徒然読書日記201004
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2010/4/26
「ぼくらの頭脳の鍛え方」―必読の教養書400冊― 立花隆 佐藤優 文春新書
佐藤 「立花さん、蔵書数はどれくらいあるんですか?
立花 「地下一階、地上三階のビルを仕事場にしていますが、十年ほど前に数えたときには、約三万五千冊でした。」
(ちなみに、十年で倍ぐらいになっているとして、現在は七、八万冊ぐらいなのだとか・・・)
という、かたや「知の巨人」立花隆と、
立花 「佐藤さんは監獄のなかで何冊読んだんでしたっけ。」
佐藤 「五百十二日間で二百二十冊読みました。もう一回入ったら、今度はもう少し効率的にきちんと本を読みます。 あそこは読書にはよい環境です。」
(ちなみに、蔵書数はごく控え目に約一万五千冊だそうで・・・)
という、こなた「知の怪物」佐藤優とが、
「二十一世紀を生きるための教養書」を書斎の本棚から百冊ずつと、「書店に今並んでいる文庫、新書」から百冊ずつの、 「必読の教養書」合計400冊を選び出して、蘊蓄を傾け合うという、「空前絶後のブックガイド」なのだそうだが、 「え?こんな基本的な本を、なんで今さら我慢して読まなきゃならないの?」と思わず口走ってしまうような、という意味で、 つまり、その内容はなんとなく知っているほどに有名な本ではあるが、結局は読まなかった、 という意味で敬して遠ざけたくなるような本ばかりなので、羅列された「必読書」のリストの方には、 実は「拍子抜けする」ほどに魅力がないのではある。(これほどに「読書欲」を減退させてしまう紹介本は珍しい。)
とはいうものの、これは「ブックガイド」なのであれば、
「なぜこの本を読まねばならないのか」
「どのようにこの本を読めばよいのか」
という観点から始まって、縦横無尽に展開されていくことになる「ロシアの地政学」、「インテリジェンスの技法」から、「宇宙論」、 「ヒトゲノム」まで、お互いの専門分野を「きちんと拝聴する」という意味では尊重しながらも、 実は「私もそれなりの一家言は持っている」という底知れない知識の奥の深さを垣間見せようとしてしまうあたりの駆け引きがスリル満点で、 このご両人の「頭脳の鍛え方」には、さすがに侮れないものがあるのであった。
『ぼくはこんな本を読んできた』という、立花隆はまあいつものことだとしても、 『ぼくはこんな本まで読んでるもんね』とでもいうかのような、佐藤優の「鼻もちならなさ」さえ気にしなければ、 これはそれなりに楽しめる、価値ある一冊ではあろうと思う。
立花 「雨宮さんはわかるんですが、『断る力』の勝間和代さんなんかはどうなんですか。僕はちょっと、俗物すぎて、 つきあえないなという感じがするんだけど。」
佐藤 「彼女は古典に対する関心がほぼゼロです(笑)。私の推察では、読んでも、努力の割に得るところが少ないと言うので、 勝間さんは古典を切りすてていると思うのです。しかし彼女に関して、世間で非常に誤解されていると思うんです。 彼女の発想とは、基本的にはマルクスの『資本論』で言うところの熟練労働者になれというものだと思うんですね。」
2010/4/18
「完全なる証明」 Mガッセン 文藝春秋
世界中の一流大学から降るように舞い込んだポストの申し出もすべて断った。2006年には、数学における最高の栄誉である フィールズ賞が授与されるはずだったが、彼はこれも辞退した。そしてそれ以降、ペレルマンは数学者ばかりか、ほとんどすべての人と 連絡をたってしまったのである。
2002年11月、100万ドルの賞金がかけられた数学史上最大の難問「ポアンカレ予想」の証明が、インターネット上に公開された。
ロシア人数学者グリゴーリー・ペレルマンのこの証明は、ほかの数学者たちの1年半にも及ぶ綿密な分析により、 やがて完全に正しいことが明らかになるのだが、
「なぜペレルマンは、ポアンカレ予想の証明を達成することができたのか?」
「なぜペレルマンは数学を捨て、自分がそれまで住んでいた世界まで捨ててしまったのだろう?」
「なぜ彼は賞金の受け取りを拒むのだろうか?」
という3つの疑問からスタートして、「姿を見せようともしない」謎の天才数学者の実像に迫ろうとする著者の、この困難な試みが、 私たちの胸に響くのは、
70年代のソ連の子どもたちは、全土で毎朝同じ時間に、学校に同じ服で出かけ、同じ内容を学習した。
科学がイデオロギーに従属するソ連において、例外的に国の威信をかけて実践された英才教育としての「天才数学者」の育成プログラム、 (そして著者のガッセンは、ペレルマンと同い年のユダヤ人で、この英才教育を受けた天才数学少女でもあったのだ) イデオロギーの砂漠に奇跡のように生み出された、そんな「オアシス」の中で、大切に育まれてきた「証明前」の時代と、
もしもあなたが、途方もない難問を解いた人物に対し、大学が――その大学にはそれを理解できる者が一人もいなくても―― 金銭の提供を申し出るのは当然だろうと思うなら、次のような例を考えてみてほしい。
どの作品も読んだことのない出版社から「あなたは天才だそうだから、契約書にサインしてほしい」と言われた作家、 という「悪い」冗談のような「証明後」の時代とが、「ペレルマンに振り回されながらも集団として最善を尽くそうと努力する」 愛すべき数学者たちへの、丹念なインタビューによって跡付けられ、深みをもって「立体的」に描き出すことに、成功しているからなのに違いない。
惜しむらくは、さすがに「ポアンカレ予想」を解いた男だけのことはあって、「立体的」に描き出されたその人物像は「4次元立体」 (切り口が球なのである)のように複雑だったため、わたしたち門外漢には、なかなかその全貌が掴みにくかったということのようなのである。
そして、そんなペレルマンにとっても、
いかに強靭な頭脳にも、人間行動という複雑きわまりないものの全貌を捉えることはできない――とりわけ、野心や幻滅のために、 ときに矛盾した、必ずしも立派とはいえない行動がとられてしまった場合には。証明を成し遂げたのちにペレルマンが出会ったのは、 まさにそうした複雑な人間行動だった。彼が世界とのつながりを絶ち、世間の栄誉や注目、そして金銭も打ち捨てたのは、そのためだったのだ。
2010/4/14
「入門!論理学」 野矢茂樹 中公新書
いくつかの前提からなんらかの結論を導くもので、その導出が絶対確実なもの(前提を認めたならば結論も必ず認めなければならないもの)、 そのようなものを「推論」と呼びます。あるいは、もうちょっと専門的というか堅い言い方では、「演繹(えんえき)」と呼ばれます。 論理学が扱うのは、まさにここなのです。
前提1 タヌキは有袋類である。
前提2 有袋類の雌のお腹には袋がある。
結論 だから、タヌキの雌のお腹には袋がある。
という「論証」が、「演繹」としては正しい「導出」の道をたどっているにもかかわらず、間違った「結論」に辿り着いてしまうのは、 あくまで「前提」が間違っているからにすぎない。
つまり、もしもこの「前提」が正しいのなら、「タヌキの雌のお腹には袋がある。」ことになるというのが、 「論理学」における正しい「演繹」の態度だというのである。
「論理学」入門の第一歩ではあるけれど、同時に、何度でも立ち戻ってこなければならない論理学の核心部分を「哲学」しようという、 いささか欲張りなこの本は、記号を使わずに「記号論理学」を紹介してみようと、わざわざ「タテ書き」にしてしまったということ一つをとっても、 実に意欲的な野矢さんの挑戦なのだった。
この本で取り扱われている「言葉」は、「ではない」(否定)、「かつ」(連言)、「または」(選言)、「ならば」(条件法)、「すべて」(全称)、 「存在する」(存在)、の全部で6つで、これらのきわめて基本的な「語彙」を用いた「命題」に対して、その主張が、
・他のどういう主張から導かれるか(導入則)
・他のどういう主張を導けるのか(除去則)
という「論理法則」を丁寧に跡付けていくというやり方で、論理学の基本的な体系を解き明かしていこうとする。
たとえば、
ある状況で「Aではない」と正しく主張できるのは、その状況で「A」と主張するとまちがいになるときである。
という、論理学が扱う場合の「否定」の意味からスタートして、「A→(Aではない)ではない」は問題なく正しいが、 「(Aではない)ではない→A」はそれほど単純ではなく、これが成立するためには「Aまたは(Aではない)」は正しいとする 「排中律」を認める立場に立たねばならない。
(「A=好き」、「Aではない=嫌い」とすると、「好き→嫌いではない」は問題なく正しいが、「嫌いではない→好き」とは限らない、 「好きでも嫌いでもない」かもしれないのである。)
などという、「これでもか」の議論が、時に軽妙な話題も交えながら、繰り広げられていくことになる。
そして、実に驚くべきことに、ここで論じられた6つの「語彙」のみによって構築された「公理系」の世界は、
・妥当な論理法則だけを証明して、妥当ではない論理法則まで証明してしまうことがない。
・妥当な論理法則のすべてを証明することができる。
という意味で「健全」で「完全」な体系だというのだった。
私たちがここで別れを告げようとしているもう一本の道は、人間の視点から捉えられた限定された世界の論理、ある主張に対して、 正しいともまちがっているとも言えないような状況があることを認める、そんな論理にほかなりません。
私自身は、こうした「人間の論理」の道を進んでみることに共感をもっています。でも、最初のツアー・ガイドとしては、 やはり標準的な体系の道を進みましょう。私がここでめんどくさいのもかえりみずに、進みもしない道を示したのは、 ややもすればあたりまえともとられかねない標準的な道が、実は根本的な哲学的問題を見すえたひとつの決断、 ひとつの選択になっているのだということをわかってもらいたかったからにほかなりません。
2010/4/6
「大丈夫か?民主党」―何かヘンだぞ― 渋谷陽一・編集 「SIGHT」42号
渋谷 有権者の側は、高速道路の無料化も子ども手当とかに対して、もういい加減空気読めよっていうシグナルを出していますね。
高橋 ずっと出してるよね。
内田 日本はさ、全体を領導していく原理的な政治理念が信頼されない国なんだよ。そういう「きれいごと」の政治には国民は必ず警戒心を持つ。 国民の信頼をとりつけるには、「筋の通った建前」と「ぐずぐずの本音」のブレンドが命なんだよね。
「まさに空気を読んでやっていくしかない」(高橋源一郎)
政治状況の中で、民主党自身が「なぜ自分達が勝てたのか」がわかっていないところに、今の迷走の原因があるというのである。
渋谷 しかし自民党って想像以上に弱くない?
高橋 弱いとは思ったけど、ここまで弱いとは思わなかった(笑)。
内田 ね?森とか古賀とか青木とか、偉そうな人がいっぱいいたのに、あの人たち、今何やってんの?
高橋 メッセージを発信できてないよね。唯一発信したのは河野太郎の「くやしい〜っ!」(笑)。
「民主党っていうのは、自民党の中の『何とか日本をよくしようと思っている人たち』がやろうとしてることを代わりにやってる政党 なのかしら?」(内田樹)
と思わせてしまうような自民党の体たらくが、民主党政権への失望を覆い隠し、「事業仕分けをやってくれただけでも上等」という 冷めた評価をもたらしているかのようなのだ。
高橋 建設会社からお金もらって、受注して、その結果、私腹を肥やしたってことだと「ふざけんな!」になるけど、 お金持ちが「これをどんどん政治に遣いなさい」って、ぽんぽんくれると、その金の遣い道はさておいて、 「偉いよね、そんなことのために遣って」って思うんじゃない。絵を買うとかさ(笑)、そんなことしてないんだから。
内田 みんな怒ってないもん。とりあえず僕は全然怒ってないよ。お母さんはお金持ちだなあ、気前いいなあって思うだけ(笑)。
超高齢化、超少子化で、階層的な流動性が失われ、身分制度が固定化してきている今の日本社会において、
「社会的な公正をとりあえず実現しようとしたら、お金を持ってる人が『友愛』マインドで、どんどんお金を還流するっていうのは、 『あり』だと思う」(内田樹)
「科学から空想へ」
「交換経済から贈与経済へ」
右肩下がりの経済環境の中では、「空想社会主義」への回帰こそが可能性を秘めているのであるとすれば、 私たち日本人が唯一懸念しなければならないのは、「鳩山家」の財産がいつまでもつかということになるのだろうか?
高橋 マルクスって理性の人だからさ、マルクスが死んで以降の社会主義の歴史を、「こういうことがありました」「こうなりました」 って教えてね。それから「1980年代以降、基本的に世界は右肩下がりの状態に入っていますが、どうしたらいいんでしょうかね?」 ってきいたら、30分考えたマルクスが、「やっぱ友愛しかない!」(笑)。
内田 今マルクスが生きていたらそう言うんじゃない。「いや、とりあえずは鳩山くんでいいんじゃないの?」って(笑)。
高橋 「とりあえず民主党に1票!」ってね(笑)。
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