徒然読書日記200503
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2005/3/21
「血涙!日本プロ野球解体論」 豊田泰光 新潮社
丸谷才一氏絶賛!と帯にあったので思わず買ってしまってあった本をトイレで読了。まあそれなりには面白かったが、丸谷さんが「批評はいちいち胸を打つ。」と言うほどではないような。
一体、あの程度の選手に一年五億円も払う必要がどこにあったのか。笑うほかない。ケガが多く、守備はそこそこ。あの大仰なスイングでは甘い球しか打てないことははっきりしている。その上、大の大人が金髪に染めて、カッコいいと思っているから始末が悪い。
と罵倒された某選手(まあ、おっしゃることはごもっともとは思うが、豊田さんはこの球団から追放された恨みがあるようにさえ感じる。それで「血涙!」というわけではあるまいが)は、現在、年俸十分の一で、髪を丸めて大リーグ入りし、ひょっとしたら開き直ってブレークするかも。 でも、この本を読んで心を入れ替えたわけではなさそうなのは、あの無精髭を見れば一目瞭然である。
2005/3/20
「遺失物管理所」 Sレンツ 新潮クレストブックス
ぼくが気に入っているのは・・・物を失くした人、遺失物を届け出てくる人たちとの日々の出会いです。人がどんな物を置きっぱなしにしたり、忘れたり、駅のなかで失くしたりするか、以前は想像もできませんでした。 それに、調査依頼書にサインするためにここにやってくるときに、その人たちの性格がはっきりわかるなんてことも、以前は考えもしませんでしたね。
鉄道会社のリストラ要員の吹きだまりのような「遺失物管理所」に送られてきたヘンリー・ネフは、それなりのコネを持ちながら「出世を望まない」若者だった。 様々な不思議な落し物が毎日届けられる遺失物管理所で、ヘンリーはその落し物が忘れられてしまった理由や、それを取り戻そうとする落とし主の姿を想像して、一人微笑む。ヘンリーから落し物を返してもらうために、落とし主はそれが自分のものであることを証明しなくてはならないのだ。 それがヘンリーの考案したルールである。ナイフ投げの芸人はナイフを取り戻すためにヘンリーを的にしてナイフを投げる。脚本を落としてしまった女優はヘンリーの前でセリフを暗誦する。相手役はヘンリーが務めるのだった。 もちろんこうした楽しいエピソードばかりではなく、リストラや若者の暴走族化、ドイツ人の差別意識などの社会問題が描かれたり、遺失物を巡って意外な事件に発展したり、不倫もどきの展開があったりもするのだけれど、それはあくまで脇道というべきもの。 恐らくヘンリー自身が「遺失物」で、こうした暖かい人々との出会いのなかで、自らを取り戻すための時間が育まれていくのだろう。
2005/3/16
「ガリレオの指」 Pアトキンス 早川書房
1「進化−複雑さの出現」進化は自然選択によって生じる
2「DNA−生物学の合理化」遺伝形質はDNAに暗号化されている
3「エネルギー−収支勘定の通貨」エネルギーは保存される
4「エントロピー−変化の原動力」いかなる変化も、エネルギーと物質が無秩序へと無目的に崩壊した結果である
5「原子−物質の還元」物質は原子でできている
6「対称性−美の定量化」対称性は条件を絞り込み、指針となり、力となる
7「量子−理解の単純化」波は粒子のように振る舞い、粒子は波のように振る舞う
8「宇宙論−広がりゆく現実」宇宙は膨張している
9「時空−活動の場」時空は物質によって曲げられている
10「算術−理性の限界」算術は、無矛盾ならば不完全である
科学の世界に革新をもたらしてきた10の理論を、古代から現代まで、順序だてて丁寧に解説するこの本は、読み進むごとに一歩ずつ新たな「高み」に登り、眼前に新しい風景が開け、パノラマを楽しむような感動を覚える本である。 しかしこの本は、ただ科学の歴史の歩みをわかりやすく解説した、教科書のような「つまらない」本ではないので、「高み」に登ると同時に、足元に現れた底知れぬ「深み」に迷い込むこともまた覚悟しておく必要がある。 例えば第10章では、「人間が数をかぞえられること自体が驚きである」ことが語られる。なぜなら「自然数は数全体のなかでは極めて少数だから」暗黒の夜空に浮かぶ星に、直進しかできないロケットがたまたまぶち当たるほどの可能性しかないというわけである。 このカントールの理論あたりまでは「高み」に登る部分なのであるが、ここから導かれることになる「数であらゆる算術が実行できることも驚きなのだ」なぜなら「形式的に証明可能な数式は極めて少数だから」という20世紀論理学最大の偉業、ゲーデルの「不完全性定理」 に話が及んで、あなたは奈落の底に落ちることになる。
2005/3/16
「日本はなぜ敗れるのか」 山本七平 角川oneテーマ21
精兵主義の軍隊に精兵がいなかった事。然るに作戦その他で兵に要求される事は、総て精兵でなければできない仕事ばかりだった。武器も与えずに。米国は物量に物言わせ、未訓練兵でもできる作戦をやってきた。
米軍の捕虜となった1人の軍属が、ルソン島の労働キャンプで、ひそかに書きつづけた手記。小松真一の『虜人日記』を「戦後以前」に戦争について書かれた、「戦後」の影響が皆無の記録と絶賛した山本七平が、 そこで分析抽出された「敗因二十一ヵ条」を詳細に点検論評した「日本はなぜ敗れたのか」ではなく「なぜ敗れるのか」という題名のこの本は、その名の通り、戦後60年を経過してもいまだに変わることのできない「日本の敗因」を解き明かしてくれる本なのである。
非常識な前提を「常識」として行動する。
「芸」を絶対化して合理性を怠る
「動員数」だけをそろえて実数がない
自己を絶対化するあまり反日感情に鈍感である
2005/3/9
「告白」 町田康 読売新聞
町田康初の新聞連載が無事終了。明治26年に、城戸熊太郎が起こした「河内十人斬り」という大量殺人事件(実話)をモデルにした長編小説である。農家の長男として生まれた熊太郎は、ほんのささいなボタンのかけ違いのような出来事の繰り返しの中で、周囲からは、手のつけられない乱暴者とみなされ、疎まれる存在となっていく。 自分の思いが正しく言葉にならず、相手に伝わっていかないことが、その真因であることを正確に理解し、そのような状態に平気で耐えられる他人の鈍感な神経を嘲りつつも、その鈍感さを強烈に嫉妬し、悶え苦しむという複雑な性格は、周囲の目からは完全に狂気の沙汰というべきものであることに、気が付かないということが、熊太郎の抱えた悲劇であった。
といったようなシュールな雰囲気の設定で、しかし語り口は「河内漫才」か「落語」の乗りで軽妙に語り進められる、この連載が唐突に終幕を迎えてしまった時は「何故だ!」とその理不尽さに怒りを覚えたのであるが、なんと後半部分も同時に書き進めていて、単行本で一気に公開、という販売戦略の一環だったようである。
しかし、私も熊太郎以上にねじくれた性格なので、このようなことになると、折角貴重な読書時間を費やして前半部分を読んでしまったのがもったいなくて、後半部分だけのために単行本を買う気にはどうしてもなれないのである。
2005/3/4
「グランド・フィナーレ」 阿部和重 文藝春秋
本年度「芥川賞」受賞作品。自分の娘の全裸写真をデジカメで何枚も撮る。もちろん他人の子も。妻にそれが発覚して離婚。子供達を雑誌のモデルとして紹介するというアルバイトも発覚して、教育映画の製作会社も首になってしまった主人公は、失意のまま田舎に引っ込んでいた。 そんなある日、地元の小学校教師となっていた同級生からの依頼で、小学生の演劇発表の指導員をやることになり・・・という粗筋をご紹介したところで、あまり意味があるとは思えない。 かといって、この少女偏愛性癖者の話を、丁度時期を同じくして世間を騒がせた「奈良女児殺人事件」と合せて論じることも、気乗りがしない。こんなテーマにしたら、書きっぷりが無邪気すぎると怒ってみてもしょうがない。(作者は逆に、それを充分に意識しているのだろうし・・・) ここはやはり、山田詠美の講評をご紹介するのが正しい選択である。ちなみに、他の作品に対する選評の痛快さに比べて切れ味は悪いのだが。(それにしても、石原慎太郎は、なぜ審査員をやめないのだろうか?)
微妙な境界線がいくつも交錯し、大きな境界線を作り出した丹念な作品。乱暴で繊細。惨めで不遜。欠点はあるけれども筆力を感じて、祝、受賞。
2005/3/1
「奇術師」 Cプリースト ハヤカワ文庫
20世紀初頭、ある事件をきっかけにお互いの舞台を妨害しあうライバルになってしまった二人の天才奇術師、アルフレッド・ボーデンとルパート・エンジャ。彼らはともに「瞬間移動」のイリュージョンを得意としていた。 ケイトという女性から、自分たちがボーデンとエンジャのそれぞれの子孫であることを告げられた、新聞記者のアンドルーは、呼び寄せられたケイトの家で、自らの身に及ぶ衝撃の事実を知ることになる。
二人の天才奇術師の手記というスタイルで展開される話は、一方が手記にまで巧みに織り込んだ仕掛けを、もう一方の手記を読むことによって、別の視点から重層的に眺めることで理解することができるという、まさに奇術の種明かしのようなお洒落な構成になっている。 アンドルーが「自分は一卵性双生児ではないかと感じていた。」と語る、単なる導入のように見せかけた第1部と、第2部ボーデンの手記と第4部エンジャの手記に挟まれたケイトの短い思い出話の第3部。衝撃の第5部に至って、それらすべてが密接に絡み合った、欠くことのできない挿話であったことを知ることになる。 未読の方の興味を削いではいけないので、どちらの「瞬間移動」も「奇術」としては禁じ手に近いが、片方はそこに至るまでの経緯に、もう片方はそこから発生してきた事態に、含まれるある種の「おぞましさ」がこの小説の凄さでもあり、引いてしまう人は引いてしまうとだけ言っておこう。
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