徒然読書日記201011
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2010/11/26
「デフレの正体」―経済は「人口の波」で動く― 藻谷浩介 角川oneテーマ21
なぜ03〜06年の首都圏では、個人所得の増加がモノ消費にそれほど回らなかったのか。正常な経済であれば起きるはずの 「トリクルダウンエフェクト」が、輸出から企業収益を経て個人所得への移転という段階までは確かに認められたのに、 なぜモノ消費に向かわずにそこで止まってしまったのか。これも同じ数字で説明できます。こういう現象は、著しく高齢化が進んでいる 首都圏のような社会(もちろん地方はさらに先に行っていますが、世界の中で見れば大同小異です)の宿命なのです。
96〜08年の12年間に、日本の「実質GDP」は十数%もの伸びを示しているにもかかわらず、 「国内の小売販売額」、「国内の書籍・雑誌の合計売上」「国内の酒類販売量」や「日本人の一日一人あたりの蛋白質や脂肪の摂取量」などが、 96年をピークに減り始めていたのはなぜなのか。
「日本国内の新車販売台数」が00年をピークに下がり始めていたのも、どうやら「若者の車離れ」などといった心理的なものではなさそうだ。
経済の重要な長期トレンドを「対前年同期比」などの比率で見ようとするばかりで、「絶対数」で把握しようとしないことの愚を唱える著者が、 導き出した結論とは、
首都圏で起きているのは、「現役世代の減少」と「高齢者の激増」の同時進行です。 そこでは、企業に蓄えられた利益が人件費増加には向かわない。現役世代減少に伴い従業員の総員が減少しているので―― もう少しわかりやすく言えば定年退職者の数が新卒採用の若者の数を上回るので――少々のベースアップでは企業の人件費総額は増えません。 となれば、企業収益から個人所得への直接の所得移転のチャンネルは、配当などの金融所得しかありません。 事実、企業に多額の投資をできる富裕層は大きな利益を得たわけです。
というものだった。
「買いたいモノ」がなく、「将来の医療福祉関連支出の先買い」(流動性のない貯蓄)に励む高齢者たちに、「モノの消費」を期待することはできず、 消費されずに蓄積された「金融資産」を相続することになるのも、平均年齢60歳以上の高齢者というのが、今の日本の現状なのである。
つまり、この「生産年齢人口」=「消費者人口」の急激な減少が、これから数十年にわたって日本の経済を脅かすことになる、というのだった。
日本経済を蝕む「生産年齢人口減少に伴う内需の縮小」への対策として、巷間ではよく挙げられることになる、 「生産性」「経済成長率」「公共工事」「インフレ誘導」「技術開発」などを、一つ一つ論拠を示しながらその実効性に疑問を呈した著者が、 最後に掲げてみせた「処方箋」とは、
「高齢富裕層から若い世代への所得移転の促進」
(若い世代の所得を頭数の減少に応じて上げる)
「女性の就労と経営参加を当たり前に」
(現役世代の専業主婦の四割が働くだけで団塊世代の退職は補える)
「労働者ではなく外国人観光客・短期定住客の受入を」
(高付加価値で経済に貢献する観光収入)
ようは、「生産年齢人口」の該当する世代の個人所得の総額を維持し増やすことしか、「個人消費」の総額を維持し増やす道はない ということなのである。
最も希少な資源が労働でも貨幣でも生産物でもなく実は消費のための時間である、というこの新たな世界における経済学は、 従来のような「等価交換が即時成立することを前提とした無時間モデル」の世界を脱することを求められています。
2010/11/23
「深海のYrr(イール)」 Fシェッツィング ハヤカワ文庫
ヨーロッパの北に位置するノルウェー海。ある日、ノルウェーの国営石油会社スタットオイルがさらなる資源を探査中、 深海底に蠢く何百万匹というゴカイに遭遇する。海洋生物学者シグル・ヨハンソンが手を尽くして調査した結果、 それは強大な顎を持つ新種の生物だと判明した。(訳者あとがきより)
「燃える水」とも呼ばれ、新たなエネルギー資源となることを期待されているメタンハイドレート。 その「氷の層」におおわれているノルウェーの深海を、強大な顎で掘り進むゴカイは、 やがて「氷の層」に穴を開け、その下に溜め込まれてきた膨大な量のメタンガスを開放することで、大陸斜面を崩壊させることになり、 大規模な海底地震の発生による巨大な津波の襲撃が、北海沿岸の都市を崩壊に導く。
この壮大なストーリーの展開が、この物語の骨子であると思うのなら、
それは・・・
大きな「誤解(ゴカイ)」である。
なんて冗談はここまでにするとしても、これはあくまで、この長大な物語の導入部にすぎないのである。
カナダでは、クジラとオルカの群れが、まるで打ち合わせでもしたかのように、それぞれの役割を担って、ホエールウォッチングの観光船に 襲いかかる。
フランスでは、調理中に突然ロブスターが爆発し、猛毒を持つ微生物に汚染されたゼラチン質を撒き散らし、水道網を介して広がる感染が、 国中をパニックに陥れる。
そして、まるでそれが予行演習であったかのように、甲殻の内側にゼラチン質をぎっしり詰め込んだ盲目のカニが、 ついにニューヨークの海岸から大量に上陸してきたのだった。
この未曽有の事態を収拾すべく、美貌のアメリカ合衆国・軍司令官ジュード・リーの下に、優秀な科学者たちが世界中から集められ、 異変の原因の解明が試みられることになるのだが、異常な行動をとるようになった海洋生物たちを、陰で操っているかのような謎の物質として、 彼ら科学者たちがついに突き止めた、青く微光を放つ『深海のYrr(イール)』の正体。
それは・・・
決して「電気うなぎ(Eel)」などではなかった。
わたしたちが未知知性体をまったく認識できないとしましょう。たとえば、レオンはイルカの知能が高いかどうか知りたくてテストをする。 それで知性体だと判明しますか?逆はどうでしょう。ほかの生物は人間をどう思っているのか。イールは人間と戦っているが、 人間を知性体だと思っているでしょうか?もうわかったと思いますが、人間の価値観が宇宙の中心だと考えるかぎり、イールには決して近づけない。 わたしたちはサイズを縮め、人間の本当の姿に立ち戻らなければならない。つまり、無数の生命体の謙虚な一つに戻らなければならないのです。
2010/11/16
「防衛破綻」―「ガラパゴス化」する自衛隊装備― 清谷信一 中公新書ラクレ
有事における自衛隊の行動を縛る法律の規制を最も大きく受けるのが陸自である。いきおい、演習も非現実的になる。 例えば上陸してくる敵を迎え撃つシナリオの場合、「状況」はすでに布陣したところから始まる。実際の戦争ではむしろ、 基地から出発して避難民を統制しつつ、移動を行い、所定の場所に布陣するまでのほうが大変なのだ。だが我が国の法律では こういうことができないので、演習でも端折ることになる。
「戦闘車両が道路から逸脱すると道路交通法違反になるので、回転灯を点灯したパトカーが前後につかなければならない」
「74式戦車はJRの貨車で輸送が可能なサイズと重量に定められたが、自衛隊が戦時にJRを利用できるような法的根拠はまったくない」
もちろん、「戦争など起こらない」に越したことはないのは言うまでもないが、 だからといって、「どうせ実戦では使用しない(できない?)」のだから、とでもいわんばかりでは、困ってしまうのである。
「何を、どれだけ、いつまでに、いくらで」というまともな戦略も、ドクトリンもないため、「Too late, too small」と外国から 揶揄されることになる、という防衛省の装備調達コストは、おおむね諸外国の三倍から五倍程度と思われ、 他国なら六〜八年程度で終わる調達に二十年以上かけたりするので、調達中に旧式化し、価値が著しく減じた兵器を調達することになる というのだった。
北朝鮮のゲリラや特殊部隊が襲撃してくることはありえないというのだろうか。もし戦闘が起きた場合、このような事なかれ主義と 平和ボケの代償は、現場の自衛官と納税者が血で贖うことになる。
陸自が日本人の身体の特性に合わせて設計し、旧式の64式小銃の後継として採用した「89式小銃」は、 米国の「M−16」など、他国の同じようなライフルと性能は大同小異であるにもかかわらず、調達コストは四〜五倍の三三万円なのだが、 諸外国では左側にあるのが普通の、安全装置のついたセレクター・レバーが、銃把の右側に装備されている。 簡単に安全装置が外せると「危険」だというのである。
などなど、
2章から4章までは、「陸自」「海自」「空自」それぞれの、具体的な兵器を取り上げて、その無駄を指摘し、 改善策を提案していくことになるのだが、
それは、表向きは「軍人嫌い」で「非武装中立」などという幻想を振りまきながらもその一方で、 我が国の自衛隊は精強無比で、日本の防衛産業も世界を凌駕する優秀な新兵器を開発しているに違いないと、心の奥底で信じているかのような、 「お気楽な」日本人たちへの、警鐘であるのに違いないのだった。
われわれにできることは軍事費を必要最低限に抑え、なおかつ国家の安全保障を全うするのに不足を生じないようにすることである。 そのためには納税者が軍事と防衛に関心を持ち、防衛費の使い方に対してシビアになる必要がある。
「平和憲法」を念仏のように唱えていて平和になるのであれば誰も苦労はしない。
2010/11/14
「死ぬ瞬間」―死とその過程について― EKロス 読売新聞社
この本はたんに、患者を一人の人間として見直し、彼らを会話へと誘い、病院における患者管理の長所と欠点を彼らから学ぶという、 刺激に満ちた新奇な経験の記録にすぎない。人生の最終段階とそれにともなう不安・恐怖・希望についてもっと多くのことを学ぶため、 私たちは患者に教師になってほしいと頼んだ。私はただ、悩みや期待や不満を語ってくれた患者たちのことを語るだけだ。
訳者あとがきにもあるように、原書のタイトル“On Death and Dying”を直訳すれば『死とその過程について』となるこの本は、 人が『死ぬ瞬間』について書かれているのではなくて、むしろ「死」とは瞬間ではなく長い過程なのであり、 人が「死にゆくこと」への、それぞれの「準備」について書かれたものなのである。
そして、1969年に出版されて以来、ターミナルケア(末期医療)の「聖書」として、現在にいたるまで全世界で広く読みつがれることに なったのは、人が「不治の病」であることを告げられ、「死にゆく」時に歩んでいくことになる、
第一段階「否認と孤立」
「いや、私のことじゃない。そんなことがあるはずがない」
第二段階「怒り」
「どうして私なのか。どうしてあの人じゃなかったのか」
第三段階「取り引き」
「すこしでも命を延ばしてもらえるならば、人生を神に捧げる」
第四段階「抑鬱」
もはや自分の病気を否定できなくなり、楽観的な態度をとりつづけることはできなくなる。
第五段階「受容」
感情がほとんど欠落した「長い旅路の前の最後の休息」の状態。
という「死の五段階」を、ほぼすべての臨死患者に認めることができたから、という手柄にあるのではなくて、
確かに、時には重なったり、行きつ戻りつしながらも、これらの段階を順を追って、歩んでいくことに間違いはないけれど、 それでも、どの患者たちも誰もがみな、最期まで何らかの「希望」を持ち続けていたという気付きこそが、 私たちの胸に迫ってくるからであるに違いない。
私の願いは、この本を読んだ人が、「望みのない」病人から尻込みすることなく、彼らに近づき、彼らが人生の最後の時間を 過ごす手伝いができるようになることである。(中略)そしてこの経験によって心はより豊かになり、おそらくは自分の死に対する不安も 少なくなるのではなかろうか。
2010/11/6
「知りたいやつはついてこい!」―ノーベル賞をめざすスーパー授業― 有馬朗人監修 NHK出版
「ニュートリノは1秒間に1000億以上、みんなの頭を突き抜けています」
(小柴昌俊 2002年ノーベル物理学賞)
「壁にもの(粒子)をぶつけても向こうには行きません。でも大声(波)をぶつけると通り抜けるのです」
(江崎玲於奈 1973年ノーベル物理学賞)
「−400℃とか―500℃という温度はありません。温度には始まりがあるということです」
(戸塚洋二 文化勲章)
「新しい超伝導体を見るために、加速電圧100万ボルト・高さ7m・重さ40トンの電子顕微鏡を作りました」
(外村彰 文化功労者)
「光とは、電子がもとの安定した状態に戻ろうとするとき、放出されるエネルギーなのです」
(有馬朗人 文化功労者)
という錚々たるメンバーを講師に迎えて繰り広げられた、これは「スーパー授業」の記録なのであるが、
そんな世界が誇る科学者から『ついてこい!』と言われてもなぁと、尻ごみしていたわりには、 さほど戸惑うこともなく、その内容にすんなりついていけてしまったからといって、
「よし、今日から私もノーベル賞をめざす」などと勘違いしてしまってはいけない。
みなさんがた、中学2年生のレベルがよくわからなかったので、中1と中2の理科の参考書を買ってきてちょっと調べてみました。 1年のときに光の性質、力、圧力、物質の性質と状態変化、それから植物、そして大地の変化。こういうことを勉強しているんですね。 (3限目「始まりと終わり」戸塚洋二)
という具合に、いくら全国から選抜された理科好きであったとしても、これが中学2年生を対象にしている授業であることを、 講師陣が極めて慎重に受け止めていたからこそ、そんな中学生40人と席を並べるかのようにして、この合宿の内容に「ついていけた」 のだということを、心から感謝しなくてはなるまい。
頭のいい人というのは、「難しいことをわかりやすく」説明することができる人、なのである。
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