フランス人はこんな場にふさわしいひとことを持っている。フランス人というのはいかなるときも場にふさわしいひとことを持っており、
どれもがうまくつぼにはまる。
To say goodbye is to die a little.
(さよならを言うのは、少しだけ死ぬことだ。)
というのが、この『ロング・グッドバイ』という「准古典小説」(@村上春樹)の決め台詞なのであり、
If I wasn't hard, I wouldn't be alive. If I couldn't ever be gentle, I woudn't deserve to be alive.
(男はタフでなければ生きていけない、優しくなければ生きていく資格がない。@丸谷才一)
というさらに有名な台詞は、『プレイバック』という別の作品のものだったということに、
読んでから気付くというのは、随分迂闊な話ではある。
もっとも、どちらも主人公フィリップ・マーロウの台詞であることに変わりはなく、
どちらの場面で、どちらの女性を相手に、どちらの台詞を口にしていても、ピタリとはまるというあたりが、
「貧乏だが、やたらにダンディで、女と友情に弱い私立探偵」フィリップ・マーロウの、マーロウたる由縁であるように思うのである。
とはいえ、 「シャンパンはいかがかな」と私は言った。「アイス・バケツの用意はないが、よく冷えているよ。二年ほど前からずっととってあるからね。
コルドン・ルージュが二本。悪くないものだ。とりたててシャンパンに詳しいわけじゃないが」
「何のためにとっておいたの?」
「君のために」
と「今夜は二度と戻らない」ことを肝に銘じながら、「馬鹿を気取る」という男のシチュエーションも、もちろん嫌いではないが、
それがお互いの友情に自ら終止符を打つことにつながることを半ば承知しながら、
誰も望んでない真相を究明するための、無為徒労ともいうべき無償の追及を続けざるを得ないという男の、
どうしようもない「頑なさ」の方に、どちらかといえば心魅かれてしまうのは、
男は女と違って、誰もがみな「ロマンチスト」であるからなのだろうか。 「君は私の多くの部分を買いとっていったんだよ、テリー。微笑みやら、肯きやら、洒落た手の振り方やら、
あちこちの静かなバーで口にするひそやかなカクテルでね。それがいつまでも続けばよかったのにと思う。
元気でやってくれ、アミーゴ。さよならは言いたくない。さよならは、まだ心が通っていたときにすでに口にした。
それは哀しく、孤独で、さきのないさよならだった」