徒然読書日記200812
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2008/12/31
「ストロベリー・フィールズ」 小池真理子 讀賣新聞
その庭で、少年が独り、遊んでいる。誰にも理解されないことを、それほど不幸とも思わずにいられる少年である。 その少年の顔が旬の顔と重なる。夏子は思わず、手をさしのべる。少年は静かに微笑み返す。
『ストロベリー・フィールズ』とはビートルズの名曲の名前であることは知っていたが、
「その庭」が、「秩序に裏打ちされ、人の手によって整えられた美しい庭」などではなく、「廃園のように荒れ果てた、土と草の匂いのする、 孤児院の庭」であるということを教えてくれたのは、バイト先のジャズ・バーに夏子を誘った旬だった。
主人公の夏子は鎌倉の開業医で、小さな出版社を経営する夫と、死別した前妻との間に生まれた大学生の娘と一緒に暮らしている。
会計士を目指しているらしい旬は、娘の親友の兄として自宅に現れ、表向きは満ち足りているように見えながら、 実際には隙間だらけの「疑似家族」の関係の中に、自分の居場所を作り上げていく。
「夫の浮気」
「娘との確執」
「前妻の影」
様々な「しんどさ」の中で、夏子が旬に求めていたものはいったい何であったのか。
讀賣新聞の連載が終了。
旬が、夫の浮気を終わらせるため、浮気相手を誘惑することに成功したと知らせてきたときに感じた激しい「嫉妬」。
愛してもいない自分の娘と結婚してまで、旬が夏子から得ようとしていたものが何であったのかを知ったときの「戸惑い」。
夏子もまた、「微妙な居場所」の「居心地のよさ」を求めていたことに気付いたのであろうか。
ちょうど今、夏子の目の前にいて、ゆったりとコーヒーカップの中の小さなスプーンをかきまわしている旬のように。
2008/12/30
「加賀百万石の味文化」 陶智子 集英社新書
石川からは「かぶらずし」と「治部煮」が選ばれた。(北国新聞)
というのは、各都道府県から推薦のあった約1650料理の中から、
@農産漁村での歴史、文化的な価値
A保存・継承への努力
など5項目を基準に選ばれた、「郷土料理百選」(農林水産省)です。 全部で99の郷土料理が発表され、最後の一品は「それぞれ自分のイチオシの料理を加えて百選にしてほしい」と、なかなか粋な計らいです。
献立は、「金時草の彩りずし」「甘エビのじぶ煮風」、打木赤皮甘栗カボチャや加賀太きゅうりの入った「じわもん汁」、 「加賀棒茶の水玉ゼリー」の4品。(朝日新聞)
というのは、郷土を代表する地元食材を使った献立で学校給食を競う、「全国学校給食甲子園」(21世紀構想研究会)に、 「金沢市学校給食西南部共同調理場」が満を持して披露しようとしているメニューです。
どちらのメニューも故郷を代表するにふさわしく、これぞ「加賀百万石の味」といいたいところですが、
では「加賀料理」とは、いったいどのような料理なのか。料亭などで出されるものは「京懐石」風だが、藩政時代からの「江戸風」のものもあり、 また食材に富むこともあって「京風」にはない品々もある。加賀百万石の料理らしい豪奢な印象を与える「鯛の唐蒸し」があり、 庶民的な「なすびと素麺の煮物」があり、もともと保存食であった「こんか鰯」がありとバリエーションに富む。
という興味から、「加賀料理の伝統」の起源をさかのぼって、江戸期の前田家の料理人の古文書を読み解いてくれたのが、この本なのでありました。
で、「加賀料理」のルーツとは、どうやら、文禄3年(1594)に、前田家の藩主・前田利家が、時の最高権力者・太閤豊臣秀吉を、 京都の亭に招いて饗応した際の「献立」にあるらしいのですが、それは、全国津々浦々の「珍味」を集めたものであったわけでしょうから、 むしろ、この際にこちらも寄せ集められたに違いない「料理人」によって形作られた「もてなしの心」という「味文化」こそが、 「加賀料理の伝統」として、現在にまで伝えられることになったということなのでしょう。
「伝統」や「文化」などというものは、むしろ「創造」や「革新」の上に成り立つものなのですからね。
「たしかに金沢には、元百万石の城下町というにふさわしい文化的雰囲気がある。しかし、それは文字通りアトモスフィアとして宙空に浮遊するだけで、 そのエネルギーを生み出す根源が見失われたまま、文化的遺産を食いつぶしているのが現実ではないだろうか」(『金沢という町』石平光男)
という批判に、きっぱり答えてみせるところなど、この著者も、なかなか「ただものではない」ような気もします。
石平氏の批判が、二十余年を経た今日でもあてはまるかはともかく、明治維新以後百年ほどたっても食いつぶしていられる文化的遺産など、 そうそうあるものではない。
2008/12/24
「麻原彰晃の誕生」 高山文彦 文春新書
いや、というよりも彼は、私たちの欲念や情動のしぼり滓から生まれてきたのかもしれない。しぼり滓から生まれ、しぼり滓を貪って肥え太り、 しぼり滓につぎつぎと卵を産みつけて繁殖してゆく蠅の王である。
盲学校の中では、ただひとり「目が見える」という優位な立場から、自分のためにまわりを利用しようという意識ばかりで、弱い者に威張り散らし、 目に余る行為が発覚すれば、居直りを決め込み、立ち場が悪くなれば卑屈な態度に豹変し、最後は泣きじゃくってその場を逃れようとした。
「やがて盲目となる運命を背負ってこの世に生まれた赤ん坊が、どのようにして人類史上まれに見る狂気の教団をつくりあげたかをたどる」 この「小さな伝記」は、「松本智津夫」という貧家の弱視の四男坊が、オウム真理教教祖「麻原彰晃」となるまでの半生の、 これまであまり語られることのなかった様々な出会いを描きながら、
「智津夫がオウムでやったことは、盲学校でしょっちゅうやっていたことの延長」(盲学校時代の教師)に、
「人間というものがどのようにして知恵をつけ、堕落し頽廃してゆくのか」を、手に取るように明らかに見せてくれようという試みなのである。
オウム「真理教」命名の真相、というとても興味深いエピソードが紹介されている。
「新興宗教」をやりたいと思った智津夫は、理想とした天理教の経営状態の調査を興信所に依頼し、ついでに「教団の名前はどんなのがいいですかね」 と相談した。訊かれた探偵は戸惑いながらも、天理教にちなんで「あ行」から順に並べていく。
「あんり教、いんり教、うんり教・・・」
「しんり教ですか。なかなかいいですね」
と、智津夫は目を輝かせたという嘘のような話なのである。
「修行者としては類まれな能力をもっていた」がために、「最終解脱」を求める若者たちの尊崇を集めることになった教祖・麻原彰晃だったが、 肝心の智津夫本人には、つまるところ「ひれ伏すこころ」がなかった。彼は「信仰に目覚める」前に、 「俗物としての才能」を開花させてしまったのだった。
「彼は私たちのパロディなのだ」
私は彼が異常だとは思わない。「異常」のふりをしているだけだろう。彼は「狂気」ではある。 だが狂気とは、「正常」のひとつのあらわれ方である。
2008/12/16
「ボローニャ紀行」 井上ひさし 文藝春秋
「過去と現在とは一本の糸のようにつながっている。現在を懸命に生きて未来を拓くには、過去に学ぶべきだ」
これがボローニャ精神といわれているものの本質です
人口38万のボローニャには、映画館が50、劇場が41、図書館が73もあり、 「どれをとっても一級品」のミュゼオ(美術館、博物館、陳列館)が37もある。
歴史的建造物を壊すことをせずに、その中身は現在の必要のために使うというやり方は、「ボローニャ方式」と名づけられ、 世界へ広まっていきました。つまりボローニャは都市再生の世界的なモデルになったのです。
広大な王立煙草工場が生まれ変わった「チネテカ」は、映画好きの若者が古い無声映画を上映するためフィルム修復の組合会社を作ったことに端を発し、 今では世界に誇る映画の保存と修復を行う映像貯蔵センターに発展したものだし、
公営バスの巨大な車庫が姿を変えた「大きな広場」は、ホームレスの友の会が情報誌を発行したことがきっかけとなって、 ホームレスの人たちを立ち直らせる仕組みをもったユニークな「更生施設」となっているのだ。
「ボローニャ方式」の秘訣の一つは「組合会社」。
一人立ちするまでは非課税で、公的な援助だけでなく、銀行や企業などの財団からも資金援助を仰ぐことができるため、 イタリアではなにかあるとすぐ社会的協同組合「組合会社」を作るのである。
イタリアの銀行家たちは、「公的資金を注入してもらってどうやら立ち直ると、すぐに退職金を復活させ、役員報酬を増額するような われわれの銀行家たちとは質がちがう」ようで、
「他人のお金を使って儲けたのだから、儲けの半分を、お金を預けてくれた地域の人びとの還元する」という、 「資本家のモラル」を持ち合わせているというのだった。
というわけでこの本は、「30年以上もボローニャに恋い焦がれていた」という井上ひさしが、 様々な顔を持つボローニャという町の「歴史」とそこにまつわる「豊かな物語」を訪ねる紀行という形を取りながら、 (もちろん、それだけで十分楽しめるが)、 そうした「歴史」や「物語」を自らどぶに捨てようとしているかのような国の現状を痛烈に批判する、文明批評ともなっているのである。
「自分がいま生きている場所を大事にしよう。この場所さえしっかりしていれば、人はなんとかしあわせに生きていくことができる」
2008/12/15
「なぜ僕は『悪魔』と呼ばれた少年を助けようとしたのか」 ―「光市母子殺害事件」弁護団を解任された“泣き虫弁護士”の闘争手記― 今枝仁 扶桑社
「今枝先生から見たこの事件と、僕についての真実とか、僕がどうしてこの事件を起こしたのかとか、今枝先生の表現で、できれば本にして、 本村洋さんはじめ遺族の方たちに見てもらったり、社会の人たちに知ってもらいたいんだ」
弁護人が交替したとたん、1審、2審では争点にさえならなかった「強姦目的」や「計画性」などの「事実関係」そのものが、 唐突に争われることとなった「光市母子殺害事件」の「差し戻し控訴審」は、死刑回避を目指す弁護団が、 「復活の儀式」や「ドラえもんの押し入れ」など、一見「笑止千万」の詭弁を繰り出したかのように見えたのに対し、 遺族の本村洋さんが、毅然とした態度で反論する姿が、圧倒的な支持を受けるような形でマスコミに露出し続けたこともあり、
たとえば、橋下徹弁護士(現大阪府知事)のように、極めて無責任な立ち位置から、加害者というよりは弁護団をバッシングして、 溜飲を下げるような空気が日本全国のお茶の間に溢れることになったような気がする。
この本は、一旦は加害者少年との信頼関係を築きながら、「弁護方針」の食い違いから、その弁護団を途中解任されることになった今枝仁弁護士が、 少年の「悲惨な生い立ち」(父親からの壮絶な虐待と、疑似近親相姦ともいうべき関係にあった母親の自殺)に、自らの「生い立ち」を重ね合わせて、 事件の真相に迫ろうとして見せた手記なのである。
もちろん、著者は「刑事弁護人」の立場から、加害者に寄り添う気持ちで記述を進めているのだから、
「被告人の正当な権利を擁護するためには、被害者や遺族の反感を買い、社会から糾弾されることをも覚悟して、 それでも被告人を擁護しなければならない場面が生じることもある」
のは理解できるが、今後、裁判員として司法判断を問われることになるかもしれない身としては、
「個別訪問が強姦相手の物色だ」というには疑問が多く、「団地に昼間いる奥さんは、寂しさから、僕を性的な関係に導いてくれるかもしれない」 程度の、淡い和姦の願望くらいだった。
なんてことを言われても、「死刑を回避すべき特段の事情がある」とは、とても納得するわけにはいかないのだ。 (ましてその後、死体に対して「復活の儀式」であり、赤ちゃんの首に「リボン」なのだから・・・)
「知ある者、表に出すぎる者は嫌われる。本村さんは出すぎてしまった。私よりかしこい。だが、もう勝った。終始笑うは悪なのが今の世だ。 ヤクザはツラで逃げ、馬鹿(ジャンキー)は精神病で逃げ、私は環境のせいにして逃げるのだよ。アケチ君」
という、加害者少年の有名な手紙は、拘置所で知り合った友人に唆され、「迎合」して書いたものを、その友人がマスコミにリークしたのだという。
「反省が見られない」と批判を浴びたからといって、「反省したふり」をすればそれでいいのか、という意見もあるだろう。
だからといって、何が真相であるのか、私には皆目見当がつかないが、少なくとも「反省したふり」すらしようとしなければ、
「世間は決して君を許そうとはしないものなのだよ。アケチ君」
「僕は、ようやく反省する方法を学び出したところなんだ。まだまだ反省が足りない。だから、『自分が犯した罪の大きさをわかっています』って、 言い切っちゃうことができないんだよね。わかったつもりになったらさ、それ以上、わかろうとしないもんでしょ。 だから、僕は、まだ『反省してます』とは言っちゃいけないと思う。まだ僕は反省の方法を勉強している最中で、 『今も、これからも、反省していきます。その方法を一生懸命探してます』としか言えない・・・」
2008/12/12
「できそこないの男たち」 福岡伸一 光文社新書
生物の高等・下等は何で決まるか。女性側から次のような発言が出た。それは分化の程度である。 分化、すなわち目的に応じてより専門化が進んでいること。その視点から見ると答えは明らかである。 女性は、尿の排泄のための管と生殖のための管が明確に分かれている。しかるに男性は・・・
私たちの身体は「トポロジー」的にいってみれば、「チクワ」のようなものなのだそうである。
私たちが「食べた」と思っているものは、胃や腸に達したところで、本当の意味で私たちの身体の「内部」に入ったわけではない。 そこは「チクワ」の穴なのだ。 「外部である消化管内で消化され、低分子化された栄養素が消化管壁を通過して体内の血液中に入ったとき」、 それは初めて「チクワ」の身の部分に入ったことになるというのだ。
受精が成立し分裂が開始すると、受精卵はやがて球状の細胞塊となり、中空のがらんどう構造を取る。ミクロな「チクワ」の誕生である。 すべての胎児は染色体の型に関係なく受精後7週目までは同じ道を行く。太ももの間には「割れ目」を持つ。
「生命の基本仕様。それは女である。」
では、もしこの子が男の子になろうと思うなら、まずしなければならない変更点はは何?
それはなにはともあれ、割れ目を閉じ合わせることである。男なら皆、自分の身体の微妙な場所で、 それが実際に起こったことだということを知っている。
「蟻の門渡り」
(睾丸を包む陰嚢を持ち上げてみると、肛門から上に向かって一筋の縫い跡がある。 それは陰嚢の袋の真ん中を通過してペニスの付け根に帆を張り、ペニスの裏側までまっすぐに続いている。)
これは一体、誰の仕業なのか。
それは、男性のみが持つ「Y染色体」上にしか存在しない「SRY遺伝子」の指令に基づく「仕様変更」だった。
「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」
(『第二の性』シモーヌ・ド・ボーヴォワール)
とんでもない!
今、理科系で最もリーダブルな「物書き」で、分子生物学者の著者が、サントリー学芸賞を受賞した
『生物と無生物のあいだ』
の次に挑んだテーマとは、
「人は男に生まれるのではない、男になるのだ」
というものだったのである。
「太くて強い縦糸」としてこの世にあるメスが、自らの系譜を別の系譜へと橋渡しせんがために、 「細い横糸」のようなものとしてこの世に生み出したのがオスだった。 つまりオスとは、メスにとってみれば、ほんの「使い走り」にすぎないもののはずだったというのである。
では今日、一見、オスこそがこの世界を支配しているように見えるのは一体何故なのだろうか、それはおそらくメスがよくばりすぎたせいである、 というのが私のささやかな推察である。
すべてのオスにとって、これは「必読」の快著である。
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