徒然読書日記200403
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2004/3/28
「読んで旅する世界の名建築」 五十嵐太郎 光文社新書
前にも書いたかもしれませんが、著者は、金大附属高校→東京大学建築学科と続く私の後輩で(もっとも向こうは私のことなど先輩だとは認識していないこと確実ですが) うちの高校の卒業生としては珍しく、「気鋭の」などという形容詞の付く「華やかな」舞台で著名な人物なのです。(うちの高校でも、ノーベル賞候補なるものは存在するらしいのですが、 それは化学やら医学やら知りませんが、わたしの評価では地味な分野なんです。)まあ、華やかとは言っても、我が附属高校永遠のライバル「富山中部」(だか、北部だか、南部だか、忘れたがそのどれか) 出身の、「気鋭のコンサルタント」木村剛ほどの派手さがないのも、私は好感を持っています。で、肝心の本のほうは、「気鋭」の「華やかさ」のよって来る由縁をうかがい知ることのできる故事来歴に満ち溢れていて、 「なるほどなあ」という下世話な感心をしてしまいました。本のご紹介でなくて申し訳ありませんでした。
2004/3/23
「壊れた脳生存する知」 山田規畝子 講談社
そのうち私は、私を助けに出てくる「もうひとりの私」が脳の中に息づいていることを感じるようになった。 たとえば、突き指を予防するのは「不用意に手を突き出さない」ことを意識する注意力で、これは理性に通じるもの、いわゆる前頭葉の働きではないかと私は解釈している。
そういう意味で「もう一人の私」を、私は「前子ちゃん」と命名した。前頭葉の「前」に、もうひとりの私も女性だろうから「子」をつけて前子ちゃん。 前子ちゃんが「ほら、急に手を出さないで。まずそっと手探りしてごらんなさい。」と私に注意を喚起してくれるから、突き指は防げる。
これは「モヤモヤ病」という「脳への血液供給が不足する病」(ちなみに、モヤモヤした気持ちになるという意味ではなく、血液を供給しようとモヤモヤの血管が脳に生成されるのである) により、二度の脳虚血と三度の脳出血に倒れ、その都度不死鳥のように立ち上がってきた「女医さん」の闘病記録である。
立体視ができない。・・・階段が上りか下りかわからない。和式トイレの便器の内外が判別できない。
空間配置が理解できない。・・・アナログ時計が読めない。右手と左手の区別ができない。
少し前のことの記憶ができない。身体の左側への注意が集中できない。等々・・・様々な障害に見舞われることになった彼女が、たとえば本を読もうとすればどうなるのか? 字は読める。注意を集中し、一文字ずつ読んで一行を終える。しかし、次にどこへ進めばいいのかがわからない。もう一度読む。次の行の内容を推測し、どうやら該当するらしい行を見つけてそれを読む。 ページが変わる時はさらに大変で、めくるという行為の間に、前の行の情報を忘れてしまう。全体の内容を理解するというにはあまりにも不向きな読書法である。
いわば「脳が壊れてしまった」彼女が、回復へと歩みだすことができたのは、運良く残された「言語機能」に負う所が大きい。空間的無秩序を、言語的に秩序づけることで再構成する。 視覚的誤認による混乱に陥った時「前子ちゃん」が現れて、誤認の内容を論理的に解析し、適切なアドバイスを与えてくれる。脳は壊れても、知性は生きていたのである。
2004/3/20
「カンバセイション・ピース」 保坂和志 新潮社
この本が紹介されるときは、必ず「小津映画」が引き合いに出される。それはつまり「どこが面白いかと言われても、面白いのだからしょうがない。」ということを言いたいときの決まり文句であるらしい。 確かに「小津映画」も、私のような凡人には「どこが面白いのかわからない」が、ただ、あれだけ海外でも激賞されるほど評判が高いのであるのなら、面白いのだろうと考えるしかない。 つまり、話は逆で、「面白い映画」というのはこういう映画を指して言うのだということなのだろう。世の中の芸術の評価なんてものは、えてしてそんなものだろうと思う。 (少しこの作品を意識して書いてみましたが、あんまり成功したとはいえませんね。)
という意味で言うと、この小説は「小津映画」とはかなり違う趣であるような気がする。作家である私は、平和な日常を相当に「穿って」生きている。しゃべることがいちいち「面倒くさい」のである。 一つの文章が息継ぎできないくらい、とんでもなく長いしね。まぁ、猫好きな方には別の楽しみ方もあるでしょうが、実は私、猫は嫌いですが、こういう小説結構好きです。
2004/3/16
「人はなぜ逃げおくれるのか」 広瀬弘忠 集英社新書
「地震や火事に巻きこまれると、多くの人びとはパニックになる。」
「タイタニック」や「タワーリングインフェルノ」など多くの映画で描かれた、我先にと逃げ惑う人びと、お互いがお互いの進路を邪魔する敵のように、踏みつけ、押しつぶして死傷者を生じる。 実はこれは神話であり、正しくない。多くの災害や事故では、パニックはまれだというのが専門家の「常識」なのである。つまり
「地震や火事に巻きこまれても、多くの人びとはパニックにならない。」
そして、このことこそが大問題につながることになる。もしも、ホテルやデパートの管理責任者がパニック神話を信奉していて、パニックを恐れ火災発生を知らせることを遅らせたなら・・・
実際、大惨事の多くは、通報の不適切さにより、避難のタイミングを失ったことにより起こっている。目の前に煙や火の粉が迫ってきていても、「危ない、逃げろ!」の号令がなければ、 辛抱強く(間違った教育の成果もあって)「慌てず、落ち着いて」人は逃げ遅れてしまうものなのである。
2004/3/7
「新選組読本」 日本ペンクラブ編 光文社文庫
いま本屋さんの平台に溢れている新選組関連の全書物が束になってかかっても、この文庫本にはかなわない。
と、井上ひさしの書評(読売新聞・読書眼鏡)にあったので(帯にもしっかり書いてあるし)、思わず買って読んでしまいましたが、平台に溢れている新選組関連の書物には触れたこともないので、 この本がどの程度のレベルにあるのかは、井上さんの言葉を信用する以外ありません。
三谷幸喜が「ありふれた生活」(朝日新聞連載)に、NHK大河ドラマ「新選組!」の第一回放送終了後から既に、歴史学者ら(?)から、「史実と違う」 という抗議を受けたことに対し、「だってフィクションなんだから当然じゃん。でも、この程度で文句言われるようだと、この後の展開では卒倒するに違いない。」 みたいな事を書いていましたが(近藤勇と坂本龍馬がいっしょに黒船を見に行くシーンらしい。ちなみに道場に掛かっている「香取大明神」の掛け軸はふざけているという 投書も多く来るらしいが、あれは逆に史実であり、一流のコメディ作家を自負している身としては、そんな駄洒落を仕掛けるほど落ちぶれてはいないと憤慨していた。) 今までのところのドラマの展開は、この本に描かれている内容に沿っており、三谷さんもこれ読んだんだろうなと思った次第です。
テレビを「十倍楽しむために」(古い!)お奨めの一冊です。
2004/3/5
「絵具屋の女房」 丸谷才一 文芸春秋
イギリス人の得意とするものは三つあって、それは製薬、陸上の中距離、そしてスパイである。 これはたしかにイギリス名物だとうなずけるし(本当か?)、スパイと中距離については、ある程度その理由が理解できるが (本当に、本当か?このあたりに興味のある方は、本書を手にいれて読んでみてください。)一体なぜイギリス人は製薬に強いのか、これがわからない。
という興味津々のテーマから始まって、いつもの通り、余談に継ぐ余談となり、ここで披露される薀蓄話の方が面白いのもいつもの通り、 で今回は「ペニシリン発見」の話から「カビ」の話、そして「アマゾンのシャーマン」の話(これが抱腹絶倒の面白さ)と続いて、突然本論の結論にいたる。 イギリス人の得意の領域の一つが製薬であるのは、彼らが大変な旅行家であるせいではないか、と。
こんなお話が全部で15編、旦那さん、これを読まない手はありませんぜ。
2004/3/3
「シンセミア」 阿部和重 朝日新聞社
どこにでもありそうな田舎の小さな町に、ある夏、突然事件が起こる。自殺・事故死・行方不明。そこから堰を切ったように「邪悪な」空気が噴出し、町を埋め尽くす。 不倫。セックス、盗撮、麻薬、謀略、腐敗、汚職、暴力、殺人、狂気・・・町は本物の洪水に襲われた後、ゴミに埋め尽くされ、腐臭を放ちながら崩れ始めていく。
この小説の舞台が作者の出身地であることは間違いないが、どうも描かれている風景は「そのもの」であるらしく、下手をするとそこで展開されている光景や、ひょっとしたら 登場人物までもが実在ではないかと思わせるほど、作者の筆に「容赦」がない。ある家族の崩壊を通して「まち」を壊してしまおうという巨大な「妄想」の産物というべきなのだろうが、 どこにでもありそうな田舎の小さな町は、そのくらいではびくともせずに、「かさぶた」を引き剥がして生き続けるということなのだろうか?
渋谷道玄坂歩行者天国の「ダンプ爆走」も「一瞬の惨劇」として、吐き気とともに吐き出されてお終いなのだろうし・・・
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