徒然読書日記201401
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2014/1/31
「ヤノマミ」 国分拓 新潮文庫
僕たちの同居は闇の中で耳を澄ませるようなものだった。150日間、僕たちは深い森の中でひたすら耳を澄まし、流れている 時間に身を委ねた。そして、剥き出しの人間に慄き、時に共有できるものを見つけて安堵し、彼らの歴史や文化を学び、天と地が一体になった 精神世界を知った。
それらは、僕たちの心の中にある「何か」を突き動かし、ざわつかせた。深いところに隠れていたはずの記憶が甦ってくるように、心の奥底を ざわつかせた。
<僕たちは、その得体の知れない「何か」と、答えの出ない対話を続けることになったのだ。>
と、後から振り返ってみれば、えらく高尚な体験であったかのようにも思わせるのではあるが・・・、
「彼らと同じものを食べる」と決意したのは立派だが、最初は川の水さえ飲めず、狩りができずにバナナとタロ芋ばかりでは、空腹の余り 立ちくらみはするし、仕方なく休んでいると、屋根から巨大な蟋蟀が落ちてきて、ビックリすれば「アハフー、アハフー」と笑われる。 夜は夜で用を足すために外に出ようとすれば、長さ50センチの巨大ムカデに進路を塞がれて跨ぐこともできず、 ようやくしゃがみこんだのも束の間、闇の中から聞こえてくる獰猛な唸り声に、モノは体内奥深くまで引っ込んでしまう。
「文明」にどっぷりと浸かってきた者にとって、それは「恒常的に喉が渇き、腹が減り、眩暈に苦しみ、体が痒く、下腹が重い」という、 何とも情けない思いの連続であったろうことは、言うまでもないのだった。
ブラジル最北部・ネグロ川上流の深い森の中にある<ワトリキ>(=風の地)、そこは「ヤノマミ族」の一族167人が、<シャボノ>と 呼ばれる円形の一つ屋根の下に暮らす集落だった。
これは、アマゾンでいまだ原初の暮らしを営んでいる先住民「ヤノマミ」と、150日間寝食を共にしたNHKディレクターの、世界初とも いうべき取材の記録なのである。(テレビでは「ヤノマミ〜奥アマゾン原初の森に生きる〜」と題して、2009年に放映され話題を読んだ。)
不覚にも涙が零れてきた。14歳の少女が長い時間苦しんで、命を産み落としたのだ。「おめでとう」と言いたかった。一刻も早くローリの 顔を見て、よく頑張ったね、と祝福してあげたかった。
だが、それは、僕の尺度で推し量った勝手な思い込みに過ぎなかった。僕は「森の摂理」を忘れていただけだったのだ。女たちに呼ばれてから 一分後、僕は生涯を通じてもこれほどのショックを受けたことはないと思われる、衝撃的な光景を目の当たりにすることになった。
ローリ自身の手によって、天に返された子どもの亡骸は、バナナの葉に包まれて白蟻の巣に納められ、数日後に食べ尽くされたことを確認して 燃やされた。
ヤノマミの女は必ず森で出産する。生れたばかりの子どもは人間ではなく精霊で、母親に抱きあげられることによって初めて人間となる。
つまり・・・精霊か、人間かは、母親が決めるのである。
帰国してから、週に2,3回も夜尿症に悩まされるようになってしまったという、このショッキングな出来事に対しても、 「養えるか養えないか」とか、「不義の子か夫の子か」といった、自分が想像できるような小さな理由からではなく、 言葉では表すことができないぐらいの、途轍もなく大きなものに衝き動かされて、彼女たちは決断を下しているのであれば、
「そもそも、けっして語られることのない理由を考えることになんの意味があると言うのか」 という著者の一貫した姿勢こそが、このかけがえのない取材を成功に導いたものであったに違いない。
きっと彼らは僕らのことなど忘れてしまったに違いない。・・・でも、ひょっとすると、誰かが軟弱なナブのことを思い出し、話のネタに しているかもしれない。あいつらみたいな弱い人間は見たことがないと笑っているかもしれない。そして、あの暗闇では、アハフー、アハフー という笑い声が今日も響いているかもしれない。
そうであるなら、僕はとても嬉しい。僕は、そんな彼らがとても好きだった。
2014/1/23
「東大現代文で思考力を鍛える」 出口汪 大和書房
「東大」と聞けば、政治家や官僚など、あらゆる分野で権力を握っている人たちを思い浮かべるかもしれない。・・・
だが、そんな東大が「現代文」の入試問題で、受験生に提示する問題文には、どれも「反権力・反常識」の主張が根底にあり、私たちの 固定観念に揺さぶりをかけるものばかりである。
出題者が「東大受験生たるもの」に求めているのは、詰め込み教育の成果としての単なる知識や、付け焼刃の受験テクニックで太刀打ちできる ようなものではなく、固定観念にとらわれない「柔軟な思考力」と、それを他者に正確に伝えるための「論理力」なのである。
しかし、激動の時代を生きている私たち「東大受験生ならぬもの」にとっても、大切なのは泡のように生まれては消えていく膨大な「情報」な のではなく、その真偽を的確に判別し、必要なものだけを生かすことのできる真の「教養」と、それに基づく本物の「思考力」であるだろう。
「東大現代文」は、答え探しの教育から脱却するための処方箋となるだけでなく、さらに加えて深い教養を要求し、ものを考えるとは どういうことかまで、そっと提示してくれる。
<こんな面白いものを受験生だけに独占させておくのはもったいない。>
と気付いた、東進予備校の現代文カリスマ講師が、東大入試問題から選りすぐった過去問11題を取り上げて、「論理的な解法」なるものの 手ほどきを示してみせる。これはまさに、「入試現代文の問題集がアートになった」とあの宮台真司も仰天するような、ゾクゾクするほどに 知的でスリリングな<パフォーマンス>なのである。たとえば・・・、
【問題文】(抜粋)
科学とは、私たち人間が自然を支配しようとする意志から生まれてきたものである。それはいわば、自分自身もとをたどれば自然の一部に すぎなかったはずの私たちが、みずからを自然からひき離し、自然の頭上に舞い上がってこれをはるか上方から支配し、操作しようとする 傲慢な意志の産物であった。そして、この支配を合法化し、これに絶対的な権限を与えるために、私たちの頭脳が作り上げた非常大権とも いうべき律法が、ほかならぬ合理性なのである。
(木村敏『異常の構造』より、1986年度第1問)
という部分から、著者がわざわざ懇切丁寧に解説してみせたような、自分自身までもを含む自然を客体として分析しようとした、西洋人に 特有の「合理性」というものへの対し方は、人間が「神の視点」を持とうとした傲慢性により自然を征服し、コントロールできたという 錯覚につながった。などという「廻り道」などしなくても、文章の別の部分から出題された、
「自然は、みずからの姿にあわせて人間が仕立ててくれたこの囚衣をこばむはずがなかった。」とあるが、「囚衣」とは何の比喩として 使っているか。――という【問い】に答えることはできるだろう。
しかし、懸命に問題用紙に向き合うばかりで、出題者の意図を感じる余裕もなく、その先にあるものを見ようともしない者よりも、 慣習や常識にとらわれない柔軟な思考力を持った学生を選抜したいと、この【問い】は語りかけてもいることに気付かねばならない。
もし、激しい受験戦争を勝ち抜いて、日本最高の偏差値を誇る<東大生なるもの>に、「固定観念にとらわれ、柔軟な思考ができない」という 「官僚的」なイメージがあるのだとすれば、<彼らは出題者の意図を理解しないまま、東大生となった者なのである。>
東大合格といっても、たかだか六割程度を得点すれば合格するわけで、私から言わせるとそれではほとんど東大現代文を理解していない ということになる。それなのに、なまじ合格したばかりに東大現代文が分かったと思い違いをする人がいる。
2014/1/21
「住んでみたドイツ 8勝2敗で日本の勝ち」 川口マーン惠美 講談社+α新書
日本は良い国だ。これだけの経済大国になったにもかかわらず、まだまだ人の心がやさしく、これだけ緻密なサービス業が発達しても、 深刻な貧富の差ができない。人口の密集地である首都圏でさえ、治安が悪くて入れないような地区はない。駅や電車はまるで病院のように清潔 で、大ターミナルの駅裏に、麻薬患者やアルコール依存症の人たちがたむろしているわけでもない。もちろん、暴動も起きない。
――これは、まさに奇跡のようなことだ。
宅配便が二時間単位の配達時間指定で、全国津々浦々まで正確に届けられる国など、日本以外にはあり得ない。時間に比較的正確な国と思われ ているドイツでも、電車が時刻表通りに走ることさえ稀なのだ。
深夜の人気のない街角に自動販売機が煌々と立ち並んでいる。こんなものは、他の国ならあっという間に壊されてしまうだろうなどとは、 日本人は想像さえしないだろうが、比較的秩序の整ったドイツでさえ、スプレーの落書きなど、器物の損壊には目に余るものがあるのだ。
などなど・・・、ドイツ在住30年の日本人作家が、一歩離れて日本を眺める<傍観者>の眼で、日頃目にする様々な出来事から、日本と ドイツを比較してみたら、「8勝2敗」で圧勝するくらい、日本には素晴らしいところがたくさんあるのだから、自信をなくす必要など ありませんよ。という具合に「気持ちよく」この本を読んでは、おそらくいけなかろうと思うのである。
金沢に住んでいると、よく他所の方(あるいは出ていった方)から「歴史と文化があって、食べ物もおいしくて、いい街ですね」と羨まれる わけなのだが、「よそに住んでみてわかるその街の良さ」なんてものは、所詮それだけのものなのであって、「ここに住んで」みてから 言ってほしいと思うわけなのだ。
そういう意味で考えれば、ここは8勝2敗の「2敗」の方にこそ、学ばねばならない意義があることになる。
日本人は思考の過程よりも実務の結果に重点を置く。
日本人は日本をアピールするための作戦を持たない。
だから、
世界の多くの国が、イメージのほうが実態よりも良いなかで、日本は、実態のほうがイメージよりも良い唯一の国ともいえる。
と、読まねばならないということなのだ。
2014/1/19
「交換教授」―二つのキャンパスの物語― Dロッジ 白水Uブックス
1969年の元日、北極の遥か上空で、英文学の二人の教授が互いに接近しつつあった。速度は、双方合わせて毎時1200マイル である。・・・二人は顔を合わせたことはなかったけれども、相手の名前だけは知っていた。そう、これから半年間、互いにポストを交換 しようとしていたのである。
アメリカ西海岸にある有名大学、ユーフォーリア州立大学(カリフォルニア大学バークレー校がモデル)で、30歳という異例の若さで正教授 の地位まで登りつめた、意志と野心にあふれた著名な英文学者モリス・ザップは、二度目の妻デジレから離婚を迫られていたが、家を離れる ことを条件に6ヶ月間の猶予を得んと米国脱出を画策していた。
イングランド中部の工業都市にある三流大学、ラミッジ大学(バーミンガム大学がモデル)で、昇進の見込みもなく万年講師に留まり続けて いた、き真面目で優柔不断な無名の英文学者フィリップ・スワローは、糟糠の妻ヒラリーに家庭の問題を押し付けることになる後ろめたさを 覚えながらも、これから始まるアメリカでの一人暮らしに昂揚感と解放感を隠しきれなかった。
毎学年の後半、客員教員を交換するという「交換教員制度」。
両大学の設計者が、たまたま<ピサの斜塔>にそっくりなものをキャンパスの目玉にしようと思い付いたという「偶然の符合」を記念する ために、古くから設けられていたこの制度により、お互いのポストを取り替えることになったザップとスワローが、任地に赴かんと北極上空で すれ違った時点では、まさか次にすれ違う時には、お互いの妻まで交換する羽目に陥っていようとは、互いに知る術もなかった。
というのが、この物語の「筋書き」ではあるのだが・・・
いまでも『小説を書こう』を送ってもらいたいのでしょうか?あれは、なんておかしな小さな本でしょう。一章全部が書簡体小説の書き方 に充てられていますが、本当のところ、18世紀以降、誰もそんな小説は書いていないのじゃないかしら?
こちらの一同から愛を ヒラリー
なんて手紙もさりげなく織り交ぜながら、「一章全部が書簡体小説の書き方に充てられて」みたり、
ピタゴラス通りで起こった小規模な地滑りのため、一軒の家が、住むには不適当になったという決定を、今日、市の公衆衛生担当者は 下した。先週の土曜日の午前一時半、ピタゴラス1037番地の居住者は、季節外れの暴風雨のあとで起こった地盤沈下が原因で、家が 45度ねじれたので目を覚ました。怪我人は出なかった。
――『プロティノス・ガゼット』
昨夜、1立方フィートの大きな緑色の氷塊が上空から落下して、南ラミッジの一軒の家の屋根をぶち抜き、最上階の部屋を破損した。 当時部屋には誰もいず、怪我人はなかった。氷塊を調べるために呼ばれた科学者は、最初それは気紛れな雹だと思ったが、間もなく、 凍った尿であることを証明した。それは、かなりの高度を飛んでいた旅客機から不法に投棄されたものと考えられている。
――『ラミッジ・イヴニング・メール』
と、今度は一章全部が新聞記事で、嘘のような本当の話が綴られることになるのだが、実はこの二つの事件がきっかけとなって「交換夫婦」が 誕生するのであれば、ここはぜひとも記事でなければ「真実味」が薄れようというものなのだ。
というわけで、この元バーミンガム大学文学教授の手になる、まことに皮肉たっぷりで技巧的なコミック・ノベルの傑作は、映画のシナリオ 形式をもって、その幕を閉じることになるのだが、選ばれたエンディングは「中釣り」・・・
モリス 「(小説は)目の前の、終わりの近いことを物語る、残り少ないページから、私たちはみな一緒に、完全に幸福な結末へと急いで いることが分かる」というところだね。・・・
フィリップ 予告もなしに、何も解決されぬまま、何も説明されぬまま、なんの決着もつけられぬまま、監督が選んだ時点で、映画は、 すっと・・・終わることができる。
――フィリップは肩を竦める。カメラは止まり、彼は身振りをしている最中、凍りついたように動かなくなる。
<終>
2014/1/18
「日本人には二種類いる」―1960年の断層― 岩村暢子 新潮新書
なぜ稀有(な存在)かと言えば、彼らが生まれると赤ん坊のための何かが、幼稚園に入る頃には幼稚園の何かが、小学校入学の頃には 小学校の何かが変わるというように、彼らがその年齢に達すると、それを取り巻く制度や環境が大きく動いたり変わったりする不思議なめぐり 合わせに、何度も何度も遭遇する人々だからである。
「1960年以降に生まれた人」と「'50年代までに生まれた人」とでは、たとえ同じ時代にあっても、さまざまな局面で異なる光景を見、 別の体験をして生きてきた。つまり、その間には「1960年の大断層」なるものが走っていて、今の日本人を「新型」と「旧型」の大きく 二種類に分けているのだ。というのが、
『普通の家族がいちばん怖い』
など、 日本の現代家族が抱える問題を、食卓の変化を巡る調査活動を通して発信し続けてきた著者が、その調査の副産物のような形で見出したという、 まったく新しい視点に立った、「日本人類型論」の主張なのである。
'60年生まれの赤ちゃんは「産院」で生まれ(それまでは自宅で産婆が取り上げていた)、テレビやベビーベッド、キッチンセットが備え付け られた「団地」に連れ帰られた。健やかな発育をと考えて母乳ではなく粉ミルクを飲まされ、負ぶい紐は足によくないと乳母車に乗せられた。
時代は「産めよ増やせよ」から、「少なく産んで大事に育てる」時代に突入し、(もちろん、まだ少子化と呼ぶにはほど遠かったのだが・・・)、 '48年から始まった「母子手帳」は、'66年に「母子健康手帳」と名称を改められて、中身も増補・改定され有効に活用されるようになり、 インフルエンザ、三種混合など、小児への生ワクチンの集団投与も始まって、乳幼児の感染症や疾病対策も手厚くなる。
「吉展ちゃん事件」('63)に代表される身代金目的の誘拐事件が多発したのも '60年代で、つまり幼い子供が補償金を取れるような 金銭的価値のある存在となったということなのである・・・。
<ファミリーレジャー時代の始まり>
<めんこ・おはじきより、一人で遊べる高級玩具>
<あふれる子供用品 お下がりの衰退>
<生まれたときからインスタント食品>
などなど、35もの異なる視点から、次第に炙り出されてきた「1960年の断層」の真実とは?
11〜13歳になる '45年に「無条件降伏」という数奇な運命を体験し、集団疎開、「欲しがりません勝つまでは」から、教科書の黒塗り、 男女共学へと、ガラガラ変わる教育内容に翻弄された、
<1960年生まれの赤ちゃんの「母親」たち>
が育ってきた時代のほうで、実はすでに準備されていたものだったのではないのか、という指摘だったのである。
女性から男性に“学歴も収入も身長も高い方が良い"と求める「三高」が流行語になったのは、'86年から'87年である。当時の平均初婚 年齢(25.6歳)を考えると、これも「'60年型」の女性たちの新しい結婚観を表す言葉だったのだろう。その昔「家つき、カーつき、 ババア抜き」が流行語となったのが'60年、彼女たちのお母さん世代でもあったことを思い出させる。
2014/1/8
「ゆかいな仏教」 橋爪大三郎・大澤真幸 サンガ新書
(仏教について何がしかの知識やイメージをもっている)日本人の大半は、仏教について、最も肝心なことを知らない。仏教とは、 いったい何を目指すムーブメントなのか。仏教は、どのように世界をとらえているのか。仏教を信じるとは、どんな生き方を意味しているのか。 そうしたことについては、ほとんど何もわかっていない。「お経」という語が、「わけのわからないこと」「ちんぷんかんぷん」の代名詞に 使われるくらいだ。(大澤)
「これはまことに奇妙な状況だ。」
と感じていたという、仏教については門外漢の大澤が、仏教の外からいささか意地悪に問う役割を引き受けて、宗教社会学の立場から仏教に ついて専門的に研究し、これまで多くを語ったり書いたりしてきた橋爪が、仏教の側からこれに応答する・・・。
これは、あの
『ふしぎなキリスト教』
で用いられた方法を継承した、まことに刺激的で<ゆかいな>宗教対談の第二弾なのである。
イエスとゴータマは、確かに似ている。古代に現れ、人びとに教えを説いた。世界宗教の始祖と仰がれている。でも、キリスト教と仏教の 違いを理解するには、両者が似ている点よりも、違う点に注目すべきです。(橋爪)
大事なメッセージを伝えようとしているに違いない、イエスの「言葉と行ない」に深くコミットして、それを正しく受け止めて自分の言葉に すること。「神の言葉」(メッセージ)を「ドグマ」(教義)とするキリスト教においては、自分で新しく何かを考えることには、むしろ 価値がないのに対し、
「覚り」という境地に到達しようと格闘する仏教には、覚った人ですら言葉によってそれを伝える術がないために、「ドグマ」なるものは 存在せず、≪ブッダ(ゴータマその人)は、覚ったに違いない≫という確信、それのみが仏教の信仰の核心にある。
誰かが自分より先に覚っていることを知っているのでなければ、覚る前に出家して「覚り」を目指そうなどと思ったはずはないのだから、 お釈迦さまは世界で最初に覚った人ではありえない!
つまり、「覚り」の内容がわからない、ということは逆に、ゴータマ個人に起こった特定の出来事が、人間の普遍的な可能性として 「繰り返されるはず」という期待のうちに、さまざまな修行を実践して究極の覚りに至った幾人もの志ある知識人たちの中から、ゴータマの やり方を手本として「覚り」を得ようとしたのが仏教なのだというのである。
わたしたちは、「キリスト」になることはできない(神が人になったのだから)が、
「ブッダ」になることはできる(人が仏になったのだから)のだ。
お釈迦さまとまだ覚っていない人びとの関係を考えてみると、お釈迦さまがなぜ法を説かなければならないのかということがある。 法を説いたからこそ、仏教が始まった。法を説いてもお釈迦さまは、一文の得もないわけです。もう覚ってしまっているんだから。これ、 退職後のボランティアみたい。もう利他行以外の何ものでもない。出発点からお釈迦さまの行動の中に、利他行が組み込まれているわけです。 (橋爪)
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