徒然読書日記200807
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2008/7/27
「ねたあとに」 長嶋有 朝日新聞
年齢 45歳。小豆島出身。
職業 探偵。
性格 「のんき」で「きちょうめん」。
「いつも死にたいといっている」。
特技 お茶の風味をカンテイすること。
趣味 王冠コレクター。
大きな丸顔、目は二重瞼でパッチリ、富士額で、髪形はフイチンさん。鼻はお茶の水博士。ウケ口で、首が異様に長くて、耳垢がシットリしてて、 背中にライオンの爪跡、頑健な体躯は「リサ・ライオンのよう」、足はクサくて、乳首の乳輪大きめ。
という「御手洗マリ」さんは「ヤツオ」さんの「心の恋人」として、厳格なルールに基づいて作られたキャラクターなのである。
「名前」や「年齢」「性格」そして「顔の造作」などはサイコロを二個振って決定されるが、そのルールブックは長大な巻物になっており、 「上半身」「声」など、少しずつ要素が付け加えられてきた歴史がある。
これが「顔」というゲームの遊び方である。
朝日新聞の連載が終了。
「ケイバ」(麻雀牌を使用する)
「紙相撲」(ドーピング疑惑あり)
「軍人将棋」(軍医など特別な駒がある)
「それはなんでしょう」(回答から質問を類推する)
「ダジャレしりとり」(二文字しりとり)
毎夏、山の中の別荘に集まった老若男女の、実に味のある面々が、他愛もなく繰り広げる「脱力型ゲーム」の数々が、 なぜか私にはとても魅力的で、是非とも参加させてもらいたいものだと希っているうちに、物語は突然終幕を迎えてしまったのではあるが、 明日の夜には「トモちゃん」と「カズトC」との間で、軍人将棋の熱闘が繰り広げられているに違いないと、確信してもいるのだった。
我々は眠い。だから、ダジャレがいえる(許せる)。これは眠いとき用、凍死寸前のときこそふさわしい遊びだ。いや、でも、とわずかに思う。 人は凍死寸前のときに遊ばない。眠ければ遊ばないで、寝ればいい・・・。
2008/7/26
「暴走老人!」 藤原智美 文藝春秋
突然のことだった。男が大声で「アンタ!失礼じゃないかっ」と声をはりあげたのだ。周囲の空気が一瞬にして凍った。 それは彼の小柄な肉体が壊れるかと思うほどの迫力だった。まわりの人々も何が起こったのか、すぐにはわからなかった。 状況を背後から逐一目撃していた私でさえ、彼が何に怒ったのか理解できなかった。
「いったいなんだ!お前じゃダメだ、責任者を呼べ」
と、確定申告の書類提出で、突然怒鳴り始めた初老の男性。
「事務所のほうでお話をうかがいますので」
「ほかの客に聞かれてはまずいことなのか!」
と、スーパーのサービスカウンターで、約束の日時に入荷しなかった品物のクレームをつける70歳をすこし過ぎた男は、 次第に感情を高ぶらせていく。
人は老人になるほど「待つこと」に耐えられなくなるのではないかとさえ思える。のんびりと日向ぼっこをするおだやかな老人像は、 つくられた虚像のようだ。
すでにリタイアした彼らにとっては、現役時代のような帯グラフ的時間割を失った日常に、唐突に「待つこと」 「待たされる」時間が暴力的に侵略してくることが、耐えられない苦痛となったのではあるまいか。
というわけで、このようなキレやすい老人が、最近増えているように思われる背景には、彼ら「新」老人がこれまでの生活の中で培ってきた感覚と、
携帯の普及などで加速化する「時間」
独居の増加などで孤立化する「空間」
マニュアル化され、商品化される「感情」
という、現代社会のめまぐるしい変化との間に、乗り越えることのできないギャップがあるからなのではないか、
というのが芥川賞作家でもある著者の分析なのである。
私はスーパーのレジで列にならんでいるとき、自分の番がくる前に財布を取りだし小銭をチェックしている。 支払い時にまごついて列のうしろに「迷惑」をかけたくない、という気持ちがどこかで働いているからだ。
スーパーやファストフード店では、「一見合理的で効率的に見えるシステムも、実は客が従業員の役を引き受けることで成り立っている」。
「スーパーのレジの列にきちんとならぶ」というのは「マナー」だが、
「小銭をあらかじめ用意しておき、支払いをスムーズに済ませるようにと焦る心理」は「透明なルール」である。
やがて透明なルールという内面の秩序は、新たな常識として一般化する。当然、日常のさまざまなシーンで、 「新常識」に抵触する老人たちが出てくるだろう。
暴走する新老人とは、「新常識」に順応できず、うまく乗り切れないために、情動を爆発させるしかない、 システム化社会の鬼っ子ともいえるのではないだろうか。
さて、
「車列に割り込む」際に、「ハザードランプを感謝のサインとして点滅させる」という、都会ではどうやら「透明のルール」化しようとしている らしい「挨拶」なるものが、どうしても「馬鹿にしている」ようにしか思えてならない私のような人間は、
どうやら「暴走老人」となる資格十分ということらしい。
2008/7/25
「松本清張への召集令状」 森史朗 文春新書
話は、昭和十八年秋にさかのぼる。
場所は北九州小倉、両親と妻、子供三人の職人暮らし。
一家のあるじ松本清張に教育召集令状がとどいたのは、三十三歳のときのことである。
「二十歳代の青年期ならともかく、太平洋の戦線が逼迫しているからといって、妻子持ちの中年兵まで駆り出してどうするのか」
という不満を胸に秘めながら、召集令状を差し出した松本清張は、受け取った係員の思いもかけない「つぶやき」を耳にすることになる。
「ははあ、それでやられたな」
担当編集者として、早くからその創作の現場に立ち会ってきた著者が、折々に交わした思い出話などの会話のメモもまじえながら、 松本清張の作家としての歩みを再構成してみせたというこの「作家論」はまた、
「三十四歳での本格的な戦場送りがこの作家の根底にどれほどの深い傷跡を残したのか。」
「一兵士として駆り出された戦争体験が松本清張の国家観にどれほどの影響をあたえたのか。」
という独自の観点から描かれた渾身の「作品論」なのでもあり、これ自体が良質のミステリーともいうべき力作であった。
『週刊朝日』に昭和四十六年八月から八ヶ月にわたって連載された、長編ミステリー「遠い接近」は、
三十二歳で三人の子を持つ色版画工・山尾信治が、突然の召集令状で戦地に送られ、広島に疎開させていた家族を原爆で失う。 「赤紙」の製造にまつわるカラクリに気付いた山尾は・・・
という、松本清張自身の兵隊体験に根差した、「ミステリー仕立てのすさまじい復讐劇」なのだった。
中年兵として召集され、朝鮮に送りこまれて日がな内務班と軍医部を往き来する単調な生活のくり返し・・・。 こんな戦場生活にどんな意味があるのか。「大きな無用」のなかに自分は閉じこめられ、身動きのできないまま虚しく日々がすぎて行く。 この壮大な無駄を強いる国家権力とは何だったのか。
2008/7/22
「團十郎の歌舞伎案内」 市川團十郎 PHP新書
底にフェルトをつけたり、下駄を水に浸してから出ていくと大丈夫といわれますが、そうすると下駄特有の、 あのカッカッカッカッという乾いた音にはならないんですね。ですからわたくしどもは絶対に下駄に細工はいたしません。 「それくらいのことで、なんだい」という意気で出ていかないと。
「助六という役は、そんなにビクビクしてつとめられないですから。」
というのが、初代團十郎から十一代目の父親まで、先祖代々連綿と受け継がれてきた「市川家」の「家風」であり、 自らがその十二代目として、長男の海老蔵からさらには子々孫々へと、守り育んでいかねばならない「成田屋」の「格」だというのだろう。
市川團十郎が青山学院大学で行った特別講義をもとにして書かれたというこの本は、
第一幕で、初代團十郎から十一代目の父親まで、それぞれの芸風にまつわるエピソードから、歌舞伎の歴史の変遷を語り、
でも、わたくしのなかには相矛盾した考え方があるんです。たしかに「おまえ、それは市川家の格じゃないよ」といいたい部分もございます。 でも一方で「とにかくやるだけやってみろ。それから文句をいわれたほうがいい」と思うんです。 そのうえで何か違っているところがあるなら指摘すればいいと考えております。 (海老蔵が『雷神不動北山桜』の最後、イリュージョンを使った空中浮遊の演出を採用したことについて)
第二幕では、日本の伝統芸能の中での位置付けや、西洋演劇との比較から、独自の演劇論によって「歌舞伎の成立」を論じる。
荒事は「童の心、純真無垢な心でやれ」との言い伝えが、わたくしどもの家にはございますが、この手の形もそこからきているのかもしれません。 ほんとうに喧嘩をする気なら、ふつうのゲンコツの形にするはずです。でも童のようなまっすぐな精神を美しく表現するために、 人が実際にするしぐさではなくて、親指を中に入れる姿を選んだ。歌舞伎の源を考えるうえで、たいへん興味深い一例だと思います。
そして第三幕が、お待ちかね。歌舞伎の名作「十一作品」を、当代・市川團十郎が「役者」として実際に演じる立場から見た、 貴重な「ウラ話」のご披露となっているのである。
「『勧進帳』の富樫はいつ義経が本物だと気づくのか」
「『暫』の権五郎の衣装は、重さが60キロもある」
などなど、これは、つまり「歌舞伎の入門書」などではなく、五十五年間の人生を「歌舞伎役者」として生きてきた男が綴って見せた、 「市川團十郎」への「恋文」なのである。
たとえば「宙乗り」という演出があります。天へ昇ったり、雲に乗ったり、あるいは海を渡ったりする。 その雰囲気を表現しているのだとされます。でも本来なら、ただ花道を歩くその所作や芸でお客さまを納得させる、 それが歌舞伎というものではなかったか。そこにおもしろさを発見するのではないのか。実際に舞台や花道に水を張って、 その上をバチャバチャ歩けばたしかにリアルでしょうけれど、そこに能があるのかなと疑問に思うんです。
2008/7/20
「日本全国「県境」の謎」 浅井建爾 実業之日本社
福島、新潟、山形の三県が接する地点に、摩訶不思議な県境が走っている。福島県の西北端にそびえる三国岳から、 新潟と山形両県の境目を割り裂き、飯豊山頂を目指して、並行した二本の県境がニョキニョキと伸びているのである。
「ひと跨ぎで新潟県から福島県を通り越して、山形県に着地できる」、わずか幅1メートル弱の福島県が、 延々と7.5キロも続いているというのである。
これは、東蒲原郡が福島県から新潟県に移管された際に、飯豊山までが新潟県側に組み込まれてしまったことが、そもそもの原因となっている。 飯豊山は「五穀豊穣を祈る信仰登山が盛んな山」で、山頂には「飯豊山神社」の奥の院があるのだが、その飯豊山神社の本社は、 福島県に鎮座ましますのだった。幅1メートルの県境は、「本社」から「奥の院」への参道だったというわけなのである。
福岡県(筑後国)と佐賀県(肥前国)の県境は筑後川を何度も横切っているが、その県境がそのまま筑後川の旧流路だといってもいいだろう。 それほど筑後川の蛇行が激しかったということである。
川の流れのどの位置が国境か、正確に定まっていなかった江戸時代には、しばしば領土をめぐる紛争が発生した。 そこで、「千栗八幡宮の神幣を柴に結び付けて、これを筑後川に流した。」「神意」で国境を決めようというのである。 柴は下流に至って、中州の大野島の右岸を過ぎた後、進路を左に変え、大詫間島との間を通り抜けて、今度は大詫間島の左岸を流れ下っていった。
同じ一つの中洲が、福岡県では大野島、佐賀県では大詫間島、と呼ばれているのは、 日本対韓国の「竹島」「独島」のように領有権を争っているわけではない。 「神意」によって、既に領有権の決着は付いているのだが、上流からの土砂が堆積して、二つの島がつながってしまったのだった。
というわけで、
「山頂」や「河川」は「自然の境界」となることが多いので、これにまつわる「県境」のドラマも多いわけだが、 「県境をめぐる争い」には、「漁業権」「入会権」「水利権」など、複雑な思惑が絡み合ったものも多い。
なんと、「県境、市町村境ともすべて確定している」のは、全国四十七都道府県のうち、たった九県にすぎないのである。
2008/7/17
「日本人の脳に主語はいらない」 月本洋 講談社選書メチエ
角田氏によれば、日本人は母音のほか、鈴虫やこおろぎ等の鳴き声も左脳で聴くが、西欧人は鈴虫やこおろぎ等の鳴き声も右脳で聴く。 たしかに、日本人にとっては、鈴虫やこおろぎの鳴き声は単なる雑音ではなく、これを鑑賞することもあるが、西欧人にとっては、 鈴虫やこおろぎの鳴き声は単なる雑音であるらしい。
という、角田忠信『日本人の脳』の話は聞いたことがあるのだが、それは日本人という人種が特別に情緒的な脳を持っているからだと思っていた。
ところが、それは遺伝的で生得的なものなのではなく、日本語を話すからそうなるのだ、という仕組みについてはよく知らなかった。 日本人でも六歳から十歳くらいの間に英語を話していれば、母音や虫の鳴き声を右脳で聴くようになる、というのである。
日本人は、母音や子音+母音からなる、すなわち母音比重の大きい日本語を聴き取りやすいよう脳神経回路が学習によって組織化されている。 よって、日本語と似ているこおろぎの鳴き声も言語を処理する左脳で聴く
のに対し、子音比重の大きい英語では、子音のみを言語を処理する左脳で聴く。つまり、母国語の音声を正確に聞き取れるように、 脳神経回路は母国語の学習によって、組織化されるのである。
さて、私たちが言葉をしゃべろうとすると、実際の音声が口から出る前に、それを脳内で「内的に聴く」というプロセスを経ることがわかっている。 しかも、この場合には日・英、どちらの言語であっても、「発話開始時には、最初に母音の準備をする」ので、
「発話開始時には、最初に母音を聴覚野で内的に聴く」
ところが、
「自他の分離は右脳の聴覚野の隣で行っている」
(このあたりの、他人の振る舞いを見るだけで自分の中で仮想的身体運動が起こり、それによって他人を理解している、 という「ミラーニューロン」の議論も、とてもスリリングなのだが、ここでは割愛する)
これらの事実と、
「日本人は母音を左脳で聴き、イギリス人は右脳で聴く」
という事実を組み合わせれば、
日本人は、発話開始時には、母音を左脳の聴覚野で内的に聴くので、その隣の言語野が瞬時に動き出すことで認知から言語へと連続的に移行する。 かつ右脳の自他の分離を担う部分である下頭頂葉と上側頭溝を刺激しないので人称代名詞を発生することがあまりない。
のに対し、イギリス人は、「発話開始時には、母音を右脳の聴覚野で内的に聴く」ので、右脳から左脳の言語野に神経信号が伝達する合間に、 自他の分離が刺激され、人称代名詞を発生してしまう、というのである。
というわけで、「僕は君を愛している」(I love you)と言いたければ、
英語では、認知から言語に連続的に移行しないから“I”が必要になり、右脳の自他分離の部分を刺激するから“You”が必要になるが、
日本語では「愛しているよ」だけで十分なのである。
認知的な無音の「僕」は言語になっていないので、主語ではない。それは、主体とよばれるべきものである。したがって、 認知的主体が言語的動詞と組み合わされて一つの認知言語行為を構成しているのである。また、目的語の「君」も声にはならない。 それは、右脳の自他分離の部分を刺激しないからである。
2008/7/12
「穂足(ほたる)のチカラ」 梶尾真治 北国新聞
慣れない営業職で業績が上がらず、リストラ寸前の海野浩が家長を担う海野家は6人家族。
妻の月代はパチンコ中毒で、家族に内緒の多額の借金があり、「街金」に返済を迫られている。父の十三郎は認知症の初期症状で、 タバコの釣銭を誤魔化されても気が付かない。そのうえ、高校生の長男・太郎は引きこもりで不登校、長女の七星はシングルマザー。
という「崩壊寸前」の海野家にとって唯一の救いは、七星の息子、まるで天使のような穂足(ほたる)の存在だった。
ある日、その穂足が事故に遭い、意識不明となってしまったところから、秘められていた『穂足のチカラ』が顔を出し、 家族の抱えていた問題が次々と解決されていく。
「穂足の体に触れたことが一連の好結果につながった」
「それは体に触れることで他人にも伝えることができる」
「それは触れた人の意識を変化させ、素直で前向きな性格にしてくれる」
家族の結束を取り戻した海野家の面々は、この「幸せのチカラ」を世の中の人々に広めるため、毎日一人以上の人と握手するという 「幸せの握手」作戦を開始する。
ところが、次第に海野家の住宅の外壁に「黒いシミ」が目立つようになり、ついには家全体を覆いつくしてしまう。
それは、「幸せの握手」によって、人々の心から追い出されてしまった邪な心「修羅」が寄り集まったものなのだった。
北国新聞の連載が終了。
世界中の人々の心の奥底に潜む「修羅」が、すべて海野家に集合した時、突如、穂足が雄叫びを上げ、「邪の化身」へと変身を遂げる。
「修羅」を失い、住人全員が「善人」と成り果ててしまった地球は、もはや『穂足のチカラ』に対抗できるような術を失ってしまっていた。
というのが、暇人が期待した「結末」だったのですが、
「ジィ。大丈夫だよ。心配しないで。ホタル、また黒いの、消すから。何度も、消すから。ジィもババもタローもママもヒィジも大丈夫だよ」
と、第1回目の「修羅」の襲撃を凌いでみせた「穂足のチカラ」を信じて、世界中に「相手を思いやる心」を伝播させるため、 家族の結束をさらに固めるというころで、この予想外に楽しませてくれた物語も、残念ながらハッピーエンドを迎えるようなのでした。
とはいうものの、
一瞬、太郎だけが、何故か、全身がぶるっと震えるのを感じた。今の正体のわからない震えは、いったい何だったのだろう、 と考えたが次の瞬間には遠ざかっていた。
ん?もしかして、続きがあるのか?
2008/7/4
「食堂かたつむり」 小川糸 ポプラ社
私は洗いたての手のひらで、それらの食材にそおっと触れた。そして、生まれたばかりのちいさな命を慈しむように、ひとつひとつ、 両手で持ち上げては顔の近くまで抱き寄せて、目を閉じたまま数秒間、食材達と言葉を交わす。
誰かから教わったわけでもないのに、気がつくと私は、料理をはじめる前、いつもこの儀式をするようになっていた。 顔を近づけて鼻を寄せ、彼らの「声」に耳を傾けるのだ。クンクンと匂いを嗅いで、それぞれの状態を確かめ、どう料理してほしいのか?を尋ねる。 そうすると、食材達が自ら、どう調理するのが一番ふさわしいのかを、語りかけてくれる。
きれいなルビー色をしていて、甘酸っぱい味で、食べると顎の奥がきゅーんとなる、「ザクロカレー」。
どんなに緊張して体を固くしていても、胃にスーッと入ってくれる、季節の野菜たっぷりの、「ジュテームスープ」。
インド人の恋人に家財道具一切を持ち逃げ去れ、声さえなくしてしまった「倫子」は、「おかん」との不仲ゆえ十年前中学卒業と同時に 飛び出してしまった山村にある実家に戻り、1日1組だけの、ちょっと変わった食堂をオープンする。
「食堂かたつむり」は、前もって調べた客の要望に応じてメニューを考え、できるかぎり近場で手に入れた厳選された素材を存分に活かして、 人それぞれに大切な忘れ物を思い出させてくれるような、食べた人にはささやかだけれど幸せな奇跡を起こすことさえ出来るような、 そんな素敵な「食堂」だった。
「りんご、」
とても久しぶりにおかんが私の名前を呼んだ。何?と言いそうになり、けれど私には声が出せなかった。
「お願いだからさぁ、最後に何かしゃべってよ・・・」
かすれた声でそうつぶやくと、私の頬に、軽く指を当てる。冷たい、ゴムのような感触の数本の指が、私の肌をぎことなく撫でる。 それでも、私は目を開けることができず、寝たふりのままだった。
「私を生んでくれて、どうもありがとう」
と、ついに伝えることができなかった倫子にとっても、「食べた人がやさしい気持ちになれる」料理を作るということは、 「かたつむり」のようにゆっくりと、失った声を取り戻すための歩みであったのに違いない。
本当に大切なことは、自分の胸の中に、ぎゅっと、鍵をかけてきっちりとしまっておこう。誰にも盗まれないように。 空気に触れて、色褪せてしまわないように、風雨にさらされ、形が壊れてしまわないように。
というわけで、この小説、前半が「カモメ食堂」の乗りだとすると、後半は「東京タワー」なので、 どちらが好きかは議論の分かれるところだろうが、私は前半に軍配を上げたいと思う。
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