徒然読書日記200412
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2004/12/28
「ジェシカが駆け抜けた七年間について」 歌野晶午 原書房
前作「葉桜の季節に・・・」に続き、またまた「二度読まなければ落ちが見えない」作品。あからさまに伏線が張ってあるが、あまりに露骨過ぎて却って気が付かない。というのも前回どおり。 ただ、今回は「特異な国の特異な慣習」がすべて、という相当の力技で、「気合だ〜!」の掛け声にびびってしまった浜口京子のような後味が残り、ワタシ的には金に等しいのかもしれないが、そんなもの誰がどう見たって「銅メダル」だろ! という印象である。何のことやら意味不明?いや、つまり、端的に言えば「二度読まなければ・・・」の作品に「二度読ませる」だけの魅力がないのはさすがにまずいような気がするという意味です。
2004/12/22
「朝鮮出兵と秀吉の謎」 井沢元彦 小学館
前回の「信長」に続いて「逆説の日本史11」は当然「秀吉」の出番。
いきなり「羽柴秀吉」という名前は「端柴売りの稗吉」という自虐的な名乗りにより、信長に対抗する意識がないことを示した秀吉なりの保身術の表れだった。という挑発的な論戦に拍手喝采。 (大河ドラマ「利家とまつ」のように、丹羽長秀と柴田勝家から1字ずつもらった、なんていうのよりもっともらしい。)とはいえ、こんなことを言うと歴史学者は云々と言うだろうが、そこが歴史学界の旧弊なところでと、 いつものように始まるわけだが、そこが「逆説」の由縁だとしても、あまり相手にされているような気配がないような気もする。まぁ、読んで楽しいから、わたしはそれで構わないのだが。
で。一旦は自虐戦略をとった秀吉が、想像だにしていなかった「本能寺の変」により「天下人」に駆け上るチャンスを得るや、そこからは逆に、自ら打ち出した下賤な秀吉という像を打ち消し、自らの出自の問題性を乗り越えて、 権力者たる正当性を獲得するための勝負に出ざるを得なくなる。そのような位置づけの中で「朝鮮征伐」のタブー問題を読み解いていくのが、いつもながらに小気味よい。
2004/12/12
「仏教超入門」 白取春彦 すばる舎
「無常だから悲しいのだろうか」
常に同じものはない。すべては移り変わり、いつか塵のようにむなしく過ぎ去ってしまう。いっさいは夢のようなものだ。あらゆるものは儚い。・・・ この世は無常だと言って嘆く人たちは、ブッダの目から見れば、自分の煩悩の中で嘆いていることになる。嘆いたり憂いたりすること自体が煩悩なのだから。
「諸行無常」とは悲観的な人生観に結びつくものではない。むしろ、あらゆるものは「変化」してやまないのだから、そこに注意して「いまを生きよ」というブッダの教えなのである。 あらゆる存在や行いは、すべてその時点の「関係性」つまりは「縁」によるものである、ということなのだ。
仏教がブームである。いまが「こういう時代」だからなのだろうか?帯には「ブッダの説いた真理が今こそ分かる。」とあって、なるほど噛んで含めるように、宗派に偏らない仏教の「肝」が、 書いてあるのだけれど、「真理が分かってどうしようというのか?」そのあたりを一歩踏み外すと、仏教から最も遠いところへ行ってしまうような気もするのである。
2004/12/8
「ビル・ゲイツの面接試験」 Wバウンドストーン 青土社
「マンホールの蓋が丸いのはなぜか?」
いまや世界の超一流企業、マイクロソフト社の社員採用試験は、極めつけの天才・奇才か、さもなければ、奇抜な発想の逸材を発掘するための、難問・奇問で有名である。 冒頭の問いはそんな中では、ごく素直な、そしてそれゆえに「有名な」ものの一つであるが、例えば「鏡が上下ではなく左右を逆転させるのはなぜか?」という「思い込みの罠」からの脱却を求めるものや、 「世界中にピアノの調律師は何人いるか?」という、「荒唐無稽な数量を類推する」筋道を問うもの(必ずしも結果の正確さが問われるわけではない)、さらには、ある前提の下で、全員が「論理的に正しい判断」を下すとしたら どのような結末が想像されるかという、頭の論理回路がショートしてしまいそうなものもある。 この本は、そんな面接試験に挑戦した「兵どもの夢の跡」ともいうべき逸話から、マイクロソフトという会社の革新性の秘密に迫るものであるが、それより何より、数々の実際の問題が回答つきで取り上げられているのが魅力の逸品である。 ちなみに、冒頭の問いの回答は「丸以外では、ずれると落ちてしまうから」というものである。では最後にもう一問。
「南へ1キロ、東へ1キロ、北へ1キロ歩くと、出発点に戻るような地点は地球上に何ヶ所あるか?」
「ゼロ」というのは論外として、「北極点がある」と喜ぶのは「頭の体操」レベル、もちろん不採用である。「無限+1」でも「残念!」レベル。正解は「無限*無限+1」というもの。南極の周辺に無限に存在するのだが、興味のある方は本書をお読み下さい。
2004/12/3
「脳死・臓器移植の本当の話」 小松美彦 PHP新書
脳死者からの臓器摘出の手術の現場では「ドナー」に麻酔を施す場合が多い?間違えたわけではない。もちろん「ドナー」というのは「移植を受ける方」(レシピエントと呼ばれる)ではなく、「摘出される方」なのである。 ではなぜ脳死者に麻酔が必要なのか?「臓器摘出の執刀時に、ドナーの大半が急速で激しい血圧上昇と頻脈を示す」からである。脳死者はあまりの激痛にのたうっているというわけである。
今度は「レシピエント」の余命の話。臓器移植を受けたからといって「不死身」になったわけではないから、いつかは死ぬ。では、移植を受けたことによって、どの程度「長生き」することに成功したのだろうか? 詳しい内容はこの本をお読みいただくしかないが、実は、移植する臓器によっては、移植しなかった場合の方が「長生き」できたのではないかと疑うデータがある。 ここに「移植しなければ確実に死ぬ」という人がいて、すぐに移植できれば確かに「延命効果」は高いだろう。しかし、すぐに移植できる場合は稀なので、そういう人は移植を待たずに死んでしまう。 さらに、そういう人は「移植しても死んでしまう」可能性も高いので、臓器移植を推進したい側にすれば「レシピエント」に選びにくい。というわけで、実際に移植を受けることになるのは、 「移植しなくても当面死にそうもない」比較的元気な人になるわけだが、そういう人は「移植したせいで死んでしまう」可能性が高くなってしまう。ということなのである。
「脳死は人の死」とするということは、「脳死者は本当に死んでいるのか」という問いに対し「死んでいると定義されているのが脳死者なのだ」といっているに過ぎない。という著者の「新書にしてはあまりにも重い」渾身の一冊である。 (実際、400ページ以上あって本当に重いのだ。)
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