徒然読書日記201308
サーチ:
すべての商品
和書
洋書
エレクトロニクス
ホーム&キッチン
音楽
DVD
ビデオ
ソフトウェア
TVゲーム
キーワード:
ご紹介した本の詳細を知りたい方は
題名をコピー、ペーストして
を押してください。
2013/8/28
「出雲と大和」―古代国家の原像をたずねて― 村井康彦 岩波新書
邪馬台国が領域を四つに分け、それぞれの「官」が管領していたと推測したが、このことの意味はそれにとどまるものではない。 中央部はともかく、周囲の三区域には北に物部氏、西南に鴨氏、東に大神氏がそれぞれ蟠居していたからである。
「天磐船(あまのいわふね)」に乗って高天原から大和に降った「天孫」であるとされる、呪術集団・物部氏の始祖・饒速日命 (にぎはやひのみこと)は、大己貴(おおなむち)神(=大国主神)の娘婿だった。製鉄に関わる集団と考えられる鴨氏の祭神・ 味鋤高彦根神(あじすきたかひこねのみこと)は大国主神の息子である。そして、三輪山そのものを御神体として崇拝する大神 (おおみわ)氏の祭神・大物主神とは、もちろん出雲から求めに応じて寄りきたった大国主神の別名なのである。
つまり、物部氏も、鴨氏も、大神氏も、いずれも出雲系の氏族であった、ということになる。
北の生駒山に登弥(とみ)神社、南の葛城山に高鴨神社、東の三輪山には大神神社が鎮座まします、この奈良盆地中央部にこそ 「邪馬台国」はあったのだとすれば、のちの「大和朝廷」の時代になって、出雲から神賀詞(かむよごと)を奏上するようになる 出雲国造が、高鴨神社と大神神社を、皇室の「近き守神」とするという謎も解ける。これらの神社は、大和朝廷の成立以前から、 出雲系の神社として存在していたのである。(登弥神社は地元豪族・登美長髄彦の鎮守だった。)
だから・・・「邪馬台国は出雲系の氏族連合によって擁立された王朝であった」というのが、これまでの古代史理解の通説の枠組みを外し、 神話伝説に立ち入るというタブーを犯すことも辞さずにたどり着いた、この老練の古代史学者のまことにスリリングな結論なのである。
「吉野ヶ里遺跡」の発掘で気焔をあげた邪馬台国九州説が、出土物の調査が進むにつれて守勢に回り、「纏向遺跡」がクローズアップ されたことで、邪馬台国畿内説が近頃では優勢のようだが、もちろんまだ決着がついたわけではない。しかし、この大和盆地のなかに かつて卑弥呼がおり、その後大和の王宮も営まれたのだとしたら、多くの「畿内説」論者が唱えるように、邪馬台国はそのまま連続的に 大和朝廷へと繋がっていったのだろうか。
いや・・・「邪馬台国は大和朝廷の初期段階の姿ではなかった」に違いないというのである。
魏王から「親魏倭王」の称号を受け、数々の品物を下賜されたと『魏志倭人伝』に明記されている、邪馬台国の女王・卑弥呼の名は、 『古事記』にも『日本書紀』にも実は一度も出てこない。『魏志倭人伝』の内容も、卑弥呼の存在も熟知していたはずの『日本書紀』 の編纂者たちが、卑弥呼の存在をあたかも無視したようなのは、卑弥呼が大和朝廷とは無縁の存在であり、大王=天皇家の皇統譜に 載せられるべき人物ではなかったからだ。
出雲勢力が立てた邪馬台国は、外部勢力としての「神武東征」軍の侵攻を受けて滅亡することになったが、それは決して戦闘に敗れた 結果ではあるまい。出雲軍の総帥・饒速日命は、神武軍の攻勢を阻んだ自軍の長髄彦を殺した上で帰順する道を選んだようだ。
「葦原中国」(=地上世界)を治めていた大国主神は、天照大神の命に従い、その統治権を天孫に譲るのと引き換えに、宮殿(=出雲大社) の造営を要求する。
記紀に描かれたこの「国譲り」の神話には、逆に原像ともいうべき古代国家の物語が存在していたということなのである。
この結論は我ながら俄に信じ難かったが、これを仮説として検討を進めるなかで疑う余地のない実説となった。それどころか出雲の存在 とその役割を直視すればおのずから導き出される結論であったと、いまでは考えている。『魏志倭人伝』を読み解くことによって発掘できた 邪馬台国の「四官」体制は、邪馬台国が出雲連合勢力によってつくり出されていたことの何よりの証左であった。
2013/8/27
「阿片王」―満州の夜と霧― 佐野眞一 新潮社
末尾に書かれた日付は、昭和40年5月とあった。その日付から、里見が死んだのは同年の3月だとはじめて知った。驚くべきは、 そこに列記された発起人たちの顔ぶれだった。
全部で176名を数える発起人のうちから主だった名前を拾っただけでも、岸信介、児玉誉士夫、笹川良一、佐藤栄作という錚々たる顔ぶれ である。
「故里見甫先生 遺児里見泰啓君後援会 奨学基金御寄付御願いの件」
まったく別の作品を取材中に、著者が偶然手に入れたこの一枚の紙片の、故人の遺産が皆無で将来が懸念される一粒ダネの遺児のために、 奨学金の拠出を仰ぐ呼び掛けに応じて集まった発起人の名簿には、満鉄調査部OBや旧満州国の元市長、新聞聯合社の上海支局長から、 元軍人、旧特務関係者、はては右翼の大立者まで、いわば旧満州と上海の怪しげな人脈がほぼ網羅されていた。
「里見甫」とは、いったい何者であったのか?
関東大震災直後の混乱に乗じて、無政府主義者の大杉栄を扼殺し、出獄後は満州に渡って数々の謀略を首謀し、最後は満州映画協会の 理事長におさまって、関東軍をもしのぐ権勢でその名をとどろかせた、甘粕正彦が「満州の夜の帝王」であったとすれば、
中国各地のメディア統合を図って、満州国通信社のトップに君臨した後、あっさりとその座を後身更新に譲ったかと思えば、「魔都」上海を 根城に阿片密売を指揮して、関東軍の台所を支えた、里見甫は「阿片王」ともいうべき謎の人物だったのである。
建国後わずか13年で地上から消滅してしまった「満州帝国」という人工国家には、戦前の東京ではついに実現不可能だった、理想の都市 計画の夢が描かれていた。
「世界史的にも類をみない戦後の高度経済成長は、失われた満州を日本国内に取り戻す壮大な実験ではなかったか」
そんな疑問を胸に秘めながら、その「名簿」に記されたすべての人物を虱潰しに当たるところから、この謎の人物への探索は開始されたの ではあるが、
里見の晩年の秘書的存在だった<団子坂の怪人>伊達弘視の横顔は、ソ連と中国を手玉にとって一億円以上稼いだ大物スパイというよりも、 大言壮語癖はあるが、決して根っからの悪党ではなさそうな小物詐欺師のイメージだった。
戦前は里見と組んで阿片密売に関わった<男装の麗人>梅村淳は、戦後は女優の卵、女医、名もなき女、世間知らずの薬剤師と渡り歩いて、 レズ三昧の生涯を閉じるまで、上海での官能と蠱惑の日々を引き摺ることになった。などなど・・・
大物政治家から高級参謀、エリート官僚から辣腕ジャーナリスト、特務機関員から得体の知れないごろつきまで、底知れない闇を孕んだ 広大無辺の人脈を築き上げながら、無類の女好きで、しかもやたらにもてた里美甫の「下半身が闇に溶けた」人生を解き明かすには、 いささか周辺のエピソードが濃すぎるようだ。
丹念にかき回せばかき回すほど、「霧」はますます深まるばかりというのは、この著者のいつもの悪い癖なのである。
里見は、アヘンをどんな気持ちで売り捌いてきたのか。あの戦争をどんな気持ちで眺めていたのか。そして、戦後という時代をどんな 気持ちで生きてきたのか。
そう尋ねても、われわれはもうその答えを肉声で聞く機会を永遠に失った。われわれにいまできるのは、風雨に磨滅してよく読めない碑文 のなかに、満州の夜と霧の向こう側に姿を消してしまった里見の姿を想像することだけである。
2013/8/24
「爪と目」 藤野可織 文藝春秋
はじめてあなたと関係を持った日、帰り際になって父は「きみとは結婚できない」と言った。あなたは驚いて「はあ」と返した。 父は心底すまなそうに、自分には妻子がいることを明かした。
それから一年半が経って、母がマンションのベランダで不審死を遂げたことで心に傷を負い、しょっちゅう、ぴち、ぴち、と爪を噛むように なってしまった、<わたし>はその時でさえ、まだ三歳の女の子だったのだから、
「子どもがいるんだ、まだ小さい子どもなんだ。」と繰り返し、謝り続ける父に対して、「うん、わかった」と、もう黙りたがっている父を 黙らせてあげるために答えてみせた、<あなた>があの時ほんとうは、子どもがいようがいまいがそんなことどうでもいいと思っていたこと など、知りえようはずもないのだが、
それからさらにあと、わたしの二の腕がすんなり伸び、したたり落ちそうな肉のやわらかさが失われてかわりに弾力のある芯の感触が あらわれ、あなたの指の関節に皺と赤みが目立ち、手の甲に骨のかたちが浮き出るころ、
<あなた>に二の腕をつかまれ、歯を食いしばって鼻で荒い呼吸をしていた幼児の<わたし>が、<あなた>の秘め事を見た時に聞かされた <その言葉>を、その後母が遺した本の中に見つけ、ちゃんと覚えていて、
「えっとね、いいこと教えてあげる。見ないようにすればいいの、やってごらん、ちょっと目をつぶればいいの、きっとできるから、ほら、 やってごらん」・・・と、
<わたし>の顔を見るのにもう見下ろさなくてもよくなって、二の腕をつかんで見上げる<あなた>に、この<とっておきの言葉>を 聞かせてあげてみせたように、コンタクトがなければ裸眼では0.1もない、視力の弱い<あなた>に成り変わって、とても目のいい <わたし>が、意識せぬままに脳裡に刻み込んできた、これは、<あなた>と<わたし>という疑似母娘の、ついに書かれることのなかった、 その後の人生の予告編とでもいうべきものなのだろう。
2013年度「芥川賞」受賞作品。
<あなた>は、たまたま母のブログ「透きとおる日々」を発見し、もう死んでしまった顔も知らない母の、「知ってほしかった母」の残像に 夢中になる。もしもそれを、<あなた>は<母>になろうとしていたのだと思うのであれば、
それとちょうど同じ分だけ、つまり、決して<なる>ことなどできはしないという意味まで含めて、<わたし>は<あなた>になろうと していたのかもしれない。
あなたは未来のことはもちろん、過去の具体的なできごとをなにひとつ思い出してはいなかった。ただ、あなたが過ごしてきた時間と これからあなたが過ごすであろう時間が、一枚のガラス板となってあなたの体を腰からまっぷたつに切断しようとしていた。
今、その同じガラス板が、わたしのすぐ近くにやってきているのが見えている。わたしは目がいいから、もっとずっと遠くにあるときから その輝きが見えていた。わたしとあなたがちがうのは、そこだけだ。あとはだいたい、おなじ。
2013/8/22
「奇妙な新聞記事」 ROバトラー 扶桑社
スーパーのレジ前のラックに差してあるタブロイド紙のなかでも決まって下の方に置かれている超低俗な新聞の見出しには 以前から注目していた。しかし見出しは面白いのに、中身のストーリーはまるでダメ。ユーモアもなければ皮肉もない。だから代わりに、 自分がまともなストーリーを仕立てた。(著者インタビューより)
つまりこの本は、さしずめ日本であれば、
総力結集「脳ミソ飛び散り」自殺!(アサヒ芸能)
“来るものは拒まず”の「尻軽相」(週刊実話)
などといった、実際に読んでみれば多くは期待はずれに終わるような記事を、端から読むことなくその扇情的な見出しだけから、<私たちの 誰もが胸の奥に秘めている切なる思い>を探り出し、その思いに具体的な<声>を与えることで、本来はそうであったに違いない <別の物語>を、存分に語らせてみせようという企みなのである。
眼窩から飛び出してしまったガラスの義眼が、床に落ちても視力を保っていることに気付いた女は、ある日ベッド脇のコップに義眼を 入れたまま、仕事に出かけることにした・・・
『夫の不倫を目撃した義眼』
最愛の妻の浮気を疑った男は、その現場を抑えようと相手の男の家の裏庭の木に登り、覗き込もうと枝の先まで進んで頭から落下した のだが、その時、羽がはばたき、体がふわりと浮いて・・・
『オウムになって妻のもとに戻った男』
「怖い?」「ああ」。女が胸をつまらせたのは、怯えながらも女のために白い服を着てやってきた男が、自分を心から愛し信じてくれている ことがわかるからだった。女が愛した者はすべて死んでしまった、その理由を男は知っていたのだから・・・
『キスで死をよぶ女』
40歳で離婚歴があり、今は猫と二人暮しの女にとって、それはおそらく最後の幸せになるチャンスだった。もしあの時、男がちょっとでも 自分を説き伏せようという素振りでも示してくれていれば、きっとイエスと言っていた。たとえ男がうねうねした毛のない体で、 指が八本あろうとも・・・
『捜しています わたしの宇宙人の恋人』
と、どのお話を取ってみてもおよそ奇想天外な舞台設定でありながら、そこから紡ぎ出されてきたものは、実はまことにキュートで切ない <恋>の物語であったことに気付かされることになるのは、これら12編の物語の最初と最後を飾っている、「タイタニック号」を舞台に 演じられた、ある行きずりの男と女の一世紀を隔てた<恋>の顛末のせいであるに違いない。
「あなたを見送るために」とタキシードでめかしこんで、渋る女を救命ボートに見送った男は、その瞬間を反芻しながら、今では<水>と なって世界をぐるぐる巡っている身の上となったことに、突然思い至るのだが・・・
『「タイタニック号」乗客、ウォーターベッドの下から語る』
長く謎めいた眠りからようやく目覚めた女にも、わたしを助けた、あの名も知らぬ男の<想い>は、一世紀近くもたって、ちゃんと届いて いたことを知ることになるのである。
もう怖くない。わたしは裸のままもう一つの部屋へ行き、タブにかがみこむ。自分の手で水を勢いよく出して、大荒れの白い海がいっぱい になったところへ足を踏み入れる。水は冷たい。わたしは息をのむ。心配はいらない。タブの中に腰を沈めると、水はわたしの腿を押し上 げ、続けて尻を、わきを押し上げて、胸の上へ、そしてあごのすぐ下までくる。そしてそこで、口づけのように小さく揺らめく。彼はすぐ 近くにいる。わたしは水の中に静かにすべり落ちる。わたしはきっと彼を見つける、そのときこそわたしたちは、互いの肉体に触れる。
『「タイタニック号」生還、バミューダ三角水域で発見さる』
2013/8/12
「【新釈】走れメロス 他四篇」 森見登美彦 祥伝社
芽野史郎(めのしろう)は激怒した。必ずかの邪知暴虐の長官を凹ませねばならぬと決意した。
芽野はいわゆる阿呆学生である。汚い下宿で惰眠をむさぼり、落第を重ねて暮らしてきた。しかし厄介なことに、邪悪に対しては人一倍敏感 であった。
とくれば、これは誰もが国語の教科書で読んだことがあるに違いない、あの太宰治『走れメロス』の焼き直しであることは明らかなのであるが、 そこはそれ、この古代ギリシアの物語の舞台を現代に移し替えたのが、あの
『聖なる怠け者の冒険』
(ゴメンナサイ、これしか読んでません。)の森見登美彦なのであれば、ことはそう単純には進まないのである。
<詭弁論部>の廃部の危機を救わんがため、学園祭のステージで『美しき青きドナウ』に合わせてブリーフ一丁で踊って見せることを約束した 芽野は、たった一人の身内の姉の結婚式に出席せんがため、一日だけの猶予をもらい、詭弁論部の無二の親友、芹名(せりな)を人質として 差し出すことになるのだが・・・
長官は珈琲をカップに注いで芹名に勧めながら、「まあ、明日までの辛抱だな。彼が戻ってくればあんたは自由の身だ。友情とやらを 信じることだね」と言った。
「あいつは戻らんぜ」
「そんなわけあるもんか。約束したんだ。姉さんの結婚式が済めば、帰ってくるさ」
「あいつに姉はいないよ」
芹名は傲然と言い放った。
「約束を守ってもらうぞ」と、安き友情を一旦は信じかけたことを恥じて、執拗に屈強な追っ手を差し向けてくる長官に対し、「俺の親友が、 そう簡単に約束を守ると思うなよ」と、誰にも目指す理由が分からない高みをともに目指しているという事実のみをよりどころに、芽野を 信ずる芹名。
「やはり俺はここで約束を守るわけにはいかない。そんなつまらぬ羽目になっては芹名に申し訳ない」と、京都の町なかを必死の形相で 逃げ惑う芽野。
これは<互いの期待>に応えようとする、熱き男の友情の物語という意味で、【新釈】なのである。
早くから作家になることを志しながら、結果を突きつけられることを恐れて、まだ時間が足りぬと逃げ廻り、何物にも邪魔されない甘い夢を 見続けていたいがために、いつ果てるとも知れない助走を続けているうちに・・・
「俺は天狗と成ったのだ」
(中嶋敦『山月記』の新釈)
男二人に女一人、密室に近い環境に籠もって製作されたその映画は、元恋人だった二人を今の恋人の鵜山が撮影した接吻シーンが話題だった。 観客、友人、俳優、それぞれの真実が語られた最後に、なんだか自分がないがしろにされているような、そういう感じを味あわねば本当じゃ ないような気がする、という鵜山の独白・・・
「でも、それが、たまらなくいいんだ」
(芥川龍之介『藪の中』の新釈)
ガラクタで溢れた4畳半に暮らす貧乏学生は、ひょんなことから同居することになった愛しい女のために小説書き始め、彼女の励ましによって はたから見れば奇跡的な成功物語を歩むことになるのだが、いつの間にか「彼女のこと」しか書けなくなっていることに気づく・・・
「これは君の夢じゃないのか」
(坂口安吾『桜の森の満開の下』の新釈)
と、どれをとってみても、いちいち原典に当たって比較してみたくなるような、「森見ワールド」の魅力炸裂の逸品ぞろいなのではあるが、
有名な劇団を主宰し、大学生らしいバカバカしい企画を立案・実行しておきながら、自分は盛り上がる表舞台の熱狂から断固として身を隠し、 舞台袖から血走った目でそれを見続けているような、鹿島という男の生き様が、暇人の胸に妙に刺さったのは・・・
「君はいつもそんな感じだね・・・こういう場がきらいだろう」
(森鴎外『百物語』の新釈)
2013/8/12
「日本国憲法を口語訳してみたら」 塚田薫 幻冬舎
日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴く国家であって、国民主権の下、立法、行政及び司法の 三権分立に基づいて統治される。
我が国は、先の大戦による荒廃や幾多の大災害を乗り越えて発展し、今や国際社会において重要な地位を占めており、平和主義の下、 諸外国との友好関係を増進し、世界の平和と繁栄に邁進する。(前文)
というのが、とっても読みにくくて、わかりにくいものだったから、
<日本っていう国は、長い歴史と伝統と、そして国民統合の象徴である天皇がいらっしゃってこそのものだよね。そして主権者である国民の 下にある立法、司法、行政の三権がしっかり分立されて独立して国を治めるのが日本ってもんでしょ。
戦争で負けて国中が焼け野原になったり、色々な災害で大変な目に逢ってきたけど、なんとかやってきて、今では世界の中ででっかい存在に なったよね。これってすごくね?だから、日本はこれを誇りに思いたい。これからも平和を守り、他所の国々と仲良くやりつつ、 21世紀の世界の平和と発展にとって重要な国でいたいんだ。>
と「口語訳」してみたら、とってもわかりやくなりましたとさ。メデタシ、メデタシ。というわけなのだが、 『日本国憲法』は、もともとわかりやすさに配慮して、「口語体」で書かれているもの(と著者本人もコラムで告白している)なのだから、 この本にもしも手柄があるとするのなら、それは実はもっと別のところにある、と言わねばならないことになる。たとえば、
この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力により、保持されなければならない。国民は、これを濫用してはならず、 自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない。(第12条 国民の責務)
<この憲法で決めた国民の権利や自由は、国民がきっちりがんばって守っていくよ。あとな、権利があるからって横着すんなよ。自由と権利には、 責任と義務はセットなんだって学校で教わっただろ?みんなのためにならないことや、社会を乱すようなことはしちゃダメだからな。>
「横着すんなよ」なんて言われてみて初めて、憲法が保障してくれている「自由と権利」というものには、むしろきっちり守っていかねば ならない責務が付きまとっているのだという自覚も生まれてくるのだし、
国民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負う。(第30条 納税の義務)
<いいか、お前ら、よく聞け、税金は払え。脱税とかセコいことすんなよ。>
などと痛烈に叱咤されれば、決してセコいわけではないのに「払えない」身の上の零細企業の親父としては、恥ずかしさのあまり身を 縮込ませることになるのである。
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動としての戦争を放棄し、武力による威嚇及び武力の行使は、 国際紛争を解決する手段としては用いない。(第9条 平和主義)
<日本国民は筋と話し合いで成り立っている国と国との平和な状態こそ大事だと思う。だから、宣戦布告などによって戦争をすることを 放棄する。そして、国際紛争を解決する手段として、武器で相手を脅したり、殴ったりしないよ。>
このように「自分の言葉」に置き換えて、「二度読み」してみることで、果たしてこの文章の書き手は、本当は何を言いたいのかということが、 ようやく飲み込めてくる、ということなのであり、つまり、安倍首相は日本国憲法を改正することで、どのような「あるべき姿」を、 日本の未来に求めているのかということが、おぼろげながらも垣間見えてくる。
そう、賢明な皆さんはすでにお気付きのとおり、ここに引用したのは『自民党改憲案』の方なのであり、その口語訳も付録で読めるという ことこそが、この本の最大の手柄なのである。
前項の規定は、自衛権の発動を妨げるものではない。(第9条2項)
<でも、自分たちを守るためのものはまた別ね。>
2013/8/9
「兜n困大国アメリカ」 堤未果 岩波新書
人々は今、首をかしげている。オバマ政権が大きな政府であれば、なぜ二極化はますます加速しているのだろう。株価や雇用は 回復したはずなのに貧困は拡大を続け、医療、教育、年金、食の安全、社会保障など、かつて国家が提供していた最低限の基本サービスが、 手の届かない「ぜいたく品」になってしまった理由について。かつて「善きアメリカ」を支えていた中流層や、努力すれば報われるという、 「アメリカン・ドリーム」は、いったいどこに消えたのか。
市場こそが経済を繁栄させるという理論を振りかざし、あらゆる国家機能を次々に市場化していくブッシュ政権の「規制緩和」の政策によって、 本来、公共が担うべきサービスの分野にまで、利益第一の民間企業が次々と参入することが、いかに民主主義の破壊を巻き起こすことに つながったか。という、アメリカにおける驚くべき「格差」と「貧困」の拡大という現象の実態に迫って見せた、
『ルポ貧困大国アメリカ』
「チェンジ」を掲げて躍進したオバマの「政権交代」に希望を託した国民たちの目の前に、リーマン・ショック後のアメリカが「むしろ悪化 した」貧困大国の姿を曝け出す失態を演じることになったのは、彼らを飲みこもうとしているのが、「キャピタリズム(資本主義)」など ではなくて、「コーポラティズム(政府と企業の癒着主義)」だったからだ。という、過去30年の間に著しく様相を変じてしまったアメリカ の実体経済の真の姿を浮き彫りにして見せた、
『ルポ貧困大国アメリカ2』
世界をリードする「強い農業」という政府の号令のもと、伝統的な中小の農場は次々に傘下に組み込む大企業によって、工場式農場に切り替え られ、農業従事者は気がつけばパートタイム労働者へと貶められていく、「株式会社奴隷農場」のシステム。
「全米の食卓に安くて新鮮な食べ物を」という表向きのスローガンの裏で、巨大な独占企業による寡占化が進む食品業界では、急速に進む 垂直統合が食の工業化を推進し、小規模有機などの存在を破壊する。「巨大なる食品ピラミッド」の存在。
毒性の強い農薬とセットで売られたGM種子により、途上国の農業の未来をライセンス料で縛り付けることに成功したアメリカは、最高の 外交武器を手に入れたことになる。「GM種子で世界を支配する」という脅威。
市場原理が持ち込まれた教育現場では、公立学校が次々に高収益のチャータースクール(営利学校)に置き換わっていったと同じように、 全米の自治体の9割は今後5年以内に財政破綻すると予想されている。「切り売りされる公共サービス」という矛盾。
「選挙とは、国の支配権をかけた、効率の良い投資である」という企業の意思表示が、強大な力となって州法さえ動かしてしまう。 「政治とマスコミも買ってしまえ」というALEC(米国立法交流評議会)。
あらゆるものが巨大企業に呑み込まれ、株式会社化が加速するアメリカにおいて、果たして国民は主権を取り戻すことはできるのか?
これは著者畢生のルポシリーズの完結編なのであり、「アベノミクス」に浮かれはしゃぐ日本の近未来を予言した、覚醒を促す指針とも いうべき書なのだ。
経済界に後押しされたアメリカ政府が自国民にしていることは、TPPなどの国際条約を通して、次は日本や世界各国にやってくるだろう。 ・・・しかけられているのは、多様性に対する攻撃なのだ。
2013/8/6
「極大射程」 Sハンター 新潮文庫
そのとき、ボブは気づいた。千四百ヤード彼方の土壁のうえに、何かが動くかすかな揺らめきが見えた。人間の頭が少しだけ見え 隠れしている。やつが近づいてくるのだ。
ボブは身体に緊張が走るのを感じた。
それと同時に、不意に頭にひらめくものがあった。言葉ではなかった。この一瞬の光のなかに言葉の入り込む余地はない。この狙撃の意味を、 ボブは一瞬のうちに理解した。
「奴らはいまこの瞬間に向かって、おれをゆっくりと一寸きざみに引き寄せてきたのだ。」
丘の上に12人で孤立した特殊部隊前進基地に、攻撃をかけようとした千人の北ヴェトナム軍の大隊を、親友の観測手ドニーとのコンビで、 わずか二人で撃退した。名狙撃手との称号を得ながら心身に傷を負い、いまは人里はなれた山奥のトレーラーで、一人暮らしの隠遁生活を 送るボブ・リー・スワガーに、ある日突然舞い込んできた依頼は、
「新開発された弾丸が高品質であることを示すために、千四百ヤードの長距離で試射してほしい」
という、まことに奇妙ながらも、射撃オタクとでも呼ぶべきようなボブにとっては魅力的な、それだけに断りづらい誘いだった。
しかし、すべてはある秘密組織が国家の最高機密を隠蔽し、自分に濡れ衣を着せるために周到に準備された陰謀であったことを知った日から、 想定外のミスにより彼を取り逃がしてしまったFBI捜査官ニックと手を組んだボブの、自らの誇りを掛けた闘いが始まった。
というわけで、最終的には、特殊部隊兵士120名を相手にわずか二人で立ち向かい、壮絶なる銃撃戦を繰り広げるという。これは一大 アクション大作なのではあるが、
暇人としてはむしろ、この「死闘」に終止符が打たれた後の、それでもなおボブを要人狙撃犯にでっちあげて幕引きを図ろうとする検察当局と、 組織の面子をかけたFBIによる脅しと駆け引きに揺り動かされながら、ボブは無罪であるという確信との板ばさみに苦しむニックと、 「ニック、本当のことを話せばいいんだ。気にすることはない」とウィンクまでしてみせるほど、なぜか余裕たっぷりのボブと。
三者三様の思惑に揺れる、最後に用意された「法廷劇」のほうがはるかにスリリングで、読み応え十分の思わぬ収穫であった、 と言わねばならない。
では、その人物はなぜこんなことをしなければならなかったのか?・・・それは、自分の人生に何か妙なことが起こりつつあると 疑っていたからです。したがって、もしかするとこの数ヶ月のあいだ、彼には自分が大司教を撃っていない決定的な証拠を持っていることを 知っていたのかもしれない。FBIと政府は、そんなこととは露知らなかった。さらにもしかすると、彼はその時間を利用して、相手の人間を 見きわめ、彼らがこれまでにどんな悪事を働いていたかを調べあげたのかもしれない。
だ、なんて、弁護士さ〜ん。異議アリ!そんなの、我々読者だって露知りませんでしたよぉ!と思ったら・・・
上巻の211ページですでに(つまりこの物語が始まって4分の1のあたりで)、本当にボブはうすうす感付いていたらしいのだった。
やがて、ひとつのアイデアが浮かんだ。ごく単純なものだった。数分間の溶接と、ちょっとした調整ですむことで、少なくとも彼らが なんらかのやり方で自分を利用しようとしたときには身を守る手段にもなる。
「
誰かがこの銃の引き金を引いたときの顔を見たいものだ!
」
(ネタバレにつき字を白くしておきます。)
先頭へ
前ページに戻る