徒然読書日記201010
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2010/10/29
「街場のメディア論」 内田樹 光文社新書
マスメディアの凋落の最大の原因は、僕はインターネットよりもむしろマスメディア自身の、マスメディアに関わっている人たちの、 端的に言えばジャーナリストの力が落ちたことにあるんじゃないかと思っています。
「その情報にアクセスすることによって、世界の成り立ちについての理解が深まるかどうか」が、メディアが発信する情報の「知的な価値」 であるはずにもかかわらず、いま退場の瀬戸際まで追いつめられているその当のメディアの側に、自らが存続しなければならない理由を 身銭を切って挙証しなければならないという危機感がまるで感じられないようであれば、日本のメディア業界は、新聞も、図書出版も、テレビも、 音楽産業も、極めて厳しい後退局面に入っていかざるを得ないだろう。
「お気の毒に」というのが、この著者が例によって本題に入る前に冒頭に掲げた、論証に先立っての「結論」なのだ。
たとえば、
テレビの中でニュースキャスターが「こんなことが許されていいんでしょうか」と眉間に皺を寄せて慨嘆するという絵柄は「決め」のシーンに 多用されます。その苦渋の表情の後にふっと表情が緩んで、「では、次、スポーツです」というふうに切り替わる。
この「こんなことが許されて・・・」という技巧された無垢、演劇的な驚愕によって、自らを「バッドガイ」とは対岸に居る「グッドガイ」である かのように装うやり方は、近頃、巷でよく目にするようになった、ある「存在」を思い起こさせてくれる。
おのれの無知や無能を言いたてて、まず「免責特権」を確保し、その上で、「被害者」の立場から、出来事について勝手なコメントをする。 この「被害者面」が特に目につくようになったのは、この数年です。
「知っておくべきことを知らないでいた。たいへん恥ずかしい」と謝罪するのであればまだしも、「知っていたけれど、報道しなかった」ことの 責任を糊塗するために、ジャーナリズムが「クレイマー」と化して、「無知」を遁辞に使うようになってしまえば、おしまいではなかろうか。
メディアが急速に力を失っている理由は、血の通った身体を持った個人の「どうしても言いたいこと」ではなく、「誰でも言いそうなこと」だけを 選択的に語っているうちに、そのようなものなら存在しなくなっても誰も困らないという平明な事実に人々が気付いてしまった、からではないか。
「メディアは世論を形成し、それによってビジネスとして成立している」という、ほとんどのメディア業界人が信じて疑おうとしない信憑こそが、 メディアの土台を掘り崩したのだ、
と言うのだが、それではメディアにとって未来はないのか?
ご心配なく、そこはそれ「贈与経済」の内田先生のことなので、ちゃんと「とっておきの未来」を用意してくれてあるのだった。
今遭遇している前代未聞の事態を、「自分宛の贈り物」だと思いなして、にこやかに、かつあふれるほどの好奇心を以てそれを迎え入れることの できる人間だけが、危機を生き延びることができる。現実から眼をそらしたり、くよくよ後悔したり、「誰のせいだ」と他責的な言葉づかいで 現状を語ったり、まだ起きていないことについてあれこれ取り越し苦労をしたりしている人間には、残念ながら、この激動の時機を生き延びる チャンスはあまりないと思います。
2010/10/28
「早くしようよ、政界再編」 渋谷陽一・編集 「SIGHT」45号
高橋 国民が、なんかすごくいらだっているっていうか、ものすごくシンプルになっていて、怖いなって思うんです。
内田 「ザッピング」状態?
高橋 あ、そうそう!テレビのチャンネルをすぐ変えるのと同じ。だから、番組がその先どうなるか、見ていない。
鳩山政権の副総理で財務相であった菅直人が首相になったとたん、20%まで低落していた支持率が一気に66%ま急回復したのは、
「期待を担って登場した政権が短期間に人気を失ってゆくプロセスを、メディアが総掛かりで叩きのめす光景をバラエティショーを見るように 見てみたい」(内田樹)
という「落下の快感」を求める、有権者の気分の一種の荒廃の象徴だろうというのである。
もしも、菅直人が主張するように、自分は鳩山政権の「共同責任者」でなかったのだとすれば、副総理でありながら、総理大臣の政策決定に まるで関与できなかった無能な政治家であることを、自ら宣言したようなものだからである。
そして、
菅さんの一番の問題点は、鳩山さんから見限られるほどに不信感を持たれていたということなんですよ。これはもう、彼の決定的なマイナス ですよね。鳩山さんが首相のとき、「4年間は続けてもらいたい」と言ってニコニコと演説していながら、副総理として、鳩山首相が転んでいても 苦労していても、なにも手助けしなかった。そのことに対する怨念が、鳩山さんの中で積み重なっていたんでしょうね。
という田中秀征の証言によれば、どうやら事情はもっとひどいらしいというところに、この国の不幸があるようなのである。
というわけで、
渋谷 だから逆に言えば、今はすごいチャンスだっていうことでしょ。
高橋 チャンスだね。
内田 そうそう、チャンスだと思うよ。今、この状況で、本当のところを――リアルな現実を踏まえて、 「我々の選択肢は、本当はあまりないんです。これとこれとこれぐらいしかない、あとはできません」っていうことを、 サッと言える人が出てきたら、「この人の言うことは信用できる」って思うもの。
「政治システムが成熟してしまって、誰がやっても同じだ、っていう諦観の裏側には、安心もあるんだよね」(高橋源一郎)
「縮んでいく日本、静かな日本、人口の減る日本。僕はそれでいいじゃないかと思うんだ」(内田樹)
「もう成長しない、右肩下がりのこの国で、いかに我々は気分よく老いていくか。それが、今求められる国家像です」(渋谷陽一)
2010/10/28
カラー図解 アメリカ版「大学生物学の教科書」 講談社ブルーバックス Dサダヴァ他
アセチルCoA(活性酢酸)とオキサロ酢酸からクエン酸が合成される場合には(4.2節で見るようにグルコース代謝の一部をなす 反応である)、アセチルCoAのメチル基の炭素原子が、オキサロ酢酸のカルボニル基の炭素原子と共有結合を作るように、2つの基質が 配置されなければならない。クエン酸シンターゼという酵素の活性部位は、これら2つの分子を結合したときにこれらの原子が隣り合うような 三次元構造を持っている。
なんてことを言われたって、大学受験では物理と化学を選択したため、生物の授業などまともに学んでこなかった身の上としては、 いくら理科系とはいえ、まるでチンプンカンプンなのではあるが、
「酵素によって触媒される反応では、反応物は基質と呼ばれる。基質分子は活性部位と呼ばれる酵素上の特定部位に結合し、 活性部位で触媒反応がおこる(図3−11)。」
と、きちんと絵に描いて説明してもらえれば、なるほど、溶液の中ではぐるぐる回ったりひっくり返ったりして、相互作用するには適切な 位置関係にないことが多い「基質」同士を、がっちり捕まえて妻合わせるのが「酵素」というものの役割なのか、と理解することができる。
そして私たちの体の中では、様々な微小なパーツがそれぞれの役割をけなげに担いながら、まさにそんな「絵に描いたような」精妙な活動を 日々繰り広げることで,巧みにエネルギーを生み出すサイクルを回し、その結果として私たちは「生きている」のだということらしいのである。
本書は、米国の生物学教科書『LIFE』から、
第1巻『細胞生物学』:細胞の基本構造、エネルギー代謝、植物の光合成
第2巻『分子遺伝学』:染色体と遺伝子の構造と機能
第3巻『分子生物学』:情報伝達、遺伝子工学、免疫、発生と分化
の3つの分野を抽出して翻訳したものなのだそうで、
アメリカでは、生物学を専門としない学生も、すべてこの教科書の内容を「一般教養」として学ばなければならない、などと聞かされれば、 「こんなこと」さえ知らずに、今日まで過ごしてきてしまったことに、なにやら愕然とする思いもないわけではない。
「知っている」のと「知らない」のとでは、大差なのである。
二倍体の細胞では、相同染色体の1セットは父親に、もう1セットは母親に由来している。通常の体細胞分裂では、これらの染色体は独立して 振る舞い、親細胞の染色体すべてを過不足なく2つの娘細胞は持つことになる(娘細胞の染色体は1本の染色分体からなる)。 しかし、減数分裂では、娘細胞への染色体の分配は、非常に複雑なものとなる。
2010/10/19
「おまんのモノサシ持ちや!」―土佐の反骨デザイナー梅原真の流儀― 篠原匡 日本経済新聞出版社
「おまんらは芸能プロダクションか!何百万っちゅうカネをつこうて、タレントを呼んで、ステージを構えて、歌ってもらって、 『ヤッター、人が来ました』って、これのどこが地域のためになっちゅうがぜよ!行政も地域も『地域をどうする』っちゅう考え方がない からやろうが!」
突然叱りつけられて目を白黒させているのは、大方町(現黒潮町)の企画調整係に異動したばかりの松本敏郎と同僚の畦地和也。
仕事の依頼に訪れたクライアント(しかもお役人)であるにもかかわらず、構わず怒鳴り散らしてしまったのは、土佐山田町(現香美市) に自宅兼事務所を構えている、グラフィックデザイナーの梅原真。
時はバブルのさなかとはいえ、自分たちの足元をきちんと評価することもせず、都会の背中ばかりを追いかけようとする行政担当者の姿勢に、 いささかむかっ腹を立てていたのだった。
とんだとばっちりを被った松本が、大方町の総合振興計画を立案するに当たり、それでも「この人に頼みたい」と思っていたのには、 それ相応のわけがあった。
およそ無味乾燥であることが通り相場となっているお役所の総合振興計画とは、一味も二味も違っていたことで、高知県内の自治体関係者を 驚愕させた、四万十川の最深部に位置する旧十和村の総合振興計画「十和ものさし」を作ったのが、ほかならぬこの梅原だったからである。
「十和ものさし」は
この村のものさし
どこにもないこの村だけの
今から21世紀への考え方のものさし
色あせたオレンジ色の表紙には、棒きれに目盛を書いただけのモノサシと、「自然が大事、人が大事、ヤル気が大事」という文字が刻まれていた。
『漁師が釣って 漁師が焼いた』
(「一本釣り 藁焼きたたき」明神水産)
『島じゃ常識 さざえカレー』
(隠岐島海士町・隠岐どうぜん農業協同組合)
『やんばる ふんばる 国頭村』
(沖縄県国頭村の観光ポスター)
梅原が関わった数多くの商品やプロジェクトが確実に成功を収めてきたのは、その地域や住民の持つアイデンティティに光を当てることこそが 何より大切だという梅原の信念が、その作品の根っこに息づいており、それが私たちの心に響くからであるに違いない。
私たちの町には美術館がありません。美しい砂浜が美術館です。
ものの見方を変えると、いろいろな発想がわいてくる。
4キロメートルの砂浜を頭の中で「美術館」にすることで、新しい創造力がわいてくる。
時代を少し動かせるのは、一人一人の小さな感性の集まり。
箱モノを作って終わりの地方行政に反旗を翻すかのように、大方町の砂浜をそのまま美術館にしてしまった、「砂浜美術館」にひらひらはためく 「Tシャツアート」を目にする時、
確かにそこには、「21世紀に向けて、東京ではない独自のモノサシを持つ」という揺らぐことのない自信が見えてくるのである。
「豊かさとは、自分のモノサシを持つこと、
押しつけられた価値観でなく、自分のモノサシを持つこと。
それが、幸せに生きるということやと思う」
2010/10/13
「移行期的混乱」―経済成長神話の終わり― 平川克美 筑摩書房
わたしは現在を大きな時代の転換期であると捉えるべきだと思っている。ただし、アメリカに始まった金融崩壊がその原因である というようには考えるべきではないと思っている。金融崩壊は、いくつかある移行期的な混乱のなかの一つの兆候を示しているに過ぎない と考えているからである。現在わたしたちが抱えている問題、つまり環境破壊、格差拡大、人口減少、長期的デフレーション、言葉遣いや 価値観の変化などもまた、移行期的な混乱のそれぞれの局面であり、混乱の原因ではなく結果なのである。
多くの評論家や政治家が「これは百年に一度の危機である」と右往左往しておきながら、いざそれに立ち向かうに、このわずか十数年間に 慣れ親しんできた「右肩上がりの経済」を前提とした言葉遣い以外のなすすべを持たないということ。
たとえば、「株主利益」「レバレッジ」「時価総額」「経済成長戦略」「少子化対策」「高齢化対策」・・・
つまりこの「言葉遣い」こそが「百年に一度の問題」の一つの結果であり、これらの言葉遣いの中に、「百年に一度」の混乱の因子が含まれている と考えるべきではないかというのである。
歴史的な「現在」に対する自分自身の立ち位置を確認するために、戦後の日本社会の変遷を「経済成長率」の推移で指標化し、
「60年安保と高度経済成長の時代」(1956〜73)
「一億総中流幻想の時代」(1974〜90)
「グローバリズムの跋扈」(1991〜2008)
成長率9%の「義」の時代から、3%の「消費の時代」を経て、1%の「金銭一元的な価値観」にたどり着くまで、日本人の労働に対する意識が どのように変遷していったかを跡付けてみせた著者は、
今私たちがまさに立ち会っている、人口が減少し、高齢化が劇的に進行し、生産活動が停滞し、社会的流動性が失われてゆく「現在」とは、
日本における歴史上始まって以来の総人口減少という事態は、なにか直接的な原因があってそうなったというよりは、それまでの日本人の歴史 (民主化の進展)そのものが、まったく新しいフェーズに入ったと考える方が自然なことに思える。
これまで日本を支えてきたシステムが崩れつつあり、新たなシステムに移行する過程で、さまざまな混乱が生じている「移行期的混乱」 とも呼ぶべき、歴史的事実なのではないかというのである。
では、私たちはどうすればよいのか?
著者が指し示す未来に向けてのビジョンとは、いったいどのようなものなのか?
わたしたちに判っているのは、文脈的移行期においては、どう考えればよいのかという手近な回答には意味がなく、なぜわたしたちは こんなふうに考えるのかと考え、どう考えてはいけないかという原理的な問い返しをすること以外に、わたしたちの立ち位置を確認することが できないということである。
と「受け取り方」によっては、はなはだ無責任な突き放し方をされたように感じるかもしれないが、
「(自分の父親のような)下層中流の日本人が戦後の混乱期をくぐりぬけ、高度経済成長、相対安定期を経て、気がつけば、戸建の家と わずかな現金を残していた」ことに、新鮮な驚きを感じながら、
「自分も含めてこの世代の人間たちが、齢80を越したときにはどれだけの恒産が残っているのだろうか」と、成長の夢を見続けることの虚しさ を語る姿に、いささか胸を突かれながら、
この人の見据えている未来を信じてみても悪くはないような気がしたのだった。
経団連をはじめとする財界が「政府に成長戦略がないのが問題」といい、自民党が「民主党には成長戦略がない」といい、 民主党が「わが党の成長戦略」というように口を揃えるが、成長戦略がないことが日本の喫緊の課題かどうかを吟味する発言はない。
「日本には成長戦略がないのが問題」ということに対して、わたしはこう言いたいと思う。
問題なのは、成長戦略がないことではない、成長しなくてもやっていけるための戦略がないことが問題なのだと。
2010/10/6
「幕末史」 半藤一利 新潮社
厳密にいえば、慶応元年(1865)、日本の国策は朝廷も承諾して開国と決まり(やがて攘夷するためにひとまず開国を納得し)、 幕府も朝廷も各藩も少なくとも意見は一つにまとまったのです。したがって公武合体であれ共和制であれどんな方法であれ、そこから国づくりを はじめてよかったのです。しかしながらそれとは関係なしに、いっぺん終わったはずの尊王攘夷運動が、武力でもって幕府を倒す「尊皇倒幕」に 変わり、わずか三年の間に権力奪取の暴力的な動きとなったのです。
戊辰戦争において敢然と“官軍”に立ち向かったため、“賊軍”と位置付けられることになった、越後長岡藩に父の生家があったため、
「明治新政府だの、勲一等や二等の高位高官だのとエバッテおるやつが、東京サにはいっぺえおるがの、あの薩長なんて連中はそもそもが 泥棒そのもなんだて、七万四千石の長岡藩に無理やり喧嘩をしかけおって、五万石を奪い取っていってしもうた、なにが官軍だ。 連中のいう尊皇だなんて、泥棒の屁みたいな理屈さネ」
という祖母の昔語りを子守歌代わりに育ったらしい半藤さんの、筋金入りの「反薩長史観」に基づく、幕末から明治十一年までの日本の歩みの 一人語りなのであれば、
これは、「薩長史観」(NHK大河ドラマ『龍馬伝』とか)を子どもの時から刷り込まれて育った私たち日本人の目から、 まさに鱗を落としてくれること請け合いの快著なのである。
マッカーサーが天皇をダシにして占領統治を非常にうまくやったように、天皇をうまく使って国家を乗っ取る――というと薩長好きの人には 悪いですが、そのための玉(ぎょく)ということを意識はしたと思いますが、いまの私たちが考えているようなかたちで、天皇陛下がすごい 尊いものであるといった意識は薩長の人たちにもなかったと思います。
「天皇中心の皇国日本」という考え方で、偉大なる明治天皇が先頭に立って、新しい国づくりを始めた、「明治維新」とは、そんな天皇の 尊い意志を推戴して成し遂げられた大事業である。
などというのは、薩長が自らに都合よく描き出した「絵空事」にすぎず、それこそがまさに「薩長史観」なのだというのである。
慶喜が将軍になってから、公武合体に傾きかけた孝明天皇が急死したのは、倒幕派による毒殺だった。
大政奉還により徳川家が一大名になるのであれば、武力討幕の必要はないと主張する坂本龍馬を暗殺した黒幕は、龍馬が邪魔になった薩摩だった。
などなど、
興味津津の自説を交えながら、飄々と語り進められていく「幕末」のドタバタ劇の中で、半藤さんが評価しているのは、
そんなつまらないことを言ってないでもっと大きな目で見ろ、日本全体を思えば今がチャンスなんだ。戦争などせず新しい国づくりを はじめたほうがいい
と一段高いレベルから日本という国家の将来を見据えることで、江戸城の「無血開城」を成し遂げた勝海舟と、
虎や豹みたいなこす辛い連中が世を謳歌しているところにはとてもいる気がないので、サヨナラを言わざるを得なかったよ
と天皇への忠誠は二の次で権力闘争に明け暮れる明治政府の面々に愛想を尽かし鹿児島へ隠遁しながら、 やがて西南戦争において政治家・大久保との「私闘」に敗れた愛すべき道義主義者、西郷隆盛ということになるのだろうか。
というわけで、結果的に「明治維新」の埒外に置かれた、勝と西郷の二人の英雄を軸に語られたこの物語の題名が、 「幕末維新史」ではなく「幕末史」であるのは、どうやらそのあたりに理由があるようなのである。
繰り返しますが、国策が開国と一致したのに、あえて戦争に持ち込んで国を混乱させ、多くの人の命を奪い、権力を奪取したのです。 「維新」とカッコよく呼ばれていますが、革命であることは間違いないところです。将軍を倒し、廃藩置県によって自分の属している藩の殿様を 乗り超え、下級武士であるものが一斉に頂点に立つ。では、つぎにどんな国を建設するのか、という青写真も設計図もヴィジョンもほとんどなく、 なんです。
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