徒然読書日記201008
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2010/8/29
「トレイシー」―日本兵捕虜秘密尋問所― 中田整一 講談社
捕虜は隔離して調べた後、暖かい衣服、食事、治療、タバコなどを与え、捕虜を物理的に保護しなければならない。 我々の第一の目標は価値ある情報を得ることであり、その上位に人道的配慮を位置づけること。捕虜は、名前、階級、兵籍番号を 言わなければならない。これはジュネーブ条約で定められており、それ以外の情報は、望まなければ提供する必要なし。(略) 通訳に任命されたものは、辛抱強く、思いやりをもって捕虜と接することができなければならない。
1942年12月、アメリカ陸海軍が共同でカリフォルニア州バイロンに開設した秘密の捕虜尋問センター(暗号名トレイシー)は、 各地の戦場で捕虜となった日本軍将兵の中から、戦略上重要な情報をもつと思われる者のみを選抜して送り込み、尋問するための施設だった。
終戦直前の本土決戦におけるアメリカが、日本の主要な「航空機製造工場」がどこに存在しているかを正確に把握しているばかりか、 その工場の、どこにどんな機械が置かれているのかまでを、まるでわかっているかのように効果的に爆撃することができたのは、 形勢逆転の契機となった「ミッドウェー海戦」以降、続々と送り込まれるようになった日本兵の捕虜たちから、巧みな尋問技術によって 詳細にわたって導き出したものだった。捕虜となった近衛兵が描いたと思われる皇居の地図には、天皇がどこで政務を執り、衣替えをし、 食事をするかまでが、手に取るように描かれていたのである。
アメリカがこの「尋問センター」の存在を、戦後長い間にわたって「極秘」にしてきたのは、捕虜たちに対してとったある「行為」が、 ジュネーブ協定に抵触していたからだったようなのだが、しかし、東西の冷戦が終わって、アメリカが第二次大戦中の機密文書を公開し始めた ことによって、明らかになってきたのは、なにも「盗聴」などという汚い手段に頼らなくとも、
日本兵捕虜たちが尋問官の質問に答えて、「トレイシー」であらゆる情報をしゃべったことである。むしろ米軍に協力姿勢を見せた と思われるものもいる。
という驚くべき事実だった。
第32回「講談社ノンフィクション賞」受賞作品。
<生きて虜囚の辱めを受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ>
という「戦陣訓」の存在により、攻撃精神一辺倒の戦争観と死生観を刷り込まれてきた日本兵には、
「万一捕虜となった場合、どう対処すればいいのか」
「尋問されたら、何を話してよいのか、話してはいけないのか」
その規準もなければ、教育も受けていなかった。日本軍の辞書に「投降」という単語はなかったのである。
アメリカが「トレイシー」の存在を極秘にし続けてきたのはまた、尋問で証言した捕虜たちが帰国後、故国で不利益を被ることに配慮したから でもあった。
捕虜として拘束されたらどうすべきかということについて、真名子信(福岡出身の下士官)は、これまでに何ら指導を受けたことはない。 日本軍の訓練においては、乗組員は全員、捕虜として拘束されるよりも、戦闘で死ぬべきであると教えられていたからである。 そのため、かれとその他の捕虜たちは、日本政府や自分の家族に、自分が捕虜であることを示す通知が送られないことを望んでいる、 その情報が届いてしまえば、自らの恥辱をさらすことになるからである。
2010/8/26
「岩崎彌太郎」―「会社」の創造― 伊井直行 講談社現代新書
第一条 当商会は、かりそめに会社の名をつけ会社の体をなすといえども、その実全く一家の事業にして、他の資金を募集し結社する ものとは大いに異なり、故に会社に関する一切のこと及び賞罰や地位の上下などは、全て社長に理非の判断を仰ぐべし
岩崎彌太郎が国家の海運事業を一手に握ることで、ほとんど一代でその礎を築き上げた「三菱」という組織が、 日本における会社誕生の歴史にまったくと言っていいほど登場してこないのは、なぜなのか。
それは、岩崎彌太郎が政府の事業を委託されるにあたって義務付けられた、会社としての組織を明確にするための「三菱汽船会社規則」の 「立社体裁」を読んでみれば、おのずと明らかとなる。
第二条 故に、会社の利益はすべからく社長の一身に帰し、会社の損失もまた社長の一身に帰すべし
会社の利益も損失もすべて社長のもの、つまり会社は自分の持ち物だというのは、近代的な会社のありようをまるで理解しない者の言葉であり、 (余談だが、我が社の創業者である私の祖父は、「かまどの灰までわしのもんや」と、よく口にしていた。) 三菱=岩崎彌太郎は、みずから「会社ではない」と宣言していたというのだった。
NHK大河ドラマ『龍馬伝』の語り手として、一躍スポットライトを浴びることとなった「岩崎彌太郎」という人物は、 どうやら「香川照之」演じる所の人物とは、いささか趣を異にしているらしい。
あの
『お母さんの恋人』
の小説家・伊井直行が、「悪辣な政商」という悪役キャラクターとして語られることの多いこの人物を、どのように料理して見せてくれるのか、 私の興味はもっぱらそこにあったのではあるが・・・
その出生から死亡まで、公・私に分けて綴られた二種類の「日記」の読み込みを中心に、種々様々な資料にあたることで、 丹念に跡づけられた岩崎彌太郎の生涯には、大河ドラマ『龍馬伝』の裏面史を読むようで、まことに興味深いものがあったとはいえ、 「岩崎彌太郎は、自身の人生に何を望み、何を得たのだろうか?」ということになると、残念ながら、 「彌太郎には人生の芯になるほどの一貫した願望はなかった」と言わざるを得ないようなのである。
つまり、岩崎彌太郎は、龍馬のような物語の主人公ではなく、あくまで語り手だったのだが、 時代はむしろ、そんな彌太郎の個性をこそ、必要としていたのである。
私が彼の商会に注目するのは、(株式会社ではなく、単に)会社と会社員の誕生の瞬間を「目撃」でき、そのことを通じて、 会社や会社員とは何なのかを知るヒントが得られると考えたからだ。会社員とは、自発的な意思で会社に参加する者であるとすれば、 土佐商会に属していたのは武士であり、個々の私的生活という最低限の条件を満たしていることになる。 ならば、私たちはすでに会社と会社員の誕生の瞬間を「目撃」した。三菱の創生期は、会社と会社員の「創世記」でもあった。
2010/8/22
「乙女の密告」 赤染晶子 文芸春秋
乙女達には二つの派閥がある。「すみれ組」と「黒ばら組」である。バッハマン教授が分けた。特に意味はない。会合などもない。 乙女というものはちょっとややこしい生き物だ。それをバッハマン教授がさらにややこしくした。みか子は「すみれ組」だ。貴代は「黒ばら組」だ。 バッハマン教授は乙女達ひとりひとりに尋ねたのだ。
「あなたはいちご大福とウィスキーではどちらが好きですか」
「ウィスキー」なら「黒ばら組」で、「いちご大福」と答えれば「すみれ組」だという、このほとんど無意味な派閥分けは、 しかし、いったん色分けされてしまうと、自分とは違う異質な存在をきっちりと認識する「乙女」という生き物の間に、 恐ろしいほど定着していったのだった。
本年度「芥川賞」受賞作品。
学生は圧倒的に女子が多いらしい京都の外国語大学に通う「乙女」達に対して、アンゲリカ人形を常に胸に抱き、ひよこのキッチンタイマーで 制限時間を測るというドイツ語のスピーチゼミ担当のバッハマン教授が与えた課題は、『ヘト アハテルハイス』(アンネの日記)の中でも、 「一番重要な1日」の暗唱だった。
しかしバッハマン教授が指定した「その日」は、熱心な「アンネ・フランク」ファンであるみか子の予想を裏切って、 アンネ自らが『わたしの人生の中でとても重要な日です』と言っている、ペーターとキスをした「4月15日」などではなく、 隠れ家の隠しドアのすぐ後ろまで警察がやってきて、自分が「ユダヤ人」であることを痛いほど思い知らされながら、
『わたし達ユダヤ人は他の国の人間になれたとしても、いつだってそれに加えてユダヤ人でもあり続けなければならないのです。 そのことを望んでもいるのです。』
と「ユダヤ人」であることに強い自覚を持つにいたった「1944年4月9日、日曜日の夜」だと言うのである。
スピーチコンテストに向けて、「血を吐く」までの練習を重ねながら、どうしても同じ所で言葉を忘れ、立ち尽くしてしまうみか子だったが、
「それがみか子の一番大事な言葉なんやよ。それがスピーチの醍醐味なんよ。スピーチでは自分の一番大事な言葉に出会えるねん。 それは忘れるっていう作業でしか出会えへん言葉やねん。その言葉はみか子の一生の宝物やよ」
とコンテスト荒らしの常連、弁論の部のエキスパート、あこがれの麗子様も見抜いた通り、 その「ど忘れ」を突き抜けたところにこそ、自らの言葉の発見が待っていたのだった。
『今、私が一番望むことは、戦争が終わったらオランダ人になることです!』
「わたしは密告します。アンネ・フランクを密告します」
会場がざわめく。みか子はやっと言葉を得た。自分の言葉で語る。わたしはアンネ・フランクを密告するのだ。
「アンネ・フランクはユダヤ人です」
2010/8/18
「失われし書庫」 Jダニング ハヤカワ文庫
「四十日の昼と夜」
その言葉をしばらく検討してから、私はいった。「もしかしたら、次にヒントが出るのか?」
「ある段階まで進んだら、四十日の昼と夜をかけて相手のことを知るようにしているの。最初の質問に戻るけど、あなたが“愛してる”というとき、 本当に愛してるかどうかわかるの?これまで誰かを愛したことあるの?」
「あるよ。一人だけだが」
「どんな人だったの?」
「きみとよく似てたよ。きみほどぶっ飛んでたわけじゃないが、頭の回転は同じように速かった。打てば響く感じだったな。」
いくら「打てば響く」からといって、この会話から青木淳悟の『四十日と四十夜のメルヘン』(新潮社) まで想い起こせなどということがあるはずはないが、
「七日の後、わたしは四十日四十夜、地に雨を降らせて、わたしの造ったすべての生き物を、地のおもてからぬぐい去ります。」
という『創世記』(ノアの箱舟)のくだりぐらいには、せめて思い及んであげなくてはまずいのではないか。
元刑事の古書店経営者・クリフと、作家志望の敏腕弁護士・エリンとの間で交わされる、丁々発止の「受け答え」を楽しみながらも、 そこに含みこまれているはずの意味を、完全には理解できていないのではなかろうかという不安を覚えてしまうのは、私だけなのだろうか?
翌日、エリンから電話があり、私の留守番電話にメッセージを残していった。「勧誘電話だったら、お断り。 でも、あたしは名簿に登録した民主党員だから、誰とでも話をするわ」
「うまい台詞だ」私は彼女の留守番電話にメッセージを残した。 「気に入ったよ。ジェイムズ・ケインが三十年前に書いた小説に出てくる文句だが」
というわけで、古書店探偵クリフ・ジェーンウェイが、「稀覯本」がらみの事件に巻き込まれ、その謎を解くというシリーズ、 『死の蔵書』、『幻の特装本』に続く(といっても前作から随分間が空いたけれど)、これは第三作なのである。
19世紀イギリスの探検家リチャード・バートン(日本では『バートン版千夜一夜物語』の翻訳で有名)の稀覯本を入手したクリフの元に、 「その本は、バートンと親交のあった祖父の、騙し取られた蔵書の中の1冊だ」と主張する老婦人が訪ねてくるところからこの物語は始まる。
祖父の『失われし書庫』の中には、膨大な数のバートンの署名入りの初版本だけでなく、自筆の日誌までが含まれており、 その生涯の中の「空白」と呼ばれる3カ月に、祖父と行動を共にしたバートンが、南北戦争のきっかけをつくることになった 「一部始終」が記されているというのだった。
なるほど、これなら、たとえジェイムズ・ケインなんて全然知らなくったって、十分面白い。
これは、本好き垂涎の古書蘊蓄ミステリーなのである。
もう会話はこれで終わりのようだ。そう思って、気が滅入った。だが、しばらく電話料金を無駄にしたあと、彼女はいった。 「今日がなんの日か知ってる?」
もちろん知っていた。だから電話に出たのだ。私は一日じゅうそのことを考えていた。今日が四十日目なのだ。 私はしばらく電話線の雑音に耳を傾けていた。やがて、彼女はいった。「そこにいて。これから行くわ」
2010/8/15
「宇宙飛行士選抜試験」 大鐘良一 小原健右 光文社新書
「宇宙飛行士」という職業に就く人間は、世界でも数える程しかいない、いわば「人類代表」である。 そうした、天才とも超人とも思われる宇宙飛行士が選ばれるプロセスそのものへの興味と、想像を絶する激しい競争が見られるのではないか という大きな期待があったからだ。
2008年2月、日本では実に10年ぶりとなった宇宙飛行士2名の募集には、「宇宙への夢」を胸に抱きながらこの機会を待ちに待っていた、 史上最多963人の「エリート」たちの応募があった。
このいわば「日本最難関」ともいうべき選抜試験の取材を日本で初めて許され、候補者10人に絞られた最終試験での一部始終を密着取材する ことに成功した、この本は、NHKの番組スタッフによるドキュメンタリー番組制作の記録なのである。
最終試験に残った10人は、「パイロット」が4人、「技術者」が3人、「医者」が2人、「物理学者」が1人。
それぞれが第一線で活躍している人材ばかりで、いずれもが、現在の職場で築き上げた高い地位と恵まれた待遇(年収数千万円)をかなぐり捨てて、 「宇宙飛行士」という、リスクが高い割には公務員並みの待遇(年収数百万円)にすぎない職場への「転職」に命を掛けることを選択したわけだが、
およそ1年がかりで追い続けた宇宙飛行士選抜試験で我々が目にしたものは、超人が華々しくその天才ぶりを発揮する姿でも、 凡人には理解できない難解な試験が繰り広げられる光景でもなかった。
あえて短い言葉で表現するなら・・・
<どんなに苦しい局面でも決してあきらめず、他人を思いやり、その言葉と行動で人を動かす力があるか>
その“人間力”を徹底的に調べ上げる試験だったのである。
外部とは完全に隔離された「閉鎖環境」という狭い空間に閉じ込められて、24時間監視されながら1週間の集団生活を送る、 という極限の「ストレス」環境下に置かれている、彼らに課された課題とは、
「時間内に千羽鶴を折ること」
「短い時間で自己アピールをすること」
「2チームに分かれて癒しロボットを作ること」など。
それは、様々な試練を勝ち抜けてきた彼ら「エリート」たちにしてみれば、普通の状況下であれば、ある意味「お手の物」の課題であった のかもしれないが、あらゆる行動が選別評価につながるという極度の緊張の中で、普段では考えられないような失敗を犯す候補者が続出する ことになる。
しかし、「宇宙飛行士」選抜にあたってJAXA(独立行政法人・日本宇宙航空研究開発機構)が見ようとしていたのは、 誰が「勝ち抜ける」のかということではなかった。
JAXAの「評価基準」のポイントは、
1.時間内に決められた作業を、きちんと達成できるように、集団をコントロールできるか。
2.チーム内に意見の対立があっても、それをまとめて、課題を遂行できるか。
3.チームに目標を示し、それに向かって作業を進めることができるか。
4.リーダーからの指示を正確に実行できるか。
5.必要な場合、リーダーに対して適切に意見を述べることができるか。
つまり、極限のストレス環境下でも、チームの置かれている状況を的確に把握し、場面に応じて「リーダーシップ」(指導力)と 「フォロワーシップ」(リーダーに従い支援する力)を発揮できるか。
日本人初の「船長」になりうる人材を見出そうとしたJAXAは、それを見極めようとしていたのであった。
2010/8/9
「ローマから日本が見える」 塩野七生 集英社文庫
「古代のローマは古代のギリシアの模倣に過ぎなかったと教科書にはあるけれど、模倣だけで千年もつづき、 しかも大帝国として繁栄できるわけがないと思いますが?」
先生たちが教えることをそのままでは信じようとせず、困った顔をさせてしまうような質問を発してしまう、先生たちにとっては 「あまり嬉しくない」学生であったに違いないという著者が、1992年から毎年1年に1冊、15年かけて全15冊で完結させた、 畢生の名著『ローマ人の物語』において、紀元前753年の建国から始まって、およそ8世紀にわたるローマ帝国の興亡の歴史を描きつくす中で、 痛感したのは、
「ローマ人とはつくづく『リストラ』に長けた民族であった」という事実だったという。
ローマ人が行なった政治改革は、大きなものだけを数えても三回、
紀元前509年の王政から共和制への移行。
(一人の王に変わって、毎年選出される2人の執政官が国政の最高責任者となる)
紀元前390年の共和政体内部の改革。
(貴族と平民との階級闘争にピリオドを打ち、政府の要職を平民にも開放する)
紀元前44年の共和制から帝政への移行。
(カエサルがルビコンを渡り、終身独裁官となる)
哲学的思考によって真理を追い求めるギリシア人とも、あるいは一神教の絶対神を信じるユダヤ教やキリスト教の信者とも違って、 ローマ人にはこの種の「絶対」は馴染まない。
どれほど優れたシステムであっても、人間が作るものである以上、必ず欠陥を隠し持つという現実的な感覚を持ちつづけたことが、 文化や政治や経済において華やかな成功を収めたギリシアの輝きが長続きしなかったのと対照的に、 ローマが千年にも及ぶ長い歴史を持つことが出来たことの理由だというのだった。
「どんなに悪い事例とされていることでも、それが始められたそもそものきっかけは立派なものであった」(カエサル)
システムが悪いから問題が起きているのでもなければ、システムの運営に問題があるのでもなく、システムと外界とのマッチングが 悪くなったから問題が発生している、ということに気づかず、古い統治システムを全否定してしまうことは、かえって問題の本質を 見えなくしてしまうというのであり、現代日本が長い混迷状態から抜け出すためには結局のところ、カエサルのような強力なリーダー が出てくるか否かにかかっているというのだが・・・
何しろ日本人はローマ人と似た多神教の世界に長く暮らしてきた民族であり、一神教のキリスト教からはそれが「幸」にしろ「不幸」にしろ、 まったくと言っていいほど精神的影響を受けていない。また欧米とは違って「教養としてのローマ史」をまなぶという風土もありませんでした。
つまり日本人はローマ史に関する限り、ずっと白紙の状態できたのであり、それだからこそかえって、欧米人よりはずっと公平な観点で、 素直な気持ちでローマ人たちの知恵を学ぶことができる。これは幸運なことではないかと私は思うのです。
2010/8/8
「これからの「正義」の話をしよう」―いまを生き延びるための哲学― Mサンデル 早川書房
2004年夏、メキシコ湾で発生したハリケーン・チャーリーは、猛烈な勢いを保ったままフロリダを横切って大西洋へ抜けた。 22人の命が奪われ、110億ドルの被害が生じた。チャーリーは通過したあとに便乗値上げをめぐる論争まで残していった。
「あるガソリンスタンドでは、一袋2ドルの氷が10ドルで売られていた。」
「老齢の夫と障害を持つ娘を連れて避難した77歳の婦人は、いつもなら一晩40ドルのモーテルで160ドルを請求された。」
『USAトゥデイ』紙には「嵐の後でハゲタカがやってきた」という見出しが躍ったが、自由市場を信奉する経済学者のソーウェルは、 「『便乗値上げ』のおかげでフロリダの住民がどれほど助かるか」を説明しようとさえした。
ハリケーン・チャーリーが通り過ぎた後で巻き起こった便乗値上げをめぐる論争は、道徳と法律に関する難問を提起している。 商品やサービスの売り手が自然災害に乗じ、市場でつく価格であればいくらでも請求することは間違っているのだろうか。 だとすれば、法律はなにをすべきだろうか(できることがあるとしての話だが)。売り手と買い手が持つ取引の自由に介入することになっても、 州は便乗値上げを禁止すべきなのだろうか。
ハーバード大学史上空前の履修者数を記録し続ける超人気講義、サンデル教授の「Justice(正義)」は、このような、 一見「とっつきやすそうな」設問から始まるのが常なのであるが、それは、
「昨今隆盛を極めている『難しいことを噛み砕いて解説する』手法ではない。むしろ逆で『噛み砕いて難しいことを問う』姿勢に貫かれている、 これが人気の秘密だろう。」(宮崎哲弥@朝日新聞)
という的確な指摘にもある通り、例えば「良心に照らして」といったような、「わかりやすい説明」を持ち出して「納得」するような、 安易な解答を求めるために掲げられた設問なのでは、決してない。
これらの問題は、個人がおたがいをどう扱うべきかというテーマにかかわるだけではない。法律はいかにあるべきか、 社会はいかに組み立てられるべきかというテーマにもかかわっている。つまり、これは「正義」にかかわる問題なのだ。
「正義」の意味を探求するために、サンデル教授がこの講義で用意した切り口が、正義に関して異なる考え方を示す「三つの理念」、
「幸福の最大化」― 功利主義(最大多数の最大幸福)
「自由の尊重」― リバタリアニズム(自由至上主義)
「美徳の涵養」― リベラリズム(義務、契約、目的)
なのであり、アリストテレス、ロック、カント、ベンサム、ミル、ロールズ、そしてノージックといった古今の哲学者たちの考え方をひも解きながら、 金融危機、経済格差、テロ、戦後補償などといった、現代世界を覆う無数の困難を生き延びるための、これからの「正義」について、 共に考えてみようという、これは実にしたたかな呼び掛けなのである。
この探求の旅を通じて、われわれは正義に対する三つの考え方を探ってきた。第一の考え方では、正義は功利性や福利を最大限にすること を意味する――最大多数の最大幸福である。第二の考え方では、正義は選択の自由を尊重を意味する――自由市場で人びとが行なう現実の選択 (リバタリアンの見解)にしても、平等な原初状態において人びとが行なうはずの仮説的選択(リベラル派の平等主義の見解)にしても。 第三の考え方では、正義には徳の涵養と共通善の判断が含まれる。もうおわかりだろうと思うが、私が支持する見解は第三の考え方に含まれる。
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