徒然読書日記200404
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2004/4/25
「アウステルリッツ」 WGゼーバルト 白水社
思い当たる理由もなく、どこにいても、誰といても、漠とした不安の中で心の安らぎを得ることができず、建物や風景をふと目にした瞬間に、閉ざされていた過去の記憶がフラッシュバックのように蘇る。 十五歳まで自分の本名も知らずウェールズで育ったアウステルリッツは、プラハに生まれ、1939年、4歳でイギリスに単身移送されて助けられたユダヤ人だった。 幼児期に失ってしまった名前と言語と故郷を(そして両親の記憶を)取り戻す旅。しかしそれは同時に、アウステルリッツという名前に暗示的に込められた(アウシュビッツ)という暗黒の歴史との遭遇という 苦痛との対峙の旅でもあった。読むものを引きずりこまずにはおかない、一種粘着的な、切れ目を持たない語り口。にもかかわらず、没入することを拒むかのように、しつこいまでに挿入される引用符。「と、アウステルリッツは語った。」 多数ちりばめられた「雰囲気」に満ち溢れた写真の効果。なによりも表紙の写真が発散する妖しげな魅力には、抗うことなど誰にもできはしないだろう。
2004/4/24
「経済学という教養」 稲葉振一郎 東洋経済新報社
「素人の、素人による、素人のための、経済学入門」という謳い文句から、経済学の初歩についてのわかりやすい入門書だと期待するのは早計である。 著者が想定している「人文系ヘタレインテリ」という読者は、一般的に「教養のある層」と看做されてきたわけだけれど、その「教養」なるものにこそ問題があったのではないか、というのが著者の主張である。 そういう意味で、ポストモダンを鮮やかに位置づけてみせた第1章「こういう人は、この本を読んで下さい」が、この本のすべてであり、あとは付け足しといっても過言ではない。 もちろん「不況・不平等・構造改革」という切り口で、マルクス主義や新古典派の経済学理論を読み解いていく本論も読み応え充分で、 まさに「ずぶの素人が筋金入りの素人になる」(野矢茂樹)ためのお奨めの1冊であった。(特にマルクス経済学についてはそう思う。)
2004/4/21
「文学的商品学」 斎藤美奈子 紀伊国屋書店
『凛子は淡いピンクのスーツの襟元に花柄のスカーフをそえ、グレーの帽子をかぶって、手にやや大きめのバッグを持っている。』(渡辺淳一「失楽園」) ・・・凛子という女は、なんだってまた密会デートに、いつもこんな野暮ったい服装で出かけるのでしょうか。・・・場末のバーのママがオフに着る服みたいだし・・・昔の新婚旅行みたいな服装です。・・・ 服のセンス以上に気になるのは、新聞記事みたいに素っ気ないこの書き方です。・・・そのまんまやないけ、と突っ込みたくなるような愛想のなさ。 百貨店のバーゲンセールのチラシでも、もう少し色気のある表現を工夫しそうな気がします。
わが敬愛する「邪悪な読者の代弁者」斎藤美奈子の、これは久々の「まともな」文芸評論集です。今回は小説に出てくるモノ(衣・食・住・クルマ等々)がテーマ。ただし、どんなモノが描かれているか?というよくある薀蓄ものとは違い、 どのようにモノが描かれているか?というところから、その小説の読みどころ、読ませどころを探り、一連の小説・作家群をひとくくりに束ね、一刀両断にしてしまうという、「妊娠小説」以来の手法が、斎藤美奈子の真骨頂なのです。
2004/4/14
「動物と人間の世界認識」 日高敏隆 筑摩書房
モンシロチョウのメスの翅の裏には紫外線を反射する仕組みがある。私たち人間には紫外線は見えないので(見えないから「紫外線」と呼ぶのである)、 モンシロチョウがつがいで飛んでいても、どちらがメスなのかを見分けることはできない。しかし、モンシロチョウ(に限らず、多くの昆虫にも)には紫外線が見えるので、 人間にはどちらも黄色っぽくしか見えない翅の裏の、紫外線と黄色の混ざった色(それがどんな色なのか、私たちにはわからない)によって、オスはメスを識別している。 つまり、「同じ世界」を、人間とモンシロチョウとではまったく違うものとして、認識していることになる。そもそも「同じ世界」などというものは存在しているのだろうか?・・・ 自分が見ている「景色」と、自分の妻が見ている「景色」とは、実は相当にずれているのではなかろうか?という思いに浸ることがないわけではないが、 この本にある、耳を聞こえなくされたメンドリは、餌をねだる声を出さないヒナを、自分の巣に侵入してきた敵と認識して、次々につつき殺してしまうというエピソード、 人間にも、幼な児の声が聞こえなくなってきているのではないか?見えている風景がまったく違う種族が存在し始めているのではないか?と危惧した次第である。
2004/4/12
「オトナ語の謎」 糸井重里 ほぼ日ブックス
「う〜ん・・・企画の意図が
見えてこない
な。部分的には
いいんだけど
ね。こう、
遊び
が足りないというか。ひとことで言うと、
弱い
。もっと、
軸になるもの
がないと」
「そう思ってがんばってみたんですが・・・」「がんばるだけじゃダメだろう!」
「はあ・・・」「もっと、こう、若い人の感覚で」
「具体的に、どうすれば?」「そのへん、どうやったらできるか考えてみてよ」
この一連の会話が何の違和感もなく腑に落ちた人でも、オトナ語をマスターしていると誇ってはいけません。イタリックの単語の正確な意味を20字以内で説明できないようであれば、この本で再確認されることをお奨めします。 しかし「就職を控えた若者は、この本を実用書として真剣に読んでいる」らしいと聞くと、笑い事ではすまないような気もします。
2004/4/6
「イラク便り」 奥克彦 産経新聞社
8月24日、爆破された国連事務所を訪れ、偶然にも、亡き友の血染めの名刺を拾う。友の遺志を継ぎ、復興への貢献を改めて心に誓う。
11月13日、自動車爆弾テロでイタリア人18名、イラク人9名が犠牲に。テロとの闘いに屈しないという強い決意の必要性を訴える。
11月29日、襲撃により死亡。
これは回想録ではなく、日記なのであり、従ってリアルタイムの報告である。だからもちろん、11月29日を予期して書かれたものではないし、最後の日記となった11月27日分は、 「あと少しの辛抱で家族に会える。」と、感謝祭の夜を楽しむ米陸軍のパーティの様子を伝えている。緊張感溢れる現地のルポもあれば、意外にのんびりとした日常生活のスケッチもある。 それが余計に胸に応える。テレビや新聞の報道などよりはよほど正確に、現地の雰囲気を伝えてきている、その「息遣い」が突然断ち切られてしまうことを、私は知っていて読むからである。
2004/4/4
「失はれる物語」 乙一 角川書店
友達のいないわたしは、頭の中に理想の携帯電話を想像して遊んでいた。ある日、想像のはずの携帯が突然着信メロディを奏で、つながった。 「Callng You」
交通事故で右腕の肘から先以外のすべての機能を失った私は、妻が右腕の皮膚に書いた文字に指で応える交信を続けていくが 「失はれる物語」
他人の傷を自分に吸収して移動してしまうことができるアサトは、憧れの彼女の顔の火傷を3日間だけ引き受けるが 「傷」
全6編すべてに流れる「切なく」「やるせない」ような通奏低音。「マリアの指」はミステリー仕立てとなっているが、それでも本筋は「犯人探し」がテーマではないように見える。 ジャンル的には「ライトノベル」ということになるらしいが、初出の表題作(今回未収録)が「さみしさの周波数」。、乙一、今度は何を読ませてくれるのか? いい意味で「期待を裏切る」破天荒の才能に乾杯!
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