200911徒然読書日記
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2009/11/20
「なぜ宇宙人は地球に来ない?」―笑う超常現象入門― 松尾貴史 PHP新書
いずれにせよ、すぐ隣の知的文明星までは、何百光年から何万光年の距離、ということになるようだ。 光の速さで飛んで何百年も何万年もかかる。滅茶苦茶に進んだ文明を持っている知的生命がいて、 光の十分の一までスピードを出せる乗り物を持っていたとしても、誰が好き好んで、自分達の最高技術を駆使して、 何千年も何万年もかけて、彼らにしてみれば「未開の地球人」などに会いに来るものか。
というのが、「宇宙人はいたとしても地球には来ない」という立場をとる芸能界の異才・松尾貴志の見解なのである。
「知的生命体」ともあろうものが、何が悲しくて「ついでに牛の死体を切って血を抜いたり、麦畑を丸く踏み倒したり・・・」 しなければならないのかというわけだ。
かつては「オカルト少年」だったとカミングアウトしたキッチュ松尾の、「超常現象」に対する「遺恨」に満ちた「苛斂誅求」は、
「スプーン曲げ」
(実生活でこれほど役に立たない能力はない。もし「超能力」があるのなら、もっと別のことに役立ててほしい。)
「六曜」
(二人の相性を「運まかせ」にしない、前向きな発想で生活をしているほうが、様々な問題を乗り越えられる資質があるといえるのではないか。)
「アガスティアの葉」
(今生きている人への予言だけでも、一秒に3,4人の情報を次から次へと古代タミール語で椰子の葉っぱに書き記したことになる、 その偉業に拍手を贈りたい。)
「賽銭」
(自分の欲や、力にとらわれずにいようとする心の表れ「喜捨」を、「浄財」として仏に差し上げるのものなのだから、 賽銭やお布施が「多いほど願いが叶う」と言う宗教家がいたら、その時点でインチキである。)
「開運グッズ」
(開運グッズなどという無根拠な物にすがっていること自体、判断力が低下している証拠なので、 開運からはかえって遠ざかっていると思って間違いない。)
などなどと、調子に乗ってとどまるところを知らないようなのであるが、
とはいうものの、この本は「科学的にあり得ないからあり得ないのだ」と、「信じたい」人たちを改心させようなどという本などでは毛頭なくて、 「オカルトの話題が好き」という人たちを楽しませてあげたいという思いが溢れた本であるということは、 それぞれの文章に、しりあがり寿の慈愛に満ちた「ひとコマ」が添えられていることを見ても明らかなのである。
「だからといって、すべての念写がイカサマだという証拠はないではないか」という常套句がビリーバーから聞こえてきそうだが、 可能性を否定する為に否定しているわけではない。何度も何度もイカサマが暴かれたものを信じろというほうが無理ではないか。 ならばなぜ、拉致被害者等、行方不明になっている人の様子や場所を、その家族の為に「念写」してやらないのか。
2009/11/10
「単純な脳、複雑な『私』」 池谷裕二 朝日出版社
手首を動かしたくなったとき、たしかに、その意図が生まれた経緯には自由はない。動かしたくなるのは自動的だ。 でも、「あえて、今回は動かさない」という拒否権は、まだ僕らには残っている。
この構図は決して「自由意志」ではないよね。自由意志と言ってはいけない。「準備」から「欲求」が生まれる過程は、 オートマティックなプロセスなので、自由はない。勝手に動かしたくなってしまう。
私たちが「手首を動かす」時には、「手を動かそう」と意図し、「あ、動いた」と知覚する、認知レベル(心)の指標と、 手を動かすために「準備」し、実際に手に動けと「指令」を出す、脳活動レベル(体)の指標とがある。
普通に考えれば、「意図」→「準備」→「指令」→「知覚」となるのが当然と思うのだが、実は、「準備」→「意図」→「知覚」→「指令」 の順番になっている。
というのが、
『進化しすぎた脳』
(池谷裕二 朝日出版社)
でも紹介されていた、有名な実験の紛れもない結果なのである。
私が「動かそう」と思う前に、すでに私の脳は動くつもりで「準備」を始めている、というのも恐るべき話であるが、 動けという「指令」が行く前に、「あ、動いた」と感じてしまうというのも、衝撃的ではある。
「君はあと0.5秒で手を動かしたくなる」
脳研究者があなたの脳活動を観察していれば、あなたが「何をしたくなるか」など、事前にお見通しだというわけなのだ。
そこに「自由意志」など存在するのだろうか?
「行動したい」という「欲求」よりも先に「行動」の「準備」は始まっていたとしても、実際に「行動する」までには、 まだ「執行猶予」の時間(長ければ1秒近く)があるのだから、
そうじゃなくて、僕らに残された自由は、その意志をかき消すことだから、「自由“意志”」ではなくて、「自由“否定”」と呼ぶ。
これが、「<手を上げる>から<手が上がる>を引き算すると何が残るか」という宿題の「答え」 (「自由否定」をしなかったという意志が残る)だ、
というこの本は、いま日本で最も新鮮で刺激的な知性を発信する一人である脳科学者の池谷さんが、出身高校の後輩たちを相手に、 「切れば血の吹き出る新鮮な情報」を惜しげもなく披露して、脳科学の「最前線」を語り合った授業の記録なのである。
そして、「自分の心を考える自分がいて、でも、そんな自分を考える自分がさらにいて、それをまた考える自分がいて・・・」と、 再帰(リカージョン)を続ければ、あっという間にワーキングメモリが溢れてしまうという、3日間の集中講義の体験から、 脳の作動そのものは単純なのに、そこから生まれた「私」は一見すると複雑な心を持っているように見えてしまうという、 「心」を考える心構えを、一番心が柔軟な時期に学ぶことができた高校生たちを、心の底から羨ましく感じたのだった。
こう考えるとさ、「意図」とか「意志」とか、あるいは「生命っぽさ」というのは、本当にあらかじめそこに存在しているというよりは、 意外と簡素なルール、数少ないルールの連鎖で創発されているだけであって、その最終結果を、僕らが単に崇高さを感じてしまっているだけだ、 という気がしてこない?
2009/11/5
「ね!政権交代っておもしろい」 渋谷陽一・編集 「SIGHT」41号
高橋「自民党って結党して54年ですよね。ひとつの組織がこれだけ長期間続くとガタがくる・・・ どんな組織にもいわゆる賞味期限がある。それを超えて存続していくと、どうなるかっていうとね、嫌んなるんだよね。 つまり、大きい組織がその寿命を超えて生きると、死にたいという願望が生まれてくるのではないか。」
内田「もう殺してくれと。」(中略)
高橋「結論としては、自民党が集合無意識として、早く死にたいと願っていたと考えるとわかりやすい。」
内田「う〜ん、これは、僕も賛成!」
高橋「当人たちには、そういう意識はないですよ?でも組織全体としては、もう早く死んで楽になりたいと、心の底から思ってた。」
内田「早く介錯してくれと(笑)。」
「だからこれは、民主党が勝ったんじゃなくて、自民党が自殺したの。しかも4代かかって」(高橋)
という高橋源一郎の「自民党自殺説」から始まった、内田樹との対談は、「鋭さ」「深さ」「正しさ」「おもしろさ」のすべてをもつ 希有な「論客おふたり」という、渋谷陽一の正鵠を射た評価の通りに、「おもしろすぎる」展開を見せてとどまるところを知らないのだった。
「ついに、自民党が第一党から陥落し、歴史的な政権交代が実現。でも本当に民主党で大丈夫!? 外交は、経済は、雇用は、官僚改革はどうなるのか!?」
「ロッキング・オン・ジャパン」の渋谷陽一が、増刊号として世に送り出す季刊誌「SIGHT」が、「政治」を語りだしたのは、 「政権交代」すれば、確かに「悪い」方向に変わる可能性もあるかもしれないが、「政権交代」しなくたって「悪い」方向に進む ことに変わりはないのだから、ひょっとしたら「いい」方向に転がるかも知れない民主党に、ちょっとやらせてみればいいのではないか、 という時代の「雰囲気」によるところが大きいのだろうが、
確かに、このごろ「政治」がとても面白いのであり、この面白さに世間一般が気付いてしまった今、
どうやら「自民党」に、もう出番は巡ってこないだろうというのが、大方の見方のようなのだった。
内田「これから後、愚痴と責任のなすり合いでしょ。」
高橋「それから『昔はよかった』って過去の思い出に生きるか。」
内田「熟年離婚された夫がさ、これを契機として第3の人生を生きていこう、なんて絶対思わない。」
高橋「思わないね、だいたい、まず、『パンツどこ?』から始まるわけ(笑)。」
「自民党は、たぶんものすごい嫌味な野党になっていくと思う。どうでもいい揚げ足取ってネチネチ言うようなさ」(内田)
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