徒然読書日記200709
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2007/9/30
「となりの神さま」 「昭 扶桑社
昼間のにぎわいが去り、深夜、聖堂には、キャンドル持参の信者がぞくぞくと訪れていた。今日は復活祭のミサがとり行われる日なのだ。 すでに聖堂内は満員だった。ロシア人、ルーマニア人、エチオピア人を囲むように日本人信者がいる。
ここは、JR御茶ノ水駅聖橋口を出ると見えてくる、タマネギ型の屋根で有名な「ニコライ堂」、1891年に完成した、 日本最大のビザンチン式建造物としての威容を誇る、東方正教の総本山である。
ルーマニア人女性と結婚して改宗した日本人男性は、 「彼女たちにすれば日々宗教生活ですから日本人の信仰心の薄さに最初は驚いていましたね」 と言いながら、6歳の娘と一緒に参加して祈っていた。
外国人が来日し、日々の生活を営むようになれば、そこには必ず、彼らの「宗教」も棲みつくことになる。 彼らの日々の生活においては、「宗教」がその中心になっているからだ。
本国トルコから百人もの伝統職人が来日し、建築資材も輸送して、オスマン・トルコ様式の壮麗なドームと尖塔を有する 「モスク」を建ててしまったという「イスラム教」東京ジャーミィ(渋谷区代々木上原)。
インド人が1500人も居住するという、江戸川区西葛西の公団住宅団地では、念願のヒンドゥー教寺院が建立されるまで、 押入れに設けられた祭壇での祈りが続けられている。
「ミャンマー仏教」「チベット仏教」「韓国キリスト教」「ユダヤ教」「ジャイナ教」「シク教」
「人々」の数だけ「神」があり、それぞれの「信仰」の形において「祈り」は捧げられて、 私たちのすぐ「隣」にも、世界中の神々が降り立っているのである。
異文化の共同体の、「ハレ」と「ケ」の「あわい」ともいうべき微妙な「襞」の内側を、覗き込むかのようなカメラワーク。
それは「在日朝鮮」の著者なればこそ、ここまで「ずかずか」と踏み込むことが可能であったのではないかと思わせる 「写真」ルポルタージュなのだった。
百玄宮には、台湾出身者のほかに中国系の人たちが毎日のように拝拝にやって来る。朱色の三日月型で表が盛り上がり、 裏が平らな木を放り投げてから、占いの札を引く。とにかく物事のはじめは占いから、と占い大好きな民族なのだ。 入り口の左側に三頭の犬神様が鎮座する。水商売の神様だという。拝拝中の女性がタバコに火をつけた。 それは女の口元から離れ、犬神様の口へ差し込まれた。フィルターに付いた赤い口紅が妙に艶かしい。タバコが線香代わりというわけだ。 「道教」(新宿区歌舞伎町)
2007/9/28
「逆立ち日本論」 養老孟司 内田樹 新潮選書
(養老)だからこそ、「『ユダヤ人』ということばについて私たちがまず踏まえておくべきことは、 それを中立的・指示的な意味で用いることがほとんど不可能だということである」ということになる。 しかし、それと同時に「ユダヤ人」の語義を私的、もしくは暫定的にでも定義しないと話は進められないので、内田さんは消去法にいかれますね。
「語義を定義することがむずかしい語の意味の境界線を確定するために一つだけ有効な方法がある」として 「ユダヤ人は何ではないのか」を考えるところから始めて、「小林秀雄賞」を受賞した
『私家版・ユダヤ文化論』
(内田樹 文春新書)
を読んだ養老孟司は、「この人はぼくと同じ考え方をする人だ」と直感し、この対談に臨んだらしい。
(養老)ぼくはそれを「対偶」の考え方と呼んでいます。「AがBだ」というときに、「AがBでないとは、どうしたらいえるだろうか」 と、反対側から考えてみるんです。「逆さまから考える」と言ってもよいのかもしれません。
「ユダヤ人問題」から始まった対談は、「日本人異質論議」、「総長賭博型ソリューション」、「アメリカバッシング」、 「複素的身体論」、「正しい日本語論」、「全共闘へのこだわり」「成熟というモデル」等々へと、連想ゲームの如くに、 めまぐるしくテーマを変遷しながら、丁々発止の問答へと姿を変えていくわけなのである。
ところが、お互いに「考え方」が似ていることは認めあってはいても、その「考えるやり方」なるものが、 相手の意を微妙に「すかしたり」、「位相を変えたり」、「間を取ったり」、「次元を繰り上げたり」「額縁を付けたり」 「カギ括弧に入れたり」するという、いささか「ひねった」もののようなので、
例えば、ウィンブルドンの決勝戦を観戦するようなもので、 観客として見ているだけでも、十分に楽しめることは楽しめるのだが、 「高速なドライヴ」や「微妙なスピン」や「絶妙のロブ」などの、その百戦錬磨の「凄み」は、 闘っている当人たちにしか、到底わからないのではないか、という「滑った」感じもないわけではない。
というわけで、内田好き、養老好きの方々は、茶々を入れる相手の反応を無視して、片方だけの発言を楽しむというのも、 また一興ではないかと思うのである。
(内田)ぼくは「デスクトップに並べておく」という言い方をしています。 自分の意識の「デスクトップ」に開いたファイルをどれくらいたくさん載せられるか。 どれだけデスクトップが散乱しているのに耐えられるか。この無秩序に対する耐性というのはけっこうたいせつじゃないかと思うのです。 整理したがる人は、解決できない情報でも「未整理ファイル」というタグをつけて整理してしまうでしょう。 でも、一度ファイルしてしまうと、それはもう意識にはなかなかのぼってこない。
2007/9/27
「北朝鮮・驚愕の教科書」 宮塚利雄 宮塚寿美子 文春新書
笑いのお花がぱっと咲いた台所に
水道水がジャージャー溢れるよ
金日成大元帥様が作って下さった
社会主義のわが農村は暮らしが良い
(小学3年生の音楽の教科書より)
「水がジャージャー溢れる」ことが、「暮らしが良い」ことの象徴として、音楽の教科書で歌われるほど、 農村の「水道事情」は逼迫しているのだろうか?
「花のバスがブーブーやって」きて
「テレビジョンがランラン歌う」北朝鮮の農村部落では、
「1995年から4年程の間に、餓死者、病死者、行方不明者が合わせて300万人も出たという。」
「北朝鮮の歴史教科書」
(李東一編約 徳間書店)
では、「算数」と「歴史」の教科書をご紹介したが、
今度は、全授業時間数の30%以上を占めるという「国語」と、児童用としてはえらく高度な難曲が多いという「音楽」の教科書のご紹介である。
とはいえ、中身は驚くほど変わらない。
北朝鮮の子供たちにとって、もっとも大切な学科は
@「敬愛する首領金日成大元帥様の子供時代」
A「偉大な領導者金正日将軍様の子供時代」
なのであり、
「北朝鮮の子供たちは、自分の誕生日もよく覚えていないうちから、こんなふうに金日成の誕生日を、 雀のように声を揃えてさえずるようになるのです。」
(呂錦朱『「喜び組」に捧げた私の青春』)
敬愛する首領 金日成大元帥様が 信号銃を撃たれました タンタン、ドカーン 遊撃隊員たちは 普天堡のウエノム(倭奴)をことごとくやっつけました <金日成将軍万歳!> 人民たちは声をあげて万歳を叫びました
というのは、
1937年の「普天堡戦闘」という、抗日闘争における記念的大勝利という「歴史」を学ぶためのものではなく、
あくまでも、朝鮮語における複合母音「oieo」を学ぶための、小学1年生の「国語」教科書にある「挿話」なのである。
2007/9/23
「聖母の贈り物」 Wトレヴァー 国書刊行会
火曜日の朝、「どーも」という一声とともに玄関に立ったのは、ブロンドの長髪の少年だった。あとふたりの少年たちも一緒だった。 ひとりは黒いくせ毛で、頭じゅうに綿毛が生えているようにみえ、もうひとりはグリースを塗りたくったぐしゃぐしゃの赤毛を 両肩まで垂らしていた。少女もひとり来た。やせっぽちで、くちばしみたいにとんがった顔をして、なにかクチャクチャ噛んでいた。 四人で手分けして、ペンキ、刷毛、布きれ、青いプラスチックのバケツ、それにトランジスターラジオを持ってきていた。 「お宅のキッチンをやりにきました」とブロンドの少年は言った。「あ、えーと、ホイーラーさん」
「いえ、いえ、わたしはモールビーですよ」
(『こわれた家庭』)
息子たちの戦死という悲劇を乗り越え、5年前に夫に先立たれてからの一人暮らしにもなれてしまった、87歳のミセス・モールビーは、 1920年の結婚以来ずっと住み続けてきた「この家」が大好きだった。
そんなある日、「欠損家庭の子供たち」を「ひとり住まいのお年寄り」のもとへ無料で派遣するという「地域共同体における関係改善」 の試みの一環として、4人の若者たちがやってきて、塗り替える必要のないキッチンに黄色いペンキを塗りたくり始めた。
「この環境で死ぬまで暮らしていきたい」という彼女のささやかな望みは、みるみるうちに破壊されていった。
まるで、ホラー小説を読んでいるかのような、理不尽な「暴力」の怖さに、心を鷲づかみにされて、私たちは老女とともに、 「何かの間違い」であるに違いないこの事態が、早く過ぎ去ってくれることを祈るしかなくなってしまうのだ。
事態の収拾に訪れた教師が「ああいう境遇の子どもたちの場合には、歩み寄って、こっちから理解しようとしてやらなきゃいけません。」と、 熱弁をふるうのを横目にしながら、ミセス・モールビーは、なぜ今そんな思いが去来するのか理解できぬまま、ふたりの息子のことを考えていた。
彼女は唐突に、デレクとロイのことをこの教師に語りたくなった。息子たちの話をしたい欲望がこみあげてくるなかで、 彼女はかつていつもそうしたように、殺された直後の息子たちの死体のようすを思い描いた。砂漠に横たわるふたつの死体。 砂漠の鳥たちが急降下しておそいかかる。四つの目はすでに食われてしまった。
この家のひとつひとつの部屋には、そんな息子たちが、なに不自由なく、幸せに成長していったときの、色々な思い出が染み付いている、 ということを。
時が経って、そんな大きな痛手も癒えたのは、ぽっかりあいた恐ろしい穴と、ずっと一緒に暮らしてきたからだ、ということを。
しかし、彼女が口にしたのは、子どもたちとわたしの対話はうまくいきませんでしたが、わたしはその失敗をきちんと認識しています、 ということを伝えるための
「ごめんなさいね」という一言だった。
と、あらすじをご紹介しようとしているうちに、思わず物語に引き込まれて、もう一度じっくり読み返してしまうような、 「濃い」短編が全部で12編。
現役作家の中では、世界最高の「短篇作家」と称される、トレヴァーの、これは日本初にして、最強の「短編選集」なのである。
2007/9/22
「反転」―闇社会の守護神と呼ばれて― 田中森一 幻冬舎
こうして弁護士になってみて、宮仕えの検事は楽だったと、つくづく思った。個人経営の弁護士の仕事は、 事務所の運営から事務員の管理、顧問先からの法律相談まで、すべて責任は自分の肩にのしかかってくる。これは、経験したことのないことだった。 が、その一方では、なにかと束縛や押さえつけが多かった検事の仕事と違い、自分自身の意思と決定だけで動ける弁護士の仕事に 充実感を覚えていた。怖いくらい順風満帆な弁護士生活のスタートだった。
長崎県の平戸の貧しい漁師の家に長男として生まれ、漁師を継ぐのが当然という父親を説得し、苦学して定時制高校から大学に進学。 「家族全員の夢」を背負って難関の司法試験に合格し、1971年検事に任官した。
東京地検特捜部に抜擢されてからは、撚糸工連事件、平和相互銀行不正融資事件など数々の大型事案で辣腕を振るい、 「敏腕検事」として名を馳せた著者は、87年に突然辞職して弁護士へと転身する。
表向きの理由は母親の病気の介護のためだったが、上層部の捜査方針に対する不信感からと噂された。
弁護士を開業したのは「バブル絶頂期」。
「元特捜のエース検事」で「刑事事件専門」、しかも「経済事案」が得意という「弁護士」の事務所開きには総額6000万円もの祝儀が集まった。 その一人、食肉業者「ハンナン」の浅田満は1000万円をそっと手渡した。
やがて、特捜時代のターゲットや情報源となっていたような連中が、今度は向こうから訪ねてくるようになり、顧問先を紹介してくれるようになる。
こうして、暴力団や総会屋、株の仕手集団といった、「闇社会」との親密な付き合いが深まっていった。
山口組若頭「宅見勝」
イトマン元常務「伊藤寿永光」
イ・アイ・イー「高橋治則」
そして、「許永中」
もちろん「カネ」が絡むところには政治家が群がるわけで、様々な「御仁」が実名で、節操のない姿を晒しているわけなのではあるけれど、 「闇社会」の役者たちの、スケールと魅力の前には、どうにも影が薄いと言わざるを得ない。
「田中はやりすぎた。金儲けのために暴力団や仕手筋、バブル紳士たちの弁護を引き受け、捜査の邪魔をする。田中を逮捕すべきだ。」
自らが描いた「捜査の筋道」を、「組織の論理」で捻じ曲げられたことに不信を感じ、組織を飛び出してしまった男は、
今度は「組織の論理」が描いた「捜査の筋道」に絡め捕られることになったのだった。
2007/9/12
「反社会学講座」 Pマッツァリーノ ちくま文庫
社会学は非科学的な学問なのです。他の学問では「こじつけ」と非難される論説も、社会学では「社会学的想像力に富んでいる」 と称揚されます。
だから、「社会学者の一般的な研究方法」とは、以下のようなものになるというのである。
@テレビの報道などから気にくわない人間(「最近の若い奴ら」とか)を見つけ出す。
Aその人間がなぜ気にくわないのか、個人的な感情論で構わないので、結論を出す。
B自分の結論を裏付けるのに都合のいい証拠だけを集める。
データの一部分だけを抽出したり、意図的に資料を誤読したりするのは、社会学研究上での重要なテクニックですので、 日々研鑽に励まねばなりません。統計学の手法を用い、重回帰分析などのテクニックを使用するのも有効です。 学力低下のおかげで、算数の不得意な人が増えたので、たやすく煙に巻くことができます。
そんなダメな「社会学」が、世に振り撒いた害毒としての「定説」の数々に、
「少年の凶悪犯罪が増え続けている」
(実は、戦後最もキレやすかった少年は昭和35年の17歳)
「日本人は勤勉な民族である」
(江戸時代、世帯主の4割は日雇い仕事のフリーター)
「人は見た目が9割」
(研修屋はハッタリが9割、始めに言葉が通じてこそ)
「近頃の子どもは本を読まない」
(本を読まないのは大人のほうだが、読書時間と成績は比例しない)
という具合に、皮肉たっぷりに反論し、小気味よくひっくり返してみせる、胸のすくような1冊。
「反社会学」と名乗りながら、「社会学」を越えた「非常に優れた社会学の入門書になっている」と評判になった名著の、 これは待望の増補文庫版なのです。
なお、マッツァリーノというイタリア名はもちろん偽名で、著者は生粋の日本人です。(だと思います。)
少子化により労働力が減少し景気が減退するとする説も、スーペー(注:スーパーペシミスト)少子化論を支える太い柱の一本です。 でも、景気が悪化すれば雇用も落ち込むのですから、ちょうどよくなりそうなものですけどね。(中略)
彼らが将来減少すると心配している「労働力」は、おもに単純労働の従事者を想定しているという点も気になります。 将来社長が足りなくなるとか、学者や政治家が足りなくなるなんて話は一向に聞かれないのです。 「俺たち一握りのセレブのために安月給で働く労働者が減少しては困る」という、庶民を見下した心配なのです。
2007/9/3
「ぼくには数字が風景に見える」 Dタメット 講談社
数字はぼくの友だちで、いつでもそばにある。ひとつひとつの数字はかけがえのないもので、それぞれに独自の「個性」がある。 11は人なつこく、5は騒々しい、4は内気で物静かだ(ぼくのいちばん好きな数字が4なのは、自分に似ているからかもしれない)。 堂々とした数字(23、667、1179)もあれば、こぢんまりした数字(6,13,581)もある。 333のようにきれいな数字もあるし、289のように見映えのよくない数字もある。ぼくにとって、どの数字も特別なものだ。
「サヴァン症候群」
左脳に障害を持つことで、右脳の眠れる力が目を覚ますのではないかといわれ、音楽・美術・数学などの領域で超人的な才能を発揮する (映画『レインマン』で有名になった)が、その半数は自閉症者で、残りの半数にも他の発達障害が見られるという、脳の障害の一種である。
「アスペルガー症候群」
@人の心の動きがよくわからないので、対人関係が上手に取れない。
Aひとつのことに強くこだわり、新しいことがらや環境をなかなか受け入れられない。
という症状を示す発達障害の一種である。
「共感覚」
ひとつの刺激によって複数の感覚が連動して生じる現象。タメットの場合、数字や文字が、色だけでなく形、質感、 動きなどをともなって感じられるという。
これらすべての「才能」を併せ持ったダニエルは、驚異の記憶力を誇り、
新しい言語を1週間でマスターするなど、10ヶ国語を自在に操り、
πの小数点以下22514桁を暗唱して、ヨーロッパ新記録を樹立してみせる。
これは、そんなダニエルが、「誕生から現在まで」の、家族との風変わりな触れ合いの形や、いじめにあった学校生活、 勇気あふれる独り立ちと最愛のパートナーとの出会いなど通して、 自らの「頭の中」を克明に描いてみせた、私たちには想像することもできない「世界」の驚きに満ちた、美しいスケッチなのである。
この数字の羅列を見ると、ぼくの頭の中にはさまざまな色と形と質感があふれ、それがひとつに合わさって風景をつくりだす。 ぼくにはとても美しい風景だ。子どものころ、頭のなかで数字でできた風景を探索しながら何時間も過ごしていたときを思い出す。 それぞれの十桁の数字を思い出すだけで違った形や質感が頭のなかに浮かんできて、そこから数字を読みとることができる。
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