徒然読書日記201309
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2013/9/30
「野蛮人の図書室」 佐藤優 講談社
理解できないことが生じたときに「誰かが説得してくれる」と無意識のうちに思って、自分の頭で考えることをやめてしまうのが 「順応の気構え」(@ドイツの社会哲学者ユルゲン・ハバーマス)だ。テレビのワイドショーでは、殺人事件、芸能人のスキャンダル、政治、 経済、外交などについて、コメンテーターが15〜30秒でコメントをする。「よくわからないけれど、有名な人がそういうのだから」と 無意識のうちに思って、順応してしまうのである。そうするうちに人類は徐々に野蛮人化していく。そして、最後には自分が野蛮人である ということにすら気づかなくなってしまう。文明国であったドイツからアドルフ・ヒトラーが出てきたのも、ドイツ人の多くが自分の頭で 考えることをやめ、「順応の気構え」を持つようになってしまったからだ。
「われわれは、誰もが野蛮人である。この現実を見据えることが重要だ。」
1人の人間の能力や経験には限界があり、その限界を乗り越えるためには、他人の知識や経験から学ぶことが不可欠である。そして、 そのためにもっとも効果的な方法こそが「読書」なのだと考え、自らまさに実践してきた「知の怪物」・佐藤優が、今まであまり本を 読んだことがないという人たちが、「野蛮人」を脱し「教養人」になるための道案内となって、「読書によって教養をつけるためのコツ」 を伝授して差し上げましょうという本なのであれば、
あの『ぼくはこんな本を読んできた』の「知の巨人」・立花隆との共著
『ぼくらの頭脳の鍛え方』
で散見されたような、「ぼくはこんな本まで読んでるもんね」とでも言いたげな、いささか子どもっぽい対抗心が消えているその分だけ、 肩の力もほどよく抜けて、種々様々なバラエティに富んだ60近くもの「テーマ」に渉って、時にまことにユニークな切り口から選び出された 2冊の本を比較対照しながら、読書のコツが伝授されていくのである。
<ウミガメに見る女の本質>
『カメのきた道』(平山廉 NHKブックス)
『浦島太郎』(坪田譲治 偕成社文庫)
―ウミガメのかわいさの陰には怖さが潜んでいる。
<愛に触れる言葉とは>
『おいしいコーヒーのいれ方』(村山由佳 集英社文庫)
『新約聖書』(日本聖書協会)
ー愛を告白する殺し文句にマニュアルはない。
<「恨み」を上手にかわす方法>
『小泉八雲集』(小泉八雲 新潮文庫)
『雨月物語』(上田秋成 ちくま学芸文庫)
ーパートナーを裏切って恨まれることは、できるだけ避けたほうがよいという教訓だ。
<今こそ『資本論』を読む>
『マルクス資本論』(エンゲルス 岩波文庫)
『マルクスの「資本論」』(フランシス・ウィーン ポプラ社)
ー『資本論』を読むと、労働者はいくら努力しても資本家にはなれないことがよくわかる。
う〜む、なるほど。
この本は『週刊プレイボーイ』に連載されていたものだというだけあって、「教養人」になるためというよりは、むしろ「素敵なオトナ」に なるためのレッスンだったのである。
2013/9/20
「『いらっしゃいませ』と言えない国」―中国で最も成功した外資・イトーヨーカ堂― 湯谷昇羊 新潮文庫
研修会場は成都市民ホールを借りた。教育・研修は第1ステップから第3ステップまであるのだが、なんと第1ステップの出だし からつまずいた。
「接客6大用語を大きな声で言ってみましょう。私に続いて唱和してください。はい『ホワイリンクワンリン(歓迎光臨=いらっしゃいませ)』」
会場は水を打ったように静まりかえったままだ。誰も唱和しない。もう一度同じことを繰り返す。今度は教育スタッフが続いたが、現地採用 従業員たちはだれも反応しない。
「むやみに人に頭を下げるな」と小さい頃から両親に教育されてきた中国人にとって、商品とは「買っていただく」ものではなくて、 「売ってやる」ものだった。
失敗しても、間違えても、絶対に非を認めず、すべて原因を他人のせいにしてしまう「モラルの低さ」。
在庫としてあるはずの商品がなくなってしまう、その9割が内部の犯行によるものとされる「盗みの横行」。
1994年、流通近代化を目指す中国政府は、中国市場における大型チェーンストア経営を確立させんがため、外国の有力な小売業のノウハウ を導入しようとした。アジア系1社として白羽の矢が立てられ、その誘致の要請を受けて中国内陸部の四川省・成都に初めての海外店舗を オープンすることになったイトーヨーカ堂が、乗り越えねばならなかった課題は、もちろん、従業員の教育だけではなかった。
「通用しないヨーカ堂の看板」
「相手にしてくれない仕入先」
「厳しい反日感情」
「日本のシステムが使えるという妄想」
「何言っとるんじゃお前ら。パンダの生息地の成都は竹の産地だろう。竹のカゴなんぞいくらでもある。竹のカゴを買ってこい。売り場に カゴを吊るして"溜め銭"で商売をすればいいじゃないか。
計算は電卓を使え。領収書は手で書け。商売の原点は何かを考えろ。『いい商品をお客さまに渡し、感謝して代金を受け取る』。これが商売の 原点だ。POSシステムはそのための手段であって。それが動かなければ人間が手作業でやればいいことじゃないか」
「以上が結論。これ以上、議論や検討をする必要はない」
商品マスターの登録がうまくできず、POSシステムが稼動しないため、このままでは中国政府と約束した開店日にオープンできない、 と動揺する現地スタッフを恫喝し、その目に付いていた鱗を落としてみせたのが、本社常務取締役営業本部長として、ヨーカ堂の中国出店の 陣頭指揮を執った塙昭彦(当時54歳)だった。
「そうか、それでいいんだ」と、現地スタッフの肩にあれほど重くのしかかっていた荷が取り除かれ、迷いも雲散霧消していった。
このときを機に、ヨーカ堂が中国で仕事をしていく「腹」が据わり、あわや撤退の瀬戸際まで追い詰められても、「お客様のためのサービス」 を追求する姿勢を貫き通すことができた。
そしてついには「ヨーカ堂が出店すれば地価が上がる」とまで言われるようになる、感動の物語が始まったのである。
「ホイリンクワンリン(歓迎光臨=いらっしゃいませ)」が言えなかったり、あまりにも売れなくて、一号店の開店前に、多くの従業員が ヨーカ堂を去った。その一方でヨーカ堂に愛着を持ち、働き続けている従業員もいる。北京1号店をオープンさせるため、人材を採用して 「就任式(入社式)」に出席した約900人のうち120人が今も働いている。
2013/9/19
「今のピアノでショパンは弾けない」 高木裕 日経プレミアシリーズ
さまざまな種類の楽器が一同に集まるオーケストラ。ピアノコンチェルトとなると、指揮者より手前にフルコンサートグランドピアノ がドンと鎮座します。本番前のリハーサルが始まる前にコンサートホールのステージ上では、面白い現象が起こります。他の楽器の人達は それぞれここのテンポはもう少し早めにしようかとか、ここはもっと音量を抑えようとか、ホールの響きや音楽的な見直し等に余念がない のですが、ピアニストだけが、黙々と早くこの楽器に慣れようという努力をしているのです。
なぜなら、それが超一流のプロでも、たとえ幼稚園の園児であろうとも、まったく同じ道具(ピアノ)を使って、会場からの評価を受けねば ならぬのだから。つまりピアニストだけが、大きくて持ち運びが困難という理由から、他のほとんどの演奏家のような自前の楽器ではなく、 ホール備え付けの共同のピアノを演奏しているのである。
「ならば、最高の状態のピアノを運んでしまおう」
トップクラスのピアニストでさえが、自分の理想とするピアノを弾いてコンサートすることなど最初から諦めてしまっているような、日本の クラシックのピアノ・リサイタルの現状に疑問をおぼえ、それぞれのピアニストの好みにピアノの調整をどんどん替えて、翌朝元に戻す作業を 繰り返し、すべてのピアニストの要求をできる限り叶えられる音楽ホールの運営管理を実践して、予約が取れないほどの有名ホールに育て 上げた。
どのピアノメーカーにも属さないフリーの調律師として、自由な立場から国内外のアーティストのコンサートやレコーディングを数多く 手がけてきたコンサート・チューナーでもある著者が、最終的にたどり着いたのは、フルコンサートグランドピアノの名品を自ら購入して、 ピアニストに貸し出すことと、そのピアノをコンサートホールに安く安全に運び込むために、女性一人でも動かせるように機械化した 運搬システムを作り上げることだった。
ボディが鳴らないので、フォルテは鍵盤をねじ伏せるように叩き込むし、音色がほとんど変わらない楽器でクラシックを弾くものですから、 上体を大きくくねらせたり、両手を高くあげたりするオーバーアクションも増えました。
最近の音大生は「指が回る」のは当たり前で、正確に鍵盤を叩き、強弱がはっきりしてメリハリがあり、鍵盤を下まで叩き付けて大きい音を 出そうとする。そうなってしまうのは、こんな「体育会系の弾き方」のほうが審査員受けがよいからであり、「芸術点」より「技術点」のほう を高く評価する傾向にあるのは、それが客観的に分かりやすいからであるに違いない。
なぜなら日本人は、「音色の変化の乏しい」「無用に音が伸びすぎる」、「鍵盤を戻すとスパっと音が止まってしまう」という、何の余韻も 残らない現代のピアノしか知らなかったのだから・・・
欧米のクラシックが衰退し始めた戦後から本格的なクラシックピアノブームが起こった日本では、戦前のアメリカの巨匠時代(ホロビッツ、 グールド等)におけるピアノの進化と改良の歴史を知らず、既に完成されていたピアノの模倣から始めてしまったため、誰が弾いても「ド」は 「ド」の高さの正確な音が出るピアノの「表現力?」、「色彩豊か?」、「音色が変わる?」ということの意味が理解できなかった。
残念ながら『今のピアノでショパンは弾けない』のである。
いまや日本の最先端を走る日本のピアノメーカーの使命は、万人に好まれるピアノという、音楽家ではなくメーカー主導で行き過ぎてしまった ピアノの設計をリセットし、モーツァルトやショパンの時代の「ヒストリカルピアノ」まで遡って再検証することで、本当のクラシック音楽を 取り戻すことだというのが、この著者の熱き提言なのである。
「このピアノは難しい。しかしいろんな可能性がある」と言われるのが私にとって最大の褒め言葉です。それはピアノという楽器を 諦めていたピアニストに、さらにその先にある音楽性を引き出せる武器を提供できたことになるからです。すなわち、これで初めて調律師と ピアニストとピアノが一体となって、さらに先に進める可能性を導き出す出発点になることを示しているからです。
2013/9/14
「清須会議」 三谷幸喜 幻冬舎文庫
どんどん熱くなってきた。もう煙で一寸先も見えないよ。いや待て、これは俺の目がかすんできているのか。もうどっちでもいいや。 そろそろ腹でも切るか。気を失う前に、武士らしく死ぬことにしようか。・・・
今、ちょっと腹の皮を切ってみた。あ、意外と痛い。お腹切るって結構、きついんだね。もうちょっといってみるか。あ、痛ててててて。 痛てててて、痛ててててて。やっぱり死ぬのって大変だわ。
燃えさかる本能寺本堂で、断末魔の独白を続ける織田信長の<実況中継>のようなものから、この物語は始まる。
たとえ俺が死んでも、嫡男の信忠がいる限り織田家は安泰だが、用意周到な光秀に追い詰められれば、苦労知らずで、粘ることを知らない あいつのことだから、もはやこれまでと、腹を切ってしまうかもしれない。という嫌な予感は的中して、いずれにせよ、光秀を滅ぼした者が 次の時代を担うことになるに間違いない、この国の行く末は、信長が予想したとおり、「かなりやっかいなこと」になろうとしていた。
父上様、信忠兄上様、ご無沙汰しております。そちらの様子はいかがですか?お二人で、あの世の天下統一の算段でもしていらっしゃる のでしょうか。
と、血筋では劣りながら、知恵者で度胸もあり、文武両面で兄を凌いでいることを、家中の誰もが認めていた、三男の信孝を、当然のこと として跡継ぎに推そうとしていた、織田家筆頭の家臣、猛将・柴田勝家に対し、
父上、兄貴、お元気ですか。おれは元気ですよ。って、父上も兄貴も死んじゃってるんだよな、お元気はないよな。今、自分でウケ ちゃったよ。
と、「はっきり言って馬鹿」(信長・評)な次男の信雄を担ぎ出そうと画策しているのは、織田家随一の切れ者、智将・羽柴秀吉で、光秀を 討った勢いを背に、御しやすい信雄を推挙し、得意の根回しで宿老たちを手なずけ、織田家の実権を握ってしまおうという魂胆なのだった。
この数日でどれだけ泣いたことだろう。鬼の権六と呼ばれた男が、どうにも情けない話だ。しかしお館様の無念を思うと、胸が締め付け られる。天下取りまであと一歩だったというのに。ようやくここまで漕ぎ着けたというのに。お館様が、どんな思いで最期を迎えられたか。 それを思う度に、涙が溢れてくるのだ。
と、ひたすら織田家一筋で、権謀術数という言葉からもっとも遠い勝家なのであれば、
「しかし、信雄様に織田家を率いていけると思うか」
親父殿の問いに対し、オレはここぞとばかりにまくしたてた。だからこそ、家臣団が一丸とならなければならないのだ、我らが信雄様を 守り立てていけば、必ず織田家の再興はかなうと、そしてもちろん、親父殿を立てることも忘れなかった。
「親父殿がいる限り、織田家は安泰です」
その一言で、親父殿はすっかり納得してしまった。
「藤吉郎の言うこと、一理ある」
こいつは、オレの敵ではないな。
と、人たらしの異名も高い秀吉の手に掛かれば、赤子の手をひねるも同然のようなのだが、
盟友・勝家の参謀役を務める、織田家きっての切れ者・丹羽長秀や、勝家の純情を弄び、夫と息子を殺害した張本人、秀吉への恨みを 晴らそうとするお市の方、そして、到着が遅れている宿老・滝川一益に代わり、急遽加えられることになった、損得勘定で動く男、 池田恒興の動向など、いささか癖のある人物たちが巡らす、さまざまな思惑も絡んで、
天正十年六月二十七日。ようやく、戦国の歴史を大きく動かすことになった「清須会議」が始まった。
これは「現代語訳」とはいえ決してパロディなどではない、三谷幸喜が大真面目に歴史に残る五日間を描いて見せた、読み応え十分の 心理ドラマなのである。
2013/9/13
「今を生きるための現代詩」 渡邊十絲子 講談社現代新書
36 私があまりに光をみつめたので =252
37 私は私の中へ帰ってゆく =254
38 私が生きたら =256
39 雲はあふれて自分を捨てる =258
(『六十二のソネット』谷川俊太郎)
「なんて自由なんだろう。」
<ことばに番号をふるなんて!言いかけて途中でやめてしまうなんて!なによりも、主語や述語や修飾語のかみあった、きちんとした文 じゃないものを印刷してみんなに見せるなんて!>
と、この粟津潔デザインによる格好いい「詩集」と出会った13歳の十絲子が、鮮烈な感銘を受けてしまったのは、中学2年の国語の 「教科書」に載っていた同じ作者の詩に、まるで心が震えない自分に、不可解な思いを抱いていたからだった。
いま生きているということ・・・
それはヨハン=シュトラウス・・・
それはピカソ・・・
すべての美しいものに出あうということ・・・
(『生きる』谷川俊太郎)
小学生のころから詩が好きで、魂を鷲掴みにされるような心の激震を体験してきた少女にとって、どこか遠い国の知らない人のことを、 いくら脚注で先生が詳しく解説してくれたところで、何のイメージも湧きあがってはこなかったからである。
もともと、日本人は詩との出会いがよくないのだと思う。
大多数の人にとって、詩との出会いは国語教科書のなかだ。はじめての体験、あたらしい魅力、感じとるべきことが身のまわりにみちあふれ、 詩歌などゆっくり味わうひまのない年齢のうちに、強制的に「よいもの」「美しいもの」として詩をあたえられ、それは「読みとくべきもの」 だと教えられる。そして、この行にはこういう技巧がつかってあって、それが作者のこういう感情を効果的に伝えている、などと解説される。 それがおわれば理解度をテストされる。
「こんな出会いで詩が好きになるわけないな。」
と感じていた彼女が、自分の人生のおりおりに詩がどうかかわってきたかを問い直し、むしろ、わからなかったこと、読みとれなかったこと、 読み間違えたことを語り明かす。現代詩が「むずかしい」のは「わかろう」とするからで、むしろ、だからこそ「おもしろい」ということを 「楽しむ」べきものなのだ。
衝撃を受けた<詩>が、じつは「詩集」の<目次>であったことに気付いたのは、それから数カ月もたってからだったそうなのだが、 その<大いなる勘違い>が、気づいた途端に消え去ってしまう、きわめて前衛的な詩との至福の時を与えてくれたのだとすれば、 それは13歳の彼女にとって、<素晴らしき出会い>であったというべきなのだろう。
人がなにかを突然好きになり、その魅力にひきずりこまれるとき、その対象の「意味」や「価値」を考えたりはしないものである。 意味などわからないまま、ただもう格好いい、かわいい、おもしろい、目がはなせない、と思うのがあたりまえである。
詩とはそのように出会ってほしい。
2013/9/12
「里山資本主義」―日本経済は「安心の原理」で動く― 藻谷浩介 NHK広島取材班 角川ONEテーマ21
人が生きていくのに必要なのは、お金だろうか。それとも水と食料と燃料だろうか。
食料も燃料も、自給できない日本ではお金で買うもので、輸出産業が稼いでくれたお金があって、はじめて外国から輸入できるものなのだから、 日本の経済は「何があっても成長していかなくてはならない」。だからこそ、長期低迷の中国際競争力も地に落ちようとしている、今の日本に もっとも必要なのは、国としての成長戦略であり、景気回復策なのだ。というのが、お金の循環がすべてを決するという前提で構築された 「マネー資本主義」が主張する論理であった。
間違えてはいけない。生きるのに必要なのは水と食料と燃料だ。お金はそれを手に入れるための手段の一つにすぎない。
お金と引き換えに遠くから水と食料と燃料を送ってきてくれているシステムは、その複雑なシステム自体が麻痺してしまえば、幾ら手元に お金があっても何の役にも立たない。ということを、私たちは今度の大震災において、たとえ被災者の立場にいなくとも、<あのとき> 一瞬だけ感じたに違いない、生存を脅かされたことへの恐怖とともに、心の奥底に刻み込んだのではなかったか。
しかし、必要な水と食料と燃料を、かなりのところまでお金を払わずに手に入れている生活者は、日本各地の里山に今現在も無数に存在 している、ということも紛れもない事実なのだ。だからといって、何も江戸時代以前の農村のような、自給自足の暮らしに現代人は戻るべきだ、 などという無理な話を主張しているわけではない。
「里山資本主義」とは、日本の主流経済を席巻する「マネー資本主義」の経済システムの横に、こっそりと、お金に依存しないサブシステムを 再構築しておいて、たとえお金が乏しくなっても、水と食料と燃料が手に入り続ける仕組み、いわば安心安全のネットワークを、予め用意して おこうという実践なのだ。
というのが、前著
『デフレの正体』
において、生産者年齢人口の激減こそが、日本経済の衰退の根本原因であることを喝破してみせたこの著者の、今の日本の目の前に立ち塞がる 危機を乗り超えて、明るい見通しを切り開く未来を生むための、これからの日本の生き方を示してみせた、力強い提言なのである。
それまでゴミとして捨てられていた木くずをかき集めて自家用の発電をするところから始めて、ついには間伐材を再利用したバイオマス発電 事業など、疲弊する山林地域を世界最先端のバイオマス産業基地に生まれ変わらせた岡山県真庭市の建材メーカー・銘建工業の事例など、 NHK広島取材班の報告を見ても、
「貨幣換算できない物々交換」というものの価値を改めて見直し、
「規模の利益からあえて外れる」ことで地域内の経済環境を拡大し、
「分業の原理に逆らった一人多役」をそれぞれがこなすことで、組織の活力をあげていく。
この「里山資本主義」的な行き方こそが、「何かと交換することも、比べることもできない」あなた自身の価値を気付かせてくれるだろう というのである。
里山資本主義の向こう側に広がる、実は大昔からあった金銭換算できない世界。そんな世界があることを知り、できればそこと触れ合いを 深めていくことが、金銭換算できない本当の自分を得る入り口ではないだろうか。
2013/9/6
「見知らぬ心臓」 Cヴァランドレイ マガジンハウス
シャルロットさま
私はあなたの中で鼓動する心臓を知っています。その心臓を愛していました。
私にはあなたに連絡を取る権利はないのですが、黙ったままでいることができず、こうして匿名で手紙を出すことをお許しください。・・・
P.S.
もしもきみがこの手紙を読んでくれたら、僕はいつどんなときも、きみがいなくて辛くて寂しい、きみのところへ行こうかためらっている。
16歳のデビュー作でベルリン映画祭女優賞を受賞したシャルロットは、17歳でHIVに感染、34歳で心臓移植という、2回もの臨死の 試練を体験していた。
一台の車、車の中と外は夜。私は猛スピードで走っている。ワイパーが最速で左右に動いているが、雨をすべて弾くことはできない。・・・
私は叫ぶ。光のフラッシュ!大量の眩しい光が差して、すべての映像を燃やし、私の手は燃え、指輪のダイヤが溶ける。
「あれは私の車ではなかった。指輪も違う」
移植手術後の拒絶反応を乗り越えて、新しい心臓が<彼女の心臓>になろうとしていたころ、シャルロットは頻繁に自分が死ぬ夢を見るように なる。それは相談した精神分析医が言うような、無意識が元になった夢で済ませてしまうには、あまりにもリアルな、しかし自分にはまったく 見覚えのない映像を伴う夢だった。
「これは心臓の記憶ではないのだろうか?」
移植者がドナーの身元を知ることも、逆にドナーの家族が移植者の身元を知ることも、法律で禁じられているという制約のもとで、自動車事故 で脳死状態となった若い妊婦が、この<見知らぬ心臓>の記憶の本当の持ち主なのではないかという自らの悪夢の根源を求めるかのように、 シャルロットの探索行は続いていくのだが、
HIV感染と心臓移植という自らの体験を初めて告白した、自伝『血の中に愛』がベストセラーとなり、殺到するようになったファンレターの 山の中に埋もれていた、切手も消印もない美しい封筒を開封したとき、この物語は大きな転回点を迎えることになる。
それは、正体不明のドナーの夫から<見知らぬ心臓>に宛てられた、心震わせるようなラブレターであり、人生を超越した愛の形だった。
そして驚くべきことに、この信じられないような物語は、正真正銘、本当にあった話なのである。
シャルロットさま
映像であなたが元気でいらっしゃるのを目にして、私は嬉しく思います。読者からの手紙が山のように届いていることと思います。 ほかにも私と同じことを主張する人がいるのではないかとお思い、この手紙で詳しい状況を説明させていただきます。・・・
私はあなたにご迷惑をかけません。もう存在しない絆を勝手にあなたの中に求めるエゴイストにはなりたくありません。・・・
P.S.
きみを愛している。
2013/9/6
「聖地巡礼 ビギニング」 内田樹 釈徹宗 東京書籍
「もしかしたら、いまの日本人に必要なのは、傷ついた人々や悲しんでいる人々を支える聖地の持つ力じゃないのか。そんな視座も あって、さらに宗教的な場への思いを強くしているんです。」
だから「聖地」という<なすべきもない悲しい出来事を求心力に変える装置>に目を向け、その土地に眠っている霊性を感じること、そんな、 現代人でも無意識に感じていることを、あえて意識化させていくような作業をする必要があるんじゃないか。と、東日本大震災という事態に 直面したことを発端として、日本の聖地を巡ることを企画することにした、浄土真宗本願寺派・如来寺住職の釈徹宗に対し、
「大阪に元気がなくなったのは、本来この土地が持っていた霊的エネルギーを賦活する装置が機能しなくなったからだっていうのが僕の 持論なんです。」
大阪に元気がないのは、<土地が持っている霊力を侮った罰だ>と喝破する、思想する武道家・内田樹は、<霊的感受性>を敏感にして、 「霊的なものの切迫を触覚的に感じること」をとりあえずの目的に据え、釈の水先案内に引っ張り出されて、道を歩きながら、神社仏閣を 巡りながら、つまりA地点からB地点に移動しながらの、釈との対談を挙行する。人間というのは移動しながらおしゃべりをしていると、 「突拍子もないこと」を思いつく傾向があるから・・・というのである。
釈 今日はいわば大阪の宗教ラインを先端から中ほどまで歩いてみたわけですけど、先生は何か水路のように歩けるとおっしゃってましたね。
内田 ええ。ただ、流れを妨害しているものもあると感じました。霊的な水脈があることは間違いないんです。でも、ノイズも強い。 本来であればああいう霊的な水脈が流れているところでは、流れを妨げないようにという無意識の気遣いができるはずなんですけど、・・・ 都市住民たちはもうそういう感覚をなくしちゃったんでしょうね。
よほどこちらの感度を上げねば、大阪の地が持つ高い宗教性を、もはや感知できなくなってしまったことを確認することになった、 大阪・上町台地の縦走。
内田 このあたりで異界への扉がぱかっと開くような気がしますねえ。
釈 この磐座を自分の「扉」「入り口」と決める人は結構いるような気がします。
内田 ここはすごく空気に透明感があります。不思議だな。町の音も聞こえない。
蓮台野(船岡山)から鳥辺野(六道辻)まで、古代からの葬送地を歩く京都の「異界」巡りでは、「お、ここだ」という境界線感覚を、 身体で実感することになる。
「登拝中は録音や写真撮影は禁止」
つまり足を踏み入れたが最後、しゃべることさえできない、奈良飛鳥・大神神社のご神体「三輪山」登拝を終えた後の、晴れ晴れとした 達成感まで含めて、
これは是非とも後追いせずばなるまいと思わせてくれること請け合いの、『関西アースダイバー』ガイドブックなのである。
「おお、来ますね」「来ましたか」というように僕と釈先生がパワースポットでの「ざわざわ感」を語り合っておりますが、このような 感覚にはもちろんいかなるエビデンスも存在しません。ですから「勝手なこといってないで、どこがどう『ざわざわ』するのか、 科学的エビデンスを出せ」というような野暮をいわれても困る。
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