徒然読書日記200603
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2006/3/28
「ハンバーガーを待つ3分間の値段」 斎藤由多加 幻冬舎
ファーストフードの”FAST”は客が店を出るまでの時間を指すのであって、単に調理時間のことではないというサービスを期待する客にとって、 ハンバーガーの代金に加えて「時間」という代償まで支払うのは、高くついてしまうわけです。
「三分少々お待ちいただきますがよろしいでしょうか?」と「あきらめる」選択肢をも一緒に提示してくれるところに「ファーストフード」への信頼が寄せられている という意味のタイトルがついたこの本は、あの「シーマン」や「タワー」を作ったゲームクリエーターが、その発想の源を、惜しげもなくさらけ出してくれている本です。 (もともとは「もってけドロボー!〜斎藤由多加の『頭のなか』。〜」という題名で連載されていたくらいなんですから)
実際、この本を読んで触発されるところが多々ありました。本当は貴重なネタ本として誰にも教えたくないのですが、例えば
「プリクラはなぜ可愛く撮れるのか?」
とか
「音声認識会話ソフト『シーマン』ではプログラムは何も学習処理していない!」だとか
とてもここでは書ききれないので、
「暇人肥満児の付録炸裂袋」
の方で、少しずつ小出しに取り上げていこうと思います。
2006/3/27
「沖で待つ」 絲山秋子 文藝春秋
本年度芥川賞受賞作品。
大手企業に女性総合職として入社した「私」と同期入社の「太っちゃん」との「色恋」ではない「同士」付合いの日々。 それはほとんど、今流行の「ブログ」の日記を無理やり読まされるような感覚で、苦痛といえば苦痛なのだが、覗き見するような面白さはある。
しかし、そんな関係から発生した「奇妙な約束」と、その実行の顛末、その後の意外な展開は、私には想像を絶していた。
「俺は沖で待つ」って、あなた。しかも、それを題名にして「芥川賞」取るなんて。受賞のことばが、「一日も早く芥川賞のことは忘れたい。」ですからね。
2006/3/24
「ひとがた流し」 北村薫 朝日新聞
朝日新聞の連載が終了。これは、それぞれが昔からの友人という三人の女性が、40代を迎え、 「アナウンサー」として、「作家」として、「写真家の妻」としての、お互いの人生の節目を見つめ直すという物語。
お話自体は、それぞれが主人公となった、三つの家族の話が独自に展開し、リレーのようにバトンタッチされていくという形だったが、 最後に来て、独身アナウンサーが病魔に犯され、結婚し、死に至るという急展開のなかで、クライマックスを迎える。
何となく、NHKの「朝ドラ」のような雰囲気の連載小説でした。
2006/3/11
「聖骸布血盟」 Jナバロ ランダムハウス講談社
1988年、3ヶ所の別々の研究所で、聖骸布の放射性炭素による年代確定が行われた。 その結果、聖骸布の織布は1260年から1390年のあいだに作られたものであり、その不思議な像は中世の贋作者の作品だろうという結論が出された。
「聖骸布」とは、十字架に磔刑されたイエス・キリストが、埋葬されるまでの間、遺体を包んでいた亜麻布のことをいう。 そこには、両手両足に釘を打たれ、頭には荊冠の傷跡もあるという「キリストその人の像」が、まるで写し取られたかのように浮かび上がっており、いまだに全世界の信者の変わらぬ信仰を集めている。 物語は、その「聖骸布」が保管されているトリノ大聖堂で火災が発生し、焼け跡から「舌のない男」の焼死体が発見されたところからスタートする。
『ダ・ヴィンチ・コード』が「ほとんど事実」であるとすれば、こちら『聖骸布血盟』は「ほとんど嘘」というべきなのだろうが、それが「見てきたような嘘」で、 「誰も見た人がいない」キリストの時代の、史実に基づいた科学的推定であるがために、始末に終えない現実感があるのである。 あえて言わせてもらえれば、謎は謎のままにしておいた方がよかったような気が・・・最後の落ちの付け方があまりにも強引で、興醒めであった。
2006/3/2
「拒否できない日本」 関岡英之 文春新書
郵政民営化はアメリカ政府が彼らの国益のために日本政府に要求して実現させたものだった!
一九九三年の宮沢・クリントン両首脳の合意を契機として、翌九四年以来毎年十月に定期的に発行されている『日本政府への米国政府の年次改革要望書』という文書がある。 ここには、郵貯をふくむ公益法人の民営化政策を始めとして、通信、エネルギー、金融、流通、医療、独禁法、商法、司法制度改革、構造改革特区などなど、様々な分野に渡って、 アメリカ側の一方的ななまなましい要求事項が網羅されている。そして驚くべきことに、これらの要求項目は、法改正や制度変更によって着実に実現されているのである。
「グローバリゼーション」「構造改革」「市場化」「民営化」といった言葉で、ここ数年、日本はビジネスや政策のスタイルを、およそ強引に変更しようとしてきた。 そこに当然発生してくる「軋み」や「痛み」は、さらなる発展のために、耐えるべきものとして容認されてきたように思われる。 しかし、これまで「うまくいっていた」はずのものが、突然、本人たちには自覚のないままに、一斉に「時代遅れになった」という説明だけで、改革を迫られることも腑に落ちなければ、 変わりに提示された「来るべき未来図」というものにも、あまり魅力を感じることができないとなれば、これは一体、誰が、何の目的で書いた「設計図」なのかという思いに至るのも当然のことだろう。
この本はそんな思いに回答を与えてくれる。そうか、これはアメリカが自国の国益のために描いた「理想の図」であったのか。「靖国」への参拝に他国の指図を受ける筋合いはないと嘯くあの人は、 「自国の国益」という概念をどのように捉えておられるのであろうか?(とっても心配)
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