徒然読書日記201111
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2011/11/20
「悪魔を思い出す娘たち」―よみがえる性的虐待の「記憶」― Lライト 柏書房
この辛い体験についてのわたしの感情はとても奇妙なものです。ときには元気になり、ときには落ちこみ、また、 まったく混乱してしまって、よその州へ引っ越して新しい友人とともに一からやりなおせればと、そうすれば、 誰もわたしの過去を知る必要がないのにと思うときもあります。夜は怖くて、たいがいひどい目にあいます。眠らずに、 パパが来るのを待っています。ぞっとします。将来セックスを楽しむことなんてできないでしょう。 とても痛くて、自分が汚らわしく感じられます。
「いや、まず第一に娘たちはわたしを知っている。こんなことで嘘をつくわけがない」。
ワシントンの美しき州都オリンピアの保安官事務所に勤めていた43歳のポール・イングラムは、 敬虔な原理主義教派のプロテスタントで、多くの住民から敬意を集める、いたって礼儀正しき警官だったのだが、 ある日突然、実の娘二人からの「幼いころから長きにわたって、性的虐待を受けていた」という告発により、職場の同僚たちから尋問を受ける。
「自分がそんなことをするとは思えない」が、「娘がやったと言っているのならやったかもしれない」。
やがてポールは、全く身に覚えのなかったはずの「虐待の記憶」を、詳細に「思い出す」ことになるのだった。
長い時間をかけて尋問が終了したとき、ポール・イングラムは、エリカが五歳のときから、娘たちの双方と幾度も性交を行なったことを自白して いた。さらに、次女ジェリーが十五歳のときに、彼女を妊娠させてしまい、近くの町シェルトンに堕胎のために連れていったことも認めた。
「おそらく娘のショーツかパジャマのズボンを脱がせたんだろう」、 「静かにしろ、このことは誰にもいうな、もししゃべったら殺すと脅したんだろうな」。
これらの供述は娘たちの告発と大筋で一致していたのだが、しかしそれはご覧の通り「おそらく・・・だろう」の連続で、 まるで、第三者の犯行を外部から眺めてでもいるかのように、加害者としての悔恨の念をまったくを欠いたものだったのである。
「幼児虐待」は、このところ頻発するようになったわが日本においても、もちろん大きな問題を孕んでいる事件なのではあるが、 キリスト教原理主義が大きな力をもつ米国においては、それはまた別の様相を呈する事件として、問題を浮かび上がらせてくることになる。
「子供のころ、性的虐待をうけたのね」とフランコはいった。エリカは黙って泣くだけで、答えることができなかった。 フランコには聖なるお告げがさらに下り、それは「父親がやった、何年も続いている」という内容だった。これを彼女が声に出していうと、 エリカはヒステリックに泣きだした。フランコは、主よ、彼女を癒したまえと祈った。
ポールの二人の娘たちが長い間の「抑圧」から解放され、自分たちの幼児虐待を受けた「記憶」を甦えらせることになったのは、 キリスト教原理主義派の「生命の水」教会における「心から心へ」という十代の娘たちのための修養会でのことであり、 そこには、神から病気治癒能力や霊的透視能力を賦与されたと信じているカーラ・フランコという女性がやってきて、 ありがたい「お告げ」を告げるという異様な雰囲気の中での出来事だったのである。
というわけで、この娘たちによる矛盾だらけの、首尾一貫しない「証言」以外、物的証拠は全く存在しなかったにもかかわらず 結局、最後には取り消されることになった「自白」のみが決め手となって、ポール・イングラムは懲役二十年の実刑判決を受け、 現在も服役中とのことなのだが、
獄中で穏やかに語られた、彼の現在の心境なるものを耳にすれば、世の父親たるもの、たとえ「お告げ」などなくったって、 同じ陥穽に陥る危険は意外に身近にあるのかもしれない。
「自分がよい父親でなかったのはわかっている。子供たちと一緒にいてやれなかったし、会話も十分にしてやれなかった。 もちろん、性的に虐待したことなどいちどもない。でも、感情面で虐待したんだ。認めたくないけれど、やはり認めないわけにはいかない。 子供というの位はとても繊細な生き物だ。・・・とにかく、子供たちには父親からの愛情が足りなかったのさ」。
2011/11/18
「日本は世界で第何位?」 岡崎大五 新潮新書
「床にスーツケースを開けて広げられないほど部屋が狭いのよ!」「日本人が小さいからって、わざと狭い部屋をあてがったりして」 「そりゃわたしたちは日本人だもの、たしかにうさぎ小屋に住んでいるけど、海外に来てまでこんな仕打ちはないんじゃないの?」 と挙げ句には、目に涙をいっぱいにためる中年のご婦人までがいた。
これは、海外旅行専門の添乗員をしていた著者が、ヨーロッパのホテルでちょくちょくもらったというクレームの話なのである。 ところが、よくよく調べてみると、
1位 アメリカ 162u
2位 ルクセンブルク 126
3位 スロベニア 114
というのが、「一軒あたりの平均床面積」の世界トップ3で、日本は95uで堂々の世界第5位。 何のことはない、フランス、ドイツなどのヨーロッパ主要国よりも、むしろ広いのだった。
では、どうして日本人は「うさぎ小屋」に住んでいる、なんて言われることになってしまったのか?
それは、ECが日本の報告書をつくった際に、フランス語で<日本人は「cage a lapins」に住んでいる>とあったのを、 英語に直訳(誤訳)してしまったからで、本当は、当時開発されていた高島平のような「都市型の巨大集合住宅」を意味する言葉だったのである ・・・なんて、
「ランキングデータを拾い集めてみたら、この国や世界の、意外な、あるいはなるほどといった姿がみえてきた。」 という著者が、拾い集めた約70項目のデータランキングによる、「世界ふしぎ発見」の旅・・・たとえば、
「日本は小さな国なのか?」
日本の国土面積は全世界193カ国中62位、もしヨーロッパにあれば7位に匹敵し、イギリス、イタリアはもちろん、統一ドイツよりも大きい。
「美人の多い国は?」
1位インド、2位ベネズエラ、3位アメリカで、日本は中国に次いで13位なるも、赤丸急上昇中。
「自殺が多いのは?」
男では1位リトアニア、2位ベラルーシ、3位ロシアと北方の国が多く、女では1位スリランカ、2位韓国、3位中国と東南アジアが多い。 日本は男10位、女6位とどちらも上位。
などなど、興味深いお話が目白押しなのである。さてさて、
1位 ギリシア 138
2位 クロアチア 134
3位 セルビアモンテネグロ 128 なのに対し、
日本は 45 で、調査対象41カ国中最下位というのは、一体何の数字でしょう?
答え→(
年間のセックス頻度だって!
)
2011/11/16
「古文の読解」 小西甚一 ちくま学芸文庫
てんで「実際の生活」を知らず、むやみに「ことばだけいじりまわす」勉強のしかたが、いわゆる古文の世界では、 たいへん有力なのではなかろうか。そこで、わたくしは、古文の勉強を、平安時代の生活から始めることにした。
「家の造りやうは、夏をむねとすべし。冬は、いかなる所にも住まる。暑きころ、わろき住まひは、たへがたきことなり。」(徒然草・第五五段)
という兼好の説を、まさに裏付けるかのような『寝殿づくり』のお話に始まって、 平安時代の「衣」「食」「住」や「時制」の話、「祝い事」や「あそび」「お祈り」の話を一巡り聞いてさえおけば、 むかしの人たちが、こんなふうの知識をもち、こんなふうに考えて、このような暮らしをしていたということもわかるだろうし、
原文で『源氏物語』を読むことは、いくらか骨が折れる。それは、おもに文章の面からいっての話だが、そのほかに、 さきほどの「美しい」と beautiful のような問題、すなわち感じかたの差があって、そこを適切に理解できないため、語学的にはわかっても、 全体として何が述べられているのか、さっぱり要領を得ない――という現象がおこるのである。
といった問題にしたところで、
「よろづの事を泣く泣く契り宣はすれど、御いらへもえ聞こえたまはず。」(『源氏物語・桐壺』)
と「泣く」や「涙」を頻発する紫式部が、感情的・主体的な「あはれ」的文芸であるのに対し、
「世にありとある人は、みな、姿・かたち・心殊につくろひ、君をも我をも祝ひなどしたる、様異にをかし。」(『枕冊子・第三段』)
といろいろな出来事に関する好奇心を露わにする清少納言は、理性的・観察的な「をかし」的文芸であるなどと、 むかしの人がどんな「考えかた」をし、どんな「感じかた」をしたかについて知ってさえおけば、 古文の理解をグンと深めてくれるに違いないというのだった。
そして、ここまでくれば、もう大丈夫、いよいよ「本論」というわけで、
第3章は、古文世界のジャンルと文学史について、
第4章は、単語と文法と敬語について、
第5章は、過去の入試問題を例にとっての解釈のテクニックについて・・・
というわけで、この本はつまり、いわゆる「学習参考書」なのであるが、 ことほど左様に、単なる受験テクニックを教えるようなありきたりの参考書などではなくて、 「古文を読む愉しみ」という奥の深い世界のほんの入り口を、覗かせてくれる、これは頗るつきの名著なのである。
こんな面白い本が学生時代にあったなら、古文もっと勉強してたのになぁ・・・と思ったら、
え?これって、昭和37年初版の「受験参考書」の定番の復刊だったの?
この本をお読みになる諸君は、大学の入試を気にしていられるだろう。気にするなと言うほうが無理だから、わたくしは、 入試で合格点の取れる古文学習を紹介しようとする。しかし、それは、合格点を取る要領であって、満点を取る方法ではない。 よく考えてみたまえ。満点なんて、取ってみたところでどれだけの使い道があるか。合格さえすれば、あとは自分の専門で、 のびのびと成長してくれたまえ。点数などにビクビクしているようでは、とても二十一世紀の日本を背負う人材にはなれない。 が、合格しなくては、こまる。そこで、合格できるだけの点は確保する――というのが、わたくしのねらいなのである。
2011/11/14
「普通の家族がいちばん怖い」―徹底調査!破滅する日本の食卓― 岩村暢子 新潮社
サンタ人形が背負っている袋の中には、この家の子供たちが自分の欲しいものを書いた、サンタ宛の手紙が入っているそうだ。 だから「サンタさんが手紙に気づいてくれるように、人形は窓辺のカーテンの外側に飾るようにしているんです」と、 主婦は子供たちのために細やかな心遣いまでしている。
「クリスマスが近づくと、窓辺にツリーやサンタ人形をたくさん飾ることにしている」
と得意気に語る主婦(44歳)の家で、サンタクロースにプレゼントを貰おうと一生懸命に手紙を書いている二人の男の子は、 もちろん、可愛いお孫さんたち・・・ではなくて、なんと18歳の高校生と14歳の中学生だというのである。
「中高生くらいになると現実感が出てきて信じなくなっちゃう子も多いみたいですけど、サンタクロースを信じてるうちは、 ウチの子大丈夫だって、私は思ってるんです」(別の41歳の主婦)
だから、たとえばイヴの日には近所の人に鍵を預けて頼みさえしてまでも、子供たちがいつまでもサンタクロースを信じ続けているようにと、 涙ぐましいほどの演出や工夫を凝らす。
実はいま、中高生になっても、サンタクロースからプレゼントを貰っている子供たちが、急増しているというのだった。
「いま、ごく普通の家庭の日常の食卓は、想像を絶するほど凄まじく崩れ、激変している」ことを、あからさまに示してみせてくれた、
「変わる家族 変わる食卓」
(勁草書房)
そこで紹介された「食卓の作り手である現代主婦」の「本当の母親」に『親の顔が見てみたい!』とばかりに詳細な個別面接調査を試みた、
「<現代家族>の誕生」
(勁草書房)
この「あなたねぇ、言ってることと、やってることが、全然違うじゃないの」とでも言うような、いささか意地の悪い調査「食DRIVE」 (@アサツーディケイ)が、満を持して第3弾のテーマとして選んだのが、「クリスマス」の飾り付けと「お正月」の御節料理だった。
「袋入りのロールパン、菓子パン、シリアル、インスタントコーヒー、みかん」などが無造作に放り出されている。この家の主婦(41歳) に聞けば「これはみんな各自(子供11歳・9歳)勝手に起きて、バラバラに食べたものなんです」と言う。
「クリスマス気分を味わいたいから」と、11月になるやいなや、待ち切れなかったとばかりに、イルミネーションやら飾り付けやらに、 せっせと精をだす、そんな彼女たちが、「普段から家族で食卓を囲む習慣がこの家にはない」ので、 「お正月だからといって食卓に御節料理が並ぶことはない」と言う。
「だってお正月はいつも両方の実家を掛け持ちで回りますから・・・」
つまりこれが、現代の日本の普通の家族の、お正月の食卓の風景なのである。
しかし、この調査が本当に「怖い」のは、実はそんなことではなくて、これもこの調査ではいつものことなのではあるが、 「義母任せで私は食べるだけよ」と悪びれることもなく語っている、その当の主婦が、
「私は日本の風習をきちんと子供に伝えて残していきたいと思っているので、御節料理も大事だと思っています。・・・そういうきちんとした (伝統行事の)けじめ(しきたりのことか?)を子供に伝えていくには口で言っただけでは伝わらないから、親の私が自分で作って、 きちんと見せて体感させておかないと。それが親の役目だと私は思っています」
と、事前のインタビューには照れることもなく、しかも実に堂々と「正論」で答えていたことにある。
もちろん、彼女は見栄を張って嘘を吐いていたわけではない。
ただ、問われれば「正解」を答えねばならないように、育てられてきたということなのだろう。
2011/11/7
「<狐>が選んだ入門書」 山村修 ちくま新書
ヘーゲルならヘーゲルの思想が、どこかたいへん高いところにあって、私たち一般の読者にはなかなか手が届かない。 そこで、ヘーゲル思想をくわしく研究している人が、読者のために階段をつくってあげる。読者は、その階段を一段でも二段でも上へとのぼる。 あるいはヘーゲルのほうが二段か三段か下に降りてくる。
そんな、ヘーゲルの原典を読むための手段とするような本は、たとえ題名が『ヘーゲル入門』であろうとも、それは「入門書」ではなくて、 「手引書」と呼ぶべきものだというのである。たとえ一般の読者向きに、あくまで平明な文章でつらぬかれた本であろうとも、 何か高みにあるものをめざすための手助けとしての「階段」として書かれた本ではなくて、 (もしも「階段」そのものがそれだけで美しく、かつ堅牢につくられていれば、別ではあるが・・・)
そうではなく、むしろそれ自体、一個の作品である。ある分野を学ぶための補助としてあるのではなく、その本そのものに、 すでに一つの文章世界が自律的に開かれている。思いがけない発見にみち、読書のよろこびにみちている。私が究極の読みものというとき、 それはそのような本を指しています。
「そのようにいえる本が、さがしてみれば、じつは入門書のなかに存外に多いのです。」
という、今は亡き名書評子<狐>が選りすぐってくれた入門書が25冊。
たとえば・・・
三省堂国語辞典の最後の項「んんん」から、小津映画「麦秋」における原節子の「んんん」の記憶を呼び覚まされ、 その語釈に胸を打たれたという、
武藤康史『国語辞典の名語釈』(三省堂)
「千曲川旅情の歌」という手垢のついた作品を題材に、母音の対称性という音韻効果の微妙さが島崎藤村の「比類ない魅力」の一つであることを、 あたかも調律師のごとく指で指し示して見せる、
三好達治『詩を読む人のために』(岩波文庫)
1206年の春、モンゴルの草原で、多くの遊牧民の代表たちが各自の旗をなびかせつつ、テムジンという首領を自分たちの最高指導者に選挙した日、 「これがモンゴル帝国の建国であり、また、世界史の誕生の瞬間でもあった」と、歴史の見かたをガラリと転回させてくれるのは、
岡田英弘『世界史の誕生』(ちくま文庫)
「夢の世界に遊ぶということを知らない」砂漠の民ベドウィンの、現実の世界から一歩たりとも外へ踏み出すことを頑として承知しない という特性につながっているのが、個々の語彙がひたすらに巨大な集塊をなした難解なアラビア語なのであり、 それが「実に生々しいまでに感覚的」な目に見えるような一神教の神を描いた聖典『コーラン』を生んだのだというのは、
井筒俊彦『イスラーム生誕』(中公文庫)
「まず結論をいっておくと、レオナルド・ダ・ヴィンチは無神論者です」と度肝をを抜いておきながら、まるで倒叙法で書かれたミステリのように、 「神のいない宇宙観」が描きこまれている「モナ・リザ」を学問的に跡づけてみせる、
若桑みどり『イメージを読む』(ちくま学芸文庫)
ほらね。あなたも、今すぐ本屋さんへ走って行きたくなったでしょ。
2011/11/6
「ごく平凡な記憶力の私が1年で全米記憶力チャンピオンになれた理由」 Jフォア エクスナレッジ
「いや、僕には特殊な才能などないよ」と、彼はクスクス笑って言った。
「それじゃ、映像記憶ができるのですか」と聞くと、彼はまた笑ってこう答えた。「映像記憶なんてのは忌まわしい作り話だよ。 そんなものは存在しない。実のところ、僕の記憶力はごく平均的なものなんだ。ここに来ている挑戦者もみんなそうだよ」
彼が252個の数字をあたかも自宅の電話番号であるかのようにすらすらと暗唱した様子を目の当たりにした私には、 にわかに信じがたい話に思えた。
1.未発表の50行の詩を15分間で
2.99人の顔写真と姓名を15分間で
3.ランダムに並んだ300の単語を15分間で
4.ランダムに並んだ1000個の数字を5分間で
5.1組のトランプの順番を5分間で
できるだけたくさん「記憶」する。5つの種目で競われた2005年の「全米記憶力選手権」を取材していたフリージャーナリストの ジョシュア・フォアは、
「いいかい、平均的な記憶力でも、正しく使えば驚くほどの力を発揮するんだ」
というイギリスの若き「グランド・マスター」(それは1000個の数字列と10組のトランプの並びをともに1時間以内に、 さらにトランプ1組は2分以下で完璧に記憶できた者にのみ与えられる称号なのである)、その日、偶然会場に来ていたエド・クックの 言葉に触発されて、その教えを受けながら、1年後の選手権に挑戦してみようと決意する。
基本となるテクニックは「記憶の宮殿」。
頭の中によく知っていて想像しやすい空間を思い描き、ある場所から次の場所へと順路に添って、記憶したいモノのイメージを置いていく。 それは、古代ギリシアの詩人ケオスのシモニデスに起源を持つという、まことに由緒正しき「記憶術」なのだった。
様々な「記憶術」の詳細な解説と、そんな技術を習得しながら、選手権への準備を進めていく著者の格闘の日々が描かれていく中で、
「忘れることができない」ロシアのシィー (
『偉大な記憶力の物語』
)や、 「驚異的な記憶力のサヴァン」ダニエル・タメット (
『僕には数字が風景に見える』
) などへの取材も交えながら、「記憶」ということの本質に迫ろうとする旅は、まさに読み応え十分というものだ。
そしていよいよ、2006年の「全米記憶力選手権」開幕の日。
ジョシュが用意した「決め技」は、3枚のトランプを1つのイメージに圧縮するという、アメリカでは誰も使っていない、 ヨーロッパ仕込みの「秘密兵器」だった。この本の原題にある通り、ジョシュは見事に、"Moonwalking with Einstein." したのである。
兄のベッドルームには、ベネディクト16世の法王帽に放尿している友人のベン(ダイヤの10、クラブの2、ダイヤの6)、 玄関のランボルギーニのフードの上には、出血して仰向けに倒れているジェリー・サインフェルド(ハートの5、ダイヤのエース、ハートのジャック)、 両親の寝室のドアの下にはアインシュタインとムーンウォークする私(スペードの4、ハートのキング、ダイヤの3)
2011/11/2
「九月が永遠に続けば」 沼田まほかる 新潮社
たちまちあの異様な姿が脳裡に浮かび上がってきた。汚れた患者用ガウンを着て、病室の壁際の椅子にしどけなく腰掛けている。 目も口もない。顔のかわりに痩せた肩の上にのっているのは、汗と脂で捩れ縺れた黒髪の塊だ。まるで、気味の悪い鳥の巣を頭からすっぽりと 被っているように見える。髪の垂れ幕は、口元から喉にかけて唾液でベットリ肌に張り付いている。あの臭気。あのひっきりなしのうめき声。 そして不潔な髪の左右に小さく突き出ていた、あの真っ白な蘭の花のような耳。
忌まわしい過去を持つ患者・亜沙実を妊娠させてしまった精神科医の夫・雄一郎が、その責任を取って彼女との再婚を決意したため、 離婚された妻の佐知子は、その八年後、亜沙実の娘・冬子の恋人と偶然出会い、導かれるように関係を持つようになっていたのだが、 そんなある日、佐知子の高校生の息子・文彦が、深夜、母に頼まれた生ゴミを捨てに行ったきり戻って来なくなる。
駅のホームで事故死した佐知子の愛人。亜沙実の娘・冬子の服毒自殺。その後、佐知子の周りで立て続けに発生することとなる事件は、 果たして冬彦の失踪と関係しているのか。
執拗な聞き込み調査を続ける中で、秘められていたはずの真実が、その醜悪な顔を覗かせることになるのだった。
締め上げた喉をコクッと鳴らして唾を飲み、すぐにまた続ける。何かに追い立てられるように話すことを止められなくなっている。 「ママの体はパパと一緒に動いていた。私はそこから動けなくて、何も感じなくて、ただ膝がすごく震えてた。それからあれが見えた。 パパが両手を床について上半身をママから話したとき、はじめてあれが見えたの。四角い真っ黒い袋・・・」
「なんですって!」
「黒い枕カバーみたいな布がママの頭にすっぽり被せてあったの」
2004年の第5回「ホラーサスペンス」大賞受賞作品。
というだけあって、ご紹介したとおりのグロテスクなまでにえげつない描写も満載なのではあるが・・・ だからといって、炸裂する「まほかる」ワールドの言葉の罠に、決して騙されてはいけない。
「ホラー」として期待される、心も凍りつくような場面は、ほぼ一貫して佐知子の脳内で想像的に展開されるだけなのだし、 「サスペンス」として要求される、不可解な事態の進行は、意外にあっさりと白状されて、落ち着くところに落ち着くわけで、これはむしろ、
それらとは全く別の場所で育まれていった、「純愛」をこそ描いた作品というべき代物なのだった。
「買い物帰りみたいで、デパートの紙袋持ってた。その人、懐かしそうに俺のこと見てた。少し笑いながら、優しい、なんていうか、 ・・・ナマの顔になって、我を忘れたみたいに見てるんだ」
「ナマの顔・・・」
「バリアが全部はずれたみたいな顔だよ。そんな顔しちゃダメだって言いたくなるような顔だよ」
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