徒然読書日記201210
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2012/10/27
「スローターハウス5」 KヴォネガットJr ハヤカワ文庫
そしていまビリー・ピルグリムはいう、自分はたしかにそのようなかたちで死ぬのだ、と。時間旅行者として、 彼は自分の死を何度も見てきたし、その模様をテープレコーダーにも吹きこんでいる。テープは、遺書やその他の貴重品とともに、 イリアム商業信託銀行の貸し金庫室に保管されている、と彼はいう。
「わたし、ビリー・ピルグリムは」と、テープは始まる、1986年2月3日に死ぬのであり、常に死んできたし、常に死ぬであろう」
“そういうものだ”( So it goes. )
1922年、ニューヨーク州イリアムに理髪師のひとり息子として生まれたビリーは、ハイスクールを優秀な成績で卒業し、 イリアム検眼学校の夜間部に一学期だけ通ったのち、終戦間近の第二次大戦に招集され、ヨーロッパ戦線に赴いて、 たちまちドイツ軍の捕虜となる。除隊後は金持ちの娘と結婚し、義父の出資によってイリアムで検眼医を開業、成功して大金持ちとなり 立派に一男一女を育て上げて、その人生を終えることになるのだが、
実は彼には、娘の結婚式の夜、突然現れた異星人に誘拐されて、トラルファマドール星の動物園で暮らす羽目になるという過去があった・・・
という、時の流れに沿って眺め返してみれば「波瀾万丈」であったに違いない自らの人生を、なかば「諦め」にも似た達観の境地から、 「やれやれ」と俯瞰して見渡すことができるのは、ビリーが<けいれん的時間旅行者>だったからだ。
「時間の歪み」を通じて連れ去られたため、実際にはそこで何年もの間暮らしていながら、他人の目からは1マイクロセコンドも地球を 離れなかったように見える。
トラルファマドールで学んだ、「あらゆる瞬間は、過去、現在、未来を問わず、常に存在してきたのだし、常に存在しつづけるのである」 という、彼らの時間観念を身につけたことで、時間のなかに解き放たれたビリーは、映画フィルムの断片がバラバラに映し出されるような、 細切れになった人生の瞬間を、けいれん的にジャンプしながら、何度も生き直すことになったのである。
『スローターハウス5』(食肉処理場5号棟)
それは、ドイツ軍の捕虜となったビリーが収容されて、たまたまそこに居合わせたことで、13万5千人もの一般市民が犠牲となった 「ドレスデン無差別爆撃」の惨劇を目撃することとなった場所だった。
「大量殺戮を語る理性的な言葉など何ひとつないからなのだ」
と語るヴォネガットが、自らの壮絶な体験を語るには、行きつ戻りつしながら、小さな断片を寄せ集めて、少しずつ近づいていく以外に、 方法がなかったということなのだろう。
トラルファマドール星人は死体を見て、こう考えるだけである。死んだものは、この特定の瞬間には好ましからぬ状態にあるが、 ほかの多くの瞬間には、良好な状態にあるのだ。いまでは、わたし自身、だれかが死んだという話を聞くと、ただ肩をすくめ、 トラルファマドール星人が死人についていう言葉をつぶやくだけである。かれらはこういう、
“そういうものだ”( So it goes. )
2012/10/25
「感じる科学」 さくら剛 サンクチュアリ出版
学校で、体育の授業があるとします。
体育といえば跳んだり跳ねたり回転したりということで、制服のままでは受けづらい授業ですよね。そこで授業の前に女子生徒は 「セーラー服姿」から「体操着姿」に状態変化するわけです。
ところが、彼女たちは、本来ならば段階を踏んで、「セーラー服姿」→「セーラー服の上着を脱いだ姿」→「セーラー服のスカートを脱いだ姿」 →「××××××××××××姿(東京都青少年健全育成条例により伏せ字)」・・・ というような非常に込み入った変化の流れをたどっているはずなのに、
「その途中の姿は観測者たる男子には絶対に見せてくれないのです。(プンプン)」
というのが、 “相対性理論を世界一面白く解説する男”を自称している、この旅行作家による『量子ゼノン効果』のまことに鮮やかな解読である。
ミクロの粒子を扱う「量子論」の世界では、それらの素粒子は「ある状態から別の状態」へとまるごと変化することがあるが、 「その中間の姿」を観測者に見せることは絶対にないので、「観測を頻繁に行えば、物質の状態を変化させないようにすることができる」 ことになる。
この『量子ゼノン効果』の摩訶不思議を、これほどわかりやすく腑に落としてくれた例え話を、私は聞いたことがない。
このほかにも、たとえば・・・
<「幸せ」というのは絶対的なことではありませんか?人と比べてどうだこうだと、相対的に自分の幸せを推し量るのは、 あまり意味のないことではないでしょうか。だって、たいていの人は自分よりも幸せそうに見えるじゃないですか。>
「お互いに相手の方が縮んで見える」(特殊相対性理論)
<重い悩みを抱えていたり、揉め事や別れ話で重い雰囲気になった状況では、「ああ早くこの場を切り上げて家に帰りたいなあ」と願っても、 そんなときに限ってなかなか時間が過ぎないということがありませんか?反対に、キャバクラなどで軽口を叩きながら軽々しくおねえさんと 騒いでいると時の流れは光陰矢のごとしで、「そろそろ入店から30分くらい経ったかな?」と思い時計を見ると なぜか7時間も経っているなんてこともありますよね。>
「重力は時間の流れを遅くする」(一般相対性理論)
これ以外にも、光とは何か?宇宙の外はどうなっている?タイムトラベルは可能か?透明人間は作れるのか?・・・などなど。
ハイ、皆さんお察しの通り。
テーマはそれぞれに重厚で、真面目なものばかりなのではあるが、真面目なのは「テーマだけ」なのであり、 もちろん、そんなことは、著者だってわかっているのである。
はっきり言ってこの本は、「光や宇宙や相対性理論について説明した本」としては、過去にこの地球上で発売された中で 最もバカバカしい本だと自信を持って断言できます(涙)。
2012/10/24
「ソクラテスと朝食を」―日常生活を哲学する― RRスミス 講談社
もしソクラテスといっしょに、カプチーノとクロワッサンの置かれたテーブルについたら、彼はいきなり 「きみはどうして今みたいな生活をしているのかね」とか「きみには人間としてどんな価値があるのか」と訊いてくるかもしれない。
「彼に死刑を宣告した国家と同じように、きっとあなたはむかつくだろう。」
しかし、そこをちょっとだけ我慢して、彼の質問にもう少しだけ付き合ってみようという「好奇心」を持つことさえできたなら、 あなたはきっと、一見するととるに足らないことの背後に、とても大事なものがあることに気付き、それを新しい光の下で見てみるという、 素晴らしい内面探求の旅を体験することになるだろう。
何しろ「哲学=フィロソフィー」という言葉の本来の意味は、「知恵=ソフィー」を「愛する=フィロ」ということなのであり、 「知恵」とは、日常生活でさまざまな謎に直面したときに適切な判断を下せる、きわめて実用的な能力のことを言うのだから。
というわけで、この本は、成績優秀な学生にのみ与えられる特別奨学金を受けて、10年間もオックスフォード大学で学究生活を送った後、 経営コンサルタントとなった俊英が、「目覚める」、「身支度をする」、「通勤する」といった日常的な営みの一つ一つについて、 哲学的に考究してみることで、「教養」なるものの定めとして、日常生活には到底役に立ちそうもない歴史上の偉大な思想(哲学だけでなく 心理学や社会学や政治学も含めて)が、どうすれば自分の人生に対してもっと思慮深くなれるか、といった、曖昧すぎて人には決して相談する ことのできないあなたが抱えている、実は深刻な「不安」と、いったいどのように関係しているのかということを、 示してみせようではないかという試みなのである。
一生懸命に「仕事をする」あなたの耳元では、カール・ハインリッヒ・マルクスが、
「ひとりの人間の富は他の人間の貧困である、つまり冨者は貧者に依存しており、役割を逆転させれば、貧者はある力を獲得するということ である。」なんて、奴隷労働からの脱却を仄めかしてくるわけだし、
お気に入りのジャケットを選ぼうと「ショッピング」に出掛けたあなたの後を、頼まれもしないのに追っかけてきたジャック・ラカンは、
「赤ん坊はあるとき鏡を見て、そのときにはじめて自分が一個の独立した存在であることを知る。・・・自分の全体像を知ることはできた。 鏡にそう映っているからだ。だがそれを触って確かめることはできない。」と嘯いて、試着室の鏡はほっそり映るようになっているという、 言わでもがなの真実を思い出させてしまう。
ようやく大変な一日を終えて、「眠って、夢を見る」あなたの、枕元に立ったカール・グスタフ・ユングは、
「集合的無意識は、個人的無意識の総計よりもっと大きなもので、世界そのものの属性であり、あなたが夜夢を見るとき、 それは世界魂(アニマ・ムンディ)があなたを通して夢を見ているのだ。」とことさらにややこしい話を持ち出してきて、 安らかな寝心地をかき乱そうとするのだった。
う〜む、なるほど。
「智を愛する」人々というのは、かくもかように、息苦しくなるほどに「いじくらしい」人々だったのである。
ソクラテスは「吟味されない人生は生きる価値なし」と断言した。また彼は演説より対話を好んだから、彼と話してみると、 あなたは自分自身や自分の行動について深く考えることになるはずだ。その結果、あなたの人生により大きな意味が見出せるだろうし、 おこないをあらためようと決意するかもしれない。そうなれば、あなたの人生に欠けていた「意味」が生まれるはずだ。
2012/10/20
「ロマンポルノの時代」 寺脇研 光文社新書
スタートの71年に19歳の大学1年生だったわたしは、「モテキ」などに全く恵まれず、女性に全く無縁の「童貞坊や」であり、 性愛の深い意味を知らなかった。社会へ出て恋愛したり二度も結婚したりする中で、ようやく男女の間のエロティシズムの微妙な感じを 会得できたのはその10年近く後だった。正直言って、初期のロマンポルノは完全には理解できていなかったのだ。
その最初から最後まで(注:71年11月末から88年6月まで、およそ1000本!)を、始めは『キネマ旬報』へのアマチュア投稿ファンとして、 後にはプロの映画評論家として、熱心に観続けてきた者としての立場で、「わたしにとってのロマンポルノ」を語るため、 あえて後半の時代を熱く論じてみたいという著者と、ほぼ1年遅れの同じような境遇で、似たような界隈に出没していながら、 結局『四畳半襖の裏張り』ぐらいしか見ていなかった私にとって、
白川和子、小川節子、片桐夕子、田中真理、宮下順子、山科ゆり、伊佐山ひろ子・・・
といった初期の人気女優たちの名前は、渋谷の歓楽街の裏通りの場末の映画館の、毒々しいポスターで目にし興味をそそられながら、 結局入館をためらってしまった記憶につながるものにすぎなかったのだが、それに比べて、
続圭子、梢ひとみ、潤ますみ、牧れい子、中島葵、星まり子、谷ナオミ、芹明香、内藤杏子、ひろみ麻耶・・・
なんて名前を目にしただけで、どうしてこんなにも懐かしい思いが込み上げてくるのかと思ったら、当時購入していた『平凡パンチ別冊』 のグラビアでお世話になっていた方々であることを、突然思い出してしまった。
そうか、彼女たちは『にっかつロマンポルノ』の70年代前半の歴史を支えたスターたちだったのか!
というわけで、この本は、16年半という短い歴史を駆け抜けた『ロマンポルノ』という、一つの時代を色濃く映し出す「作品群」を 切り口として、その文化的背景の解明に鋭く迫ってみせる・・・ものでもなければ、
作品としての『ロマンポルノ』を、最近はやりの構造分析による映画評論で、切れ味鋭く一刀両断にして見せる・・・ものでもなかった。
これは、ロマンポルノとともに大人の男になっていった若者の自分史、いわば映画による「ヰタ・セクスアリス」でもあると ご理解いただきたい。
と、実際の映画を見たものでもなければ、ついていくことさえできないような、疾走感にあふれた「自慰意識」過剰の「作品評」の数々が、 ただひたすら、これでもかとばかりに矢継ぎ早に繰り出されてきて、その映画の題名を読んでいるだけで息苦しくさえなってくる。
『団地妻昼下がりの情事』、『色暦大奥秘話』、『女高生レポート夕子の白い胸』、『OL日記牝猫の匂い』、 『セックスライダー濡れたハイウエー』・・・
「もう少し、立ち止まってまわりを見渡すような、ゆとりが欲しかった。」(ま、嫌いじゃないけど)
なんたって、この著者は、元文部省初等中等教育局職業教育課長。あの、日本の小中学生の学力崩壊を招いたと悪名高い、 「ゆとり教育」の元凶なのである。
“来て”・・・電話口、胸の奥からしぼり出すような声で、ただひとこと、女が言う。
“抱いて”・・・電話を受けて彼女の部屋へ駆けつけてきた男に向かって、これもただひとこと、女が言う。
(『犯され志願』キネマ旬報82年6月上旬号の映画評より抜粋)
2012/10/16
「東大のディープな日本史」 相澤理 中経出版
昨年(2011)、京都大学の入試でケータイを用いた不正行為が発覚し、社会的な騒動となりましたが、東京大学の先生方ならば こう言い放ったはずです。「カンニングは許されない行為だが、そんなことをして合格できるような問題は出題していない」と (京都大学の先生もそう言うべきでしたし、その資格は十分にありました)。
なんて、いまだに熾烈な受験戦争をかいくぐることを強いられている韓国の受験生であれば、その朝鮮(失礼、挑戦)精神をかきたてられる ような、チャレンジングな物言いを耳にすれば、すでに受験勉強から遠ざかること40年のヘタレ親父だって、「ンなこと言うなら、 証拠を見せてみろッ!」と息巻いてみたくもなるのだが、
よろしい、お目に掛けましょう!
「次の文章は、数年前の東京大学入学試験における、日本史の設問の一部と、その際、受験生が書いた答案の一部である。 当時、日本史を受験した多くのものが、これと同じような答案を提出したが、採点にあたっては、低い評点しか与えられなかった。 なぜ低い評点しか与えられなかったかを考え、(その理由は書く必要がない)、設問に対する新しい解答を5行(150字)以内で記せ。」 (83年度第1問)
う〜む、まいった。
あらかじめ、「隣の受験生の解答」(のようなもの)が提示されてしまうのであれば、いかにカンニングの技術を駆使してみても、 それは無意味というものなのだった。
というわけで、この本は、予備校の東大マスターコースで<東大日本史>講座を担当し、東大合格者を輩出したカリスマ講師が、 自明に思える歴史の見方・考え方に揺さぶりをかけてくるような「東大日本史」の入試問題を題材として、 学校で習ったこととは違う日本史に出会うことの面白さに、目を開かせてみせてあげようという企みなのである。
「藤原道長は、なぜ関白にならなかったのか?」
という冒頭ご紹介の問題の本題は、「摂関政治」から「院政」へと移る過渡期の権力のバランスの移り変わりを問うものだったわけだが、 これ以外にも、
「古代の朝廷はなぜ白村江の戦いに臨んだのか?」
「平氏はなぜ政権を奪取できたのか?」
「元禄文化と化政文化はどう違うのか?」
「大久保利通は志を失った独裁者だったのか?」などなど、
古代から近代まで、選りすぐりの「東大日本史」の良問が、最強の水先案内人の適切な導きを得て、あなたのしなびた脳を賦活させてくれる こと必定である。たとえば、
「やあやあ、遠からん者は音にも聞け」と、押し寄せる蒙古軍に一騎打ちを挑み、見事に先駆けを果たした、鎌倉時代の肥後の御家人・ 竹崎季長は、決して敵に対して名乗りを上げていたわけではなかった。(だって、モンゴル人に言葉は通じないのだから・・・)
「二度の合戦(1274年文永の役、1281年弘安の役)における日本軍の戦いかたには、モンゴル軍とくらべてどのような特徴が あったか。日本の武家社会の特質と関連させて、下の語句をすべて使い、3行(90字)以内で述べよ。語句はどんな順で使ってもよい。
恩賞 武士団 集団戦 一騎討ち」(93年度第2問)
2012/10/11
「本当の経済の話をしよう」 若田部昌澄 栗原裕一郎 ちくま新書
栗原 経済学っておカネを扱う学問でしょう?なら「物質的側面の向上」(暇人注:八田達夫『ミクロ経済学』における経済学の定義) って、要するに「いかに効率よく金を儲けるか」という話になるんじゃないんですか。
若田部 経済学は金儲けのための学問とか、おカネについての学問とかいう誤解は多いんだよね。もちろんおカネは大事ですよ。 おカネで幸せは買えないというけど、実はある程度は買える。と言うか、おカネがないとみじめなことが多い。
栗原 「誤解」って、じゃあ、もしかして、経済学を勉強しても金儲けの役には・・・
若田部 立たない(笑)。と言うより「うまい話は転がっていない」ことを理解するのが経済学であると言ったほうがあたっているくらいだ。
「むしろ、おカネだけでは済まないということを理解したところから、経済学の本当の面白さは始まる」
そのわかりやすさに定評があるらしい気鋭の経済学者・若田部に、東大理T除籍という異色の経歴を誇るサブカル文芸美術評論家・栗原が 鋭く切り込んだ、知的でスリリングな対話式経済学講義。
経済学は「知的ツール」なのだと覚醒した栗原に、たとえば日本の文学界における「文壇」の存在の意味など、ちょっと穿った 「経済学的な考え方」の応用問題も小出しにされるのではあるが、これを本当に切れ味鋭い「ツール」として使い回すためには、 経済学の「キモ」を掴んでおかねばならないと、若田部が用意した「キーコンセプト」は、わずかに四つ。
「インセンティブ」
モチベーションを引き出すもの、要するに「飴と鞭」。
(例題:毛沢東、文壇、ハマス、大相撲)
「トレード・オフ」
希少性のある資源を、どう配分するか、要するに「あちらを立てればこちらが立たず」。
(例題:サンデル、原発、禁煙、年金)
「トレード」
「交換」「交易」「貿易」の全てを含むもの、何かしらの「やりとり」があること。
(例題:TPP、TENGA、比較優位説)
「マネー」
「おカネ」の持つ二つの側面のうち「所得(稼ぎ)」ではなく「貨幣」のほうのこと。
(例題:牛丼、為替、デフレ、ユーロ危機)
そんなわけで、懇切丁寧に指導しようとする若田部先生から、「よりよく生きる」ために必要な経済学の「思考ツール」の使い方を 伝授されることになった優秀な生徒・栗原なのだったが、<自らのフィールドに安息している「人文系」は、はたして市場で生き残れるのか> という隠れアナーキスとしての栗原の、もう一つの「邪悪な問い」のほうには、はたして納得できる回答は得られたのだろうか?
栗原 おかげさまで、ものごとの見方というか見え方はだいぶ変わりました。ただですねぇ、経済学の考え方って世間一般の常識的判断と 真っ向から対立することも多くて、場合によっては肩身が狭くなったりするんですよね。たとえばTPPにしても、特にぼくのいる 文科系界隈だと問答無用にほぼ100%が「反対!」だから浮いちゃって。原発問題しかり、デモしかり。
若田部 そういうことが本当にあるのだね。長いものには巻かれろ、はインセンティブに従っているという意味では経済学的であるとは言える (笑)。しかし経済学には常識的判断と違うところと、よく考えてみると常識じゃないか、というところが混在していると思う。 その「よく考えてみれば」、というあたりが「よりよく生きる」には大事なんだよね。
2012/10/8
「戦後史の正体」1945−2012 孫崎享 創元社
日米の外交におけるもっとも重要な課題は、つねに存在する米国からの圧力(これは想像以上に強力なものです)に対して、「自主」 路線と「対米追随」路線のあいだでどのような選択をするかということです。そしてそれは終戦以来、ずっとつづいてきたテーマなのです。
「日本には日本独自の価値がある。それは米国とかならずしもいっしょではない。力の強い米国に対して、どこまで自分の価値をつらぬけるか、 それが外交だ」という考えをもつ「自主」路線と、
「米国はわれわれよりも圧倒的に強いのだ。これに抵抗してもしょうがない。できるだけ米国のいうとおりにしよう。そしてそのなかで、 できるだけ多くの利益を得よう」という生き方を選ぶ「対米追随」路線と。
戦後の日本の首相たちをこの観点から分類して見ると、
「吉田茂」→「池田勇人」→「三木武夫」→「中曽根康弘」→「小泉純一郎」と連なる「対米追随」派の系譜がいずれも長期政権を樹立している のに対し、(暇人注:これ以後の「海部俊樹」→「小渕恵三」→「森喜朗」→「安倍晋三」→「麻生太郎」→「菅直人」→「野田佳彦」 が短期なのは、個人の資質の問題?)
その間を縫うようにして交代を繰り返した、「重光葵」→「石橋湛山」→「芦田均」→「岸信介」→「鳩山一郎」→「佐藤栄作」→「田中角栄」 →「福田赳夫」→「宮沢喜一」→「細川護煕」→「鳩山由紀夫」という「自主」派の系列が、佐藤を除けばいずれも短命で 終わってしまっているのは、
占領期以降、好ましくない日本の首相を排除しようとした米国によって、日本社会のなかに巧みに埋め込まれることになった、 「自主」派の首相を引きずりおろし、「対米追随」派にすげかえるための<システム>が、作動したことによるものだというのである。
元外務省国際情報局長で、2009年まで防衛大学校教授だったという肩書を持つ著者が指摘する、その<システム>が作動した証とは、
@占領軍の指示により公職追放する(鳩山一郎、石橋湛山)
A検察が起訴し、マスコミが大々的に報道し、政治生命を断つ(芦田均、田中角栄、少し異色な小沢一郎)
B政権内の重要人物を切ることを求め、結果的に内閣を崩壊させる(片山哲、細川護煕)
C米国が支持していないことを強調し、党内の反対勢力の勢いを強める(鳩山由紀夫、福田康夫)
D選挙で敗北(宮沢喜一)
E大衆を動員し、政権を崩壊させる(岸信介)
「高校生でも読める本」をと日本の戦後史を洗い直す中で、著者が考えるよりはるかに多くの首相たち(もっとも鳩山由紀夫以降は皆無だが)、 政治家たち、官僚たちが、米国に対して堂々とモノを言ってきたことはわかったが、
検察と報道との密接な関係を深め、外務省、防衛省、財務相、学界、経済界の中に、「米国と特別な関係を持つ人々」を育成することに 努めてきた米国によって、彼らはことごとく排除されてきたことになる。
では、そうした国際政治の現実を知ったうえで、日本はこれからどうやって生きて行けばいいというのか。
「あとにつづいて出てくる大蔵大臣が、おれと同じような態度をとることだな。そうするとまた追放になるかもしれないが、まあ、 それを二、三年つづければ、GHQ当局もいつかは反省するだろう」
終戦直後、ふくれあがるGHQの駐留経費を、削減しようとして公職追放された、石橋湛山の言葉に学べと、この著者は言うのだった。
米国は本気になればいつでも日本の政権をつぶすことができます。しかしその次に成立するのも、基本的には日本の民意を反映した政権です。 ですからその次の政権と首相が、そこであきらめたり、おじけづいたり、みずからの権力欲や功名心を優先させたりせず、 またがんばればいいのです。自分を選んでくれた国民のために。
2012/10/4
「ジェノサイド」 高野和明 角川書店
『研人へ このメールが届いたということは、私が五日以上、お前やお母さんの前から姿を消しているのだろう。だが心配は要らない。 おそらくあと何日かすれば、父さんは帰れるはずだ。』
意味不明の文面だった。『帰れる』というのは、あの世から蘇るということなのか?研人は続きを読んだ。
『だが、しばらく帰れない場合を想定して、お前に頼みたいことがある。アイスキャンディで汚した本を開け。それから、このメールのことは、 母さんも含め、誰にも言わないように。以上だ。』
創薬化学の研究院生・古賀研人は、数日前に急死した化学者の父から突然のメールを受け取った。指示されてたどりついた父の秘密の実験室 には、2台のノートパソコンと使用法不明のソフトとともに、謎の研究指令が残されていた。
<2月28日までに、ある化学物質を合成すること>
「最後に、もっとも重要な指示を伝える。もしも任務遂行中に、見たことがない生き物に遭遇したら、真っ先に殺せ」
聞いている四人は、何を指示されたのか分からなかった。理解不能な外国語とでも思ったのか、ずっと押し黙っていたミックが初めて発言した。
「何て言ったんだ?見たこともない生き物?・・・ウィルスのことを言ってるのか?」
難病に冒された8歳の息子の治療費を稼ぐため、民間軍事会社の傭兵となったジョナサン・イエーガーは、内戦状態にあるコンゴに発生した 新種のウィルスの蔓延を防ぐため、ピグミーの一部族40人を殲滅する特殊任務を請け負うことになったのだが、 ホワイトハウスがクライアントであろうと想像された、この『ガーディアン作戦』には、意味不明な追加任務が付け加えられていた、
<その瞬間、諸君の頭は混乱するかも知れない。しかし何も考えるな。この生き物は何だとか、疑問を持ってはいけない。>
1977年に、すでにホワイトハウスに提出されていたという、『ハイズマン・レポート』。
それは、アフリカに新種の生物が出現し、もしその生物が繁殖すれば合衆国にとって重大な脅威となるだけでなく、全人類が絶滅の危機に さらされるという可能性を予測するものだったのだが・・・
コンゴへの潜入に成功したイエーガーたちが、ついに目にすることになった「見たこともない生き物」とは一体何だったのか?亡き父からの 指示により研人が合成しようとしている化学物質は、このイエーガーたちに与えられた指令とどのような関わりを持ってくることになるのか?
え?これだけヒント満載なら、結末は見え見えだろうって?ご冗談を!
あの
『13階段』
の高野和明を、 決して舐めてはいけない!
なんてことは、ハイズマン博士からも<折紙つき>の事実なのである。
「君は、重大な問題を見落としているよ」
意外な指摘に、ルーベンスは眉を寄せた。まだ他に問題があるというのか。(中略)
「何か、ヒントをいただけませんか?」
「ヌースの側が、なぜ難病の治療法をみつけようとしたのか、だ。」(中略)
「私が申し上げた他にも、まだ狙いが隠されているということですか?」(中略)
「これは宿題にしておこう。もう一つのヒントは、君がまだ敵の知力を侮っているということだ。どうか十分に気をつけて、 この難局を乗り切ってくれ」
2012/10/1
「化石の分子生物学」―生命進化の謎を解く― 更科功 講談社現代新書
蚊が閉じ込められたコハクの化石が発見される。その蚊が吸った恐竜の血から、研究者が恐竜のDNAを入手する。 そしてバイオテクノロジーの技術を使って、恐竜を現代によみがえらせるという話
このマイクル・クライトンの小説『ジュラシック・パーク』の英語版が出版された1990年の時点において、実際の<古代DNA>の研究の ほうは、すでに始まって6年を経過していたとはいうものの、いちばん古いとされていた<古代DNA>は、まだ1万3千年前のナマケモノの ものにすぎなかった。恐竜が絶滅したのは6千5百万年前のことなのだから、まともな研究者ならば、恐竜の<古代DNA>など 恥ずかしくて口に出せないほど、荒唐無稽な話だったのだ。
ところが、(まことにタイミングのいいことに、)カリブ海のドミニカ島で採集したコハクの中から発見されたシロアリから、初めての 古代DNAが見つかったという報告があったのは1992年のことで、おかげで、その翌年に映画化された『ジュラシック・パーク』は 大ヒットすることになるのだが、それもそのはず、なんとそのコハクの年代は、およそ2千5百万年前というものだったのである。
う〜む、これなら恐竜のDNAも、あながち夢ではないかもしれない・・・と、誰もが思った。
化石の中に残されている<古代DNA>や化石タンパク質と、今生きている生物のDNAとを比較することで、その過去の姿を知ろうとすること。
これは、そんな「分子古生物学」を専門とする著者が、化石がとどめるかすかな記憶(化石DNA)に耳を澄ませ続けてきた人々の、 研究の歴史と現状を追いかけた探検の物語なのである。
たとえば・・・
「ネアンデルタール人は現生人類と交配したか?」
現生人類の一部がアフリカから出て西アジアに移住したその時期に、確かに、そこで出会ったネアンデルタール人との交配があった。 しかし、その後文化レベルの差が開いていくにつれて、交配することに抵抗を感じるようになった(サルとはセックスできない?) のではないかと推測されている。驚くべきことに、古代DNAの解析によって、ここまでわかるのであれば、生物の進化の研究において これはまことに有効なツールとなりうると言わねばならない。
「ルイ17世は生きていた?」
フランス革命により、母マリー・アントワネットが断頭台の露と消えた後、わずか7歳でタンブル塔に幽閉されたまま新国王に即位し、 2年後に不衛生な監禁状態の中で病死した。このルイ17世には替え玉説があり、実際、1833年にはドイツの時計職人ノンドルフが、 「私こそがルイ17世である」と名乗り出ることになるのだが、200年後の今、これが「偽物」であることを見事に証明してみせたのが、 「ミトコンドリア・イブ」で有名になった、母親からのみ子どもに伝わるミトコンドリアDNAの塩基配列の照合だったのである。
それでは、コハクのシロアリの話はどうなったのか?
この本の本当の読ませどころは、実はうまくいった結果だけを並べた成功物語ばかりではなくて、うまくいかなかった研究の中で、 科学者たちが遭遇した辛さや、危うさをも描き出してみせたところにある。
そう、『ジュラシック・パーク』の夢を追いかける冒険には、どうやら果てしのない続編があるようなのである。
なぜ昆虫は、あんなにいきいきとした姿でコハク中に保存されるのだろう。その答えは、昆虫が外骨格をもっているからだ。 いきいきとして見えるのは外側だけで、体の内部のやわらかい部分は、人間のミイラのように干からびて縮んでいるのである。
もちろんそうはいっても、コハクがDNAにとって理想的な保存条件をつくっていることは間違いない。ただ、コハク中に閉じ込められた 昆虫の体の中は、外側の姿ほどには、すばらしく保存されているわけではないのである。
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