徒然読書日記201404
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2014/4/29
「誕生日を知らない女の子」―虐待 その後の子どもたち― 黒川祥子 集英社
彼女は京都大学医学部附属病院のICUで2008年12月、入院中の五女の点滴に腐敗水を混入したとして逮捕された。スカートの ポケットから水が入った注射筒が確認され、現行犯逮捕となったのだ。死の淵から救出された五女は、まだ1歳10か月だった。そして逮捕後、 彼女が産んだ娘のうち、二女が3歳9か月、三女が2歳2か月、四女が8か月で病死していたことが判明、当然、捜査対象とされた。
「先生(医師)が気になる子、目をかけなければいけない特別な子の母親に見られたかった。あたし自身、常にいい母でありたいと思っていま したし、子どもと時を重ねることに自分の価値があると思っていました。熱心に看病する母であると評価してもらえることに、非常な満足感と 安定感を感じていました」
<代理ミュンヒハウゼン症候群>
自分で虚偽の症状や病歴を捏造して治療を要求する人々に、ドイツの地方貴族“ほら吹き男爵”にちなんで名付けられた<ミュンヒハウゼン 症候群>に対し、自分ではなく他の人を“代理”に病気にさせて、自分に周囲の関心を引き寄せようとするこの症例は、実母が子どもを“病気” にするケースが多い、虐待の一種である。それは「身体的虐待」や「ネグレクト(育児放棄)」に比べ、発生件数は少ないものの、生命への 危険度はむしろ高い虐待なのだという。
「なぜ、母親が自分の子どもにこのようなことができるのか?」
私たちの関心は、もっぱら虐待する親の側の「因果」を探る方に向かい、そのような奇怪な親が「どこから」生まれて来たのかを検証する ことで、自分とは違うのだと安心しようとする。
「では、虐待された子どもたちは、その後どうなったのだろうか?」
児童相談所によって保護され、鬼畜のような親から引き離されれば、それでひとまず問題は解決、少なくとも、もう殺される危険はない・・・ はずだった。
『おまえなんか、連れてってやる。こんなところで幸せになったらだめだ。おまえなんか、不幸にしてやる。おまえみたいなやつはだめだ。 おまえなんか、ぶっ殺す』
3歳の時に虐待で保護され、今は「ファミリーホーム(小規模住居型児童養育事業)」のパパとママの下で暮らす小学3年生の美由ちゃんが、 いまだに夜寝ている時、何度もうなされてしまう、コワイ『お化けの声』は、2歳の時に手の甲にフライパンを押し付けてきた、実母の声だった。
『死ぬらしいわ。死んだ方がいいわ。もう、俺は死んだ方がいいんだ!』
親にちゃんと守ってもらった体験がないため、思い通りにならないとそれまで築き上げてきたものを全部ゼロに戻してしまう雅人くんは、 「手が付けられない時は、もう、ほっとけばいいわ」という里親の言葉に自暴自棄となり、「カーテンのお部屋」に入って、何時間もカーテンに くるまったまま出て来なかった。
『たくみと一緒にお風呂に入って、身体と頭の洗い方を教えてほしいの。でも小四だし、彼にもプライドがあるから「おまえ、洗えてないぞ」 とは言えないでしょ。だから「男同士」のやり方で教えてほしい』
2歳からずっと養護施設にいて、家庭というものを体験したことがなかった拓海くんは、ウンチの後のお尻の拭き方さえ教えられていなかった・・・。
2013年「開高健ノンフィクション賞」受賞作。
報道するのは、虐待を受けた子どもが死亡した悲惨な事件がほとんどで、虐待した親を責め、関係機関を叩き、「なぜ救えなかったのか」と 嘆くばかりの、メディアのあり方に疑問を抱き、保護された膨大な子どもたちの「その後」に何が待っているのか。そこにきちんと光を当て ねばと、まずは自分の目でありのままを見ようとした。
これは、心の傷と闘う子どもたちの現実と、彼らに寄り添い、再生へと導く医師や里親たちの思いを通して、家族という「根っこが張れる場所」 の可能性を見つめた感動の記録なのである。
2014/4/28
「原発ホワイトアウト」 若杉冽 講談社
頭がずば抜けて切れるわけでもない。しかし優れた政治家というのは、頭が切れる必要はない。よく官僚に説明をさせて、それを 正しく理解し、しばらくのあいだ記憶が保持できる、それだけでいい。日本国の総理大臣とは、その程度のものなのである。
その程度の頭の持ち主である総理にも、日本が原発を再稼動させなければ、原油の購入で国富が海外に流出することや、日本の製造業が高価な 電気代で国際競争力を失うことについて、日村の一通りのレクチャーで理解できた。
6年前の参院選で保守党が敗北して出現した「衆参ねじれ」による政治的混乱は、政権交代選挙と銘打たれた衆院選を経て、ついに民自党政権 の誕生につながることになった。官僚主導から政治主導へとのまことに勇ましい掛け声で始まったこの政権は、しかし集合体としてみれば、 政治の素人、烏合の衆であったためあらゆる局面で混乱を極め、結果的には、東日本大震災の被害と原発事故への対応のまずさが引き金となって、 自壊の憂き目を見ることになった。
一人区すべてで勝利し、改選議席数の3分の2を上回るという今回の参院選の大勝により、単独過半数を確保することが確実となった保守党を 率いることになったのは、政治家四世の血筋で、カネ(鞄)のことで頭が一杯の叩き上げとは違い、地盤と看板も持っているため、選挙に過度に 振り回されることなく、政治や処世術に集中できる人物だった。
「ようやく秩序が回復される」
フクシマの原発事故を経験した時、たまたまアンチ経済界の元左翼が牛耳っていた政権により、いたずらに再稼動を妨害されたことにより、 あやうく日本の電力供給に支障を来たしかねない事態に追い込まれてしまった、原子力の再稼動を目指して、経済産業省資源エネルギー庁次長・ 日村直史と、日本電力連盟常務理事・小島巌の暗躍の日々が始まった。
既得権とのしがらみもなく、即時原発ゼロを明快に主張して、脱原発のカリスマとなった「山下次郎」(=山本太郎参議院議員)
国民的人気で選挙にはめっぽう強いが、保守党内では異色の論客で、原発再稼動には懐疑的な一匹狼「山野一郎」(=河野太郎衆議院議員)
清廉潔白で支持率も80%を超えることを背景に、フクシマの原因究明とその対策が講じられるまでは、新崎原発再稼動の是非を問うことさえ 認めようとしない「伊豆田清彦新崎県知事」(=泉田裕彦新潟県知事)
この本は、東大法学部卒の現役エリート官僚が、福島の経験から脱原発を望んでいる国民の声が、実際には多いように感じているにもかかわらず、 2度の国政選挙を経て、何事もなかったかのように原発を動かそうと動き出している、政界と業界のリアルな実態を危惧して書いた、
「ほとんど事実」の内部告発の書とでもいうべき代物なのである。
そして、ついに恐れていた「新崎原発事故」が起こるとき、日村や小島が守ろうとしていたものは、日本という国家などではなく、その裏に 巣食う「モンスター・システム」ともいうべき、利権の構造であったことを私たちは知ることになるのである。
とにもかくにも格納容器の爆発さえ免れれば、急激な放射性物質の拡散は避けられる。六号機と七号機のメルトスルーで汚染はじわじわと 地下水や土壌から広がるだろうが、汚染の程度としては、フクシマの二倍にはならないだろう。局地的な汚染にとどまる。
そうすれば、フクシマと手順は同じだ。一、二年は原発反対の嵐が吹き荒れるが、電力システム改革さえ遅らせて骨抜きにすれば、必ず政治家は 総括原価方式のもたらす電力のカネにもどってくる。
2014/4/19
「三万年の死の教え」―チベット[死者の書]の世界― 中沢新一 角川文庫
小坊主「『人が死ぬ』というのは、どういうことなのですか」
老僧「人は死ぬと、バルドという状態に入っていく。死ぬと、すべてが終わりじゃあないんだ」
小坊主「人は死ぬとどんなところへ行くのですか」
老僧「そのことが、このお経に詳しく書いてある」
小坊主「それはなんというお経ですか」
老僧「『バルド・トドゥル』というお経だ。人は死ぬとバルドへ行く。そのとき死人が怖がったりしないように、このお経を使って道案内を するのが、わしらの役目だ」
小坊主「そんなことが、どうしてできるのですか」
老僧「人が死んで、いろいろな感覚がなくなっても、耳の働きは最後まで残っている。死といわれる状態に入っても、死者の耳はまわりの音を 聞いている。そこでわしらは、死者の耳にむかって、死についての偉大な教えを説いてきかせて、安心して、バルドの中に入っていけるように してやるんじゃよ」
『バルド・トドゥル』とは、欧米では「エジプトの死者の書」からの連想で、「チベット死者の書」として有名な中世の書物なのだが、 「バルド」は「中間、途中」、「トドゥル」は「耳で聴いて解脱する」という意味をもっているので、このタイトルには、
<まだ聴覚を失っていない、死者の耳をとおして語られる真理が、死の意識を生と死をめぐる高い心理の認識まで導いていってくれる>
という、超生理学的な主題とともに、じつに深遠な内容が込められていることになる。
しかもこの書物は、9世紀のチベットで地中に埋蔵されて隠された教え(「埋蔵経」)を、14世紀になってカルマ・リンパがふたたび再発見 したものだと言われているのであり、これは個人の思想の創作品などではなく、チベットという地方に古くから流布してきたに違いない、 ひとつの教えの伝統の流れのなかから、すくいだし、つかみだされてきたものだ、というのである。
このようなチベットの宗教思想は、キリスト教のようなオリジナルなテキスト(「正典」)の解釈だけによって成り立つものではなく、新しい テキストを「埋蔵された教えを掘り出す」という形によって生み出し、教えの全体をたえず更新し、そのみずみずしいインスピレーションを 失わないようにすることで、「正典」とは共生しながらも、解釈学のもつアカデミズムへの内向化を防止し続けようとすることで、れっきとした 正統的なテキストでありながら、成長してくることができたことになる。
『バルド・トドゥル』に表現されている体験や思想は、気の遠くなるほどに古い起源を持つ、チベット民族の知恵の貯蔵庫から取り出されて こられたもので、これを単にインド仏教のスタンダードにしたがって価値付けしたり、これは正当な仏教思想ではないなどという議論をしても 意味はない。というのが、つまりは『三万年』に込められた、この気鋭の宗教学者の挑戦的な意図だというのだった。
老僧「お前にいい言葉を教えてやろう。インド人が考えたものだ。
誕生の時には、あなたが泣き、
全世界は喜びに沸く。
死ぬときには、全世界が泣き、
あなたは喜びにあふれる。
かくのごとく、生きることだ。
さあ、行こう」
2014/4/19
「家族喰い」―尼崎連続変死事件の真相― 小野一光 太田出版
「まず勝手な外出が禁じられ、睡眠や食事、トイレは美代子の許可が必要になりました。・・・そのうえで彼女(大江和子、当時 66歳)を長時間立たせたり、親族に殴らせたりしました。・・・美代子は連日、睡眠時間を削らせて家族会議を命じ、・・・その内容を メモに記録してあとで提出させ・・・制裁が足りない場合は美代子から責められるという流れが出来上がっていました。」
大手私鉄に勤務していた川村博之は、「孫の乗ったベビーカーが車両のドアに挟まれた」というクレーム処理がきっかけとなって、近隣では 有名な“クレーマー"であった角田美代子と知り合い、やがて家族ぐるみの付き合いをするほどの親しみを覚えるまでになるのだが、“一見強面 だがじつは親切な人物”を装って、喫茶店経営の夢実現を餌に川村を退職させ、その退職金をせしめたのを皮切りに、やがて川村家への介入の 度合いを深め、着々と家族の分断工作を進めることで、ついには、川村と無理やり離婚させられた妻・裕美の実家である大江家が所有する土地 家屋(そこには川村夫妻と娘二人、さらには裕美の姉・香愛と母・和子が住んでいた)を乗っ取ってしまおうとしていた。
ほんの小さなきっかけから、血縁関係のまったくない第三者の家庭に、土足で踏み込んでくるという、これがいつもの角田美代子の“やり方” なのだった。
美代子に監視されながら、美代子の作り出した恐怖に煽られたからとはいえ、率先して義母に暴行を加えた川村や、無抵抗の小学生の娘を何発も 叩いていた裕美と香愛。まず始めに矜持を失い、崩れていったのは、40代の大人たちだった・・・
2011年10月、監禁されていたアパートから逃走した大江香愛が、大阪市内の交番に駆け込んで被害を訴えたことが皮切りとなって、 尼崎市の貸倉庫のドラム缶から、大江和子のコンクリート詰めの遺体が発見され、2012年10月には尼崎市の民家の床下から三人、岡山県の 漁港からドラム缶詰めの遺体が発見されたことで、連続殺人事件であったことがようやく判明した。
「尼崎連続変死事件」。
兵庫県尼崎市を中心に複数の家族が長期間虐待、監禁され、死者・行方不明者は10人以上にのぼるというこの連続殺人事件は、主犯の美代子 自身が、なんと身柄を拘束されていた兵庫県警本部の留置施設内で自殺してしまうという前代未聞の結末によって、突然幕を閉じられることに なったのだが、すでに忘却のかなたに置き去りにされたかにみえる事件の真相に、そうはさせじと現場周辺への徹底取材を挙行して、隠された 事件の裏側に迫ってみせた、これは驚愕のルポルタージュなのである。
「私が思うに、オカン(美代子)が自殺したんは、事件がバレたことやなくて、自分が家族やと信じとった者に裏切られたという思いが強かった んやないでしょうか。それがショックで死を選んだんやと思います」(留置施設で同房だった女性の証言)
“相手に勝とうとするのではなく、勝てる相手を選ぶ”という洞察力を身につけることで、過酷ともいうべき自らの人生を乗り切ってきた美代子 は、決してモンスターではなかった。強い者には徹底的に弱く、弱い者には徹底的に強い、そんな美代子は虎の威を借りてでも、虚勢が通じる 相手を選び、毒牙にかけてきた。その結果が、まとめて自分に跳ね返ってきたとき、彼女は卑怯にも自殺に逃げたということのようなのである。
弱い者を恐怖で支配するためには生贄が必要であり、忠誠を確認する手段として用いたのが、タブーである“家族殺し”の強要だった。 まさにそれは“家族喰い”ともいえる所業である。
2014/4/15
「小林秀雄の哲学」 高橋昌一郎 朝日新書
≪あるとき、娘が、国語の試験問題を見せて、何んだかちっともわからない文章だという。読んでみると、なるほど悪文である。 こんなもの、意味がどうもこうもあるもんか、わかりませんと書いておけばいいのだ、と答えたら、娘は笑い出した。だって、この問題は、 お父さんの本からとったんだって先生がおっしゃった、といった。≫(『国語という大河』)
「名文」と呼ばれ、数多くの高校の教科書に採用され、大学入試にも頻繁に出題される小林秀雄の文章が、実際には、≪飛躍が多く、語の指し 示す概念は曖昧で、論理の進行はしばしば乱れがち≫(丸谷才一)な、つまり入試問題にはもっとも不適当なものでもあることは、多くの識者が 指摘するところであるが、
≪考えることと生きることと書くこととの完璧な合致、どんなにおいしく私はそれを味わったことでしょうか≫(池田晶子)、 ≪そこには何があるから、私は読むのか。思えば、私は元気のないときに、自分に元気を与えるために、それを読んだのである≫(秋山駿) という一種の陶酔感覚によって、読む者の精神を高揚させてくれる代物であることも、また疑いようのない事実のようなのである。
「『小林秀雄全集』のなかから気に入った文章の抜粋(しかも新書四ページ程度の分量)を八ヵ所ほど選ぶとしたら、どの作品のどの部分から 抽出するか?」
全28巻・別巻4巻のなかから、折にふれては適当な巻を取り出して、気の向くままにページを捲って、いろいろなことを思い出したり、漠然と 考えてみたりする・・・まことに心躍るような、楽しい作業の中から、ようやく選び出された名評論の抜粋を、各章の冒頭においたこの本は、 ある意味では破天荒(特に女性関係において)な彼の生涯を丹念に跡付けながら、その根底にあって、ついに一貫して揺るぐことのなかった、 小林独自の「論法」に秘められた魅力と危険性を掘り下げてみせてくれる。
小林が用いたのは、対象に≪手ぶらでぶつかる≫という、考えようによっては実に「原始的」な方法であった。さまざまな主義や方法に立脚する 立場を否定した彼の批評とは、≪裸で立っている自分を省みての自己弁解文≫だったのだと。
≪読者の精神は、日常味わったことのない緊張を強いられ、そこから一気に解放され、さらに静止し、さらに躍動する。つまり、読者は、 みずからそれと知らずに考えはじめている≫(江藤淳)いわば「ダンスの名人」といっしょに踊っているような体験だと、江藤はその高揚感を 評しているらしいのだが、自分勝手な動きを避けて身体を委ねる必要があるのだから、それは決して自分自身で踊っているわけではない。
ならば、そのとき読者は<考えて>いるのではなくて、むしろ<信じて>いるのであり、それこそが、小林の「論法」に秘められた陶酔感の 危険性なのだと言うのだった。
小林の「文」に迫るということは、彼の「人」に迫ることに他ならない。ただし、小林の「文」が「心眼を狂はせる」点に注意が必要なので ある。
小林の魅力を語るにしても危険性を語るにしても、いずれにしても、小林はもっと読まれるべき近代の日本を代表する思想家であると思う。
2014/4/6
「血盟団事件」 中島岳志 文藝春秋
<同志の頭数が十人、それから拳銃の数が十丁、是で出来るだけ多くの者を倒す、支配階級の主立った者を出来る限り倒す、 さうすると一人で一人を受持つと云ふことにしなければいけない、さうすれば其の人間、相手をはっきり決めることが出来る、十人全部倒す と云ふことは出来ないにしても、半分やったら五人だ、さうしたら改造は之に依って成就するかも知れない、五人倒せば我々も倒れるかも 知れぬけれども、支配階級としては大恐慌だ>(井上日召『公判記録』)
1932(昭和7)年、元大蔵大臣・井上準之助と、三井財閥総帥・団琢磨が、連続テロによる凶弾に倒れた。それぞれ単独で暗殺を実行した 小沼正と菱沼五郎の両名は、共に茨城県大洗周辺出身の幼馴染の青年集団「血盟団」の仲間だった。経済的不況による庶民の生活苦や農村社会 の疲弊に対し、まったく無策で、互いに足を引っ張り合うばかりの政党政治に対する不信。既得権益に胡坐をかき、資本独占によって庶民との 格差は広がるばかりの、一部特権階級に対する憤り。暗い世相と閉塞感の中で、若者たちの抱える不満は、ふつふつと煮えたぎろうとしていた。
「一人一殺」というスローガンを掲げて、そんな若者たちを感化し主導していったのは、カリスマ的日蓮主義者・井上日召である。
若い時からの生に対する煩悶の末に、独自の修行を繰り返し、神がかり的体験をもとにカリスマ宗教家へと転身していた井上は、「お前は救世主 だ。一切衆生のために立ち上がれ!」という天の声を聞いて、国家改造運動へと舵を切り、悩める若者たちを従えていくことになったのである。
その運動に枠組みを与えたのが、日蓮の教えだった。井上のスピリチュアリズムと国家主義は、日蓮主義を媒介として融合し、独自の革命 理論を構築した。
そんな日召のもとには、安岡正篤の金鶏学院に集まっていた東京帝大・七正社の学生たちや、交流のあった海軍の青年将校たちなど、大洗の農村 青年たちとは、まるで接点を持たないようなエリートの集団も引き寄せられるように顔をだし、国家改造計画を練っていくことにもなるのだが・・・
テロ後の政権がいかなるものになるかなど、考える必要はない。政権構想を抱くと、それが我欲に直結する。自分のポジションや利害関係が せり出してしまう。どうしても計らいが顔を出す。自分たちが捨てなければならないのは、我欲そのものである。徹底した自己犠牲の精神に よって突破口を開き、あとは天意に任せる。それしかない、ただ命を投げ出すしかない。それが求道者の道であり、大乗的精神である。宇宙と 一体化する信仰者の歩みである。
テロ後の構想を捨て、共に理想のために「捨石」とならんとした井上の決意に、迷うことなくつき従うことができたのは、大洗の農村青年たち だけだった。後に続いて蹶起する勢力の存在を確認することもなく、ただ命を捨て、テロを実行し、後のことはすべて「天に委す」という、 農村青年に求めた「捨石」の覚悟を、エリート集団にも期待することは、ついに出来なかった。
こうして、世にいう『血盟団事件』はいささか唐突に幕を閉じることになったわけなのではあるが、彼らエリート達にしたって、本当はただ 「捨石」になることができるならどんなに気が楽かと、地団駄を踏むような思いで煩悶していたに違いないと思うのである。
星子(後に「血盟団」に合流した京都帝大グループの星子毅)は井上に「暖いものを求め」た。井上と同志たちの関係が羨ましかった。 しかし、井上は素っ気なかった。星子はどうしても「暖みが欲しくなり」、酒の勢いで井上の体に「しがみ付いた」。しかし、井上の「気持に 入る事が出来なかった」
2014/4/4
「毒婦。」―木嶋佳苗100日裁判傍聴記― 北原みのり 講談社文庫
大きく胸の開いた薄いピンクのツインニットからのぞく肌の白さにハッとした。シミ一つない完璧な白、絹のような美肌だ。さらに 机の上に重ねられた手は、ぷくぷくと丸く、指の関節はピンクで柔らかそう。触りたい、と思った。・・・(中略)
そして、なんといっても、声だ。・・・それはあまりに優しく上品だった。内容は聞き取れなかったが、耳に優しい落ち着いたウィスパーボイス だ。ソプラノと言い切れるほど高くはないが、アルトでもない。耳にちょうどよい感じのいい声というような。
<なんだ、佳苗、魅力的じゃないの。感じがいいし。>
09年1月 青梅市の会社員・寺田隆夫さん(当時53歳)1650万円。
09年5月 野田市の無職・安藤建三さん(当時80歳)270万円。
09年8月 千代田区の会社員・大出嘉之さん(当時41歳)470万円。
立て続けに不審死を遂げた3人の男性たちは、いずれも同じ女性と交際し、亡くなる前に多額の現金を渡していた。いずれの遺体発見現場からも 練炭コンロや練炭が発見されており、同じ時期に同じものを彼女も購入していたという記録が残っていた。
これ以外にも、「婚活」サイトで彼女と知り合って、援助目的で大金を毟り取られた男性は判明しているだけでも20人(被害総額1億円超)に 近く、うち少なくとも6人が変死していた。
「婚活」詐欺女・木嶋佳苗(逮捕当時34歳)。
もし彼女が殺したのだとすれば、女性が犯した前代未聞の犯罪ともいうべきこの事件に対して、競うようにマスコミが取り上げた話題は、 しかし・・・もし犯人が男であったなら、あるいは彼女が美人であったならば、決して問われることのなかったものだった。
<どうしてこんな容姿で、男たちを次々に騙せたのだろう。>
殺された男たちは皆、佳苗に恋をしており、睡眠薬を飲まされ、練炭が炊かれる中、一酸化炭素中毒で眠るように、幸せそうな笑顔を浮かべて 亡くなっていた。
<いったい、木嶋佳苗とは、どんな女なのだろう。>
女性のセックスグッズストア「ラブピースクラブ」を主宰するコラムニストが、「週刊朝日」からの「裁判傍聴記」の依頼に、何も考えずに 「書かせてほしいっ!」と叫んでしまったのは、「女性経験がないから」「オタクでモテナイから」、だから「あんなブスにひっかかった」と、 加害者が不美人だと、ただ結婚を夢見ただけの被害者までもが貶められてしまいがちな、この事件に対し、「自分は絶対に騙されない」で話を 終わらせてしまいがちな“男性目線”や、吐き出すように「ブスブスブス!」と彼女を罵ってしまう、“男性目線”を内包した女性の平凡な 反応に陥ることなく、徹底的に“女性目線”で、この「平成の毒婦」の素顔の迫ってみたかったからなのかもしれない。
この社会で女が生きていく時に味わう、理不尽さ、悔しさ、そんなことを彼女から感じたり。女が性を売ることの意味を考えさせられたり。 そしてまた、リアルな女と向き合えず、悲しいくらいに簡単に騙されていく男たちの現実に、困惑したり。・・・多くの女が、あなたを語りた がった。それは、あなたを通して、私は私たちが生きている社会や時代を、少し知ることができるような気がしたからだ。あなたが「毒婦」と 呼ばれるのなら、「私は絶対に毒婦ではない」と言い切れる女は、どれだけいるのだろう。
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