徒然読書日記200903
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2009/3/31
「図説<最悪>の仕事の歴史」 Tロビンソン 原書房
ローマの客人たちが吐きたいときに部屋すら出なかったことは、多くの証拠が裏づけている。ご親切にも嘔吐専用に準備されていたボウルを 使うか、あるいは床に直接吐いた。そして招待客のあいだをめぐり、彼らがくつろぐカウチの下に膝をついてまわったのが、反吐収集人である。
それでも「セントラルヒーティングの恩恵にあずかることができた」反吐収集人はまだましで、この時代の金鉱夫という仕事は・・・
と、次から次へと時代を追って「英国史上最悪」の仕事を探し求めていくこの本は、 英国のテレビ局「チャンネル4」の体験番組『ザ・ワースト・ジョブズ・イン・ヒストリー』が元になっている。 つまり、人気俳優でもあるロビンソンは、このおぞましい仕事のそれぞれを再現し、本当に体験してみせているのだった。
ローマ時代最悪の仕事「ウミガラスの卵採り」
(海上100メートルの鳥の糞だらけの滑りやすい岩棚の上で壊れやすい卵を採る、気が遠くなるほど危険な仕事)
中世最悪の仕事「縮絨(しゅくじゅう)職人」
(毛織物の生地を尿のタライに浸けて、七、八時間足で踏み柔らかに仕上げる、不快でどうしようもなく退屈な仕事)
チューダー王朝時代最悪の仕事「大青(たいせい)染め師」
(織物を濃い青色に染めるため、腐った茹でキャベツを下水と混ぜたような匂いのするホソバタイセイを発酵させる、臭くて人に嫌われる仕事)
(「大青染め師」が同族婚しか出来ぬほど嫌われていたことは、
『貴婦人と一角獣』
でも描かれていましたね。)
スチュアート王朝時代最悪の仕事「ヴァイオリンの弦つくり」
(ヴァイオリンを4弦にした太い弦は、羊の腸の繊維を撚り合わせて作るため、殺したての羊のはらわたから汚物をきれいに洗い流すという 気色の悪い仕事)
ジョージ王朝時代最悪の仕事「精紡機(ミュール)掃除人」
(劣悪な職場環境の中、絶対に停止しない機械のリズムに合わせて、機械の下に潜り込み、可動部の綿ぼこりを取り除くという危険極まりない仕事)
ヴィクトリア王朝時代最悪の仕事「皮なめし人」
(汚れ仕事であり、単調で疲労困憊する仕事であり、長期間にわたって健康を損なう仕事、さらには、おそろしく不快な悪臭を伴う仕事)
そして、この「皮なめし人」こそが、すべての時代を通じて最悪の仕事だというのであるが、 当然、そこには、たとえば日本における「被差別」問題にも共通する論点が立ち現れて来るのである。
皮なめしという仕事は、“最悪の仕事”のコンセプトからすると、典型的なものである。驚くほどハードなものであるとともに、 デリケートな現代人からすれば胸の悪くなるような仕事でもあろう。しかも、皮なめし人たちは自らのコミュニティからのけ者にされていた。 それでも、技術の必要な仕事であったことは確かだ。
(中略)
私たちの歴史が作られてきたのは、それぞれの時代の“最悪の仕事”に従事した、無名の人たちのおかげなのである。 彼らこそ、この世界を作ってきた人たちなのだから。
2009/3/24
「非公認 Google の入社試験」 竹内薫<編> 徳間書店
2004年にシリコンバレーの高速道路101号沿いに、謎の広告看板が出現した。
看板には、社名も電話番号もなく、ただ
{first 10-digit prime found in consective digit of e}.com
とだけ書かれてあった。
「eの連続した桁で見つかる最初の10桁の素数」
というこの問題を解いて(といってもそれほど簡単に解けるわけではない)、そのアドレスにアクセスしてみると、 そこは Google の人材募集のページだったというのである。
この本は、そんな「人知を超えた」能力を有する人のみがチャレンジすることを許された、世界のトップIT企業グーグルの 入社試験を集めたものなので、物理や数学のその分野の専門家でなければ歯が立たないような論文レベルの「超難問」 (そんなもの入社試験で解ける受験者が本当にいるのか?)もあるのだが、
高速道路で30分以内に自動車を目撃する確率が0.95である場合、10分以内に目撃する確率はどうなりますか?
という、比較的初歩的な確率計算の問題や、
あなたの衣装戸棚はシャツでいっぱいです。好みのシャツを探し出すのにも一苦労です。好みのシャツをすぐに見つけるには、 どうやって整理すればいいですか?
なんて、いかにもグーグルらしい「ソートアルゴリズム」のセンスを問うものもあり、さらには、
1
11
21
1211
111221
次にくる数字は?
(解答は末尾に)
なんて、お茶の間レベルの「トンチ」を試すような問題まであって、「門前払い」の立場にあるものにも、 十分な知的興奮を味あわせてもらえるようになっているのだ。
ところで、この本では「現役IT技術者」「数学科出身塾講師」「物理系大学院生」「文系肉体派」の面々が、 解答者として参加しているというのが特徴になっているのだが、「珍答」「誤答」が続出してしまうのは、 失礼ながら知的レベルが低いということもあるとは思うけれど、むしろそれにもかかわらず、 自分で解こうとしていることにより大きな原因があるのではないかと思われる。
模範解答者の「Googie系プログラマー」の考え方を見れば、方向性さえ定めれば、あとは「ググる」というのが、 Google が求める「知性」であることは明らかなのである。
<解答>(字を青くしてあります。)
312211
<解説>
下の行が上の行の説明になっている。
1
1個の1
2個の1
1個の2、1個の1
1個の1、1個の2、2個の1
3個の1、2個の2、1個の1
2009/3/18
「エア新書」―発想力と企画力が身につく“爆笑脳トレ”― 石黒謙吾 学研新書
『知識を増やし過ぎた日本人』
―それを知らなくてもOK牧場/ガッツ石松
<帯コピー>
「無知の知」
私の訓を本当に理解した人類は彼だけである―ソクラテス―
<本文見出し>
・知識より大切なもの、それがガッツなんだよ
・詰め込み過ぎだと思ったらボクシングやれ
・人生は笑われるヤツがチャンピオン
・必殺の右クロスからのカウンターボケ
・バカに見えるからわざと栃木訛りにしてんだよ
これはもちろん、「多くの読者が持つその人のイメージを架空の本の体裁に現した作業」にすぎないので、こんな本が実在するはずはなく、 架空の新書「エア新書」の作り方の道筋を考えることで、あなたの固くなってしまった頭を、応用力ある柔らかな脳にしてあげようと言いつつも、 基本的には「お遊び」の試みなのであり、
『秘密はバレる前にバラせ』
―仕事を呼び込む開き直り術/小倉智昭
(「カッコワルイことがカッコイイ」タブーのようでタブーじゃないネタに、本人自らが鋭く切り込む。)
『なぜ建物は潰れないのか?』
―20年間抱き続けた素朴な疑問/渡辺篤史
(「いや〜、しっかしこの柱、倒れないんですね〜」)
『バカの品格』
―三人寄れば文殊の無知/羞恥心
(「羞恥心」は「笠智衆(りゅうちしゅう)」とは違うんですか?)
『親離れしたい時に読む本』
―ウザイ父にトホホなあなたへ/横峯さくら
(浜口京子さん絶賛「感謝と重荷の葛藤が伝わってきました!」)
『いいなり大国ニッポン』
―好き放題に生きれるところ/朝青龍
(強ければ、みんな何でも聞いてくれる)
などなどと、一旦ツボにはまりだすと、きりがなくなってしまうのだった。
とはいうものの、「メジャーさと企画性は別」で、
今はあまり名前を見ないけど、濃く香ばしいネタを持っている人はエア新書的にはオイシイ。その最たる例は松島トモ子でしょう。 「ライオンに噛まれた」のが22年前だったようですが、そのニュースのインパクトと独自性は強力でした。 それゆえひとつの強いネタが折に触れ話題に出続けていて、さらにその「あのネタだけでやってるってのがすごいよね」 という共通認識があるのがもはや“メシ3杯イケル級”のコンテンツなんですね。
という制作の苦労話には、私のようなものにもうなづけるところがある。
なにしろ、毎日それなりのネタを見付けて、ブログの題名を思い付くまでが「一苦労」なのである。 逆にいえば、うまい題名さえ思いつけば、あとは一気に書けるのだから。
というわけで、最後に「これは本当に読んでみたい」と思った本をご紹介しておこう。
『地球の歩き方』
―余裕を残して旅に出よう/中田英寿
<帯コピー>
「もうサッカーはいらない」
150の都市で見つめ直したチャリティとビジネスの融合
<本文見出し>
・営業スマイル絶滅に向けて
・ブログが僕のスニーカー
・恵まれない地域に寄付のキラーパスを
・もったいぶる、それがビジネス
・旅のお伴にはいつも東鳩キャラメルコーン
2009/3/17
「ゲイ・マネーが英国経済を支える!?」 入江敦彦 洋泉社
ではいったい、なにが具体的にイギリスの元気を呼び戻したのだろう。老大国をギンギンに蘇らせたカンフル、 もとい回春薬(バイアグラ)があるのではないか?水戸黄門における由美かおるの入浴シーンのようなナニモノかが。
現在、イギリスには同性愛者のための巨大な市場があり、そこで流通する「ピンクボンド」と呼ばれる「ゲイ・マネー」 (正しくは「GLBT」つまり、ゲイ、レズビアン、バイセクシャル、トランスジェンダーが含まれる) の市場規模はすでに18兆円を超え、さらに急成長を続けている異端のエコノミーだというのである。
「高額の一定収入」と「自分名義の不動産」を持ち、旅行やパーティなど「形に残らない愉しみ」に惜しみなく消費し、 自分の気に入った店やブランドの忠実な「お得意様」となる傾向を持つ、そんな現代のイギリスの「ゲイ」を、 各企業が顧客という重要なターゲットと看做して、その嗜好に応えようと考えるのは、商売としてごく自然の成り行きであるように見えるが、 実はそんな単純な話ではない。
彼ら(彼女ら)はまた、「高学歴」で「自信家」で「独立心」にあふれており、それぞれにそれなりの「ポリシー」を持つのであるが、
そのころ(1992年)すでにイギリスでは“幸せなゲイカップル”は健康的な都市の象徴と見なされはじめていた。 そしてゲイに好かれるというのは若い女の子たちの憧れとなった。ゲイの友達は最高のアクセサリー。ゲイのお眼鏡に適うってことは、 知的で、個性的で、センスがいいってこと。彼らは女としてのクオリティの高さを証明するステイタスである――と彼女らは考え始めていた。
つまり、「知的で、個性的で、センスがいい」と思われたい女性、を対象にした商品を売るメーカーにとっても、 「審美者(パリス)」としての「ゲイ」の嗜好を無視するわけにはいかなくなってしまったということなのである。
1997年の「カムアウトするのが自然だと考える政治家」ブレア政権の誕生以降、 同性愛者(であるとカミングアウトした)閣僚が何人も誕生したことや、
2005年に、同性(シヴィル)婚が可能になって、多くのゲイが「国が認めたカップル」となったことなど、
もちろん、そこにいたるまでには、様々な差別との闘いはあったに違いないが、むしろこの本は、 「どうしてイギリスの同性愛者たちが社会的パワーを手に入れたか、裕福になり得たか」の秘密を解き明かす方に力点が置かれているため、 「ピンクボンド」の「どんだけぇ〜」な世界の飽くことを知らないパワーの物凄さに、不況の波に押し流されようとしている身の上としては、 なんとなく勇気と希望を与えてもらえるような、そんな「明るい未来」を感じさせてくれる本なのだった。
なんたって、俗に「この業界に捨てるものナシ」といわれているという彼ら(彼女ら)の欲望は、底の浅い「ヨン様」人気などとは比較にならないほど、 奥が深くて、守備範囲が広いのである。
どうもいまだに誤解されている節があるけれど、たとえばジャニーズ系の美少年だの細身のイケメンだのはゲイたちにとって 決してメインストリームではない。むろん、そういった子たちが好きなグループもいるけれど、一般的にネガティブな扱いを受けることが多い ハゲ、チビ、デブなどが美少年同様にかなりメジャーな市場を形成していたりする。どんな容姿だろうが性格だろうが、 どこかに必ず需要が潜んでいるのが彼らの世界だ。
2009/3/16
「運命の人」 山崎豊子 文藝春秋
1971年佐藤栄作政権下、日米間で結ばれた沖縄返還協定に際し、 「アメリカが地権者に支払う土地現状復旧費用400万ドル(時価で約12億円)を日本政府がアメリカに秘密裏に支払う」 密約が存在するとの情報を、女性事務官との肉体関係を通じて毎日新聞の西山太吉が得た。(ウィキペディア)
という『西山事件』に題材をとった、ほぼノンフィクションという長編の連載がついに終了しました。(2月号が最終話でしたが、 先に3月号の芥川賞を読んだので、遅くなりました。月刊誌の連載を読み通したのは初めてですが、それにしても長かった。)
連載中には、米国の外交文書で明らかにされながら、日本政府はその存在を否定し続けてきた「密約」の存在について、 当時の外務省の担当局長が確かにあったことを認める証言をしたりして、大きな話題にもなりました。
毎朝新聞政治部の敏腕記者「弓成」は、外務省事務次官「三木」の協力を得て「密約」の存在を知るが、 与党政府を追求させようと情報をリークした相手、野党の「横溝」が、予算委員会の質問で「極秘資料」のコピーを表に出してしまったことにより、 窮地に追い込まれることになる。
それは「弓成」が「三木」と肉体関係をもつことによって入手したものだった。
というわけで、
「国家の機密」をめぐり「国民の知る権利」「報道の自由」を争うことになる「裁判」の行方を追う「第一部」は、 ダイナミックなストーリー展開の中に登場してくる、マスコミ、代議士、役人、弁護士、それぞれの立場の類型的な人物描写がとても巧みなので、 感情の起伏の波に巻き込まれるような臨場感を味わうことができました。
しばらく間があいて、再開された「第二部」では、一審で無罪を勝ち取りながら、再審で敗れ、仕事と家族のすべてを失って、沖縄へ去った弓成が、 沖縄の戦後史の取材を進める中で少しずつ傷を癒すことになるのですが、こちらはゆったりとした時間の流れの中で、 「米軍基地」としての沖縄の現状に、静かな怒りを覚えながら読み進むことになりました。
そして「最終回」。
沖縄返還交渉に隠された密約を立証する「機密文書」が発見され、弓成の運命は三十年の年月を経て、再び動き始めるのでした。
自らの意思で選んだ道程ではなかったが、そのように運命づけられているのなら、使命を果たそう。 書く時間はそれほど長く残ってはいないが、遅くはない。
ふと銀色の矢のような光が眼前を過り、大海原を渡って本土の方向へ奔って行くのを見た。あたかも自分の往く道をさし示しているようだった。
弓成の全身に昂揚感が漲った。 (完)
2009/3/10
「テレビ救急箱」 小田嶋隆 中公新書ラクレ
なぜ「救急箱」なのか。答えはいくつかある。
(中略)
6.そう。テレビは電波として空中に放出された瞬間から、すでにして危篤状態だ。 そして、衆人環視の中で展開されている断末魔の叫びみたいなものを、遠巻きに見物するのが、 21世紀における最も代表的なテレビ視聴スタイルでもある。その意味ではわれわれは誰もが死亡立会人であるのかもしれない。
7.オダジマは医者ではない。だから、相手が瀕死でも、治療はできない。治療するつもりもない。ま、あえてトドメを刺すこともしないが。
8.とすれば、応急処置として消毒をしておくぐらいが精一杯。
2002年から06年に書かれたコラムからの抜粋だったため、「本書が採録しているのは、標本として固定されたテレビの死骸ですよ」という意味で、 前回のテレビ批評コラム第一弾のタイトルは、
『テレビ標本箱』
としたのに対し、
今回は「直近1年」の連載分、ほぼそのままなので、「まだ死んでない。ちょっと動いてたりする。」「でも、瀕死。」 なので「救急箱」だというのである。
というわけで、
それにしても、改編期のひな壇バラエティーは、どれもこれも、底辺校の修学旅行みたいな騒ぎになっている。 制作側はそれで満足(現場としては、ギャラをバラ撒いて義理を果たせばそれでオッケーなのだろうからして)なんだろうが、 見ているこっちはいい災難だ。
と、民放バラエティー系の番組についての「辛口評論」は、相も変わらず絶好調のようなのだが、 どうも今回は、前回といささか様子が違っているように感じてしまう。
「イヤなら見なきゃいいじゃないか」
という<自分ツッコミ>に、旧型VTRをクズネタ専用の時間差活用ツールとしてピクチャーサーチで流してまで見てしまうのは 「なぜなんだろう?」と考えこんでしまったり、
NHKの橋本会長は、「テレビを買う買わないは視聴者の自由であり、あえてテレビを買ったという点で契約の自由には抵触しないと考えている」 と言っている。
つまり「テレビを買った以上、当然その視聴者はNHKを見ているはずだ」と、そういうことなのか?だとすると、 「男ならあたしの脚をみるはずだわ」と言っている(はずだ)神田うのと、どこが違うんだって話だぞ。
と難癖をつけているのも、受信料を払いたくないのではなく、NHKが「冴えない民放」になり下がろうとしていることを 憂える余りの言動なのである(はずだ)。
どうしてしまったんだオダジマ。
その中途半端な優しさが、妙に痛々しいじゃないか。
死のうとして死に切れずにいるものに、トドメを刺さずにいることは、却って酷い仕打ちではないのか。
もしかして、
あんたは「テレビが憎いのか?」
答えはイエスだ・・・が、その憎しみは、ある意味で愛情でもある。っていうか、「ある意味で」という但し書きを付ければ、 たいていのことは「愛情」で説明がついてしまうわけで、その意味では愛情というのは詭弁だよね・・・って、何を言ってるんだろう、オレは。
とにかく読んでみてくれ。たのむ。猛烈に面白いはずだから。ある意味で(笑)。
2009/3/5
「橋本治と内田樹」 橋本治 内田樹 筑摩書房
「僕が橋本さんのタイトルで個人的にいちばん好きなのは、『デビッド100コラム』と『ロバート本』(笑)。」
「あーぁ(笑)。あれは素敵でしょう(笑)。」
「でも、僕のまわりではだれも読んでなくて。『このタイトルいいね』って共感をわかち合う相手がいなかった(笑)。 あの二冊はタイトルばかりじゃなくて、中身も素晴らしかったです。」
「あんな馬鹿げたタイトルの本を買う人がいるはずないと(笑)。」
「『デビッド100コラム』が出て買って面白いタイトルだなぁ〜と思ってたら、次が『ロバート本』だったんで(笑)。 あ、ここまで考えてたのかってびっくりしました。」
「あれ、値段が1100円でしょ。『0011ナポレオン・ソロ』なんですよ」
「くだらないことに命懸けるところあるんですよね。」と胸を張る「橋本治」のことを、
「偉大なという形容詞を惜しまずに冠することのできるほんとうに例外的な書き手」とみなしているらしい「内田樹」なればこそ、
かろうじて成立した「奇跡」のような対談ではあるのだが、
(現代国語は苦手だったという橋本に対し)
「先生、現代国語は『書いた人間』と、『出題した人間』と、『解く人間』の三人いるわけです。ターゲットはここ、『出題者』なんです。 『書いた人間』のことなんか考えちゃいけないんです。『出題した人間』の頭に同調するんです。 橋本さんは『書いた人間』のことを考えているんでしょ。」
「『書いた人間と出題者が、なんかよくわかる話をしているんだな。でも、俺、わかんないから』となる。」
「(笑)でもね、出題者は書いた人より、頭の作りがシンプルですから。」
「そうなんですか。」
「そこに照準すればいいんです。」
「そんなことできないですよ。だって俺、好きじゃない人に頭を合わせられないから(笑)。」
「いろいろともう・・・面倒の多い人ですね!(笑)」
なんて、「どうでもいいじゃんか、みたいな。」解答をされてしまうと、さすがの内田さんも、「はあ、はあ。」「へえ〜」「そうなんですか。」 と合いの手を入れるばかりで、
「誰もが感じていて、誰も言わなかったことを、誰にでも分かるように語る」「言われてみるとそう思う」という 「痒いところ」への手の届き方が絶妙の按配
(
「私家版・ユダヤ文化論」
内田樹 文春新書)
という、いつもの「切れ味」もいささか鈍り気味で、橋本さんのナマの迫力に、押されっぱなしの気配が濃厚なのだったが、
「『学ぶ』って、ほんとうはどういうことだろう」というように、ふつうだったら「わかったつもり」でスルーして、それを踏み台にして、 どんどん論を先へ進めればいいのだけれど、それができない。その代わり、どうして自分は「こんな基礎的なこと」にひっかかってしまうのか については猛スピードで書く。「ふつうだったら、こんなところでつっかえない」というところでいきなりつっかえていることは 書いている本人もわかっているので、「ごめんね、ごめんね」と読者に謝りながら、その「お詫びの気持ち」をとにかくスピードを上げることで お示ししようとしているわけである。
という、「橋本治的」な「疾走感」を論じた「まえがき」で、しっかり落とし前をつける辺りに、 いつもながらの「内田樹的」な「隔靴掻痒感」への配慮を感じたのだった。
蛇足ながら、
「橋本治的」な「疾走感」について、「言われてみるとそう思う」という実例を、ご参考までに挙げておこう。
『いま私たちが考えるべきこと』
(橋本治 新潮社)
2009/3/3
「猫を抱いて象と泳ぐ」 小川洋子 文藝春秋
「きっと他のところに特別手を掛けて下さって、それで最後、唇を切り離すのが間に合わなくなったんじゃないだろうか」
「他のところ、って?」
「それはおばあちゃんにも分からないよ。何せ神様がなさることだからね。目か、耳か、喉か、とにかくどこかに、 普通の人にはない特別な仕掛けを施して下さったのさ。きっとそうだ。間違いない」
上唇と下唇がくっついて生まれてきたため、脛の皮膚を移植された唇には脛毛が生えてきた。 そのためかどうか、極端に口数の少ない子供だった少年にとって、唯一友だちと呼べるのは、 大きくなりすぎてエレベーターに乗り込めず、デパートの屋上で一生を終えることになった「象のインディラ」と、 二年前に亡くなった母の実家の、ようやく掌を差し込めるほどしかない隣家との壁の隙間に、入り込んだまま出られなくなってしまった 「小さな女の子ミイラ」だけだった。
ある日、少年は打ち捨てられたような古びたバスの中で、ポーンと名付けられた猫と暮らす「巨体の男マスター」と出会い、 「チェス」というゲームの手ほどきを受けることになる。
「キング」決して追い詰められてはならない長老
「クイーン」最強の自由の象徴
「ナイト」敵味方をくの字に飛び越えてゆくペガサス
「ルーク」縦横に突進する戦車
「ポーン」決して後退しない、小さな勇者
「でもね」少年は続けた。
「僕にとって一番気掛かりな駒は、ビショップなんだ。なぜだろう。ゲームの途中でも、ついビショップに目がいってしまう。 ルークやナイトと同じで、ビショップも白と黒の升目に一個ずついるんだけど、最初の色と同じ升目にしか移動できない。 最初から最後まで、白い升目なら白、黒い升目なら黒。二つのビショップは仲間同士でも、お互いに心を通いあわせることができないんだ。 斜めに威勢よく移動しているようで、実は淋しがっているんじゃないかと気になって、慰めてやりたくなることがある」
そんな大事なマスターまでが、太りすぎてバスから出られなくなって死んでしまう、という事件があって以来、
「大きくなること、それは悲劇である」
と、深く胸に刻み込んだ少年は、11歳の身体のまま自らの成長を止めることを決意する。
チェス台の下にもぐり込んで妙手を編み出すスタイルから、やがては自動人形を操作してチェスを指すスタイルが、 「盤上の詩人」とその名も高い、天才棋士・アリョーヒンになぞらえて、「盤下の詩人」と呼ばれることとなる、 猫の「ポーン」を胸に抱いて、「ビショップの奇跡」を生み出した、伝説の騎士・リトル・アリョーヒンが誕生したのである。
「ビショップ」それは、「斜め移動の孤独な賢者」であり「祖先に象を戴く」という、インディラの化身なのだった。
第一回本屋大賞受賞した
『博士の愛した数式』
(新潮社)で、 「πとiを掛け合わせた数でeを累乗し1を足すと0になる」という「オイラーの公式」を、限りなく切なく、いとおしい「ラブレター」に 変えてしまった著者は、
今度は「八×八の升目の海」に、個性的な騎士たちの「生きた証し」が交錯する棋譜という、一連の「美しい詩編」を描き出して見せてくれたのだ。
「駒の並べ方、動き方を教えてくれたのが誰だったか、それはその後のチェス人生に大きく関わってくると思いません? チェスをする人にとっての指紋みたいなものね」
話を続けながら老婆令嬢は、ナイトをc3に跳ね出した。
「一度刻まれたら一生消えない、他の誰とも違うその人だけの印になるんです。自分では思うがままに指しているつもりでも、 最初に持たせてもらった駒の感触からは逃れられない。それは指紋のように染み付いて、無意識のうちにチェス観の土台を成しているのよ。 勇敢な指紋は勇敢なチェスを、麗々しい指紋は麗々しいチェスを、冷徹な指紋は冷徹なチェスを指すのです」
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