徒然読書日記200406
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2004/6/16
「嘘つき大統領のデタラメ経済」 Pクルーグマン 早川書房
ある法律の立法の主旨を本当に理解するには、片目で髭を生やし、片足をひきずって歩く男のために特別な配慮をした条項を探すことだ・・・その条項を探せばその法律の真の狙いが理解できる
表面上は公共の利益となるように見える法案が、ある条項によって特別な利益団体のために有利に働くことがあるので・・・というわけである。そして、ブッシュの景気「刺激」法案をよく見ると、 「片目で髭を生やし、片足をひきずって歩く男」はディック・チェイニー副大統領によく似た男だったというのだ。
「ノーベル経済学賞に最も近い」と言われる国際経済学の第一人者が、「ノーベル平和賞に最も遠い」ブッシュ政権の呆れた実態を、隅から隅まで暴きだし、痛烈に批判した、胸のすくような一冊。何せこの本の原題は
”Losing Our Way in the New Century”(21世紀はアメリカの世紀ではない)というものなのである。
2004/6/16
「ヤミ金融」 読売新聞社会部 中公新書ラクレ
山形の電報局がパンク状態になっている。サラ金業者から、返済督促の「お悔やみ電報」が殺到したのである。
新宿区役所の区民課には、多い日には300通以上の封書が届く。貸金業者からの住民票の請求である。
法定金利の上限(29.2%)などせせら笑うかのような、1週間に2割の金利(年利換算約1000%!)。それでも「もうどこからも借りることができない」多重債務者は、藁にもすがる思いで、時には感謝さえして、金を借りていく。 1月もてば元金分の回収は終わり、あとは儲けという仕組みの中で、「少なく貸して、いかに多くを巻き上げるか」というゲームを楽しむかのように、返済が少しでも滞れば、職場に電話し、隣近所に言いふらし、苛烈に追い込んでいく。
「なぜ法外と判っていて、借りてしまうのか?」「どのような状況に追い込まれていってしまうのか?」という「借り手」側の赤裸々な告白を引き出すだけでなく、「貸し手」側の内情にまで大胆に踏み込んだ迫真のルポである。
2004/6/10
「貧困の克服」 Aセン 集英社新書
飢饉が発生するのは、食料の大幅な供給不足だけが原因なのではなく、経済的な不平等の存在が果たす役割の方が大きい。北朝鮮の例を引くまでもなく、「貧困」よりは「独裁」のほうが、飢饉発生に負う罪は大きいのである。 こうした事態を克服するためには、あらゆる経済活動のための資源を、広範に分かち合い、自由に利用できる「制度と自由」が実現されなければならず、 そのためには「基礎教育の確立」と、最低限の「医療施設の整備」が不可欠である。これから経済発展を図ろうとする「貧しい国」がどうして「基礎教育」と「医療」にその乏しい予算を振り分けることができるのか? 「教育」や「医療」は本来労働集約的な性質を持っており、労働コストの安い「貧しい国」では「相対的コスト」が安い、つまり費用対効果が大きいことになるのである。
ん?ちょっと待って・・・「米百俵」の例を引くまでもなく、これは我が日本が歩んできた「貧困の克服」ロードそのものではないのか? その通り、センが主張する「アジアの発展戦略」は日本をお手本として考察されている。
一方で、その日本は、「教育」と「医療」の荒廃に足元をすくわれ、「アメリカン・スタンダード」に則って「凋落」の道をひた走っているように思われてならない。
2004/6/8
「嫁に来ないか?」 和田ラヂヲ 集英社
公園のベンチで、隣で一服吸っている人に「ライター貸してもらえますか?」と声を掛ける。ノック式のペン型のライター?
ノックすると芯が出る。「これ、シャーペンですよね」平然と「ええ」・・・ここで一句。
都会の人は
つめたい ラヂヲ
尾崎放哉の「自由律俳句」というのがある。「咳をしても一人 放哉」という「あれ」である。始めはそれに絵を付けるところから始まったらしい。
空しさが突き抜ける新感覚の「自由律俳句漫画」
「声に出して読みたい漫画」と帯にあるが、実際声に出して読むと笑われるので気を付けて下さいとあとがきにある、親切な漫画である。
2004/6/7
「儲けるための会計」 田中靖浩 日本経済新聞社
「原価10万円の商品を9万円で売ったら儲けはいくらか?」
「儲かるわけないじゃないの。1万円の損だよ。」というのは、財務会計の罠に侵されてしまった回答です。 9万円で売ることにより、販売数が伸びることが予測できるのであれば、原価のうちの固定費部分の占める割合によっては儲けが出る場合もあります。 売上に比例して増える変動費(材料費など)に対し、固定費(人件費など)は不変だから、売上が増えれば1個あたりの原価が下がることになるからです。
以上は比較的初歩的な管理会計のお話で、原価を変動費と固定費に分けて、限界利益だの、損益分岐点だのを求める、などという「あれ」と言えば、 「あぁ、あれか。」とうなずかれる方も多いような気がします。ところが、いざ実際の話となると・・・
「ライバルに対抗するために10%値下げする場合、どれだけ販売量が増えれば以前と同じ儲けになるか?」
という問いに、「10%増えればトントンだろう。」と見切り発車をしてしまい、悲劇を招く事例が驚くほど多いのです。 給料は利益の「率」で支給するわけではありません。常に利益の「額」が必要だからです。
会計「を」学ばず、会計「で」学ぶシリーズ第3弾。期待にたがわぬ名著です。
2004/6/4
「残虐記」 桐野夏生 新潮社
十歳のときに拉致され、一年余りを監禁されたのち無事解放された、という「重い過去」を隠して、作家となっていた女が、「残虐記」という書置きを残して失踪した。 きっかけは、二十二年間の刑期を終えて、出所してきた犯人の男からの一通の手紙だった。そこに書かれていた結びの言葉。
「先生、ほんとにすいませんでした。でも、私のことはゆるしてくれなくてもいいです。私も先生をゆるさないと思います。」
意識しているのは明らかに新潟の少女監禁事件。取り上げられているのは、世間一般が(興味津々をオブラートにくるみながら)憂慮している「あったに違いない事実」と、 犯人と被害者以外には知りえない「真実」。しかし、二十五年という歳月は、それすらも「記憶」という忘却装置の中で、様々な物語に仕立て上げてしまっていた。
「やわらかな頬」「グロテスク」と、このところず〜っと、結末を曖昧にして、読者を宙釣りにしてしまうという著者の手法は、マンネリ一歩手前という感もあるが・・・
2004/6/2
「猫の手貸します」 吉田猫次郎 朝日新聞社
「その借金なんとかしましょう。」という副題。帯には「死ぬ必要なんかない!」とあるこの本は、「借りたカネは返すな!」以来ブレークした感のある、 一連の「借金踏み倒し指南本」に位置付けられそうなものだけれど・・・(実際、最近は借りた金など返す必要はない。貸したあなたが悪い。と嘯く悪質な自己破産者が続出しているようである。) この本は、自身が壮絶な借金地獄の中から、自力で這い上がってくるという命がけの体験の中で体得した、究極の借金解決法を伝授しようというもの。 「借金は返すもの、利息は払うもの」「本業最優先、資金繰りは二の次」など、生真面目な人ほど追い込まれてしまう現実に「無理してまで返す必要はない」と手を差し伸べながら 「借りたあなたが悪い」「無傷で借金を整理できると思うな」と、最近の本末転倒の風潮にも釘をさすことを忘れていない。 (実際、他人任せの自己破産などで、ある程度の痛みを自分で経験していないと、再度借金地獄にはまってしまう例が後を断たないご時勢なのである。) いずれにしろ、「なるほど、でもそこまではできないよ」という、あまたの「借金整理本」とは一線を画す、「これなら、自分でもできるかもしれない」という期待を抱かせてくれる快著であることは、 「借金整理本」マニアの、私が保証しよう。
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