徒然読書日記201012
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2010/12/20
「白川静読本」 松岡正剛、五木寛之他 平凡社
五木 白川さんと内藤湖南らの東洋学の関係を考えたり、松岡さんの話を聞いているうちにぼんやりとしていたものが少しずつ 浮かび上がってきたんですけど、僕は今まで定住民と流浪民というように二分して考えていました。そこへ白川さんが入ると、 ここに「定住流民」というまったく新しい観念が出てくるんです。
松岡 それこそ私たちが忘れてきたもので、僕もナム・ジュン・パイクから教わったんです。国家とか資本主義というのは定住から 発達したから遊牧の記憶がない。そこでナム・ジュン・パイクは、「遊牧的記憶こそが定住化した」というようなアートを作りたい、 それが白川静にあるといったわけです。
「うつしみの先生は世を去られても、その美しい生涯が遺された学問の詩は、私たちを、『狂』に導いてやまない。」(水原紫苑・歌人)
「白川静博士は私の人生にはじめて昇った曙日であった。博士の死は、日没ということなのであろうか。いや、その著作があるかぎり、 私にとって白川静博士は不沈の太陽なのである。」(宮城谷昌光・作家)
「知ることに命を賭けてきた精神たちの歴史としての学問、我こそがそれに参与しているという確信と自負である。覚悟としての学問である。 個に徹するほど普遍に通じるという人間の逆説がここにある。」(池田晶子・文筆家)
「『なんでこの字をこう読むんじゃ、どあほ。なめとったらしばくど』と思って読む文章のツンドラが融けてやや少しつるっと流れ、光に輝き、 ぞくぞくっ、と身震いがした。自分はまるで初めて文字を見た古代の人のようだと思った。」(町田康・作家)
「白川静の仕事でもっとも重要なことは漢字の起源を解明したことでは必ずしもない。むしろその起源がまたたくまに忘却されたという事実を 見出したことである。」(三浦雅士・評論家)
「言葉がそれだけの重みを持った時代がかつてあった。それは白川先生のロジックを反転させて言えば、人間がそれだけの重みを持った時代が あったということでもある。人間の発する烈しい感情や思いや祈念が世界を具体的に変形させることのできた時代があったということである。 そして、そのような時代こそは白川先生にとって遡及的に構築すべき、私たちの規矩となるべき『規範的起源』だったのである。」 (内田樹・神戸女学院大学教授)
「96歳でまだ新しい独創的な研究成果を次々と発表」(梅原猛・哲学者)していたにもかかわらず、 「彗星に乗ってお帰りになった」(岡野玲子・漫画家)かのごとくに、2006年に96歳でこの世を去った白川静先生への、 これは、その生誕百周年を期して各界から寄せられた、死後4年たっても醒めることのない、熱きオマージュの数々なのだった。
漢字の源である甲骨文・金文の綿密な読解に基づき、古代中国の社会と文化を解明し、これまでの学説を一新してみせた、 白川先生の「遊学」に、誰もがやられてしまったということなのである。
「遊ぶものは神である。神のみが、遊ぶことができた。遊は絶対の自由と、ゆたかな創造の世界である。それは神の世界に外ならない。 この神の世界にかかわるとき、人もともに遊ぶことができた。神とともにというよりも、神によりてというべきかも知れない。 祝祭においてのみ許される荘厳の虚偽と、秩序をこえた狂気とは、神に近づき、神とともにあることの証しであり、またその限られた場における 祭祀者の特権である。」(『文字逍遥』)
2010/12/15
「無駄学」 西成活裕 新潮選書
無駄とは何か。
この言葉をきちんと定義するのは難しい。人によって無駄と感じるかどうかは異なるし、一見無駄なものに見えても、いつかは役に立つことが あるからだ。しかし我々は日常生活ではほぼ毎日のように無駄という言葉を使っている。それほど重要で、それでいて曖昧な言葉はなかなか 他にはない。
世の中のありとあらゆる「流れ」(車、人、モノ、カネ)を対象に、その流れが悪くなることのメカニズムを解析して見せた名著、
『渋滞学』
(新潮選書)
の著者が、「なぜ渋滞するのか」という「現象の分析」から、「どうすれば解消できるか」という「渋滞の解消」へステップアップしようとする中で 着目したのが、「無駄とは何か」ということであり、「無駄をちゃんと取り除くためには、どうすればよいのか」ということだった。
「無駄」とは、「投入したコスト(お金、時間、労力、資源)」(=インプット)に見合うだけの「効果」が得られないことだと、 とりあえず定義してみせた著者は、ある行為の「効果」(=アウトプット)を測るためには「目的」と「期間」を定める必要があり、 その中での「最適」を探る活動の中に、潜んでいる「無駄」を分析するための「ものさし」として、「投入効果図」なるものを提示する。
これで「無駄の度合」や、その「時間変化」が大まかに見てわかるようになり、その「発生原因」や「解消策」の分析が可能になるというのである。 ここまでは、「現象を様々な方法で分析してそのメカニズムを明らかにする」という「理学系」の異論だった。
では、具体的に「無駄」はどのように発生し、どうすればその「無駄」は解消できるのだろうか。
具体的な応用を意識して、問題解決のアイディアを導き出す「工学系」の議論へと飛躍するに際し、著者が巡り合ったのが、 キャノンやソニーの生産現場の改善活動歴30年以上を誇るという、
『ムダとり』
(幻冬舎)
の「伝道師」山田日登志さんだった。
「無駄の反対語は贅沢」と答えた山田さんが、その「ムダとり」の輝かしい経歴をスタートした「トヨタ生産方式」における「無駄」の定義とは、
「駄賃がもらえないこと」(トヨタ生産方式の始祖・大野耐一)
相手がどのようなゴールを望んでいるのか、そしてそれに対して提供側が結果としてどれだけアウトプットを達成できたのか、 ということを常に意識する必要がある
とはいうものの、ようするに、
「顧客のいない労働はすべて無駄」という極めてシンプルな考え方だったようなのである。
2010/12/13
「古代ローマ人の24時間」―よみがえる帝都ローマの民衆生活― Aアンジェラ 河出書房新社
私たちが頭の中で古代ローマの街を再現するとき、「クリーン」な景色を想像してしまいがちだが、そこには重要な要素が欠けている。 煙だ。事実、ローマでは大規模な入浴施設から何本もの煙が立ちのぼり、風に吹き散らされていくのが見える。これは、フル稼働している 巨大なボイラーから吐き出される煙である。そのために何トンもの木材が日々燃やされる。
紀元前1世紀の初頭、温泉から噴き出す蒸気を利用して病気を治療するという、ナポリ地方の古くからの習慣にヒントを得て、 ガイウス・セルギウス・オーラータという名の裕福な敏腕の商人は、天然の温泉が湧いていなくても、どこでも発汗浴ができる 「大浴場」なるものを考案した。地下で炉を燃やし、床下や壁の間にその熱を伝えることによって、天然の「発汗室」を再現すれば、 病気のもととなる体液を体外に排出できると考えたのだった。
やがて、代々の皇帝も一役買いながら、身体を洗うことができるだけの小さなものから、温浴・冷水浴・プールまで備えた「トラヤヌス浴場」 のような超大型のものまで、数多くの公共浴場が、ローマの街中に作られ、ごく少数の特権階級を除けば、自宅に浴室を持たない 当時のローマ人たちは、男も女も、老人も子どもも、職人も兵士も、裕福な者も奴隷も、誰もが分け隔てなく一堂に会し、 「社交の場」での午後の一時を過ごすようになったのである。
さっそく、煙が立ちのぼるほうへ行ってみることにしよう・・・
というわけで、この本は「紀元115年、トラヤヌス帝の治世下におけるローマのとある1日」を想定して、 貴族から庶民、奴隷まで、ローマの民衆の日常の生活は一体どのようなものであったのかを、克明に追いかけて見せる、 仮想ドキュメンタリーなのであるが、
ローマの街路を歩くとどのようなことが感じられるのか、まわりを行く人々はどのような顔をしていたのか、 バルコニーからは何が見えていたのか、彼らが食べていた料理はどのような味だったのか、通りではどのような会話が交わされていたのか、 カピトリヌスの丘に建ちならぶ神殿は、朝焼けに照らされるとどのように見えたのか・・・。
「私がそれを語ってみようと思いついた。」というガイドは、世界各地を調査・研究してきた博識の科学ジャーナリストで、 イタリアでは知らない人はいないというほどの人気を誇るRAI(イタリア国営放送)のサイエンス番組「スーパークォーク」のキャスター なのであれば、一見趣きが似ているかのように錯覚してしまう「世界ふしぎ発見」などとは比べるまでもなく、はるかに凌駕した中身となる であろうことは、推して知るべしというものである。
それにしても、
見ているうちに、そこがフォルムと同じように、ローマの「社交の場」としての役目を果たしていることがわかってくる。 おしゃべりをしている人、相手を引きとめては長話をする人、小話を披露してみんなの注目を集めている人など、さまざまだ。 なかには、生理的な必要性をさほど感じていないにもかかわらず、服装から明らかに裕福だとわかる人のそばに座り、 あわよくば昼食の招待にありつこうとしている抜け目のない人までいる。みんな思い思いに話をしたり、冗談を言ったりしている。
「家にトイレがある」ということも、一種のステータスシンボルだったとは、知らんかった。
2010/12/8
「ワインをめぐる小さな冒険」 柴田光滋 新潮新書
鮮明なピンク色ではなく、やや褐色がかかったオレンジ色。芳香に木の焦げたような感じがかすかにある。 魅力的な渋みが背後にしっかりとあり、軽快でいながら力強い。お手本のようなロゼで、トンカツのヒレにもロースにも勝手な主張をせず、 料理をうまく引き立てながら、ワインとしての存在感を失わない。
(Cotes-du-Provence Rose Vieilles Vignes 1997 Chateau la Moutete)
「タラノメや蓮根など、ちょっと癖のある野菜の天ぷら」や、「こんがり焼いたチキン・ソテー」、「カリッと揚げたトンカツ」にもいけそうだと、 どんな名品のワインでもしっくりこなかった馴染みのトンカツ屋に持ち込んで、四度目の挑戦にしてついに、特筆もののトンカツとワインの 双方の顔を立てることができたというのである。
少しワインを知ると、とかくロゼを軽視しがちになりますが、いやいやどうしてその出番はある。世界中で造られているし、廉価なのもうれしい。 もっと飲まれていいんじゃないでしょうか。
ワインと聞けば「赤玉ポートワイン」ぐらいしか思い浮かばなかったような時代に、レストランでワインを注文する父親を誇らしく眺めていた。
それから、それほど時が流れたわけでもないのだが、猫も杓子もがレストランでは「ワイン」を注文する時代になって、 それでも一貫して「お好みのワインは?」という問いに、臆面もなく「ロゼ」の銘柄を答えている父親を、 「おいおい、それはないだろう」と、いつしか恥ずかしく感じるようになってしまった自分を思い出し、 頭の奥が酸っぱくなるような感覚と共に、あの独特の形をしたボトルのワインが急に飲んでみたくなった。
一体、どんな味だったのだったか?
あれは確か「マテウスのロゼ」だった。
ワインに迫るには、品種、土地、栽培、醸造、年度、さらには歴史を含めてアプローチするのが正統だし、客観的でしょう。 おろそかにするつもりはありません。しかし、ワインとはそれだけのものかどうか。いったん栓を開ければ、時と場も大きく関係してくるからです。 いつどこで誰と何を食べながら飲んだかで、印象はかなり変わってきます。 主観的ではあるけれど、こんな面からのアプローチもあっていいでしょう。
「人間六十歳に達したということについては、若いころに考えていた以上に、いろいろと言い分があるものだ」
(アレック・ウォー『わいん―世界の酒遍歴』英宝社)
2010/12/2
「宇宙は何でできているのか」―素粒子物理学で解く宇宙の謎― 村山斉 幻冬舎新書
星はすべて原子でできていますが、宇宙空間にはそれ以外にも原子がたくさんあります。たとえば銀河の中に漂っているガスは 光らないので目に見えませんが、これも原子でできていることに違いはありません。
そう聞くと「なるほど、星とニュートリノ以外の99%は、目に見えない原子なんだな」と思うでしょう。でも、それも早合点です。 星やガスなど宇宙にあるすべての原子をかき集めても、全エネルギーの4.4%程度にしかなりません。
では、残り96%の『宇宙は何でできているのか』。
その1つが「暗黒物質(ダークマタ―)」と一応名前だけは付いていながら正体不明の物質で、 ただ、この「物質」の巨大な重力で引き留めてもらわなければ、時速80万キロの速さで宇宙という大海原を進んでいる我らが太陽系は、 どこかへふっ飛んでいってしまうだろうという大切な代物なのである。
ところが、これを合わせてもまだ宇宙の27%にすぎず、残りの73%を占めているのが、「暗黒エネルギー(ダークエネルギー)」で、 この存在が想定されるようになったのは、わずか10年前、やがては「減速」すると考えられていた宇宙の膨張が、なんと「加速」している ことが発見されたからだというのである。
つまり、「投げたボール」を透明人間のような何者かが後ろから押しているとしか考えられず、その何者かが「謎のエネルギー」として、 宇宙の7割以上を占めているというのだった。
では、私たちは望遠鏡でどこまで宇宙を「見る」ことができるのでしょうか。望遠鏡を巨大化し、その性能を上げていけば、 どんどん膨張している宇宙の「果て」まで見ることができるのでしょうか。
残念ながら、人工衛星に搭載されたハッブル宇宙望遠鏡でも、130億光年先にある銀河より先の宇宙を見ることができないのは、 それが「遠い」からではなく、そこが130億年も昔の「古い時代の宇宙」だからなのである。
137億年前に誕生したと考えられる宇宙は、誕生してから2億年間は、バラバラの原子と暗黒物質だけの世界であり、 そこには「光」というものがなかったのだった。
でも、そこで万策尽きたわけではありません。
「ウロボロスの蛇」は、自分の尻尾を飲み込んでいます。ならば、別の方法で頭の中を見ることは可能でしょう。これまでは胴体から 頭のほうを見ていましたが、今度はくるりと方向転換して後ろを向き、尻尾のほうを見ればいいのです。その先には、望遠鏡では見えない蛇の頭が、 大口を開けて待っているに違いありません。
宇宙の「見えない壁」の向こうで、高エネルギー状態で飛び交っている様々な素粒子を、 地球上の実験室で調べることで、宇宙初期の姿を探ること。
文部科学省が世界トップレベルの研究拠点として発足させた東京大学数物連携宇宙研究機構(IPMU)の初代機構長に招聘された著者が、 「素粒子物理学」を駆使して解こうとしている宇宙の謎とは、「遠くに見える星は、何でできているのだろう」というところから始まって、 「この宇宙にどうして我々がいるのだろうか」という大きな物語に迫ろうとするものだったのである。
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