- 2003/6/30 「新・地底旅行」 奥泉光 朝日新聞
- 朝日新聞の連載終了。取り立ててコメントするほどの内容ではないのだけれど、これって不人気に付き「途中打ち切り」ですか?と思ったような次第。
登場人物や道具立てを考えても、とりあえずスタートしたけれど、最後の落ちまで考えていなかったと言わんばかりに、自分で用意したお膳立ても使用しないまま終わってしまったようだ。
漫画の連載などではよくある話だと思うが、新聞連載も同じなのだろうか?そういえば、NHKの朝の連続ドラマ。始業時間後なので毎日見てはおらず、たまの土休に目にするわけだが、
ああ、この前見たドラマはもう終わって、次のが始まったんだなと思っていたら、同じ題名(「こころ」)だったりするのと似ているな。
- 2003/6/29 「フロベールの鸚鵡」 Jバーンズ 白水社
- この本は一体何なんだろう?フロベールの「ブヴァールとペキュシェ」が凡庸な二人の、愚かしくも滑稽な、百科全書的知の渉猟物語であったとするならば、
これは、そうしたフロベールの企みを、そのままフロベールに逆照射しようという企てというべきものなのだろうか?(昔、子供と一緒に見た「ドラゴンボール」の中にそんな技があったような気が・・・)
各所に仕掛けられているように感じる「罠」に気付かず通り過ぎてしまったような「残尿感(失礼!)」が残っているが、これは評論ではなくれっきとした小説なのであり、
理に勝った読み口がお好きな向きには、充分楽しめる1冊だとは思う。ご推薦いただきました田中さん、どうも有り難うございました。
- 2003/6/28 「モテたい脳、モテない脳」 澤口俊之 阿川佐和子 KKベストセラーズ
- 男女の「幸せ戦略」の違い。女は、男が持っているリソース(精力、経済力)を全部独占し、自分と自分の子供に長期間にわたって投資し続けることを望む。
男は、自分の遺伝子が確実に伝わっている子供を女に世話してもらうことを望む。一般的には、お互いの戦略が見事に合致したところで、幸せな家族を形成することになるのだろうが・・・
多くが破綻してしまうのは何故なのか?男はできるだけ多く、広く自分の遺伝子をばら撒くことを欲する。有り余った扶養能力があれば問題はないが(一夫多妻制)なければ、独占したい女は嫉妬する。
女はできるだけいい遺伝子を残すことを欲して浮気をし、男を騙して子育てしようとするが、他の男の子供を残す可能性が出てきた時、男は扶養の意味を見失う。
「少子高齢社会」の進展の中で、子供ができないのでなく「結婚しない」「子供を持ちたくない」人たちの増加が問題視されているが、そういう人の遺伝子は自然と淘汰され、
結婚して子供をきちんと育て上げることに幸せを感じられる、そんな遺伝子だけが残っていくことになる。阿川佐和子という「頭のよい」対談相手を得て、澤口先生の「脳を語る脳」は冴えまくるのでありました。
- 2003/6/27 「会社はこれからどうなるのか」 岩井克人 平凡社
- 「商業資本主義」=二つの市場の間の価格の差異を媒介して利潤を生み出す方法。
「産業資本主義」=産業革命によって上昇した労働生産性と、農村の産業予備軍によって抑えられた実質賃金率との間の差異性を媒介して利潤を生み出す方法。
「ポスト産業資本主義」=差異性を意識的に創り出すことによって利潤を生み出していく資本主義の形態。
利潤を生み出すような差異を見出すことがますます難しくなるなか、「ポスト産業資本主義」では、「差異性」そのものを商品として利潤を得ることが最大のテーマとなってきている。
IT革命。グローバル化、金融革命という「ポスト産業資本主義」における3つの大きな流れも、そのような文脈の中で捉えなおす必要がある。
この本の紹介でよく引き合いに出される、イギリスの広告会社「サーチ&サーチ」の株主の反乱と、創業者兄弟による反撃の顛末は「われわれが会社を去るのではない。会社がわれわれを去ってしまったのだ」という言葉で締めくくられるが、
実際「会社はこれからどうなるのか」という大きな問いは、「会社は誰のものか?」という古くて新しい問いの焼き直しなのであり、終身雇用、年功序列、株式持合いという人的資産の蓄積を促す日本的経営は、株主主権を弱体化するという意味で、
「ポスト産業資本主義」を生き残る可能性を有しているように思われる。
- 2003/6/16 「漢字三昧」 阿辻哲次 光文社新書
- 「漢字の中でもっとも画数が多いのはなんという字か?」というのは、誰もが興味を示す質問だろうと思うが、その答えとなると意外に知られていないのではなかろうか?
その答えは「テチ」(変換しても出てこない!)龍という字を四つ重ねて16*4=64画というものであり、その意味は「言葉が多い」。ただし、この漢字を実際に使った熟語は存在しない!
そんな字が何であるんだ?と思われるだろうが、漢字は一文字で「音」と同時に「意味」を持つ。ということは、物の名前や概念の数だけ、それを表す「漢字」があっても不思議は無いことになるのだ。
さしずめ、アルファベットでは「一番長い綴りの単語は何か?」という問いになるように、様々な概念を表す単語をつなぎ合わせて行く作業が、漢字一文字の画数に凝縮されていくといったところだろうか?
「かな」という表音文字を併用する日本と違って、漢字しか持たない「本場」中国において、「簡体字」という「記号化」が進む裏には、こうした事情があるのだろう。
- 2003/6/14 「はじめてのアラビア語」 宮本雅行 講談社現代新書
- まさしく「ミミズがぬたくったような」文字。しかも、右から左に書く!別にこれからイラクの復興支援に参加しようとか、ビン・ラディンと文通したいとか思ったわけではない。
極単純に、ハングルと同じように、アラビア文字も読めたら楽しいかもしれないと思ったわけである。で、今回最大の収穫といえば・・・アラビア語では母音(a、i、u の3個)は基本的に表記しない。
単語は基本的に3個の子音からなる語根で構成され、そこに母音や接辞が付いて、意味の異なる派生語が作られていくのである。たとえば
<k−t−b>という語根は、基本的に「書く」という意味。ここから<kataba>(彼は書いた)<katabat>(彼女は書いた)という動詞の活用形や、<kitaabun>(本)<kaatibun>(作家)という派生名詞ができるわけ。
ところが、先に書いたように、アラビア語では母音は表記しないとなると、上記の単語はすべて<ktb>と書かれることになる(らしい)。「そんなのどうやって読むんだ〜」と怒ってみてもしょうがない。
前後の文脈から、類推して読むらしく、慣れてくると<ktb>とあるだけで、これは「書く」ことに関係あることを言っていると、かえってわかりやすいのかもしれない。
- 2003/6/12 「ムダとり」 山田日登志 幻冬舎
- 不振工場の再建で、一番最初に見に行くのは「出荷場」。顧客との接点に一番近い場所。そこにこそ問題解決の重要なポイントが隠されている。
つくりすぎのムダをなくすためには、売れる分だけつくればいい。在庫はゼロとなる。
「間締め(まじめ)」=ベルトコンベヤを外し手渡しができるまで人と人の間を狭める。ライン上の仕掛品は「在庫予備軍」である。
「一人屋台生産方式」=「単能工」の「多能工」化、新たな仕事への挑戦が「やりがい」につながる。
キャノンのベルトコンベヤを3年間で15km撤去させた男。「トヨタ生産方式」の伝道師。「製造業の救世主」。いろいろ呼び方はあろうが、読後の感想を一言。
「命名の巧みさ」や「気のきいた一言」がなければ、「アイデアの素晴らしさ」だけではここまでのカリスマ性は発揮できなかったろう。
- 2003/6/8 「インターネットで古本屋さんやろうよ!」 芳賀健治 大和書房
- ブックオフでは、目利きをしないことで商売が成り立っており、どんな本でも定価の1割で仕入れて半値で売る(粗利率80%)売れそうもない本は、100円均一に並べられる。
らしいということは、耳にしていた。ということは、目利きがうまく探せば、100円で超レア物が手に入る可能性もある。と誰しもが考えそうなことを実践した本がコレ。
ブックオフの本が、従来の古本のイメージを一新した「新品並み」(実際に新品の本も多いらしい)であることは、eBookOffから購入して経験しているので、
超レア物ではなくとも、100円均一の中から、定価の半値であれば売れそうな本を掘り出すのは、それほど困難なことでは無いというのは、充分にうなずける。
それぞれに専門分野を持った古本屋が並ぶ電脳古書店街ができたら楽しいだろうし、出店してみたいという思いもある。
ちなみに、私が出店するとしたら、最近購入した本は定価の半値で出すしかないと思うけれど、学生時代に購入した建築関連の本と、雑誌「遊」などの工作舎の絶版本は、結構な値がつくかもしれない。
(試しに、宮川淳「引用の織物」を検索してみたら19500円の値がついていた。これは真剣に検討する価値がある。)
- 2003/6/8 「バカの壁」 養老孟司 新潮選書
- 新発売の新潮選書が、第一弾、第二弾と、大物起用や話題作で、軒並み大ヒット。中でもこれが最大のベストセラーと言うことなのだが、新潮選書の中では一番の駄作のような気もする。
書下ろしではなく、聞き下ろしというせいもあると思うのだが、読んでいて「腑に落ちる」という部分が極めて少ない。これだけ売れたのは単純に「題名」のせいであると確信しているけれど、
『「話せばわかる」は大嘘』という帯の文句から「最近、バカが多くて疲れません?」という桃井かおりの幻の名作CMのような話を期待していた者としては、
「人間は結局わかりたいと思うことしかわかろうとしない」=「バカの壁」という、意外に謙虚なお話に拍子抜けしたのでありました。
- 2003/6/6 「キャッチャー・イン・ザ・ライ」 JDサリンジャー 白水社
- 柔らかな陽光を浴びる一面の麦畑の中を、麦藁帽子をかぶった金髪の少女が駆け抜けていく。その無邪気な面影を、いとおしむように追いかける僕・・・。
恥ずかしながら、青春小説「ライ麦畑でつかまえて」というのはそんな話なのだと、読みもしないで了解していた私にとって、あたかも村上春樹の新作であるかのように
ベストセラーとなったこの本を、実際に読んでの思いは、軽いショックに近いものでした。思わず娘の本棚から野崎訳を取り出してきて、内容を比較しても見たわけですが、
正直に言って、今回の村上訳がそれほど新鮮と言うわけでもないような気がしました。内容はもともと新鮮だった。今回はっきり理解したのは、この題名の訳しかたの違い。
「ライ麦畑のキャッチャー(捕手)」というのが、無愛想だけれど、よほど内容に近い。この題名なら、私もあんな恥ずかしい勘違いはしなかったし、もっと早くに読んでいたかもしれない。
つまり、「目立たないようにこっそりと、でもいつでも君のそばにいて受け止めてあげたい。」と思う自分がいとおしいというか、自分もそんな風に受け止めて欲しいわけね。と理解したのですが・・・
- 2003/6/4 「文壇アイドル論」 斉藤美奈子 岩波書店
- 村上春樹、俵万智、吉本ばなな、林真理子、上野千鶴子、立花隆、村上龍、田中康夫。80年代に彗星のごとくに現れたかと思えば瞬くまにスターダムを駆け上り、90年代を疾風のごとく駆け抜けた、
いずれ劣らぬ8名の文壇アイドル達。これはそんな彼ら、彼女らのその作品を取り上げて論じる「文学論」でもなければ、その人格や思想を論じる「作家論」でもない。
「バブル崩壊」を挟むポストモダニズムの時代背景の中で、彼ら、彼女らはどのように受け入れられ、論じられてきたのか。どのようにして「アイドル」の座を勝ち得たのか。それはどのような「アイドル像」だったのか?
与えられた「像」はどのようにその後の活動の足枷となったのか。これは斉藤美奈子お得意の「メタ○○論」なのである。一つの収穫、田中康夫への自分の評価が低すぎたことを反省。
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