゃった
◆いつのまに消火器にガム張りつけて青空くさいキスのはじまり
初めての、まるで無計画な<デート>。
◇永遠の迷子でいたいあかねさす月見バーガーふたつください
◆夜の海に向かってきみが投げたのはハンバーガーのピクルスだった
おそらく意図的に終電を乗り過ごして、たどりついた夜の観覧車へと、加速していく<愛>。
◇だれも知らない場所に溜まっている水にその直前の、あ、がとどいた
◆回転木馬泡を噴きつつ眼を剥いて静かに止まる夜の沸点
・・・(ココチヨイのすべてがしみている)
この後、お定まりの痴話喧嘩があって、よりおだやかなものへと仲は深まり、病気の看病、プロポーズ、結婚、そして・・・
◇(隕石で手をあたためていましたがこぼれてしまうこれはなんなの)
◆(隕石のひかりまみれの手で抱けばきみはささやくこれはなんなの)
男の突然の<事故死>へと、この往復書簡(メール)は続いていくのである。
でも、ご心配なく。これは、穂村弘(◆)と東直子(◇)という、現代短歌界最強の組み合わせによって奏でられた、まことに濃密で、 それでいて妙に透き通った、仮想宇宙の<愛>のお話なのであれば、回転ドアをくぐり抜けるように、ふたりはきっとまた再会することになる に違いないのである。
◆日溜りのなかに両掌をあそばせて君の不思議な詩を思い出す
◇遠くから来る自転車をさがしてた 春の陽、瞳、まぶしい、どなた
2014/5/15
「古代日本の超技術」―あっと驚くご先祖様の智慧― 志村史夫 講談社ブルーバックス
東京スカイツリーには、足元からてっぺんまで日本企業の最先端技術の粋が集められている。
地上350mの展望台まで約50秒で到達する高速エレベーターや、毎秒110mの最大瞬間風速に耐える流線型の地上デジタル放送用アンテナ を始めとして、天望回廊に使われているガラスや外壁の塗料、省エネLED、壁状の杭をつないだ基礎や制振装置などなど、枚挙にいとまがない。
しかし・・・「じつは、東京スカイツリーに使われているのは“現代日本の最先端技術”だけではない。」
スカイツリーのど真ん中には、鉄筋コンクリート製、高さ375mの“心柱”が、本体とは分離した形で立っており、地震や強風で揺れる際には、 これが本体とは異なる動きをすることで揺れを抑える、「世界初」の制振システムとも言われたりするのだが、
これは・・・「現存する世界最古の木造建築である法隆寺五重塔をはじめとする日本古来の木塔に必ず使われた“古代日本が誇る伝統的技術” なのである。」
半導体材料に関する研究者という“ハイテク(高度先端技術)”分野の立場から、だからこそ見えてきたという、古代の遺物の構造やしくみと、 それを支える道具や技術に込められた驚異の匠の技の数々。
「文化財の建物には、軒裏を腐らせるような瓦は使えない。真空土練機は使わないでほしい。」(文化財の修復に携わった小林章男・瓦博士)
建物を外からの“攻撃”から守るだけの現代瓦に対し、自ら“呼吸”することで屋内の湿度まで調節し、高温多湿の日本の気候のなかで、 古代木造建築物を内からも守ってきた「古代瓦」の秘密。
「鉄いうても、昔の飛鳥のときのように蹈鞴を踏んで、砂鉄から作った和鉄なら千年でも大丈夫だけれども、溶鉱炉から積み出したような鉄は あかんというのです。」(薬師寺西塔を再建した宮大工の西岡常一・棟梁)
加工性を高めるため添加物を加えた現代の溶鉱炉製鉄に対し、圧倒的に高い純度を誇ることで千年の寿命を保つ、「たたら鉄」の製法の謎。
・・・などなど、「現代人」の技術が「古代人」の技術にかなわない、という事実が次々に明らかにされていくことになる。
「なぜ、このようなことになってしまったのか。」
それは、現代の日本人が失ってしまった大きなものの一つが、本来誰もがもつべきこの種の“プライド”と“謙虚さ”だったからではないか。 というのが、この著者の一番大きな発見だったようなのである。
いまの日本では、目先のことさえうまく繕えば通用するような風潮があるが、職人は本気で数百年先、千年先のことを考えている。そして、 その時の「評価」に耐え得る作品を遺すことが、職人の使命であるというプライドをもっている。
また、一流の職人に共通しているのは、自分の技に対してきわめて謙虚なことである。瓦のことを知り尽くし、日本の多くの文化財建造物の瓦を 葺いてきた小林章男“瓦博士”の口癖は「残念ながら、飛鳥時代の瓦職人の技にはまだまだ及びません」だった。
2014/5/6
「気まぐれコンセプトクロニクル」 ホイチョイ・プロダクションズ 小学館
@「あ 俺だよ、聞こえる?ウンウン。」
A「アラ、あそこの人携帯電話持ってるワ。」「最近随分見かけるようになったネ。」
B「ホントだ、あっちにも持ってるヒトがいる。」「みんな買ったばかりの時は、嬉しくてやたらと持ち歩いて使いたがるもんなのサ。」
C(実はその2人が同じ店内の至近距離で携帯電話で話し合っていたという落ち。)
『気まぐれコンセプト』は、1981年10月からビッグコミックスピリッツで連載開始され、今も続いている4コマ漫画である。
映画『私をスキーに連れてって』で一世を風靡した、ホイチョイ・プロダクションズが「ギョーカイ」(広告業界)を舞台に、その想像を絶する 内幕を描き出して見せたこの作品は、バブル絶頂から崩壊へとエスカレーターのように浮沈を繰り返した日本人の生き様を、鮮やかに映し出して くれる万華鏡なのである。
たとえば、冒頭でご紹介した1988年の作品に描かれた携帯電話は、前年にサービスが始まったばかりで、当時は弁当箱ほどの大きさだった。 この当時、店で知り合った女の子に電話番号を聞くといえば、それはまだ「固定電話」のことなのであり、実際、理香という女性からようやく 聞き出した番号に、翌日電話をかけてみたら、「リカちゃん電話」につながったという、お茶目な4コマもある。
携帯電話を持っているフリーのコピーライターやデザイナーと、持っていない広告代理店の人間とで、座る場所が二分されるという、広告業界の 打合せの場面が描かれたのは、画期的に軽く小さなドコモの「ムーバ」が発売され、予約が殺到しながら、電波の届くゾーンがまだ限られていた 1992年。
架かってきた電話にはズルズルと長電話で答えておきながら、こちらから架けるときにはテキパキと簡潔に用件を済ましてしまうのは、 携帯から固定に架けたときの料金が、平日昼間市内3分200円とまだまだ割高だった1994年である。
携帯電話が急速に普及し、誰もが普通に携帯を使用している姿が描かれるようになるのは1997年ごろからで、この年には、運転中の危険防止 のために導入された「ハンズフリー」のインカムをつけ、しかも振動モードにしておいて、他人との会話の最中にいきなり架かってきた電話に 出るという、無礼極まりない男の姿が活写されている。
1999年に「Iモード」のサービスが開始された年には、契約者数は100万人から1000万人へと急増し、携帯を見せびらかせば驚いて くれる相手が、もはや稀少種になってしまったことによる騒動が起きている。
というわけでこの本は、ネットと携帯の普及の事情ひとつを眺めてみても、歴史の教科書には決して書かれない疾風怒濤の23年間の、 「日本人の日常生活を覗くタイムマシン」なのである。
@「得意先に連絡しなきゃいけないのに携帯を忘れてきちゃったよ!」
A「助かった、あそこに電話ボックスがあるぞ。」
Bピッ ピッ 「お、この視線は何だ?」
C(今どき電話ボックスに入っているのは、よほどの変わり者。)
2014/5/2
「仕事に効く 教養としての『世界史』」 出口治明 祥伝社
ペリーがなぜ日本に開国を求めてやって来たかについて、考えてみたいと思います。
捕鯨船の石炭や水の補給基地として開国を求めた、そのように中学校で教わった記憶があります。そのことは、徳川幕府の記録にも、おそらく 書いてあったのでしょう。
「しかし、はたして本当にそうだったのか。」
当時、対中国貿易を巡って、大英帝国とライバル関係にあったアメリカは、大西洋航路を使っている限り大西洋を横断する船賃の分だけ永遠に 勝てないことを悟り、太平洋航路を開いて、中国と直接交易することに、打開策を求めたのだ、とペリーは主張している。日本を開国させること は、その太平洋航路の有力な中継地点を獲得することになると、アメリカの文書には明確に書かれているというのである。
「日本が歩いてきた道や今日の日本について骨太に把握する鍵は、どこにあるかといえば、世界史の中にある」
小さいときから歴史の本を読むことが好きだった、アマチュアを自称する著者が、この半世紀の間に、人の話を聴き本を読み旅をして、自分で 咀嚼して腹落ちしたことを、とりまとめてみたにすぎないという、「世界の見方を変える」10の視点に、知的好奇心を刺激されること請け合い の好著である。
「歴史は、なぜ中国で発達したのか」
封建制に替えて中央集権制を採用した天才始皇帝によって完成された、文書行政を核とする統治システムが、記録を残すことを習慣化し、 中国で歴史が発達する要因となった。
「神は、なぜ生まれたのか」
現世は苦しみに満ちているけれど、あの世では救われるという宗教のロジックには、「直線の時間」(最後の審判)と「ぐるぐる回る時間」 (輪廻転生)という二つの考えかたが生まれた。
「アメリカとフランスの特異性」
歴史や伝統という拠り所がどこにもなく、人間の理性や国の憲法をベースに置いて考えるしか理解することのできない、世界で一番ユニークな 人工国家アメリカと、英国への反感から、そんなアメリカの独立戦争を応援したことで逆に感化され、素晴らしい歴史や伝統があるにもかかわ らず、行きすぎた平等性を求めた過激な革命に走ってしまったフランス。
「アヘン戦争」
アヘン戦争は東洋の没落と西洋の勃興との分水嶺だった。西洋のGDPがようやく東洋のそれを凌駕したのは、アヘン戦争以降のことなのである。 にもかかわらず、西洋が優れていて東洋は遅れているという19世紀の現実は、歴史的に遡っても証明できるという西洋史観が確立していく。 歴史は勝者が書き残すのである。
「なぜ、戦後の日本の高度成長は生まれたのか」
戦勝国アメリカのアジア政策のパートナーであったはずの北京の蒋介石が、共産党の毛沢東により台湾に追い出されたことにより、ただの敗戦国 でしかなかった日本が、冷戦最前線の不沈空母として、アメリカ唯一のパートナーとして浮かび上がることになった。
<日本の幸運は毛沢東のおかげでもあります>
歴史を学ぶことが「仕事に効く」のは、仕事をしていくうえでの具体的なノウハウが得られる、といった意味ではありません。負け戦を ニヤリと受け止められるような、骨太の知性を身につけてほしいという思いからでした。そのことはまた、多少の成功で舞い上がってしまう ような幼さを捨ててほしいということでもありました。「自分が生まれる前のことについて無知でいることは、ずっと子どものままでいること」 (キケロ)なのです。
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