徒然読書日記201311
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2013/11/29
「雪山飛狐」 金庸 徳間書店
「闖王の身辺には四人の護衛がおった。それぞれ武芸に練達しており、誠心誠意王を守ってきたのじゃ。この四人の護衛はひとりを 胡、ひとりを苗、ひとりを范、そしてもうひとりを田といって、軍中では胡苗范田と呼ばれておった」
中国・明末、農民革命軍の首謀者・闖王こと李自成は、十年余りの転戦の末、ついに北京を破って大順の国号を建てたが、逆賊・呉三桂の 裏切りにより敗走し、韃靼の地で消息を絶った。あれから百年の時を経て・・・
中国東北部の雪深い峯の頂上に建つ玉筆山荘に、「胡・苗・范・田」四家それぞれの子孫が集結することになるという設定で、物語の火蓋は 切られることになる。
追っ手に包囲された闖王の警護を護衛隊のリーダー核の胡に委ねて、苗・范・田の三人は援軍を求めて敵中脱出に成功するのだが、彼らが 援軍を率いて戻った時には、すでに闖王は殺害されており、手を下したのはなんと胡その人であるという噂が広まっていた。しかも胡は、 王の首級を手土産に投降し、逆賊・呉三桂の右腕に納まっているという事実を知ることになった苗・范・田の三人は、再会した胡を騙し討ち によって殺害してしまった。それが、四家それぞれの恨みを醸成させた「仇討ち」の歴史の始まりだった。
短刀の達人・胡一刀に父親を惨殺された、天下無双の剣術使い・金面仏こと苗人鳳。その苗人鳳に三日に及ぶ果し合いの末、父・胡一刀を 殺され、母を自害に追い込まれた、生まれたばかりの赤ん坊が、(実は苗人鳳は露知らないことなのだが、)悪逆非道の匪賊・雪山飛狐こと 胡斐という若者に成長して、ついにこの山荘に仇討ちにやって来るという通告に怯えながら、参集したもの、それぞれの視点から、これまでに 見聞きしてきた昔話が明かされていく中で、微妙に異なるニュアンスを埋めるかのように、長く閉ざされてきた歴史の真実が、次第にその姿を 現してくることになるのである。というわけで、
物語は先へ進むにしたがって、どんどんクライマックスを登り詰めていくかのようなのだが、後数ページで、いったいどんな決着に落ち着く のだろうと胸躍らせながらページを繰っていくのは、いささか危険である。最後の最後に、あなたは奈落のそこに突き落とされることになる のだから・・・
(以下、ネタバレにつき文字を白くしておきます。)
(苗人鳳の愛娘・苗若蘭は)月光を浴びて雪原に立ち尽くしたまま、赤子の衣と小さな靴を眺めていると、 心に暖かなものがこみあげてきて、しばしほうっとしていた。
胡斐は無事に戻ってきて苗若蘭と再会できるであろうか。
あの一刀は振り下ろされるのであろうか。 (完) じぇじぇじぇ!!
2013/11/21
「経済は「競争」では繁栄しない」 PJザック ダイヤモンド社
―信頼ホルモン「オキシトシン」が解き明かす愛と共感の神経経済学―
この道徳的な分子を始動させるには、信頼の合図を送るだけでいい。信頼を込めて人と接すると、相手はオキシトシンが急増し、 あまり関与をためらったり人を騙したりしなくなる。言い換えれば、人は信頼されていると感じると、前より信頼できる人になる。 するとやがて、ほかの人たちからなおさら信頼されやすくなり、それがまた・・・
こうして「善循環」のループが生まれ、ついには道徳にかなった社会が誕生する・・・はずだ。
知人の結婚式に白衣を着て飛び入り参加し、出席している親族や友人はおろか、新郎新婦からさえも容赦なく、誓いの言葉の直前と直後の 二度にわたって血液を採取した、などなど、「ヴァンパイア経済学者」と揶揄されながらも、数々の血液採取実験を敢行して、 オキシトシン・レベルが上がると、赤の他人に対してさえも、気前のいい、思いやりのある対応するようになることを実証してみせた、 いまや世間一般の注目度も抜群の、「神経経済学」の創始者・PJザックが到達した、これこそが結論だというのである。
さて、この結婚式で採取された血液サンプルからは、花嫁を中心とする同心円状のオキシトシン・レベルの変化が確認された。 花嫁本人28%、花嫁の母24%、花嫁の父19%、兄弟姉妹、友人・・・という具合に、検査を受けた人たちの上昇幅は、花嫁に対して 想定される情動的なかかわりの度合いと正比例していたのだ。
では、肝心の花婿本人は・・・13%?
もちろん、花婿の数字が父親を下回ってしまったのは、オキシトシンの分泌に干渉する、男性ホルモン・テストステロンの仕業である。 (仔細はご想像にお任せする。)
オキシトシンのおかげでいつも善良になったり、寛大で人を信頼するようになったりしていたのでは、このせちがらい世の中を無事に渡って いくことなどできはしない。これはオキシトシンに指揮を任せられる状況なのか、それともストレスホルモンをどっと分泌地させて警戒態勢を 保ったほうがいいのか?その瞬間ごとの外面的な人間関係や、社会的な手がかりにも反応して、信頼と慎重さ、寛大さと自己防衛のバランスを とるように、私たちを導くこと。
つまり、私たちが開けっぴろげでいることに社会的な恩恵を享受しながらも、騙されないようにするために必要な適度の用心を怠らずに済んで いるのは、人間の絆や相互作用の性質を正確に認識して、それに反応するというオキシトシンの能力によるものなのだというのだった。
こんな素敵なオキシトシンの効果を一掃し、テストステロンに力を発揮させて共感を減らし、罰したいという欲求を募らせるには、自らの集団 の存続に対する外部の脅威をでっちあげればよい。たとえばアベノミクスが目指そうとしている、そのような考えに基づいた「成長戦略」なる ものは、やがては過度の競争で社会に歪みをもたらし、ついには格差を拡大するばかりであるに違いない。だから・・・
「競争を前提とする戦略は社会の長期的繁栄につながらない」
というのが、「1日8回ハグすれば、今より幸せになれる。」という「善循環」の基本理念を実践している、このまことにお茶目なザック博士 からの真摯なアドヴァイスなのである。
ここ数年間だけでも、私たちのふるまいの背後にあるものについて、行動経済学や社会神経科学、神経神学、利他的行為と協力の進化研究、 はては幸福の研究に至るまで、さまざまな分野から新たな洞察がどっと寄せられている。これらのデータはすべて、人間という種がこれまで 世間で言われてきたよりもはるかに利他的で、全体にずっと優しくて協力的であることを示している。
2013/11/16
「聞く力」―心をひらく35のヒント― 阿川佐和子著 文春新書
実際、インタビュー初心者時代は、もっと緊張していたことを思い出します。今よりある意味で真面目だったので、それらの不安を 取り除くために、事前にインタビューのシミュレーションをして、質問項目をレポート用紙に書き並べて本番に臨んだものです。
自分なりに対談の流れを想定し、きっとこんな答えが返ってくるだろうから、次の質問はこんな具合にしておこうと、二十項目にも及ぶ質問を 書き連ねたレポート用紙を膝に乗せ、ときどきチラチラとそこに視線を戻しながらインタビューをする。そういう質問のしかたを続けていると、 考えているのは次の質問のことばかりで、肝心の相手の話はほとんど耳に入ってこないため、話に連続性が生まれない。
「質問は一つだけ用意しなさい」
というのが、そんな時たまたま開いた先輩アナウンサーの著書で見つけたアドヴァイスだった。次の質問を見つけるためのヒントは、一つ目の 質問に応えている相手の、答えの中にあるに違いないのだから、質問者は本気で相手の話を聞くことが大事だ、というのである。
でもさすがに「質問を一つ」しか用意していかないのでは不安なので、頭の中に「質問の柱を三本」立てるようにしている。というのが、 名インタビュア―・アガワの「流儀」というものなのだった。
お見合の後の初デートを徹底的な予行演習によって乗り切った、馬鹿の一つ覚えのような貴重な体験に味をしめて、できれば目立ってみたい 小さな集まりにおける自由発言から、ちょっと苦手なお客様との電話トークに至るまで、その日の朝、取り急ぎベッドの中で脳内シミュレー ションをしてみることを、日常の習慣としているような男にとって、この本はまさしく、目から鱗のヒント満載の「会話術」のハウツー本 なのだった・・・?なんて、大袈裟なものではもちろんあろうはずもなく、
これは「最強の聞き手」としての阿川佐和子が、これまで積み重ねてきた体験と、そこから気付いたことをまとめた本なので、どうせ読むの なら、『聞く力』実践編としての、『阿川佐和子の世界一受けたい授業』の方にすればよかったかも、と思った次第である。
なにはともあれ、阿川佐和子が目の前で聞いてくれていると思うと、「つい喋りすぎちゃう」(@ビートたけし)らしいのである。
特に「オジサン」は・・・
人の話はそれぞれです。無口であろうと多弁であろうと、語り方が下手でも上手でも、ほんの些細な一言のなかに、聞く者の心に響く 言葉が必ず潜んでいるものです。・・・そんな話をする当の本人にとっても、自ら語ることにより、自分自身の心をもう一度見直し、何かを 発見するきっかけになったとしたら、それだけで語る意味が生まれてきます。
そのために、聞き手がもし必要とされる媒介だとするならば、私はそんな聞き手を目指したいと思います。
2013/11/8
「日本近代史」 坂野潤治 ちくま新書
本書は、1857(安政4)年から1937(昭和12)年までの80年間の歴史を、六つの段階に区分して通観しようとする ものである。
が・・・、この時代区分を従来の日本近代史固有の言葉で表現したのでは、各時代の特徴はとらえられても、それぞれの時代の相互関係が わからないので、
「改革期」(1857〜)公武合体
「革命期」(1863〜)尊王倒幕
「建設期」(1871〜)殖産興業
「運用期」(1880〜)明治立憲制
「再編期」(1894〜)大正デモクラシー
「危機期」(1925〜)昭和ファシズム
「崩壊期」(1937〜)大政翼賛会
というキーワードで区分し直すことにより、わずか数十年の間にめざましい「近代化」を実現しながら、やがて「崩壊」へと突き進んでいった、 日本の「近代」という時代の意味を捉え直してみようという試みなのである。
「尊皇攘夷」と「佐幕開国」との対立を乗り越えんがために、「勤王」の旗印の下に有力藩主同士の協力を集めると同時に、「改革」を果たす ためには「攘夷論者」であるか「開国論者」であるかを問うことなく、各藩有志者横断的結合を果たすべきと奔走した、西郷隆盛の「合従連衡」 論が「明治維新」を準備したのであるとすれば、
昭和4年の金融恐慌から、満州事変、五・一五事件と、経済危機、対外危機、軍事クー・デターという三重苦に見舞われることになった、 この「危機」の時代を乗り切るために、総辞職した政友会内閣の後を継いだ、海軍大将・斎藤実の「挙国一致」内閣以降、日本の政治社会は 一種の液状化を起こし、陸軍も政党も官僚もそれぞれの内部に分裂が生じて、政治勢力は細分化されていくことになる。
そして、民政党や政友会だけでなく、財界からも新官僚からも入閣者を得、陸軍も社会大衆党もこれを支持した、近衛文麿内閣が成立する ことになる。すべての政治勢力に支持された内閣には、基本路線もなければ信頼できる与党的勢力もなく、その時々の状況により、右に 行ったり、中道に行ったり、左に行くしかなかった。
「崩壊の時代」が始まったのである。
日本の指導者たちが四分五裂して小物化する中、内政と外政の二重の国難の入り口に立たされることになった日本国民が、この二重の国難から 同時に解放されたのは、ようやく1945(昭和20)年8月15日であった。
そして、2011年3月11日のあの大津波は、多くの人々がこれになぞらえて、またも日本は復興を果たすに違いないと期する、8月15日 のあの焼け野原の風景の方ではなくて、日中戦争が勃発した1937年7月7日の方に近く見える、というのがこの著者の危惧するところ なのである。
3月11日の三重の国難を迎えて以後の日本には、「改革」への希望も、指導者への信頼も存在しない。もちろん東北地方の復旧、復興は 日本国民の一致した願いである。しかし、それを導くべき政治指導者たちは、ちょうど昭和10年代初頭のように、四分五裂化して小物化 している。「国難」に直面すれば、必ず「明治維新」が起こり、「戦後改革」が起こるというのは、具体的な歴史分析を怠った、単なる楽観に すぎない。「明治維新」や「戦後改革」は日本の発展をもたらしたが、第6章で明らかにしたように、「昭和維新」は「危機」を深化させ、 「崩壊」をもたらしたのである。
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