徒然読書日記201304
サーチ:
すべての商品
和書
洋書
エレクトロニクス
ホーム&キッチン
音楽
DVD
ビデオ
ソフトウェア
TVゲーム
キーワード:
ご紹介した本の詳細を知りたい方は
題名をコピー、ペーストして
を押してください。
2013/4/28
「10.8」―巨人VS中日 史上最高の決戦― 鷲田康 文藝春秋
「あしたはとにかく大一番だ。国民的行事になるし、痺れるところで行くからな」
桑田が聞く。
「監督、痺れるところっていうのは・・・」
だが、長嶋は自分を納得させるように大きく頷くと、諭すような口調でこう繰り返すだけだった。
「うん?もう痺れるところですよ、クワタ!痺れるところで、ね。頑張ろう!よし!」
それで終わりだった。
<その試合>自体が痺れる試合なのだから、具体的にどこでどういう風に投げるのかを言ってくれないと、なにも判らないではないかと首を傾 げながらも、『ハイ』と答えて監督の部屋を出ると、「ただ、準備だけはいつも通りにしようと思った」のは、生真面目な桑田真澄だった。
「もし、明日の試合で負けたらオレは引退する。長嶋監督を優勝させるために巨人に移籍したのに、それができなかったら誰かが責任を 取らなきゃならない。だから明日の試合に負けて、もし優勝を逃すようなことになったら、オレは引退するよ」
悲壮な覚悟で臨んだ決戦の舞台で、先制の本塁打と勝越しの適時打(実質的な決勝打)という結果を残しながら、その後の守備で足を痛めた ため、優勝の瞬間は遠慮して、胴上げの輪に加わろうとしなかった、照れ屋の落合博満の眼には光るものがあった。
「これはワンポイントで出て行くピッチャーの宿命みたいなものなんです。チームにとっては、ここはフォアボールでもいいという場面は あるじゃないですか。あの場面も一番警戒しなければならないのは松井の一発。それなら歩かせた方がましだ、というのが普通の考えだ と思います」
ただ“左打者だけを抑えてこい”と送り出された山田喜久夫にとって、左打者を歩かせることは自らのアイデンティティーを失うことに等しい ことだった。そして、2ボール1ストライクから、ストライクを取りに来た球を、「肩口から入ってくる甘いカーブでした」と、左対左を 苦にすることもなく右翼席中段に放り込んでしまった。高卒2年目の若きスラッガー、松井秀喜の怪物伝説の原点がここにあった。
「二人を投げさせないと決めていたわけではないんです。もちろん勝ちパターンになったら、山本でも郭でも投げさせる準備はしていました。 でも、いきなり追いかける展開になって、追いついてもリードできなかった。そうなるとなかなか二人に投げろ、というのは難しかった」
先発の柱・山本昌広は2日前の阪神戦で完投勝利し、日本シリーズに向けて準備に入っていた。(下馬評では追い付いた中日が圧倒的に有利 だったのである。)切り札・郭源治は、防御率争いで巨人の斎藤と桑田を抑えてトップに立っており、このまま投げなければ抜かれる心配が なかった。(まことに中日らしい配慮である。)だから、この年の対巨人戦に9試合登板して5完投、5勝2敗1セーブ、防御率は2.20 という、巨人キラーの絶対的エース・今中慎二に全てを賭ける。「派手好きで負けず嫌い」を自称する、中日監督の高木守道が、憧れの 長嶋茂雄を超えるために選んだ戦略は、「普段通りの戦い方」をしようということだった。
1994年10月8日。
ともに129試合を消化して69勝60敗で、ペナントレースの最終戦を直接対決で雌雄を決することになった巨人と中日の、プロ野球史上 初めてとなる同率首位チームの最終決戦。
ひょっとしたら、そんな高木監督とは対照的に、槇原寛己、斎藤雅樹、桑田真澄の三本柱を惜しげもなく注ぎ込むことを宣言し、 「勝つ!勝つ!オレたちが絶対に勝つ!」と、選手たちを鼓舞しつづけた、ハイテンションの巨人軍監督・長嶋茂雄こそが、いつもと違った 重苦しいムードに包まれて、縮み上がったような両チームのメンバーの中で、ただ一人冷静に事態を眺めていたのかもしれない。
「もはや国民的行事となっていますね・・・ウチの選手もこんな環境でやるのは初めてでしょう。これはもう、選手冥利に尽きるという ものだな」
2013/4/26
「昏き目の暗殺者」 Mアトウッド 早川書房
絨毯を織るのは奴隷で、それも子どもと決まっている。そんな細々した仕事をこなせるほど小さな手というと、子どもしかいない からだ。ところが、のべつ細かい手仕事をさせられる子どもらは、八歳か九歳までには目がつぶれてしまう。絨毯売りはこれを商品の 売り文句に利用して価値を釣りあげる。
“この絨毯は十人の子の目をつぶしたんですぜ”
いっぽう盲いた子どもは、たちまち淫売宿に売り飛ばされることになるのだが、辛くも逃げだした子どもたちは、やがて、闇に乗じて喉を掻く 「雇われの暗殺者」として引っ張りだこになる・・・というのが、25歳の時に、運転していた車ごと橋から転落するという謎の事故死 を遂げた、伝説の作家ローラが遺した『昏き目の暗殺者』という<小説>の粗筋なのではない。
これは、この<小説>の中で、とある町の安宿の一室で密会を重ねているらしき男女の、寝物語に男が語って聞かせる「惑星ザイクロン」での まことに興味津津なプロットの一つにすぎないのである。そして、このローラの死後出版されたという<小説>すらが、この重厚長大な作品の 中では、ほんの<小道具>という位置付けでしかない。
釦工場経営者の富裕な家に生まれながら、傾いた家業を救うために、ライバルのもとに嫁がねばならなかった、ローラの姉アイリス。 いまや80過ぎの老いさらばえた老女となってしまった彼女が語り出した、一族の歴史と回想の物語の中で、
・この<小説>の中で、密会を重ねるこの男女ふたりはいったい誰を暗示したものなのか?
・無垢そのもので、世事に疎かったローラの無謀な運転による転落死は、本当に事故死だったのか?
・そもそも、アイリスはこの打ち明け話を、誰に向けて語り残そうとしているのだろうか?
という、もやもやと読んでいる者の頭の中をたびたびよぎって、すんなり読み飛ばすことを邪魔しようとする、さまざまな疑問は、少しずつ 明かされていくことにはなるのだけれど、そんなことは、「事実」としての新聞や雑誌の記事の抜粋や、親子二代にわたる一族のお手伝い夫婦 の想い出語りなども交えることで、ことさらに複雑な「入れ子」構造となってしまったこの物語を、最後まで読み通してみた者にしか、 わからないことなのである。
つまり、「ブッカー賞」と「ハメット賞」をダブル受賞したこの本は、二度読んでみなければ、その本当の面白さを味わうことができない ようなのだが・・・
「いつ読むのか?」「今でしょう!」だなんて、とんでもない。
途中何度も挫折しそうになりながら、何んとか読み終えた私には、単行本で700ページ近いこの本を、今すぐ二度読みする気力は、 さすがにもう残っていない。
<以下、若干ネタバレに付き、文字を白くしておきます。>
結局、<昏き目の暗殺者>としてのアイリスが、虚実相混ぜて織りあげた「絨毯」は、いったい何人の人を死に 追いやったことになるのだろうか。
なぜわたしはかくも気づかずにいられたのか?女は思う。鈍くて、ものも見えず、こうも野放図にうかつになれるとは。けれど、 そんな鈍感さやうかつさなくして、わたしたちはどうして生きていけたろう?なにが起きるかわかっていたら、つぎに起きることをなにもかも わかっていたら――自分の行動の結末をあらかじめわかっていたら、ひとは運命にがんじがらめになってしまう。
2013/4/23
「知の逆転」 吉成真由美 編 NHK出版新書
私が最も薦める三冊は、ヘンリー・デイビッド・ソローの『ウォールデン――森の生活』、トゥキディデスの『ペロポネソス戦争史』、 そしてアルベルト・シュバイツァーの『ヨハン・セバスチャン・バッハ』です。
と真っ当なのは、進化生物学のジャレド・ダイアモンド。
ピュリッツアー賞を受賞した『銃・病原菌・鉄』において、西欧の覇権は民族の能力ではなく、単なる地理的な有利性の結果にすぎないことを 喝破してみせたこの男は、次著『文明の崩壊』では、過去の文明社会が、わずかの決断の誤りによって、もろくも崩壊してしまったことを 解き明かしてくれた。
一番いいのは、自分で探して、驚くようなこと、予想もしなかったような本を発見するということでしょう。リストを提供することは、 その予想外の驚きや探し当てる喜びというものを、多少なりとも奪うことにもなる。
と仰せの通りなのは、言語学のノーム・チョムスキー。
「全ての言語には共通する文法があり、人はそれをあらかじめ持って生まれてくる」という『普遍文法』の提唱により、言語学に革命を もたらしたこの男はまた、「エリートは常に体制の提灯持ちになりやすい」と、米国の覇権主義への警鐘を鳴らし続けることで、 「生きている人の中で最も重要な知識人」(ニューヨーク・タイムズ)となった。
私が最も薦めるのは、次の10冊です。『ビーグル号航海記』(チャールズ・ダーウィン)、『短編集』(H・G・ウェルズ)、 『二都物語』(チャールズ・ディケンズ)、・・・
とまことに律義なのは、神経科医のオリバー・サックス。
『妻を帽子と間違えた男』、『火星の人類学者』などなど、脳に障害を抱え自己を見失っている人たちの、思いもよらないほどに深い物語を、 優しく慈しむように紡ぎだしてみせてくれたこの男は、みずからも「うつ」を病みながら、音楽の才あふれた父親と視覚能力の優れた母親の 薫陶を受け、心からクラッシック音楽を愛する、恥ずかしがり屋の男でもあった。
私は探偵小説も含めて小説というもの、いわゆる「一般文学」と呼ばれるものはほとんど読まない。みなほぼ同じだからです。 ユングの心理学と同じで、たいていの小説は、まず人々の問題があり、彼らが陥った難しい状況というものがあって、それをどうやって解決 するか、うまく解決できてハッピーエンドになるか、そうでなければ、うまくいかなくて罰を受けたり死んだりするか。100冊小説を 読んだら、みな同じなんですね。
と身も蓋もないのは、人工知能のマービン・ミンスキー。
1980年のスリーマイル島事故の時すでに、「たとえ知能ロボットを作ることができなくても、どうやったら、少なくともリモコン操作 できるロボットを作ることはできるか」という問題を提起していたこの男は、ロボットに人間の真似をさせることに夢中になり、膨大な メモリー力に頼るばかりで方向を誤り、30年後の福島に役立つロボットを送り込むことさえできなかった、コンピューター研究の行く末を 嘆いていた。
推薦図書ですか!?数学の本です!(笑)私が読む本ですか?ジャンク小説です!!そうですね、薦めるとしたら、歴史、数学、 サイエンス、そしてSFでしょう。将来どうなっていくのか、SFは想像を膨らませてくれる。他には探偵物やスパイ物の読みますが、 薦めるほどのことはない。
と正直なのは、アカマイ・テクノロジー社のトム・レイトン。
いまでもMITの数学教授という根っからの応用数学者でありながら、自らの数学理論を実践したいという思いやみがたく、情報産業の世界に 殴り込みをかけてしまったこの男は、インターネット上の交通渋滞を避けるための経路決定アルゴリズムという「数学」を武器に、 世界の名だたる企業のインフラを一手に引き受ける会社に育て上げてしまった。
拙著『二重らせん』の他に、チャールズ・ダーウィンの『種の起源』を挙げたいと思います。子供たちは、なるべく早いうちに、 進化と自然淘汰の視点から生命というものを見るようになるべきです。
と我が道を往くのは、分子生物学者のジェームズ・ワトソン。
「二流の研究に時間と労力を費やすくらいなら死んだほうがまし」をモットーとするこの男にとっては、「フランクリン女史のX線構造解析 写真」を盗み見たという歴史的に有名な剽窃など、どこ吹く風のようなのである。
というわけで、「この人たちに会うまでは・・・」というインタビューアーの<情熱のようなもの>から生まれたこの本は、現代最高の知性 6人が、それぞれの専門分野における、今最も知りたいテーマについて語るというものなのだが、
「若い人たちにどのような本を薦めますか?」など、いくつか用意された共通の質問に対する、それぞれの答えを読むだけでも面白いのである。
2013/4/16
「教室内(スクール)カースト」 鈴木翔 光文社新書
ナナミ:まず、「下」には、騒ぐとか、楽しくする権利が与えられていないので、「下」のくせに廊下で笑ったりしてはいけない んです。「ちっ、邪魔だよ。あいつわかってねえな、不快だ」ってなります。「上」のやつが廊下で騒いでいる分には、「あ、楽しそうに 騒いでいらっしゃいますね」みたいな、まあ心の中では「うるせえな」と思うことはありますけど、言葉に出してしまうとダメです。 「下」にそういった異議を言う権利は与えられていないので。
「スクールカースト」とは、
<主に中学・高校で発生するヒエラルキー(階層制)、俗に『1軍、2軍、3軍』『イケメン、フツメン、キモメン』『A、B、C』などと 呼ばれるグループにクラスが分断され、グループ間交流がほとんど行われなくなる現象>。
なのだそうだが、(たとえば、米倉涼子の『35歳の高校生』とか・・・)
ナナミ:自分のランクを把握して、それなりの行動をとってたら何にも言われないです。ホント。
だから、これは「イジメ」ではないのだと、中学時代は「下位」グループで、高校時代は「一番上」のグループにいた、いまは大学生の ナナミは、著者のインタビューに答えている。
「上位」に属するのが、「にぎやか」で「気が強い」「若者文化へのコミットメントが高い」「異性の評価が高い」、 いわば「イケてるグループ」なのに対し、「下位」に位置付けられてしまうのは、「地味」で「目立たない」、つまりは「特徴がない」 ことを唯一の特徴とする生徒たちということになるのだろうが、
アオイ:だからとりあえず従わないと、みんなとりあえずめんどくさいから、その子に従ってるふうにするんだけど、一部の子たちは、 その子らとこう仲良かったけど、やっぱりなんか普通のほかの子たちは、あんまり口には出さないけど、好きではなかったと思う。
と、「友だち多いふう」のその子らも、人気はあったかもしれないが、決して「下」の者たちから好かれていたわけではなかったことが わかるし、
タケル:クラスの中心の男の子と女の子が仲がいいと、すごくめんどくさい。だって10人くらいでいっつも集まっててさ、全部でほんとは 40人くらいいるのに、10人くらいで「うちのクラス最高!」みたいなことを言ったりしてて、すごく居づらい。
なんて、「下」からの冷めた目線で冷静に眺めてみれば、その時、その場にいた当人たちの思いがどのようなものであったのかは別にして、 今にして思えば、「あいつ等」は単なる「ガキ」だっただけなのではないかというふうにも、思われてくるのである。あの時、 「下」の地位に位置付けられたおかげで、自分は案外すんなりと「大人」への脱皮を果たすことができたのではあるまいかと・・・
というわけで、「小学生のまま大人になったような」(@古市憲寿・東大大学院社会学者)翔くんが、現在の日本の学校のという密室空間に 漲っている「空気」なるものを、鮮やかに描き出してみせたこの「修士論文」続編の「読みどころ」は、
むしろ、そんな生徒間にある「カースト制」を利用して、教室内の秩序を維持しようとさえしている、現役教師たちの姿を活写して見せた ところにあると言わねばなるまい。
「カースト」は、説明のつかない「権力」として作用しているにすぎないと感じている生徒たちに対し、驚くべきことに、この教師たち (たまたま彼らだけが特別であることを祈る)は「カースト」が、生徒個々の「能力」の差を基盤として成立しているものと、 確信しているようなのである。
小林先生:オレはあのう、立場が強いやつっていうのは、それは資質だと思ってるんだよね、才能。備わっていくことも、まあある とは思ってるけど。んで、それをいい意味で利用してるやつや、悪い意味で利用してるやつ両方ともね、基本はオレはリーダーとして育てて いきたいと思ってる。
2013/4/9
「さわり」 佐宮圭 小学館
演者の紹介は小澤の役目だった。
「いまからミス・ツルタに、○○という曲を演奏してもらいます」
すると必ず「ミス・ツルタ」という言葉のところで会場がざわめいた。観客が『彼は英語がへただから<ミスター>というところを<ミス> と言い間違えた』と思ったからだった。
昭和42(1967)年11月9日。
ニューヨーク・フィル創立125周年の記念公演のために、常任指揮者レナード・バーンスタインから作曲の要請を受けた、弱冠37歳の 現代音楽作曲家・武満徹の『ノヴェンバー・ステップス』が、ニューヨークでの初演を迎えていた。世界屈指の交響楽団ニューヨーク・フィル のエリートたちに対置して、日本の伝統的な邦楽器である尺八と琵琶の、独自の音と響きを際立たせようとした、このまことに意欲的な 武満の畢生の名曲を、
指揮したのは、当時32歳ですでに華々しい国際デビューを果たしていた、若きマエストロ・小澤征爾。
演奏したのは、同じく32歳で新進気鋭の尺八奏者・横山勝也と、
一度は音楽界から引退し、転身した夜の世界で30年近く格闘して、実業家として財を成した後再びカムバックした、という異色の経歴をもつ、 56歳の天才琵琶師・鶴田錦史だった。
普段でも、三つ揃いの背広にネクタイを締め、髪はオールバックになでつけ、鼈甲縁のサングラスの奥の眼には鋭い輝きを宿している。 異様な威圧感を放つその姿は、芸術家というよりもむしろ、修羅場をくぐり抜けてきた任侠の親分のようにしか見えなかった。 7歳で琵琶を習い始め、わずか12歳で弟子を抱える師匠となり、10代半ばで超売れっ子となった天才琵琶師だったが、20代後半で 水商売の道へと進んだ。23歳で初めて産んだ女の子は弟子の夫婦に渡し、その後に産んだ男の子は別れた夫とその愛人に委ね、 40歳で男として生きる道を選んでからは、死ぬまで男装を通すことになる。
つまり、「音楽家」としての人生、「母」としての人生、そして「女」としての人生という三つの生き方を、その前半生で捨ててしまった わけなのだが、とはいえ、<彼女>はまぎれもなく<女性>だったのである。
<さわり>という言葉には、<とてもおもしろく、よくできている部分>(歌舞伎)や、<他の流派を使った部分>(義太夫)など、 いくつかの異なる意味があるが、それは、日本人の感性は、わざと耳に「障る」ような、命ある複雑な自然に近い音に、より美しさを感じる ようにできているということなのであり、その「さわり」を、最も重視しているのが、実は「琵琶」という楽器だった。
そして、日本が世界に誇るべき偉大な音楽家でありながら、日本ではほとんど知られていなかった鶴田錦史の数奇な人生を、丹念な聞き取り 調査の末に白日のもとにしようとしたこの本が、描き出してみせたものこそが、そんな<彼女>の前半生に秘められてきた、 <鶴田菊枝>という存在の<さわり>なのであった。
古くは<女性の生理>の表現に使われることもあった。痛みなど、日常生活にとっての“障り”ではあるが、子どもを産むためには 必須である点においては、一つの音のなかに複雑で豊かな響きを生むために不可欠な琵琶の「さわり」と共通するニュアンスがあった。
2013/4/4
「おどろきの中国」 橋爪大三郎 大澤真幸 宮台真司 講談社現代新書
「中国は必ずしも『中国』と呼ばれてこなかった。・・・なんで、自分の国を指す名前がないのかというと、世界に唯一無比で、 世界の中心だと考えているから。つまり、いわゆる中華思想です。」
周囲のことは東夷、南蛮、西戎、北狄と呼ぶが、自分には「中央」という名前しかないのは、世界そのものには名前がないのと同じ論理だと、 橋爪は言う。
「中国が『国家』であるということの意味が、実はぼくにはいまいちよくわからないのです。」という宮台の、核心をついた質問から始まった この本は、新書大賞2012に輝いた
『ふしぎなキリスト教』
の橋爪・大澤コンビに、
『日本の難点』
の宮台までが加わった豪華メンバーで、いわば日本を代表する頭脳明晰な気鋭の社会学者三人が、
中国という社会を動かしている原理について、中国を作り上げてきた過去と現在について、そしてそんな中国と私たちはどのように付き合って いけばよいのかについて、論じたものなのである。
で、そもそも、中国は「国家」なのだろうか?
国民国家の枠を超えて、もっと大きな政治的・経済的・文化的なまとまりをつくろうとしているのが「EU」であるとするのなら、中国は二千 年以上も前にできた「CU」(中華連合)とでも呼ぶべきものなのであり、問うべきは「なんで、中国がそんな昔に中国になったか」ではなく、 「なんで、EUがこんなに遅くにやっとEUになったか」ということなのだ。たとえば、多くの方言を抱えているため「表音文字」では意思の 疎通を図れない中国だからこそ、どう読むかは問われない「表意文字」としての漢字による言語共同体ができあがった・・・などなど。
何千年もの間、基本的なアイデンティティを保持してきた中国の、中国を中国たらしめている基本的な論理は何かが問い詰められていく、 第1部「中国とはそもそも何か」。
ヨーロッパ・キリスト教文明が、その外側の世界に影響を与えていくプロセスを「近代化」と呼ぶのなら、ほとんど常に世界の文明のトップ ランナーであった中国が、近代化に関してはかなりの遅れを取ることになってしまったのは、中国にはその文明の骨格を形成している根本経典 のようなテキスト「四書五経」(儒教)があったからなのであり、イスラムならコーラン、インドならヴェーダ聖典の存在が近代化を遅らせた が、日本にはそのような規範がなかったから、西欧的な制度をたやすく受け入れることができた。
という第2部「近代中国と毛沢東の謎」では、そのような中国が「近代化」に向かう中で、大躍進や文化大革命など、誰の目にも明らかな失政 を行ってきた毛沢東が、なぜいまだに大きな権威を持続することができているのかという<ふしぎ>に迫っていく。
中国と日本、さらには朝鮮半島の人たちが、どういう風にお互いを見ていたか、という「コグニティヴ・マップ」(認知地図)の違いが、 昨今の「歴史問題」につながっていることを解き明かそうとする、第3部「日中の歴史問題をどう考えるか」。
そして、この本が書かれた目的ともいうべき第4部「中国のいま・日本のこれから」では、中国の改革開放以降、二大覇権国となった米中関係 の、あくまで付属物にすぎないという自らの立場を冷静に受け止めながら、説明責任を果たすという一点で、今後も辛うじて世界の覇権国と しての地位を保つことになるであろう、アメリカとのコミットを重視する中で、あくまでもその前提のもとで、中国との関係をうまくやって いくのが、今後の日本の生き方になるだろう。
なんて、ある意味で、意外に平凡な結論が、この極めてエキサイティングな討論の終止符を打つことになったのだった。
というわけで、結局、中国は「国家」なのだろうか?
「国家」って漢字で書くけれど、中身は、ヨーロッパの概念なんですね。で、ヨーロッパの国家がいつ出来たかというと、だいたい四百年 ぐらいの歴史しかない。・・・これは、ヨーロッパのものさしで、中国のことが測れるか、という疑問なわけです。(橋爪)
2013/4/1
「中国スパイ秘録」―米中情報戦の真実― Dワイズ 原書房
海辺がスパイ活動のターゲットだったとする。ロシアは潜水艦や潜水工作員を送り、夜の闇に紛れて岸辺でこっそり情報を 盗み取って、ひそかにバケツ何個かに砂をつめてモスクワに持って帰るだろう。アメリカなら人工衛星を使って海辺を監視し、大量の データを作成するだろう。
それでは、中国の場合は?
一千人の観光客を送りこんで、その一人ひとりに海岸から砂を一粒ずつ取ってくるように言う。観光客が中国に戻ってきたら、携帯していた タオルをはたかせ、ついている砂を落とさせるだろう。
<結果的には、現地の砂についての情報を一番よく知ることができるのは、中国だ。>
というのが、FBIの対敵諜報部内では昔からお馴染みの、この「千の砂粒」というたとえ話の、洒落の効いた「落ち」なのである。
標的をおびき寄せるために魅力的な女性を利用する「ハニートラップ」や、最新電子装置を使った手口などはロシアと変わらないが、今や 最大のライバルとなった中国のスパイ技術には、これまでアメリカが関心を集中していたロシアのそれとは決定的に異なる要素があった。
中国人は情報提供の見返りとして報酬を渡したりはせず、「善良で健全な人」から情報を集めようとする。貧しい祖国のために、ほんの少し だけ協力して欲しいと同朋に語りかけて、スパイにリクルートすることが、「善良な人」(経済的、情緒的に問題がなく、人生に失敗して いない人)に、良心の呵責を感じることなく悪事を働かせるための秘訣なのである。
核兵器の研究開発を行うカリフォルニアのリバモア研究所で、「Q証明(最高機密を扱う権限)」まで有する科学技術者だったグオバオ・ミン が、アメリカの存亡に関わる核機密情報を中国に流していた。という「タイガートラップ」事件。
FBI特別捜査官にリクルートされ、中国共産党指導者や中国国家安全部の情報を得るためのもっとも重要な情報源となっていたカトリーナ・ レオンが、実は中国側の二重スパイであった。(なんと、特別捜査官と愛人関係にあったことが露見の妨げとなっていた。)という 「パーラーメイド」事件。
このFBIの対敵諜報部を舞台に繰り広げられた2大中国スパイ事件を中心に据えることで、中国の諜報活動の知られざる実態を、 それに翻弄されることとなったアメリカ防諜部門側の関係者からの貴重な証言などに基づいて描かれた、
これは、まさに衝撃のノンフィクションなのである。
スパイ戦争においては、常にとまではいかなくとも、多くの場合、中国はうまくやってきた。実際、中国はアメリカにとって最も危険な、 そして、唯一の敵といえるかもしれない。中国の諜報機関は長年にわたってCIAとFBIへのスパイの潜入に成功してきた。 厳重に保護された核兵器機密データも手に入れた。FBIの対敵諜報捜査官はこれに対抗して中国人スパイを見つけ出し、そのうちの何人か を逮捕して、告訴にまで持ちこんだ。しかし中国のスパイ作戦が並外れた業績を残してきたことは否めない。
先頭へ
前ページに戻る