徒然読書日記200609
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2006/9/29
「真珠の耳飾りの少女」 Tシュヴァリエ 白水Uブックス
「一度きりでよいのだ」宥めるようにおことばを添えられる。 「この次にお前を描くときに、持ってこよう。来週だ。午後の間だけなら、カタリーナも気づかないだろう」
「でも、旦那様、わたしは耳朶に孔を開けておりません」
旦那様は微かにお顔をしかめられた。「それはお前に任せよう」それは女のみが知る些事と心得、ご自分が気づかう必要があろうとは夢にも思われないらしい。 ナイフをトントンと叩き、布切れで拭う。「それでは始めよう。顎を心もち下げて」じっとご覧になる。「フリート、唇を舐めなさい」
17世紀オランダの生んだ「巨匠」フェルメールのモデルとなった少女フリート。
女中として雇われた彼女が見た、芸術家の生活と家族との確執。 そして何よりも、仕事の手伝いを許されるようになってから、垣間見ることになる天才の創造と苦悩の世界。 それらは、綿密な資料調査による史実に基づいたものであり、まるでフェルメールの絵のように、 17世紀のオランダの市場の「空気」までが見事に再現されている感がある。
ただ1点、主人公「フリート」という存在を除けば。
フェルメールの同名の絵から脱け出した彼女の、「可憐な少女」から「恋する乙女」へ、そして「大人の女」への成長の物語は、 まさしくこのたった1枚の絵から触発された、シュヴァリエの創造力の産物なのである。
わたしは唇を舐めた。
「口は開けたままにして」
おことばに不意をつかれ、唇は閉じるのを忘れたように、半開きのまま留まった。瞬きして涙を抑える。貞淑な女は絵の中で口を開けたりしない。
まるで旦那様までピーテルとわたしと共に路地にいらしたようだ。
あなたはわたしの身を滅ぼされました、そう思う。もう一度、唇を舐めた。
「それでいい」旦那様が仰る。
2006/9/20
「図書館戦争」 有川浩 メディアワークス
「タイミングが悪かったが間に合ってよかった。報道が周辺張ってるって聞いて慌てて追いかけたんだ、 あの手合いにお前ぶつけて揉めないわけがないからな」「すみません、あたし短気で」「ていうか、まっすぐだからな」
堂上の口ぶりは何の気なしで、特別言葉を選んだ訳でもなくこぼれたその様子が逆に強張っていた気持ちに入った。噛み殺せない嗚咽が喉から漏れた。 何でこんなときに限って不意打ちみたいに優しくなるのかと半ば八つ当たりのような気持ちがこみ上げる。
すぐに怒鳴るし怒るし小言は多いし、すっかり目をつけられている郁としては苦手意識が先に立つ上官なのに、 何かあると決まって堂上に助けられていることが気まずく情けない。
拭うと泣いていることを認めるようで拭わず放置していたが、涙は結局止まらなかった。堂上はしばらく黙って郁の前に立っていたが、 やがて投げやりに自分の右肩を二。三度叩いた。
「使いたかったら使え」
公序良俗を乱し、人権を侵害する表現を取り締まる法律として「メディア良化法」が成立・施行された昭和最終年度の日本。 この無制約な裁量権を有する「検閲」の合法化への対抗策として成立した「図書館の自由法」は、図書館の姿を大きく変貌させることになった。 検閲を退けてあらゆるメディア作品を自由に収集し、それを市民に提供する権利を主張する「公共図書館」は、 「メディア良化委員会」にとってほとんど唯一の警戒すべき「敵」となったからである。
それから30年の時が経過した「正化31年」の現代の日本。
「メディア良化委員会」と「図書館」の抗争は公然と激化、互いに武装するにいたっていた。 「メディア良化委員会」特務機関の攻勢に対し、「図書館」は専守防衛を旨とする「図書隊」を編成し、それに対抗していたのである。
これは、女性として初めて「特殊部隊」に配属されることとなった、「新人図書防衛員」笠原郁が選んだ「自由」のための闘いの物語なのである。
とくれば、
「となり町戦争」
(三崎亜記 集英社)
の二番煎じかと思ってしまうのですが・・・
もちろん、背景設定も確かで、主義主張としても筋が通っているため、結構マジに「図書隊」に肩入れしてしまうほど、 ありえそうもない「真実味」を感じてしまうストーリーではあるのですが、
そこはそれ「ライトノベルの旗手」の作品でもあるだけに 「月9連ドラ」の「行政戦隊図書レンジャー」(著者あとがき)として 「突っ込みどころ」と「落としどころ」満載の、爆笑ドラマとしても十分に楽しめる逸品なのであります。 (ちなみに、三崎亜記は男性で、有川浩は女性です。)
使いたくないので結構、と意地を張る余裕はもうなかった。叩かれた肩に頭を落とし、目元を押しつける。 この際だから鼻水も拭いてやろうかと思ったら「鼻水拭くなよ」と釘を刺された。おかしくてふっと喉が緩んだ瞬間、子供のような泣き声が出た。 慌ててこらえると、
「笑わないから安心しろ。こらえて動物みたいに唸られるほうがよっぽど恐い」「ひっど、・・・」
2006/9/14
「99.9%は仮説」 竹内薫 光文社新書
これは、いったいなんでしょうか?
答えは、「オーストラリアでふつうに売っている世界地図」です。
という「冒頭の質問」から始まるこの本は、 「最近、頭が固くなってきたなぁ」と感じている人に、つける一番の薬は「科学」であるという、「科学作家」(兼「ミステリー作家」)が、 「思いこみで判断しないための考え方」を伝授しようとする本です。
そのためのキーワードが「仮説」。
世の中の「常識」と思われているものは、実は「ただの仮説」にすぎず、 しかも、あなたが信じている「仮説」とは異なる「仮説」を、相手が信じているという場合すらあるというわけです。
「飛行機はなぜ飛ぶのか?」
「麻酔はなぜ効くのか?」
「ご近所の犯罪者はなぜそんな風には見えなかったのか?」
「世の中ぜんぶ仮説にすぎない!」ということなのです。
たとえば、大多数の人が答えたであろう「世界地図を逆さまにしたもの」という答えは、本書を読んだ人にとっては不正解ですよね? 「逆さま」という考え方には、そもそも「逆さまでない」という基準があるわけですから。
南半球に住んでいる人にとっては、われわれの世界地図こそが「逆さま」なわけです。(本当のエピローグ)
2006/9/12
「まほろ駅前多田便利軒」 三浦しをん オール読物
「とにかくあんたは忙しくなって、もう私のところへはあまり来てくれなくなるだろうねえ」
「そんなことはないよ、母さん」・・・
「曽根田さん、いい息子さんでよかったわねえ。またお見舞いに来てもらったの?」・・・
本当にいい息子なら、年老いた母親を病院に放りこんだまま正月を迎えたりしないし、あかの他人に、代理で母親の見舞いをさせたりしない。 そう思うが、しかし自分があかの他人だからこそ、のんきに奇麗事を言えるのだということも、多田にはわかっていた。
草むしり、家の修繕、犬の世話、
頼まれれば「犯罪」以外は何でも請負う「便利屋」という商売は、まるっきりの「他人事」を「あっさり」と引き受けてしまうだけに、 逆に、「他人の私生活」に「どっぷり」とはまり込んで行ってしまう商売でもある。
となれば、そこに持ち上がってくる「事件」の数々は、当然「探偵物語」めいて、軽快なテンポの「物語」として、十分楽しめるのではあるけれど・・・
本年度「直木賞」受賞作品。
松田優作と水谷豊のような、よくありがちな設定の「凸凹コンビ」だが、引き摺っている「過去の影」は意外に重く、 ふとした会話の端々に顔を出して、この作品に独特の深みを与えているのだった。
男性二人って、じつはすごく可能性のある関係性のはずなのに、周囲の目や本人たちのプライドによって、 自分たち自身をさみしいところに追いやってしまっているんじゃないのかな、という気がしたので、 ああいう一種の夢のような関係を描いて、どこにも属することのできない彼らを通して、家族というものを見るのが、 効果的かなと思ったんです。(受賞記念鼎談)
2006/9/10
「風に舞いあがるビニールシート」 森絵都 オール読物
「僕はいろんな国の難民キャンプで、ビニールシートみたいに軽々と吹き飛ばされていくものたちを見てきたんだ。 人の命も、尊厳も、ささやかな幸福も、ビニールシートみたいに間単に舞いあがり、もみくしゃになってとばされていくところを、さ。」
だから「誰かが手をさしのべて引き留めなければならない」という「責任感」と「贖罪意識」で、危険な「フィールド」勤務をやめようとしないエド。
「じゃあ、私たちのビニールシートは?誰が支えてくれるの?」
「女だからといって不利なレースは強いられたくない」と、就職先は外資の投資銀行を選んだ、帰国子女の里佳が、 転職先として「UNHCR」(国際難民高等弁務官事務所)の「一般職員」を選んだのは、ある意味「計算づく」の選択のはずだった。 さらには、「専門職員」の妻という立場でさえも・・・
本年度「直木賞」受賞作品。
丹念な下調べによって構築された「みっちり」とした背景描写の中で、次第に明らかになっていく二人の男女の「不充足感」、 まるでそれを埋め合わせるかのように営まれる「過剰なセックス」。
著者の名前と、児童文学者という経歴と、そしてこの「題名」からは、まるで想像もできない内容ではあった。
「クレーム処理」に向かう車中で、同行することになった「新人類」の若者が、私用でかけまくる「携帯電話」に聞き耳を立てるうち、 次第にそちらに引きずり込まれていく
という『ジェネレーションX』の方が、私としては感情移入しやすかったけれど・・・
「今よりも大事なもんが増えて、責任も、足かせも、いろんなもんが増えてるだろうけど、でも十年のうちでたった一日、 みんなと草野球ができないような人生はごめんだよな、って。」
2006/9/10
「殿様の通信簿」 磯田道史 朝日新聞社
立て札に、
「小便禁止、違反の輩は黄金一枚過料たるべきこと」
と書いてあるのをみて、利常はさして小便もしたくないのに、前をたくしあげ、じゃあじゃあとその立て札にむかって小便をかけはじめた。 あっけにとられてみているまわりの者に、小便を出しきった利常がいった。
「大名ほどの者が、黄金惜しさに、こらえ難き小便をこらえるはずがなかろう」(『名言言行録』)
「加賀だけは特別な家である」
と、幕府や世間に認めさせるためならば、利常はどんなつまらないことでもやった。 それは、「加賀の前田は幕府の思うようにはならぬ」という意思表示であった。
加賀百二十万石、日本最大の大名として、徳川から警戒の目を向けられていることを常に意識し、 「利常は鼻毛を長く伸ばし、わざと馬鹿殿様を演じ、幕府に睨まれないようにしていた」 という、一般に流布している風説は事実ではない。 それはむしろ 「馬鹿将軍の江戸城にいくのに、わざわざ鼻毛など剃れるか」 という、利常の大きな自負の表れだったのではないか?
公儀隠密が探索してきた諸大名の内情を、幕府高官がまとめた「秘密諜報」誌、『土芥寇讎記(どかいこうしゅうき)』
「君の臣をみること、土芥のごとければ、すなわち、臣の君をみること、寇讎のごとし」
(殿様が家来をゴミのように扱えば、家来は殿様を親の仇のようにみる)
というこの本の「解読」にあたったのは、
「武士の家計簿」
(磯田道史 新潮選書)
で鮮やかなデビューを飾った「平成の司馬遼太郎」とくれば、
水戸光圀や、浅野内匠頭など、私たちにとって馴染み深い「殿様」が、本当はどのような人物であったのかを教えてくれる、 この「通信簿」、その「採点結果」が興味津々であることは保証付きなのである。
2006/9/8
「部首のはなし」 阿辻哲次 中公新書
『 シ 』を日本語で「さんずい」と呼ぶことは、小学生以上の日本人ならおそらくほとんどの人が知っている。 また『冫』を「にすい」と呼ぶことも、同じくらいたくさんの人が知っている。 しかし、それでは「さんずい」と「にすい」はどうちがうのかということになると、世間ではほとんど知られていないだろう。
『 シ 』は、本来「水」とかかれる字の省略形で、 「水が流れるさま」をかたどった「象形文字」である。
一方、『冫』は、 「水が凍った時」に表面にできる、ひきつったような形をかたどった「象形文字」である。だから、
「冷」や「凍」など「こおり」に関する文字、
「冴」や「冽」「凄」など「澄みきった」という意味に関する文字に使われる。
「寒」という字の下部にあるのも、本来は『冫』である。
それでは、『冫』と『水』を組み合わせた『冰』という字は何と読むのか?
正解は、もちろん「こおり」、『氷』はその略字なのである。
「卍」という字は、なぜ「6画」なのか?
「巨」という字は、なぜ「工」部に属しているのか?
「女」ヘンはあるのに、なぜ「男」ヘンはないのか?
「旧字体」どころか「甲骨文字」にまで遡らなければ、解けない謎を、愉しく解き明かしてくれる、気軽なエッセイである。
2006/9/7
「8月の路上に捨てる」 伊藤たかみ 文藝春秋
おたおたしていると、知恵子が脇から十円を入れてくれた。離婚届を提出にいく駄賃だと言う、十円かよとふざけてみせたら、 そうだよと知恵子が笑った。その表情で、一日をまとめた。
最後に見た彼女の顔だった。
選考委員の河野多恵子は、
「<その表情で、一日をまとめた。>などとは、並の才能と力量では書けるものではないだろう。」
と、高く評価している。
一方、山田詠美は、(この箇所のことではないかもしれないが)
「この作者、ねらいに入ってません?」
と生意気を申し上げましたところ、ある選考委員の方(河野?)が、
「ねらって何が悪い」とおっしゃいました。はー、なるほど、と目から鱗が落ちました。
と茶化しに入っている。
缶ジュースを自動販売機に補充するアルバイトの主人公と、コンビを組む少し年上のやり手女性社員との「仕事」の日々。
そこで交わされる会話は、「離婚」に向けて破綻していく主人公の「夫婦生活」を回想シーンによって描き出していく。
本年度「芥川賞」受賞作品。
選考委員7人中2人の支持。なんと、低迷する巨人の勝率より低いのである。
「現代における生きにくさ」を描く小説はもううんざりだ。 そんなことは小説が表現しなくても新聞の社会欄やテレビのドキュメンタリー番組で「自明のこと」として誰もが毎日目にしている(村上龍)
2006/9/5
「わたしを離さないで」 カズオ・イシグロ 早川書房
「・・・この歌の歌詞がどうであれ、踊っているときのわたしの頭には、自分勝手な解釈がありましたから。 ある女の人がいて、赤ちゃんを産めない体だと言われていました。でも、奇蹟が起こって、赤ちゃんを授かります。 それで、その人は嬉しくて、赤ちゃんをしっかり抱き締めます。でも、恐れもあります。何かが起こって、この赤ちゃんから引き離されるのではないか。 それで、ベイビー、ベイビー、わたしを離さないで・・・と歌うのです。」
誰もいない「寮」の部屋で、枕(赤ちゃんに見立てた)を胸に抱きながら、 「オー、ベイビー、ベイビー、わたしを離さないで・・・」というテープのリフレーンに合わせ、 目を閉じてスローダンスを踊っていた、11歳のキャシー・H。
31歳になった彼女は、いまやベテランの優秀な「介護人」として、「提供者」となった、かつての「寮仲間」達の世話をする日々を送っていた。
彼女の「思い出語り」という趣向で、淡々とした語り口の中で、丹念に描かれていく「青春の日々のスケッチ」
それは「どこにでもありそう」な青春の一場面であるように見えて、実際には「どこにもありえない」、一種異様な世界の実像を少しずつ露わにしながら、 逃れることのできない「運命」に弄ばれていく、彼らの「仮想の人生」に、わたしたちの「リアルな人生」を凌駕する、 「真実味(リアリティ)」という凄みを与えている。
「踊るキャシー」を見て涙していた「マダム」との再会。
それは、寮生の時には「近寄ることもできぬ大人」として類推するしかなかった、その「涙の理由」を知るための「冒険」でもあった。
「・・・あの日、あなたが踊っているのを見たとき、わたしには別のものが見えたのですよ。新しい世界が足早にやってくる。 科学が発達して、効率もいい。古い病気に新しい治療法が見つかる。すばらしい。でも、無慈悲で、残酷な世界でもある。 そこにこの少女がいた。目を固く閉じて、胸に古い世界をしっかり抱きかかえている。 心の中では消えつつある世界だとわかっているのに、それを抱き締めて、離さないで、離さないでと懇願している。わたしはそれを見たのです。」
これ以上、ここに詳しく書くことはできない。(一風変わった「SF」といってもいい作品なので、ネタバレになってしまうのである。)
この素晴らしい小説を、自分で味わうという楽しみを奪ってしまう権利はわたしにはない。 ぜひともお読み下さい。私にとって、本年度最高の「収穫」であったと断言しておきます。
2006/9/3
「驚異の古代アマゾン文明」 実松克義 講談社
南米ボリビア北部に広がるアマゾン川支流の巨大な氾濫原、モホス大平原。 そこに、点在する島状の盛り土「ロマ」と、それらを直線で結ぶ道路網「テラプレン」、人造湖に運河、そして広大な耕作地跡。 集落跡とみられる最大径数100メートルに及ぶロマは推計約2万個に達し、テラプレンの総延長はなんと5000キロを超える。 未開のジャングルというイメージのアマゾンからは想像もつかない、大土木工事の痕跡が無数に残されているのだ。
スペイン人征服者フランシスコ・ピサロによって「インカ帝国」が滅ぼされたのは、1533年、それは、わずか500年前の出来事ことに過ぎない。
つまりその時代まで、ここ南米大陸には、豊かに育まれた、世界に誇るべき、すぐれた「文明」が栄えていたことになる。
さらに遡れば、このアンデスの「高地」には 「アステカ」「テオティワカン」「ティワナコ」などの文明に加えて
未曾有の空中都市「マチュピチュ」
そして謎の地上絵で有名な「ナスカ」と、
古代文明に浪漫を求めてやまないアマチュア「冒険家」にとっては、リタイア後にぜひとも訪れてみたい垂涎の地が目白押しなのである。
しかし、なぜこのような過酷な「高地」に文明は生まれたのか?
「インカ」は4000メートル級の高地に成立した文明なのである。
なぜ新大陸においては、はるかに環境的に恵まれていたと思われる地域に文明が発生しなかったのか。 なぜミシシッピ川流域、あるいはラプラタ川流域に文明は発生しなかったのか?そこには大河が存在し、農業をおこなうのに絶好の自然があるではないか。 さらには気候的には温帯に属し、人間にとって住みやすい環境ではなかったのか。
いや、新大陸においても、文明はやはり大河のほとりに発生していた。
流域面積750万平方キロ、世界の淡水の5分の1が存在するという、世界最大の川「アマゾン」に発生したと推定される「古代モホス文明」の発見。
それは、「都市」の痕跡のみが文明の証であるという常識を拒否し、 エルドラードの「黄金伝説」や、ベーリング海峡を渡ってきたとされる「最初のアメリカ人説」といった「定説」をくつがえすことで、 「先住民族の大移動」という、永年の謎を解き明かすことにつながるかもしれない、 胸躍る一大事件の始まりなのである。
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