徒然読書日記201211
サーチ:
すべての商品
和書
洋書
エレクトロニクス
ホーム&キッチン
音楽
DVD
ビデオ
ソフトウェア
TVゲーム
キーワード:
ご紹介した本の詳細を知りたい方は
題名をコピー、ペーストして
を押してください。
2012/11/21
「寅さんとイエス」 米田彰男 筑摩選書
『男はつらいよ』は27年間に、何と8千万の人が映画館に足を運んだ映画であり、テレビやビデオで観た人を含めると 測り知れない数の日本人の心をとらえたシリーズである。もしイエスが寅さんに似ていたら、イエスもまた日本人の心をとらえるに違いない。 果たしてイエスは本当に寅さんに似ているのか?この途方もない問いかけに、正面から全力で取り組んでみよう。
「大飯食らいの大酒飲み、取税人や罪人の仲間・・・」
(ルカ7章34節、マタイ11章19節)
パンも食べずブドウ酒も飲まず、イナゴと野蜜のみの荒野に生きるという難行苦行によって、神の道を率先垂範しようとした「洗礼者」 ヨハネに対し、ユダヤ教社会では不浄の職業として除け者にされていた、取税人や遊女や罪人らと、楽しく陽気に食べたり飲んだり話したりの、 交わりの姿勢を貫いたのがイエスだった。それは、抑圧された人々を解放し、皆が明るさを取り戻すことを通して、神の大いなる恵みを 指し示そうとしたものだったのだろうが、
「笛吹けど踊らず」
(マタイ11章16〜19節、ルカ7章31〜35節)
ヨハネが来て、弔いの歌を歌ったものの、誰も胸を叩いて悲しんではくれなかったし、イエスが来て、笛を吹いて楽しい結婚の宴に招いても、 誰も一緒に踊ってはくれなかった。敬虔なユダヤ教徒たちは、ヨハネを「悪霊に憑かれている」と罵り、イエスを「大食漢の大酒飲みだ」 と囃し立て、両極端の徹底した生き方を誹謗中傷するばかりだったのだ。そして・・・
リリー 「ねぇ、わたしたちみたいな生活ってさぁ、普通の人とは違うのよね、それもいい方に違うんじゃなくて、何て言うのかなぁ、 有っても無くても、どうでもいいみたいな、つまりさぁあぶくみたいなもんだね。」
寅さん 「うん、あぶくだよ。それも上等のあぶくじゃねぇやな、風呂の中でこいた屁じゃねぇけども、背中の方にまわってパチンだ。」
(第11作『寅次郎忘れな草』リリー:浅丘ルリ子)
定職というほどのものを持たず、ぶらぶら暮らしている者として、既成の社会秩序からはみ出た言動をする「フ―テン」の寅さんの、
「私ね、寅ちゃんと一緒にいると、何だか気持ちがホッとするの。寅ちゃんと話していると、ああ私は生きているんだなぁって、 そんな楽しい気持ちになるの。」
(第10作『寅次郎夢枕』千代:八千草薫)
その常軌を逸した振舞いが、既成の常識よりも、眼前の困っている人、苦しんでいる人、悲しんでいる人への共感や、 人間として当然正しいことを正しいこととする毅然たる態度から来ているのだとすれば、
「ボランティアという言葉が当てはまるかどうか知らないけど、何ていうのかなぁ、つまり、兄さんみたいな既成の秩序もしくは価値観と 関係のない、言ってみれば滅茶苦茶な人がだよ、ああいう非常事態では意外な力を発揮する、まあそういうことになるのかなぁ。」
(第48作『寅次郎紅の花』義弟博:前田吟)
その根底には、弱い立場にある人への温かい眼差しがあるという意味で、イエスもまた「風天」であるというのだった。
もしイエスが寅さんのように愉快で面白い人物であるなら、もしイエスが寅さんのようにどこまでも自由で、天の風の吹くままに、 悲しんでいる人や苦しんでいる人の所に赴く、そういう人であるならば、もしイエスが寅さんのように、時代に押し流されて盲目的に 信じている誤った価値観を、笑いとユーモアに包んで人々に、誤っているなと気付かせてくれる人物であるならば、 キリスト教や聖書に対する見方も少しは親しみ深いものになるかもしれない。
2012/11/16
「TPP亡国論」 中野剛志 集英社新書
「日本では17世紀から19世紀にかけ、外国との往来を厳しく制限した、鎖国と呼ばれる時代がありました。さまざまな困難を 乗り越えて開国に踏み切ったのは、今から150年ほど前のことです。
我々が集う横浜は、当時開かれた港のひとつで、今日では日本でも屈指の国際港に成長しました。その横浜の地で、皆さんを前に 申し上げたいことがあります。日本は、今また、国を開きます」
2010年11月のAPEC横浜会合において、菅直人首相(当時)は「平成の開国」を宣言した。
黒船の来航以降の西洋列強による外圧によって強引になされた、幕末・維新の「第一の開国」は、結果的に日本に近代化をもたらしてくれた。 第二次世界大戦における敗戦により、アメリカの占領軍によって改革がなされた「第二の開国」は、戦後の奇跡的経済回復と繁栄につながった。 であるならば、グローバリゼーションという外圧についてもうまく適応していく、TPP(環太平洋経済連携協定)交渉参加による 「第三の開国」こそが賢い選択だというわけである。
「TPPへの参加など、論外です。」
と結論において一言で切って捨ててしまったこの著者は、経済産業省から京都大学へ研究者として出向中の経済ナショナリズムの 専門家なのであれば、
・参加国の顔触れから見て、実質的には日米自由貿易協定にすぎず、ドル安を志向するアメリカに対して関税撤廃にほとんど意味はない。
・グローバル化した世界において輸出主導の成長は、デフレをさらに悪化させ、貧富の格差を拡大する。
・大不況に苦しみ、輸出倍増戦略に転換したアメリカが、農産品を武器に日本をターゲットとして仕掛けてきた罠である。
等々の論点から、世界の構造変化もアメリカの戦略的意図も読もうとせず、戦略的に考えようとする思考回路を遮断して、
「TPPに参加しなければ世界の孤児になる」
といった決まり文句で煽り立てるばかりの、「TPP賛成論」の世間の風潮に異議を申し立てよう、ということのようなのではあるが、 もちろん、「賛成」側にだって賛成するだけの動機があることは間違いないわけで、むしろその「動機」こそが怪しいのではないか、 という隠された意図のほうが、実はこの巧妙な主張の味噌なのである。
尖閣諸島や北方領土の問題をめぐる「攘夷」論で窮地に立たされた菅政権は、「開国」論を掲げることで、世論の攘夷感情を ごまかそうと考えただけなのではないのか。
「果して自から守るの力なき歟、仮令ひ国を存するも、偶然に存するものと云はざるを得ず。我輩は今日の日本国を目して、 偶然の僥倖に存する者とは思はず。自立の力に依て自立するの事実は、我れも人も共に信ずる所ならずや。」
という『開鎖論』を著した、福沢諭吉の気概に触れてみれば、開国後の日本は「自から守るの力」「自立の力」をもち、独立国家として 存立することを目指していたことがよくわかる。
少なくとも、幕末・維新の「第一の開国」は、外圧によって強引になされたものなどではなかった。
横浜が開港したのは、1858年の日米修好通商条約によってです。この条約は、日本が治外法権(外国人が日本で罪をおかしても 日本の法律で処罰できない)を認め、日本に関税自主権がない(輸出入品に対して日本が自主的に関税をかけられない)という不平等な 条約でした。菅首相が、横浜で開国を宣言したのは、尖閣沖の領海を侵犯した中国漁船船長の釈放という「治外法権」や、TPPへの参加 という「関税自主権の放棄」を、各国首脳や国民に連想してもらいたかったからだというのは、さすがに悪い冗談でしょう。
2012/11/13
「西遊記」XYZ―このへんな小説の迷路をあるく― 中野美代子 講談社選書メチエ
おいでッ!あ!
断然!金蝉(こんぜん)は三蔵(サンザン)さ。
わが猴(さる)は孫悟空(ソンウーコン)。
優曇華木(うどんぎ)立つの頑固。
嘘だ!木の妖怪―荊棘(けいきょく)の林。
<中略>
美代子の「西遊記(シーユージー)」訳しおわった顔か?
「まだだ・・・」
「あわてるな」
「ニマ(ッ)」
「暇になる(っ)て!」
「わぁ!」
ただ真顔が立つわ。
「惜し!口惜し!諛辞(ゆし)の暦・・・」
<中略>
娑婆(しゃば)退(の)くよ。
「キー!行け!」
「行かうよ」
「ノー」
「来たぞ。悟空(ウーコン)が乗った角力斗雲(きんとうん)」
「幸運!」
そは流沙河(るさがわ)。
三蔵(サンザン)さ(ん)、判然!金蝉(こんぜん)だ!
ADDIO!(アッディオ=さらば)
今から5年ほど前に、ボクシング・亀田三兄弟の「世界戦反則負け」事件をネタにして、ブログを書いたことがあるのだが、
『亀田・弟も、とおとお駄目か』
(かめだおとおともとおとおだめか)
というもので、あの当時は我ながらなかなかの出来栄えと、一人悦に入っていたものである。
冒頭の引用ももちろん「回文」(前から読んでも後ろから読んでも同じ)で、中段5行目「暇に」のところが折り返し地点なのだが、 なんと恐るべきことに、<中略>部分を含めれば128行にも及ぶ超大作なのであり(いうまでもなく、暇人の試みなど児戯にすぎなかった と打ちのめされることになった)、しかもこれが、『孫悟空の誕生』(岩波現代文庫)を始めとする『西遊記』研究のスペシャリストによる、 迷宮あそびとでもいうべきこの本の、立派な「あとがき」になっているのだった。
というわけで、この本は決して「回文」を主題とした本ではないのだが、だからといって「あとがき」の回文が、単なるおまけとして 付いているわけでもない。
『西遊記』全98回のうち、第13回の三蔵法師長安出発から、第98回の西天到着まで、つまり「西天取経」の行程の中に並べられた 多彩なエピソードたちは、ちょうど真ん中の第55回「琵琶洞女怪」の段を中心軸として、質的にも量的にも重要なエピソードが相似形と なるように配置されている。
「並列」構造と「入れ子」構造を併せ持っているというところ、つまり全編が回文を構成しているかのような立体構造の中にこそ、 この「へんな小説」のディーテルのおもしろさがあるらしいのである。
2012/11/7
「脳には妙なクセがある」 池谷裕二 扶桑社
ボクシングの試合では青コーナーよりも赤コーナーのほうが勝率が高いのをご存知でしょうか。理由は単純で、赤コーナーには、 一般に青よりも強い選手、たとえばタイトル保持者や経験の長い者が立つからです。
ところが、驚いたことに赤と青がランダムに割り当てられているオリンピックの試合においても、やはり赤サイドの方が青サイドよりも 10〜20%ほど勝率が高かったのである。
脳は妙に『赤色に魅了される』!
では、スポーツの成績だけでなく、学力や知的作業に対しても、色は影響を与えるのだろうか?そこで、問題内容は同じIQテストにおいて、 問題冊子の表紙だけを白色、赤色、緑色など異なる色に変えて実験してみると・・・
その結果は、赤色が最高得点に違いないという予想とはまるで正反対で、赤色だけ平均で20%も点数が低下してしまうという結果になった。 「やさしい問題」と「むずかしい問題」を用意し、どちらかを選んでもらうという別の実験では、赤色のグループには、「やさしい問題」を 選んでしまうという傾向も認められた。
どうやら赤という色はわたしたちの脳にとって、「パワーみなぎるラッキー色」などではなくて、「志気を奪ってしまう威嚇色」のよう なのである。なるほど、ボクシングの試合において赤色を目にするのは、自分の背にする赤コーナーの選手ではなくて、 相手の青コーナーの選手の方なのだ。
というこの本は、「記憶のメカニズムの解明」に挑むなど、世界の脳研究の最先端を疾走しつづけている気鋭の脳科学者が、
「海馬 脳は疲れない」
(糸井重里と共著)
「進化しすぎた脳」
「脳はなにかと言い訳する」
「単純な脳、複雑な『私』」
など定評ある数多くの名著同様に、老若男女を問わず、これまで脳に関心のなかった一般の人に向けて、脳研究の最新の知見をわかりやすく 解説してくれたものなのである。
たとえば・・・脳は妙に『笑顔を作る』!
(お箸を横にして口に咥えると、それだけで脳の快楽に関係した「ドーパミン」系の神経活動が活発になるらしい。「楽しいから笑顔になる」 のではなくて、「笑顔を作ると楽しくなる」という逆因果が、私たちの脳にはあるようなのである。)
さらには・・・脳は妙に『不自由が心地よい』!
(携帯電話の使用履歴による調査によれば、日頃の行動パターンを知ってさえいれば「ある人が今どこにいるか」は平均2か所以内に 絞ることができるらしい。私たちの脳には、本人でさえ自覚できないような行動のクセがあるようなのである。)
そして・・・脳は妙に『使い回す』! らしいのである。
脳は、身体と情報のループを形成しています。身体から感覚を仕入れて、身体へ運動として返す。身体の運動は、ふたたび、 身体感覚として脳に返ってきます。(中略)
ところが、ヒトのように大きな脳では、脳の自律性が高く、身体を省略して内輪ループを形成することができます。横着して脳内だけで 情報ループを済ませるのです。この演算行為こそが、いわゆる「考える」ということではないでしょうか。ヒトの心の実体は、 脳回路を身体性から解放した産物です。
2012/11/6
「脳の風景」―「かたち」を読む脳科学― 藤田一郎 筑摩選書
脳の構造は複雑だが無秩序ではない。想像することさえ難しい大きな数の要素からなる迷宮のところどころに、見事なまでに 規則的な構造が埋め込まれている。私には、これらの構造が、研究者の挑戦をこばんでいる脳がふと見せたほほえみのように思える。 そのような構造が示す規則性は、脳の働き、しくみ、なりたちを理解する上でのヒントを提供している。
見知らぬところを探索する時には、すべてのヒゲを前に傾け、ヒゲとヒゲの間を大きく開き、前後にヒクヒクと震わせながら、 物体にさわってまわる。多くの動物にとって、まわりの世界を知るためのセンサーともいうべき「洞毛」は、たとえばネズミの顔の片側には 主なものだけでも36本(小さいものまで数えれば160本以上も)生えているが、同一の種類であれば個体によらず同じように生えている ため、生物学の世界ではそのヒゲの一本一本に、なんと名前までつけられている。
これだけでも、十分に驚くべきことなのだが、実は、ネズミの脳の大脳皮質の中には、樽のような筒型をした「バレル皮質」がレンガの舗道 のように敷き詰められた場所があり、その一つ一つが対応するヒゲからの情報を受け取っている。しかも、個々の洞毛ヒゲを担当するバレルは、 ネズミの顔におけるヒゲとヒゲとの位置関係を、そのまま脳の中に平行移動したように配置されているという特徴を持っており、 このような構造のことを、脳科学の世界では「体部位再現」がなされているという。
つまり、すべてのネズミの脳の中には、大きな頭と小さな手足を持った、もう一匹のネズミが棲んでいるのである。
というわけで、ネズミの大脳皮質の第4層を脳表に平行に切って、「シトクロームオキシダーゼ法」により染色した、まるでアート作品 のような、オレンジ色の「マウスのシルエット」の、美しいカラー写真の口絵の解題から始まるこの本は、大阪大学医学部で認知脳科学の 専門家として、霊長類における視覚認識の脳内メカニズムの解明などを行っている藤田教授が、多くの異なる動物の脳の構造を見る というところから出発して、脳の様々な不思議と驚きをその「かたち」から探っていくことで、「こころ」を生み出す、その機能中心に 語られることが多い脳の、形を有し、重さを持った「実体」としての秘密に迫ろうとしたものなのである。
たとえば、哺乳類であるカモノハシが、夜間、目も鼻も耳も閉じた状態で水中にもぐりながら、エビや小魚などの獲物を探し当てることが できるのはなぜか?
(カモノハシの靴ベラのようなくちばしには、水の振動を捉える機械受容器と、電気を検出する電気受容器があり、それが脳内の体性感覚野に 斑模様を作っている。音と光の到着時間のズレで獲物との距離を測るのである。)
「使うシナプスほど強化され、使わないシナプスは削除する」という、広く受け入れられている脳発達の通説は正しいのか?
(カニクイザルの錐体細胞では、誕生時から大人になるにつれて、視覚情報処理の初段を行うV1野では樹状突起の刈り込みが、後段を行う 視覚連合野では逆に伸長が認められる。神経回路の発達の仕方は、脳の場所によって大きく異なるのである。)
などなど、顕微鏡を通して脳の組織を覗いてみれば、その内部には様々な形や、色や、模様を持った、驚くべき「脳の風景」が広がっている のだった。
小ぶりのキャベツほどの脳の中に、おおざっぱに言って千億個のニューロン(神経細胞)が押し込まれ、その多くが、千から数万の 他のニューロンとつながっている。ニューロン同士のつながり方にはルールがあり、綿密で膨大な配線を作る。この巨大な神経ネットワークが 私たちのふるまいとこころを生み出す。このネットワークが持つ特徴の把握とその全貌の記述も、行動や精神を生み出すメカニズムの理解も 達成されていない。それが解き明かされる日が来るかどうかもさだかではない。脳科学の遠い目標である。
先頭へ
前ページに戻る