徒然読書日記200902
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2009/2/24
「ポトスライムの舟」 津村記久子 文藝春秋
右のポスターには『世界を見よう、世界と話そう、語り合おう』、左側のものには『心の風邪に手をつなごう、みんなでつらさと向き合おう』 とそれぞれにコピーがつけられている。反射的に、左のポスターからは目を逸らした。
「新卒で入った会社を、上司からの凄まじいモラルハラスメントが原因で退社し、その後の一年間を働くことに対する恐怖で棒に振った経験」から 「軽うつ病患者の相互扶助を呼びかけるポスター」を直視することはできない「ナガセ」は、
「さるNGOが主催する世界一周のクルージング」のポスターに書かれた「163万円」という旅行代金が、 「薄給とはいえ、ここは人間関係が悪くない」職場で、パートから契約社員に昇格して働くことになった工場の「年間の手取りとほぼ同額」 であることに気付く。
「163万やん、あれ。よう考えたらあたしの工場での年収とほとんどおんなじやねん、去年おととしとボーナス出んかったしさ。 そしたらほんまに2万6千円とかしか違わんねんやんか。帰りのバスで計算したら」
ナガセの言葉に、ヨシカは一瞬だけ顔を上げて、ああー、とぼんやり言った後、食器を拭く作業に戻る。
「あんたの一年は、世界一周とほぼ同じ重さなわけね。なるほど」
2万6千円は、おやつ代とパンツ代やね、とヨシカは一人ごちる。
「それって重いと思う?軽いと思う?」
「わからんけど、どっちかというと軽くはないかな」
本年度「芥川賞」受賞作品。
これから一年、「工場がはけてから友人のヨシカが経営しているカフェで給仕のパート」と「家でデータ入力の内職」と「土曜のパソコン教室の講師」 の収入だけで生きてみる。
ゴシック体で『今がいちばんの働き盛り』と腕に彫り込むことを妄想する、三十前の女「ナガセ」(29歳なのである)が、 「工場でのすべての時間を、世界一周という行為に換金する」ための、 これは「ちょっと一年間だけ」の、薄っぺらな<金銭出納帳>のような物語なのである。
友人の「りつ子」が娘を連れて家出し、駆け込んで来たので、九州の実家への運賃を貸す。
−28580?
(気前が良すぎる?)約三日半分の労働。
昼休みに、工場の同じラインの人が少し当てたと耳にして、気になって仕方がなくなり、
−2000
ミニロト10口。1口でも当たったら続ける?
過労で風邪をこじらせ、ダウンして世界一周を断念し、何か欲しいものを買おうと思いつき、衝動的に雨水タンクを買ってしまう。
−8980
その下に何か書くことを探したが、見つからなかった。
どれもこれもが、安いコップに差して水を替えているだけだが、まったく萎れる様子がない。改めて、ポトスはすごい、と思う。 好きではないが、すごい、と。
そんなポトスを食べている夢を見る。味は、ネギほどの刺激はなく、ほうれん草よりまろやかで、キャベツよりは苦味があり、レタスには及ばないが、
−0
これはけっこういけるのではないか。本当にお金がなくなってしまったら、ポトスを食べればいい。
「ちまちま節約する」だとか「自分がエネルギーを使いすぎているのではと不安になる」といった、「生きていることの細部」を 「どんな劇的な営為よりもかけがえのないもの」として描こうとしたと「ツムラ」はいうが、 実際には毒があって食べられない「ポトスをいやいや育てる」というあたりが技巧的で、なかなかの曲者ぶりを感じさせてくれる。
「青臭さは、火通ししたり衣つけたりしてなんとかなるやろ」と、ラインリーダーの岡田さんに言われると、 「葉っぱを縦に細く切ってドレッシングであえたり、さっと煮ておひたしにしたり、根をすりつぶして薬味にしたり、茎を味噌汁に入れたり」 なんかするよりも、
なんたって、ポトスは「天ぷら」が一番、
のような気が、私だってしてこようというものなのである。
2009/2/23
「白川静」―漢字の世界観― 松岡正剛 平凡社新書
白川静という巨知を語ることは、まずもって「文字が放つ世界観」を覗きこむことであり、古代社会このかたの「人間の観念や行為」 をあからさまにすることであるからです。そしてまた、中国と日本をつなぐ「東洋思想の根底」をそうとうに深くめぐることでもあって、 そしてそれ以上に、白川さんの研究人生そのものに貫通していた「気概と方法」に手や声や体をもって直截にふれることであるからです。 これはとてつもない、とんでもない作業です。
にもかかわらず、「私自身はいつかこのような白川山脈に分けいって、そこにいくばくかの立て札を残してくる作業がまわってくるような気が、 なんとなくしていた」と語る松岡正剛は、自身が自力で創刊し、いまや伝説の雑誌となってしまった『遊』(工作舎)に、 白川静のはじめての一般向け連載「遊字論」の執筆を依頼していた。
時は昭和53年、白川静68歳という遅咲きの雑誌デビューだったが、
「遊ぶものは神である。神のみが遊ぶことができた。遊は絶対の自由と、ゆたかな創造の世界である。それは神の世界に外ならない。 この神の世界にかかわるとき、人もともに遊ぶことができた。」
という「書き出し」に打ちのめされるような衝撃を覚えた「鮮烈な記憶」がある。私は学生時代にリアルタイムでそれを読んでいたのである。
さて、漢字の字書の金字塔、『字統』『字訓』『字通』の三部作は、そんな白川さんが73歳から「十有三年半」をかけて、つまりなんと86歳にして、 ようやくその完成を見たという一大事業だったのだが、
それらはたんに文字の字義や音義や由来を通りいっぺんに解明するというようななまやさしいものではなかったのです。 それらは、そこから世界観や社会観や人生観が唸り声をあげて飛び出してくるような研究プロセスそのものでもあったのです。
たとえば、「辛」とは「大きい針」を意味する「漢字マザー」の一つであり、
(→
「呪の思想」
白川静 梅原猛 平凡社 )
「辛(はり)」を投げて突き刺さった「木」を選び、それを「斤(おの)」で切るのが「新」である。親の位牌を作るために「新」しい木を選ぶのだ。
選ばれた神木から位牌を作った残りが「薪(たきぎ)」であり、(この部分、神木そのものとしている松岡さんの解説は間違っているように思う)
その位牌を遺族であろう「見」(目を主とした人の形)が拝むというところから「親」という文字が派生したというのである。
確かに、もしも「木の上に立って見る人」が「親」だったなら、そこから「親しい」などという意味が出てこようはずもないのである。
「のちに大臣を意味した宰も、辛に従う字である。しかしこの辛は人に加えるかたちでなく、廟屋の中にある。宰割という語は、 神への犠牲を殺す意であるから、宰はその執刀者ということになろう。この場合の辛は、刑具の辛ではなく、 その器形も先端がゆるくまがった曲刀のかたちにかかれていることがある。宰は犠牲を割く人であった。」
先史時代の中国に起源を持つ「漢字」が、体系としてまとめられたのは、後漢の許慎が著した『説文解字』によってであるが、 本家本元においてさえ、問答無用のバイブルとして崇められ続けてきた「漢字の体系」に対し、日本国内ですら異端とみなされていた白川さんが 敢然と異議申し立てを行うことができたのは、秦の始皇帝による「文字の統一」によって、打ち捨てられることとなった「甲骨文」や「金文」に 漢字の始原を訪ねるという、前人未到の遥かなる道程を踏破してきたことからくる「確信」に基づいているからであるに違いない。
『字統』は、漢字民族である中国の文化に奉仕するために書いたものではない。漢字を国字として用いるわが国の国字政策に寄与すること を念頭において、その研究を進めたものであった。すでに『字統』においてその字形構造が明らかとなるならば、次には国字として、 字の訓義的用法に及ぶのでなければならない。これによって『字統』において試みたところが、はじめて意味をもちうることになろう。 (『字統』から『字訓』へ 白川静)
2009/2/15
「徒然王子」 島田雅彦 朝日新聞
私はまだ恐ろしいものや美しいものをたくさん隠しています。面白いだけでは物足りないクールな読者のために、 それらをすべてさらけ出します。毎日、最低二つは笑える教訓と決めゼリフを盛り込みます。プロを甘く見てはいけません。 「徒然王子」とともにレッツ・ドロップ・アウト!
と「意気込み」も高らかに開始した朝日新聞の連載が、著者の思い入れとは裏腹に何となく失速気味に終了。
溯れば神代の時代まで辿りつくという「極東の島国」の王族の、次期王位継承者である「テツヒト」は、 前世からの因縁があったらしい、売れないお笑い芸人の「コレミツ」をお供に引き連れて、 「今のままの自分ではいけない気がする」と、お妃探しの旅にでる。
謎の老人「ツル」に導かれて宮廷を抜け出し、官憲の追手を逃れるため訪れた「ホープレスタウン」では魔性の女「レイコ」らとの出会いを経験した後、 記憶師「アレイ」らの力を借りて、いよいよ向かった先は、自らの「遠い前世」を遡る、長い長い夢のような世界だった。
不老長寿の妙薬を求める徐福に同行した中国人「無量」の、蓬莱での「ヒナ」との出会いと別れ。
那須与一の弟「宗久」と、平家の落人の姫君との運命の遭遇。
宣教師「ジョアン」と一人の武将との深い友情と追放劇。
「お伊勢参り」の弥次喜多道中から、出会ったその日の花魁「朝顔太夫」との道行への急転直下。
ようやく長い旅を終えて、現世に戻った徒然王子「テツヒト」は、16年という歳月が、自らの「帰る場所」を奪ってしまったことを知ることになるが、 5回目の「転生先」として、自殺を図った若い女「キリコ」の身体を借りた「テツヒト」は、「ホープレスタウン」に向かい、 ついに「レイコ」との再会を果たしたのだった。
というわけで、「前世」に旅立つ前に一度だけ「関係」を持った「レイコ」が、なんと「お世継」を生んでいて、 皇統が断たれてしまうという危機を救った、というあたりが、ひょっとしたら、「さる筋」の不興をかこって、 尻すぼみの結末とならざるをえなかったのかと、変な感繰りをしてしまうのは、
旅立つ前の「テツヒト」のお妃探しの冒険譚のほうが中身が充実していて面白く、それだけで「第1部」として出版されてしまった くらいだったからなのではないかと思う。
なにしろ、「テツヒト」が帰る場所を失ったについては、宮内庁官僚「ホソダ」の陰謀だったに違いないと思わせる伏線が、 すでに第1部の時点で張られており、「さる筋」の不興をかこつなら、もうその時点でアウトくらいの不遜といえば不遜なストーリーだったわけだし、
第2部の遍歴はすべて、「コレミツ」の化身をお供にした、「テツヒト」と「レイコ」との再会のドラマの繰り返しにすぎなかったわけなのだから。
この夢を見ているのはレイコではなくて、テツヒトなのか・・・レイコの夢の中の海はあらゆる時代のあらゆる海に通じている!?
2009/2/14
「小林・益川理論の証明」 立花隆 朝日新聞出版
あらためて両氏の受賞におめでとうといいたいが、一方でこの数日間のメディアの受賞報道を見ていると、これはひどいと思わざるを得ない。 話題になったのは「もっぱら益川さんは英語ができない」という話と、ノーベル賞メダルを模したチョコレートのお土産を大量に買い込んだ話、 帰国後の記者会見で、本物のノーベル賞メダルは「そのうち庭に穴でも掘って埋めておきます」と語ったことくらいではなかったか。
「対称性の破れからクォークが自然界に少なくとも3世代以上あることを予言した」
(→
「対称性の自発的破れ」
)
という「小林・益川理論」とは、そもそも何がそんなに凄いのか、いったいどういう意味を持っているのか、ということについては、
「我々の世界はすべて、宇宙創成の瞬間たるビッグバン時に存在したほんのちょっとした対称性の破れから生まれた」
つまり「生き残り物質」の子孫にすぎないわれわれの宇宙の、「存在のキー」ともいうべき「対称性の破れ」の謎を解いたから、 ということになるらしいのだが、
いまだ3種類のクォークしか発見されておらず、しかもその存在すらどうかすると疑問視されていた1972年に、 時代の数歩先を走るかのように発表された「小林・益川理論」が、74年に4個目、78年には5個目(第3世代)、 そしてついに95年になって、3世代6種類目のクォークが、その予言どおりに発見されたにもかかわらず、今日までノーベル賞受賞に至らなかったのは、 肝心の「対称性の破れ」という現象が、簡単には観測することのできない現象だったからなのだった。
というわけで、この本には、「小林・益川理論」の「論述の進め方」、つまりは「証明の仕方」が書いてあるわけではなくて、
(実はそれが書いてある本だと思って買ったのだが、よくよく考えてみると、そんなもの読んだところで、私ごときに理解できるはずがないのだ。)
「小林・益川理論」が正しいことを「証明」せんがために、筑波の「高エネ研」(高エネルギー加速器研究機構)が取り組んだ「検証実験」、
「詳しく知れば知るほど、ただ驚くほかはない驚異の超巨大スケールで行われている精密実験」(Bファクトリー)
に関する「日本のマスコミ報道からは何も伝えられてこない話」が書かれているわけなのだから、同じ日本人として生まれたにもかかわらず、 これを知らないままに済ますなんてことは、死んでも死にきれないというほどのことではないにしても、 少なくとも、大いなる愉しみを得る機会を失ったことに等しいのではないかと思うのである。
小林・益川理論がなぜノーベル賞を受けることができたのかというと、それが正しいと証明されたからなのである。 証明されない理論など、ほとんど紙くずに等しい存在だが、小林・益川理論は、二重にも三重にもその正しさが証明されてきたのである。
2009/2/9
「貴婦人と一角獣」 Tシュヴァリエ 白水社
秘密の風にでも煽られるように、娘のスカートがはためいた。間近に寄ると、ほのかな汗に混じり、甘く芳しい匂いがする。 なにか噛んでいるように、口が動いた。
「口になにを入れいているの、別嬪さん」
「歯が痛いのよ」。娘は舌をつきだした。ピンクの舌先に丁子が乗っている。舌を見て固くなった。娘をこましたくなった。
名うての色男の肖像画家ニコラ・デジノサンは、成り上がりの貴族ジャン・ル・ヴィスト(冒頭の奔放な跡取り娘クロードの父)から、 邸宅の大広間の壁全体を覆うタピスリーの下絵を描くようにとの依頼を受ける。
ニコラが描き出した絵柄は、「一角獣を従えた貴婦人」の物語を思わせるような6枚の連作だった。
一角獣にオルガンを弾いてやる 「聴覚」、
鸚鵡にえさをやって一角獣の気を引く 「味覚」、
婚礼の支度にカーネーションの髪飾りを編む 「嗅覚」、
貴婦人の膝に身を持たせた一角獣に鏡をみせる 「視覚」、
ついに、一角獣の角に手をかけ捕らえることができた 「触覚」、
そして、「五感」を象徴するこの物語(冒頭の引用部分が暗示的であるが)を締め括るかのように、首飾りを身に付けるのは、 「私のただひとつの望みに」。
そう、これは、
『真珠の耳飾りの少女』
(白水Uブックス)という、フェルメールのたった「一枚の絵」から、世界を震撼させることになる「珠玉の物語」を紡ぎ出してみせた あのシュヴァリエが、
今度は「パリのクリュニュー美術館」に収蔵された「フランス中世美術の至宝」ともいわれる6枚のタピスリーに触発されるかのように 織り上げてみせた、興趣溢れる人間模様の、見事な織物なのだった。
なにしろ、そこに織り込まれた貴婦人というのが、
タピスリーを依頼したヴィスト家の母娘、
息子を産むことができず、夫との関係が冷え切り、出家を望むジュヌヴィエーヴと、 将来を約束されることを嫌い絵師ニコラと結ばれることを願う娘クロード、
その注文を受けた工房の織師シャペル一家の母娘、
女であるが故に、自らも織師となる夢を断たれたクリスティーヌと、 生まれつきの盲目なるが故に、女としての夢を諦めていたアリエノール、の似姿なのであれば、
(「視覚」の貴婦人の眼がいささか歪んでいて、盲目のように見えるというところから、この着想を得たのだろうか? そう、この本には、なんとも有り難いことに、カバーと見返しに、すべてのタピスリーの原画が描かれているのである。)
彼女たちの、それぞれの「ただひとつの望み」こそが、そこには色濃く浮き上がってこざるを得ないのだった。
「奥様、あの貴婦人は、あなたのために描きました。誘惑ばかりでなく、ひとの魂も主題にしたのです。よろしいですか。 貴婦人が首飾りを着けようとするこのタピスリーから始めて、一角獣を誘惑する様子を追ってゆくこともできます。 また、感覚のひとつひとつに別れを告げる情景を逆にたどり、最後に首飾りを外し、しまおうとしているこの貴婦人で終わることもできる。 欲にとらわれた人生を捨てるということですね。これはあなたのために描きました。おわかりいただけますか。首飾りをこのようにもっていると、 これから身に着けようとしているのか、外したところなのか、見分けがつきません。どちらとも、とれる。 それが、あなたを思ってこのタピスリーに織りこんだ秘密です」
2009/2/6
「のうだま」―やる気の秘密― 上大岡トメ 池谷裕二 幻冬舎
「朝、カラダを起こすから、起きるんです。テレビを見て笑うから面白いんです。泣くから悲しいんです。カラダは反射。 でもカラダが動くことで脳がつられて『ああ、そうなんだ』ということになる」
もしかして、脳ってだまされやすい?カラダを先に動かして「やるんだぞ」としてしまえば、脳はだまされて「やる気」になるということ?
答えはYES!
だから『のうだま』!、なんて言われても、
『キッパリ!』の、あの子供騙しの「テンコブポーズ」で一世を風靡した上大岡トメさんだけの言い分なら、 「また、また、イキオイだけで言い切っちゃって」てなもんなんですが、
『脳はなにかと言い訳する』
(池谷裕二 祥伝社)
の、あの池谷先生がおっしゃったとなると、これは聞き逃すことはできないということになるわけです。
というわけで、そんな池谷先生がビシッ!と指し示す「やる気の秘密」は、
「淡蒼球(たんそうきゅう)」
脳の中でも「無意識」の世界にあるこの「蒼い球」は、「やる気」「気合い」「モチベーション」など大切な基礎パワーを生み出す脳のパーツとして、 人間なら誰にでも、つまりあなたの頭の中にも存在しているというのです。
残念ながら「自分の意志で動かすことができない」のが難点というこの「淡蒼球」を、動かすための「起動スイッチ」は4つ。
「B」 Body (カラダを動かす)
「E」 Experience (いつもと違うことをする)
「R」 Reward (ごほうびを与える)
「I」 Ideomotor (なりきる)
というのが、しつこいようですが「キッパリ!」「スッキリ!」の上大岡トメさんの体験談などではなくて、
「B」 は 「運動野」
「E」 は 「海馬」
「R」 は 「テグメンタ」
「I」 は 「前頭葉」
に働きかけることで、それにつられて「淡蒼球」も動き出すんです、なんて、新進気鋭の脳科学者が言ってるんですから、
ここのところは一つ、「だまされてみるか」という気にもなるのでした。
2009/2/5
「日本語が亡びるとき」―英語の世紀の中で― 水村美苗 筑摩書房
「あたしたちが小さいころ、小説家っていったら、モンのすごく頭がよくって、いろんなことを考えていて――なにしろ、 世の中で一番尊敬できる人たちだと思っていたじゃない。それが、今、日本じゃあ、あたしなんかより頭の悪い人たちが書いてるんだから、 あんなもん読む気がしない」
・・・(中略)・・・
私たちの世代の多くの日本人はいまだ古い考えから抜け出せないのにちがいない。過去の遺産ゆえ、日本文学から、 現実にはもうありえない高みをいまだに期待してしまうのである。今、「文学」としてまかり通っているものの多くが、過去の遺産ゆえに、 「文学」としてまかり通ってしまっているという事実にいつまでも慣れないのである。そして、それと同時に、 何かが日本文学におこりつつあるのを――ひょっとすると日本文学が、そして日本語が「亡び」つつあるかもしれないのを感じているのである。
「言葉には力の序列がある」と著者は言う。
その言葉を使う人の数がきわめて限られた<現地語>、
民族や国家の中で流通する言葉としての<国語>、
広い地域にまたがった民族や国家の間で流通する<普遍語>
の3層に分けて考えるべきであり、
<普遍語>という「外国語を読める人間」にしかアクセスすることのできない欧米の「知の図書館」に自由に出入りし、そこで見つけた概念を、 <現地語>という「母語しか理解できない人間」に、理念や感情としてきちんと受け止めることのできる適切な単語に「翻訳」すること、
鴎外や漱石に代表される明治期の「文豪たち」が、驚異的な努力で成し遂げてみせたのは、つまり「日本語」という<国語>を作り上げることだった。
そこに「日本近代文学」が誕生したというのである。
しかし、今や、これまでには存在しなかったインターネットという技術の出現もあり、世界全域で流通する言葉としての「英語」が、 すべての言葉のさらに上にある、ただ一つの〈普遍語〉として席巻しようとしている現実がある。
ほぼ一世紀半前、日本の学問の府は大きな翻訳機関として、日本語を学問ができる言葉にした――日本語を<国語>にした。 それが、今、英語が世界を覆う<普遍語>となるにつれ、日本の学問の府は、大きな翻訳機関に留まるのをやめようとしているのである。 名ばかりの大学と成り果てた日本の大学ではもちろん日本語が中心にあり続けるであろう。だが、日本の大学院、それも優秀な学生を集める大学院ほど、 英語で学問をしようという風に動いてきている。特殊な分野をのぞいては、日本語は<学問の言葉>にはあらざるものに転じつつあるのである。
「別の言葉に置き換えられる<真理>」を扱う自然科学の分野において、<テキストブック>が「英語」という<普遍語>に一極化されていく ということは、いわば自然の成り行きといっても過言ではないが、
「別の言葉に置き換えられない<真理>」を扱う人文科学において、言葉そのものに依存するはずの<テキスト>までが、 「英語」のみで読み書きされるようになってしまうという事態は、一体何を意味するのか?
「日本文学の善し悪しがほんとうにわかるのは、日本語の<読まれるべき言葉>を読んできた人間にだけ許された特権である」
とするならば、<学問の言葉>として、<国語>としての「日本語」を軽視する教育の下、<普遍語>としての「英語」を学ばされてきた私たちの子孫は、 その時、世界に向けて一体何を「語ろう」というのか、「語るに足る」何を持ち合わせているというのだろうか?
文化とは、<読まれるべき言葉>を継承することでしかない。<読まれるべき言葉>がどのような言葉であるかは時代によって異なるであろうが、 それにもかかわらず、どの時代にも、引きつがれて<読まれるべき言葉>がある。そして、それを読みつぐのが文化なのである。
「くり返し問うが、今、漱石ほどの人材が、わざわざ日本語で小説なんぞを書こうとするであろうか。
私自身も含め、今、書いている人たちに失礼だが、たぶん書かないような気がする。」
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