徒然読書日記201312
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2013/12/22
「沼地のある森を抜けて」 梨木香歩 新潮社
茶系の釉薬の掛かった壺の蓋を取ると、布巾が掛かっており、更にそれを取ると、駱駝色をした粘土状のものが現れる。恐る恐る手を 突っ込む。ぐにゃっとした感触にぎょっとする。独特の匂いが鼻をつく。しかし覚悟していたほどの嫌悪感もなく、むしろ掻き回していた間、 皮膚を通して何かしら懐かしいような思いが滲んできた。・・・
――大丈夫のようね。
遠目に様子を窺っていた叔母がほっとしたように呟く。
――よかったわ。素質があるのよ、あなた。
<ぬか床を掻き回すのに素質がいるのだろうか。>
駆け落ち同然に故郷の「シマ」を出た曽祖父母が、ただ一つ持って出てきた「家宝」として、戦争中には空襲警報の鳴り響く中、祖母は何より も最初にそれを持って家を飛び出していた。一人娘だった私が大学の頃に私の両親は共に交通事故で死んでしまったため、それは三人姉妹の 長女だった母から時子叔母へと受け継がれていたのだが、今度はその時子叔母が心臓麻痺で急死してしまい、「自分とは相性が悪い」という 加世子叔母の頼みで、まだ独身の久美が、時子叔母が遺したマンションと一緒に貰い受けることになった。それは、<一回でも手入れを怠れば、 文句をいい>、<相性の悪いものが手を突っ込むとぐえっと呻く>という、先祖伝来の「ぬか床」であった。
ある晩、いつものようにぬか床の底の方から手を入れてひっくり返そうとすると、指先が何か硬いものに当たった。見えないので気味が 悪く、そうっと探ってみる。いびつな球形をしている。どうやら、卵のようなものであるらしい。
<・・・何、そこで何してるの、あなた。>
それから五十日ほどたった朝、どこか懐かしい風のような音楽とともに、ドアの前に体育座りでぼうっとしている男の子が現われる。 半分透き通っていた。
というわけで、いくら「ぬか床」がしゃべるからといって、これは決してNHKの朝ドラ『ごちそうさん』のような、のほほんとした仕掛け などではない。
この不可思議な「ぬか床」の秘密を探るべく、物語の終盤で曾祖父の出身地「シマ」を訪れることになった久美が、たどり着いた衝撃の真実 とは、「シマ」の先住民である「鏡原」という<繰り返す>種族の人びとと、本土からやってきてそれを理解し、そんな神域を外部から守る ための緩衝材とならんと「上淵(神淵)」と名乗った人びととの、交錯と淘汰が刻み込まれた「沼地」の歴史なのであり、つまりは 「種の終わり」という大きなテーマを描いた物語だったのだが、
ということになれば、「鏡原」と「上淵」の間に生まれた人間の裔である久美は、無性生殖から有性生殖へという生物の進化のドラマの象徴と いうことになるのだろうか。
それは、岩石の内部に、軟マンガン鉱の結晶が育ってゆくように、一つの細胞から羊歯状に世界へ拡がりゆく、譲りようのない鉱物的な 流れ。私の全ての内側で、発芽し、成長し、拡がるたびに身を裂くような孤独が分裂と統合を繰り返す。解体されてゆく感覚――たった一つ、 宇宙に浮かんでいる――これほど近くに接近しようとする相手がいて、初めて浮き彫りになる壮絶な孤独。それを取り込んでいた、積み重ねた 煉瓦のように強固な意識の細胞が、その鉱物的な孤独の拡がりと共に、外れてゆく、外してゆく。ほどけてゆく、ほどいてゆく。緩んでゆく、 緩めてゆく。私と彼とのあらゆる接触面が、様々な受動と能動の波を形作り、個をつくっていたウォールを崩し、ひとつの潮を呼び込もうと している。
<「それ」が渡されたのだと、私は知った。>
2013/12/14
「白虎と青龍」―中大兄と大海人 攻防の世紀― 小林惠子 文藝春秋
現代の日本古代史学の趨勢は、神代から応神の頃までの『書紀』の記述は、歴史学の史料として認めないのに、欽明朝あたりからは 逆に、『書紀』に書かれたもの以外は史実と認めないのです。これは明らかに矛盾しています。『書紀』は一貫して、天武の息子舎人親王を 中心にして編纂された現代に伝わる日本最初の正史です。前半に虚偽の記述があるとするなら、後半部の継體朝以後も、諸般の事情によって、 必ずしも史実を記しているとは限らないのではないでしょうか。
「一体、いかなる理由によって、『書紀』は天武の年齢を記さなかったのか。」
中大兄(天智)の弟とされている大海人(天武)の正確な年齢を知ることが、『書紀』が隠蔽した史実への突破口になった。編纂者である 舎人親王が父親・天武の年齢を知らないはずはないのだから、あえてその年齢を明記しないのには、そこに何らかの理由があるに違いない というのである。
孫引きをしないという基本姿勢から、様々な資料の原本に当たってこの著者が導き出した答えは、天智が47歳で没した天智10年(671) において、天武の年齢は50歳。つまり、天武は兄の天智より3歳の年長だったことになる、という驚くべき結論だった。
天智と天武の兄弟の母親は舒明の妻・斉明であるが、斉明が舒明と結ばれる前に生まれたのが天武であり、庶子であったがために天智の弟と されたのではないか。
斉明の前夫で、天武の父親ではないかと推定される高向王とは、用明の孫ということになっているが、それはどうやら表向きの話で、実際には 推古の晩年に唐国の要請を受けて倭国への政治介入を目的に帰朝した高向玄理の変名なのであろう。とすれば、天皇家の血縁でもないのに、 『書紀』に突然登場してきた時点で、すでに天智の弟と記された天武は、外国で相当に名を挙げて倭国に来た人ということになる。
そうなのだ・・・
天武が高句麗の莫離支(マリキ=宰相)・盖蘇文であるという「史実」をふまえることによってのみ、663年の唐国との、白村江における 戦いから、672年の“壬申の乱”までを明確に把握することができるのである。
って、オイオイ、天武は高句麗人だっていうのか?
なんてふやけた突っ込みに、「推理小説を一冊も読んだことのない私に推理小説が書けるわけがありません。」と、平然と嘯くこの著者が たじろぐ心配などありはしない。
なにしろ、天智も百済武王(=舒明)の息子の翹岐なのだと想定するこの人の手にかかれば、あの聖徳太子(=タリシヒコ)ですらが、 突厥可汗の達頭で、金髪碧眼だったかもしれないということになるのだから。
お断りしておくが、この本は決して「トンデモ本」の類と比されるような本ではない、倭国という小さな島国の中の、ある血族における みみっちい血統継承の争いなどではなく、遠くペルシアの果てまでもを視野に入れた、東アジア全体ん勢力圏の問題として捉え直してこそ、 この「攻防の世紀」のドラマの真実が、生き生きと蘇ってくるということなのである。
倭国にいる百済亡命王子の翹岐、つまり中大兄にとっては、白村江における百済・倭国連合の敗戦は決定的だった。しかし、盖蘇文にとって は、必ずしもそうとは言えなかった。何故なら、彼は新羅の文武王・金庚信と秘かに連合しており、唐国・新羅連合の勝利が盖蘇文にとって マイナスとばかり言えないからである。つまり百済が敗退して消滅することは倭国の中大兄の勢力を減じることにしかならないのである。
2013/12/12
「歌舞伎 家と血と藝」 中川右介 講談社現代新書
セリフを言うわけでもなければ見得を切るわけでもない。ただ歩いて出てきただけだ。この子に役者としての才能があるのかどうか など、誰にも分からない。それなのに、「中村屋」との掛け声と万雷の拍手――こういう光景は歌舞伎ならではのものだろう。
2013年4月2日、歌舞伎座新開場柿葺落の初日。この日、いちばん盛り上がったのは、なぜか中村勘九郎の息子・七緒八が花道を歩いて 出てきた時だった・・・、というのである。
これまでに4回建て直され、今年(2013年)4月に5代目が開場した歌舞伎座の柿葺落興行21演目において、配役表のトップを飾る ことができたのは、わずか7家にすぎない。
市川團十郎家(海老蔵)
尾上菊五郎家(菊五郎)
中村歌右衛門家(梅玉、橋之助、坂田藤十郎)
片岡仁左衛門家(仁左衛門)
松本幸四郎家(幸四郎)
中村吉右衛門家(吉右衛門)
守田勘彌家(坂東玉三郎、坂東三津五郎)
歌舞伎座で主役を演じるために必要なのは、もちろん役者個人の「藝」であり、興行を成り立たせることができる「人気」である。 しかし、それ以上に大きく左右するのが、その「家」の歴史や格式なのであり、そんな門閥主義を支えているのが、歌舞伎独特の「世襲」制度 ということになる。
7家の家系の多くは徳川時代から続いてはいるが、男系男子という「血統」によって継承されるようになったのは明治以降のことで、 それ以前は、顔立ちのいい子がいたら貰い受け、役者として仕込んで後を継がせる、「養子」による世襲が一般的だったのだ。
1889年(明治22)に開場した初代歌舞伎座で、「劇聖」として君臨した9代目市川團十郎と、覇を競い合った「名優」5代目尾上菊五郎 の時代から、市川海老蔵、尾上菊之助、市川染五郎、尾上松緑、市川猿之助、片岡愛之助という次世代を担う綺羅星が居並ぶ5代目歌舞伎座の 時代まで。
「歌舞伎役者の8割は親戚だ」と言われる、複雑きわまりない姻戚関係の糸の縺れを解きほぐすかのように、栄枯盛衰を繰り返す主流7家の それぞれの歴史を追いかける中で、流動し続けてきた劇界の勢力分布の見取り図が鮮やかに描き出されていくことになるのだが・・・
初代中村歌六(片岡仁左衛門、坂東三津五郎の姻戚)の6世代目の男系の男子で、3代目菊五郎と11代目市村羽左衛門からは、数えて8世代 目の血を引き、祖母は中村歌右衛門家の出なので、5代目福助からも5世代目ということになる。
中村勘九郎の息子(つまり17代目中村勘三郎から4代目)の七緒八は、当代歌舞伎座の幹部役者のほとんどが親戚ということになるので あれば、誰もがハラハラしながら、そのヨチヨチ歩きを慈しむように眺めていたのも、理の当然ということだったのである。
こういう世界は、たしかに入りにくい。
だが、入ってしまえば、ひとりの幼児の背後にいる何世代にもわたる歴史が見えて、それだけで面白い。・・・
そんな、関心のない人にはどうでもいいことにこだわったのが、この本だ。
いま、歌舞伎座の舞台に立つ役者たちが、どのような家系図を背負って、そこに立っているのか――この点については、一般向きの歌舞伎の 本より詳しく書いたつもりだ。
2013/12/3
「サルの小指はなぜヒトより長いのか」―運命を左右する遺伝子のたくらみ― 石浦章一 新潮文庫
私の指は、小指が薬指の一番上の第一関節よりも短いんです。これはどうも遺伝子異常らしいということがわかってきました。でも、 遺伝子異常と言ったって私たちの体に何も影響ないわけ。
「小指って何のためにあるか知っていますか?」
実は、小指はサルが木に掴まるために必要なのだから、進化した人間に小指はあまり必要ないのであって、つまり小指が長いヒトはサルに近い のだ。
フムフム、なるほど、それで?
「昔から小説なんかの宇宙人の絵で、髪が生えている奴いますか?」
ということは、髪の毛がないのは進化した人間の証拠であり、自分のように髪がないヒトの方が進化していると思っているというのだ、心の中で。(笑) って、それで終わりか?本当に終わりなのか?
というわけで、『サルの小指』のことが知りたくてこの本を買ってしまった迂闊な読者のことなど、茫然自失のまま脇道に置き去りにして、 どんどん先に進んでいってしまうこの本は、東京大学に入学したばかりとはいえ、高校では生物を履修していなかった者も多い、文系の一年生 を対象にした、駒場の超人気講義のご紹介なのであり、
生命科学の基本である遺伝子(情報)とタンパク質(形質)の関係をできるだけやさしくまとめようとして、2006年に刊行された『生命に 仕組まれた遺伝子のいたずら』の文庫化による改題なのであれば・・・
相手の気持ちがわからないという病気(自閉症、アスペルガー症候群)がある。果たして、人は心を読むことができるのか。
(第1講義「相手の心を読む遺伝子」)
人間のDNAは30億の文字からできている。その1文字が変わっただけで形態が大きく変わってしまうことがある。もちろん、何も変わら ないこともある。
(第2講義「遺伝子に残る進化の歴史」)
一般的に男は言語能力が女より劣っていると言われる。脳の中で唯一左右非対称な部分、言語野に男と女の違いはあるのか?
(第6講義「男と女で違うこと」)
自分の見ている世界と、他人が見ている世界は同じだろうか?答えはノーである。
(第7講義「生物が初めて見た色」)などなど、
最新の生命科学の進展と問題点を紐解きながら、次第に本職の神経難病(アルツハイマーなど)の治療や原因の解明の話などに引きずり込まれ ていくうちに、いつの間にか『サルの小指』のことなど、どうでもよくなっている自分に気付くことになるのだった。
今回は皆さんがあまり考えたことがないような話をしてみたいと思います。どういう問題が一番難しい問題かというと、皆さんが今何を 考えているかとか、そういうものをどう理解したらいいかってことが、多分一番難しいんです。
(最終講義「脳と意識のからくり」)
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