徒然読書日記201107
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2011/7/31
「太閤暗殺」 岡田秀文 光文社
――いったい、おぬしは、だれのおかげで、ここにこうしていられると思っているのだ。叔父である自分が位人臣を極める一大出世を したればこそ、転がり込んだ関白の座ではないか。秀吉なくば、いまでもおぬしの一家は尾張中村で土にまみれて百姓をしておったはずだ。 なにも領地を返上せよといっているのではない。関白の位をお拾に譲ると、ひとこと約束してくれるだけでよいのだ。なぜ、それが言えぬ。
胸ぐらをつかんで、そう質したい気持ちを、秀吉はかろうじてこらえた。
早世した鶴松の後、ようやく授かった我が子・お拾への溺愛が、実の甥である関白秀次の存在を疎ましいものにさせている。
危機感を抱いた秀次の側近・木村常陸介は、捕らえられすでに釜茹でにされたはずの大盗賊・石川五右衛門と密かに連絡を図り、 太閤の暗殺を依頼する。
しかし、事前にそれを察知した秀吉の側近・石田三成と前田玄以は、これこそ逆に秀次を追い落とすための絶好の機会と捉えて、 秀次謀反の証拠を掴むべく動き始めていた。
2001年度、第5回日本ミステリー文学大賞新人賞受賞作。
重圧による不安から、次第に壊れていく秀次を必死に支えようとする木村常陸介と、 老いによる衰えの色が隠せない秀吉の後継者として、お拾(後の秀頼)を担ぐことが豊臣政権の安泰につながると考える三成との、 攻守所を変えながらの、虚々実々の駆け引きが繰り広げられる中で、 前田玄以らによる必死の探索の網目を際どくかいくぐりながら、五右衛門一味は、太閤暗殺のための準備を進めていくのだった。
ここらあたりまでは、ある程度史実に基づきながらも、スリルとアクションに満ちた本格時代小説といった趣なのであるが、
三成はたったいま、目の前で起きた光景を信じられない思いで見つめた。
――太閤殿下が殺された。
その圧倒的な事実を前に、島左近も、小姓も、その場に凍りついたように動かない、冷徹な三成の思考回路が一瞬、火を噴き真っ白になった。
警戒厳重なる伏見城に潜入した五右衛門は、なぜか太閤暗殺阻止に自信満々だった三成の、その「罠」を掻い潜り、 三成の目の前で、太閤の皺首を掻き切ることに成功したのだったが・・・
注意!!(ここから少しだけネタバレです。)
柱の陰に身を潜めながら、五右衛門の腕の中で老人が痙攣しながら息絶えるのを、食い入るように見つめている、人物の恍惚の表情を、 玄以は目撃してしまったのだった。
釜茹でになったはずの五右衛門が脱獄できたのはなぜなのか?
三成の罠はなぜかくも容易に突破されたしまったのか?
太閤暗殺を五右衛門に命じたのは本当は誰だったのか?
これはまさしく「本格ミステリー」の名に恥じない逸品なのである。
秀吉は自分の心の弱みを知り抜いていた。身内に対し異常なまでに愛情を注ぐという弱点を。
秀次も秀吉にとっては可愛い甥なのだ。赤子の時この手に抱いた軟らかな感触はいまも記憶に残っているし、乗馬もみずから教え、 一軍を指揮する心得も説き、家政への助言も事細かに行ってきた。まさにわが子同然に慈しみ育ててきたのである。
その秀次を殺すことが、はたして自分にできるだろうか。
2011/7/29
「千鶴子には見えていた!」 竹内久美子 文藝春秋
明治42(1909)年、東京帝大の助教授、福来友吉(心理学)は、人体内部を透視し、医師の診断の手伝いをしているという、 熊本在住の御船千鶴子の存在を知ります。翌年2月、彼女に郵送による透視の実験を行いました。名刺を何枚かの紙で被い、 所々にスズ箔を貼り付けるなどする。むろん厳重に封印し、中に名刺を入れないというフェイントもかけた。
その結果は、7つのうち3つが完全的中という驚くべきもので、
「千鶴子の透視は本物である」
と確信した福来は、千鶴子を東京へ呼び、当代随一の学者たちの前で透視実験を行うのだが、 些細な手違いが疑惑を生んで、新聞などからバッシングを浴びることになった千鶴子は自殺に追い込まれてしまう。
というのが、
本書の副題ともなった『透視は、あっても不思議はない』という話題の中で取り上げられた、比較的有名な史実なのであるが、
実はこれは、
問「動物にはテレパシーが存在すると思うのですが、どうでしょうか?」(56歳、男)
答「ご質問の方ネコに対して、仲良くしようという表情を現していたか、何か友好的な信号を発していたのでしょう。」
「そんなものは、テレパシーではありません!」
という、まことに他愛もない問答から、大きく脱線してたどり着いたお話だったのである。
題名に釣られて買ってしまった人は、申し訳ありませんが『透視も念写も事実である』(寺沢龍 草思社)などを買い直してください。
というわけで、この本には、
「人間とゴリラの間に子どもは生まれる?」
「自分のペニスを自分に挿入!?」
「ゴキブリは『女性上位』の『後背位』」
「男はつらいよ○○の大きさで勝負が決まる」
「イヌは見た目が9割!」
「去勢されたウマが障害競争に強いわけ」などなど、
知らなくったってどうってこともないが、知っているとちょっと嬉しい「生き物」の話題が50以上。
もちろん、やたら「下ネタ」が多いのが、動物行動学者・竹内先生の真骨頂なのである。
2011/7/18
「メイスン&ディクスン」 Tピンチョン 新潮社
「是非とも知りたいんだ、」メイスンの上ずった囁きは、疑念に苛まれた恋人の口調。「――君には魂があるのかね、――つまり、 君は人間精神なのか、人間精神が犬として生まれ変わったのか?」
博学英国犬、the Learned English Dog、略してLEDは目をぱちくりさせ、ぶるっと身震いし、諦めたように頷く。
「そのことは今までにもさんざん訊かれましたよ。日本列島から帰ってきた旅人達によれば、彼方には公案とかいう宗教的難問があるそうで、 うち一番有名なのが、正に今お訊ねになった奴ですよ、――犬には聖なる仏陀の本性があるのか否か。一人のこの上なく賢い師による答えは 『ム!』だそうで。」
ム、ム、ム・・・
18世紀後半、独立寸前のアメリカ大陸では、植民地同士の境界争いが勃発していた。
この新大陸に「線を引く」ために、イギリスから派遣されることになったのは、 天文学者のチャールズ・メイスンと、測量士のジェレマイア・ディクスン。
ペンシルベニアとメリーランドとの境目に、広大な森を切り開きながら、彼らが引いた幅8ヤードの直線こそが、 アメリカ大陸を南部と北部に切り分けると同時に、奴隷制度の有無を争う南北戦争の舞台ともなった、
「メイスン―ディクスン線」。
これは現在の米国地図を見てもお分かりのように、れっきとした史実なのではあるが・・・
亡くなった妻の亡霊をいまだに追い求める、いささか鬱気味で愚痴っぽいメイスンと、 酒好き、女好きで、好奇心に充ち溢れ、一言多いお調子者のディクスンという脱線迷コンビが、その珍道中の途中に出くわすのは、
グラスハーモニカのショーに興ずるフランクリンなどといった「アメリカ建国の父」たちが、晴舞台にデビューする前の怪しげな姿だけには とどまらず、「人造鴨」や「痺エイ」、謎の中国人風水師などなどが、入れ替わり立ち替わりに登場してきて、奇想妄想のイリュージョンの ような世界を繰り広げるのであれば、
訳知り顔の犬が出てきて「禅の悟り」の境地についての蘊蓄を語り始めたところで、それほど驚くには当たらないのだし、
奇想の天才・ピンチョンが、綴りも文法もすべて18世紀の「当時の英語」を用いて、20年もかけて書き上げたというこの摩訶不思議な怪作を、 これまた異能の翻訳家・柴田元幸が、安易な意訳に逃れることなく、実に10年もの月日を投じて、原文の意図に忠実なる日本語に 置き換えて見せた偉業なのであれば、
平凡非才なる暇人が、中身を堪能するなどとてもとても、どうにかこうにか通読するだけで、2カ月以上も要したことなど、
「当たり前田のクラッカー」なのである。
2011/7/15
「何も起こりはしなかった」−劇の言葉、政治の言葉― Hピンター 集英社新書
これは才気溢れる戦略です。人々が頭を使って考えるのを防ぐために、現に言葉が使われているのです。 「アメリカ国民」という言い方は、安心感という深々としたクッションとなってくれるのです。頭を使う必要はありません。 ただクッションにもたれかかったらいいのです。このクッションは知性や批判精神を窒息させているかもしれませんが、ひどく快適ではあります。 もちろんこの事実は、貧困線(最低限度の生活を維持するのに必要な所得水準)以下の生活をしている四千万の人々や、 アメリカ全土にひろがる巨大な牢獄の網に閉じこめられている二百万人の男女には当てはまりません。
「私はアメリカ国民に言いたい、今は祈りを捧げ、アメリカ国民の権利を護る時なのです。そして私はアメリカ国民に求めたいのです、 大統領がアメリカ国民のためにとろうとしている行動について大統領を信じてくれるように」
というのは、
2005年当時のブッシュ大統領が実際に行った演説の一部・・・ではなくて、
英国を代表する劇作家ハロルド・ピンターが、痛烈な皮肉を込めて揶揄し、脚色して見せた、アメリカ大統領なるものの「台詞」なのだった、
政治家たちが使う政治の言葉がこういう領域(引用者注:リアリティを追及しようとする藝術)に介入することはけっしてありません。 なぜなら、私たちが得られる証拠から判断する限り、大多数の政治家の関心は、真実ではなくて、権力とその権力を保持することとにあるからです。 この権力を保持するために不可欠なのは、大衆が無知でいること、真実について、自らの生命に関わる真実についてさえ、 大衆が無知でいることなのです。そういうわけで、私たちを取り囲んでいるのは、巨大な嘘の綴れ織り(タペストリー)なのであって、 私たちはそれを糧にして生きているのです。
だからこそ、
インドネシア、ギリシア、ウルグアイ、ブラジル、パラグアイ、ハイチ、トルコ、フィリピン、グアテマラ、エルサルバドル、 そしてチリと、第二次世界大戦後、世界中のあらゆる右翼軍事独裁政権を誕生させんがために、アメリカが支持してきた外交政策によって、 何十万もの人たちが犠牲になったことも、
アメリカのイラク侵攻を正当化する理由となった、サダム・フセインの大量破壊兵器の保有が真実ではなく、 イラクはアルカイダとつながりがあり、9・11の惨事について部分的に責任があるというのが嘘であったということすらも・・・
そんなことは起こらなかった、何も起こりはしなかったのです。実際に起こっていた時にも、それは起こってはいなかったのです。 それはどうでもよかったし、興味の持てるものでもありませんでした。アメリカ合衆国の犯罪は、系統的で恒常的で邪悪で容赦のないものでしたが、 実際にそれを問題にしたひとはほとんどいません。アメリカには脱帽せねばなりません。それは普遍的な善の味方を装いながら、 世界的規模において権力をきわめて冷徹に行使してきたのです。それは明敏な、機知さえ感じられるほどの催眠行為で、 みごとな成功を収めています。
そして、驚くべきことに、
アメリカの外交政策を、時にユーモアも交えておちょくるかのように、激しく批判するこれらの言葉は、 真実を伝えるべき言葉が、むしろ真実を隠すために使われている、政治の言葉を例にとりながら、
自由や人権がこれほど危機的な状況に追い込まれているにもかかわらず、なすすべもなく空洞化している人間の言葉というものに対する 深い懸念を抱くピンターの、
「ノーベル文学賞受賞記念講演」のものなのだった。
2011/7/8
「伊藤計劃記録」 伊藤計劃 早川書房
雀部 かまわなければ、“伊藤計劃”というペンネームの由来をお聞かせください。Jコレの著者名が“Project Itoh”と 書かれているんで、“伊藤計画”であろうことは想像が付くのですが。
伊藤 はてなダイアリーのblogを書き始める前からWEBサイトをやっていたのですが、そのときにつけたハンドルです。自分自身を計画する、 というか、若かったので、なんかやってやろう、という野望の反映だったのでしょう。 「劃」の字が古いのは、香港映画とかでそう書かれているのが印象的だったからです。ジャッキー・チェンの「A計劃(プロジェクトA)」とか。
(『Anima Solaris』著者インタビュー)
2007年6月、作家デビュー作の『虐殺器官』で「ベストSF2007」に輝いた伊藤は、 2009年3月、オリジナル長編第2作となる『ハーモニー』で、早々と第30回日本SF大賞を獲得することになる。
この本は、「エンターテインメント小説の在り方を変えた」と評される、そんな「天才SF作家」の、中編2作やエッセイ、対談、 インタビューの記録などと、作家デビュー以前に個人サイトで発表していた膨大な映画評からの抜粋を集めたものなのである。
「面白い映画を面白かった、という。」
ことを基本的な戦略としているという、そしてどの映画も確かに面白そうに思えてくるという意味で、その戦略は見事に成功を収めてはいるのだが、 冒頭に掲げられた短編2作に対する評価は棚上げにしておいて、その映画評を読んでみたかぎりでは、
これはどうやら、「伊藤好み」とでも呼ばねばならないような世界が存在していて、 伊藤はそこでは、千利休のような「宗匠」として、あるいは浜崎あゆみのような「教祖」として、君臨しているかのようだ。
つまり、
『虐殺器官』も『ハーモニー』も読んでいないような私のような部外者には、口出ししてはいけないような雰囲気が濃厚なのである。
伊藤計劃、
2009年3月没、
享年34歳。
実質2年に満たない作家生活の中で、これが伊藤がこの世に残した「記録」のすべてなのだった。
そしてわたしは作家として、いまここに記しているようにわたし自身のフィクションを語る。 この物語があなたの記憶に残るかどうかはわからない。しかし、わたしはその可能性に賭けていまこの文章を書いている。
これがわたし。
これがわたしというフィクション。
わたしはあなたの身体に宿りたい。
あなたの口によって更に他者に語り継がれたい。
(『人という物語』)
2011/7/7
「字幕屋は銀幕の片隅で日本語が変だと叫ぶ」 太田直子 光文社新書
字幕と吹き替えでは文字数の制限がまるでちがう。制限が緩やかな吹き替えなら、せりふの内容をほぼそのまま伝えられるときも、 字幕ではその半分か三分の一くらいに文章を縮めなければならないことがままある。たとえば・・・(中略)
吹き替え版「なぜもっと前にそれをいわなかったんだ?」
字 幕 版「なぜ黙ってた?」
このくらいまでは、比較的たやすい。しかし、ただ縮めるだけではうまくいかないこともしょっちゅうある。字幕屋は脳みそをフル回転させ、 なんとかして窮地を脱しようと七転八倒する。
たとえば、むっつり黙りこむ女に、男が問いかけるシーン。
男「どうしたんだ」(6文字)
女「あなたが私を落ち込ませてるのよ」(15文字)
男「僕が君に何かしたか」(9文字)
すべてのせりふに「5文字以内」という字数制限を課されたら、どう短縮すればよいのか?
男「
不機嫌だな
」
女「
おかげでね
」
男「
僕のせい?
」(ドラッグすると答えが出ます)
苦肉の策とはいえ、さすがに見事なものであるが、なぜこのような苦労をしなければならないかといえば、
映画の字幕翻訳は、本などの普通の翻訳と大きく違う。俳優がしゃべっている時間内しか翻訳文を画面に出せないので、 せりふの内容をコンパクトにまとめる必要があるのだ。そうしないと読み終える前に画面から文章が消えてしまい、 観客はストーリーを把握できなくなってしまう。いうなれば字幕は、「要約翻訳」なのである。
どの程度要約するかは、せりふの時間の長さによって決まる。
「1秒のせりふ=4文字以内」を原則として、ひとつひとつのせりふの長さに応じた「要約翻訳文」をつくっているというのだった。
そんなわけで、
映画のクライマックス。死を決意した兄がかわいがっていた妹との別れ際に、死の決意を隠したまま「バイバイ」と言い、少し間を置いてもう一度、 思いを込めて「グッバイ」というシーン。
従来なら、聞けばわかるようなせりふにいちいち付けない字幕を、きわめて重要で印象的なシーンだからと、
「バイバイ」、「さよなら」
と入れてみたにもかかわらず、配給会社から来た書き換えの注文は、
「『僕の大切な妹』『さよなら』という字幕にしてください。ここは泣かせどころですから」
かくして、今日も『字幕屋は銀幕の片隅で日本語が変だと叫ぶ』ことになるのだった。
なるほど。これじゃあ、酒量も上がるわなぁ。
どこに「僕」という単語がある?
どこに「大切な」という単語がある?
どこに「妹」という単語がある?
「バイバイ」は「バイバイ」だろう。甘ったるいせりふにすりかえるより、今生の別れなのに「バイバイ」としか言えない 兄のつらい心情や微妙な表情をこそ読み取るべきではないのか。そこまで介入する必要がどこにある。
2011/7/6
「悪魔のささやき」 加賀乙彦 集英社新書
ものの考え方がふわふわとして、とりとめがない。中心もなく、方向性もなく、緊張感もなく、平和で豊かな日常のなかで、 毎日ぼんやりと漂うように過ごしている。だからこそ、ちょっとしたことで――何か困った事態に遭遇したとか、強い刺激だとか、 誰かの声高な主張だとか、時代の風潮だとか、そういったものをきっかけにとんでもない方向に向かって暴走しかねない。
最近の日本人の意識は、まさにそのような状態にあり、それこそは、「悪魔のささやき」に簡単につけこまれてしまうような、 危険な状態なのだとおっしゃるのだが、
「どうしてあんなことをしたのか、自分でもわからない。なんだか自分ではない者の意志によって動かされたような気がする。 本当に、悪魔にささやかれたとしか思えません」なんて、聞いたような文句を、
あるときは、自殺を図り一命をとりとめた人々の口から、
また、あるときは、人を殺し判決を待つ未決囚の口から、
1954年の春に精神科医として第一歩を踏み出して以来、これまでに幾度となく耳にしてきた、という作家の口から、 そのような警鐘を告げられれば、
こいつは単なる他人事などではなく、いつ自分の身の上に起こってもおかしくはないことなのではあるまいかと、 身を引き締めて聴かねばなるまいという気にもなろうというものなのである。
「いえ、私は別に死ぬ気なんてなかったんですよ。発注ミスをした部下と一緒に取引先に謝りに行ってペコペコ頭下げて、 会社に戻ったら上司に嫌み言われて、明日提出しなきゃいけない書類があったんで残業して。で、なんだかひどく疲れちゃったもんだから、 帰り道にある歩道橋の上でぼんやり車が通るのを眺めていたんです。もう女房は寝てんだろうなぁ、今日も残りものチンして一人で食べんのか。 そういえば最近、うまいもの食ってねえなぁ。いいことなんかなんもないもんなぁ・・・そんなことを考えているうちに、 なんだか生きててもしょうがないような気がして、次の瞬間には歩道橋の手すりを乗り越えていました。自分の意志で飛びおりたというより、 操り人形みたいに誰かに動かされてるような感じでした」
危ない、危ない。
ひょっとして、いま、あなたも飛び降りたくなったりしませんでしたか?
そんな「悪魔のささやき」につけこまれないためには、
1 自分の目の前、身の周りだけに関心をとどめてしまわず、視界を三百六十度に広げ、できるだけ遠くまで見はるかすこと。
2 世界の代表的な宗教について知ること、とくにその経典に目を通すこと。(オウム真理教は若者たちの宗教知識の欠如に付け込んだ。)
3 死について知ること、考えること。(リセット不可能な本物の死というものの怖さが薄れると、他人を思いやれないゆとりのなさが、 簡単に悪魔を呼び込んでしまう。)
4 自分の頭で考える習慣をつけること。
情報や刺激が氾濫するなかで、私たちは一番大切なこと、自分自身の内面を見つめ、個人としての成長を重んじることを忘れてしまったのです。 自分の考えではなく、意識の辺縁に入ってくる無数の情報に動かされて、いつの間にか自分で物事を考え、自分とはなにかと反省し、 自分の好きな道を見つけ、個人として生きていくことを、ないがしろにしてきました。悪魔はそういうあなたに、ささやくのです。
2011/7/4
「論語と算盤」 渋沢栄一 ちくま新書
『論語』には、おのれを修めて、人と交わるための日常の教えが説いてある。『論語』はもっとも欠点の少ない教訓であるが、 この『論語』で商売はできないか、と考えた。そしてわたしは、『論語』の教訓に従って商売し、経済活動をしていくことができる と思い至ったのである。
「これからは、いよいよわずかな利益を上げながら、社会で生きていかなければならない。そこでは志をいかに持つべきなのだろう」
武蔵国(今の埼玉県)の豪農の家に生まれ、水戸学の影響から尊王攘夷の志士として活躍していたにもかかわらず、 なぜか一橋家の家臣に転身して幕臣となり、フランス万博に招待された徳川将軍家の随行員として渡仏中に、大政奉還によって後ろ盾を失い 緊急帰国、今度は明治新政府からその経歴を買われて大蔵省に入省、租税制度の改正や貨幣制度の改革に辣腕を揮った。
そんな渋沢が、野に下ることになったのは、財政規律を欠いた支出を強引に推し進めようとする大久保利通ら政府主流とのそりが合わなかった こともあったには違いないが、
当時のわが国は政治でも教育でも、着々と改善していくべき必要があった。しかしなかでもわが日本は、商売がもっとも振るわなかった。 これを振興していかないと、日本は豊かになっていくことができない。これは何としても、他の方面と同時に商売を進行させなければならない、 と考えたのだ。
「身の程知らずながら学問によって経済活動を行わなければならないという決心で、わたしは商売人になったのである。」
「第一国立銀行」を足がかりに、抄紙会社(のちの王子製紙)、東京海上保険会社(東京海上火災)、日本郵船、東京電灯会社(東京電力)、 日本瓦斯会社(東京ガス)、帝国ホテル、札幌麦酒会社(サッポロビール)、日本鉄道会社(JR)など、約470社の会社の設立に関わり、 東京商法会議所(日本商工会議所)や、東京株式取引所(東京証券取引所)の設立にも中心的な役割を果たすことになった、
「日本資本主義の父」・渋沢栄一の経営哲学の基盤となっていたのは、
「商売に学問は不要である」、「金銭を取り扱うことは賤しむべきことだ」という世間一般の偏見に真っ向から立ち向かうことを可能にさせた、 「人の世の中で自立していくためには武士のような精神が必要である」という「士魂商才」の信念だった。
もちろん、武士のような精神ばかりに頼って「商才」がなければ、「武家の商売」は経済の上からも自滅を招くことになる。
ゆえにこそ、「士魂」(=『論語』)には「商才」(=『算盤』)が伴っていなければならないのである。
思うに人の行為がよいのか、それとも悪いのかは、その「志」と「振舞い」の二つの面から比較して、考えなければならない。 「志」の方がいかに真面目で、良心的かつ思いやりにあふれていても、その「振舞い」が鈍くさかったり、わがまま勝手であれば、 手の施しようがない。「志」において「人のためになりたい」としか思っていなくても、その「振舞い」が人の害になっていては、 善行とはいえないのだ。
2011/7/1
「持続可能な福祉社会」―「もうひとつの日本」の構想― 広井良典 ちくま新書
現在私たちが迎えつつある状況は、このような“限りない経済成長=生産の拡大”ということが、人々の(物質的な) 「需要」が飽和する中で、もはや維持できなくなっている、という構造変化であり、私はこれを「定常型社会」への移行と呼んでいる。 このような時代においては、いわば“慢性的な供給(生産)過剰”という状況が存在しており、言い換えれば(生産過剰ということは 労働力過剰ということを意味するから)「潜在的な失業リスク」ということが、高齢期に限らず、ライフサイクルを通じあらゆる年代において 常に存在することになる。
終身雇用の「カイシャ」と、強固で安定した「家族」という“見えない社会保障”の存在があったればこそ、 人生における様々な「リスク」は退職期=高齢期にほぼ集中することになった。
というのが、
これまでの社会保障をめぐる議論が圧倒的に「高齢者」中心であったことの理由であるとするのなら、
「経済成長」という神話が崩れ、“見えない社会保障”というシステムが機能しなくなってしまった今の社会においては、 カイシャや家族の流動化の中で、こうしたいわば「古い共同体」への依存から投げ出されてしまった若者たちへの、 「人生前半の社会保障」というコンセプトこそが、重要なテーマとして浮かび上がってくることになる。
つまり、
「少子高齢社会」の進展で、増え続ける年寄の「福祉」を、数少ない若者たちでどうやって「持続的」に支えてゆけばいいのか、 なんて「お定まりの議論」などはとんでもない話で、
「個人の生活保障や分配の公正が十分実現されつつ、それが環境・資源制約とも両立しながら長期にわたって存続できるような社会」 を目指すためには、若者にこそ重点的に受益させるための社会保障・教育改革が必要である。
というのが、
著者が主張する「持続可能な福祉社会」の設計図なのだった。
私はここでのポイントは二つあると考えている。一つは、「歩くスピードを少しゆっくりする」ような生き方ないし社会への転換であり、 もう一つは、ある閉鎖的な集団の中に「ひきこもる」のではなく、地域や社会に「開かれた」関係をつくっていく、ということである。 これは様々な意味において難しいことであり、特に後者は日本人にとってもっとも困難なものであると痛感しているが、 「成長」の時代以降の日本社会にとっての最大の課題と思われる。
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