徒然読書日記200611
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2006/11/29
「逝きし世の面影」 渡辺京二 平凡社ライブラリー
日本近代が古い日本の制度や文物のいわば蛮勇を振った清算の上に建設されたことは、あらためて注意するまでもない陳腐な常識であるだろう。 だがその清算がひとつのユニークな文明の滅亡を意味したことは、その様々な含意もあわせて十分に自覚されているとはいえない。
「おなじ日本という文明が時代の装いを替えて今日も続いていると信じているのではないか」
「日本文化という持続する実体の変容の過程に過ぎないと、おめでたくも錯覚して来たのではないか」
と考える著者が、「西洋化=近代化」の中で失われてしまった、明治以前の「この国」の文明の姿を再構築し、その尊ぶべき「価値」の意味を、 再確認して見せるには、「滅んだ古い日本文明の在りし日の姿を偲ぶには、私たちは異邦人の証言に頼らなければ」ならなかった。
「陽気な人びと」「簡素とゆたかさ」「親和と礼節」「雑多と充溢」「労働と身体」「自由と身分」「裸体と性」・・・
異邦人の目には、「驚くべき光景」として、時に「奇跡」とさえ映った、日本人の「風習」や「風景」の中に含まれた、数々の「美質」は、 何気ない「日々の営み」として、慣れ親しんでしまっている、当の日本人自身には、自覚することはできず、そればかりか、気付くことすらなかったからである。
そして、そのことこそが、「際立つ個性」と引き換えに「束の間の繁栄」を謳歌することを選んでしまった「この国」の、 現代の「荒涼」につながっていると思わざるを得ない。
「失ってしまった」ものは、あまりにも大きかったのだ。
私にとって重要なのは在りし日のこの国の文明が、人間の生存をできうるかぎり気持ちのよいものにしようとする合意と、 それにもとづく工夫によって成り立っていたという事実だ。ひと言でいって、それは情愛の深い社会であった。 真率な感情を無邪気に、しかも礼節とデリカシーを保ちながら伝えあうことのできる社会だった。 当時の人びとに幸福と満足の表情が表われていたのは、故なきことではなかったのである。
2006/11/17
「憲法九条を世界遺産に」 太田光 中沢新一 集英社新書
中沢「世界遺産に指定された場所の多くは、現代社会の中で、なかなかほかにはあり得ないようなあり方をしています。・・・ そのあり得ない場所を持続しようというのが世界遺産の考えでしょう。 ほんとのこと言うと白川郷の人たちだって、サッシはめたり、エアコンを入れたりしたほうが快適なのに、それをしないでいるやせがまんが、 彼らを立派にしている。そういう考え方は悪くないと思います。」
太田「世界遺産をなぜわざわざつくるのかといえば、自分たちの愚かさを知るためだと思うんです。 ひょっとすると、戦争やテロで大事なものを壊してしまうかもしれない。そんな自分たち人間の愚かさに対する疑いがないと、この発想は出てきません。 人間とは愚かなものだから、何があってもこれだけは守ることに決めておこうというのが、世界遺産の精神ですよね。」
「太田光の私が総理大臣になったら・・・秘書田中。」という「バラエティー番組」の中で、マニフェストとして掲げられたという 「憲法九条を世界遺産に」というこの「美しいテーマ」は、 実際の放送では「自衛隊の駐屯地を田んぼにする」というオチャラケに堕してしまわざるをえなかったがために、 きつい「冗談」のように受け止められがちであるが、 本人も述べているように、太田光はいたって「本気」なのである。
「当時のアメリカ人の中にまだ生きていた、人間の思想のとてもよいところと、敗戦後の日本人の後悔や反省の中から生まれてきたよいところが、 うまく合体している」(中沢)
「その奇蹟の憲法を、自分の国の憲法は自分で作りましょうという程度の理由で、変えたくない。」(太田)
これは「この憲法を変えてしまう時代の一員でありたくない」ラジカルな「お笑い芸人」と、 「安易に変えてしまったら、後の時代の人間に対して、僕たちはとても恥ずかしい人間になる」と考える「思想界の巨人」が、 「この国」の将来を語るのに「美しい国」や「普通の国」などという「陳腐な」言葉しか操ることかできなくなってしまった現況を憂いて放つ、 「言論の格闘」なのである。
「日本国憲法の九条というのは、ひょっとしたら間違いを犯すかもしれない、 そんな愚かな人間だからこそ守っていかなければならない世界遺産なんです。」(太田)
2006/11/13
「世界の日本人ジョーク集」 早坂隆 中公新書ラクレ
会社からいつもより少し早めに帰宅すると、裸の妻が見知らぬ男とベッドの上で抱き合っていた。こんな場合、各国の人々はいったいどうするだろうか?
アメリカ人は、男を射殺した。
ドイツ人は、男にしかるべき法的措置をとらせてもらうと言った。
フランス人は、自分も服を脱ぎ始めた。
日本人?彼は、正式に紹介されるまで名刺を手にして待っていた。
今にも沈みかけようとしている豪華客船から乗客を海に飛び込ませるために、日本人なら「みんな飛び込んでますよ」と言えばよい。 (アメリカ人なら「英雄」イギリス人なら「紳士」ドイツ人なら「規則」イタリア人なら「女にもてる」と言うのである。)
といった具合に、世界各国の人から見た「典型的日本人」の「日本人らしさ」とはどんなものであるのか、を知るには格好のテキストである。
「経済大国」「会社人間」「集団行動」「主張が弱い」「時間に正確」「笑わない」「英語ベタ」といったところが、 「日本人的アイデンティティ」として取り上げられているが、必ずしも「馬鹿にされている」わけではなく、 「尊敬」や「憧れ」の想いが伝わってくるものもあるのである。
で、私の一番のお気に入りを、最後にご紹介。
レストランで出てきたスープに蝿が入っていた時の各国の人々の反応。
(中略)
中国人「問題なく蝿を食べる。」
日本人「周りを見回し、自分だけに蝿が入っているのを確認してから、そっとボーイを呼びつける。」
韓国人「蝿が入っているのは日本人のせいだと叫び、日の丸を燃やす。」
付記:
「英語ベタ」については、以前話題にしておりますので、読み逃したという方は、こちらもお読み下さい。
「安倍」は「小泉」を超えるのか?
2006/11/8
「頭がよみがえる算数練習帳」 竹内薫 ちくま新書
ある牧場では、300頭の牛を放牧すると10日で草がなくなります。また、600頭だと4日で草がなくなります。 それでは、500頭の牛なら何日間、放牧できるでしょうか?
600頭だと4日しかもたないのだから、300頭なら8日で食べつくすはずなのに、どうして10日ももつのでしょうか?
それはもちろん、食べても食べても「草が生えてくる」からです。
そのことに気付くかどうかが『頭がよみがえる』という部分なのであり、 この問題が解けるかどうかという『算数練習帳』の部分は、これから中学を受験しようというのでないかぎり、それほど気にする必要はありません。
ちなみに、この問題が、
「300円ずつ返していけば10日かかる借金も、もし600円ずつ返せれば4日で完済することができます。 それでは、500円ずつなら何日で返せるでしょうか?」
という問題だったなら、
「元金2000円で、1日100円の利子だから、5日で返せる。」
と即答できたのに、というようなお方が、もしおいでましたなら、 そんな方は「頭が固くなっている」というよりも、かなり「日々の暮しに追われている」と診断されるべきなのかもしれませんね。
付記:
この本は前にも話題にしておりますが、読み逃したという方は、こちらの方にもチャレンジしてみてください。
「アナタの「頭」はよみがえるか? 」
2006/11/2
「桃太郎と邪馬台国」 前田晴人 講談社現代新書
おとぎ話の中には、日本の歴史と文化を探るための厖大な情報と量ることのできない情念とがあふれかえっている。 私は本書を執筆しながら、『古事記』や『日本書紀』の神話や伝説もまた、実は古代のおとぎ話として読むべきものではないかという感想を懐くようになった。 中世のおとぎ話と古代の諸伝承は、様々な回路を通してつながっているのだ。
「一寸法師」とは
「住吉大神の思し召しによって住吉・難波の海辺に出現した幼童の神」として、「神功皇后」→「応神天皇」=「仁徳天皇」の系譜につながっており、 その「鬼退治の物語」は、内陸の奈良盆地に成立したヤマト王権が、西方への進出を企てた際に、瀬戸内地域に存在した阻止勢力との確執の痕跡を示すものだった。
「浦島太郎」とは
「魏王朝と外交関係を結ぶことに成功した卑弥呼により、特使として派遣された丹後地方の首長」なのであり、 「竜宮城の物語」とは、彼が帰国後に語って聞かせた「遠い記憶」なのである。 「玉手箱」のタブーには、中央王権に対する嫉妬と怨念が込められているのではなかろうか。
「桃太郎」とは
「対立する狗奴国(吉備国)を征討するため、邪馬台国から遣わされた王族将軍イセサリヒコ命」の系譜的後裔なのであり、 「ヤマトの英雄が天皇の名代として西方の鬼国を討つ」という構図が、 戦国時代末期になって「秀吉の朝鮮遠征」という時代的背景のもとに、復活したものであると思われる。 「犬・猿・雉」は「申酉戌の方角」=「西方の鬼門」を払うための「お供」なのである。
などという「お話」を、読んでいる丁度その時に、読売新聞に以下のような報告が発表されました。
「岡山・造山古墳 築造当時は全国最大?」
「吉備勢力“大王並み”立証」
畿内のヤマト王権から遠く離れた吉備の巨大古墳が、中国の史書にも記載が少ない「謎の5世紀」の解明に大きなヒントを与えてくれそうだ。 造山古墳の時代は畿内と同格の力があった吉備だが、続いて築かれた作山古墳、次の両宮山古墳と時代が下るにつれて徐々に小さくなっていく。 逆に畿内は百舌鳥ミサンザイ(履中陵)、誉田御廟山(応神陵)、大山(仁徳陵)とさらに巨大化していく。
ウーム、なるほど。「おとぎ話」って、結構奥が深いんですね。
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