徒然読書日記200512
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2005/12/31
「一日一文」 木田元編 岩波書店
古今東西の名著の抜粋を、一日に一つずつ、日めくり式に366個並べてある本を、文字通り「一日一文」ずつ律儀に読みこなして、本日読み終えました。 特に頭がよくなったような気はせず、実際、ほとんど忘れてしまったので、もう一回りとも考えましたが、他に読みたい本が山積の中、断念いたしました。次は、白川静の「常用字解」にでも挑戦しよう!
2005/12/27
「容疑者Xの献身」 東野圭吾 文藝春秋
本年度のミステリー部門1位総なめと評判高い逸品を、何とかその年の内に読破。
アパートの隣に住む母子が、しつこくつきまとう前夫を衝動的に殺してしまうという殺人事件を隠蔽するという、倒叙型のミステリー(刑事コロンボや古畑任三郎ですね)
これを完全犯罪に仕立て上げようとするのが、一見地味な高校の数学教師石神。一方、これに挑むのは、過去に数々の難事件を解決してきた、大学助教授の湯川。 (実は東野を読むのは初めてなので、これがお馴染み天才物理学者湯川のシリーズ物であるなどということは知らなかったのであります。もちろんそれでも全く問題はありませんでしたが) で、この二人が何と同じ大学の同窓生で、お互いにその優秀さを認め合う仲だったというところが設定の妙。(つまり、そこにはお互いにしか理解できない謎解きゲームの雰囲気があるのである。)
テーマは至高の愛の形。それを貫くために周到に組み立てられた「アリバイ工作」の謎が解けるとき、そこに込められた愛の深さに、やられた人も多いらしい。 (私は依然として、いささか趣の似ている「博士の愛した数式」の方にやられっぱなしなのだが)
2005/12/24
「信長の棺」 加藤廣 日本経済新聞社
物語の本筋は、本能寺の変において所在不明となった信長の遺骸を、「信長公記」の著者、太田牛一が探すという洒落た仕立ての歴史ミステリーである。
本能寺の変は明智光秀の突発的謀叛だったのか、黒幕として朝廷は関わっていたのか、秀吉は事前にそれを知っていたのか、という推理から始まって、 あの秀吉の有名な「中国大返し」や、信長の「桶狭間」での劇的な勝利が何故可能であったのか、という謎の解明にまで遡っていくことになる。
(今川義元の不可解な桶狭間山での休憩については、大河ドラマ「功名が辻」の初回でも取り上げられていましたね。)
クライマックスはもちろん表題の通り、信長の遺骸の所在を探し当てるところ。種明かしはできないが、それはまた、なぜ信長が無防備にも少人数で本能寺に陣を構えたのかの回答にもつながるものだった。
信長好きの小泉さんのコメントからブレークしたことで有名なこの本は、なんと75歳の著者の小説デビュー作。主人公太田牛一が信長好きの設定なので、信長の悪辣さをもっと抉り出せと脅す秀吉の下劣さがことさらに描かれているが、 実は秀吉好きという著者の次回作のテーマは当然「秀吉」。小泉退陣後と思われるその発表が期待大である。
2005/12/23
「ミーナの行進」 小川洋子 読売新聞
読売新聞土曜版連載が終了。
病弱なため「コビトカバ」に乗って小学校に通学する従姉妹。(自宅は動物園まであるというお城のような豪邸なのだ。)毎週配達されるフレッシー(父親の会社が作っており、少女はその配達のお兄さんに淡い恋心を抱いている) とともに、少女が収集している変わった絵柄のマッチが届けられる。その一箱ごとに、少女によって描かれる魅惑的な「劇中劇」。ありえない設定が、ごく自然に、せつなく美しく展開されていく、いつもながらの小川洋子の世界である。
2005/12/23
「やくざと日本人」 猪野健治 ちくま文庫
本書は、戦国時代末期の遊侠無頼の発生から、現代の山口組にいたる日本の「やくざ」の歴史を、政治・社会との関わりのなかで解き明かした、唯一無二の名著です。 以下は、これだけ読んでも、それで充分といわれる「プロローグ」からの抜粋。
「やくざ」は「博徒」「テキヤ(露天商)」「その他暴力団」の3つに大別される。
企業依存系の「総会屋」や、政治活動標榜ゴロの「右翼」、社会運動標榜ゴロの「エセ同和」は、暴力団と同一とみなされている。
部落出身者、在日朝鮮人等の被差別民がヤクザの主流になったのは戦後の事で、古い時代においては「彼等はやくざになることさえ許されなかった」。
「やくざ」は政治家や巨大資本に利用されて動く従属的存在である。
「やくざ」は他に行き場の無い若者の受け皿になっており、「やくざ」を盲目的に非難する事は差別に加担する事になる。
日本社会に「やくざとなるか土方になるか」しか、選択肢の無い若者が多く存在する事がやくざの温床になっている。
2005/12/21
「日本の古代語を探る」 西郷信綱 集英社新書
「東西南北」というように、方位では東が優位である。つまり「東」(ヒムカシ=日に向かって)「左」(ヒダリ→ヒダ→イタ)が「北」であり、「右」(ミギリ→ミナミ)が「南」なのである。では「西」は?
本書は言葉を扱う本ではあるが、昨今巷を賑わせている、お手軽な日本語本とは一線を画す本である。なにせ時代は「古事記」「万葉集」あるいはそれ以前なのである。
文字というものにすっかり馴らされた私たちの感覚は、文字以前の時代にことばが音としてどのように機能したり連動したかにつき、あまり敏感に反応できなくなっており、だからこうしてツマが妻になったり、夫になったりするゆえんがわかりにくい。
ということなのである。「木」はなぜ「キ」なのか。「旅」はなぜ「タビ」なのか。「蝦蟇」はなぜ「ガマ」なのか。
「四股」は「醜」(シコ)であることを知らなければ、蒙古(と、今や欧州まで)の来襲から国技を守ることはできないし、 「サザレ石」が「イハホ」になるのは、「イハホ」に対して「イハネ」がある。つまり「石」に「根」があり「穂」があるという「石生長譚」に基づくということがわかっていなければ、「コケノムスマデ」と暢気に歌っている場合ではないのである。
2005/12/12
「さようなら、私の本よ!」 大江健三郎 講談社
作者自身の分身であることは明らかな「長江古義人シリーズ?」の最新作は、幼馴染の建築家「椿繁」の誘いに乗って、「おかしな二人組」が「老人の愚行」をたくらむ、というお話。
磯崎新の「アンビルト」(建たなかった)に対する「アンビルド」(破壊する)建築計画の実践としての「高層ビル爆破テロ」というその「たくらみ」は、当然のように「突然の尻すぼみ」(アンチクライマックス)を迎えるわけだが、 (それにしても、椿繁は原広司だと早とちりしていたのだが、一体誰なのだろう?磯崎や原どころか、隣の谷川俊太郎の別荘を設計した人物として篠原一男まで別人として出てくるサービスのよさなのだ。) 「ミシマ問題」を巡る議論と絡みながら、淡々と進行していく表向きの物語自体にそれ程の意味がないのはいつもの通りである。(もちろん、そのストーリィをおうだけでも充分楽しめることもいつもの通りなのだけれど)
むしろ、自らの別荘(椿繁が設計した)を、「アンビルド」教育の教材として提供することで、これまで愛読してきた本とともに、自分自身の作品さえ廃棄した古義人(「さようなら、私の本よ!」)が、 世界の「徴候」(もちろん長江との同音は意識されている)を書き留めることに専念するようになることこそが、この作品のすべてなのである。
2005/12/1
「ハードワーク」 Pトインビー 東洋経済新報社
国の定める「最低賃金」で、本当に生きていくことができるのだろうか?もちろん生きていけるのだろうが、それは一体どのような暮しなのだろうか?
サッチャー以来、民営化路線を推進してきたイギリスで、著名なジャーナリストとして「高給」を得てきた著者が、身をもって挑んだのは、荒れ果てた公共の安アパートに移り住むことから始まる「時給4.1ポンド(820円)の生活」だった。
履歴を剥ぎ取られてしまえば、50過ぎの女性であるにすぎない彼女に、派遣会社が斡旋してくれたのは、病院の運搬係、学校の給食助手、老人ホームの介護助手・・・ それらは「小さな政府」を実現するために「民に出来ることは民に」と、非効率な官業として民営化されたすえに、人件費削減のため派遣会社に外注された、先の見えない「きつい仕事」ばかりであった。
「最低賃金」の縛りが、それ以上の賃金では成立しない「仕事」を不可能にし、それ以下の賃金でも働きたいという人々の「仕事の場」を奪っているという構造的な矛盾。 経験値が上がっても「昇給」することのない職場では、行き場を失ったベテラン達が、時間当たりの効率を上げ、ますます実質的な「時間給」を下げていく。
「小泉劇場」の行き着く先が「ここ」にあるとして、あなたは「そこ」で、本当に生きていくことができるだろうか?
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