- 2003/10/29 「知らざあ言って聞かせやしょう」 赤坂治績 新潮選書
- 歌舞伎にはまっている事は既に書きましたが、今回の旅行が成田空港午前発だったので、前日上京のついでに、15日の浅草寺境内「平成中村座」を観てきました。いやぁ、勘九郎は本当に凄いですねぇ。
というわけで、「痴呆」と「英語」とこの本の3冊を往復の飛行機の中で読んだわけですが(これは絶妙の「睡眠薬」でした。いつも飛行機では眠れない私が爆睡してしまった。)
これは歌舞伎から生まれた名セリフを紹介している本です。「すまじきものは宮仕え」「腹が減っては戦ができぬ」「追うた子に教えられ」「闇夜もあるから覚えていろ」「人は見掛けによらないものだ」
などというのが、皆、原型は歌舞伎から来ているというのは知りませんでした。
- 2003/10/25 「二百年の子供」 大江健三郎 読売新聞
- 話の中身は「いつものやつ?」の子供版、著者の三人の子供たちが主人公ということで、特にどうということもないのですが(もう既に単行本が出ており、船越桂の挿画がお買い得感をそそります。)
月〜金曜の連載小説が、俵万智「トリアングル」(読んでいませんが・・・)、渡辺淳一「幻覚」(読むわけありませんが・・・)の豪華?二本立てで、土曜の連載が大江健三郎の次は、なんと吉本ばなな「海のふた」。
読売新聞はどうしたんだ!これではまるで、四番打者だらけの「某球団」ではないか。
もっとも漫画は、マンネリ植田まさしの「コボちゃん」で、
哲学漫画家いしいひさいちの「ののちゃん」と、漫画哲学者しりあがり寿の「地球防衛家のヒトビト」二本立ての朝日新聞がぶっちぎりですが・・・
- 2003/10/16 「その英語、ネイティブにはこう聞こえます」 Dセイン 主婦の友社
- 10月16日から25日まで、外断熱の研修旅行のため断熱先進地の北欧(フィンランド、スウェーデン、デンマーク)へ出かけてきました。(そのご報告は別のページで、おいおいさせていただきます。)
というわけで、飛行機の中で読んだこの本は(恐るべき付け焼刃ですが・・・)今まで「馬に食わすほど」読んできた英語本の中で、唯一実践的に使用可能な本でした。
片言の英語が現地で通じまくり、ちょっとだけいい気持ちを味わいました。(まぁ、北欧だから通じたという面もあります。フィンランドはロシア語なまり、スウェーデンはドイツ語なまり、デンマークはオランダ語なまりの英語のような気がしました。)
- 2003/10/15 「痴呆を生きるということ」 小澤勲 岩波新書
- この本の中で取り上げられている、46歳でアルツハイマー病の宣告を受けたクリスティーン・ボーデンさんの「私は誰になっていくの?」という著作は
(先日、NHKの「クローズアップ現代」でも取り上げられ、その中では「私は死ぬ時、誰になっているの?」だったような気もする。)
私たちが、アルツハイマー病や痴呆症の患者に対して抱く一般的な患者像を、大きく逸脱するものだった。
「痴呆になってしまえば本人は何もわからないのだから、寝たきりよりは楽に違いない。」などという乱暴な議論は、さすがに最近は耳にしなくなってきたけれど、
これまでの議論は、治療する側や、介護する側の、つまりは健常者の立場に立ったものばかりで、痴呆を生きる者から見れば不満が多い、というのが彼女の主張なのである。
「痴呆」の中核症状である「記憶障害(物忘れ)」や「見当識障害(ここはどこ)」は、痴呆を病む人の誰にでも現れる症状であるが、その周辺症状である「妄想」や「徘徊」や「攻撃性」といった症状は誰にでも現れるとは限らない。
「自分がやりたいこと(昔はできたこと)」「周囲が期待していること」と「現実の自分ができること」とにギャップがあり、自分では乗り越えられない、周囲が理解してくれないという無力感が「周辺症状」を生むのである。
- 2003/10/13 「シェル・コレクター」 Aドーア 新潮クレストブックス
- 孤島に暮し「貝を拾い集める」盲目の老学者。雪に閉ざされた山小屋で、冬眠するかのような生活を強いられる「ハンターの妻」。
そこに描かれているのは、いずれも「孤独」の中で研ぎ澄まされていく秘められた才能と、それが開花することによる愚かなる「混沌」あるいは「破綻」。
そして、そうした過程を経ることによってのみ到達できる、ある種の諦めにも似た「悟り」あるいは「静けさ」である。
ここに収められた8編の短編。その「物語」そのものは、荒唐無稽と言ってもいいほど意外な展開に満ち溢れているにも拘らず、何の違和感も無く読み進むことができるのは、
「空気の匂い」まで感じさせてくれるような、切ないまでに美しい「自然描写」の力なのだろう。
- 2003/10/6 「性と呪殺の密教」 正木晃 講談社新書メチエ
- 「度脱(ドル)、すなわち呪殺の行為は、利他行である。救済しがたい粗野な衆生を利益する。まさに仏の大慈悲である。
性的ヨーガと度脱の実践なしに、密教はありえない。」
ある人物が不正義である場合、より悪い行為をなさないうちに殺してやることは、不正義によって被害を受ける人々にとってはもちろん、
その不正義をなす人物にとっても、それ以上の悪をなさなくてもすむので、救済であり、むしろ慈悲だ。というのは「ポワ」と呼ばれたオウム真理教の発想でもある。
違っているのは、「度脱」では「サリン」のような毒物を用いず、あくまでみずからの霊力(ヴァジュラバイラヴァの秘法)で呪殺するというところのみであると言っても良い。
そしてその霊力は、性的ヨーガの正しい実践によってのみ得られたものなのだから、怪僧「ドルジェタク」のようには霊力を発揮できない「麻原」の性的行為の実践は、
出家者としては地獄に堕すべき行為であったということになる。(とまでは書いてない。)
- 2003/10/1 「オリガ・モリソブナの反語法」 米原万里 集英社
- 「ああ、神様!これぞ神様が与えて下さった天分でなくてなんだろう、そこの眉目秀麗な神童!あたしゃ感動のあまり震えが止まらなくなるよ」
「ぼっ、ぼくの考えでは・・・」「えっ、もう一度言ってごらん、そこの天才少年!ぼくの考えでは・・・だって!!フン、七面鳥もね、考えはあったらしいんだ。
でもね、結局はスープの出汁になっちまったんだ。分かった!?」
1960年代、プラハ。どう見ても70歳は超えているにもかかわらず、引き締まった肉体を持つ舞踏の女教師モリソヴナの十八番は、生徒を罵倒する「反語法」。
あれから30数年、オリガ先生とは何者だったのか?「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」(こちらはノンフィクション)の傍証(今度はフィクション)として、ロシアに翻弄された伝説の踊り子の半生を辿る謎解きの旅は、過酷で壮絶な歴史の真実を抉り出す。
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