徒然読書日記201104
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2011/4/26
「我らの不快な隣人」 米本和広 情報センター出版局
狭い早稲田通りにクラクションの音が鳴り響き、見物人は300人に膨れ上がった。
「おまえら、何やってんだ!」
騒動の輪の外側にいた中年の女性が後ろを振り向き、平静さを装ってかまるで能面のような表情で、壊れたテープレコーダーのごとく、 繰り返し叫び続けた。
「これは家族の問題です、家族の問題です。あなたたちとは関係がありません」
麻子が知らない女性だった。
晩秋の晴れわたった午後の昼下がり。「ハア、ハア」と荒い息をつきながらもみんなの顔は青ざめ、 つり上がった目だけが異様にギラギラと光っていた。
1995年11月。
一年半ぶりに、レストランで妹と弟と待ち合わせた宿谷麻子は、待ち構えていた父親や親戚九人に路上で取り囲まれ、引き倒されることになった。
本書の副題は、「統一教会から『救出』されたある女性信者の悲劇」。
もちろんこれは、『救出されなかった』の誤植などではない。
統一教会の熱心な信者として、韓国での合同結婚式参加が決まっていた麻子は、その直前に心配した家族の手によって、 「拉致監禁」されたのだった。
信者の家族が、「子どもを取り戻すにはこうする以外にない」というところまで追い込まれてしまうのは、
「統一教会は犯罪者集団である」
「子どもはマインド・コントロールされている」
「合同結婚式で韓国に渡れば行方不明になる」
という「脱会のプロ」(彼らはキリスト教会の牧師なのである)主催の勉強会での学習の成果だというのだが、
「カルト」と「反カルト」のこの壮絶な応酬の実態について、部外者が安易な評価を下すのは控えさせていただこうと思う。
別に「統一教会」を擁護するつもりはないが、信じていない者にとってみれば、真っ当な「キリスト教」信者だって、
ある意味では『我らの不快な隣人』なのである。
2011/4/25
「日本という方法」 松岡正剛 NHKブックス
私は、このような問答(「日本が自信を取り戻すにはどうしたらいいのか」)があるたびごとに、日本のよさやおもしろさというのは、 必ずしも「自信」や「強さ」や「一貫性」にあるわけではないと話してきました。歴史のなかのどこかに強いナショナル・アイデンティティの 軸の確立があったわけではなく、また数人の思想家や芸術家によって日本を代表するイデオロギーが確立されていたわけではないと 私は思っているのです。
日本を一様なアイデンティカルな文化や様式で、「主語的」に語ろうとすることには、そもそも限界がある。
古来より、一義的ではなく多義的な様相をもつ「一途で、多様な国」日本においては、 その対比的な主題は、「主語的」ではなく、「述語的」につなげられて、現れてくるからである。
というわけで、日本人が、外来の自然や文物や生活を受け入れ、それらを通して、独特なイメージやメッセージを掴もうとしてきた 「日本的編集」のやり方、日本の社会文化の特色ともいうべき、この『日本という方法』を、
「おもかげ」(何かの「思い」をもつことがきっかけになって浮かぶプロフィールの動向)
「うつろい」(空っぽのところから何かが移ろい出てくること)
という二つのキーワードを用いて、浮き彫りにして見せようという試みなのであるが、
「万葉仮名の登場」
(倭語のすべてを漢字で表記するという冒険)
「神仏習合と悉皆浄土」
(神と仏の結託が躍動的に動き始める)
「主と客と数寄の文化」
(主客が一瞬にして入れ替わる気分を楽しむ趣向)
「本居宣長の編集方法」
(からごころを離れていにしえごころに投企する)などなど、
そこはそれ、日本文化研究者としても第一人者の誉れ高い編集工学者・松岡さんの手にかかれば、 あの超難解な哲学者・西田幾多郎の「絶対矛盾的自己同一」なんて概念だって、
矛盾や葛藤しあうものの組み合わせのなかに、それを弁証法のように止揚してしまうのではなく、それらを保持したまま 自己同一性が生まれてきたんだ
という「日本的編集」方法の一つとして、なんだか妙にしっくりと腑に落ちてしまうのだった。
2011/4/14
「東京島」 桐野夏生 新潮文庫
清子はぼろぼろになった黒いワンピースを脱いで素裸になり、海に浸かった。ところどころに深みがあるので、注意が必要だった。 波に揺られながら海底の小石を踏みしめ、温い海水で顔を洗う。今日は主役なのだから綺麗にしなくっちゃ、と呟いたが、 意識せずに笑みが漏れ出ていた。清子はいつだってどこだって主役だった。
今日は清子の4人目の夫が、籤引きで選ばれる日なのである。
クルーザーで世界一周の船旅の途中遭難し、無人島に漂着した清子たち夫婦は、サバイバル生活を強いられることになったのだが、 やがてそこに、沖縄のバイト先を脱出した23人の日本の若者たちも漂着し、さらには、ホンコンと呼ばれる謎の中国人集団11人が、 何者かに置き去りにされていく。
男ばかりの無人島に女が一人で、島の誰もが清子を見つめ、清子に気に入られようと機嫌を取り、奪い合うという状況の中で、 みるみるうちに生存意欲を失い、ついにはあっけなく死んでしまった夫を尻目に、 清子はどんどん自らの「女」に目覚め、強烈なサバイバル本能をむき出しにして、女王として君臨していく。
ことになるはずだったのだが・・・
そこはそれ、『グロテスク』等々のあの桐野夏生のことであれば、ことはそれほど都合よくは進まない仕掛けになっている。
なんたって、この物語の主人公である清子は、四十も半ばを超えた、島内最高齢の「中年太り」のおばさんだったのである。
「谷崎潤一郎賞」受賞作品。
左のレンズが壊れたメガネを掛け続けるオラガ。
暴力によって島民を支配する二番目の夫、カスカベ。
四番目の夫となった記憶喪失のGM。
死んだ姉の声との独り芝居を続けるマンタ。
そして、島内の嫌われ者として、全裸に海亀の甲羅だけを纏い、放射性廃棄物容器で作った家に暮らすワタナベ。
いずれ劣らぬ曲者ぞろいのキャラクターに恵まれて、この小説はすでに映画化されているわけだが、 ほかの配役はいざ知らず、主役の清子を演じたのが木村多江だったと聞くと、いささか驚いてしまう。
むしろ、桐野本人が演じた方が適役で、木村よりもずっと迫力があったのではないだろうか。
もっとも、そんな映画、見てみたいような、見るのが怖いような・・・
2011/4/10
「創造」―生物多様性を守るためのアピール― EOウィルソン 紀伊国屋書店
パストール、私たちには貴方の支援が必要です。地上に創造されたもの(the Creation)、つまり「いのちある自然」が、 いま深刻なトラブルの中にあります。生息地の撹乱や転用をはじめとする人間の破壊的な活動が現在の速度で続けば、今世紀末には、 地上の動植物の半分が絶滅するか、あるいは近未来における絶滅を回避できない運命にさらされると、科学者たちは推定しています。
「アリ学」の世界的な権威で、「生物多様性論」の提唱者としても国際的に名高いウィルソンが、 南部バプティスト派の牧師パストールにあてて、長い手紙を書くことになったのは、 神の「創造」を事実であると信じ、いまだに多数が「進化」を認めようとしないというアメリカの国民の、 キリスト教の宗教世界に暮らす人々の代表を仮想の相手として、 何も、今さらながらの「宗教論争」を挑もうとしたわけではなかったが、
最も控えめに計算された推定値で考えても、現在すでに人類登場以前に比べて100倍近いという動植物の種の絶滅率が、 今後数十年のうちに、少なくとも1000倍かあるいはそれ以上に増大するであろう事実を淡々と指し示しながら、 もしも、神によって「創造」された、多様な「いのちの世界」(= the Creation)が、いま人間の手によって破壊されようとしている とするのならば、
「選ばれた者だけが天において神と平和に暮らす」という「創世神話」の物語に安住することは正しいのかと問いかけているのだった。
もちろん、科学的立場に立った非宗教的な世界に暮らす人々にとっても、 多様な「いのちの世界」への愛や理解を育まないような教育や研究は、刷新されていく必要があると認めている。
つまりこれは、自然保護派としての大連合を目論んだウィルソンが、 アメリカ国内における最大勢力ともいうべきクリスチャンを味方に引きずり込むべく、「宗教的」な装いを身にまとわせながら、 「科学」と「宗教」の立場を超えて、この「生物多様性」に訪れた最大の危機を乗り越えようという、
きわめて戦略的な呼び掛けなのだった。
では私たちはどうしたらよいのでしょう。相違を忘れればよい。私はそう主張します。共通の基盤において出会えばよいのです。・・・
私たちの対立する世界観の間に緊張があろうが、人々の心において科学と宗教の影響がいかに盛衰しようが、 私たちはいずれも大地から生まれたものとして、にもかかわらず同時に超越的な存在としての義務を、共有する定めにあるからです。
2011/4/10
「あかりの湖畔」 青山七恵 讀賣新聞
「レジの前に座った女性がぼんやりテレビを見ているのを見たとき、会社勤めと違い、こんな場所で働く人はどんな生活を送るのだろう、 と……。小説が生まれそうな気がしました」(連載開始にあたって)
温泉街近くの湖畔に立つ「風弓亭(ふうきゅうてい)」は、観光地から少し離れていることもあり、お客で賑わうというような場所ではなかった。
そんな「お休み処」を家業として切り盛りするのは、長女の灯子(とうこ)。
次女の悠(ゆう)は、恋人と一緒に東京に出て女優となることを目指しており、
三女の高校生、花映(はなえ)は美容師になることを夢見ていた。
観光協会に勤める父の源三は、それならいっそ店をたたんで美容院にするか・・・などと考えている。
三人姉妹とのどこにでもあるような痴話喧嘩や、幼馴染との穏やかな時間に包まれて、 一見穏やかな灯子の毎日は、何事もなく流れていくはずだったのだが・・・
ある日、一人の若者が突然この日常に紛れ込んできて、物語はゆるやかに軋みだす。
讀賣新聞の連載が終了。
日向水のような温もりの中から、いつまでも飛び出すことができないで、妹の花映までもを苛立たせてしまう灯子には、 女優だった母の家出の原因を作ってしまったという、消し去ることのできない心の傷があったのだった。
やがて、病に倒れた父に届いた差出人の名前のない封筒の中身を盗み読んでしまったことから、 上京した悠を追いかけるようにして、花映とともに東京に向かった灯子は、これまで心の重荷として姉妹に隠しつづけてきた秘密を打ち明け、 自分たちを捨てていった母との再会を果たすのだが・・・
「希望のある小説にしたい。一日、一日、登場人物に少しずつ息を吹き込み、最後に風船がフワッと、浮き上がるように 登場人物が飛び立てたらと思います」
2011/4/7
「道元禅師」 立松和平 東京書籍
本来本仏性、天然自性心。そもそも真実の道は円にゆき渡っている。どうして改めて修行してさとりを得る必要があるのか。 叔父の天台座主の承円さまも、承円さまの御指示で訪ねた園城寺明王院の公胤さまも、(中略)十四歳の若々しい道元さまの疑問には 結果としてまともに答えることができませんでした。
「人間は生まれながらに完成された人格体とされていますが、そうならば人格完成のために努力する必要はないということではありませんか。 それなのに三世諸仏は何故さらに志を立ててこの上ないさとりの智慧、阿縟多羅三貘三菩提を求めて修行したのですか」
という若き道元の、まるで鋭利な刃物でも突き付けるかのような純粋な問いかけには、
正法を求めて大宋国に渡り、すでに衰えを見せつつあった天台の教えに代わる臨済禅を我が国に持ち帰った、当時随一の名僧・栄西ですらが、 カラカラと高らかに笑って、ぞんざいな口ぶりで答える以外に術がなかったのである。
「あんた、口で三世諸仏などと簡単にいうが、わしはそんなことは知らねえよ。山の中に狸や狐がうようよしていることは知っておるが」
松殿藤原家という名門貴族の家に生まれながら、幼少のころに母を喪ったことが機縁となって出家した道元には、 同時代を生きた親鸞や日蓮に比べて、その人物像を彷彿とさせてくれるようなエピソードが、とても少なかったようだ。
『偏界曾て蔵さず(へんかいかつてかくさず)』
(すべての世界はまったく隠れていないということ)
『只管打坐(しかんたざ)』
(ただひたすらに坐禅をすること)
などなど、残されてあるのはただ『正法眼蔵』などの、きわめて難解とはいいながら、 それがゆえに美しい、真理の言葉が散りばめられた珠玉のような著作のみ。
厳しい修行を重ねて、念願の入宋を果たし、諸国を行脚して、ついに明鏡の師たる正師・如浄和尚との出会いを得、正法の伝授相承を許される。
勇躍日本に戻り、正法を日本に広めようと努めた道元は、その名声を快く思わない叡山の旧仏教界からの迫害を逃れ、 ついに深山幽谷の地・越前志比庄を「真の仏法が第一歩を記す場所」と定め、静寂なる修行道場「永平寺」を開いた。
道元が歩んできた苦難の道筋を追いかけていく中で、それらの言葉が道元自身の口から身をもって語られるとき、 私たちにはその真理が初めて腑に落ち、身に沁み込むかのような感動を覚えることになるのだった。
「正しく坐禅をすれば、自己の中にこの真理が流れていくことを知ります、坐禅は仏となることを目的として行うのではなく、坐禅をしている 姿がそのまま仏の姿なのです。すべてのとらわれを離れ、身も心も自在の境地になれば、生にもとらわれず、死にもとらわれません」
2011/4/4
「母の遺産」 水村美苗 讀賣新聞
小説の主人公にもならないのが閉経後の女である。もしこれが美津紀一人だったら、たとえ自殺したところで、何もおもしろいことはない。 女が自殺して人の興味を引くのは、テレビでも新聞でも週刊誌でも、若い時だけである。小説でも当然そうだった。 「ボヴァリー夫人」のエンマが毒をあおってのたうちまわって死ぬ時だって、「アンア・カレーニナ」のアンナが列車に飛び込んで死ぬ時だって、 行き交う人がまだ振り向く花の若さがあった。
という「閉経後の女」であるにもかかわらず、中年女の美津紀がこの物語の主人公になったのは、 明治の文豪・尾崎紅葉の小説『金色夜叉』のお宮さんを地で行ったかのような祖母の一代記から始まって、 母娘三人で着物を着てめかしこんで出かけるのを「『細雪』する」というような桂家のお洒落な家風を築き上げてきたはずの母が、 骨折を機に急に老け込んで娘の介護を必要とすようになり、どんどん「壊れていく」ことへの、美津紀の屈折した思いが、 物語前半のテーマとなっているからだった。
讀賣新聞、毎週土曜日のお楽しみの連載が終了。
母の遺産の半分を使い小さなマンションを買う。将来の年金も一千万円買う。計算通りにゆけば、残るは・・・三千七百万円。 毎月十万円使えば、年間百二十万円。それで。三十年やってゆける。
だからといって、なにもそれを当てにしていたというわけではないのだが、
大学教授の夫の浮気が発覚し、離婚して再出発を図ろうとする物語の後半部分、 『母の遺産』が美津紀の背中を押してくれたことは、否定しようのない事実なのだろう。
とはいうものの、
ときに我儘放題の母の介護に疲れ、「ようやく・・・」と母の死に肩の荷を下ろしたのだとはいえ、 桂家三代の思い出がつまった、箱根のホテルに長逗留し、気持ちの整理を付けようとした美津紀にとって、 実は『母の遺産』とは、お金だけではなかった。
「病葉」を「わくらば」と読むのを知ったのは中学校に入った直後で、何の不幸も知らない頃、漠然と不幸への憧憬の念を抱いた。 長いあいだ春は好きではなかった。それが年と共に病いや老いとつきあうようになり、それなりに不幸というものを知り、 次第に春が好きになっていった。だが、今日この窓辺にこうして一人で立つまで、自分がかくも春を慈しむようになっていたとは知らなかった。
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