徒然読書日記200508
サーチ:
すべての商品
和書
洋書
エレクトロニクス
ホーム&キッチン
音楽
DVD
ビデオ
ソフトウェア
TVゲーム
キーワード:
ご紹介した本の詳細を知りたい方は
題名をコピー、ペーストして
を押してください。
もちろん購入もできます。
2005/8/16
「古書ワンダーランド」 横田順彌 平凡社
料理屋で酒を飲んで居た連の者は女中を強姦した其時私に手伝をして呉れろと言はれ私は何の気も無しに女中の足を押へて動けぬやうにしてやった處が両人とも訴へられたとせば其処分
というのが、「日常法律 是丈は心得置かれよ」(大正八年六月)という本の、なんと「目次」の一項目なのである。これのどこが「日常」なのか、よくわからないまま、その本文を見ると、「問」は目次がほとんどそのままで、その「解」は(ワクワク、ドキドキ)
成程能く分りました、貴方は女中を強姦せずとも、両足を抑へてやって、其目的を遂げる事が出来たとすれば、矢張り正犯を以て論ぜられます。強ち貴方が強姦すると否とは問ひませぬ、別して強姦罪は婦女の貞操を破るの罪で、 単に婦女の身体を侵害することを罰するのではない、苟くも婦女の貞操を破ぶるに於ては、其局部たると手足たると口論はありませぬ。
ふむ、なるほど。と思わず納得してしまった後で、疑問がわいてくる。料理屋と女中というのはどこへ行ってしまったのだろうか?これが具体例だというのならまだしも、目次なのである。そこには「料理屋」であり「女中」でなければならない理由が必要だと思うのだが。
という具合で、こんな本、本当に販売されていたのだろうかという、珍本・奇本のオンパレードなのである。
2005/8/16
「アヴェンジャー」 Fフォーサイス 角川書店
「ボスニアで孫を殺した犯人を捕らえてほしい。」というのが、“アヴェンジャー”というコードネームで「人狩り」を請負う弁護士デクスターへの今回の依頼だった。 “アヴェンジャー”は、ベトナム戦争のベトコン対策特殊任務を生き延びた歴戦の兵という過去を持っていた。犯人は革命の反動を巧みにすり抜け、南米へ逃れたセルビア人。最強の防御手段を幾重にも張り巡らせた難攻不落の「城砦」に隠棲する男を、 しかも生きたまま捕らえねばならないという「ミッション・インポシブル」への挑戦が開始された。
もちろん、これだけで充分読み応えがあるのだが、そこはフォーサイスなので、それだけではすまないのである。
CIAの極秘チームは、このセルビア人のアメリカ人青年虐殺という過去の所業を正確に把握していたが、その所在を入念に秘匿し続けてきた。なぜなら、この男は「ビン・ラディン逮捕計画」のキーマンなのであり、「その時」がくるまで、必ず安全に泳がさなければならないからだった。 数年がかりの決して失敗が許されない作戦を守るために、CIAの面目をかけた「妨害」が始まった。ここで繰り広げられる“アヴェンジャー”との虚々実々の駆け引きが、もう一つのドラマを生み出していくのである。
そして「その時」、2001年9月11日は、目前に迫っていた。
2005/8/10
「面白南極料理人」 西村淳 新潮文庫
焼けた肉は速攻で口に投入しなければ、たちまち、ほんとにガチガチの冷凍状態に逆戻りしてしまう。缶ビールは空けてから一分以内に空にしなければただの苦い氷になってしまう。もちろん、南極だからといって、毎日の食事がこのような格闘技状態なわけではない。マイナス40度の屋外でジンギスカンパーティーを行った場合の説明なのである。
で、なぜ南極で、わざわざ屋外でジンギスカンなのか?そんなことは知ったことではない。
「体に布団を巻き付け、足には重石入りの下駄をはき、両手は軍手の上にオーブンミトンを重ねると大体近い形状になる。」
という重装備で、酸欠で死にそうになりながら、ソフトボール大会をやったり、はては「ドラム缶」露天風呂で温泉気分を楽しんだりしてしまう人達の心境を慮ることなど不可能なのである。
それにしても、ある日のメニュー
アミューズ ムール貝のカクテル チリソース
前菜 ガランティーヌ フォワグラのムース詰め
スープ すっぽんとトリュフのコンソメ
サラダ フレッシュフォワグラとドーム製レタスのサラダ ソース・ド・アンチョビー
魚 ラングスティーヌと帆立貝のパイ皮包み ソース・ド・アメリケーヌ
ソルベ ブルーキュラソーのシャーベット ダークベリー添え
肉 鴨肉のロースト オレンジソース
デザート 冷凍イチゴのそば粉のクレープ包み ソース・ド・アングレーズ
なのである。畏れ多きことに、牛肉は宮内庁御用達の「米澤牛」の超一級品だし。それでもこれといった感慨もなく、実に淡々と、 飲んだくれ親父達の集団の胃袋に納まっていくところが、まことに痛快な一冊である。
2005/8/2
「徳川将軍家十五代のカルテ」 篠田達明 新潮新書
「生類憐みの令」で有名な徳川五代将軍綱吉は、百二十四センチの低身長症だった。(そんなことがなぜわかるのかというと、徳川家代々の将軍の位牌は、等身大で作られているからというのである。) そのコンプレックスを克服するかのように、綱吉はみずから舞台に立って能を演じたり、二百回におよぶ儒学の講義をするなど、将軍の権威を保つことに人一倍熱心だった。
というのが、霊廟から発掘された遺体や、これまでに発表された文献を、現代の医学の観点から見直してみた診断結果なのである。そしてその診断の内容は、肖像画の印象・没年齢・側室の人数・子どもの人数にまで及び、将軍一人一人について、当時の社会背景まで踏まえた上で、その死因を分析している。
九代家重と十三代家定には脳性麻痺の症状が見られた。にもかかわらず
「将軍の息子という特殊な条件下にあったとはいえ、障害者を差別することなくうけいれたのは日本史上特筆すべき出来事であった。」
というのは、著者の指摘するとおりであろう。実務能力ではなく、長幼の序という世継ぎの正当性を重んじることで、徒な争いの火種を消した。つまり、歴代徳川将軍にとって、期待されていたのは、ひたすら子づくりにはげむことだったのであり、実務は幕閣が担っていたのである。 実際、最多を誇る十一代家斉には16人の側室に57人の子どもがあった。十五代慶喜でさえ、あの激動のさなかにあって、24人の子どもをなしたのである。
しかし、皮肉なことに、十五人の将軍のうち正室から生まれたのは家光と慶喜の二人だけ。皇室存亡の危機の、どの辺りに問題があるのかは、歴然としているというべきか?
先頭へ
前ページに戻る