徒然読書日記200612
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2006/12/21
「メタボラ」 桐野夏生 讀賣新聞
アガッ!スンキャー、面白いバ〜ヨ〜。
クンノ、フラ〜が、クルサリンド〜。
ダッカラヨ〜、よくわからんサイガ。
ズミズミ、上等サ〜ヨ〜。
血だらけになって山中をさ迷い歩いている途中、矯正施設から逃亡してきた「アキンツ」と出会った「僕」は、名前を聞かれて名乗れないことに気付く。
すべての記憶を失った「僕」が、何かを求めて集まってきた、ひと癖もふた癖もある若者たちと出会う異色の群像劇
時に正確な意味が理解できなくなる「沖縄の方言」の多用が効果的で、とても魅力的。
様々な「言葉」や「体験」を身にまとって、新しく形成されていった「ギンジ」という殻を突き破るように、 「ユウタ」としての過去の「記憶」が顔を出し始めた時、物語は終焉を迎えることになった。
2006/12/20
「Gファイル」 武田頼政 文藝春秋
「なんでやねん、それ獲れんのかいな」、「さわやかさはいいから、プロのプレーしてくれや」
1995年1月、野茂の大リーグ挑戦に沸く日本球界に対し、サンフランシスコ・ジャイアンツから寄せられたある選手への「身分照会」は、 本人に知らせられることなく一蹴された。
1994年、最終戦の中日との同率首位決戦という「メークミラクル」を果たした読売巨人軍の、リーグ優勝と日本一に大きく貢献し、 MVPとなった桑田真澄は、その事実を後から知らされて「豹変」した。
エラーが桑田の乱調をまねく。桑田は聞こえよがしに訴える。その発言は野手陣のいらぬ反感を買うことになった。
(「さわやか」と揶揄されたのは、もちろん原辰徳である。)
1996年、今度は広島との11.5ゲーム差をひっくり返して「メークドラマ」を果たすことになる、長嶋茂雄の後ろには「黒衣の参謀」が控えていた。
「GCIA=編成情報管理部」。
それは諜報装置であるというよりも、長嶋という「殉難の聖者」を押し立てて、 「V9」という過去の栄光にひきこもり続ける「この球団」の「創造的破壊」を目指すためのための「機密保全」の仕組みにすぎなかった。 つまり「長嶋一代かぎり」のシステムなのである。しかし、
戦力管理と政権運営を一手に掌握する。だから監督がすげかわっても、その「長官」こそが、ジャイアンツの真の最高権力者となる。 渡邉はとうの昔にそれに気づいていたはずだ。シーズンごとに提出されるくどく念のいった報告書は、驚くべき情報の質と量が盛りこまれている。 それが、長嶋が書いたものでないことくらい一目瞭然なのだから、その背後にいる賢しらな男に対して、 つねに疑惑と警戒の目を向けることになったのは独裁者の習い性である。
その「目論見」がもろくも崩れ去ったことにより、露わになった「Gファイル」の「虚々実々」の「ミラクルドラマ」の世界は、 読売巨人軍をこよなく愛する者にとっては、目を覆いたくなるほどのものなのであった。
2006/12/13
「下流喰い」 須田慎一郎 ちくま新書
「ウチは、500万円も600万円も年収がある人にはカネは貸しません。ウチが貸すのは、せいぜい年収400万円まで。 とくに年収200万〜300万円の客は、ウチにとって優良顧客ですよ」(武富士幹部の弁)
「ギャンブル」か「女遊び」か「薬物」か、「収入があるのにサラ金に駆け込むような客」は、 「普通に暮らしていれば、起こりえないようなトラブルを抱えている可能性が高い」から、というわけである。
消費者金融業界の本音を代弁すると、概ねこうなる。
顧客とは、できるかぎり末永くベタ貸し状態を維持したい、と。つまり元利金等できちんと払いこんでくれる客よりも、月々の金利だけを払い続ける客の方が、 彼の業界では上客になるのだ。
「金利だけ」払っていれば、「元金」は返さなくてもいいなんて、「このごろの冷たい銀行」と違って、 とても「親切な」いい会社のように感じてしまうかもしれない。
しかし、出資法の上限金利29.2%に近い27%で、200万円を借りたとすると、毎月の金利の支払は4万5千円。
これを毎月「きっちり」10年間継続できたとすれば、540万円を返済したことになるが、 元金の200万円はそのままで、しかも支払う金利は減らないのである。
(これを出資法の上限金利18%で引き直せば、6年で元金も返済できてしまう。これがいわゆる「グレーゾーン金利」問題である。
『その数字の「根拠」はなんだ!』
もし運悪く、4万5千円の都合が付かず、他所から借りてきて廻すという事態に陥れば(そうなることの方が多いだろうということは容易に想像されるが)、 わずか3年で、借入金額は2倍以上に膨らんでしまうのだ。
そして、「いずれ破綻することが目に見えている」顧客への「貸倒れコスト」を、そのまま貸出金利に上乗せして、利用者に負担させるという、 この「少々の焦げ付きが出たところで儲けがでる仕組み」こそが、消費者金融をめぐる問題の元凶となっている。つまり、 もし焦げ付きが出なければ、「もっと儲かる」のである。そして、
もう一度、強調して筆をおこう。
消費者金融は、儲けすぎたのだ。
補足:
消費者金融の顧客は、どのような経過をたどって「多重債務者」となり、 どのように「追い詰め」られていくのか?という問題については、
『ヤミ金融』(読売新聞社会部 中公新書ラクレ)
の方が、より突っ込んだルポになっていると思います。
2006/12/10
「邪魅の雫」 京極夏彦 講談社
「謎とは解らないこと、不思議とは誤った解釈。解らないことを解らないと云うのは良いのです。 しかし不思議だと云ってしまった途端−−それは解釈になってしまう。その人が知らないだけで当たり前の出来ごとであるかもしれないと云うのに、 不思議だ不思議だと当たり前のように云うのは、解釈の押し付けに他なりません」
800ページにも及ぶこの長編を、700ページまで読み進む作業は、些か「苦痛」であった。
「物語」の本筋は、江戸川、大磯、平塚と、立て続けに起こる連続殺人事件なのではあるが、 このかなり「入り組んだ」物語は、「頭に鉛が詰まった」ような「壊れた」男たちや、 お互い追われる身を隠すために「名前を入替えた」ような「歪んだ」女たちの独白によって、「物語られ」ていく。
そんなわけで、昭和28年という時代設定で、「731部隊」絡みの毒薬「雫」が重要な意味を持つらしいことはわかるのだが、 そこにこの「独白者」たちがどう関わっているのか、彼らの独白を聞いているだけでは、うまく飲み込めてこないのである。
「鬱病の小説家」関口と「お調子者の探偵助手」益田のコンビが「狂言廻し」では、余計に話がややこしくなるばかりなのであった。
そして、ついに「京極堂」が登場する。
最後の100ページで、中禅寺が「騙る」憑き物落しの「お伽噺」は、 ここまでの「苦痛」を、一挙に「快感」に導いてくれる「決め技」だったのだけれど、 それは実は、「独白者」たちが「語った」中味と、何ら変わるものではなかったのである。
「この世に不思議なことなど何もないのだよ、関口君−−」
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